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野口雅弘 『闘争と文化 マックス・ウェーバーの文化社会学と政治理論』(その3)

冷戦の終焉以後の「文明の衝突」が主張されている状況に呼応する形で、全体主義概念は再構成されることを求められており、実際に変貌しつつあるという点こそ確認されるべきである。そしてこれに対応する形で、従来ウェーバーの政治思想研究を決定的に規定してきた「ウェーバーと全体主義」という構図、つまりモムゼン・パラダイムも再検討されなければならないのではないか。(p.147-148)


この研究の背景。



「第三期」においてウェーバーは、認識論から全体としての秩序へと関心を移行したというのが本研究のテーゼである。(p.192)


一考に値する。



 ウェーバーの多遠近法性(Polyperspektivität)の認識が成立するのは、フリードリヒ・ニーチェの場合と同様に、啓蒙主義的な視座がひとつのパースペクティブとして相対化され、その特権性が剥奪されることによってである。似たようなことが、ルネサンス以来の遠近法を否定する20世紀の絵画にも当てはまる。ウェーバーが方法論の議論に区切りをつけ、文化社会学へと向かった時期が、いわゆるキュービズムの時代と一致するのはおそらく偶然ではない。いずれの場合においても、複数の非特権的なパースペクティブの関係のあり方が模索されていたのである(p.202)


大変興味深い指摘。

こうした相対化が行われるにあたって、植民地の拡大は一つの重要な契機であったように思われる。ついでに言うと、アインシュタインの相対性理論も同じ時期であり、量子力学などの発見が続くのもこの時代以降のことである。



 丸山真男は、「求道者」としてウェーバーを理解する傾向、つまりウェーバーの主体性に関心を集中させる傾向が、日本のウェーバー研究のひとつの特徴であると指摘している(丸山真男「戦前における日本のヴェーバー研究」『丸山真男集』第九巻、岩波書店、1996年、318-320頁)。ここにおいて丸山は――本研究の言葉を使うならば――「秩序の位相と関係するような文化社会学的なパースペクティブの欠如」を問題にしているのである。(p.205)


こうした批判の対象として、真っ先に思い浮かぶのは安藤英治であり、大塚久雄である。野口氏は折原浩も取り上げているが、妥当である。折原の研究は優れたものがあり、学ぶべき点も多いと私は見ているが、それでもこの傾向は見られると思う。羽入辰郎がウェーバーを非難したとき、折原が激怒したことも、こうしたウェーバー観と関連していると思う。



ウェーバーが「価値自由」を言うとき、その強調点は事実と価値の二元論それ自体にあるのではない。むしろ彼は、ある価値が事実の名のもとに押しつけられる事態に反対なのである。(p.215)


確かに。

これを受け取る側(エピゴーネン)が実践的にこの思想を活用しようとする際には、技術的に言って、事実と価値の混同を戒めることが必要になり、強調点が移行するわけだ。

もっとも、そうした移行があっても、事実上、この区別さえなされていれば、「事実をして語らしめる」ということは抑制されるから、根本的に誤った捉え方であるとまではいえないと思うが。


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テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

野口雅弘 『闘争と文化 マックス・ウェーバーの文化社会学と政治理論』(その2)

ウェーバーの「西洋」概念をめぐる議論から自然法というテーマを排除してきた背景として、もうひとつの解釈前提にも言及しておくべきだろう。それは、禁欲的プロテスタンティズム、近代資本主義、そして西洋合理主義は一貫した連続体であるとする解釈枠組みである。
 これまで多くのウェーバー研究者は、こうした解釈枠組みにおいてウェーバーの著作と取り組んできた。その代表的な一人としてヴォルフガング・シュルフターを挙げることができる。しかしながら、禁欲的プロテスタンティズム、近代資本主義、そして西洋合理主義の連続性という前提はそれほど自明ではない。ウェーバーは『宗教社会学論集』の「序言」において、西洋にのみ成立した現象としていくつかの例を挙げている。しかし、それらの意外なほど多くが禁欲的プロテスタンティズムとは関係が薄い。・・・(中略)・・・これらの現象は、「西洋」とプロテスタンティズムをあまりに強く結びつける解釈枠組みにおいて、不自然なまでに軽視されてきた。同様のことが自然法にも当てはまる。(p.69-70)


ウェーバーによって「西洋」に特有のものとして挙げられているものが、禁欲的プロテスタンティズムとは関係が薄いという指摘は妥当なものだと思われるが、それによって禁欲的プロテスタンティズム、近代資本主義、西洋合理主義を一貫した連続体であると見做すパラダイムを批判している。

ただ、禁欲的プロテスタンティズムが近代資本主義の母体であったなどということをウェーバーは明言しておらず、禁欲的プロテスタンティズムによって形成された職業倫理が近代資本主義成立に何らかの積極的な寄与をしたのであろう、ということをウェーバーは言っていたのであり、また、西洋合理主義が様々な分野に浸透していたことから、計算可能性に重きを置いた、近代の「合理的な」資本主義が西欧においてのみ成立した、と言っているのであり、その意味である種の偶然の帰結として西洋にのみ近代資本主義が成立しえたというのがウェーバーの主張だったと思われるし、そのように解釈されてきたものと私は見ている。

その意味では野口氏が批判の対象としているようなウェーバー解釈はそれほど一般的ではないのではないか、という気がしている。



しかし、「西洋においてのみ」という問題設定がはじめて十全な形で定式化されたのは、この『音楽社会学』においてであった。(p.71)


ウェーバーの作品史や思想・テーマの変遷を捉える上で非常に重要かつ興味深い指摘と思う。

ちなみに、『音楽社会学』は1911年に執筆されウェーバー死後の1921年に世に出た作品である。



実際、彼の著作において、西洋と近代が結びつけられている箇所は、思われているよりもはるかに少ない。(p.83)


次にウェーバーを読むときにはこの点にも少し注意して読んでみたい。



信条倫理と責任倫理の違いは、それらが基礎にしているモノ(単)遠近法とポリ(多)遠近法の対立に由来するのである。(p.99)


それぞれの倫理の特徴をやや一面的に上昇している感はあるものの、なかなか興味深い見方であるし、本書におけるウェーバー像を念頭におくと、それなりに説得力もある。



 ウェーバーが「すばらしき微光」を見出したのは、禁欲的プロテスタンティズムにでも、神秘主義にでもなく、むしろフィレンツェの初期ルネサンスの引き裂かれた意識にであった。加速度的に展開する近代社会における専門人と、こうした社会をトータルに否定する神秘主義ないしネオ・ロマン主義をともに拒否しようとする理論家が、社会像ないしユートピアとして絞り出したのは、対立の除去ではなく、「対立のバランス取り」だったのである。ウェーバーが闘争にこだわるのは、こうした事情に根ざしている。彼はまさに闘争に「人間の尊厳」を見出すのである。(p.139)


ここは本書が提示するウェーバー像をかなり濃縮して語っている箇所の一つである。

なお、闘争に人間の尊厳を見出すという点は、闘争が情熱と結びついており、情熱なしになしうることは無価値であるという『職業としての学問』におけるウェーバーの発言とも合致している。



マックス・ウェーバーとアビ・ヴァールブルクはともに不安定な精神をかかえており、「逸楽郷」ないし「天国」において救済されることをある意味で強く求めていた。しかしそれにもかかわらず、彼らはともにこれを拒否したのである。(p.140)


私見では、「それにもかかわらず」拒否したのではなく、「それだからこそ」拒否したのだと思われる。



 これに対してウェーバーは、「世界のさまざまな価値領域が相互に調停できない闘争にある」、そうした「日常に耐える」ことを求める。彼の著作はこうした世界観が結実したものである。したがって、闘争を強調する社会理論が容易にいわゆる権力政治と結びつくことはたしかであるとしても、彼の「権力政治」をいわゆる帝国主義的な政治の枠内で理解することはできない。(p.143)


野口氏はこのようにしてかつてウェーバーに対して向けられた批判から彼の理論を救い出そうとする。確かにウェーバーの主観的な意図からすれば野口氏の指摘はかなり妥当だと思われる。しかし、理論・思想というものは、表現されたことによって本人の意図を離れて動いていくものである。そこまで計算に入れる場合、たとえウェーバーの主観的な意図を正しく汲んでいないとしても旧来のウェーバー批判にもある程度の分はあると認めざるを得ないように思われる。

むしろ、例えば、終わりなき闘争における「闘争」をより穏健な概念によって置き換え、それによって世界を再構成して新たな理論を構築することが必要であり、その際の土台のひとつとしてウェーバーを利用するというようなやり方が求められるように思う。世界の動き(作動)は認識によって即座に変わるわけではないが、その思想に基づいて行動することが世界の作動を変えることはありうる。意図せざる結果を伴いながらではあるが。


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野口雅弘 『闘争と文化 マックス・ウェーバーの文化社会学と政治理論』(その1)

 ウェーバーの社会科学的な著作を理論的に究明しようとする者は、これまで通常、彼の方法論的著作に注目してきた。ウェーバーの『科学論(Wissenschaftslehre)』はたんなる社会科学方法論ではなく、「哲学的」な著作として理解されてきたのである。このことは、ウェーバーの政治理論解釈にも当てはまる。おもに時事的問題への発言集である『政治論集』を体系的に解釈するために、しばしばウェーバーの方法論的な議論が参照されてきたのである。しかし注意しなければならないのは、ウェーバーが方法論に取り組んだのは、彼の作品史においてはいわゆる「第二期」だけであるということである。「新たな生産的な局面」である「第二期」は精神的な病気のあと、『ロッシャーとクニース』(1903-1906年)とともに始まった。しかし彼の方法論の議論は「第二期」に限られている。「世界宗教の経済倫理」の「序論」や「中間考察」を含む「第三期」は、もちろん方法論的な議論と無関係ではないが、これとは独立している。・・・(中略)・・・。ウェーバーは「第三期」においては、方法論という手段ではたどり着けないものに取り組んでいたと考えられるのである。(ウェーバーにおける科学論の限界と文化社会学の課題については、本研究の第Ⅱ章で論じる。)
 こうした作品史的な観点を考慮に入れるならば、ウェーバーの政治理論も、とりわけ「第三期」の成果、つまり比較宗教・文化社会学を基礎にして解釈されるべきであると言うことができる。本研究はこうした前提から出発する。従来は、ウェーバーの政治理論を方法論との関連で理解しようとすることで、その個人主義的な側面が強調されてきた。しかし秩序や文化の位相に注目する「第三期」の成果を基礎にして、彼の政治理論を再構成するならば、それはまったく別様に解釈できるはずである。(p.1-2)


本書はこうした観点に立ってウェーバーの政治理論を別様に解釈していく大変興味深い論文である。

方法論が第二期に限られているという指摘はウェーバーの作品史を考える上で非常に重要なポイントを突いているように思われ、非常に参考になった指摘である。

方法論に関する論文は『価値自由』論文と『理解社会学のカテゴリー』を含めても1913年頃が最後であり(前者が公に発表されるのはもっと後だが)、実質的には1909年頃までに書かれたものである。(主なところとしては、『客観性』は1904年、『マイヤー』は1906年、『シュタムラー』は1907年である。)そして、山之内靖がウェーバーの思想が変化したことを強調する、『古代農業事情』の第三版が1909年に出ており、「世界宗教の経済倫理」は1911年から研究が始められるという流れになっている。

『政治論集』に掲載される論文の多くが第三期に属するとすれば、本書が主張するように比較宗教社会学的研究(文化社会学)との関連でウェーバーの政治論を読むという見方にはそれなりの妥当性があると思われる。

ただ、第二期の方法論と第三期の文化社会学の間にどのような関係があり、どのような断絶(独立性)があるか、という点についてはこの論文では十分に論及されていないため、この点についての究明はしておく必要があるように思われる。



 いわゆる「決断主義(Dezisionismus)」もこうした遠近法的な非合理性と対応している。カール・シュミットが「ウェーバーの正統な弟子」であるかどうかはともかくとして、(極端に)相対主義的・多元主義的な状況が権威主義的・権力政治的な契機と相関するということは明らかであろう。遠近法主義的な立場から帰結する「「評価する」立場の無限の多様性」は、秩序の危機を引き起こす。立場が多元化すれば、ある特定の価値に依拠する形での秩序形成は困難になる。ここからホッブズは、「真理ではなく、権威が法を作る」(『リヴァイアサン』第26章)と結論づけるのである。「決断主義」が成立するのはまさにこうした文脈においてである。シュミットは、以下のように述べる。「決断はそれ自身が言明の意味であり、目的である。決断の価値は圧倒的な論証にあるのではなく、むしろまさに相互に矛盾する多様なありうる論証から生じる疑いを、権威的に排除する点にある」。こうしてカール・レーヴィットが主張するように、「ウェーバーの歴史的「相対主義」」は「シュミットの独裁的決断主義」と切り結ぶことになる。(p.15-16)


極端な相対主義・多元主義の下では、ある認識が妥当であるということの優位性を論理的・「合理的」に主張できないが故に、現実に権力を有する立場からの決断を排除できず(論理的に同等のものとせざるを得ず、現実的に力を有する以上は)、独裁を容認せざるを得なくなるという論理か。

こうした相対主義・多元主義と権威主義のコラボレーションは、80年代以降のポストモダニズムの隆盛とほぼ同じ時期以降の新自由主義や新保守主義の台頭という状況として日本でも再現が見られたところであり、著者もそうしたことを念頭においているのではなかろうか。



 ウェーバーの著作においては、「冷たい承認」と緊張の回避が対応し、「実質的(massiv)」要求と緊張関係が結びついている。「実質的」という言葉は、「わたしたちをもっとも強く揺り動かす最高の理想は、いつの時代でも、もっぱら他の理想との闘争を通して実現される」という認識に基づいて、用いられているのである。マキアヴェリの時代の人々が「強力に(massiv)」教会に帰依していたというとき、それは、カント的な倫理学やダルマによってあらかじめ定められた規範に「怒りも興奮もなく」ただ無条件に従うということを意味してはいなかった。ウェーバーにおいて、緊張と情熱は相互に結びついている。そうしてそうした理解から、中国やインドの文化においては、緊張関係の欠如ゆえに、「情熱」は疎遠なものであったとする。(p.49)


的確な指摘であるように思われる。

ウェーバーは、他の理想との終わりなき闘争による緊張状態およびその闘争に臨む者の情熱に価値を見出しているというわけであろう。この点については、ウェーバーが『職業としての学問』で述べた「いやしくも人間としての自覚のあるものにとって、情熱なしになしうるすべては、無価値だ」という言葉(尾高邦雄訳p.23)が想起されるし、また、『職業としての政治』においても政治家にとって重要な資質の第一に「情熱」が挙げられていた(情熱、責任感、判断力)ことが想起される。ウェーバーは「ここで情熱とは、事柄に即するという意味での情熱、つまり「事柄(ザッへ)」への情熱的献身、その事柄を司っている神ないしデーモンへの情熱的献身のことである」と述べる(脇圭平 訳p.77)。

少なくとも私が思いつく限りでのウェーバーの発言を見る限り、著者のような解釈には妥当性があるように思われ、的確な捉え方であると思われる。

ただ、かつてウェーバーが「個人主義的」に解釈されていた頃にも、これと類似の点に魅力を感じていた研究者たちはいたと私は見ており、その意味では目新しい指摘ではないようにも思われる。むしろ、彼ら(安藤英治など)との差異がどこで生じるのかを明示する必要があるようにさえ思われる。



 ウェーバーは「官憲国家」という概念を用いて、中国における「家父長制的な支配」とともに、ドイツのルター派の政治を論じている。中国の文化の分析が同時代のプロイセン社会への視座を鋭くし、また現実政治へのコミットメントが比較文化社会学の研究を深めている。ウェーバーが中国の神政政治的な家産制国家における「宗教的・功利主義的な福祉国家」の考察をするとき、これは近代社会の診断とつながっている。(p.55)


第三期の文化社会学と政治論とが密接に関わっていることについての指摘をしている箇所の一部である。中国のみならず、ロシア、インドなどに対する研究でもこうしたことが言えるとされる。今後、こうした視点から読み直してみたい部分である。



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ガブリエレ・クレパルディ 『ルノワール 陽とバラの肌』

 ルーヴルでの模写生や陶器の絵付師として長時間を過ごした修行時代まで、ルノワールはギリシア・ローマ、イタリア・ルネサンス、18世紀のフランスをはじめとする古典美術から着想を得ていた。イタリア旅行後はそうした美術への言及が増して、その後の作品を特徴づけることになった。不朽の名作をきっちり引用して、日常生活から取られた単純な場面や主題に気品を添えることで、ルノワールが<日常の永遠性>と呼んだものが現実のものとなった。(p.83)


本書を通して得られ、強まった認識は1881-1882年のイタリア旅行がルノワールの作風の変化に大きな意味があったということである。



 画家活動の最初の20年間にはルノワールの絵に好意的な論評は数えるほどで、しかも短いものであり、あからさまな嘲笑ではないにしても、やはり酷評のほうが上回っていた。しかしルノワールは死後に注目の人物となって、コレクターには人気が高く、評論家には賞賛され、画家たちからは尊敬された。画家たちは彼のなかに巨匠の姿を見ていた。彼はアカデミー風の絵画が課した厳しい束縛を断つのにあずかって力があり、様式と表現の新生面を切り開きながら、現実への異なる手法を実験した。・・・(中略)・・・。しかし同時に、とりわけ第一次大戦中には、そうした画家たちは、ルノワールの詞的で優美な世界は決定的に過去のものとなり、新生ヨーロッパの現実は根本的に変わったことを思い知った。(p.126)


本書によると1880年頃に「まずまずの批評を受けるようにな」(p.52)り、1890年頃の「50歳で揺るぎない評価を得」(p.88)たとされる。

これによると、1860年頃から80年頃までは否定的な評価が優勢であり、80年代頃に肯定的な評価が次第に優勢になっていき90年には揺るぎない評価を得たが、1914年頃にはルノワールのような優美さよりも不安などを表現する画風が好まれるように変わって行ったと見ることができる。

上記の期間は、ホブスンによりヨーロッパ列強による帝国主義の時代として規定されている時代に相当しており、フランスの植民地帝国が形成されていったのは1870-1871年の普仏戦争以後であり、第一次大戦までの期間であることに鑑みると、この時期に新たに富を得た新興の市民層がルノワールの購買層だったとすれば――上昇的で前途洋洋たる社会層が優美な印象派的絵画を求め、それを購買するだけの力があったということは――整合的であるように思われる。これはまだ私の知識が不十分であるため検証できていないが、自分なりの仮説として提示しておく。(美術史でこの時代のフランス絵画などを専攻している人なら機知の事柄なのであろうが。)

デュラン=リュエルなどの画商がどのようにして富を獲得し、また、買い取った絵を誰に売っていたかということが分かれば、この問題はほぼ解決できるであろう。



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佐藤優 『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(その3)

 もっとも、国際スタンダードでは、このような「人質裁判」が横行するのは国家権力が弱っていることの証左である。強い国家は無理はしないものだ。私は「人質裁判」に現れた日本の現政権の「弱さ」をきちんと記録に残したいと考えた。(p.475)


同意見である。

ちなみに、これは日本の内政だけでなく、アメリカのイラク戦争やロシアのプーチンによる強権的な政治・外交にも見られる傾向である。



アイヌ人の先住民族としての権利を確立することで、アイヌ民族の歴史的故郷としての北方四島の返還をロシアに対して要求し、サハリン(樺太)大陸棚の天然ガス・石油開発に参入していこうとするのが鈴木氏の戦略だ。(p.537)


なるほど。新党大地設立の構想にはこうしたものが含まれていたのか。

また、90年代末から(?)アイヌ関連の法律が幾つか成立(改定?)された記憶があるが、それも単にポストコロニアリズム的ないし左翼的構想というよりは、こうした外交戦略も絡んでいるのかもしれない。



 本というものは、それがいい文章で書かれていれば、おおかたの読者は語り手に感情移入する、の法則があります。(p.545)


これは佐藤優の文章ではなく、川上弘美による解説からの引用であるが、なるほどと思わされた。

内容の真偽に関わらず語り手に感情移入する。これは文章に限らず、話のうまい下手についても同様にであるように思われる。内容の真偽に関わらないということを私としては強調したいと思う。

これに関して個人的な体験を記録しておく。

私のかつての友人で非常に話のうまい男がいて、8割くらいは正しいことを話していたが、たまに誤ったことを語っていた(嘘をつこうという意図はなく)が、非常に多くの人々がその人に引きつけられていた。私がその人に対して正しい批判をした際にも、大抵の人は――理屈を理解出来なかったこともあるが――相手側についたことがあり、やりきれない思いをしたことがある。まぁ、結果的には私の批判は妥当性を認められたが、その本人が誤りを認めたことにより他の烏合の衆がついてきた(?)という図式に過ぎなかったように思われる。話・文章のうまい下手というものがどれほど恐ろしいものであるかを体験的に知ったという意味であの事件は私にとって重要であった。


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佐藤優 『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(その2)

 色丹島、択捉島に本格的ディーゼル発電機が供与され、両島での電力問題は基本的に解決した。これまでの電力調査で、国後島の電力事情は、残り二島に較べればマシなので、ディーゼル発電機供与の順番は後回しになった。
 このことに国後島の住民は不満を抱き、「日本政府はなぜ国後島に差別待遇をするのか。ディーゼル発電機が欲しい」という声も聞かれるようになった。裏返して言うならば、ロシア系住民が日本に対する依存度を強めてきたということだ。(p.226)


ここに見られるように、不満と依存は表裏一体的な関係にある。

日本国内に目を向けても、政治や官僚への不満が渦巻いているが、これもまた他者への依存の表れである。

もちろん、不満があっても単なる依存ではない場合もありうるが、それはその人が何らかの具体的かつ効果的なアクションを起こしているかどうかによって見分けることができる。それが欠けている場合は「単なる依存」であり、アクションがある場合はそこに積極的にかかわっているがゆえに単に「依存」として切り捨てられない要素があるということである。



 情報専門家の間では「秘密情報の98パーセントは、実は公開情報の中に埋もれている」と言われるが、それを掴む手がかりになるのは新聞を精読し、切り抜き、整理することからはじまる。情報はデータベースに入力していてもあまり意味がなく、記憶にきちんと定着させなくてはならない。この基本を怠っていくら情報を聞き込んだり、地方調査を進めても、上滑りした情報を得ることしかできず、実務の役に立たない。(p.241)


記憶にきちんと定着させる必要があるというのは、なるほどと思わされたところ。私の場合、ニュースなどをブログに記録することである程度のデータベース化を行っていたが、細部まで記憶しているかというとそうでもない部分も多い。記憶に定着させる技術をもう少し磨く必要があるかもしれない。年齢とともに記憶力は弱くなっているが。

また、「新聞」の切り抜きするというのも興味深い点である。ネット上では新聞はテレビと並んで「マスゴミ」などという中傷用語で非難の対象とされ、「偏向」しているとして非難されることが多いが、情報のプロはその「新聞」をこそ活用しているということである。

新聞であれテレビであれ、そこに表現されたことが理論負荷的であることなど、そもそも自明であるが、大多数の報道は何らかの根拠を持って報道されているため、完全に自由な創作と異なり、理論負荷が可能な範囲が限られる。それに対して、「ネット論壇」でのマスコミ非難の多くは、要するに自分の気に入ったとおりの報道がなされない、ということでしかなく、「個人的な思い入れ」や、「イデオロギーによって言語的に反復されることによって正当であるとの感情が増幅された感情/信仰」という強度に理論負荷された極端な立場からの不満を垂れ流しているにすぎない。

もちろん、その中には正当な批判と言いうるものもないわけではないが、報道に理論負荷がなされていることは当然であり、それがなぜ、どのような立場から理論負荷されているかを見極め、そうした理論負荷された前提となる理論と現実との差異がどのようなものであるかを理論的ないし実証的な根拠に基づきながらより分けていこうとする姿勢が見られるものは多くない。(私はナイーヴに「物事そのものDing an sich」があるなどと考えているわけではない。ここでは反省を(補助的に)用いながら「システムの作動」を捉える際の作法を一般的な言語で表現しただけである。)本来、こうした作業こそがなされるべきことであろう。その意味では佐藤優が言っていることはさすがに元実務家だけあって、私としても共感できるものである。



そして私なりに調査をしたところ、三井物産の対露情報の手法は明らかに満鉄(南満州鉄道)調査部の伝統を継承しているという印象を得たのだった。(p.241)


こうした歴史的な手法の継承は大変興味深いものがある。



 国策捜査は「時代のけじめ」をつけるために必要だというのは西村氏がはじめに使ったフレーズである。私はこのフレーズが気に入った。
 「これは国策捜査なんだから。あなたが捕まった理由は簡単。あなたと鈴木宗男をつなげる事件を作るため。国策捜査は『時代のけじめ』をつけるために必要なんです。時代を転換するために、何か象徴的な事件を作り出して、それを断罪するのです」
 「見事僕はそれに当たってしまったわけだ」
 「そういうこと。運が悪かったとしかいえない」
 「しかし、僕が悪運を引き寄せた面もある。今まで、普通に行われてきた、否、それよりも評価、奨励されてきた価値が、ある時点から逆転するわけか」
 「そういうこと。評価の基準が変わるんだ。何かハードルが下がってくるんだ
 「僕からすると、事後法で裁かれている感じがする」
 「しかし、法律はもともとある。その適用基準が変わってくるんだ。特に政治家に対する国策捜査は近年驚くほどハードルが下がってきているんだ。・・・(中略)・・・。」
 ・・・(中略)・・・。
 「そうじゃない。実のところ、僕たちは適用基準を決められない。時々の一般国民の基準で適用基準は決めなくてはならない。・・・(中略)・・・。」
 「一般国民の目線で判断するならば、それは結局、ワイドショーと週刊誌の論調で事件ができていくことになるよ
 「そういうことなのだと思う。それが今の日本の現実なんだよ」
 「それじゃ外交はできない。ましてや日本のために特殊情報を活用することなどできやしない」(p.366-368)


ここは本書のハイライトとも言うべき箇所の一つであろう。「一般国民」の基準で適用基準が決まらなければならないというのは、法律については、ある程度考慮される必要がある要素である。

しかし、その「一般国民の基準」なるものは誰がどのようにして、どのような権限に基づいて判断するのかという問題がある。実際問題として検察庁にこの解釈権があるようであり、その点に恣意的な判断が多分に入り込む余地があり、ここに国策捜査の危険性があるといってよいだろう。

「一般国民の基準」なるものを行政側がある程度恣意的に判断することが許されるとして――また、現実問題としてそうした裁量権は多少は残らざるを得ないだろうが――その解釈が「一般国民」に対して適用されるような法律であれば、私はそれほど大きな問題ではないと思っている。例えば、税法や道路交通法などであれば、多くの「一般国民」が適用対象であり、行政側の解釈が「一般国民の基準」とのズレが大きい場合、世論や政治家から行政側の解釈の変更が迫られるチャンスが比較的大きい。しかし、そうでない場合、すなわち、「一般国民」が当事者にならないような法律の解釈について行政が恣意的な判断を下した場合、それを制止する権力が存在しないということは大きな問題であるように思われる。

こうした観点からこの対話では佐藤優の意見に理があると言える。そして、ワイドショーや週刊誌の論調では外交はできないといことにも同意する。そしてこれは、外交のみならず行政が行う事柄に広く当てはまると考える。



問題はその先だ。なぜ、他の政治家ではなく鈴木宗男氏がターゲットにされたかだ。それがわかれば時代がどのように転換しつつあるかもわかる。私は独房で考えをまとめ、それを取り調べの際に西村氏にぶつけ、さらに独房に持ち帰って考え直すということを繰り返した。
 その結果、現在の日本では、内政におけるケインズ型公平配分路線からハイエク型傾斜配分路線への転換、外交における地政学的国際協調主義から排外的ナショナリズムへの転換という二つの線で「時代のけじめ」をつける必要があり、その線が交錯するところに鈴木宗男氏がいるので、どうも国策捜査の対象になったのではないかという構図が見えてきた。(p.373)


なかなか説得力があり、納得させられる箇所である。

ハイエク型傾斜配分路線は既にかなり浸透してしまったのだが、世界同時不況によりこれへの見直しが検討され始めているようにも見えるが、ハイエク型の新自由主義勢力も一方では騒いでおり、この観念の一部は既に人々の間に根強く根づいてしまっているものがあるため、危険は去っていない。また、排外主義的ナショナリズムも安倍晋三の首相就任期の前後からマスコミなども抑えた論調になってきているように見え、過激な排外主義者たちの意見も取り上げられることが少なくなってきた感があるが、諸外国と異なり、日本では露骨な排外主義的発言を公的な場で行うことが禁止されていないため、まだ危うい状況にあることには変わりない。

この不況期に人々のものの考え方に大きな変化が生じ、幾らかでもまともな方向に舵が切られていくならば、不況をさえも私は歓迎したいところである。



 「西村さん、僕が言っているのは、個々の事例を超えた、いわば空気の問題なんだ。自国の外交官がだらしない、国を売っているという声が出てくるときは、その背景に必ず排外主義的ナショナリズムの昂揚があるんだよ」(p.380)


なるほど。

同様に厚生官僚(福祉行政)がだらしない、国民の側に立っていないという声が出てくるときは、その背景には必ずハイエク型傾斜配分主義(新自由主義)の昂揚があるとも言えるかもしれない。

ま、これを誤って特定の主体があるものとして原理主義的に適用すると陰謀論になってしまうのだが、あくまでも「空気の問題」すなわち、私の用語法で言えば「意味空間」の問題であり、その意味空間は必ずしも特定の勢力や社会層に帰属させる必要性はないという点には留意が必要だろう。



同一犯罪者の手口はだいたい同じなんだよ。(p.398)


納得。

私の知る某犯罪者も同じ手口で捕まっているし、別の執行猶予中の人物も同じような事件を繰り返している。


テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

佐藤優 『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(その1)

新聞は婆さん[※引用者注;田中真紀子外務大臣(当時)のこと]の危うさについてきちんと書いているんだけれど、日本人の実質識字率は五パーセントだから、新聞は影響力をもたない。ワイドショーと週刊誌の中吊り広告で物事は動いていく。(p.97)


これは佐藤優の言葉ではなく、外務省幹部の発言の部分からの引用であるが、強調した箇所には激しく同意する。

「実質識字率」というのは、それなりに彫琢すれば、なかなか使える概念かもしれない。

「実質的な識字能力」が身についているといえるためには、単に新聞の文字面の意味を読めるというだけではなく、なぜそのニュースがこのタイミングで出てきたのか、また、なぜこのニュースの扱いが大きいのか、あるいは小さいのかが理解できるかどうか、また、中立的ないし客観的な姿勢を建前としている場合でも、その文章がいかなる仕方で理論負荷されているのかを読み取れるかどうか、また、ニュースに書かれているべきことのうち、何が書かれていないのかを読み取れるかどうか、初歩的なところでは、論理的な推論に誤謬や飛躍がないかどうか、あるとすればそれはなぜか、ということなどが読み取れなければならないだろう。

そのために必要な教育が日本では充分にされているとは言い難い。教育改革が必要だとすれば、それはこの点についての改善がなければならないだろう。

また、より一層示唆的なのは、世論が冷静かつ理性的に物事を判断するだけの力を持たないという現実認識に立てば、「民主主義」の理想に原理主義的に拘るよりも、「デモクラシー」という制度的な担保は留保しておいた上で、ウェーバーが唱えたように「政治的決定はつねに少数の者の冷静な頭脳によって行なわれる。街頭での煽動や情動に左右されてはならない」(牧野雅彦 『ヴェルサイユ条約 マックス・ウェーバーとドイツの講和』p.38)という方針で行われるべきであるという帰結に導かれる、ということである。

私は「民主主義」の原理的適用には反対であるが、「デモクラシー」の制度を民主主義の理念を念頭におきながら活用することには賛成であると言う意味で、「批判的」に民主主義に対峙しているのだが、こうした見解と、上記のような「実質識字」ができない人間が多いという現実を踏まえて「弱い個人の仮定」に立って政策や制度設計を行うべきであるという政策立案者として必要な考え方とは非常に整合的であるということを再確認しておきたい。




私が見るところ、ナショナリズムには二つの特徴がある。第一は、「より過激な主張が正しい」という特徴で、もう一つは「自国・自国民が他国・他民族から受けた痛みはいつまでも覚えているが、他国・他民族に対して与えた痛みは忘れてしまう」という非対称的な認識構造である。ナショナリズムが行きすぎると国益を棄損することになる。私には、現在の日本が危険なナショナリズム・スパイラルに入りつつあるように思える。(p.152-153)


ナショナリズムの特徴として「より過激な主張が正しい」とされるというのは、なかなか鋭い見方であると思う。ただ、もう少し正確に表現するならば「より過激な主張が一層好まれる」ということである。

私の見るところでは、「ナショナリズム」とは「思想」や「主義」といったものではなく、「感情」ないし「信条」あるいは宗教における「信仰」として規定されるべきものである。

理性Vernunftとか理論とかいったものは、ここでは重視されない。そうではなく、「感情」を強く揺さぶる(奮い立たせる)主張が「好まれる」ことになる。

「非対称的な認識構造」という特徴とは、もっと一般的に言えば、「自己中心性」であり、佐藤優が指摘しているのは、その認知的な側面に過ぎない。

これら2つの特徴を別々のものと考えるのではなく、「ナショナリズム」という「感情/信仰」は「自己中心的なもの」という特徴を持っているものとして押さえておくべきであると私は考える。もっと端的に言えば、「ナショナリズム」とは一種の「自己中心的な感情/信仰」である、と言える。

感情や信仰であっても、他者への共感などが重視される傾向のものであれば、そこから他者を尊重するという方向性も出てくるが、ナショナリズムという自己中心的な感情/信仰においては、「他者」に対する共感の要素は存在せず、他者に対しては必然的に排他的な傾向を示すことになる。

これをさらに敷衍すれば、他者が「自己」よりも軍事的経済的などの点で劣ると判断した場合には、他者に対して容易に征服や支配を行うことも正当化しようとすることになり、その感情/信仰に基づく主張および行動は、帝国主義や植民地主義などの形を取ることになる。同様に「自己」の勢力が「他者」よりも不利であると判断される場合には、同様の排他性から「現行政府に対する『革命勢力』」や「侵略者に対する『反帝国主義』『反植民地主義』」のような形態を取ることもある。

いずれにせよナショナリズムに欠けているのは、「自己」と「他者」を相対化する契機と、それらの区別を保持する場合における「他者」への理解と尊重という契機である。

本書ではナショナリストはナショナリストを尊重することがあることについて書かれているが、私が見るところでは、そうしたことが起こりうるのは、当該ナショナリストがナショナリズムに基づくだけの言動をするのではなく、その感情/信仰をコントロールするだけの理性的対応や実務的なプラグマティズムをも持ち合わせている場合であり、これらの要素がナショナリズムの感情/信仰の自己中心性を十分に抑制できている場合だけであると思われる。思うに、筋を通すことが好まれるのもその故であろう。



 第三に、官僚支配の強化である。外務省をめぐる政官関係も根本的に変化した。小泉政権による官邸への権力集中は、国会の中央官僚に与える影響力を弱め、結果として外務官僚の力が相対的に強くなった。ただし、鈴木宗男氏のような外交に通暁した政治家と切磋琢磨することがなくなったので、官僚の絶対的な力は落ちた。(p.153)


興味深い指摘である。

決定の権限が現場から離れたことで、相対的に現場の力が強まった(中央が現場の官僚をコントロールできなくなった)ということであろう。しかし、そこには外部(政治家)からの圧力という緊張感は欠けており、独善的になりやすくなったといえる。

明らかにこうした組織の編成は、組織の運営という観点から見る限り失敗であるといえるように思われる。



 専門家以外の人にとって、イスラエルとロシアが特別な関係にあることはなかなかピンとこないにちがいない。(p.159)


このあたりのことについて、少しばかりでも認識が深まったことは本書から得た収穫の一つだった。



 「新移民」は、ロシアに住んでいたときはユダヤ人としてのアイデンティティーを強くもち、リスクを冒してイスラエルに移住したのだが、イスラエルではかえってロシア人としてのアイデンティティーを確認するという複合アイデンティティーをもっている。
 ロシアでは伝統的に大学、科学アカデミーなどの学者、ジャーナリスト、作家にはユダヤ人が多かったが、ソ連崩壊後は経済界、政界にもユダヤ人が多く進出した。これらのユダヤ人とイスラエルの「新移民」は緊密な関係をもっている。ロシアのビジネスマン、政治家が、モスクワでは人目があるので、機微にふれる話はテルアビブに来て行うこともめずらしくない。そのため、情報専門家の間では、イスラエルはロシア情報を得るのに絶好の場なのである。しかし、これまで日本政府関係者で、イスラエルのもつロシア情報に目をつけた人はいなかった。(p.162-163)


「複合アイデンティティ」の話はアイデンティティなるものが備えている性質を幾つか示しており興味深い。例えば、予め決まった「自己」が存在するのではなく、「他者」との「区別/差別化」することから構成されるということが特に重要である。すなわち、その「自己」は誰(どの他者)に対しての自己認識(アイデンティティ)なのかによって、どのようにでも変わり得るものなのである。

ロシアとイスラエルの関係について考察する際に、佐藤優は人的ネットワークに注目しているわけだが、これはネットワーク研究の射程の長さを示しているように思われて興味深かった箇所である。



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山之内靖 『日本の社会科学とヴェーバー体験』(その3)
「第六章 戦時期の社会政策論」より

ダンデカーから現代社会の成立にかかわる印象的な諸定義を援用すれば、以下のようである。「世界戦争の軍事史上目的は、現代国家の監視能力を軍事をこえて劇的に拡大した」。「鉄道とともに、戦争に向けた全社会の動員が可能となった。……軍事組織と社会の間の区分という18世紀的特徴は解体した。官僚制的軍事マシンは社会それ自体へと拡大した」。「近代官僚制的戦争マシンの出現は、戦争と平和の区分を解体するという結果をともなった」。「戦争の産業化と民主化は、戦争と平和、軍事と非軍事の区分を曖昧にした」。(p.149)


特に19世紀後半から20世紀前半にかけて、軍事や植民地主義に対して鉄道が果たした重要性というのは、強調されすぎることはないであろう。

また、軍事と非軍事の区分が曖昧になったというのは、まさに総力戦下の状況をうまく表現したものだといえる。

これは実際問題として、兵士と一般市民の区別も曖昧になるということである。一般市民も軍事に協力している者だからである。その意味で第一次大戦におけるドイツの無制限潜水艦作戦や日中戦争における重慶爆撃、太平洋戦争における東京大空襲のような事態が発生してしまうことにはある種の必然性があったと言う事ができる。(念のため断っておくと、このような認識を持つことと、こうした行為に加担することは別のことである。)総力戦であるが故に現出される悲劇。



平和憲法の下での戦後諸改革にもかかわらず、その後に現れた日本社会の構造は、総力戦という未曾有の緊急事態に迫られて着手された社会改造によってその方向性を決定されていた、と大河内は見ているのである。(p.150)


このあたりは、中国を共産主義というレッテルで見てしまったが故に実態を見誤るのと同じで、日本も平和憲法の下での改革があったことから「平和国家」になったと見るのは無批判的というものであろう。むしろ、「平和国家」になりきれないからこそ、平和の理念を実現する方向への不断の努力がなされなければならないのである。その点で、大河内のような見方は妥当なものを含んでいると考える。



「第七章 総力戦からグローバリゼーションへ」より

アメリカ社会は脱軍事化したのではない。それは情報・金融革命の時代に相応した形態へと軍事システムを洗練化したのである(米本昌平「グローバルパワーゲームの行方」『知政学のすすめ――科学技術文明の読みとき』中公叢書、1998年、参照)。この新たなグローバリゼーション時代に対応した軍事システムにとって、第二次大戦時代のシステムは単に廃棄されるのではない。それは新たなシステムの歴史的前提としてそこに吸収されるのである。


この認識はこの論文集の随所で繰り返されているが重要な認識である。ただ、アメリカは第二次大戦の後にも朝鮮戦争やベトナム戦争などを通して軍事システムを洗練化させてきたことへの言及がないところは、いかにも「日本的」である。



総力戦体制は、高度な戦略的技術を装備した社会を、高度に効率的なシステム社会として統合するものであった。この過程は、現在進行中のグローバル化にとって、その不可欠な先行条件となったに違いない。総力戦体制の研究は、ポストモダンとかポスト・コロニアルという時代状況を語る場合、そのポストの意味について理論的内容を付与するという役割を担っているのである。(p.179)


なるほど、と唸らされた箇所である。ポストモダンもポストコロニアルも、いずれも「ショボいよね」と思いながらスルーしてきた私であるが、そろそろこれらを批判するにあたり、機は熟したと考えている。

ポストモダニズムはどちらかというと政治的には右寄りの議論に――主張者達の意図に反して?――加担することになったものであり、その反知性主義的な傾向に対しては対抗する必要を以前から感じていた。

また、ポストコロニアリズムは90年代以降の左翼の主張の代表的なものであるように思われるが、その主張が右派の反感を買い、それを直接的に掻き立ててしまうということによって、これまた主張者達の意図に反して、右傾化に加担してしまった面があるように思われる。社会的というより個人的な道徳的判断としてみる限り、私は彼らの主張の倫理性には異議を差し挟む気はないし、彼らが掘り起こした事実などには大いに学ぶものがあったのだが、社会的な発言としてはもう一ひねり何かが必要なのではないか、というのが私の感覚だった。

また、このこととも関連するが、これが観察者の認識に過ぎず、未来への展望を示しえない後向きな認識でしかないというところが、私の批判が向かう最大のポイントなのだが、これは位相をことにする地点からの批判であるため、当事者に響くかどうかというと相手の理解力などによってかなり左右されるため、実践的に議論で使えるかというとやや問題であり、あえて相手と同位対立の場に下りて行った中で行う批判も考えておくのも悪くない。

いずれにせよ、「総力戦」研究が批判対象を逆に規定していくという本書の指摘はかなり参考になりうるものだと思われる。



 ヴェーバーは、純粋力作型の職業人を生み出したヨーロッパ近代の精神こそは、官僚制的な疎外がそこから発生する「倫理的基礎」だと指摘していたのである。
 ・・・(中略)・・・。
 この巨大なパラドックスこそは、20世紀ヨーロッパの知識人を悩ませた哲学的な責め苦であった。そもそも、戦後いちはやく邦訳されたカール・レーヴィットの『ヴェーバーとマルクス』(1932年。邦訳初出は1949年)は、初期マルクスの疎外論とヴェーバーの合理化論の相似性を摘出することによって、このパラドックスの所在を明らかにしたのであった。(p.187)


レーヴィットの著作を私は読んでいないのだが、本書で随所で語られており、また、他の著者もしばしば彼の著作に言及していることから、やはり読んで見なければならないと思い始めた今日この頃である。



 マリアンネの『伝記』は『古代農業事情』第三版[邦訳では『古代社会経済史』]の執筆時期について二度にわたって「1908年の秋」と記している。Lebensbild, S.343, 371.[邦訳、Ⅰ、260ページ。Ⅱ、280ページ]。そのため、多くの研究者が同書の執筆時期を1908年秋としている。だがこれは明らかに誤りである。(p.209)


この論文は、山之内によると1907年の末から1908年の初頭にかけて書かれたとのこと。なお、世に出たのは1909年のことである。



「第一〇章 テクストとしてのヴェーバーと読者の救済願望」より

 だが、私の作業にも、こうした前例や同時代的潮流からは区別される独特の貢献があった、といささか自負しています。それというのも、ニーチェとヴェーバー関係に関するこれまでの蓄積の中では、ヴェーバーが精神の病に苦しんでいた中期――1898年から1910年にいたる期間――に焦点を合わせ、この時代の業績からヴェーバーの方法的発展を抽出してくる作業は、ほとんど皆無といってよい状態だったからです。この空白は、他ならぬ古代史研究がこの時代に形成されていることを考えてみるとき、見過ごすことができない欠落だったとしなければならないでしょう。・・・(中略)・・・。
 幸いなことに、ここで得られた果実はなかなかに充実したものでした。この吟味によって私は、これまで「祭司と予言者」ないしは「教会と宗派」という対抗関係を中心とするものと解釈されてきたヴェーバー宗教社会学の中に、それとは別種の対抗関係――つまり、「祭司と騎士」の対抗関係が根づいていることに気づくこととなりました。ここからは、さらに、「予言者と騎士」の対抗関係という、まったく見過ごされてきたいま一つの論点が働いていることも、明らかになってきます。また、従来、古代社会についてもっぱらオイコス(家族経営)という視点に立って構成されていると理解されてきたヴェーバーの観点が、実は『古代農業事情』第三版にいたってライトゥルギー(対国家奉仕義務)という新たな観点によって構成し直されていたことも判ってきました。(p.218-219)


これらの関係に光を当てたことは、確かに山之内の貢献であると私も思う。彼の『マックス・ヴェーバー入門』から学んだ点である。そして、本書を読むことで『入門』の内容をより深く理解できると思う。よって、山之内の『マックス・ヴェーバー入門』を読んで面白いと思った人は本書も読むことを勧めたい。



これこそはヴェーバーをして彼たらしめているといってもよいほどのあのカリスマ概念の展開は、恐らく、ニーチェを発想の源の一つとしていたことでしょう。このカテゴリーは、近代社会がその世紀末的状況において大衆化の傾向を顕著に示した時に現れてきました。このカテゴリーは、大衆社会における民主主義が剥き出しの物欲や卑しい依存の意識を増幅する装置として働くようになった時、それに嫌悪を感じざるを得なかった人物が抱いた反発の感情から生まれでてきたのです。ニーチェにせよ、ヴェーバーにせよ、古代ギリシャの戦士市民層にみられる名誉感情に強い共感を抱いていたのはそのためでした。(p.234)


カリスマ概念がニーチェを発想の源の一つとしたというのは、ちょっと「読書人」的な発想が強すぎる感じがする。カリスマ概念の源泉としては、現実の政治家との交流などの方を重視すべきであるように思われる。それを具体的にどのように帰属させるかは今の私にはまだできないが、こうした情動を強く揺さぶる概念の発案は、基本的には文章によって触発されるよりも生活の体験の中でこそ得られたものと見る方が妥当であるように思われる。

ただ、ニーチェとウェーバーの両者が、共通する(一種の)理想像に共感を感じていてたという指摘は参考にすべきところであろう。



「第一一章 悲劇の精神と新しい知のホリゾント」より

 ニーチェのそれは古代ギリシャと大衆化しつつある世紀末ヨーロッパの直接的な対比という色彩を強くもっていますが、ヴェーバー社会学にもカリスマ概念というのがあって、これはニーチェの超人の概念にほぼ対応するものです。(p.241)


なかなか興味深い対比。具体的な指示内容というよりは、批判対象というか否定の対象が共通しているという点でこれらは対応していると見るべきであろう。



いったんヨーロッパ宗教改革がもった巨大な精神文化的意義が確認された上で、まさしく歴史的意味を持ったこの可能性そのものが、その可能性ゆえに限界にたどり着くとヴェーバーは見るわけです。(p.241)


この見方はシュムペーターの資本主義のようだ。シュムペーターによれば資本主義はそれの成功の故に限界に達するとされるからである。



 しかし、ニーチェとヴェーバーが現れた時代においては、彼らの提示した問題が「ネイション」に引き寄せられて解釈された、ということを無視することはできません。ニーチェとヴェーバーが提示した問題は「ネイション」というレヴェルに引き寄せられたのであり、彼らが提起した「悲劇の精神」の本来の意味は矮小化されてしまう。こうしてニーチェとナチズムの近さということが、戦後ずっと取り沙汰されてきました。
 ヴェーバーについてもモムゼンの『マックス・ヴェーバーとドイツ政治』が1959年に刊行された時には、やはりヴェーバーの社会科学的構想、とりわけカリスマ概念が、ナチズムの台頭に責任を負うものとして糾弾されて、大きな話題となりました。もっとも現在のモムゼンはこの立場を放棄し、むしろヴェーバーとニーチェの親縁性の中にこそ現代社会が直面している問題を解き明かすカギがあるという立場にシフトしています。(p.252)


モムゼンのこの本もウェーバーの思想が政治的な側面から読み直されるべき今日にあっては読み直されるべき本であるかもしれない。私は何だかんだ言いながら結構高い(し分厚い)こともあって、この本を持っていないのだが…。



「第十四章 私家版丸山政治学改題――リッターリッヒカイトの問題をめぐって」より

 私はこういう脈絡からおして、ヴェーバー社会学を読み取ってゆく場合、これからはリッターリッヒカイトの問題のウェートを高めて読んでゆかなければならないと思っています。これはヴェーバーの単なる読みかえという問題ではない。本来ヴェーバーという人は、そういう志向を強烈に持った人であった。(p.322)


この指摘は確かにきわめて重要なものであると言える。この点は、実践的な政治の場でもウェーバーが「名誉」を重んじたこととも極めて深く関わっていると思う。

しかし、山之内の議論に一つ批判的なコメントをつける必要を感じる。かつて大塚久雄がウェーバーを禁欲的プロテスタンティズムの信徒達とプロテスタント神学にシンパシーを持っているものとして読んだのと同じように、ウェーバーを騎士層と古代ギリシアの戦士にシンパシーを持っているものとして読み替えることになっては、類似の誤りを犯すことになりはしないか、ということである。

むしろ、ウェーバーは様々な要素の緊張関係の中を生き抜くこと、その緊張関係に(「男らしく」)耐えることそのものに価値を置いている面もあるように思われる。山之内の議論は、大塚久雄らの議論に反対するあまり、プロテスタントへの共感を持つウェーバーを過小評価して描き出す傾向があり、山之内の議論を大塚らの議論を知らない世代が読むとしたら、読み間違えるのではないかという懸念がある。


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山之内靖 『日本の社会科学とヴェーバー体験』(その2)
「第三章 総力戦の時代」より

 近代社会において政治秩序の中心に位置していた議会は、総力戦の時代にはその統治能力を喪失する。ワイマール体制下のドイツが「権力の真空状態」(ブラッハー『ドイツの独裁』)に陥ったことはよく知られているが、類似の状況は1929年の世界恐慌いらい、すべての国々を襲った。議会にかわり、大統領府(アメリカ合衆国)、独裁政党(イタリア、ドイツ)、軍部独裁(日本)が登場する。世俗生活の宗教と化した国民国家は、社会の構造変革を強制的に推し進める力を獲得した。(p.94)


00年代前半に日本で内閣機能の強化が叫ばれ、さらなる中央集権化を進めたことは、こうした流れと共通点があり興味深い。軍部独裁を髣髴とさせる安倍晋三の暴走により教育基本法が強行採決で書き換えられたことや、その後の「ねじれ国会」により議会が機能不全に陥っていることなども含めて示唆的である。



第一次世界大戦がニューディール時代の大統領府を誕生させる歴史的起点であったことは、すでに歴史教科書(Jonathan Hughes, American Economic History, 1987)によって確認されているが、このニューディールの時代に、アメリカ合衆国は革命をへることなしに建国期の憲法を事実上廃棄し、「第二共和制」時代に移行したと、セオドア・ローウィ(『自由主義の終焉』)は語っている。(p.94-95)


現在のオバマ政権でも「ニューディール」が語られていることが想起される。上の引用文と合わせて考えるとさらに興味深い。



 ナチス官僚も日本の革新官僚も、また、ニューディール官僚も、市民と大衆の「国民化」(G.モッセ)に向けて精力的な活動を展開した。彼らが当面したのは、総力戦時代の国民的動員を従来のままの体制で遂行するならば、ロシア革命に類した破局は避けられないという切迫した事情であった。19世紀型の階級対立は、教育改革・職業訓練・職業紹介・医療保険・失業保険・年金といった制度改革によって、あるいは労働者・農民・中小企業者・女性の保護によって制度化されたコンフリクトへと体制内化されなければならない。本格的な福祉政策は、こうして、総力戦とともに始まった。シェルドン・ウォリンが福祉国家(welfare-state)とは戦争国家(warfare-state)の別名であると述べたのは、この脈絡を指してである。日本において内務省から厚生省が分離独立したのは第二次大戦中のことであったのは、象徴的である。満州事変以後になって国家資金(科学研究費)が大量に大学に供給されるようになり、大学(=科学)の体制内化が進行したと指摘されていること(廣重徹)にも、注目すべきである。(p.95)


「福祉国家」と「戦争国家」はイコールではないと私は考えるが、ここで述べられているようにして「危険な階級」が体制内化されたことは確かである。

ところで、山之内はこうして階級闘争が体制内化されたことによって、「システム社会」に移行したと見ているようである。それなりに興味深い見解であるように思われるが、ここでは「システム」の概念が「動的静態系」のような「固定された全体性」のように捉えられているように思われ、違和感があるところである。山之内がパーソンズのシステム理論の影響下にあることから、システム概念がこうした特徴を帯びてしまうことは避けがたいのかもしれないが。



「第四章 戦時動員体制の比較史的考察――今日の日本を理解するために」より

 我々は、今や最先端をゆくとして世界の注目を浴びはじめた日本の産業組織が、戦時動員体制期において横断的労働組合の徹底的弾圧という抑圧的歴史を持ったことを、また、そうした抑圧的歴史を経たが故に、早熟的に会社組合的形態を発達させたという事実を、忘れることはできない。・・・(中略)・・・。
 この逆相関関係を念頭において事態をとらえ直してみると、ポストモダンの先頭を走ると言われる日本社会の貧困さが、否応なしに浮かび上がってくるであろう。この社会においては、すべての人間が今や自分をミドルクラスだと感じている、とされる。しかし、実態としてみれば、それは全くの幻想という他ない。ミドルクラスの内部には、企業やその内部部局の頂点に立ち、高度なプログラムの実現に権力意志の充足を感じうるエリートと、彼らエリートのマシーンとして走狗の如く駆使される下層ホワイト・カラーの階級的区分が、蔽い難く存在している。労働組合の批判的力量が著しく低下している現在では、鋭く分化しつつあるこの分割線を押し戻しうる社会的対抗力は、どこにも存在していない。(p.121-122)


この文章は88年に出されたものであり、ジャパン・アズ・ナンバーワンなどと言われた80年代のバブルの真っ最中に発表されたものである。日本の労働組合が産業別ではなく企業別であることの要因が、戦時動員体制に起因することについて鋭く指摘し、さらに2000年代半ば以降になってようやく表面化した(誰の目にも明らかになった)「格差」の存在が指摘されている。

ここで指摘されている状況は00年代に入り、一層先鋭化した形で突きつけられている問題である。

なお、山之内のこうした慧眼には敬意を表するが、こうした発想がでてきたのは、当時の日本の政策が急速に新自由主義的な路線へと切り替えられようとしており、そのことへの危機感が一部では高まっていたことが挙げられると思われる。



「第五章 戦時動員体制」より

だが、従来の諸理論は、戦争を国民国家にとって例外的な逸脱現象とみる偏見を暗黙の前提としている。(p.126)


「国民国家」にとって、戦争は「逸脱現象」ではない、という認識は非常に重要であると思われる。

政府には常に戦争へと向かおうとするベクトルが存在しているのであり、そのための動員の装置が常に機能している。この点を明確に意識しながら、そうした暴力が先鋭化しないように制御することが、政治的な責任を負う有権者には重要なのである。


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山之内靖 『日本の社会科学とヴェーバー体験』(その1)
「第一章 総力戦・グローバリゼーション・文化の政治学」より

本書では、日本におけるヴェーバー社会学の紹介のされ方に眼を配り、それがいかに大きく時代状況によって左右されていたかを検討すること、ここに主眼の一つが置かれている。
 ここで時代状況と言う場合、念頭におかれているのは第二次世界大戦のことである。日本のヴェーバー研究がその基礎を構築したのは他ならぬ第二次世界大戦の最中であった。このことは偶然といって済まされる問題ではない。総力戦として戦われた第二次世界大戦において、人々は民族の存在そのものに関わる危機へと連れだされ、生きるか死ぬかの淵にたたされた。総力戦においては、銃弾が飛び交う最前線だけでなく、市民生活全体が戦争遂行の道具となりいることを強制された。学問もまた、その例外ではあり得なかった。学問はいまや、象牙の塔として世俗の外部に立ち、そこに超然と構えることはできなくなったのである。総力戦状況は社会科学者の生のあり方そのものを脅かし、あるいは転位させる――場合によってそれは思想的転向として結果した――という事情と深く関わりながら、社会科学の性格を変質させていった。本書が第三部「ヴェーバー研究のパラダイムチェンジ」だけでなく、第二部の「総力戦からグローバリゼーションへ」を含むものとなったのはそのためである。日本のヴェーバー研究は、総力戦状況が強制する学問の変質とシンクロナイズしながら日本の知の世界に強固な基盤を築いていった。(p.8)


本文では、日中戦争が開始された頃から思想統制が厳しくなりマルクス主義へのコミットができなくなっていった頃、ウェーバー研究が盛んになっていくという流れが指摘されるのだが、これは興味深い事実であった。

また、山之内の「総力戦」という捉え方についても――主に、いわゆる「短い20世紀」をこのように規定していると思われるが――大いに参考になるものがあった。どちらかというとこうした総動員体制的なものは、「国民国家」の成立とともに、それの権力的な機能として捉えられていたように思うのだが、山之内のように逆に「総力戦」を前景に出して理解し、そうした要求に応えるシステムの一部が「国民国家」として表象されてきたと考える方が妥当であるように思えてきた。

その動員力は主に通信および交通に関わる技術の展開と権力機構としての官僚制機構が巨大化していくことによって、第一次世界大戦に見られるような「総動員体制」として私的な領域にまで公的な権力が介入ないし浸透しうるようになり、このような動員力の存在が顕在化したと捉えられる。



 グローバリゼーション時代の社会科学は大きな変質の時期を迎えているのであり、その過程で、人権概念は民族自決権や国家主権から切り離されて国際人権レジームとして再構成されつつある。この概念上の再編成が、現実には、アメリカを中心とする覇権国家連合体の圧倒的な軍事力を背景としていること、このことを見落とすわけにはいかない。二つの世界大戦とその動員体制が用意した国民国家的統合は、その軍事力ともども、グローバリゼーション時代の世界システムへと遺産継承されるのである。私たちがシステムの限界を問うとするならば、このようなスケールの展望を視野に収めたマクロ理論が要請されるのである。(p.31)


いわゆるグローバリゼーションについて90年代にはボーダーレス化とか国民国家の解体といったようなスキームで語られることが結構あったのだが、90年代にも山之内のような見方をしていた人物がいたということは銘記してよいと思う。

私としては――90年代から00年代初頭のことだが――80年代に「多国籍企業」と呼ばれていた企業群が、実は利益を出自国に集中させる傾向があり、グローバルなものというよりはナショナルな形で利益を配分しているという実証研究などを踏まえて、そうした浅はかな「ボーダーレス化」とか「国民国家の解体」といった議論とは距離を置いてきた経緯がある。

その後、グローバル化と呼ばれるものは「金融のグローバルな自由化」として捉えなければ事態を捉え損ねるということに気づくようになってきたのだが、山之内のここで議論は私のこうしたグローバル化に対する認識をさらに一歩深めてくれるものであるように思われる。

金融グローバル化によってグローバル化を捉える場合、経済政策や財政政策、企業の動向などを捉えるには適しているが、言説や政治の動きを捉えるにはそれだけでは十分ではなかった。言説や政治的な面での動向を捉える際には、山之内がここで示しているような「国民国家体制」が用意した権力機構の活用可能性の問題が生きてくるように思われる。

いずれにせよ、この点は本書で何度か繰り返されているが、私にとっては一つの収穫であった。



「第二章 日本の社会科学とヴェーバー体験――総力戦の記憶を中心に」より

日本の社会科学者は、アメリカ化されたヴェーバーが紹介されるよりもはるか以前に、自力でヴェーバー社会学を吸収していたのであり、ヴェーバーの方法を駆使してすでに多くの研究成果を産みだしていたのです。しかし、そのことは、ドイツではまったく知られないままでした。日本のヴェーバー研究が並みのレヴェルではないらしいことにドイツ人が気づくのは、やっと1980年代になってからのことでした。モール・ジーベック社は1984年からマックス・ヴェーバー全集を刊行しはじめたのですが、驚いたことに、この全集に最も大きな反響を示したのはドイツではなく、アメリカでもなく、実に日本であったのです。日本は、この高価な全集の広告見本について、その三分の二を購入する大マーケットだったのです。(p.45)


興味深いエピソードである。



 シュヴェントカーは、日本におけるヴェーバー社会学研究を四つの時期に区分しています。ごく初期の受容期(1905年から1925年まで)、ヴェーバーの作品の開拓が進展した時期(1926年から1945年まで)、戦後「第二の開国」期のヴェーバー研究(1945年から1965年まで)、ヴェーバー・ルネッサンス(1970年から1995年まで)、がそれです。
 この全体的な叙述のなかから、総力戦時代の記憶にかかわる筋道に限定してシュヴェントカーの論旨をフォローしてみましょう。
 第一に目につくのは、他ならぬ総力戦時代にである第二期こそが、日本のヴェーバー研究の大きな飛躍の時期であった、とされている点です。(p.46)


シュヴェントカーのMax Weber in Japan(1998)は邦訳されておらず、私は読んでいないのだが、ちょっと読んでみたい本である。

確かに私が持っているヴェーバーの翻訳書についても、戦前の1930年代頃のものが結構あったりすることに改めて気づく。

ただ、私が読んできたウェーバー研究書は、主に大塚久雄らの影響を受けている60年代から70年代にかけてのものと、90年代以降のものばかりである。80年代に出版された研究書や入門書は一冊もない。(私は蔵書をデータベース化しているが、その記録は初版の日付ではなく、私が持っている版の日付で記録しているものがあるので、90年代に該当するものも80年代のものがあるかも知れないし、80年代の業績が文庫化されたものを購入したものはあると記憶するが。)

その点、80年代のいずれかの時点、恐らくは90年代以降のところでウェーバー研究の内容にかなり変化が生じているように思う。そうした意味では、恐らくシュヴェントカーの区分はやや大雑把すぎるきらいがあり、もう一区切り入れるべきであるように思う。

ただ、私はさすがに戦前の研究書などは私は読んでいないので、戦前・戦中期からウェーバー研究の蓄積がかなりなされていたという認識を得たのは収穫だった。もちろん、古い翻訳書の解説などを見れば、ある程度の研究動向は推察できるし、それなりに研究があったことは私も分かっていたつもりだが。

そして、その総力戦の時代にこそ日本ではウェーバー研究が大きく進んだというのは重要な認識であり、収穫であった。



価値判断論争への関心が高まったのは、大学のなかでも学問への政治の介入が避けられなくなった結果、学者たちは「自らにたいし、また他者にたいし、イデオロギー的立脚点を釈明」しなければならなくなったという事情が関連していたからである。これを消極的理由とするならば、第三領域(※引用者注;アジア社会論)が関心を引いたのはより積極的な理由によっていました。というのも、アジア地域における日本の帝国主義的占領が拡大するにつれて、「アジアの専門家だけではなく、社会学者、歴史学者、経済学者が後期ヴェーバーの宗教社会学に依拠してアジア社会への研究に向かった」からに他なりません。
 ・・・(中略)・・・。
 その場合に言う積極的な動機とは、近代化において遅れをとったアジアの諸地域に対し、近代化に成功したアジア唯一の先進国として――教師ないし指導者として――貢献するという理念だったのです。・・・(中略)・・・。
 この理念に基づいて、多くの社会科学者は日本における近代化の成功を語り、それとの反射において、アジア社会の停滞を問題としました。ヴェーバーの一連のアジア社会論との熱意に溢れた取り組みは、日本の帝国主義的アジア進出と明らかにシンクロナイズしていたのです。これとの関連でいま一つ、注意しておかなければならないことがあります。1930年代の前半にマルクス主義者の間で交わされた日本資本主義論争が、国家権力の弾圧によって1930年代の後半には強制的に停止させられたという問題です。その結果、日本資本主義論争が盛んに行われていた時代とそれ以後の時代のとの間には、社会科学的問題関心の方向性という点で、ハッキリとした断絶が生じることとなりました。・・・(中略)・・・。私が言いたいのは、日本資本主義論争が展開したのは国家権力による批判的社会科学の制圧が完成する以前のことであった、ということであり、ヴェーバー社会学の研究が隆盛となるのは、それ以後のことであったという事実です。(p.47-50)


ウェーバー研究の動向が日本の帝国主義的な展開と関連していたというのは、上記のようにウェーバーが戦前から盛んに研究されていたという事実と付き合わせれば、サイードの『オリエンタリズム』以後の私たちにとっては容易に了解できる点である。(山之内はサイードによるオリエンタリズム批判の対象としてウェーバーが取り上げられている点については批判的であるようだが…。)

ここで興味深いのは30年代に政府の権力的介入(思想弾圧)によってマルクス主義者の間の論争が停止させられ、それに代わって(?)ウェーバー研究が盛んになったという指摘である。山之内はやや婉曲に書いているが、端的に言えば、当時のウェーバー研究は政府の帝国主義的な拡張政策(戦争を含む)に加担する方向性の研究が主流であり、政府の権力を批判するようなモメントは希薄であったといういことを言っていると思われる。そして、その傾向は60年代の戦後の研究にまで尾を引いていたとされているように思われる。



ここで明らかにしておきたかったのは、日本資本主義論争の時点と比べて、その後のヴェーバー学への傾斜が、ファシズムとその時代状況によって深く規定されていた、という事実でした。「マルクスかヴェーバーか」という論点から「マルクスとヴェーバー」という論点への力点の移動は、一見すると日本資本主義論争における講座派マルクス主義の立論――明治維新以後の日本社会について、その根底はなお封建的要素に規定されていると主張する立場――を継承しているように見えます。しかし、出発点においては、大塚も大河内も丸山も、特に講座派に親近性を示してはいなかったと見てよいでしょう。彼らはいずれもマルクスの方法に拠り所を求めて資本主義社会の批判的分析へと向かいました。しかし、ほぼ1937-1938年を境として、彼らは一斉に方向転換します。彼らはいずれも、日本社会に内在する近代化への潜在的可能性を探索する方向へと知的関心を転換してゆきました。・・・(中略)・・・。
 彼らの方向転換を時代状況との関連で検討するならば、それが1937年の日中戦争開始と、それを境とする思想統制の強化と重なっていること、このことに気づかない訳にはいきません。すでに指摘しておいたように、ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』は、ほとんどそれと重なる時期に邦訳されました。
 ・・・(中略)・・・。ヴェーバー社会学、とりわけそのアジア社会論は、こうした「近代による[近代の]超克」路線の形成にあたり、その最も頼りになる支柱となりました。(p.57-58)


この章の中で私にとって一番鮮明にインプットされた箇所がここであった。こうした思想統制とウェーバー研究との深い関係性が認識されたからである。



ヴェーバーはそもそも「近代の主唱者」などではなかったのであり、ニーチェと近い地点にあって近代文明の相対化を強く意識する社会学者だったのです。この点を、日本のヴェーバー学は、そして世界のヴェーバー学も――おそらくカール・レーヴィットを唯一の例外として――長らく完全に見落としてきました。(p.67)


これが山之内の独創的な成果を主張している箇所なのだが、これは行き過ぎとせざるを得ないだろう。いわゆる「近代」に対する批判的なモメントをかつての研究者が思っていたよりもウェーバーは持っていたというのは確かだと思う。それを明らかにしている点で彼の研究には意義があると思う。

しかし、山之内が言うほど強力にウェーバーが「近代」を批判していたならば、第一次大戦に対して最初は無邪気といってよいようなやり方で参加していたのは何だったのか、と言いたくなる。これでは総力戦にそのまま乗っかってしまっていることになるし、「近代」の産物であるといえる「ナショナリズム」についてもウェーバーのスタンスは現代から振り返って断罪するならばややナイーヴなところがある(当時はナチやファシズムの前例がなかったこともあるから、現代における素朴な立場よりは寛容に見ることができるとしても)。「近代的なもの」に対するウェーバーの実際の行動はそれほど批判的ではなかったと私は見る。私は人物の立ち位置を見極める際、言葉よりも行為を重視するのだが、行為の面で見ると、それほどウェーバーは「脱近代」でも「反近代」でもないように思われる。

もちろん、思想的な面でも、アジア社会論には山之内が言うような騎士階層などの要素を盛り込んで見直す必要はあるにしても、オリエンタリズムが全面的に覆ることはありそうもなく、そうした逆転した解釈の可能性は当時の時代に利用できた史料の状況から考えてもありそうもない話であって、「西洋近代」を――歴史的および地域的に他の「文化圏」との比較することにおいては――価値的に高いものとみなすモメントが強く存在することは否定できないと思われる。

表現の仕方の問題かもしれないが、山之内はもう少し穏健にウェーバーの複雑さを語るべきであるように思われる。また、ニーチェとの関連を強調することも戦略的にはあまり適切ではないようにも思う。なぜならば、両者の著作は哲学と社会学(社会科学)に属するものとされており、両方に通暁する人は多くないからである。むしろ、ニーチェ的なモメントとしての騎士階層への共感などを前面に出した方が受け入れられやすかったように思う。


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大塚久雄、安藤英治、内田芳明、住谷一彦 『マックス・ヴェーバー研究』
安藤英治 「マックス・ヴェーバーにおけるカリスマ社会学の意味」 より。

生涯福音に対する尊敬の念を失わず、しかも“クリスチャン”にはなり切れなかった“政治人”ヴェーバー。「国家権力」と「良心の自由」のアンティノミー、「官僚制化」とその内部における「精神の自由」を守ろうとする闘い等は、みな、このキリスト教倫理と非キリスト者というアンティノミーに支えられていたのではなかったろうか。(p.48-49)


本書は1965年に出版された論文集であり、論文の多くはその少し前に書かれて発表されたものを加筆等したものであるが、この時代のウェーバー研究のあり方の特徴を示している一文であるため引用した。

特に安藤に顕著であるが、社会学なり社会を研究するというよりも、ウェーバーという人物に好感を抱き、ウェーバーの人格を理想化して描き出す傾向がこの時代の研究には散見される。安藤の場合は、関心が社会そのものやウェーバーの理論よりもウェーバーの人格に向けられる度合いが非常に強い。

「自覚」の強調や上記のような矛盾ないし葛藤を抱えた存在としてウェーバーの人格が描き出されるのが安藤におけるウェーバー描写の特徴であるように思われるが、これはこの時代に知識人の間ではそれなりに流行していた実存主義との相関を感じさせる。同時に、この時代の研究者たちはマルクス主義への批判者としてウェーバーを位置付けようとする傾向も強いのだが、実存主義とマルクス主義という2つの潮流は、まさに本書が出版された頃の日本の知の世界において力を持っていた思潮だったのだが、そのどちらとも通じるものを持つものとして捉えられるからこそ、ウェーバーへの関心も高かったのかもしれない。

日本は諸外国と比較してもマックス・ウェーバーへの研究熱が高かったことの理由はそんなところにもあったのではないかと思う。あとは、明治以来ドイツを一つの模範としたために大学でドイツ語が履修される傾向が強かったことも背景要因としてはあるかもしれないが。



とりわけ『取引所』は、作品世界におけるヴェーバーの出発点をなすものとして、東エルベの農業調査に関する諸論文とともに重要であるが、それは、たんに彼の“経済的ナショナリズム”がそこにおいても基礎に横たわっているからというだけのことではない。当面の問題に関しとりわけ重要なのは、1894年のこの論文において、すでにヴェーバーが英米の資本主義とドイツの資本主義を対比させるという観点を明瞭に示している点である。・・・(中略)・・・。かくて、国民国家の経済的基盤としてのドイツ資本主義近代的に確立するという実践的要請――これこそがヴェーバーにおける経済重視の本来の意味であったことが明らかとなる。(p.57-59)


資本主義という言葉を「国」により性質が違うものとして扱っている点には私は賛同しない立場であるが、ウェーバーの中には、英米という世界システムの中心的な位置にある地域とそれに対抗して伸張している勢力としてのドイツという位置づけがあり、ドイツにはより「伝統主義」的なエートスや社会勢力(ユンカーなど)が残っているとする理解の仕方は、ウェーバーが物事をどのように考えていたかということを捉える点では誤りではないように思われる。

ウェーバーにおけるナショナリズムの問題を考える上でも、こうした「国民経済」の比較という観点を彼が持っていたと捉えておくことは一つのポイントになるであろう。ただ、安藤の結論は一方的な関係になりすぎているように思われる。経済を重視する中でそうしたナショナルな問題意識が形成されてきたという面と相互作用していると考えるのが自然であろう。

研究の結果を先に見通しているのではない限り安藤のような一方的な関係は生じないはずであり、この点は彼の議論に往々に見られる誤りであるように思われる。すなわち、安藤は時代の異なる別々の論文を持ち出してきて、その結論や位置づけを直接つなげようとする傾向があるのだが、その際、後期に到達した結論を前期のうちに既にウェーバーが見通していたかのように書いているように思う。研究者の視点からすれば、確かにおぼろげに結論を先取りしている部分もあるだろうが、それは明確に捉えられていないというのが普通であり、ウェーバーにおいてもそれは同様であるように思われるのだが、彼ら研究者の間では天才的な人物として称揚されるウェーバーは、あたかも既に結論を見通していたかのように語られている。幾らなんでもこれは不当であるように思われる。



かかる「自己克服」――その意味における「禁欲」――に立脚する「良心の自由」。これこそ“市民的騎士”ヴェーバーが「品位」と呼ぶものであり、かかる意味における「品位」こそ、ヴェーバーの人間存在におけるアルファにしてオメガなるものであった。(p.83)


最初の引用文で示したのと同様、安藤の理想を強く反映したウェーバー像。確かに私もウェーバーにこうした一面があることは認めるが、同時に、それは一面でしかないのだが、安藤にとってはそれが「アルファにしてオメガ」とされている。この引用文は論文の結論部のものであるがゆえに安藤の姿勢が一層明確に出ている箇所と言える。



内田芳明 「文化比較の諸観点と諸問題――インドとユダヤ民族の比較――」 より。

従ってたとえば現代の「帝国主義」とか「国家独占資本主義」とかいわれる一連の事象についても、それが「近代資本主義」の諸契機、たとえば資本計算にせよ官僚制的行政機構にせよ法的諸前提にせよ一連の諸契機をうけついでいるとしても、しかしながら、かつて封建的・前近代的経済社会のなかから、それらの古い原理と対抗関係に立ちつつ発生してきた過程でそれらの技術的契機が果たした役割と、それらが現代の帝国主義的経済社会の内部で現実に機能する意味や方向とでは、まったくことなるものをふくんできており、それはかつての「近代資本主義」からはおよそ変質した異質のものとしての意味を帯びてきているのである。従って、このような帝国主義段階での経済現象は、むしろヴェーバーの「賤民資本主義」の関連で理解した方がはるかに実質的に正確な議論がえられることになるのであろう。(p.321)


この論文も40年以上前に出されたものだが、ここで述べられていることは、2000年代における「ありうべきウェーバー解釈」とも通じるものがある。

「近代資本主義」をウェーバーが「産業資本主義」として捉えたことや、それを1950~60年代に日本の学者達が盛んに取り上げたことについては、次のように私は理解している。

すなわち、ウェーバーが生きた19世紀末はドイツの社会においては、目に見えて産業が興隆していった時代であったことが、ウェーバーによる「近代資本主義は産業資本主義」であるとする捉え方に深く刻み込まれている。日本でウェーバーが盛んに受容され議論された時期についても同様であり、戦後の復興期から高度成長期であり、日本において製造業が19世紀末のドイツと同様に興隆していた時期であったことが関連している。(ついでに言えば、これらの時期と国では金融はそれほど重視されない傾向にあった。)つまり、現代で言えば、インドや中国で見られるような産業の急速な展開がこれらの地域で起こっていたわけである。

ちなみに、「産業資本主義」が可能であった条件を「エートス」に求めることは、それらの地域の人々にとって、「自分達のある観点からする評価における優越性を主張すること」に繋がりうるものであったため、当時の人々にとって何がしか琴線に触れるものがあったと見ることができる。

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牧野雅彦 『ヴェルサイユ条約 マックス・ウェーバーとドイツの講和』

 第一次世界大戦の終結の際に調印されたヴェルサイユ講和条約を「戦争責任」という観念と戦争の「不法化」の起点とするこうした説明は、二度目の世界大戦と連合国の勝利の下で形成された「戦後」の世界に住んでいるわれわれにとって、なかば自明のこととして受けとめられている。だが、最初の世界戦争の当時の人々にとって、「戦争責任」という観念は決して自明のことではなかった。(p.4)


大変興味深い指摘である。

本書は著者のマックス・ウェーバー研究の副産物だと言われているが、「ウェーバー文献学」に埋没することなく、このようにアクチュアルな課題に対しても問題を提起する良書である。



 大戦中の政治論文の中でウェーバーはくり返しこう述べている。政治的決定はつねに少数の者の冷静な頭脳によって行なわれる。街頭での煽動や情動に左右されてはならない、と。(p.38)


ウェーバーのこの議論はある意味では「民主的」でないように思われるかもしれない。しかし、民衆には十分な情報を保持しえないということなどから考えても、妥当な考え方ではないかと私は思う。ただ、その決定を少数者が下した際に、大衆に対してある程度納得させるような説明を行う責任があるということだけは付け加えるべきだろうが。

現在の日本の社会のように、マスメディアがやたらと政治的な問題を煽り立てる状況というのは、まさにウェーバーが危惧している状況である。



ウェーバーはパリの講和会議から戻った後に、アイスナーのお膝元であったバイエルンのミュンヘン大学に――1919年2月21日のアイスナー暗殺後の急進的なレーテ共和国設立の試みとその崩壊で混乱の続くさなかに――赴任することになるが、ウェーバーの周囲に独立社会民主党系ないしはリベラル左派系の「平和主義者」あるいは「ウィルソン主義者」が比較的多く存在して、また個人的にも関係があったという事情は、『職業としての政治』での発言を理解するときに考慮する必要があるだろう。(p.75-76)


なるほど。



たとえばイスラム世界での汎イスラム運動を支援とするというように、敵対国支配地域の革命運動を支援し、その破壊的効果を狙うというのがドイツ側の一つの戦略であった。ロシア革命はその成功例――成功しすぎた事例――いうことになる。(p.89)


現代でもしばしば見られる戦略である。世界システムにおいて半周辺的ないし周辺的な地域では特に効果的な方法と言えると思われる。



かたや敗戦国ドイツにおいては、戦争指導者への批判や、あるいは戦争を絶対悪として、それに手を貸した下手人さがしが行われている。「戦争責任」追及の背後には自らを「正義」の立場におくというかたちを変えた復讐感情が存在する。いかに「正義」や「国際協調」といった美しい理念が語られていようとも、それが復讐感情に基づいている限り本当の和解は不可能であるし、むしろ現実的で妥当な戦後処理を妨げるものでしかない。これが「戦争責任」論に対するウェーバーの批判の根底にある認識であった。(p.127-128)


「戦争責任」に限らず「政治責任」なども含めて、他者の「責任」を追及する行為には大抵、こうした復讐感情が存在する。当時のドイツの状況と同じではないが、現代の日本の右翼だけでなく左翼にも、こうした自己正当化の立場から発言しているものはしばしば見受けられるし、中国や韓国などのいわゆる「反日」的な言説というものも、こうした自己正当化の立場の一種であると見ることができる。

「責任」を正面に据えた議論というのは(相手を一方的に妥当することが可能である場合を除き)、やはり外交や政治においては一般的にあまり適当なやり方ではないという思いを強くするところである。



 ともあれ戦争をめぐってはそうした国民的な「正義の要求」と「威信」が関与して、しかも戦勝国・敗戦国ともに戦争そのもののもたらす厖大な被害が不可避的にルサンチマンをかき立てることになる。そうであるからこそ、そうした問題からできるだけ切り離して――ウェーバーは実質的な事柄に即するという意味で「ザッハリッヒ」という言葉をしばしば用いている――講和と戦後秩序の問題は処理されねばならない、というのがウェーバーの主張であった。
 ・・・(中略)・・・。戦争責任の問題について不毛な議論を重ねるのではなく、相互の立場(もちろん勝者と敗者という立場の違いを踏まえて)に即した実質的な、いわばビジネスライクな取引(ともちろん駆け引き)が行われてしかるべきである。(p.131-132)


「正義の要求」や「威信」とは切り離して実質的な事柄に即して処理するという方針は、日本が関わる戦後処理にも必要なことであると私には思われる。そして、これを行うためには、少数者の冷静な決定が必要なのである。



彼の学問的作業の中心をなす宗教社会学の焦点が民族存亡の危機の時代の預言者の分析(『古代ユダヤ教』)におかれているのはおそらく偶然ではない。政治的には解体して国民としての存在そのものを喪失したユダヤの民とその精神が世界史に大きな影響を与えたという逆説的な関連をウェーバーは自らの祖国の運命と重ね合わせていたのである。(p.248)


なるほど。興味深い指摘である。

ウェーバーの研究はこれまで宗教社会学を中心として、経済現象に関する問題に適用されてきた感が強いと思う。もう一つ、社会科学方法論も盛んに研究されたが、これは戦後から高度成長くらいの時代以前にはディシプリンとしての社会科学が十分に成立しきっていなかったことと関連していると見てよいだろう。

昨今の日本の言論状況はやはり政治的な色彩が強くなっているのにあわせて、ウェーバーの議論を政治学的ないし政治思想史的な観点から読み直してみるというのは、現代の言論状況にマッチした読み方なのかもしれない。


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小林英夫 『BRICsの底力』

国境線が長いということは、それだけ辺境貿易が発達する可能性が高いということを意味する。(p.151)


一般的な考察の際にも考慮に入れてもよい要素。あとは、どれだけの数の国と国境を接しているかということも影響するだろう。



 2000年代に入りNIEsに代わり脚光を浴びてきたのがBRICsである。BRICsはNIEsとは対照的に人口・資源大国であり、大国であるだけに内部の均一性がなく、発達した都市部の1人当たりGDPの高い教育水準層と農村部の低い教育水準層が、強靭な二重構造を形成し、高度成長のなかでそれが切り崩された日本や韓国とは異なり、高度成長の進行過程でも根強く存続し、あたかも2つ以上の国が合体したかの観を呈しているのである。
 しかし、元来1国レベルの閉鎖された社会であれば、この構造は固定したまま強固で動かないのだが、この構造を動かす力が、内側からではなく外側から現れたのである。その力こそグローバリゼーションであった。・・・(中略)・・・。
 BRICsをBRICsたらしめたものは、これまで眠ったように隔絶していた二重構造が外界の力を取り込むことで巨大な人口と資源が合体して発熱を開始した点にあるのである。

構造社会からネットワーク社会へ

 二重構造を破壊した後で、この異質の両者を融合させる契機となったのはコンピューターの普及だった。(p.170-171)


ここでは中国などを語るときしばしば指摘される社会内部の貧富(教育水準等も含めて)の格差が、肯定的に語られている点で興味深い。実際に、この社会内部の多様性の存在はある程度までBRICs諸国の強みになっている部分はあるという点で、著者によるこの「評価の転換」は首肯しうる。

しかし、それが筆者によっては定義されていない「グローバリゼーション」によって活性化されたとし、さらにその構造を融合させたのがコンピュータ、すなわちインターネットなどによる情報およびIT産業の出現といった変革だったとする点には大いに疑問がある。

著者の理論的なスキームには、70年代ないし80年代以前に語られていた産業社会論(脱産業社会としての「情報化社会」)の古臭い見方がそのまま残っている。インターネットの普及によって情報のあり方が変わったことは確かであり、それによって産業なり商業なりのあり方が変わったのも間違いない。しかし、それによって教育された階層と教育されておらずネットともほとんど縁のない生活をしている貧困階層がどのように融合されるというのか?本書を読んでもこの点についての具体的な説明はされていないはずである。

インターネットが普及したとしても、「国民経済」を基調として、各国は各々の内部に資本や投資を留めておくようなシステムがある限り、ネットが産業の連結のあり方を変えることはない。むしろ、産業が行われる地点を決定する投資のありようが変わり、ネットはそれを情報流通の面で補完しているに過ぎない。それはグローバル化を推進する積極的な原因ではなく、グローバル化が進展することを補助的に推進する「環境」に過ぎない。そして投資のあり方を変えているのは国際的な金融や貿易に関するルールである。グローバリゼーションと呼ばれる現象の本質的な構成要素は「金融グローバル化(マネーが国境を越えて自由に移動できるようになること)」なのである。

どこにでも自分に有利な地点に投資できるようになった投資家(資本家)にとって、BRICsの環境は魅力的なのである。安価な大量の労働力が存在し、それなりに教育されたエリート階層が存在することによって品質管理等もある程度のレベルまでは容易に行えるようになってきている。商品の種類によって人を使い分けるなどすることができることが、投資する側には魅力があるからであり、それゆえにこれらの国々がグローバル化の進展とともに急速に発展しているのである。

そのあたりの認識においては本書は参考にならないが、BRICsの表面的な特徴やミクロな各分野の企業の動き等を概観するには有益な書である。



 ところで、中国では人民元の高騰が叫ばれている。この人民元の対ドル相場の高騰が中国の対米輸出にかげりを落としている。しかし中国の対米貿易減退は、その輸出品の中間財を日韓に依存しているぶん、日中韓貿易に影響を与えざるを得ない。だから人民元の対ドル相場の上昇は単に中米関係だけの問題ではない。日・中・韓3カ国が貿易で連動しているだけに、この問題が日・韓に及ぼす影響は大きい。
 2006年度の日中韓貿易関係を見ておこう(図表63)。この図から明らかなように、日韓関係は日本の対韓貿易黒字で、その額は254億ドル、韓国と中国をみれば、韓国の対中貿易は黒字で、その額は209億ドル、そして中国と日本をみれば、中国の対日貿易は黒字で、その額は255億ドルである。つまり日中韓3国は、3すくみの状況で、約200億ドルの資金が循環しているのである。したがって、人民元の高騰と中国の対米貿易輸出減少は、単に中国だけの問題ではなく、日中韓の貿易亜kんけいを通じた東アジア全体の問題でもあるのである。(p.180-181)


こうした相互依存関係についての知識や理解を深めることは非常に重要である。


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陳桂棣、春桃 『中国農民調査』(その2)

 民が官を相手取った寧国市南極郷の訴訟事件は、民の勝利で幕を閉じた。宣城地区の中級裁判所は、南極郷人民政府に対し、再度査定という具体的行政行為を行えとする判決を下した。そして、強制的な徴収は違法であり、規定に基づかない植林基金の徴収も同様に違法であるという判決を言い渡し、本件の裁判費用はすべて南極郷人民の負担としたのだった。
 判決公判が終わったとき、南極郷の周小平副郷長は、目に涙をためていた。彼にはどうにも悔しくてならず、ひどく困惑していた。今後南極郷では、農業特産税を「現物に基づいて徴収する」方法がなく、しかも、これら徴収の仕事は上からの割り当てなのである。農民の代表たちも涙でほおをぬらしていた。彼らはつらい思いをし、憤った。いま、法廷から出てきて、大雨のなか、黒いかたまりのようになって立っていた農民たちと合流したとき、そのほおに流れるのが雨なのか涙なのか、わからなくなってしまった。彼らは法律という武器を使って、郷政府の意のままの税の徴収を防ぐことに成功した人々だった。(p.247-248)


本書は一貫して農民の立場から記述されているが、郷鎮政府からしてみれば、歳出は義務づけられながら歳入が保障されていない中で業務を行うにあたり、住民=農民から各種の料金を徴収せざるを得なくなっているというのが実態であるように思われる。その意味で本書のスタンスは偏っており、一方に肩入れしすぎているという点で客観的な叙述とは言えないように思われる。

公平のために述べておけば、本書にも一応、こうした点に触れて論述している箇所はあるのだが、そうした認識が十分にあれば、官を非難するときに本書ほど一方的にはなりえないだろう、と反論できるのである。中国の地方政府が違法な徴収を行っており、それも公安なども使って強制的・強権的に徴収を行っていることが明るみに出され、批判されるべきではあるが、中国全土でこうした事件が起きているとすれば、それは中央政府のやり方に問題の根源があると見るべきであり、そこを批判しなければならないように思われる。中国の言論状況ではそれははできなかったために、こうした論調になったという側面もあるのかもしれない。(実際、本書の中には、出版時点での権力者に対してはヨイショしている発言が散見される。)

実際、本書で指摘されていることと似たことは日本国内で起こっていることである。つまり、政府間関係において、中央政府が地方政府を歳出面での拘束をしながら歳入面での保障をしていないために地方政府が機能不全に陥っているという状況である。地方政府に対する歳出の自治が認められないのならば、地方政府に対する歳入の保障を中央政府がすべきなのである。

余談だが、私自身の認識にとって重要な点なので一言述べておく。

神野直彦は、日本の地方政府には、歳出の自治も歳入の自治もないと指摘し、歳入の自治を拡大しなければならないという議論をかつてしていたが、これは誤った方針である。中央政府による統制によって歳出の自治がないのならば、中央政府がその分の歳入の保障をしなければならないのである。地方政府には、歳出が縛られていない分を補完するだけの歳入の自治が保障されれば、それでよいのである。私自身が地方自治論や財政学を学び始めたとき、この神野の議論に乗ってしまい、暗礁に乗り上げたことがあるのだが、自分が陥った誤りは現在このように訂正されている。

中央政府が財政責任を果たさないことに問題があるのであり、その財政責任を果たせない原因の重要な問題が有権者の増税忌避にあるということは改めて指摘しておこう。要するに、アホな有権者たちのおかげで、行政による最低生活保障がまともになされない(ないし、セーフティネットが不備だらけになっている)という状況になってきている、ということである。「必要なことを行うために必要なだけの拠出=増税をするのは当然である」という常識が共有されなければならない。



1994年まで、各地の農村で教員の給与が滞ったことはなかったが、94年に国税と地方税の分税制が開始されると、地方の財力が削られたため、経費を農民から徴収する教育付加費と教育資金に頼ることとなった。それでも年間で三億元も不足する教職員の給与を銀行から借り入れて何とかしのいでいた。この負債は累積し、2000年には17億元にも達した。税費改革試行後は、教育付加費と教育資金の二項目も徴収できなくなり、義務教育の経費は郷や鎮の財政予算からまかなうほかなかったが、もともと自転車操業の財政からこの費用を捻出することは不可能だった。・・・(中略)・・・。つまり、中央と地方で、財政権と行政権がいちじるしく分離しているということだ。地方の財政収入が少ないというのに、義務づけられた事業が多すぎる。(p.258-259)


前のエントリーで私が指摘したことが集約的に語られている箇所といえよう。「地方分権」とは「中央政府の財政責任の放棄」であり、それでいながら地方政府に「義務づけられた事業」はそのまま残っているために、中国では地方政府は徴収する金額を増額した(教育付加費、教育資金)のだが、それも本書が支持する税費改革のために非合法とされたために、地方政府は違法な徴収をせざるを得なくなっているわけである。つまり、中央政府の方針が農民に対する非合法の徴収金を増やす結果になっているのである。本書にはこうした認識が一方にはありながら、この考えが一貫されていない点が惜しいところである。

本書は、税制とはいわば「その国の形」であるということを改めて痛感させられる内容の本であった。(私がこのフレーズで表現しようと意図しているのは、「国」という抽象的な存在があるのではないが、税制とはある法的体系[日本であれば日本国憲法]が施行される社会の様態を反映しながら規定するものであるということである。)


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陳桂棣、春桃 『中国農民調査』(その1)

「上層部にはよいことだけを報告し、困った問題は報告しない」という役人のやり方は、だいぶ前から中国では日常的になっていて、いまさら始まったことではなかったのである。(p.35)


本書でしばしば指摘されている中国の行政の問題点の一つ。これは日本の組織でも多かれ少なかれ存在しており、普遍的な現象の一つであるとも言えるが、中国ではこの弊害の度合いがかなり大きいように思われる。

このように嘘ないし隠蔽された報告が多くなる原因は、上司の権力が大きいこと、そして、恣意的な権力行使がどの程度可能かということに依存するように思われる。もっと端的に言えば、強権的な支配体制であればあるほど、都合のよいことだけが報告される傾向が強まると思われる。

私がこの箇所を読んで即座に想起したのは、いわゆる「成果主義」とか「能力主義」と言われるような組織内での評価のあり方である。「成果主義」が採用されるということは、評価される側の人間の処遇を上司がその都度の、比較的短期の業績に基づいて比較的大きな幅で決定する権限が与えられることになるということであるから、人事権や評価の権限を持っている人間の権力が強くなり、相対的に恣意的な権力行使が可能になることを意味する。

実は中国の役人達の世界はかなり「成果主義」であることを考えても、この方式が如何に問題が多いかということがわかるのではなかろうか。

ちなみに、官僚の世界における「成果主義」は、ビジネスの世界における「成果主義」よりも情報流通を一層不適切にする。というのは、ビジネスの世界では上層部が現実とあまりに乖離した情報しか持たない場合、比較的短期間に収益の減少などの影響が及ぶが、政治や行政というのは、効果が通常のビジネスほどの速さでは返ってこないものだし、影響が官僚とは関係が薄いところにしか現れないことも多いからである。



偽ブランドやまがいもの商品が市場にあふれている今日このごろ、報道の信頼度も落ちている。とくに大きな事故のニュースの真実性について、一般の人はかなり割り引いて見ている。(p.48)


例えば中東などと比較すると中国ではまだまだメディアの報道への信頼度が高い(メディアの報道を信じている人が多く、また、信じている度合いが高い)と感じるのだが、それでも、現地の人の感覚からすると、信頼度は落ちているらしい。これは興味深い。



 新聞社の編集室では、毎日発行するニュースのためにいちいち現場まで裏付け調査に行くことはできない。彼らがこの記事を掲載したことに、手続き上の過ちはない。原稿の上には検察機関の印が押してある。それを信用して裏付けをとる必要がないとして掲載したのだ。(p.49)


この辺は、中国の報道機関が共産党の宣伝機関であるという別の本でなされていた議論と通じているように思われる。他の国の報道機関はどのようにしているのか?興味があるところである。



 漢代の桓寛が著した『塩鉄論』には「世に法なきは患わぬ、その法の行われぬことを患う」と書かれている。つまり、社会に法のないこと自体はかならずしも心配に思うことはないが、法の執行がきちんと行われないことが心配だということだ。法がなければ制定すればよい。法があるのに法律どおりに行われないことこそ恐ろしいのである。(p.55)


法をその通りに執行することは当たり前のことのように思うかもしれないが、歴史的に見れば、恐らくそうではないだろう。法がありながらその通りには執行されていないという状態は義務教育などを通して法律が適用される人の多くが文字を読み、法の内容を理解出来なければ、法を執行する側にとって、法を「非人格的≒客観的」に適用しようとする動機付けは生じないからである。



国家は郷鎮政府が郷鎮企業で得た利益と管理費、各種の集金や寄付金、罰金などの収入をみな郷鎮政府の財政の収入としてよいとした。この措置が任意に組織を拡大し、人員を増やし、徴収金や罰金などをむやみに取り立てる行為を許すことになった。(p.120)


公権力の主体に「利益追求(営利活動)」を許すとこのようになるのである。日本の地方政府も次第にこうした中国と似た方向に進みつつあることは警戒されるべきであり、日本ではこの種のことが「地方分権」という名目で行われる制度変更に伴って行われることが多いということは知っておくべきだろう。



 都市住民と農村住民を分ける「二元構造」の最大の問題は、社会を構成する人間が経済的にも文化的にも均等に伸びていくことができないということにある。(p.124)


中国は戸籍制度によって国内での人的移動が制限されることによって、かつての「南北問題」が国内に存在する形になっている。これは一種の「低開発化」である。



分税制導入後、地方の歳入は中央より少なく、歳出は中央の二倍以上になったのである。(p.195)


中国では90年代の半ばに財政面での「地方分権」が行われたわけであり、その結果、地方財政は苦しくなり、地方政府はあからさまな利益追求に走り出し、農民への不法な費用徴収が増えた。日本でも「地方分権」が進めば、これと似た状況が次第に表面化してくるであろう。



 1985年に始まった、郷鎮を主体とする農村での学校設立・運営体制への移行こそが、農民の過剰負担を招いた最も大きく、最も深刻な要因だ。九億の人口を有する中国の農村で、農民たちは義務教育の費用を自分たちの懐から出さなければならなくなったのだ。計画出産政策、民兵訓練、恩給、遺族年金、道路建設の費用なども国家財政から出すべきなのに地方政府に押しつけているので、地方幹部は農家一軒一軒から取り立てているのだ。(p.204)


まさに日本の「地方分権」の議論と同じことが既に中国で行われている。
>例えば、日本での地方分権論議の中で大きな問題になったこととして、義務教育費国庫負担金の問題があった。今から5~6年くらい前に盛んに議論されていたのだが、義務教育費の国庫負担を1/2から1/3にすることで「地方の自主性を高める」などという馬鹿げた議論が展開されていたわけだが、そういうことをするとどうなるかといことは中国の事例からもよくわかるというものだ。

もっとも、日本では地方政府が違法に住民への負担を強いることは難しいため、全く同じような状態になることはないだろうが、それでも90年代後半から00年代前半には法定外税の創設について、地方自治体の間ではそれなりの議論がなされていたし、そのうちには違法だとされたものもある点では同じ現象が起きている。また、違法な取立てができない代わりに財政破綻という形で一般的な行政給付の水準が下がることが予想される。

反面教師として中国政府の政策は極めて参考になるものが多いように思われる。とりわけ、日本の政策が中国に近い方向に進めようとしているだけになおさらである。

そして、銘記すべき点は「地方分権」という言葉で言われていることの多くは「中央政府の財政責任の放棄」でしかない、ということである。有権者諸氏には、このことはよく認識していただきたいものである。



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張承志 著、梅村坦 編訳 『モンゴル大草原遊牧誌 内蒙古自治区で暮らした四年』

 だが、歴史上のさまざまな遊牧騎馬民族の勇壮なロマンも、草原で営まれる牧羊など日常的な生活を母胎としている。それにもかかわらず、英雄や戦乱の陰に有史以来かわることなくひっそりといきづく一般の牧民の暮らしぶりや心情について、私たちはほとんど知らない。(p.3)


本書は86年に出されたものであるが、当時の歴史学では社会史が流行し始めた時期であることと、本書のこの視点は共有しているように思われる。

確かに、草原の民の日常について私たちはほとんど知らないのであり、本書は非常に有益な情報を提供してくれたと言える。そして、本書の体験が概ね1970年前後から80年代前半までの経験であることから、それ以後、30年余りが経過した内モンゴルの現状について、どのようになっているのか少し気になるところでもある。好奇心が刺激されるものがある。



 ハンウラの遊牧民のアイマクの組織は、血縁的な意味での「一族」を構成しているとともに、何よりも生産単位を軸とした自然的結合の一種であるという点に、最も基本的な特質を見出すことができるように思う。(p.42)


遊牧生活は生産と生活が一体となっているとされることからも、この点は了解されるように思われる。



要するに一年の四季それぞれに家をあげて移動する方法から、冬と夏の二回だけ、それぞれの営地に設けられた定住的な家に向かって移動する方法に変わる過渡期にささいかかっているのだ。(p.85)


70年代の中期頃にこうした過渡期であったというから、現在は相当状況が変わっているのではないか?と想像される。相当に定住化が進んでいるのではないだろうか?という予想。



 モンゴル遊牧民は、農民、商人、軍人、労働者、職人など、ほかのあらゆる職業の人びとと根本的に異なっている。ほかの職業についている人びとは仕事と生活が分離しており、仕事以外は生活であり、仕事上の技術は生活とは直接には関係がなく、甚だしい場合には仕事と生活が厳しく対立していることさえある。しかし、牧民はそうではない。牧民の仕事と生活とは完全に一体化し、仕事すなわち生活そのものである。仕事上の技能は生活上の技能となるのだ。(p.164-165)


この点はモンゴル遊牧民を捉える上で最も基本となる認識の一つであるように思われる。歴史上の遊牧民を見ても、彼らは生活と軍事が一体であり、それゆえ強力な軍隊でありえたという議論があったが、それと同じである。思うに、彼らにあってはこの一体性は、仕事と生活の分離と言われる際の、「生活」の部分が非常に小さく、生きている活動の大部分が「仕事」になっており、その仕事をすること自体が他の人々における「生活」として区分される領域の事柄をも含んでいるのではなかろうか。

なお、先にアイマクという組織が生産単位を軸としている点に特徴があると著者が指摘している箇所を引用したが、私の考えはこの点とも整合的であるように思われる。



草原はなるほど限りなく美しく麗しいだろうが、牧民たちは草原の荒涼として単調なさまを誰よりも深く知っている。災害のとき、彼らは草原の恐怖と無情の日々を味わわされる。この遼々と広がる世界の中で成長し大人となる彼らには、外の世界の人びとの抱くようなロマンティシズムの微塵とさえ、きっぱりと無縁である。(p.203-204)


外から見た際に喚起される情感と内にいて暮らしている人びとの感覚とは異なっている。一つ前のエントリーで紹介した『内モンゴルの草原日記』という本には、やはりこのロマンティシズムが垣間見えた。

モンゴルに限らず、シルクロード然り、そして中国然りであるが、日本の人びとにはこれらの地域に対するロマンティシズムが比較的強いように思われる。(欧米でもそうかも知れないが。)ちなみに、中国へのロマンティシズムは若者よりも中高年の中国好きの人に多いように感じられるのだが、思うに、これらの人びとは文学や歴史物語によってこれらの地域を認識していることが、そのロマンティシズムの要因になっているように思われる。文学の副作用、観察者の視点。



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和田正信 『内モンゴルの草原日記』

 何と、かけ離れた生の姿なのだろう。沙漠に日がな一日羊を追う羊飼い、都会のビルの谷間に忙しく駆けずり回る私たち。・・・(中略)・・・。
 あの時からだ。
 私たちの生の在り様を相対化するものとしての羊飼いの存在を意識し始めたのは。私たちは、誰でも、一度は、羊飼いになったほうがよいと考え始めたのは。(p.13)


都会であくせく働くサラリーマンのあり方を相対化する者としての「羊飼い」という着眼点は興味深い。この著者の考え方自体は80年代頃に流行った管理社会論における都会暮らし、ないし、機械の歯車のように組織の中で働くことへの批判と通じていると思い、それほど目新しいものではないが、その比較の対照項として具体的に「羊飼い」を挙げているところが特徴的である。日本では牧畜は盛んではないので、あまり注目されない対象に着眼したところが目新しく感じられる。

本書全体からは、羊飼いの生活に対して、ややロマンティシズムを感じるが、次の旅先の候補地の一つが内モンゴルなのだが、本書を読んでみて、行ってみようという気持ちはかなり高まったかもしれない。



「一秒」とか「一時間」などという時間が、もともと、あるものなのだろうか?時計が刻み出す「時」というものは、ひとつのフィクションにすぎないのではないだろうか。世界を解釈するひとつの仮説にすぎないのではないだろうか。蒙古の草原に来ると、そのことがよく分かる。ここには、「一秒」も「一分」も「一時間」もない。「時計」という装置が刻む「時」がない。
 ・・・(中略)・・・。
 そうさ、「一秒」なんていう時間は、ついこの間、江戸時代にもなかった。なるほど、「一刻」という時の長さの単位はあった。しかし、それでも、「一刻」という時間の単位は「一秒」とは異なる原理で定められていたではなかったか。確か、日の出から日没までを昼、日没から日の出までを夜として、各々を六等分した時の長さが「一刻」であったはずだ。つまり、「一刻」の長さというものは、同じ一日のなかでも昼と夜とでは違ったし、また季節により、場所により変化して行くものだった。
 ・・・(中略)・・・。
 勿論、これはひとつの例に過ぎない。私たちは、想像力さえ豊かであれば、様々な「時」の姿を想像できるに違いないのだ。そして、それぞれの「時」は、それぞれの世界像を背後に持っているはずなのだ。(p.99-101)


時間に関する哲学的な考察ではある。ニュートン的な時間概念を相対化しようとしていると思われるが、これは先の管理社会批判の文脈からのものであろう。そして、著者が言うように、想像力さえあれば、様々な時間概念を想像できることは確かだろう。

ただ、私の考えでは、こうして時の概念を相対化しても、管理社会での生のあり方、行為のあり方に変更をもたらすことはできない。その意味で、管理社会批判ないし現代社会批判の意図は分かるにせよ、このやり方では成功した批判にはならないであろう。

時間概念の相対化は、ものの見方を豊かにはしてくれるだろうが、システムの作動自体を変えるような力はない。これは視点の移動に過ぎないからである。

では、どのようにすれば、ゆっくりとした時間の中を生きられるのか?「羊飼い」がそのように生きているとすれば、それは恐らく、あくせくと人を動かすシステムとの関係が希薄であり、そのシステムの内部にいる機会が少ないことと関係していると思われる。つまり、彼らは世界システムの辺境部にいるか、別のシステムの内部にいるか、その両方であるか、ということである。彼らの生のあり方そのものではなく、彼らが存在し行為するシステム内の位置が、行為のあり方を循環的に規定しているものと思われる。システムの外に出ようとするか、システムそのものを縮小させるか、ということが問いに対する答えとなるかもしれない。



 羊飼いたちは退屈なんてしない。羊が退屈をしていないように。退屈なのは、時間が余るからだ。草原のどこを探しても、余った時間など落ちてやしない。それもそのはず、時間が余るなどという現象は、おそらく、「時間」に向かって進んでいく者だけに起こることなのだ。同様に、「時間が足りない」ということも、彼らにはないだろう。忙しくない、という意味ではない。羊も追わなければならない。牛の乳も搾らなければならない。冬に備え、草も刈らなければならない。やらねばならぬことは、いくらでもある。それでも、彼らは「時間が足りない」とは思うまい。(p.151-152)


システムの作動のあり方を問題にして上では批判的に書いたが、こちらは内面での感じ方であるがゆえに、筆者の考え方は妥当性が高い。

確かに、時間と実行すべきことのゴールが相対的に明確に設定され、それに対して時間が余ると何をすべきか考え直さなければならなくなり、やらなければならないノルマから解放されているがゆえに、すべきことが見つからない、あるいは思いつかないときに、手持ち無沙汰に感じられ、退屈であると感じる。

締め切りの時間が先にあるのではなく、行為の継起を順に追っていくだけという生活には、退屈ということはない、ということであろう。それはこの直後の筆者の結論からもわかるし、私も同感である。すなわち、

 夕方、女たちは牛の帰りを待って乳絞りを始める……いや、女たちが牛の帰りを、今か今かと、待っているという意味ではない。乳が牛にくっついているから牛が帰ってこなければ搾る乳がない、という順序を言っているだけのことだ……牛が帰ってくる。乳搾りが始まる。左右の手を交互に動かす。乳首を引っ張る。白い乳がブリキのバケツに向かって直線を描く。女たちの手の動きのリズム。シュッシュッシュッシュッ。白い乳が搾り出され、空気に触れる。「時」は、その乳と一緒に生まれてくるものなのだ。

 このように、羊飼いたちは、牛や羊や馬と一緒になって時を紡ぎだしている。そして、自分が紡ぎだした時に生きている。
 「時間が足りない」なんてことが、あるわけがない。

 足りなければ搾ればいいんだ。シュッシュッシュッシュッ、と。(p.152)



先に目的を達成するための目標とされる時間があり、それまでに何かを「しなければならない」という設定によって「時間が足りない」または「時間が余る→退屈だ」という現象が生じる。

私自身、常に時間が足りないと感じているわけだが、その意味では、自分がやろうとしていることとそれに対する設定のあり方を調整することで、この感覚を変えることはできるかもしれない。しかし、目的や目標を設定するならば、「時間が不足しているという感覚」は不可避であるように思われる。時間を区切ることにはプラスの側面もある。ある期間の自分自身の取り組みとそれに対する反省的な評価が行ないやすくなることが私にとっては大きい。そのためのハードルを越えるために時間内に課題をこなすということを続けるわけである。

思うに、この取り組みの中に充実感がるかどうかが重要であるように思われる。充実感が強いときには時間の不足感は強いストレスにはならないし、当然退屈もないからである。そうしたときには目的や目標を設定していても作動が時間を形成しており、二つの時間が調和しているように思われる。


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トンマーゾ・カンパネッラ 『ガリレオの弁明』

私たちはまた、異教徒の教義を利用している場合が多い。というのも合理的な観念はキリストの理性に由来しているからである。異教徒たちが迷信を拒絶する限り、キリストとその理性を分かち合っているのである。(p.59)


世界が有する「合理性」はキリストすなわち神の「理性」に由来するという信仰。ヨハネ福音書に特に強く出ている思想であるが、この思想は「西欧における『合理主義』に対する高い評価」を後押しするにあたり広く利用可能であった考え方である。これが原因として「西欧合理主義」が成立したなどという前時代的な議論はしないが、このようにして体制的な権威と結びついたところで合理性を称揚する思想が古くから存在しており、それを容易に利用可能であったことは、17世紀前後のいわゆる「科学革命」の時代などには、一つの考え方の拠りどころを提供したとは言えるかもしれない。



 八世紀にフランク王国のカール大帝が西欧の学識者を集めて、各地の教会・修道院に設けた附属学校をスコラといい、そこで行われた学問がスコラ学である。後年、広義で、中世の諸大学で研究された学問、特に神学および哲学を指す。(p.146)


本書の事項解説の「スコラ学」の項より。

いわゆるカロリング・ルネッサンスの時代にスコラ学の組織的基礎が築かれたと言える。この後、スコラ学は3期に時代区分されている。すなわち、9~12世紀、13世紀、14世紀以降がそれであるが、13世紀に画期が存在するのは、社会的な背景としてモンゴル帝国が世界帝国を築き、それによるユーラシア規模の経済圏の連結が進み、13世紀世界システムが形成されたという事態が背景にあると想定できる。

こうした経済の統合の結果、ユーラシアの辺境であった西欧の地域にも一定程度の都市化と富の蓄積が進展し、そうした体制を擁護するためのイデオロギーとしての盛期スコラ学が成立したと思われる。アリストテレス主義が確立したことも、12世紀ルネッサンスの時代の翻訳運動の帰結という面があるにせよ、東方からの知識の流入が刺激になっていたことは確かであるように思われる。(トマスの著書にも、アヴェロエスなどへの言及が多いと私は記憶している。)



 カンパネッラは、アリストテレス哲学が導入される以前の、こうした教父たちの宇宙観にかなりの拘泥をみせている。それは『ガリレオの弁明』が聖書のコスモロジーを読み解くことを意図したものであり、むしろ彼がアリストテレスの自然観に反する立場をとるからである。言葉を強めれば聖書のアリストテレス的解釈から聖書を救おうと企図したのであり、これはコペルニクスとて同様であった。(p.153)


非アリストテレス的聖書解釈、非アリストテレス的コスモロジーという意味では、新プラトン主義的な12世紀以前の教父たちの教説も、カンパネッラやガリレオらの立場も共通であった。ガリレオはカンパネッラほどには世界観を求めておらず、観察される事実を数学的に説明することに力点を置いたのに対し、カンパネッラは反アリストテレス的コスモロジーへの反対という点ではガリレオと共通しながらも、コスモロジーを再構成、再解釈しようという志向が強いという点でガリレオとは相違点があったとされる。両者の書いたものを読む限り、訳者によるこの分類はそれなりに適切であると言える。そして、『ガリレオの弁明』が聖書のコスモロジーを読み解こうとしたものであるというまとめも的確であると考える。カンパネッラがこうした立場であることが、本書では教父たちの宇宙観へのこだわりとして表現されているわけである。

ただ、注意すべきは、ガリレオの立場もまた、現代人の観念や「近代科学」とは立場を異にしている面があるということであろう。この点は村上陽一郎がかつて強調していた点でもあるが、それはガリレオも聖書や新プラトン主義的なコスモロジーを多少なりとも背景に持っているという点である。本書の訳者の解説ではこの点への切込みが弱く、ともすると、「ガリレオの立場=近代科学的な現代人の立場」と受け取りかねないような部分がある。この点だけは要注意であろう。



思えば、ドミニコ会もフランシスコ会も、各大学に進出して、独自の知の潮流を形成した。知性の学としての神学を是とするトマスたちドミニコ会学派、愛に聖書全体の目的を見出すフランシスコ会学派では、哲学と神学との関係も異なって当然であろう。トマスは、両者を実践的独立関係とみ、ボナヴェントゥラは依存関係とみなしている。カンパネッラはじめ、ブルーノ、ペルージオなどの南イタリアの自然魔術師がいずれもドミニコ会士であって、在野で論客として活躍した事実から、所属修道会に思想の基盤を求めてもよいのではないかと思いもする。(p.213)


興味深い論点である。西欧の思想史を考察するに当たって、こうした修道会の役割は政治的な立場とも関わるものであり、考慮に入れるべきものであろう。(これは私の「宗教とは信仰の問題ではなく集団形成の問題であり、必然的に権力の問題が生じ、それゆえ政治的な現象に連なる」という認識ゆえに興味を引く問題なのである。)

確か、ドミニコ会は異端との論争のために設立されたという側面があると記憶しているが、そうしたカトリック教会の側に立っているはずの(?)ドミニコ会の論客の多くが「在野」であったということや、サヴォナローラやマイスター・エックハルトのような人物を排出しているのは興味深い。


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