アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
プロフィール

ツァラトゥストラ

Author:ツァラトゥストラ
「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

FC2ブログランキング

FC2ブログランキング

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

シュムペーター 『租税国家の危機』(その2)

 ケインズがその眼前にした資本制国家の性格をどのように捉えていたか明確には知りえない。ただ、かれの有効需要理論とそれにもとづく完全雇用政策から考え、かれがその理論と政策の拠りどころとしていた国家は、資本家階級の利益の代弁者としての国家ではなく、むしろ、第三者的・調停者的機能をもつ、いわば「中立的」国家というべきものでなかったかと考えられる。(p.132)


以上の引用文はシュムペーターの書いたものではなく、本書の訳者の一人である小谷義次氏が書いた解説から引いたものである。

確かに、ケインズの政策の前提にあり、また、それを実施する上で最も適合的な政府像――私は「国家観」とは言わない――は確かに、中立的、第三者的、調停者的と形容できるようなものであろう。

これに対し、日本において新自由主義が急速に広まっていく中で吹聴された政府観は、これとは全く異なるものであった。それは政府(官僚、公務員)は怠慢で、自らの利権を守り、私腹を肥やすことに腐心しているというものであった。そして、こうした政府による「介入」「干渉」はない方が経済はうまく行く、市場には淘汰の仕組みがあるので、それこそ機能させるべきという流れが出来上がった。もちろん、理論の詳細においては政府の機能を完全に無視するものではなかったにせよ、一般の、政策などを真剣に考えているわけではない有権者達――彼らは90年代以降の不況の悪者を探している「視聴者」でもあった――にとっては、好都合なものとして受け入れられていった。

現実的に作動する行政府の活動は――ケインズ政策に適合的なモデルであれ、新自由主義によって吹聴されたものであれ――これらの理想化された図式に完全に合致することはありえないにせよ――上記のような「視聴者」であった一般庶民が考えるのとは異なり――ケインズ的な政策が想定するようなしかたで政府が動くことは不可能ではないと私には思われる。

それは、90年代に新自由主義の観念が一般に普及していく中で、それに最大の抵抗を示していた人々こそ、官僚だったからである。彼らは彼らの任された(彼らが権限を与えられた)公共的な領域における公共性を守る観点からネオリベに抵抗を示していたという面がある――これを多くの人々は、専ら、彼らの私利私欲のために、あるいは省益のために抵抗していると解釈していたが、それは誤りである――のだから、逆に行政府が調停者的に機能できるための条件を整えさえすれば、そのように作動するものと考えてよいはずである。

上記の引用文のように、ある政策が求める政府観がどのようなものであるかということを、理念型的に明らかにしておくことは、望ましい政策を考えていくにあたって示唆を与えてくれる。



スポンサーサイト

テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

シュムペーター 『租税国家の危機』(その1)

 十四、五世紀の経過とともに、いまや、領主は財政的にますます困難な状態に陥るのであって、この状態は、他のどのような点でも――帝国との関係でも、領邦内の他の諸勢力の関係でも――、かれの地位の上昇と奇妙に矛盾し、しかも、悲喜劇的な状況をもたらすことがすくなくなかった。十五、十六世紀の転回期、個々のばあいにはすでに十四世紀に、この状態は堪えがたいものとなる――このようにして、財政経済の危機が現れたのである。・・・(中略)・・・。
 これよりもはるかに興味をひくのは領主の困難のもう一つの原因、すなわち、歴史家が宮廷浪費と呼びならわしているところのものである。けだし、宮廷の維持を高価なものにしたのは、領主に仕えるすべての貴族の扶持であった。そして、この経費は、偶然でもなければ、回避できるものでもなかった。けだし、有給の宮廷官職は、反抗的な地方貴族を従順な宮廷貴族、官僚貴族、軍人貴族に変えていったが、封建関係の靭帯が弛緩しはじめるとき、領主が下級等族にたいして地盤を獲得しようとすれば、このような宮廷官職をまかなわねばならなかったからである。しかし、もとより、このような点を計算に入れていない地方領主の資力は不十分であった。ここに、一方では、社会的変革過程の要因と同様徴候が、同時に、他方では、領主的財政経済没落の「原理上興味のある」原因が存在するのである。(p.20-22)


宮廷浪費などというと、どうしても「道徳的に」いかがわしいものとして評価されがちであるが、シュムペーターはそれを一つの社会的過程に伴って生じていた現象であったことを喝破している。この現象はそれ自体が地方領主の財政崩壊への現実的な原因でありながら、同時に、その背景にある社会的な動因を見て取る際の認識根拠でもありうるという。

私がここで注目したことは2つある。一つは「宮廷浪費」と呼ばれるものを「道徳的な評価」を括弧に入れた上で冷静に分析しているシュムペーターの姿勢である。これが私の興味を引いたのは、例えば現代の日本で問題とされている「天下り」や「(国会及び地方の)議員定数」「公務員給与」といった事柄と重なる部分がかなりあると見ているからである。

普通のジャーナリズムやウェブ上での言論を見る限り、こうしたものに対して、羨望や嫉妬が込められた非難がなされており、それが常態となっている。しかし、多少なりとも行政学や財政学とそれらに関連する制度上の知識を持っていれば、そして、――これが私が注目した第二の点であるが――ここでシュムペーターが利用しているような社会科学的分析のイロハに当たるような技法(道徳的価値判断と因果分析の分離や、要因と徴候という用語で表示されている実在根拠と認識根拠の区別など)を用いて分析することができれば、これらの現象が道徳的ないし感情的な議論では捉えきれない動因(構造的とも呼べる要因)を背景に持っていることが理解できるであろう。そこまで理解してはじめて、政策について議論を始めるための入口に到達したことになる。

社会を分析するからには、ここでシュムペーターが示している程度のリテラシーがある議論が展開されてほしいのだが、そうしたレベルの議論が現在の日本では滅多に見られないことに危機感を覚える。

なお、実在根拠と認識根拠の区別は、本書が公刊された1918年より以前に書かれたシュムペーターの『経済学史』(初版1914年)で、1906年に出されたウェーバーの『文化科学の論理の領域における批判的諸研究』について言及していることから、ウェーバーからの影響があるのかもしれないと私は見ている。シュムペーターの学説には私は通じていないので、そのあたりをご存知の方がいればご教示願いたいものである。

上記の引用箇所に続く箇所もまた興味深いので以下で引用を続ける。



 しかし、もっとも重要な原因は、増大する戦争遂行の費用であった。けだし、傭兵軍隊の出現(これは今日の貴族の家計がどの召使いにも産業市場なみの労賃を支払う必要が生じた瞬間に克服せねばならなかったと同様の状態に、地方領主を当面させたのである)は、ギムナージウムの教科書が、意図しないユーモアで主張しているような、火薬の発明の一結果であったのではもちろんない。・・・(中略)・・・。それは、生産が封建的組織を崩壊したこと、采邑がすでに長い間完全に事実上(デ・ファクト)世襲となって以後、封建的家臣たちが自己をその土地の独立の支配者と感じはじめ、そして、絶えることのない戦い、絶えることのない征服という中世初期的意味での騎士生活をその生活要素とする采邑団体から心理的に自己を解放したことによるのである。これは、わたくしが、自分の個人的な目的から「人格の世襲化」と呼びならわしている過程の一形態である。この過程の一表現が、傭兵軍とそれによって生じた財政的需要であって、後者は、その後、それ自体として、その後の発展の推進力となった。・・・(中略)・・・。このようにして、当時のトルコ王宮が戦場に派遣できた二十五万のトルコ軍に立ち向かうために、領主に許されたのは、この六千の歩兵または二千五百の騎兵であった。ここにわれわれの理解する財政制度の危機、すなわち、深刻な、いかんともなしがたき社会的変化の結果としての、明白で、必然的、永続的な機能停止が範例的な明白さで存在するのである。
 地方領主は、かれのできるところのもの、すなわち、借金をつくったのである。まもなくそれが行きづまると、かれは自己の等族にたのみこんだ。・・・(中略)・・・。領主は、このばあい、自己の無力を告げ、例えば、トルコ戦役のような事態は、たんにかれの個人的な事柄ではないこと――すなわち、「共同の困難」であることを指摘した。そして、等族はこれに同意した。かれらがこれに同意した瞬間に、一つの事態、すなわち、租税の徴求はしないという紙の上の保障はずたずたに切り裂かれねばならなかったところの事態が承認されたのである。すなわち、この事態のもとでは、全人格を超個人的な目的体系につないでいた旧い形態が死滅し、そして、どの家族にとっても、個人経済というものがその存在の中心点となって、そこに一つの私的領域が基礎づけられる。そして、これにたいしては、今や、公的領域が何か異なったものとして対置されることになったのである。「共同の困難」から国家は生まれたのである。(p.22-24)

第一次大戦の最中に書かれたことが、こうした認識を強調している側面はあるが、妥当な認識だといえる。

その後、西欧で成立していった「国民国家」と呼ばれるシステムが、世界各地で軍事力を背景として植民地を拡張していくプロセスの一つの要因として、オスマン帝国の脅威という切羽詰った状況に対する対処策として軍事力を集中できるシステムが形成されてきたことが挙げられる。すなわち、「国民」を「共同の困難」という理由で「総動員」できるシステムである。

この「国民国家」システムの背骨を支えるものはその財政であり、特に公共的な領域のための私的な領域からの共同の拠出としての恒常的な租税徴収のシステムであった。

もちろん、こうした「共同の困難」は戦争に限らず、社会保障の必要性にまで次第に波及していき、「福祉国家」と呼ばれるものも形成されていく――このあたりはデモクラシーが「ナショナル・デモクラシー」であると呼ばれる所以であろう――のだが、いずれにせよ「共同の困難」がその共同体の内部で実感されるような仕組みが整えられたことによって、強力な公権力を行使する機関が成立していったというプロセスを見事に描き出した箇所であるといえる。

さて、現在に眼を向けると、金融グローバル化の進展は、金を持つ少数の人間達の選択肢を広げた。これにより国民国家の政府による強制的な徴収である租税に対しても優位な選択を行える地位を彼らは得た。こうして租税体系を変化させてきた。集められる租税の上限が狭められたことによって、財政赤字が拡大する。

日本の財政は既に90年代以降、こうした道を歩んできたわけだが、グローバルな金融危機に対して各国が財政出動を決めていることは、近い将来、世界各国の財政を日本の財政のような状態に陥らせることになるだろう。

財政赤字は一概に悪であるわけではない。財政出動は効果がないわけではないからだ。しかし、そのための十分な裏づけとなる財源を確保できない仕組みがあることが問題なのである。(国民国家体制の下では、累進課税によるビルトイン・スタビライザーが機能する余地があったが、それが機能できなくなっていることが問題なのである。)金融に関しては、規制せよという考えと、規制などしなくても問題を取り除けるという考えがあるようだが、財政の仕組みまで考えに入れるかぎり、資本移動に対する規制強化を国際的に行っておくことが望ましいように思われる。


テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

カンパネッラ 『太陽の都』

自分の子どもをつくってわが子と認め養育するために、妻や家や子どもを私的に所有するのは、人間にとって自然なことだと私たちは言っていますが、かれらはこれを否定し、聖トマスのいうように、生殖の目的は個体の維持ではなく種族の維持だというのです。だから生殖は、国家公共のことがらに属し公務であって、個人の私事ではないことになります。すくなくとも、国家社会の一員であるかぎりの個人にしか許されないことです。およそ個々人が誤ったしかたで、大多数の子どもを産み、養育しようものなら、国家社会にとっては破壊的な害悪となります。そこで都の役人たちは、子どもをいわば国家社会の第一の基礎とみなし、聖なる宗教にゆだねるのです。(p.44-45)


「生殖は、国家公共のことがらに属し公務であって、個人の私事ではない」という件は、中国の一人っ子政策を想起させる。共同体の存続を優先し、個人の権利を制限する発想であり、私としては抵抗感を感じる考え方である。

しかし、「およそ個々人が誤ったしかたで、大多数の子どもを産み、養育しようものなら、国家社会にとっては破壊的な害悪となります」というのは、実例となるようなものをある程度知っているがゆえに、これも正しいところがあると感じてしまうものがある。もちろんここで私が想起しているのは、「国家」なるものの利益というよりも、社会にとっての「損失」と言えるような状態が生じることである。

例えば、まともに子育てができない貧困家庭の親が次々に子どもを産み、貧困を再生産しながら、その子ども達が闇社会に関わっていくなどの循環がある。もちろん、貧困であるがゆえに福祉の給付の受給者も増え、教育も不十分であるがゆえに仕事を通した社会への貢献も少ない、といったような状況である。

世界は一つの原理だけが支配することはないということが、こうしたところからもまた確認される。



 またかれらの言いますには、極度の貧困は人間を堕落させ、卑劣・狡猾・泥棒・詐欺・浮浪・嘘つき・偽証などの原因になり、富もまた、傲慢・うぬぼれ・無知・裏切り・冷酷・知ったかぶりなどの原因になりますが、共有制のもとではすべての人が富者にして貧者となります。つまりかれらは、あらゆるものを所有しているがゆえに富者であり、物に仕えることに執着せず、あらゆる物がかれらに仕えるがゆえに貧者なのです。(p.49)


共有制のもとでは、貧者と富者の両方の欠点を補うので問題が小さいのだと主張しているようであるが、果たしてそうだろうか。

制度としての共有制と現実に共有が普遍化していることとは別のことであり、完全な共有状態というものは、現実的にありえないのではないだろうか。物と人のネットワークがランダムグラフのような状態になることを意味すると思われるが、そのような状態になりうるとは想定できないからである。

共有制を採用した場合、建前としての共有制と現実とのギャップがますます問題を悪化させることになりそうである。

むしろ興味深いのは、確かに「極度の貧困」の状態の人々にはカンパネッラが指摘しているような現象が見られる。ただ、貧困が最初の規定要因となり、こうした悪癖が行為の週間として見に突いてしまうことがそこから抜け出すことを困難にしてしまうという悪循環が存在するように思われる。

これを断ち切る方法は単に経済的に貧困をなくするための給付を行うことではないように思われる。もちろん、これは経済的な給付は大きな力を持つ政策であり、それは認めた上での話であるが。


テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

シュムペーター 『経済学史――学説ならびに方法の諸段階――』

いかなる国民においてもドイツ国民に見られるように国家とその機関とが尽きざる関心の対象となったことはなく、いかなる国民の精神生活においてもドイツのように国家が優越していることはない。(p.48)


ここで述べられているようなドイツのナショナリズムは、イギリス、フランス、オランダなどに対して従属的な位置に置かれながら、それに隣接しており、かつ、小邦が分立しているためにそれらの諸国に対抗できなかったという状況において、ドイツという国民国家を成立させる必要に迫られていたその時代のドイツ語圏の支配層やインテリたちの関心を反映するものであるように思われる。

ナチズムが台頭したドイツだけでなく、ファシズムが台頭したイタリアも小邦分立状態であったという共通点には注目すべきだろう。国民統合のためのプロパガンダがそれだけ必要になっていた地域であり、また、統合のための神話として歴史を重視することが「自然な」流れとなる。このあたりについては前のエントリーで書いたでの省略。



しかし科学的な意義と実際的のそれとを常に混同せしめ、また時代の言葉の勝ほこれる宣言と科学的業績との間を区別しないような慣習からは、一度びは交りを絶たなければならないのである。(p.182)


実際的な意義がどのようなものであれ、それが持つ科学的な意義の評価に際しては、それとは切り離して行わなければならない、ということ。また、その時代の時代精神のようなものを反映しているがゆえに受け入れられるというような、時流に乗っていることと、科学的な業績との区別もしなければならない。確かにそうである。ただ、科学的な業績の評価が行われる場も超然とした空間であるところに、その難しさがある。

しかし、そのような困難があるからこそ、こうした区別を理念型的に鋭く区別しておくことは有益であると思われる。



最後に第三に実際問題に携わることが、かの深く掘り下げて行くような分析を排撃した。それは直接にはなんらの実際的問題の解決をもたらさなくとも、認識の進歩のためには全く重要なものであり、政治的関心の横溢しているような雰囲気のなかでは全く繁栄するところのないものである。政治的理想に満たされている者は、特に最善の意思を以ってしても、非実践的なまたしばしば現実には縁遠い研究に対してはなんらの嗜好をもちえず、また全人格を打ち込んでのみ始めて到達されうるような研究のときには、その内面的本質に近づきえないのである。・・・(中略)・・・。純粋に科学的な討議の実践はこのような状態の下では困難ならしめられる。さてこれに対抗して今日のドイツでは一つの反動が始まっている。それは特に社会的生起や実践的方策に関する科学的価値判断の許容性もしくは可能性についての論争に示されており、これには大多数の経済学者が参加している。(p.276)


「政治的関心の横溢しているような雰囲気」が19世紀後半から20世紀初頭のドイツの社会科学を取り巻いており、このために経済学における理論研究が抑圧されたということ。

最後に示されている論争はいわゆる「価値判断論争」のことを指すのだろうか。本書の初版が出版されたのが1914年であることからすると、確かに「今日」である。また、方法論争は19世紀末に盛り上がったものだから「今日」とはいえなさそうである。私としては価値判断論争を指しているものと考えておきたい。この点についてご存知の方がいればご教示願いたい点である。


テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

メンガー 『経済学の方法に関する研究』

従って経験的法則だけを示す理論的科学も亦、たとひ斯学によって与へられる認識は完全な確実性をもつのではなくて、只大なり小なりの蓋然性をもつにすぎないとはいへ、人間生活に対して大きな実践的意義をもっている。これに反し現象の歴史的認識や歴史的理解それ自体は一般に斯様な豫見などを提供するものではなく、従って又理論的認識に代り得ない。歴史的認識はむしろ常にそれを基礎として吾々が現象の法則(例えば国民経済の発展法則)を確立することの出切る資料たり得るにすぎない。(p.57)


歴史が経験的事実を確定し、それを資料として理論が構成され、構成された理論が未来への予見を与えることで実践を導くという流れが提示されている。メンガーのこうした考えは、当時のドイツ歴史学派が理論的研究を不当に低く評価することによって、誤った仕方で実践的なインプリケーションを引き出していると考えており、当時の歴史学派の考えを批判し、理論的研究の必要性を訴えることでこの繋がりを確保することが必要であると考えているのかもしれない。

もっとも、本書で述べられていることの基調としては、こうした実践への貢献というよりも、理論経済学の研究も科学として正当なものであるということが前面に出ているため、そちらがメンガーが主たる理由として挙げている物であるが、そうであるがゆえに、それとは異色の指摘が目に留まったのでメモしてみた次第。

もちろん、メンガーのの訴えには、自らの研究とその追随者たちの勢力を拡大するという面もあるということは社会学的には注目すべきだろう。




本書はオーストリア学派の総帥であるカール・メンガーが方法論争Methodenstreitを提起した重要な文献である。

メンガーの問題意識は歴史学派が主流の経済学として存在する中で、歴史学派によって抽象により構成される理論が一面的であるとして退けられてしまっているために、理論経済学の成立が阻まれている状況を打破し、理論経済学にも経験的な個別的なものに対する認識と少なくとも同様の存在意義があることを主張する点にあったと思われる。このほか、上に引用した箇所では歴史的な研究は理論経済学に資料を提供する点で意義があり、理論経済学は実践的な経済政策論や財政学に予見を与えるという関係にあると見ており、現状の歴史学派が理論がいい加減になっているまま実践への主張を行っている点を批判している。

また、社会有機体説を批判して個人が自己利益を追求することから経済現象を説明することを守ろうとし、ここで行為の意図と結果の違い、予期せぬ結果について強調している(第三編)。第四編では理論経済学でも古典派経済学ではこの予期せぬ結果についての認識が欠けており、結果から意志をそのまま読み取って解釈を行う「実用主義」の観点が批判され、それによって古典派経済学をも批判する。また、歴史学派が方法を借用した歴史法学派と歴史学派では批判の対象が異なっており、全く別の考え方に立っているものであり、そこから歴史学派の方法の不当性を指摘しようとしている。

歴史法学派はフランス啓蒙思想の合理主義(理性主義)と(古典派経済学の)「実用主義」(意図と効果に対して無批判的であること)への批判として生じたとされるのに対し、歴史学派は政治学への思弁哲学からの影響を批判するため、政治学の実証性を確保する方法が歴史学に求められたこと(同時に、歴史学も政治的な志向を正当化するために利用された)から由来するとされる。歴史学派が拒否する「理論」は思弁哲学によるものであって、それによって理論経済学の可能性すら否定しかねない議論がなされるのは不当だということをメンガーは言いたいのだと思われる。


ウェーバーとの関係で言うと、方法論としてはほぼ理念型論と同じである。ウェーバーは現実から抽象されて成り立っている概念が一面的であるという点ではメンガーと変わらないが、それが認識の目的というより手段であるという性格を一層明確に打ち出しており、また、概念は実在するものでないという認識論的な立場をより明確に表明している点でメンガーよりも明確化している。メンガーは法則を認識の目的としている点などで、理論によって描かれるものが認識の目的であり、実際に存在するものであるかのように扱うところにやや不明瞭さがあると思われる。また、ウェーバーは抽象が一面化であることを受けて、対象選択の際の観点の選択について彼なりの仕方で言語化している点でメンガーより踏み込んでいる。すなわち、価値理念と価値観点、価値関係などの議論がこれである。

同じことを述べることになるが、本書を読むとウェーバーの理念型論はほぼメンガーの方法論と同じであり、それを継承したものであることが分かる。両者は方法論的個人主義や行為の意図と結果との区別(意図せざる結果)といった論点も共有しており、また、いずれの方法でも抽象を行うことから抽象する対象の選択が問題となり、そこから価値自由についての考察が必要となる。

より大きな思想的文脈について言うと、19世紀のドイツでは歴史主義が非常に流行していたことを感じる。他国よりも歴史主義の傾向が強いとすれば、その理由は当時成立しつつあったドイツという国民国家は小邦分立状態であったため、より一層統合のための神話を必要とし、そのために共通の歴史が求められたためではなかろうか。ヘーゲルやヘルダーなどの歴史哲学、マルクス、歴史学もランケが出ているし、当時の別の流行であるロマン主義も過去に範を求めることが多いがその点で同様だと言える。歴史学派や歴史法学派もこうした流れの中で派生してきた分派であると言えそうである。

これに対して精密自然科学である物理学や生物学、生理学、統計学等の台頭があり、これらに触発された自然科学的な理論も求められるようになってきた。これに対応する形で新古典派が生じてきた。メンガーも自然科学とのアナロジーで自らの理論経済学を語っている。

こうして見ると、方法論争は、ウォーラーステインの言う科学的普遍主義(新古典派)の台頭とオリエンタリズム(歴史学派)の没落であると見ることができる。



テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

ニーチェ 『ニーチェ全集8 悦ばしき知識』(その2)

 法律が物語るところのもの。―― 一民族の刑法を、それが当該民族の性格の表現であるかのように考えて研究するなら、大変な見誤りを犯すこととなる。法の物語るものは、一民族の本質ではなくて、むしろその民族にとっては疎ましく、風変わりで、怪奇で、異国風に思われるところのものである。(p.113)


民族にとって疎ましいものに対して刑罰を与えるというのは、民族という言葉を、「その法が支配し政党であると考えられている社会における社会通念」と置き換えれば、かなり妥当な線を突くことになると思われる。こうして「法律のあり方からその社会の通念を読み取り、さらに当該社会の状況を透かして見る」という作業に可能性があると考えることができる。

この可能性について、もう少し具体的に説明してみよう。

先日、クーリエ・ジャポンという私が愛読している雑誌(3月号)に連載されている森巣博のコラムで、2005年の国連総会で「日本には、人種差別や排外的な発言・行動を規制する法規がない」という報告がなされ、改善が求められたことを知った。もちろん、こうした不都合なことについては国内のメディアでは(ほとんど?)報道されていない。

そのコラムでは石原慎太郎など多くの政治家がレイシズム剥き出しの発言を公的な場で平然となしていることに対し、諸外国であれば「ウルトラ・レイシストとして、塀の内側でカンカン踊り(身体検査のため、素っ裸に剥がれ、両腕を頭の上に上げて脚をばたばたと踏むこと)をやっていなければならない」ようなものであることを指摘し、批判している。つまり、日本国憲法が施行され、それに基づく法律が適用・承認されている社会では、公的な場でレイシズムや排外主義などが跋扈しており、それを罰する規定がないが、その社会では、そうした言論が「疎ましく、風変わりで、怪奇で、異国風」であるとは思われていない、少なくともそうした傾向があると考えられる。

実際、石原慎太郎の「三国人」発言などに見られるレイシズム的な発言に対して、罰せられないだけでなく、世論の反発も小さかったことや、これに類する多くの発言と世論のそれへの反応を考えれば、これを支持する経験的な事実も既に多く存在すると言えるだろう。



 掛け算―― 一人というのはいつも誤謬である、ところが二人になると真理がはじまる。―― 一人では自分が証明できない、ところが二人になるやいなやもう反駁されえないものになる。(p.281)


真理は二人からはじまるというフレーズは、ヤスパースがニーチェを引いてよく使っているものである。ヤスパースの場合、彼の「交わり」の思想において、このフレーズが引用され、私も昔、影響を受けた部分がある。

ただ、ニーチェの言葉はやはり行き過ぎてしまう。「一人というのはいつも誤謬である」というのは言いすぎであろう。敢えてニーチェが使っているフレーズに乗っかって言えば、一人では自分が証明できないとしても、証明できないということは非存在を意味しない。

もっとも、ここで言う真理とは論理的、論証的なものというよりも、自分自身の存在意義ないし存在意義の実感といったことに関わる問題であろう。自分だけでは存在意義が感じられないという点については基本的には正しい。しかし、一人でいる時間、一人で何かをすること、一人で考えることなどが、無意味であるとは言えないとすれば、「いつも誤謬である」というのは言いすぎだとは言える。


テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

ニーチェ 『ニーチェ全集8 悦ばしき知識』(その1)

たとえばわれわれはみな、人間平等のに――平等そのものではないにしても――慣れっこになっている。自分自身を意のままにできないし閑暇も持っていない人間、――そういう者がわれわれの眼にはもう決して軽蔑すべきものとは映らない。(p.84、本文傍点部には下線を付した。以下同様。)


ニーチェがここで語っている文脈を離れて、このフレーズはある想念を喚起させた。

確かに、人間は平等であるべきだという説に私たちは慣れっこになっているが、平等は現実には存在しない。ニーチェはむしろこうした理念に胡散臭さを感じており、古典古代のギリシア的であると彼が想定するような価値序列を是としているように思われる。むしろ、そうした理念Ideeが観念なり言説なりの世界に存在することによって、現実の問題が感知され、認識されることになるのだから。

ただ、その説に「慣れっこになって」しまうことにも、確かに問題があるように思われる。なぜそうあるべきなのかということが問われなくなるからであり、そうした絶対化は如何にその理念が美しく崇高であり善であると感じられるとしても、暴力的な行為へと転化するものだからである。そして、そのようになった場合には、慣れっこになり無自覚である方が修正の余地が乏しいために、タチが悪いものになることが多いからである。



無私な者・犠牲的な者・有徳な者たちを称賛すること――要するに自分の力と理性の一切を自分の保持・発展・高揚・促進・権力拡大のために使わないで、自分に関しては慎ましく無思慮に、それどころかおそらく無頓着か皮肉に暮らしている者たちを、称賛すること、――こういう称賛は、どっちみち、無私の精神からおこったものではない!「隣人」というやつは無私を賞めたたえる、無私によって彼が利益を得るからだ!(p.88-89)


このことは私も昔考えたことがあり、同意見である。こうした「無私」を推奨するイデオロギーは宗教思想によく見られるものであり、90年代に流行したカルト宗教や自己啓発セミナーなどでも多用されている。したがって、過度に利他主義を推奨することは胡散臭いことと思われ、これを批判することには意味があると私も考える。

ただ、ニーチェの指摘は一面的であり、全く不十分である。なぜならば、ある人の無私の行為によって隣人が利益を得るのは確かだとしても、「無私の行為」をした人の利益にもなると経験的に言えそうだからである。ニーチェの一面的な指摘を鵜呑みにすれば、自分の利益を減らして他人に利益をあたえるかのようなゼロサム的な考えを想起させられることにより、あらゆる「無私」であるとされる行為は非難されるべきものになりかねない。

しかし、他人の利益を優先する行為は、ゼロサム的に自分の利益を減らすものであると一般化することはできないということを、ニーチェのように非難の調子で語る限り、読み手が瞬時に読み取ることは難しいであろうし、書き手もそのようには考えていないはずである。もし、そのように考えていれば、自分も隣人も一方的に利益を搾取するような関係ではないのであり、むしろ、いわゆる相互に利益を高めあう関係も想定されるのだから、非難の調子になるはずがないからである。

上記のように利益についてゼロサム的な想定してしまうことと「誰の利益を目的として行為するかということと、行為の結果が誰にどのような効果を及ぼすかは別のことであるということの区別がなされていないこと」、少なくとも、この2点でニーチェの論は不十分である。もちろん、利己主義と利他主義を巡る議論の中では、「利益」という概念が多義的であるために決して決着がつかない議論になることが多い――即ち、利己主義とか利他主義とかいう議論は、そもそも問題の建て方自体が間違っている――ということもあるが。


テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

イマニュエル・ウォーラーステイン 『ヨーロッパ的普遍主義 近代世界システムにおける構造的暴力と権力の修辞学』(その2)

 ゲームは以下のように展開する。生産物に対して十分な市場があるうちは、雇用者は、生産拠点を移動させず、組織の混乱を避けることを好み、必要とあらば、より高い報酬を求める労働者の要求に応じもする。同時にそれは、労働者の組織化をさらに進めることにもなる。しかし、ひとたび生産物に対して市場が狭くなってくると、雇用者側に、人件費を削減する切迫した同期が高まってくる。〔労働者の要求を〕抑圧することが戦術として失敗すれば、雇用者には、もっと人件費の低い地域へ、生産工程を移転させることを考える可能性が出てくる。
 雇用者は、低賃金労働を進んで受け入れる農村労働者がプールされているところであれば、どこであろうと、そのような生産拠点の移転先とすることができる。(p.114)


概ね1970年頃以降の資本移動と金融のグローバルな自由化はこうした中で進んできた。70年代以降経済が伸びたのはNIEsであった。冷戦があったために世界システムの中核にある資本は東側に流れ込むことができず、比較的良質で安価な労働力がある地域に資本が流入したためである。冷戦終結により、資本移動においても政治の壁が取り払われたため、特に90年代以降、東欧諸国やBRICsといった国々が急速に成長し始めた。ロシアは資源を売ることの効果が大きいだろうだろうし、99年以前は成長率も低いから、やや類型的には異なるかもしれないが、東欧や中国、インドなどはウォーラーステインの指摘は概ね当たっている。

ウォーラーステインの分析では、いつも生産と流通だけが分析の俎上に上り、金融が抜け落ちているのが欠点であるが、それでも大まかな流れは彼が描いているように見ることができるだろう。



 通常、大学は、中世ヨーロッパに発達した制度として語られる。これは話としてはよくできており、大学の儀式でガウンなぞを着て格好をつけたりするには結構なのだが、実際のところは、神話にすぎない。中世ヨーロッパの大学は、カトリック教会の聖職者機関であり、近代世界システムの始まりにおいて、本質的には消滅したものである。十六世紀から十八世紀にかけて、名目だけが生き延びていたにすぎない。というのも、この時期の大学では、ほとんど活動らしい活動も行われていなかったからである。当時の知の生産および再生産の中心的な場を、大学が占めていなかったのはまちがいない。大学の再出現と変容は、十九世紀の半ばから――その過程は十八世紀末から始まってはいたが――だといえよう。近代の大学が中世ヨーロッパの大学と異なるのは、近代の大学が、常勤有給の教授団を擁し、教育に関するなんらかの集権的な意思決定機構をそなえ、(大半が)全日制の学生が通う官僚組織であることである。(p.119-120)


やや割り切りすぎだが概ね妥当な認識である。

大学が19世紀に大きく変容したのは事実であり、私もある程度把握しているつもりだが、16~18世紀の大学について「ほとんど活動らしい活動も行われていなかった」と断しているのが面白い。19世紀以降の大学と比べると確かにこの時期の大学はそれほど活動しているわけではない。ただ、何も成果がないかのような書き方はやや行きすぎだろう。

例えば、ガリレオはパドヴァ大学で教授をしている頃に落体についての研究を行っているし、大学での教授職等に就いている時に業績を残していない人たちでも、若い時期には大学での教育を受けている。コペルニクス、ケプラー、ジョルダノ・ブルーノ、デカルト、フランシス・ベーコン、ニュートンなどいずれもそうである。いわゆる近代科学とは異なるアリストテレスの学説に基づく知識等ではあるが、それが無意味だったとは必ずしもいえない。


テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

イマニュエル・ウォーラーステイン 『ヨーロッパ的普遍主義 近代世界システムにおける構造的暴力と権力の修辞学』(その1)

大半の政府は、いわゆる現実主義的な国家間関係観に、その対外政策を基礎づけており、人権への関心を反映したといいうるような政府間行動はほとんどまったくとられていない。もっとも、宣言への違反だという訴えは、ある政府による別の政府に対する非難のプロパガンダとして、当たり前のように用いられてはきたが。
 政府間レベルにおいて人権問題への関心が実質的に不在であったために、いわゆる非政府組織(NGO)が多数現れて、その不在を埋めることになった。(p.40-41)


社会的に必要があるが政府がその要求を満たしえないところでこそ、NGOの活動の余地が生じる。

MSNエンカルタのNGOの項目によると、現在の日本で中核となって活動している幾つかのNGOが生まれたのは1960年代であり、その後、NGOの数は急速に増えていったが、とくに1980年前後、ベトナムのカンボジア侵攻によって大量に発生したカンボジア難民救済のために多くのNGOが誕生したという。

やはりここでも人道的な支援のために増えたことが読み取れる。こうした支援は権力を常に伴う政府が行うよりも、むしろNGOの方が適任であるというのが私の考えである。ただ、財政的な力がNGOには弱いため、NGOが政府を動かすことも重要だろうし、案件によっては財政力や権力を有する政府の方が適した任務もあるかもしれない。

もっとも、NGOが誕生しうるためには、そのための社会的な素地も必要であるということにはもう少し目を向ける必要があるように思われる。ウォーラーステインの叙述ではあたかも無から自生するかのような印象を受けてしまうからである。



彼の考えでは、ポストモダニストとは、知的分析の追求を、したがってまた政治的変革の追及を放棄した者たちであった。(p.94)


ポストモダニストが知的分析の追求を放棄した者であるという指摘は概ね妥当であろう。これは反知性主義などとも言われる傾向を言っているのであろう。

ポストモダニストは政治的変革の追求も放棄したとされている。これは要するに、ポストモダニストが現実の分析を行わず、新しい華やかな言葉を考え出すことにばかり精力を注いでこなかったため、現実世界における問題点とその解決策、解決の方向性などに真剣に取り組まなかったということであろう。



二項対立、特に普遍主義(それは、支配するものの側の諸要素に具現化されていると主張される)と個別主義(それは、ことごとく支配されているものの側に帰属せしめられている)のあいだの二項対立を実体化したのは、近代世界システムにほかならない。(p.103)


普遍主義と個別主義に支配と被支配との関係を読み取っているのは面白い。

社会科学の分野の中で経済学がより普遍主義的な傾向が強いのは、政府や権力者にとってそれだけ利用価値が大きかったということと関係があるように思われる。



 近代世界には、二つの競合する普遍主義の様式があった。オリエンタリズムは、そのひとつの様式――個別性を本質主義的にとらえる認識の様式――である。その起源は、ある種の人文主義にある。その普遍主義としての特質は、特定の〔一般的〕価値にあるのではなく、個別主義的本質の永遠不変性にあった。もうひとつの普遍主義の様式は、その反対である。すなわち科学的普遍主義がそれであるが、これはあらゆる時点において、あらゆる現象を支配する客観的法則の存在を主張するものである。(p.105-106)


オリエンタリズムの特徴づけとして非常に的を射ている。例えば、「国民性」なるものが存在すると前提して語られる議論は、オリエンタリズムの様態の一つである。

また、ウォーラーステインの本書における議論で興味深いのは、オリエンタリズムと科学的普遍主義を歴史の展開の中で以前は前者が優位にあったが、それが後者に取って代わられたとする議論である。その過程で「二つの文化」の棲み分けがなされていったとするが、これは大まかに見ると、よくできた図式であるように思われる。


テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

栃木県弁護士会 編 『生活保護法の解釈と実務』

 他方、生活保護制度においては、従来から補足性の原則や不正受給の防止等を理由として、過度の調査による負担を課したり、申請を回避させるなどの問題が指摘されていたところであるが、平成12年(2000年)5月の「社会福祉の増進のための社会福祉事業法等の一部を改正する等の法律案」に係る附帯決議などで生活保護制度の検討や見直しが必要とされ、平成15年(2003年)8月に厚生労働省の社会保障審議会福祉部会に「生活保護制度の在り方に関する専門委員会」が設置された。(p.8)


一応このあたりが、現在の制度改正(老齢加算の廃止や母子加算の廃止など)の動きが具体化し始めた時点であるといえるらしい。

もちろん、基本的な趨勢として捉えるならば、80年代頃の第二臨調や第三次行革審などの時代にまで遡れるのだろうが。具体的な生活保護制度との兼ね合いについてはまだ踏み込んで調べていない。



 しかしながら、生活保護基準は、人間に値する生活を保障する極めて重要な基準である。平成19年(2007年)11月28日に可決成立した改正最低賃金法は、「生活保護との整合性に配慮する」ことを銘記して最低賃金引き上げに道を開いたが、生活保護基準が下がれば、最低賃金の引き上げ目標額も下がることとなる。また、生活保護基準は、地方税の非課税基準、介護保険の保険料・利用料や障害者自立支援法による利用料の減額基準、公立高校の授業料免除基準、就学援助の給付対象基準、さらに、自治体によっては国民健康保険料の減免基準など、医療・福祉・教育・税制などの多様な施策の適用基準にも連動している。したがって、生活保護基準の引下げは、現に生活保護を利用している人の生活レベルを低下させるだけでなく、所得の少ない市民の生活全体にも大きな影響を与えることは明らかである。(p.9)


生活保護基準が他の制度とリンクしていることについては当然の指摘と言えばそれまでだが、議論の展開の仕方として、どの制度のどの部分と関連するかを個別に列挙すると説得力が増す。

今のところ、老齢加算や母子加算などの漸次的縮小、廃止はあったものの、大幅な基準引き下げは行なわれていない。むしろ、生活保護基準以上に低所得層の所得水準の下がり方の方が激しいのが現状である。日本の生活保護制度には一度受給してしまうとなかなかそこから脱け出すことが難しい構造があり、こういう状況では生活保護制度を充実させること以上に、生活保護を受給せずに済むための体制が重要であるように思う。

制度から立ち直りやすくする方法は、制度を分野ごとに分立させることである。制度を利用しなくて済むようにするためには、それ以前の雇用・労働法制を整備し、社会保障を充実させることである。いずれも破壊が進められてきたものであることが、こうした時期になって社会に大きなダメージを与えることになるのである。



現行の水準均衡方式により算定される保障基準は、一般勤労世帯の消費水準の67パーセントを目安として決められているが、それが客観的に「健康で文化的な最低限度の生活」又は「健康で文化的な生活水準」を満たすものであるか否かの検証はされていない。(p.19)


確かにその通りである。

ただ、そうしたことの厳密な検証は事実上不可能であろう。「健康で文化的」という概念が一義的に測定不可能な概念であることがその一つの理由であるが、仮にそれをある指標によって代表させることにし、そのように代表させることに正当性を認めた場合でも、検証するためには受給者個別の生活状況を具体的に把握しなければならないため、実際に調査すること自体が難しいからである。

そして、具体的な個別事例の状況を把握できる場合には、具体的に把握すればするほど、最初に述べた概念の曖昧さが問題を難しくしていくことであろう。

こうしたことを検証しようとする姿勢は重要なものではあるが、厳密さを求めると実現不可能な問題であるから、かなり緩やかな基準によって大まかに測るしかない。その際、すべての人が最低限度を満たす「客観的な基準」を設けてしまうと、多くの人にとっては「過支給」となる。いずれにしても問題はなくならない難問である。ある意味、この問題に拘泥して保護基準の適正さを問うよりは、生活保護制度以外の「過度に保険主義に陥っている制度設計」を見直すほうが重要であると私には思われる。



テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

『セザンヌ主義 父と呼ばれる画家への礼賛』

 セザンヌが目指していたのは、「サンサシオン」に基づく静物画であった。フランス語で「感覚」を意味する「サンサシオン」とは、セザンヌ的な解釈をすれば、「科学的な理念にとらわれない視覚の感覚」ともいうべきものだ。たとえば私たちは、りんごを見る時、無意識的にではあるが、その裏側や、まわりこんだ部分がどうなっているかを知った上で対象を眺める。それは写真とは決定的に違った視覚なのだが、こうした「サンサシオン」に基づくと、モチーフはおのずと様々な視点から描かれることになり、それを画面にいかにバランスよく描くか、ということがセザンヌの課題であった。(p.35)


以上のような多視点からの描出が後のキュビスムに繋がったことは論を俟たないが、セザンヌがこうした「サンサシオン」に基づく認知のあり方を捉えていたことは、私にはベルクソンの認識論や20世紀初頭から前半のドイツなどで現象学が興ってきたこと、また、心理学の領域でもゲシュタルト心理学の登場などと並行しているように思われる。

セザンヌが試行錯誤していた時期はこれらの思想が流行するよりは少し前の時期に属するが、セザンヌの業績が認められ始めた時期は、これらの思想潮流の流行時期とほぼ合致しているように思われる点も興味を惹かれるところである。



テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌