アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
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「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

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奥野寛之 『読書は1冊のノートにまとめなさい』

 それに加えて、「探書リスト」をつけていると、次第に自分の本当のニーズがわかるようになります。(p.51、本文ゴシック体の部分は下線を付した。以下同様)


数ある読書論のうちで本書に特徴的な点の一つは、本を選ぶ段階からコミットしていること。読まなくてよい本を選ばないようにし、自分が本当に読みたい本を目的意識を持って主体的に選ぶということが本書の方法論では重視されている。

こうした考え方は参考になったところである。

ちなみに、余談に近いが、本書が推奨する「ねぎま式読書ノート」のとり方は、まさにこのブログで私がやっているのと同じことであり、ちょっと面白かった。引用文とそれに対するコメントを羅列していく形で自分がした読書を記録していく。ただ、アナログなノートへの手書きとウェブ上へのアップでは微妙に違う点がある。

手で書くことによって記憶に定着しやすくなるというのはその通りかもしれない。キーボードでの入力は手書きと比べると記憶に残らないだろう。ただ、検索や他者の反応が得られる(ことがある)という点ではブログの方が優れている。本書の読書法から私もある程度の部分を取り入れてみようと思っているが、読書ノートをどうするかは微妙な位置づけだ。ノートに書きながらブログも続けるとなると、労力が2倍になってしまうからだ。テーマやないように応じて使い分けると「ポケット一つ原則」に違反してしまう。

読書ノートには本書の推奨する方式で作成し、ある程度の良質な本については、ブログで書評を書くという方法もあるかもしれない。そうなればこのブログの位置付けは少し変わることになるだろう。今のところこのブログは、私の単なる個人的なメモにすぎず、読者については全くというほど意識していないが、もう少し読者向けの記事を書く訓練の場として活用することもありうる。

まぁ、まずは読書法の再構築をして――これはライフスタイルがここ1年ほどで結構変わったことを受けた措置である――その中でこのブログの使い方も再考していこうと思う。



 その場の思考は沸騰したお湯の泡みたいなもので、再現性がありません。でも走り書き程度でも、一応メモしておけば、何もメモしないのとは大違いなのですね。メモがあれば、どんな小さいことでもそこから思考を広げて展開することができるのです。(p.67)


だから、常にメモできる環境を作ることが重要・必要ということ。



 書評を見て本が欲しくなったら、「探書リスト」にタイトルを書いておくと同時に、ノートに書評も切り抜いて貼り付けておきます。
 ・・・(中略)・・・。こうすれば、自分の考えと比較することによって、本の内容を多角的に見ることができるのです。
 それに、購入前に読んだ書評をもう一度読むことで、「この人のすすめる本はこれからもチェックしておこう」と決めたり、「この書評家はぜんぜん自分と合わない」とわかったりする。これは意外と大きな収穫です。今後の本選びにも活かすことができるでしょう。(p.69)


私の場合は、書評を読んで本を読んでみたくなる、ということはまずないのだが、書評でなくともきっかけになったものを読書ノートに関連付けるという発想は、確かに参考にはなりそうだ。



 つまり、情報がいくらあっても、それが組み合わされなければ、アイデアは発生しない。アイデアは情報と情報をつなぐ補助線をどれだけ引けるかにかかっているのです。
 その組み合わせる情報自体は、誰でもアクセスできるような普通のものです。というより「既存のもの」でないと、誰も理解できない(p.151)


確かに、組み合わせる元となるものが「既存のもの」、より正確には多くの人に知られているもの、常識になっているようなものの組み合わせでなければ、組み合わせた後の考えは理解されないものだ。

専門性が高い知見が、その基礎となる専門知識にアクセスできない人には理解できないのはこのためである。



 できるだけ旅行先の書店にも足を運び、実際に観光地を目にした感動が冷めないうちに、その土地に関連した本を購入する。そうすると、夢中になって読むことができます。(p.169-170)


これは国内旅行が想定されているように思われる。海外にばかり行っていたので、こうした手法はたまにしか採用しなかったが、海外の場合は、帰国後すぐに購入するという手である程度代用できるかもしれない。

(外国で購入しても語学に堪能でないとなかなか読まない。例えば、私はドイツに行ったときWeberやJaspersの論文などを結構買ったが、それ自体を読了したことはない。あくまで邦訳を読む時に「この訳語の原語は何だろう?」といった疑問が生じた場合の参考資料として使っている程度である…。)

いずれにしても、体験による感動が冷めないうちに、それと関連性の高い本を買って読めば、面白く読めるというのは正しいアドバイスであるように思われ、参考になる。

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テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

アンリ・フォシヨン 『かたちの生命』(その2)

文化的中心から離れた場所にあっては、民衆藝術は旧来のあり方を守り、時の流れを止め、歴史以前の古い語彙を失わない。・・・(中略)・・・。すなわち当時、複雑にして壮大、そして陰影に満ちた大聖堂が、あるひとつの民族〔ゲルマン民族を指す〕を決定的に表現するものとされていた。ところがその民族とは、ゴシックを遅れて知ったのであり、それをぎこちなく模倣したのである。人はゴシックの大聖堂に、森の精を、そして信仰の熱情と結びついた難解な自然主義を見て取ったものだ。こうした考えは、いまだに完全には消え去っていない。各世代が束の間の生命を与えるので、このようなゴシック観は、伝説という色合いを歴史に加える集合的な神話が持つのと同じ、周期性を備えているのである。われわれが進めてゆこうとしているかたちの観察こそは、この借り物に基づく詩学を、本末転倒の綱領を打ち倒す。そして、それらにとっての完膚なきまでの反証を突きつけるような、実証可能な論理を明るみに出すのである。(p.168-169)


前段の文化的中心から離れた場所でこそ旧来のあり方が守られるという説は、しばしば語られるものだが、かなり有効な図式であると思う。例えば、日本語の漢字の読み方に唐代の中国の漢字の読み方が現代の中国語よりもよく残っているというのを漢詩の解説書を読む中で読んだことがあるが、それもこうした文化的伝承のパターンと合致している。

また、19世紀のゴシックリバイバルの頃、ゴシックがゲルマン民族の精神を表わすものと考えられ、それとの関連で「森の精」を見るという見方がなされたというのも興味深い。というのは、現代日本の容易に手に入るゴシック入門書の中で日本の著者(政治的には右翼的であり保守的な傾向の人らしい)が、確か、これと同様の見解を述べていたという記憶があるからである(酒井健『ゴシックとは何か』)。日本のナショナリストがゴシック建築を媒介として19世紀の国民国家形成期のナショナリズムに共鳴しているのをそこに見いだすことができるわけだが、そうした見方に対してフォシヨンはかなり強い姿勢で批判しようとしていることが見て取れる。

本書の解説で知ったことだが、フォシヨンは政治的な問題にもコミットしてきた人で、あえてアメリカ的な対立図式(ナショナリズム対コスモポリタニズム)で言えば、コスモポリタニズムに近い立場だったらしい。そのような知識を持って見直すと、フォシヨンの「かたち」を重視する方法論にはある種の普遍主義が息づいていることがよく見えてくるし、それが民族主義的な見解を批判しようとするのはもっともだと思える。

こうしたことに気づくと、フォシヨンの方法論についてもう少し学んでみたいという気になってきた。



英国のゴシックは、長らくノルマンディー藝術の量塊の概念に忠実であった。ところが一方、曲線の発展においては、イギリス・ゴシックはすみやかに先回りしているのであり、こうしてこの建築は、ある同じ時点において、先進的であると同時に保守的でもあるのである。
 同様のことは、ドイツ建築の緩慢な発展についても指摘することができる。フランスで一世紀半にわたって、ロマネスク藝術のアルカイックな形体から、ゴシック藝術の完成された形体に至る数々の試行が続いていた頃、一方ではオットー朝の藝術が、相変わらずカロリング朝の藝術から脱け出しておらず、他方ではライン川流域のロマネスク藝術が浸透を続けているのである。そしてこのロマネスク美術は、交差リブを受け入れたときでさえ、自らの特質を保持しているのである。
 この場合に発展を遅らせるブレーキとして働いているのは、一民族、一国民の天分ではない。ブレーキをかけたのは、先例が持つ重みである。それは政治的伝統と結びついており、そしてこの伝統もまた、近代ドイツの体制を築いた人々によって異教の、つまり先史時代のゲルマニアに押しつけられたかたちであった(p.172-173)


「先例が持つ重み」という概念は大変興味深く、利用価値があるように思われる。

ここでのフォシヨンの叙述は単線的発展段階論を前提にしているような向きがあり、必ずしも適切ではない書き方の部分もあるが、変化の様子はよく見て取れる。伝播のルートの通りやすさや職人組織の影響範囲など、流通性の程度が様式の展開を説明する上ではかなり重要だと思われるが、それだけでなく、「先例が持つ重み」という概念を設定することによって、文化や政治や宗教の影響をそこに見て取りやすくなり、また、それらの実証しにくい影響関係を具体化する際の「観念的足がかり」にできそうである。つまり、流通史観の平板化を避ける際に、補助的な概念として導入できそうだ、ということ。

もちろん、こうした概念を主体においてしまうと、実証性のない観念的な(精神論のような)歴史叙述(右翼や「保守的」な思想の人々がよく口走るような)が現れることになるので私は採用しない。



「手を讃えて」より。

 木を切り、金属を打ち、土を捏ね、石塊を削る藝術家は、人類の過去を、つまりそれなくしては今日のわれわれも存在しない、古代人たることを受け継いでいるのである。この機械時代に生きるわれわれのただ中に、手に生きた時代の疲れを知らぬ生き残りがすっくと立っているのを見るのは、なんと素晴らしいことだろう。(p.210)


この件やそのすぐ前に展開される道具論など、手仕事を讃えるフォシヨンの議論を読んで、即座に私の念頭に浮かんだのはハイデガーであった。

概ね同時代人のこの二人に見られるこの共通したテーマと価値観は、20世紀半ば頃の「機械時代」への批判・不満というZeitgeistを背景にしているのではなかろうか。こうした批判や不満は、60年代以前まである程度の勢いがあったマルクス主義の「人間疎外」の概念やそれへの対抗勢力として存在した実存主義の流行といったこととも深く関わっているように思われる。(ちなみに、解説を見てみると、解説者はフォシヨンのこうした言説について、メルロ・ポンティとの類似性を見て取っているようである。)



「石の言葉」より。

 人間の手が触れたものはすべて、彼の暖かみ、その命の何がしかを受け取る。人間の仕事の結果たるものはみな、精神となる。都市における聖堂や城、宮殿、住居、そしてその向こう、野原と川の合間に赤褐色の毛並みを見せてうずくまっている動物のように見える風車。これらは過去の証人であると同時に、不滅の生者でもある。(p.239)


詩的な表現だが、言われてみれば確かに実感としてそのように感じられることがある。フォシヨンの「かたち」の概念が物質と精神の間であったことを思えば、作品は単なる物質ではなく、精神性を帯びているのであり、そのことをより端的に示したものとみることができる。

例えば、旅行などで歴史的な遺跡などを訪ねようとする人々は、こうした「精神」を感じようとして訪ねている人が多いのではなかろうか。歴史にロマンを見いだしているような人々はこうした傾向があるように思われる。

私はあまりロマンを抱いて遺跡を見に行くことはない。しかし、建築については、単に観察するのではなく「体感すること」が重要だと私は考えており、それはある意味では、こうした作者の精神との交流なのかもしれない。


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アンリ・フォシヨン 『かたちの生命』(その1)

(前略)・・・、ロマン主義的バロックが中世藝術のうちに慈しんだもの、それはフランボワイヤン様式、すなわちゴシックにおけるバロック的形体だったのである。(p.50-51)


フラインボワイヤン様式を「ゴシックにおけるバロック的形体」と呼ぶのはかなり的確な表現だと感じられる。装飾的で曲線的な形体。



 それは、もし比例というものが量塊の決定に必要だとしても、それで十分ではないということである。一個の量塊は、付加的な部分や開口部、そして効果を程度の差はあれ持っている。きわめて簡素な壁体に還元されるとき、それは厳とした安定性を獲得し、基礎に強く荷重をかけ、そしてわれわれの目には中身の詰まった固体として現れる。光はそれを均一に、一挙に照らす。反対に、複雑な光は壁体を揺るがし危うくする。また、純粋に装飾的なかたちの複雑さは、壁体の平滑さを乱し、ぐらつかせる。この場合、光は散乱せずに壁体に当たることがない。この絶え間ない変化において、建築は身動きし、揺らめき、解体する。建築物の切れ目なく続く完全な全体にのしかかる空間は、その建築と同様に不動である。量塊に穿たれた開口部に侵入してゆき、そうした奥行きが増大するに任せる空間は、動的な空間である。その例は、フランボワイヤン藝術〔図⑭〕やバロック藝術に見るがよい。そこでは動的な建築が風と焔と光の性質を帯び、流体と化した空間の中で身をよじる。カロリング朝の美術において、あるいはロマネスク美術でも、確たる量塊からなる建築は、塊としての〔マッシフな〕空間を形成する。(p.68-69)


表現に厳密さを求めるとこの記述には多少の問題がある。しかし、詩的な表現ではあるものの、指示内容は明確に見てとることができる。すなわち、こうした「動的な空間」は客観的な対象・素材自体が動くのではなく、それを見るものとの関わりの中で、見る者の感覚を動かすのである。

私の場合、建築を鑑賞する際の最大のポイントはその建築を「体感すること」であると考える。その重要性はこうした「動的な空間」のような形での建築からの働きかけに対して敏感になることによって、こうした動きを楽しむことができるからであり、そうした心がけないし姿勢を持って建築と接する経験を重ねることによって、自分自身の感覚が研ぎ澄まされていくからである。



もしかたちの生命の活動、明快な構造の執拗な定式化、新たな空間創造への意欲がなければ、これらの身廊の驚くべき高さをあえて要求したものはなかっただろう。光はそこで、生気のない材料としてではなく、生命の一要素として取り扱われており、事物の変貌の過程に参画し、それを手助けしうるものとされている。光は単に建築内部の量塊を照らし出すのではなく、建築と協力して、それにかたちを与える。光は、それ自体がかたちである。なぜなら決められた箇所から湧き出したこれらの光の束は、縮減され、か細くなり、また張り詰めた光となるが、それは程度の差はあれまとまりを持った、フィレ〔円柱などに彫られた溝の間の平坦な部分〕で隅取られていたりいなかったりする内部構造の諸部分を、穏やかに見せたり活発にしたりするために照らすのだから〔図⑮〕。光はかたちである。(p.72)


ゴシック様式の教会堂の身廊を例にとって、「光は、それ自体がかたちである」ということについて述べた箇所。

フォシヨンにおける「かたち」は、日常言語で使われる「形」という語が示すものとは異なる指示対象を示している。それは単なる外部の限界をなすものではない。そのことは、フォシヨンが「藝術作品とは空間に手を加えること、つまりかたちであり」(p.9)と述べており、こうした発言が本書の中でも繰り返されていることからも明らかである。客体としての物質だけでなく、それに主体として働きかける人間の制作行為、認識における人間の主観の側における働きかけ(ないしリアクション)といったものと客観的な形体との接するところにある、精神と物質の中間とでもいうべきものとして「かたち」は設定されている。(ただ、フォシヨンの捉え方は主観と客観という図式を引きずりすぎているために、私自身の考え方の中に「かたち」を正確に位置付けることは難しい。)

それを踏まえたうえで、「光は、それ自体がかたちである」というのは名言である。光はそのエネルギー(物質)として存在しながら、それが「光」である以上は主観によって認識されている。その意味で、フォシヨンの言う「かたち」と確かに共通であり、また、視覚認識の作用は光なしにはありえないことを考えるとまさに的を射ているとも言える。



その規則とは、藝術作品の素材とは交換不能だということであり、つまりはかたちというものが、ある素材から他のそれへと移し替えられることによって、変容をこうむるということである。となると、この点がある技術の他への影響という問題の過大視を批判しつつ、ロマネスク時代における大規模彫刻と工藝美術の関連を取り上げるとき、われわれに示唆を与えてくれた。壁面を装飾しようとする藝術家によって写された象牙細工やミニアチュールは、別な世界に入っていくのであり、その世界の法則に従わねばならない。・・・(中略)・・・。こうした考察は、さらに拡大することができるのだが、このように考えることによって、唯一無二の存在としての藝術作品という定義が可能になる。(p.109-110、本文傍点部は下線を付した。)


芸術作品における素材の重要性についてのフォシヨンの説は興味深かった点の一つ。私自身の芸術作品、特に建築物を鑑賞してきた体験とも合致することが多い。



一個の立体が、大理石でできているか、ブロンズか、それとも木材なのかによって、あるいはそれが、デトランプで描かれているのか油彩なのか、ビュランで彫られているのかリトグラフかによって違うことがありうるというのは、不思議ではなかろうか。(p.112)


前の引用文と同じことが繰り返されている。

この件から想起されたのは、私が初めてゴシックの教会堂(ロンドンのウェストミンスター修道院)を目にした際に衝撃を受けたことである。石(大理石?)という素材であることが、ファサードから受ける印象を強いものにしていた。あれがコンクリートであったら印象は全く違っていたことだろうと思う。


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シルヴィア・ボルゲージ 『セザンヌ 光の体現者』

1871年1月5日、プロイセン軍はパリ砲撃を開始し、首都の状況は一挙に緊張の度を加えた。食料の備蓄は底を尽き、飢えと伝染病がパリ中を覆った。マネは妻に宛てた手紙の中で、食料が欠乏し、彼らは猫、ねずみ、犬を食べ、運の良いほんの少数の者だけが馬肉にありついている有様だと書いている。その間、ロンドンではモネとピサロは頻繁に会っていたが、イギリスの絵画、とりわけJ.M.W.ターナーとジョン・コンスタブルの作品は、彼らの芸術に重要な影響をもたらした。(p.48)


1870年からの普仏戦争により、モネやピサロはイギリスに逃亡し、彼の地で新しい影響を受けることとなった。セザンヌは南仏のレスタックに避難し、その地の自然と地中海の光を発見した。戦争は社会に大きな変化をもたらすが、絵画の世界にもそれは波及していることがわかる。



 セザンヌはなぜいつも肖像画、静物画、風景画という同じ主題に戻るのであろうか?おそらくこれらの主題そのものがとくに問題の核心なのではなく、むしろ、自然の単純な模倣から逃れたいからなのだと思われる。セザンヌの目指したものは内的なヴィジョン、「純粋なる」絵画だった。芸術が徐々に概念的なものへと変貌していったのは、多くの点でセザンヌに負うところが大きい。(p.78)


写実的な絵画の手法はかなりの程度開発され尽くし、写真や映画が登場し始めた時代である。

帝国主義的な資源獲得競争とそれの原動力となっている金融資本の強大化があり、金融資本の強大化により投機的なマネーが増大しつつあった時代である。そして、絵画にも投機的なマネーが投入されはじめ(美術蒐集家が登場し、有力な画商が台頭し――現代の金融危機が始まる直前の絵画オークションの盛況を想起されたい!)、絵が売り物となるためにも「何か新しいものsomething new」が求められていた時代である。

こうした背景もまた「概念的な芸術」の登場を促したように私には思われる。


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ミシェル・オーグ 『セザンヌ 孤高の先駆者』

一時期彼の仲間であったルノワールが、伝記的事実の究明を別にすればほとんど批評的議論の対象とならなかったのとは対照的である。そのことはまた、ルノワールが広く誰にでも親しまれる人気画家である一方、セザンヌがしばしば「わかりにくい」と言われることと無縁ではない。(p.1)


高階秀爾氏による序文より。

確かに、分かりにくいものほど、批評や議論の対象になりやすいという側面はあるかもしれない。あルノワールは非常にストレートに感覚的に訴えてくるので、多くの人にとって受け容れやすく、容易に受け入れられるがゆえに面倒な議論の俎上に載せる必要も生じにくい。セザンヌは感覚に何かが訴えるのだが、それを素直に受け取るだけでは足りない感じを抱かせる。そこに批評する余地が生じやすいように思われる。



 セザンヌは印象主義を超越したが、それは印象主義の否定ではなかった。彼は、特に戸外での制作と着色した影という点で、印象主義の技法を終生忠実に守った。物体の色彩が――りんごでも山でも――それを照らす光に応じて変化するということ(印象主義の重要な発見のひとつ)は、1880年以降も彼の油彩、水彩画の制作の基本であり、その表現はますます頻繁に用いられた。一方、印象派に属していた頃から、セザンヌは形の感覚を大事にしていた。彼の作品、特に風景画はいつも構成がていねいだった。(p.68)


この「形の感覚」を大事にし、丁寧な構成を行っているところにセザンヌが批評や議論しなければ理解しにくい要素があるように思われる。

ただ、同時に、セザンヌが印象主義を否定していたとは言えないという指摘もまた興味深い。



次世代の画家たちは、セザンヌのおかげで地中海の光を発見した。セザンヌ以前の画家たちがなじんでいたのはノルマンディーの海岸だった。セザンヌはモネやルノワールをレスタックに招いたし、ブラックやデュフィが「セザンヌ風」の絵を描いたのもレスタックにおいてだった。(p.83)


画家の生涯や業績などを描いていくと、こうした個人史的な事実に注目しがちであるし、それは正当な事なのであるが、私としては、それだけではなく地中海が注目されるようになったことの社会的な背景も気になるところである。

つまり、フランスがアフリカに植民地を広げていったことなども、間接的な背景として関係があるように感じられる。普仏戦争(1870-1871)以降、20世紀始めまでにフランスはアフリカ北部、西部、中部に次第に植民地を拡大していった(アフリカ横断政策)。これはセザンヌや印象派、ポスト印象派(ゴーギャンなど!)が認知されていった時代と重なっている。

ノルマンディーの暗い海と地中海の明るい光から南方に憧れを抱くことと、フランスの南に広がるアフリカ植民地を手に入れることの魅惑とがどこかが交錯していたと想像するのは、それほど外れたことではないような気がするのである。(直接的な因果関係ではなく、人々の間に共有されたイメージを媒介としてこれらが受容されやすくなるということ。)


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NHKスペシャル取材班 『激流中国』(その2)

 私たちが取材した他のニュータウンでも、居民委員会と所有者委員会が対立、その結果、居民委員会が主導して別の所有者委員会が立ち上げられたところがあった。この両者の対立を防ぐことはできないのだろうか。
 「結局は、一方が他方に屈服することになるのが中国の実情だ」と舒可心さんは言う。
 「二つの委員会の衝突が表面上は見えないニュータウンも多い。しかしそういうところは、だいたい所有者委員会が金銭を居民委員会に貢いでいたり、所有者委員会が居民委員会のしもべとなって言うことを聞いたりしている。中国では、二つの同じような組織が対等な関係にあるのは極めて難しい」
 共産党の指導に基づく旧来の組織と、住民自らが立ち上げた新たな組織。社会主義を堅持しつつ市場経済化を推し進める中国が、目覚めた市民の意識の高まりをどうコントロールしていくのか――中国は難しい問題に直面している。(p.127)


この文章のすぐ後では、所有者委員会が選挙により新しい委員を選出した後、居民委員会がそれを承認せず、委員への誹謗をニュータウンの入口にある居民委員会の掲示板に書き込んだことにより勝利したことが述べられる。

取材班はそれを目の当たりにして次のように述べている。

 取材をしながらこのとき頭に思い浮かんだのは、かつて中国全土を大混乱に陥れた文化大革命のことだった。政敵を壁新聞で批判し、世論に火を付け、大衆行動で追い落とす――。歴史でしか知らない40年前の亡霊がまるで目の前に立ち現れたかのように感じられた。(p.129-130)


このようなやり方が通用してしまう要因の一つは、人々の教育水準が低いこともあるだろう。中国の場合、最近は大学進学率も上がってきているが、50代以上の人であれば十分な教育を受けていない人が多いのではないだろうか。そうした人々にとっては権力者の側から発せられる誹謗に対して批判的であるよりは、それに乗っかった方が安全であると感じられるが故に無批判的に振舞うであろう。もう少しだけ知的な程度が高くなれば、判断を保留するなどの抑制的な態度もとりやすいと思われるが。そして、話し合い自体も行ないやすい環境ないし雰囲気が醸成されてくると思われる。そうした意味では、あと30年後にはこうした壁新聞による誹謗という手法はだんだん通用しなくなってくるだろうとも言える。

ただ、こうした理由による説明よりは、(上の説明でも少し触れたことだが)居民委員会が実質的に政府の末端機関であり、個々人がそれに敵対するか従順でいるかという選択の問題が基本にあると見るべきであろう。

権威主義的で専制的な統治が行われてきた中国では、行政側に市民と話し合って問題を解決するというノウハウの蓄積が少なく、基本的に力で押さえつけるという手法が染み付いている。やや極端に言えば、そうした方法以外の方法を知らない。こうして力による統治が行われるから、市民の側が政府側と対等の関係であることは難しく、一方が他方に服従するまで闘争が続くことになるのであろう。問題の根は極めて深いといわざるを得ない。



 「私たちはリストラを経験しました。だからこそ、この子には良い大学に入り、安定した仕事についてほしいと思っています。中国では一人っ子ですから、この子が成功すれば百パーセント成功、失敗すれば百パーセント失敗。成功すれば社会の人材、失敗すれば家庭の負担なのです。そして、子供をサポートする親も試されています。そういう意味では、妊娠したときから競争は始まるのです」(p.161)


中国では受験の競争が激しさを増しているようだが、この引用文は親の側から子供に期待をかける動機が良くわかる一節であった。

親が生きる社会の競争の激しさが子供たちの教育現場にもそのまま持ち込まれていると言えよう。親が生きる社会の競争が激しいのは、労働力に余剰がある中国に世界中から投資が集まってきており、投資家が(経営者を中継してではあるが)安価でそれなりに良質な労働力を選別しようとするからであろう。

グローバルな金融自由化が中国の受験競争の過熱の背景にあるのである。

ちなみに、中国の経済というと何かというと「改革開放」と言われるが、この政策は71年のニクソンショック(ドルと金との交換停止を宣言し、ブレトン・ウッズ体制の終了と変動為替相場制突入を宣言したこと)などグローバルな金融自由化への道を世界経済が歩み始めたことを受けて導入されたものにすぎないと見ることができる。つまり、78年の改革開放は71年のニクソンショックの余波にすぎないのである。



 国が推し進めている都市の急激な成長、それによって一気に拡大する豊かさ。その状況下で水不足に対する北京市民の無関心や企業の浪費は、一朝一夕には改善されそうもない。
 しかし、水という資源が限られたものであり、水不足に苦しむ地方の人々がいてこそ、都市の豊かさが成り立っていることは紛れもない事実なのだ。(p.211-212)


これは水資源についての取材のまとめの発言であるが、水に限らず、北京や都市部の豊かさは全体として貧しい地方の苦しみの上に成り立っている。

例えば、地方の教育のない住民達が安価な労働力を提供し続けているからこそ、中国は投資を呼び込むことができるのであり――ちなみに、超富裕層の原因はここにあると思われる――そのおかげで製品や部品を生産し輸出でき、それによって都市住民たちが経済的に潤っているのである。強権的で専制的な政治行政の体制の下では保守的な――すなわち強者の利益を保護(保守)する――政策が行われることになるので、相対的な弱者ほど不利益を被りやすい。

したがって、中国の場合、居住地域による有利さの度合いが大きく異なることと、強権的専制的支配の組み合わせがあるため、こうした「都市による地方(農村)の搾取」は例えばヨーロッパ諸国などと比較して、より顕著であろうと思われる。付け加えると、日本にもこうした構図は存在する。



 内陸でも都市でも、そこに見えてこないのは、環境破壊によって実際に被害を受ける住民たちへの、本物の慮りだ。(p.231)


これこそ、上で私が書いた「保守的」なスタンスを示している。なお、中国はしばしば人権の状況を取り上げられて欧米から批判されるが、それもまた「保守的」だからである。



 共産党の取材に少々緊張していた私たちだが、最初の二、三日間、彼の業務を見るうちに、リラックスしていった。彼の日常業務があまりにもシンプルで、わかりやすかったからだ。
 地方幹部の優先任務は、お金を集めること。あたかも共産党という「企業」の利益を増やすことが至上命題のようだった。象徴的なのは、共産党委員会ビルのロビーにある「投資誘致ノルマ表」だ。日本でいうと役場の建設部や商工部ごとに、資金集めのノルマと達成率が掲示されているようなものだ。
 2007年、望花区全体では18億元、日本円でおよそ270億円のノルマが上部組織の撫順市共産党委員会から与えられている。その達成のため、部下たちがセールスを繰り広げ、国の資産である国有企業や土地の使用権を「売却」し、民間や外国からの資本流入を促すのだ。
 これは改革開放政策が編み出した「社会主義市場経済」の手法だ。
(p.256)


中国の場合、政治権力と経済権力との密着の度合いが非常に高いと私は見ているが、そのことを示すエピソードの一つだと言える。

党・政府はこうやって資本を集め、産業活動を地域で行なわせ、地域の経済を活性化させて税収を上げ、また、産業活動への規制や取締りなどを恣意的に行うことで賄賂を受け取る。



 孫書記はじめ望花区委員会の幹部たちは一様に満足げだったが、その身銭を切る姿に、私たちは“違和感”を感じていた。一党独裁体制を敷く共産党の権限、権威が、なぜ地方ではこれほど極小化しているのか。
 小平以降の指導者のカリスマ性のなさ、後を絶たない汚職事件など、この疑問には様々な答えがあるだろう。しかし、厳然たる貧富の格差を前に求心力は低下し、イデオロギーではない、経済の果実、つまり金で庶民の支持を取り付けるしかないのが共産党の現実なのだろう。(p.260)


住宅からの立ち退きをさせるために、共産党委員会で募金を募り、その金を使って立ち退きを納得させたことについてのまとめ。

「一党独裁体制を敷く共産党の権限、権威が、なぜ地方ではこれほど極小化しているのか」という問いは大変興味深く、現代中国のあり方を考える上で示唆に富む問いである。

私としては、これは共産党の権力が極小化しているわけではないと見る。むしろ、共産党の権力は拡大しているのではないか。というのは、かつての共産党であれば、強権的に立ち退きさせただろうが、強権的な権力を暴力的に行使するというのは、権力行使の最後の手段であって、そのように権力を使わなければならないということは、むしろ支配の正当性が不十分であることを示しているからである。

(没落しつつあるアメリカがブッシュの時代にやたらと直接的な権力発動に頼るようになったり、没落しつつある自民党が小泉や安倍の時代にやたらと強行採決などの強硬手段をとったのと好対照である。)

現在の中国共産党は、強権的に暴力を行使せずとも金の力など別の手段を用いて人々を強制的に動かすことができるようになったということもできるのではなかろうか。

ただ、だからといって中国共産党が安泰ではないのは、経済の果実で民衆を抑えられなくなった場合、民衆側も経済力を高めており、また、教育レベルなども高まっているだけでなく、インターネットなどによって情報が隠蔽しにくくなっているので民衆を分断しにくくなっているため、いざ強権的な暴力で全体を抑えようと思っても難しくなってきているということである。少人数のグループを暴力的に抑えるのは十分できるだろうが、ある程度大きな集団にはあまり有効ではない。やろうとすると、軍隊を大々的に動員しなければならない。

つまり、共産党も権力が弱まっているわけではないが、民衆の力はそれを上回る勢いで上昇しており、「戦力分断して各個撃破」できない状況で民衆を相手取って戦うことは難しくなっているのである。(逆に、ニュータウンの事例のように「各個撃破」できるところでは、まだ強権的にも権力行使できる。)



決裂した交渉を通じて私たちは、改革開放後、強まり続ける企業家の発言力と、低下していく共産党の権威を、目の当たりにした。(p.261)


金というのは権力の一形態である。上の私の言葉を再度アレンジして言えば、民衆・民間の力は共産党のを上回る勢いで上昇しているのである。



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NHKスペシャル取材班 『激流中国』(その1)

 中国で成功したビジネスマンの多くは、共産党高級幹部の子弟であることが多い。コネや人脈を生まれたときから持っている彼らは「太子党」と呼ばれ、いま中国の政財界で絶大な力を持っている。親のコネや人脈を背景に、様々なビジネスを興しやすい。
 逆にコネや人脈のない人間は、どんなに実力があり、優秀であっても、ビジネスで成功することは難しいのがいまの中国の実情だ。
 しばしば、“人治社会”と評される中国において、太子党は、ビジネスを行う際の複雑で煩雑な関係部局の許可申請、信用がない時の新規取引など、様々なハードルを容易にクリアできる。それに加え、ビジネスを左右する政治情勢などの重要情報が容易に手に入るため、圧倒的に有利なのだ。
 ・・・(中略)・・・。
 天津の新貴族を通じて垣間見えてきたのは、富は、限られた仲間の中で回る仕組みになっているということだ。富が富を生み、ますます豊かになっていく。富の再生産が、金持ちはさらに金持ちになっていくという、スパイラルを生んでいた。(p.26-27)



「中国の実情」と書かれているが、こうした「機会の格差」は中国に限ったことではない。

例えば、日本でも「佐藤俊樹『不平等社会日本』によれば、団塊の世代では、父親がホワイトカラー上級職だった人は、そうでない人と比べて約8倍、ホワイトカラー上級職になりやすい、という統計がある(p.59)。

ネットワークの上層と下層には細い紐帯しかなく、それぞれがクラスターを形成しているようなものである。また、引用文では言及されていないが、金とコネがある子供とそうでない子供では、受けられる教育が異なっており、高度で良質な教育が受けられる者は同様のもの同士で知り合いを作っていき、親から直接引き継がれたのとは異なる、自ら独自の有効な人脈を形成していくのである。

こうした「富は、限られた仲間の中で回る仕組み」は中国の政治体制が共産党や党員の恣意的な運営が可能になっていること(人治社会)によって増幅されることになる。特にコネが持つ威力がこれによって増幅されるのである。



 私たちが取材に訪れたこの時期、チュレさんが働く芸能部門では、いわゆる“能力給”の制度が導入されようとしていた。給料はA・B・Cの三段階に分けられ、さらに遅刻など勤務態度の問題点には罰金が科されるようになった。
 給料日、従業員が会議室に集められた。チーフが一人ひとりの給料と賞罰を読み上げていく。A評価に得意満面の者、C評価で失意に沈む者――部屋は次第に騒然としてきた。
 ホテルとしては、競争原理と厳しい罰則を導入し、従業員の質を高めたいという狙いがある。また、これは結果的に、賃金のコストダウンをもたらすものでもあった。
 こうしたことは、近頃多くの国の企業でよく見られる光景だろう。だが、このホテルで働くチベット族にとってはどうか?
 彼らの多くは、農牧をなりわいに生きてきた。そうした彼らが“企業の論理”と初めて向き合うとき、大きな戸惑いがあっても不思議ではない。特にC評価を受けた者は、みなと同じように働いているつもりなのに、なぜ自分が最低の評価を受けるのか納得しがたい様子である。
 不満の矛先はチーフばかりか、ランク分けされた仲間同士にまで向けられていった。

 「信じられない!こんな給料は受け取れない!」
 「俺たちだって毎晩遅くまで働いているんだ!」
 「たかが新米にチップの分け前は渡さないわ!」
 仲間うちでの諍いの背景には、一つ踏まえておくべき事情がある。言葉の問題である。
 チベットの農牧民には、中国語がうまくできない者が多い。だが、出身によっては、中国語が堪能なチベット族もおり、そうした者は有用な人材として重用される傾向がある。双方の間には見えない溝が生まれ、一見しただけでは分からない複雑な人間関係が渦巻いていた。
 そのような素地に持ち込まれた能力給は、互いにわだかまりを膨らませるばかりだった。
 いくら合理性を強調しても、ランク分けや給料の差別化は、仲間同士の不信感を募らせ、ねたみ、蔑み、いがみ合いを生み、人間関係を一層歪ませていった。評価が高い者は上司に媚びてうまく取り入っているからだと言い張る声も聞かれた。(p.86-87)


これまで企業の論理との接触がなかった「チベット族」だからこうした諍いが起きたのではない。「能力給」や「成果主義」と言われるような評価方法を採用する限り、このような従業員同士の軋轢が増大するという問題は必然的に生じ、基本的に「従業員の質を高めたいという狙い」は逆効果に終わるのが一般的であるといっても良いだろう。

短期的に評価が行われる傾向、見えやすいところで評価が行われる傾向、恣意的な人物評価などが評価に反映される傾向などが顕著になりやすいことなどがその要因であると思われる。短期的に評価を行うということ自体が、その都度の評価が持つ偏向を助長するため、従業員間で共有されている相互評価との齟齬が大きくなりやすいのである。それゆえ不満が蓄積しやすい上に、職場の民主的な性格も減退する(上司に対して「物申す」ことができなくなる)、(短期的に評価されるために短期的な失敗をおそれる必要があるため)冒険しにくい、などといった複数の悪影響が生じる。

むしろ、「年功序列」的なやり方の方が組織運営としては、運営上の工夫(よりよい運営のための試行錯誤)の余地も大きい上にリスクも小さいやり方である。こうしたからと言って評価がなくなるわけではない。評価の時間軸として比較的長期の時間が用いられるのである。その上、評価の期限が必ずしも明確でないため、評価を優先するのではなく組織が状況に対応することを優先しやすいのである。



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牧野武文 『街角スローガンから見た中国人民の常識』

 一方で、歩道橋の上や地下道に降りる階段あたりには物乞いがいるが、警察も工商城管も取り締まったりはしない。なぜなら、物乞いは市当局に申請をして営業許可をもらっているれっきとしたビジネスだからだ。・・・(中略)・・・。
 河北省、河南省、安徽省が有効期限一年の営業許可証を100元の手数料で発行したところ、通行人とのトラブルや住民からの苦情も減ったため、この物乞い許可証制度は全国に広がりつつある。すでに発行した枚数は1000万枚を超えているので、中国の物乞いは1000万人以上いることになる。もちろん、この1000万人は仕事をしていることになるので、失業者の統計には含まれず、失業対策としても有効だと考えられている。(p.35-36)


このようなビジネスがあるとしても、中国の全ての物乞いがビジネスであるとは言えないという点には一応注意をしておこう。

そうした留保をつけても、このような制度があること自体に少しばかり驚く。これらの人々が失業者の統計に含まれないというのも、いかにも中国らしい強かさを感じさせるエピソードだ。



意外なことだが、労働者人口が不足することが明らかになっている。あれだけ人口の多い国で、信じられないことだが、工場などでは求人募集を行っても人が集まらず、操業に支障がでる工場も相次いでいる。労働人口そのものは減少し、国連人口部の統計によると1980年をはさんだ10年間には労働人口は毎年1億6300万人ずつ増えていったが、現在では毎年3300万人の増加にとどまっている。また2020年には2900万人ずつ減少し、2030年には7700万人ずつ減少していくと予想されている。(p.88)


「労働人口そのものは減少し」という文言はやや疑問がある。「労働人口の増加率が減少し」ではないか?または、「労働人口の増加率が減少していき、将来的には労働人口そのものが減少し」とするのが正しいように思われる。

また、1980年を挟んだ10年間についても、毎年1億6300万人増加したなら、10年間で16億3000万人の労働人口が増えた計算になるが、これは現在の中国の全人口よりも多い。このあたりの数字の正確さにはかなり疑問がある。

ただ、2020年頃には既に労働人口の減少が始まるとすれば、中国経済の快進撃もその頃には一定の収束を見ると考えられる――それ以後の「経済成長」は基本的にバブルが中心となると考えられる――ため、興味深い予測であるといえる。

2009年を基準として、毎年5%の経済成長が続くと仮定すると場合、2020年には経済規模は2009年の約1.7倍、毎年7%だとすると約2.1倍、毎年10%なら約2.85倍の規模に膨れ上がる。一人当たりGDPとしては大した額にはならないとしても、一国のGDPとしては相当大きな額になる。さらに現在の人民元は本来あるべきレートよりも安いと考えられるが、中国の経済に有利だと考えられる時点で切り上げられていくとすると、この数字はさらに大きくなる。

以上のような単純な試算では本当の予測はできないと考えるが、それでも「この時点での中国の国際的な影響力や世界経済に占める影響力がどの程度であるのか?」この点に私は興味を持っている。そして、こうして経済が低成長になったとき、中国国内の言論と政治状況がどのようになっているのか?共産党による専制政治はどのように終焉を迎えるのか、あるいは生き延びるのか?これも大変気がかりな問題である。

政治的には、少なくとも今のような状態での共産党支配は継続困難になっていると予想しており、共産党が徐々に相対的な地位を下げながら政治がデモクラティックな体制へと移行していくのか、それとも台湾、チベット、新疆などの問題や農民の反乱が導火線となって、政権が崩壊していくのか、(まだそれなりに先のことではあると思うが)注目していたいところである。



 中国人はほんとうに本を読まない。毛沢東時代に、共産党が推奨する本以外を読むことが禁じられ、読書という習慣が失われてしまったのだ。改革開放以後は、テレビが急速に発達したため、みなテレビばかりを見るようになった。テレビは田舎に行っても、50チャンネルほどが見られるようになっていて、日本よりもはるかに充実している。(p.114)


私が中国の街を歩いていてしばしば思ったのは、中国の街には本屋が少ないということだった。そして、言われて見れば、例えば、バスや地下鉄や電車の中で本を読んでいる人は少ないようにも思われる。(日本は小説かマンガか雑誌くらいのレベルだが…。)

毛沢東時代に共産党が推奨する本以外を読むことが禁じられたため、読書という習慣が失われたとする説明には相応の説得力がある。禁止された本だと知らずに読むよりは、何も読まないほうが安全であり、また、定められた本ばかりでは自分の興味から読むのではないため飽きてしまうだろうから。結局、読書が苦痛となってあまり読まなくなるだろう。

あとは、経済的および政治的に安定していなければ読書などしているわけにもいかないだろう。大躍進政策で餓死者が続出している時期や文化大革命で粛清の嵐が吹き荒れている中で、しかも義務教育さえも十分に行われていないのに、のんびりと読書ができるとは考えにくい。


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佐藤喜彦 編 『【中国の大学生】 素顔と本音 日本語でつづる「日本、そして私の国」』
本書のタイトルに「素顔と本音」と書かれているが、私が読んだ限りでは、むしろ日本や中国についての意見の「模範解答集」という印象が強い。もちろん、単なる模範解答ではなく、その中からも本音が透けて見えるものもあるが。

まぁ、それはさておいても、それなりに中国に対する理解は得られる本であったと思うが、本書の続編にあたる日本に来た留学生が書いたものと比べると明らかに考え方が画一的であることなどが感じられた。

例えば、大学生の恋愛について、大学在学中の恋愛に賛成の意見も反対の意見もあったが、どの意見も共通して大学生の間は「学業>恋愛」という序列であるということが述べられていた。これは大学の授業で書いた作文であることなども影響しているかもしれないが、本書出述べられている意見のある種の「画一性」の典型であったように思う。

留学生は日本国内でも住んでいる地域が異なるなど、環境条件に相違が大きいが、本書で取り上げられた大学生はそうではないという要因も画一性の要因ではないかと思われるのだが、大学生も留学生も「我々中国人は努力して中国をより高い地位にまで発展させなければならない」という発想が共通である点はそれでは説明できないため、(テーマによって濃淡はあるにせよ)やはり中国国内で彼らが浴びてきた言説や社会状況が彼らの思想形成にかなり強い影響を与えているものと思われる。



中国の大学入試(六月入試、九月入学)は一人が三つまで「大学・学部」を志望でき、全国統一入試の得点によって進学先が決まるシステムだ。仮に第一志望の大学・学部の合格点に達しなかった場合には、第二志望へ。それにも及ばなかったら第三志望へとまわされるのだ。大連でも、ハルビンでも、日本語専攻の学生の大半は英語学科を志望しながら日本語学科にまわされてきた学生たちだった。(p.12)


本書の続編を本書に先んじて読んだ際に私が予想したことは、概ね正しかったようだ。

私はその本を読んでいて、日本に留学に来る学生達について、「日本なんかに来るくらいならアメリカの大学に行った方が良いんじゃないの?」という疑問をもったのだが、その際次のように書いていた。

「そこまでは受験競争に勝ち残れないが、それなりのレベルのエリート」にとっての留学先なのかもしれない



日本語専攻の学生だった人が日本に留学に来ているとすれば、私の予想はかなり当たっていたことになりそうだ。

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佐々木瑞枝 『外国語としての日本語』

 忘れてならないのは、単に文型の指導をしただけでは、日本語を教えたことにはならないということだ。それを実際のコミュニケーションの場で使えるように指導すること、それも、外国人学習者が自発的に会話できるような場面を教室の中で作り出す必要がある。
 語学とは単に暗記と繰り返しで頭の中にたたきこむものではなく、もっと創造的なものだ。機械的な練習を繰り返していただけでは、イン・プットはできてもアウト・プットができず、勇気を持って日本人と会話ができる学習者は育たない。文法は大事だが、文法万能主義に陥らないこと、これは私も含めて語学を教える全ての教師が、常に念頭においておくべきことだと思う。(p.62-63)


このあたりは、先日台湾から日本に来た旅行者の方と話していたときに感じたことと合致する。私が台湾の方々とブロークン・チャイニーズで話をしていたのだが、それを傍で聞いていた第二外国語として中国語を勉強していた大学生はしばらくの間、会話に入ってくることができなかった。その人曰く、「話は聞いていて分かるけれども、話そうとすると中国語が出てこない」から入れなかったという。正しい文法を気にしすぎると、このようになりがちだ。

会話というものは、まずは話そうとする動機となるものがあるかどうかが重要で、伝えよう・わかろうとするモチベーションがそのコアになければ、なかなか伝わらない。(これは日本語を母語とする者同士の会話でも同じだ。)

外国語で細部を正確に伝えるためには(完全にその言語を体得するまでは)文法は確かに必要となるが、それは内容ではなく形式にすぎない。しかし、外国語学習の場ではどうしても形式の正しさが重視されがちになる。私も実際、中国語を少し勉強してみて、教室ではかえって中国語が出てきにくいという実感がある。現場で中国語話者と対峙しているときの「必死さ」(?)が教室では消えてしまい、変わりに正しい文法や正しい発音や正しいアクセントが「要求されてしまう」からである。

もちろん、こうした形式面も重要であることは間違いない。私の経験に照らしても、発音やアクセントをある程度正しくしただけで、かなり通じる率が高くなったのは確かである。

だから、語学では実践的な練習が重要で、実際の場面を(想像上でではなく、「現場で」)設定して練習してはどうかと思う今日この頃である。



 日本が台湾などで植民地政策をとった際、日本人は現地の人々に対して敬語で接することがあったのだろうか。私が台湾の日本語教育関係者に会ったとき、植民地時代に日本語を覚えたというある先生から、こういう話を聞かされた。
 「我々が耳から覚えた日本語は『こっちへ来い』『早く行け』『何の用だ』といった命令調のものでしたからね。日本語とはそういうものだと思いましたよ。それで同じことを日本人に言ったらひどくなぐられましてね。私には理由がさっぱりわからなかった。今なら、相手によって『こちらにおいでください』『こっちに来てください』『こっちに来て』など使い分けられますが……。『こっちに来い』はさすがに使えませんね」
 まさに赤面の至りだ。戦後はまだ終わっていない。こんな言葉の世界にも、日本が戦争で侵した傷痕が残っている。(p.175-176)


戦争や歴史問題を主題にしたものではない本であるからこそ、こうしたエピソードは重要であると思われる。

すべての「日本人」(なる者)がこのような振る舞いをしたわけではないだろう。しかし、力関係などから考えてこのような振る舞いが多かった(大部分であった)であろうことは想像に難くない。


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たくきよしみつ 『デジカメに1000万画素はいらない』

 また、露出補正がすぐにできること、オートブラケット機能(カメラが自動的に露出を数段階に変えて連写する機能)が搭載されていることも重要です。
 最近のデジカメはなぜか露出オーバー気味になるものが多いので、露出をマイナス補正しながら撮ったり、オートブラケットで露出に「保険」をかけるのは必須技だからです(これは第6章で詳述します)。オートブラケット機能の重要性に比べたら、顔認識機能なんてどうでもいいものです。(p.39)


年末年始にコンパクトデジカメを持って長期外出してきたが、その際に撮影した写真は確かに露出オーバー気味だった。最近は一眼レフを主として使っていたので、コンパクト機は軽いスナップショット程度でしか使っていなかったのであまり気にしていなかったのだが、今回コンパクト機一台で撮影したものを見てみると露出オーバー気味であった。

オートブラケットは一眼レフではたまに使っていたが、コンパクト機の方が重要かも知れない。しかし、私の今使っている機種にはこの機能はないようだ。仕方ないので当面は露出補正で頑張るしかなさそうだ…。



 食べ物は総じて寒色系より暖色系の色味になったほうがおいしく見えます。・・・(中略)・・・。食べ物の写真を撮るときにも、ホワイトバランスを「曇り」に設定してみるとおいしそうに撮れます。(p.75)


今度やってみよう。



 構図だのなんだのと難しいことをいう前に、まずは「画面いっぱいに大きく写す」ことが面白い写真を撮るための第一歩なのです。何を見せたいのか、瞬時にポイントを見極め、その他の部分は思いきって切り捨てる。その決断こそが、魅力的な写真を生みます。(p.86)


わかっているけどなかなかできないのがこれである。

私の場合、建築などを撮ることが多いので、まずは説明的な写真をたくさん撮る。それを見て後からその建築の特徴などを再考するための資料であり、人に見せるための資料としても活用するためだ。思いきってポイント以外を切り捨てた写真は見て美しいと思うかもしれないが、後から見るとどこの何なのかが判然としなくなる。そんなわけで、私の場合、どうしても広角で全体を写し、構造のポイントとなるところを構造がわかるように撮影するクセがついている。

これを一通り撮影した後でガバッと大きな写真を撮ればいいのだが、実際、建築一つ見るのにこうやって一通り撮影するだけで2時間くらいかかることもあるわけで、集中力が続かないので芸術的な写真にまで手が回っていなかったりする。そんなわけで広角でも表現できる空の光の変化などを撮っていたりする。ただ、やっぱり細部を大きく撮るのはよい写真の基本だと思うので、この路線もマスターしてみたいと思う。



 テーマを持つことも大切です。
 私は26歳のとき、旅行に行って漫然とスナップを撮ることに疑問を持ち、何か一生をかけて写真に撮るテーマはないかと考えました。その結果、思いついたのが「狛犬」です。旅行先などで神社を巡るうちに、狛犬というものは実に様々な姿形をしていることに気づいたのです。その後、狛犬を撮り続けて四半世紀が過ぎ、ついには狛犬文化を世界に紹介する本まで出版するに至りました。
 マンホールの写真、消火栓の写真、ダムの写真……世の中にはいろいろなテーマを持って写真を撮り続けている人がいます。これは! と思ったものをテーマにすることで、あなたの写真趣味も一気に広がることでしょう。(p.99)


これは参考になる。

私の場合、世界の宗教建築を撮ることが多い。旅行に行けばキリスト教の教会堂やイスラームのモスク、仏教寺院や道教の道観などを撮影する。もっとポイントを絞って細部を追求すると面白くなりそうだ。ゴシック建築の場合はフライング・バットレスやピナクルを撮ったり、天井の交差ヴォールトの様子(六分ヴォールトなのか四分ヴォールトなのかなど)を撮影したりしているが、それと同じような感じでテーマを設定するとものを見る目が変わってきそうで、写真だけでなく旅行自体も引き締まりそうな気がする。

そして、こうした焦点化は旅行や写真に限ったことでもないだろう。


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鈴木謙介 『サブカル・ニッポンの新自由主義――既得権批判が若者を追い込む』(その3)

 佐々木も池田もそのくらいのことは織り込み済みなのだが、私がここで彼らの議論に注目したのは、ネットで社会が変化するかしないかといったことではなく、その論理構造に共通点があるからだ。つまり、既存のメディア・システム=旧体制の既得権、ネット=新体制という対立図式を前提とし、前者は後者を阻害するが、最終的には後者が前者を駆逐するというのである。そこには前章で見た「あいつらが既得権に居座っているから、本来ならば自分たちに与えられるべき権利と利益が与えられない」という既得権批判と同様の構図が存在していると言えよう。
 ロストジェネレーションの場合、そこでは正社員の座にある年長世代が批判の対象になっていたが、インターネットの世界においては、「情報」の流通を司る様々なアクターが批判の矛先に代入される。マスメディアはその代表だが、作家、評論家、学者、タレントなど、知識産業の「送り手」も、彼らの振る舞いがその地位にふさわしくないものであると判定された場合、似たようなロジックで「炎上」する。(p.106-107)


ネット上でよく見かける「マスメディア批判(正しい言葉遣いとしては「批判」ではなく「非難」というべきだろうが)」もまた、「既得権批判(非難)」と共通の論理構造であるという指摘は興味深く、かつ、正しい。



しかし、ここで取り上げた事例から見えてくるのは、「ネット」という要因が介在すると、どうしても「反権威主義」と結びついた既得権批判、つまり「自分たちが持つべきものを不当に独占している奴らがいる」という主張が顕在化しやすくなるのではないか、ということだ。そしてその主張は、ネットの中で繋がり、広まり、やがて「不当な独占をやめて、平等な競争の機会を確保せよ」という主張へと結実するのである。
 こうしたメカニズムは、ある時に既得権を批判して体制を打倒した者も、後からやってきた別の人々に「お前たちこそ既得権」と批判され、打倒すべき対象に祭り上げられるというサイクルに、私たちを巻き込んでいく。その帰結は、より一層の機会の平等の追求であると同時に、より一層の「流動化」なのである。
 なぜここでも、「不平等」の元凶として何かを批判することが、機会の平等を確保するための構造改革にすり替わり、その結果生じた不平等を是正するために、さらなる機会の平等が要求される、という現象が起きるのだろうか。本来ならば求められていたのは、誰しもが当たり前に求める「平等」や「安定」であったはずなのに、それを要求するほどに、私たちはそこから遠ざかっていく。現在生じている出来事は、そんなどうしようもないほどの泥沼を、私たちの前に開いているのである。(p.121)


重要な問題提起である。

まず、ネットが反反権威主義と結びつきやすいという指摘であるが、その要因の一つとしては、ネットが「不満を表明しやすい環境」であるということが言えるだろう。つまり、対面したコミュニケーションや公的な場での発言のチャンスが少ない中では表明しにくい不満のはけ口としてネットに書き込みをするということである。政府やマスメディアなどのような「権威」に対しては特に直接意見を表明できない(しにくい)ため、そうした不満はネット上に書き込まれることになりやすい。

実際、いわゆる「政治ブログ」などはほとんどこうした類の動機から書かれていると解釈することができる。論理性に乏しい感情論(ナショナリズム的な言辞など)実証性に乏しい陰謀論がネット上で横行しやすいのも、一つにはそのためであろう。

ちなみに、陰謀論的な議論の多くは「被害者意識の表明」であると読むことができる。(その被害者意識はむしろ被害妄想に近い場合も多いが。)だから、特定の誰かが悪者として扱われ、その悪者の意図によって現在の発話者の不遇が説明されるのであり、さらにその仮説を絶対化する(すなわち、認識するのではなく信仰する)傾向が生じるのである。

余談に近いが、ついでに追加すると、もちろん、陰謀論者が設定する悪者から直接の悪影響を受けていない形で陰謀論が述べられることもあるだろうが、「悪者→ある分野での悪い結果→世界に蔓延る悪への不信感≒発話者の世界観」といった漠然とした(論理的には飛躍もある)仕方で受け取られていると読むことができると思われる。

引用文に戻ると、「自分たちが持つべきものを不当に独占している奴らがいる」というのは、まさにこうした陰謀論の一形態であると言えよう。

著者が言いたいのは、そうした「批判」を行うことがさらなる流動化による泥沼化に繋がる悪循環にはまっていくという指摘である。この問題意識は本書を通して一貫して通底している点であり、私も本書を読んで多少なりとも問題意識を深めることができたと思う点である。

私の考えでは、この悪循環が生じる論理的なポイントは「悪者を設定する」という点にある

現在の不遇を説明するときに、「『あいつら』が既得権を持っている」、とするから、形式的には誰にでも適用可能な議論が出来上がるのである。議論の際に「既得権」を定義させること、「既得権」がその誰かに属すると言える根拠を明示させること、その既得権が発話者や不遇な立場の人々の立場を悪くしていると言える根拠を明示させること。この程度の初歩的な議論が広範に行われれば(特に広範な影響力を持つテレビの討論番組などで行われれば)、多少なりとも言論状況を改善させるものだと思うのだが、これまで少なくとも20年かけて形成されてきた「既得権への妬み」に基づく安易な議論を取り除くことは容易ではないだろう。

こうした既得権非難への批判の他に――過度の「わかりやすさ」は警戒すべきだが――人々に現状と近未来についてのビジョンないしパースペクティブを与える言説ないし理論が、現実の変革と相互に作用しながら、今後の「判断のモード」を導いていくようになることを希望する。

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鈴木謙介 『サブカル・ニッポンの新自由主義――既得権批判が若者を追い込む』(その2)

ネット右翼の戦法は、どこからともなく匿名のまま集まり散じて、攻撃しつつ逃走するというゲリラ戦術に似ている。これはニューアカが提唱した(元はドゥルーズ=ガタリが唱えたものだが)、権威に対する逃走論、「シラケつつノル」ような態度、あるいはノマド(遊牧民)的戦術と重なる。(p.33)



これは近藤瑠漫と谷崎晃の本(『ネット右翼とサブカル民主主義』)からの孫引きである。

ネット右翼とニューアカの戦術に共通性を指摘しているのはそれなりに面白いが、同時にこれでは議論が矮小化されているようにも思われる。



ここで私たちは、「既得権をよこせ」という主張の、真の願望に目を向けなければならない。彼らが求めているのは、自分たちを正しく評価する環境を築くことではない。かつての日本に存在していた(と認識されている)既得権的な立場を、自分にもよこせ、と言っているのだ。そして現実にはそれが不可能であるからこそ、「より一層の改革」が次善の策として要求されるわけだ。
 もちろん、個々人の単位で言えば、様々な思いはあるだろう。だが、独力かつ自己責任で生きる環境を本当の意味で推奨する人は、自らの不遇な状況を既得権層のせいにしたりはしない。それも自己責任で引き受けた上で、自らをもっと高い値で買ってくれる相手を探すはずだ。そういう道を選ばず、既得権層を名指した上で「それをよこせ」と言うとき、彼ら――そこには私自身も含まれている――は「かつてあったはずの安定」と「実力が試される不安定」との間で、心情的に引き裂かれているのである。(p.40-41)


現代の日本で見られる「既得権」に対する非難の隠された動機をかなり合理的に説明しているように思われる。

ただ、この手の非難をしている人々が「心情的に引き裂かれている」というのは、「合理的過ぎる」ように思われる。大半の非難者はそこまで深く考えていないし、問題性に十分に気づいていないと思われる。

なお、「一層の改革」を行うと「実力が試される不安定」と期待されているわけだが、彼らのその願望すら叶わないものであり、誤りである、と私は考える。そんなランダムグラフのような社会関係が可能になるとは思えないからである。



 地方の状況を特に厳しくしているのは、単に収入がないということではない。むしろ資本が地域内を循環する仕組みの方に問題がある。丸田一は、第三次産業の集積が都市部に偏っていることの要因として、中央による地方の資源収奪の構造があることを指摘している。それによると、地方における資本循環は、「地域内の所得循環」、製造業を中心とした「全国的な所得循環」、国と地方自治体の「財政再配分機構」の三つから成り立っているという。地域内で得られた利益は、そのまま地域の人々の懐に入るのではなく、本社の営業利益として、あるいは税金として一度東京に集められ、それから配分されるのである。
 地方の第三次産業の基盤となる需要を支えていたのは、一度中央に集められた資本の再配分なのだが、企業がそれを支店の運営資金に回す場合、どうしても大都市圏から重点的に配分されることになる。また、近年のグローバル・リスクの拡大を受け、多くの大企業が利益を内部留保するようになっているため、この配分は小さくなっている。そうした状況で、国から地方に回す資本、つまり公共事業や地方交付税交付金といったリソースを削ってしまえば、第三次産業の有効需要も失われてしまう。(p.68-70)


非常に簡潔に地方の経済を取り巻く状況を図式化しており、参考になる。


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