アヴェスターにはこう書いている?
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大岡敏昭 『日本の住まい その源流を探る 現代から古代-中国の住まい』

 中下級武士たちは明治になってさまざまな職業に転じた。建具、大工などの職人や雑貨屋、また金融業などの商人になった者もいたが、慣れないゆえに失敗も少なくなかった。その中でも多くは、官吏、警察、学校、企業などの俸給生活者に転じた。園田英弘氏によると、それらの職業に士族が占める割合は、官吏の76%(明治18年)、郡区長の47%(同年)、中学教員の78%(明治16年)、小学校教員の40%(同年)、警察官の80%(明治13年)であった。(p.61)


俸給生活者(サラリーマン)になったとされているが、職種の多くが現在の公務員であることには注目してよいであろう。士農工商の「士」の中下級の者がこの「身分」に就いたということである。その後、明治の後期から大正時代になると、士族の割合は下がっていき、農民や町人出身の割合が増えていくそうだが、いずれにせよ興味深いものがある。個々の職業の呼び方や役割は変わっても、社会層の状態そのものが一挙に大きく変化することはないのである。



 ところで寝殿造と四合院という名称は後世の研究者が名付けたものであって、もちろん当時の人たちはそのように呼んではいない。寝殿造の名称は江戸末期の澤田名垂が書いた『家屋雑考』の中で始めて名付けられたことがわかっているが、では四合院はどうか。
 日本における中国の住まいの研究は戦前から多く行われてきた。それは明治35年の伊東忠太氏による寺院、住家などの精力的な調査に始まり、大正から昭和の始めにかけての伊藤清造、八木奘三郎氏らの調査がある。それらが中国建築研究の先駆けであった。ところがそれらの著書論文の中では、いずれも四合院という名称は使っていない。この時代になっても四合院という名称はまだなかったからといえる。
 それでは、いつ頃四合院という建築名称が生まれたのであろうか。
 中国における建築研究は伊東氏の研究を模範として始まったが、民国時代の23年(1934)に出版された梁思成氏の『清式営造則例』の中に「四合住宅」という名称が始めて出てくる。
 ・・・(中略)・・・
 梁思成氏は、そのような中国の古い言葉を引用し、院の四方に建物が囲む形式を四合住宅と名付けたのであろう。そして1960年前後から中国研究者による住まいの研究が活発化するが、その四合住宅という名称に院を加えて四合院として慣習的に用いるようになったものとみられる。また後の日本の研究者もそれを真似たのであろう。(p.79-80)


本書によると、「四合院」という言葉の元になる「四合住宅」という言葉が1934年に登場し、「四合院」として一般化したのは1960年前後ということになる。予想以上に新しい言葉であることに驚いた。

それ以前はどのように呼ばれていたのか?やや気になるところである。



北方少数民族のツングース系女真族は明の支配体制を継承して、圧倒的多数の漢民族を利用懐柔して清王朝を支配してきたが、その宗教政策は儒教文化を尊重しつつも、仏教寺院、道観、イスラム寺院などの多彩な寺院を容認していた。その寺院は四合院とほとんど変わらない。これは唐代でもそうであったが、その多くが上層邸宅を喜捨したものであり、寺院、道観などと四合院が酷似するのは当然であった。(p.254)


上層邸宅を喜捨したものであるというのは、他の地域の寺院や教会堂の成り立ちと異なるように思われ興味深い。イスラーム世界などでもモスクやマドラサは喜捨によって建てられるが、その場合、私が知る限りでは喜捨した金で、予めモスクやマドラサとして建設されていたと考えられるからである。中国の場合、既存の邸宅を利用したということであるとすれば、特徴的だといえるだろう。

もしそうなのだとすれば、これは宗教の聖職者たちの社会的地位と彼らが持っている権力の大きさを反映しているように思われる。すなわち、中国では宗教者達ないし宗教団体のもつ社会的な地位や権力は他の地域より小さかったと考えることができる。

皇帝や地方豪族が宗教者とは独立した知識階層の官僚を有していたこととこれは深く関わる。すなわち、ヨーロッパなどでは官僚制を維持するための文字を利用する能力を持つ人材のかなりの部分を聖職者が占有していたように思われるし、イスラーム世界では宗教者はシャリーアやフィクフなどの宗教法を制定する者であることなどによって、政治的影響力を持っていた。それと比較すると、中国の宗教的リーダー達の社会的地位や権力は小さく、高い識字能力や文学的教養を身につけているが、必ずしも宗教的ではない官僚たちが大きな権力を持っていたように思われる。



 上層邸宅において堂の前方左右に廂房が一般化するのは宋代、とくに元代以降であり、したがって四合院の一般化もそれに伴っている。それは小規模の邸宅で始まっていた。つまり廂房の普及は一つに宅地の小規模化を背景にしていた。それは宅地間口が狭くなり、唐代の上層邸宅にみられた間口五間~十一間ほどの堂は設けられず、堂の両端の部屋を廂と称していたが、それを廂房として院の両側に設けるようになったものとみられる。(p.260)


「四合院」という名称は20世紀半ばのものだが、四合院の住宅自体は宋代以降に一般化したものである。逆に言うと、唐代や三国時代などには四合院は普及していなかったということである。


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ディドロ 『ダランベールの夢 他四篇』
「ダランベールとディドロとの対話」より。

万事につけてわれわれのほんとうの意見というものはわれわれが決して動揺しなかった意見ではなく、しょっちゅう立ち返っていった意見なのだ、ということに君も気づくだろう。(p.29)


なるほどと思わされるものがある。

われわれが動揺しない意見というのは、実際には「自分の考え」というよりも単なる公式のようなものであったり、教義や原理主義などという用語で使われる場合の「原理」ようなものであることが多いように思われるからである。

それに対し、自分の思考が動いているときに、繰り返し立ち返る意見があるとすれば、それこそ本当の自分の意見というに相応しいように思われる。

前者は静的であり、固定的に記憶された「知識」に近いものであるのに対し、後者は思考が動くことを前提しながら、その動きが繰り返し立ち返る場であるという点で、「動的であると同時に構造的」であるからである。後者は散逸構造に近いといえよう。

ちなみに、上の引用文では「本当の」という、ある意味では「怪しげな」言葉(この言葉は、発話者の価値観ないし、価値を置いているものが強く反映してしまう言葉である)が使われているが、それは、恐らく、上記の「散逸構造的な思考の運動」が、「自己同一性」を保つ上で必要な「構造」としての側面を持っていること(これに近いこと)を指示しているものと思われる。





「ダランベールの夢」より。

われわれの口舌では、〔経験した〕感覚をいつも言い表わし足りないか、いい表わしすぎるか、どちらかです。(p.104)


同意見である。

感覚と言葉とは常にズレが生じざるを得ない。

ディドロがこうしたことを的確に射抜いているのは、彼の芸術家的なセンスのなせる業という側面もあろうが、ディドロとその時代のフランスやその近隣諸国における思想は、相当強く「システム」という概念と向き合っていたということに負う面が大きいように思われる。

システムを形成する働きと形成されたシステムを観察する働きとは別のものであり、前者には感覚に発する行為が属しており、後者は観察して述定する働きが属している。後者は前者から派生している。ディドロがどこまで意識的かは分からないが。

いずれにせよ、私が今回、本書を読んで強く感じたことであり、また、大きな収穫だったことは。18世紀フランス(ヨーロッパ)では、「システム」の概念への関心が高かったということであり、ディドロもその例外ではないということである。


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荘司雅彦 『反対尋問の手法に学ぶ 嘘を見破る質問力』(その2)

 話の内容がすべて嘘というようなことはまずありませんので、肝心な部分やでっちあげた部分にさしかかったときに、嘘をついている男性は目を伏せたり、目をそらしたり、眼球をせわしなく動かしたりするものです。(p.94)


この辺は経験則としてよく気づかれていること。

異常なほど嘘ばかりをつく人間を私は知っているのだが、その人間に私が初めて会った時のことが思い出される。彼にとって都合の悪いことを私が指示したときの彼の態度はまさにこれにぴったり該当しており、眼球をせわしなく動かしていた。



 証人が男性の場合、嘘を言うとき、つい目をそらせてしまいます。
 逆に、女性の場合は、嘘を言っているとき、私に目を合わせてきます。(p.95)


本書では男性と女性では嘘のつき方などが違い、見破りやすさやなどが違うというが、確かにそうかもしれない。ただ、これは著者が男性だからという面もないわけではないかもしれないとも思う。

これについては、女性の方が生命力があるので、嘘を(精神的な)力で押し切ろうとし、男性の方が生命力が弱いので、嘘を見破られることから逃げようとする、というような解釈はできないわけではない。



 人間が話をするとき、多くの人に聴いてもらいたいと思うときは、いきおい手の動きが大きくなるものです。
 政治家の街頭演説や、講演会での講演者の腕の動きが大きいのはこういう理由からなのです。
 逆に、内心「聴いてほしくない」と思っている事柄、つまり嘘をつくときは手が内側に縮こまってしまうのです。(p.95-96、強調は著者による)


言われてみればその通りという感じである。



 このように、背景となる事実がなく、嘘がバレないよう必要以上に慎重になってしまうと、人間の言葉には本来有している「生きいきとした部分」が失われ、無意識的に早口になってしまうものです。(p.97)


これも実践的なテクニックとして使えそうである。単調な棒読みになる傾向などは、なるほどと思わされる。

こうした場合、背景となる事実について具体的に掘り下げて聞くか、話を別のところに逸らしてから戻ってきて矛盾した言質を取るかという方法が本書では勧められている。



 このように、嘘をついている人間というものは、まったく想定もしなかった反応に出くわすと、反射的に「自分の嘘がバレた!」「まずいことをしゃべった!」とあわててしまい、正直になってしまうか、支離滅裂な言い訳をするかのいずれかです。
 当方としては、そのどちらであってもかまわないのです。(p.105、強調は著者による)


これも確かにそうかも。この引用文の前段で紹介されていた証拠の写真を探すフリをするなどのテクニックはかなり使えそうである。



 悪しき前例主義とよく言われますが、私は個人的に「前例主義」というのは組織の意思決定の円滑化に極めて役立っていると思っています。(p.174、強調は引用者による。彩色は引用者による)


確かにその通りである。だから、官庁に限らずそれなりの規模の組織には常にこの前例主義は付きまとうのである。

前例主義は「意思決定の円滑化」に留まらず、組織自体を成立させる機能さえ果たしているというのが私の見方である。もちろん、それだけでできているのではないが、「前例を踏襲すること」は組織において、基本的なパターンとして組み込まれていると見る。

組織の外部すなわち環境との関係の中で、自己を再組織化していくことが求められる。そこで前例は少しずつ改められていくが、それは前例主義が変わるのではなく、前例主義で適用される前例が変わるだけである。新しい規則が前例として不適当であれば、それは次の前例とはならずに捨てられて、全く別の規則に置き換えられるか、またはさらに変形されていく。

このようにして作動を継続していくことによって、その個別の規則の適用範囲等が変わることがありうるが、作動が継続していること自体によって組織の内部と環境とが区切られていく。

「組織」と書いているが、私の頭の中ではこれは「システム」を想定しながら書いている。私が理解するシステム論の基本的な骨格の一部である。



 このように、具体的な事柄をあげないハッタリはとても効果的です。(p.188、強調は著者による)


なるほど。確かに、具体的なハッタリは、それがハッタリだとばれてしまう可能性があるからな。

それよりも重要なのは、次の点だろう。

嘘をついている人の心理はそもそも強いストレスの下にあるのだから、具体的でないハッタリによって相手の心理を不安定な状態にしてやることは、相手の嘘をついたままである「平衡状態」を崩す可能性が高いということだろう。



 つまり、ズバリと聞かれるときっぱり否定できるが、思わせぶりで相手の真意が見えないときは、(往々にしてやましい部分があるほど)曖昧な部分をはっきりさせようという意識が働くのです。(p.197、強調は著者による。)


上のコメントで述べた「平衡状態」を求めるわけだ。そのために相手の心理を混沌とした状態にするためには、こちらも思わせぶりで曖昧な質問などが有効だというのは覚えておいて損はない。今度いろいろ試してみたい。



 このように、想像以上に多くの人間とは、嘘をつき通したり真実を自分の中だけに仕舞っておくことに、ストレスや精神的苦痛を感じるものなのです。(p.201、強調は著者、彩色は引用者による。)


すでに述べたが、こうした人間観というか人間の心理についての洞察は、私が本書から得た大きな収穫であった。


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荘司雅彦 『反対尋問の手法に学ぶ 嘘を見破る質問力』(その1)

 私は、人との待ち合わせなどのときによく「ヒューマン・ウォッチング」をしています。
 ・・・(中略)・・・。
 一人で歩いている人は、人相や動きに変化がないので「見る目」を養うことはできませんが、携帯電話で話している人や数人で話している人たちを見ては、「この日とは取引先と電話しているのだろうか?それとも上司?」とか、「この人たちの中でリーダー格は誰だろうか?」などと、勝手に想像しています。(p.47)


人を見る目を養う際に、参考になるトレーニング方法だと思う。



 人々は、起こったに違いないと信じている事実に思いを巡らせているうちに、やがては実際に起こったことを思い出しているように思い込んでしまうものだ。(p.56)


これは『反対尋問の技術』からの孫引きであるが、全く同感である。

私見では、精神疾患の患者などに、こうしたタイプの言動が異様に多いように思われる。精神疾患の患者の多くは、被害妄想的な観念を抱いていることが多いが、その被害妄想のかなりの部分は、このようにして「作られた事実」であると思われる。もちろんその「事実」には「実際に起こったこと」が反映している部分もあるが、患者自身によって「作られている」部分もかなりあるということである。しかし、本人にとってはその方が「都合が良い」ため、これらの被害妄想の大部分を「自分が作っている」ということを直に指摘しても認めることはまずない。

本書では「メタ認知」の重要性が説かれている箇所があるが、私が上で述べたようなタイプの人々に共通して見られるのは、この「メタ認知」の能力の低さである。平たく言えば、自分を客観的に(第三者の立場から)見ることができないということである。



 以上のように、人間の記憶というのは極めて曖昧なもので、警察などの国家権力からのバイアス、「早く解放されたい」という自分自身の都合によるバイアス、マスコミの報道から受けるバイアスとい、大まかにいって3種類のバイアスが複合して、人間の「思い込み」や「偏見」が、見事なまでに存在した事実に対するその人の記憶に変化してしまうのです。(p.70)


本書では上記の3つの「バイアス」を特に重視しているが、それは法廷で問題になるような場面を主として想定しているからであるように思われる。

バイアスという用語法は「全くバイアスのない純客観的な認識」が存在することを想定させてしまう点で多少の問題はあるが、それは措くとしよう。それを措いた上で一つ興味深いのは、マスコミからの「バイアス」によって、記憶(事実についての認識)が大きく変容するのは、確かであると思われる。

私がこれについて強く思うのは、現代の日本において、新自由主義的な観念が肯定的なものとして広く共有されているという事実である。最近はようやく新自由主義が否定的なものとして扱われ始めているが、それはまだ表層的なレベルでしか実現していない。

例えば、税というものをほとんど一義的に「悪」であると見做すような考え方はまだ広く信じられている部分があり、これは20年近い年月をかけてマスコミで宣伝が行われてきたことの結果である。これが覆るまでには相当の年月を要するように思われる。



 つまり、自分自身をある程度客観的に見ることができる人(「メタ認知」能力の高い人)は、どちらかというと自分自身の「思い込み」と現実に存在した事実の記憶を混同してしまうことが少ないのではないでしょうか。(p.71-72)


同意見である。本書で「メタ認知」の重要性を指摘されているのを読んでいて私が思い出したのは、M.WeberのWertfreiheitはまさにこの「メタ認知」を活用し、それを表面化させる作業であったということである。

Wertfreiheitの概念自体は、ウェーバーの思想形成史の中で多少の揺れがあると思うので多少雑駁に捉えておくとしても、自分が拠って立つ究極的な立場・価値理念を自分と他人に対して明示せよという要請などは、まさにメタ認知を働かせた上で、それによって認知されたことをさらに言語化して表現せよということである。

私にとっては、こうした訓練を積む際に、ウェーバーを読むことは役に立ったと思っている。別のきっかけがあって、久しぶりに原点に回帰してウェーバーでも読み返そうかと思っていたところだったのだが、本書を読んでからは、メタ認知の能力を高める、少なくとも衰えを取り戻すという意味でも、ウェーバーを読み直す意味はありそうだと思うようになった。



 思うに一貫して嘘をつき続けることは、厖大な精神的エネルギーと、常に内心の葛藤を抱えていなければならないという、一種の「苦行」に近いものではないでしょうか。
 その苦しみから自分自身を解放するために、「嘘」を「真実の記憶」に無意識的に変容させてしまうことが多いのでしょう。(p.87-88)


嘘をつき続けるということが、精神的なストレスになるという指摘には納得させられた。

一時的には嘘によって、「その場を誤魔化す」ことはできるかもしれないが、嘘をつき続けることは大きなストレスになるというわけである。そして、そのストレス(少し前の引用文での「自分自身の都合によるバイアス」に近い)を記憶を変容させることによって緩和するという形でそのストレスから逃げるわけだ。

その場しのぎの「逃げ」の手段として嘘をつき、嘘をついたことのストレスから「逃げる」ために、記憶を自分の都合のよいように変容させ、その変容した記憶(変容した事実)に固執することによって自我を防衛する、というのが私がこのエントリーの2つめの引用文に対するコメントで指摘したタイプの精神疾患の患者が形成される、典型的なパターンであるように思われる。少なくとも論理的にはこのようになっているように思われる。

ここから、人生における不都合な事実から逃げ続けた挙句の果てに自分の心の中に追い詰められている、という姿が浮かび上がる。

もっとも、すべての精神疾患がこのようなものではないが、私が知るある程度の数(数十件程度だが)の症例や病気の一歩手前くらいに不健全な事例は、このように解釈しても大きく外れてはいないように思われるのである。



 多くの人たちが「世間の人間は嘘つきだらけだ」と憤る背景には、相手の「記憶違い」のみならず、自分自身の「記憶違い」も全部含めてしまうからでしょう。(p.89)


なかなか説得力がある。自分の記憶違いの可能性をもっと疑い、謙虚に振舞うべきだということだろう。


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ファンキー末吉、吉川典代 『中国語で歌おう! カラオケで学ぶ中国語』

 中国で70年末から80年初めのころまで展開されていた「精神汚染追放運動」では、テレサ・テンの曲は「黄色(=エロ)」の烙印を押されて物流を禁止されてしまっていました。でも、「聞くな」と言われれば「聞きたい」のが人情、発禁の曲が海賊版となって主として若者にこっそり聞き継がれていたのです。(p.26)


こうした抑圧的な政策が続いてきたが故に、「海賊版」流通が、経済活動の中に確固としたものとして定着してきた面があるのではないか。

海賊版は、遠藤誉の『中国動漫新人類』で、アニメや漫画の流通を可能にしたことが指摘されているが、音楽でも同様に機能して民衆のサブカルチャー形成に寄与したとみることができそうである。

また、この事例は、抑圧的な政策がアンダーグラウンドな経済活動を助長してきたよい見本であるように思われる。



 そもそも1980年代、中国が「近代化」の政策の一つとして各国の歌をラジオなどで紹介するようになったのが、『北国の春』が中国で歌われるようになったきっかけでした。(p.35)


上のような抑圧政策を続けることに限界を感じ、政府が方向転換を行ったことが見てとれる。「改革開放」は文化面でも行われた。外国の楽曲にも既に需要があったため、大いに受け入れられたということか。

まぁ、このあたりはもう少しよく調べてみたいところではある。


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ディドロ 『絵画について』
「マニエールについて」より

 自らの行動に打ち込んでいないひとがマニエール味を帯びていないことは、稀である。
 きみにむかって、どうだい、わたしはよく泣いているだろう、よく怒っているだろう、よく苦しんでいるじゃないか、と言っているように見えるひとは、みな、うわべだけでありマニエールを含んでいる。(p.185)


行為をしながら、行為そのものに集中しておらず、反省的な観察を同時に行って(しまって)いる場合、行為には反省による修正が加わろうとする分だけ、行為はぎこちなくなる。



佐々木健一氏による解説より。

価値の根底が一新され、どのような未来が望ましいのかという構想から始めることになったとき、その精神の現れがこの知の総合性の要求であり、そこには普通に知識と目されるものだけでなく、技術や藝術、さらには職人仕事までが含まれる。この時代のフランスで「哲学者」と呼ばれたのは、このような総合的な地平で地を求めた人びとである。
  この時代は近代的な藝術概念の確立期に相当する。近代的な藝術概念とは、文学と造型藝術(絵画、彫刻、建築)と音楽をひとまとまりのものとしてくくる考えのことである。この考え方は、どの時代にも、またどの文化圏においても取られていた普遍的なものではない。十八世紀以前のartにはliberal arts(中世的には「自由学藝」、近代的には教養科目)のような学問が含まれていた、というよりも、それが中核をなしていた。ダランベールもまた、「藝術beaux-arts」をこのartes liberauxの一部分と見做しているように、この概念は、ルネサンス以来、現実の変化に対応して変貌しつつある現役のものだった。他方、少し前の時期のarts liberaux概念には、諸藝術の他に兵法や航海術などが含まれ、beaux-artsの方もまた光学や力学などを含むという具合であった。このような状況を見れば、この時期に近代的な藝術概念が確立し、それが現在にまで続いているということが、いかに画期的なことであったかが分かる。この時代の変化は、ベーコンとダランベールの知の体系を比較するだけでも、見てとることができる。ベーコンが想像力の仕事として文学(「詩」)しか考えていなかったのに対して、ダランベールの考えていたのは藝術である。この歴史的変化において顕著なのは、造形藝術の社会的な地位の上昇である。中世において「手の仕事」(つまり肉体労働)と見られ、言わば卑賤な仕事として扱われていた状況に対して、ルネサンスの天才的な藝術家たちがいかに烈しく抵抗したかは、よく知られている。近代的な藝術概念の核心は、絵画や彫刻を「頭の仕事」として、詩と同じ列に格上げすることにあった。(p.232-233)


岩波文庫の佐々木氏による訳は解説や訳注がたいへん優れていて参考になるのだが、このあたりも興味深い箇所であった。

最初の段落における指摘は、18世紀のみならず、現代にも通じそうである。現代もまた「どのような未来が望ましいのかという構想」が必要な時代であり、「知の総合性」が要求されている時代であるように思われる。しかし、もっと大きな問題は、問題を把握したとしても、その知が把握した方策を実行する力を持つ現実的な主体がいないことであるようにも思われるが。

近代的な藝術概念の確立したのは18世紀であり、それは普遍的なものではないとする見解も興味深い。私の場合、科学史で近代的な「科学」の概念が成立したのはそれほど古いことではないということは理解していたが、ここでの指摘は、それと連動する部分があるように思われる。

造形芸術の地位の向上は、この時代のヨーロッパで工業生産が次第に経済的な重要度を増してきたことと無関係ではないであろう。村上陽一郎は、18世紀に科学史における「聖俗革命」が起き、「科学」と宗教的な世界観とが分離したとするが、これも社会におけるいわゆる「市民層」の地位上昇を反映していると見ることができ、このことと工業や手仕事が重要視されることとは相関的である。

このあたりの理解については、今後、もう少し理解を深めていきたいと思う。つまり、私個人としては、美術史や美学史にはまだ十分な力を割いていないので、これらと他の領域とを結び付けていくという課題を得た。


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ディオゲネス・ラエルティオス 『ギリシア哲学者列伝(上)』

ところでソロンは、70歳が人間の生涯の限界であると言っている。また彼はいくつかのたいへん立派な法律を定めたように思われる。たとえば、両親を扶養しない者は市民権を剥奪されるべしというのがそれである。のみならず、父祖からの財産を蕩尽した者も同様の処罰を受けることになっている。さらに、定職につかずにぶらぶらしている者は、誰でも望む人がこれを訴えてもよいとされた。(p.53)


第1巻第2章ソロン より。

現代から見るとかなり独断的な内容ではあるものの、当時のギリシアにおける市民権が財産と強く結びついていることなどが見える部分でもある。



また、教育のある者は無教育な者とどの点で異なるかと訊かれたときに、「よい望みがあるという点でだ」と彼は答えた。(p.66)


第1巻第3章キロン より。

厳密に定義すると誤りになることが多いが、感覚される事柄を表現している限りでは正しいものを含む表現である。

「よい望み」を持つ者を育てることが教育者にとっては重要だと言う事もできるかもしれない。



強い者は穏和であること。そうすれば隣人は恐れないで尊敬してくれるから。(p.66-67)


第1巻第3章キロン より。

確かに。


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西和夫 『京都で「建築」に出会う』

 桂離宮の中心となる建物は古書院・中書院・楽器の間・新御殿である。四つの建物が個別に建つのではなく、少しずつ後退しながら連続する。・・・(中略)・・・。
 四つの建物を少しずつずらしながら接続した形態を、雁が飛ぶ隊形に似ることから雁行形と呼ぶ。建物と建物をそのままつなげたのでは、庭が見える部屋が少なくなり、かといって離して建て、廊下でつなぐと、連絡の具合がよくない。雁行形にするのは庭を見るのに都合のよい配置である。(p.31)


これによると、庭と建物との関係が建物間の配置を決める一つの要素となっている。



 数奇屋にしろ茶室にしろ、遊び心がないと良さはわからない。そしてもう一つ、時代の心、これも必要だ。時代の心とは、昔々のある時代へ、時間を超えて遡る能力だ。その時代、人々はどんな住宅に住み、どんな生活をしていたのか、それを考えることのできる心が必要なのだ。
 われわれは、現代の感覚でしか昔のことを考えられない。しかし、これは危険である。たとえば明るさがそうだ。夜は、現代では想像もできぬほど暗かった。だから、わずかの明りが有効だった。明り、光、これを現代人以上に大切にした。これは夜だけの問題ではない。茶室がなぜ光を大切にするのか。それは、光が客人に対するごちそうだったからだ。わずかな光を大切にし、光の扱いに工夫を凝らし、光のおもしろさを楽しんだ。これがそのまま遊び心につながる。
 数奇屋も茶室も、そうした遊び心に支えられて成立した。(p.58)


ここで言う「時代の心」が大事だということには私も同意見である。これは建築の鑑賞に限らず、歴史的な過去に遡るときに常に必要なものである。例えば、古典的なテクスト(哲学にせよ文学にせよ科学にせよ)を読む際や、美術品を鑑賞する際にも必要な考え方である。

ただ、この「時代の心」を使う際に注意しなければならないのは、想像力だけを逞しくしても、この心によって考え、感じたことにはならないということであろう。その時代に遡るためには、遡るために必要な知識もなければならない。知識だけに偏ってもダメだが、想像力だけに頼ってもダメなのであって、このバランスの中で感覚を研ぎ澄ます必要があるという点が、こうした歴史的なものの鑑賞の難しいところではなかろうか。

また、引用文後半の、光がごちそうであったとする表現はおもしろい。これは日本の建築に限らず、例えば、ゴシック建築などにも適用できそうな表現である。



 飛雲閣は三階建てのいわゆる楼閣建築である。超高層ビルがいくつも建つ現代では三階は少しも珍しくないが、日本では二階以上の建築は珍しかった。五重塔や三重塔があるではないか、といわれそうだが、これは本来、人が登るためのものではない。城の天守閣も、望楼、つまり物見の櫓から発展したもので、戦闘用の特殊建築である。・・・(中略)・・・。
 とにかく楼閣建築は、金閣や銀閣のような例を除くと、日本では大変珍しい。日本建築は、空間がたっぷり欲しいとき、横に広げるだけで縦に積み重ねることはしなかった。(p.113)


この意味では、金閣や日本の城の天守閣などは「日本を代表する建築」とは言えなさそうである。

日本の建築が縦に積み上げなかった理由の一つはやはり地震が多いという風土が関係していそうである。



町屋再生に力を注ぐ当事者としては、残すことを考えるよりむしろ住み続けることを考えている。文化財として残すということは外側からの考えにすぎない。自分たちが住みやすいように折合いをつけていく。残すのではなく住み続ける。つまり生活の一部だという。学者さんたちが調査に来て、復原は可能です、などといわれるが、復原の問題ではないのですと言われてしまった。建築史を専門としている私としては耳の痛い話であった。(p.208)


古都を「保存」していく際などに参考になる考え方。

ただ、「文化財として残す」ということも無意味ではない。「住み続ける」ことによって、住宅や街は有機的に変化していくだろうが、変化を重ねていくうちに、過去の知恵が捨てられていくことがある。こうした知恵を保存しておくことが、「住み続ける」際にもヒントを与えることがありうるからである。

ただ、いろいろな土地を観光をしてきて感じるのは、やはり「生きている土地」の方が魅力的だということであり、人々が「住み続ける」ということの重要性はこうした実感とも附合する。


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正井泰夫 監修 『図説 歴史で読み解く 京都の地理』

 本願寺についてはどうだろう。現在は東本願寺と西本願寺に分派しているが、もともとは親鸞が説いた浄土真宗を伝えようと、1272(文永9)年に創建された大谷廟堂を始めとする寺だった。1438年(永享10)年には御影堂、阿弥陀堂がつくられ、本願寺教団は拡大の途をたどった一方、他宗派の反発も強くなり、ついには比叡山衆徒によって本願寺を破壊されている。その後、山科、大阪へ移建し、1591(天正19)年になって豊臣秀吉が土地を寄進し、再び京都堀川七条へ戻った。これが現在の西本願寺だ。
 ところが、これで治まったわけではない。後継者争いも絡み、今度は徳川家康による土地の寄進を受け、1602(慶長7)年、烏丸六条に後に東本願寺となる新たな本願寺が建立されたのだ。これにより本願寺は東西に分派したことになる。家康には本願寺の勢力を分断させる狙いがあったともいわれている。(p.18)


最後の指摘は大変興味深い。私は宗教という社会現象を捉える際、信仰というものを中心に据えないということは既にブログで何度も述べてきたが、宗教による集団形成は、常に政治的な勢力としての意味も伴うものであって、この本願寺の分派に関する部分は私の見方とかなり合致するものがある。



 10世紀後半になると、平安京に過密と過疎の地域が生じるようになってきた。右京がすたれ始め、逆に左京は特に二条以北には高位の貴族たちの邸館が多く並び立ち、平安京の中心を左京が担うようになり始めたのだ。
 右京の衰退の理由は、人々は太陽が昇る方向、つまり東側へ住み移る心理があるとの説もあるが、実際には右京は湿地が多く、住居地には適していなかったことが大きな原因であったといわれる。(p.48)


京都の地理を見るに当たって、重要な視点であるように思われる。

なお、人々が太陽が昇る方向に移る心理があるとの説は極めてバカバカしいものであり、こんなものが紹介されるのは何故かと言いたくなる。もしこの説が妥当ならば、どの都市でも東側が栄えているだろうし、さらに言えば、どの国でも西側が衰退し東側が栄えることになるだろう。


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小川光三 『奈良 世界遺産散歩』

 慶派については次のような思い出もある。康慶の弟子定慶作と伝えられる興福寺の金剛力士像に良く似た力士像に、敦煌莫高窟で出会ったことがあった。莫高窟の南端に近い194窟の力士像は、八世紀の中唐期のもので、大きさは等身大の定慶の力士像の半分程度、しかも材質は塑像(定慶は寄木造)。奈良から遥か数千キロの彼方で、中唐期より約四百年後の建久年間(1190~99)の作品と共通した造型に出会うとは驚きであった。これもまた、天平の旧像を熟知した定慶が、その復元を目指した結果にちがいない。(p.64)


旅をして様々な文物を見て「面白い」と感じる一つのパターンとして、こうした比較対象を見つけることがある。これらの関係に思いを馳せることは知的な楽しさを感じさせてくれる。(そうした着想を文献などを通して確認していったりする作業もまた楽しい。)

近々、奈良や京都に行くことを計画しているのだが、最近、よく行っていた中国の建造物や各種の造型との比較をしながら、私も楽しんでみたいと思う。


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J.S.ミル 『代議制統治論』(その2)

そしてここで、官僚制統治は、ある重要な点で、たいへんすぐれていることが、認められなければならない。それは、実際にことがらを処理する人びとのなかに、経験を蓄積し、よくためされよく考慮された伝統的な原則を獲得し、適切な実際上の知識を準備する。しかし、それは、個人の精神的活力にとっては、同じく有利なのではない。官僚制統治をむしばむ病気、そして通例そのためにそれが死亡する病気は、型にはまった日常性である。(p.151-152)


マックス・ウェーバー的に言えば、前者のメリットは「専門知識」によるものであり、後者のデメリットは「伝統的行為」によるものと読み替えられそうである。

それはさておき、90年代に官僚批判が新自由主義の勢力によって盛んに行われ、不況が長引く中で「悪者探し」が多くの人びとの心の中に芽生え、それがかなり育ってしまってしまった結果、今日の日本では、「官僚制統治」はネガティブなものとしてしか語られない傾向がある。それに対して、そうしたイデオロギー的に偏向した現在の日本ほどかかっていない(もう少し適切に言えば、イデオロギー的な状況が大きく異なる)過去の文献などを読むと、昨今の風潮が持つ特徴がよく見えてくる。そうした意味から、私としては、知的な人びとには古い文献(19世紀後半から20世紀初頭頃のもの)を読み直すことを勧めたい



(3) イギリスでは既婚女性財産法(1882)の成立まで、妻には財産権がなかった。(p.272)


これはミルが書いたことではなく、訳者による注だが、ほんの130年ほど前のことでしかないことに驚かされる。



諸原理にきわめて精通している当局が諸原理にかんして最高であるべきであり、一方、細部についてきわめて有能な当局が細部をまかされるべきである。中央当局の主要な業務は、指示を与えることであり、地方当局の主要な業務は、それを適用することである。権力は地方に分散されていいが、知識はもっとも有益であるために、集中されなければならない。(p.369)


地方の政治のあり方について述べられた章での記述。おもしろいことに、ミルがここで述べているようなやり方は現実の日本のやり方にかなり似ている。

ただ、かなりの部分は細目まで中央により決められ、それが通達(現在は「通知」)されるという点では異なっているとも言えるが。また、指示する権限の所在や知識をどこで集約するということと同程度かそれ以上に重要なのは財源の問題なのだが、それについてミルは十分に考慮していないように思われる。



 ミルは、個性、少数意見の尊重をときながら、また「人の世のできごとの、たえずながれてとどまらない悪化にむかう流れ」を指摘しながら、文明と教養への信仰をすてることがなかった。それは未開に対する文明の優位(植民地支配)、無教養に対する教養の優位を、当然としたことにあらわれている。価値観や文化の多様性という問題は、かれの視野のなかに、まだ明確なかたちでははいっていなかったけれども、われわにれはかれの著作を歴史的文脈のなかで読むことによって、過渡期の思想家といわれるかれの矛盾のなかに、かえって問題の本質を見ることができるのである。われわれはまだ「腐ったオレンジ」の支配から解放されていない。(p.451)


これは本書の解説における、ミルの思想の位置づけと意義を要約した箇所である。ミルが「文明と教養への信仰」を強く持っていることは本書から非常に強く感じられることだし、そこに矛盾を見つけることも現在の観点から見るとたやすいことである。しかし、その矛盾、より正確には食い違いがある複数の考え方の並存を見て取ることによって、問題の所在や性質が明らかになるというのは確かであり、この引用文における指摘は大変的確だと思われる。

端的に言えば、文明・教養の側と未開・無教養の側に異なる原理を適用しているのがミルのやり方である。前者の優位を当然のこととし、これらが同水準のものは同水準に扱われるべきであり、同水準の権力を持ち行使すべきだとする。これに対し、「程度が落ちる」に従って認められる権利も行使できる権力も小さなものとされる。例えば、無教養なことが多い労働者は教養ある階級よりも政治的権利は小さく制限される(複数投票制などによって)。デモクラシーの政体を自ら維持できないとミルによって認定される「未開の国民」には植民地支配が正当なものとされる。

ミルによって当然のものとされている、教養(文明)の高さと低さが絶対的でなくなってしまえば、このある意味で「便利な」区別は使えなくなる。すべての人びとに対してミルが「教養・文明」水準が高いと判定した人びとと同等の扱いをすべきなのか、それともそれには何か困難があるのか。理想として前者が追求されるべきだということは漠然とした了解があるかもしれない。そうだとすれば、その実現を阻む要因として何があるか、ということを見いだし解決していくことが求められるのだろう。


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J.S.ミル 『代議制統治論』(その1)

本来の意味での奴隷とよばれるものは、自発性についてはなにも学んでいない存在である。もちろんかれは、野蛮人よりは一歩進んでいる。かれは、政治社会の最初の課程をこれから取得するまでにさえなっていない。かれは、服従することはすでに学んでいる。しかし、かれが服従するのは、直接の命令に対してにすぎない。自分たちの行為を、規則や法に一致させることができないのが、生まれながらの奴隷の特性なのである。かれらにできるのは、命じられたことだけであり、しかもそれをするように命じられたときだけである。かれらが恐れている人がかれらを監督しており、刑罰をもって威嚇しているならば、かれらは服従する。しかし、その人が背をむけると、その仕事は未完で放置される。かれらを決心させる動機は、かれらの利害関心にではなく、かれらの本能つまり直接の希望か恐怖に訴えるものでなければならない。野蛮人を飼いならしうる専制は、それが専制である限り、奴隷をその無能力状態に固定するだけであろう。けれども、かれら自身が支配する統治は、かれらによってはまったく運営できないであろう。(p.60-61)


「生まれながらの奴隷」に特別の本性が備わっているかのような言い方自体は不当なものだが、最近、私が低所得の社会層についてリサーチしていて強く感じることの一つに、人が人生観や世界観の形成するにあたって、家庭環境、特に親の考え方や育て方が強く影を落とすということがある。その際、生育環境が「不利な状況」であることが人生観形成にネガティブに作用するということを強く感じざるを得ない。

そうした感覚に照らすと、ミルの上記のような、いわば「偏見」のある見方には問題もあるが、一般に「不利な状況にある人たち」の行為の特性をかなり的確に捉えている側面もあることは否定できない。つまり、ミルが言うように、彼らは「自発性についてはなにも学んでいない」のであり、「かれらにできるのは、命じられたことだけであり、しかもそれをするように命じられたときだけ」という点である。

「教育」の重要性ということが強調されるべきである場面の一つは、こうした側面を除去・矯正していくというところにあるように私には思われる。そのためには、高等教育を含む教育の無償化や低価格化は不可避的な課題であるように思われる。

現状では教育にかかる家計からの支出は増大傾向にあり、「教育」が語られる際には、「右翼の歴史観」を教えるべきだとする暴論などによって、こうした本当の問題がかき消されてしまうことが残念でならない。



人類が原則として他人よりも自分自身を、とおい人びとよりももっともちかい人びとを好むということが、真理でなくなるときにはいつでも、その瞬間から、共産主義は実現可能であるのみならず、唯一擁護できる社会形態であり、そして、そのときが到来すれば、それはまちがいなく実行されるであろう。わたくし自身としては、普遍的利己主義を信じないので、共産主義が、人類のエリートのあいだでは現在でさえ実現可能であろうし、のこりの人びとのあいだでもそうなりうる、ということを認めるのになにも困難はない。(p.80)


ミルの思想の大まかな位置づけとしては、中道ないし保守的なリベラリズムのあたりにあると考えていた私にとっては、上記はやや意外な発言だった。

「普遍的利己主義」が現実と食い違うということには私も同意するが、「普遍的利他主義」を前提しない限りミルが考えるような「共産主義」は実現できないだろう。人びとの道徳観ないし行動原理が「普遍的利己主義」でないことは、「普遍的利他主義」であることを意味しないし、それが可能であることさえも意味するわけではないということをミルは十分に考慮していないように思われる。

人間にはどちらのタイプの動機も存在するのであって、社会を一色に塗りつぶすことはできない。少なくとも社会問題や政策について考える際には、そのように前提すべきである。現実から大きく乖離した理想主義に陥らないためには。その意味で、ミルの共産主義の実現可能性についての見解は「強い個人」を仮定してしまっていて不当である。



 代議制統治の意味するところは、国民の全体あるいはかれらのうちのある多数者からなる部分が、かれら自身によって定期的に選挙された代表者を通じて、究極的支配権力を、行使することであって、この権力はすべての国家構造において、どこかに存在しなければならない。(p.118)


代議制統治においては、究極的な支配権力がどこかに存在しなければならないとする発言は、事実認識としては誤りであり、ミルはこれを誤って想定しているに過ぎない。ミルのイメージでは、どこかにその究極的な権力の源泉がなければならないことになりそうであるが、そのような源泉は存在しない。また、その権力は権力者が意図して生じさせているものではないだろう。

複数の主体が相互に作用しあっていく中で、副産物的に権力が発生していくのであって、権力を行使しやすい位置にあるノードがそれをコントロールしやすいのは確かであろうが、権力を完全にコントロールできる主体も、権力の単一の発生源であるノードやクラスターは存在しない。そうだとすれば、権力が単一のものであると想定することも、それの単一の源泉があると想定することも、それをコントロールする単一の主体があると想定することも、権力の作用を見誤ることになるだろう。

ただ、例えば、法律上は特定の期間に最高の権力があることにするなどのフィクションを謳わなければならないことがあることは確かであり、そのように謳うこと自体が、その機関に権力を行使しやすくすることなども確かではあるが。

権力はどこにでも存在するが、それを誰かが意図的に利用できるかどうか、利用できるとしてもどの程度利用できるか、といったことは、その主体の立場や他の主体との関係性、そのときの(偶然的あるいは構造的な)状況によって左右されるのである。

(ちなみに、ミルのような見方は、「陰謀論」とも通じる見方であると思われる。)



 しかし、民衆的合議体は、行政を行ない、行政の任に当たる人びとに細かく指示するには、いっそう不適当なのである。干渉は、誠実な意図をもつものであっても、ほとんどつねに有害である。公共行政の各部門は、熟練を要する業務であって、それぞれ、特有の原理と伝統的な規則を有し、それらの多くは、かつてその業務にたずさわった人びとでなければ、なにか効果的なやりかたで知ることさえできないものであり、また、それらのいずれも、その部門に実際に通暁していない人びとによっては、正しく評価できそうもないものなのである。わたくしは、公共業務の処理は、それを創始した人だけが理解できるような、難解で謎めいたものだ、といっているのではない。その原理は、対処すべき状況や条件の真の姿を心中にもっている良識人ならば誰でも、すべて理解できるが、これをもつためには、その状況と条件を知らなければならないし、その知識は、直観によっては生じないのである。公共業務のどの部門にも(すべての私的職業におけると同じように)、きわめて重要な多くの規則があり、その問題に未熟な人は、その規則の理由を知らないか、あるいはそれらが存在するのではないかと考えることさえない。なぜなら、それらの規則は、かれがけっして想像したこともないような危険に対処し不便に配慮しておくために、企図されているのだからである。(p.124-125)


昨今の「官僚叩き」「公務員バッシング」の風潮に対して私は強い違和感を持っており、複数のブログでこれについて論じてきたが、ミルのここでの議論に私も強く同意する。もちろん、行政機関には適切な情報公開が求められ、それらについて説明責任があるべきであり、ミルの議論にはこの点が抜けている点で不十分ではあるが、昨今の「公務員バッシング」は、情報を適切に分析することなく「直観的な意見」によって行われており、そうした意見の持ち主にとっては「けっして想像したこともないような危険に対処し不便に配慮しておくために、企図されている」ようなものまで、知識に基づかずに、単なる反感に基づいて非難対象としてしまっているところがある。

行政に対しては、言葉の正しい意味での「批判Kritik」を行うべきであって、反感に基づくだけの「非難blame」による干渉はミルの言うとおり有害なのである。

ちなみに、政治についても同じことは言えるが、政治はより「素人」に開かれたものであり、権力闘争の場であるから、多少の「批判なき非難」が行われることは甘受しなければならないだろうが。



偉大な政治家とは、伝統を固守すべきときを知るとともに、それから離れるべきときを知る人だというのは、真理である。しかし、伝統に無知であるほうが、よくこのことをなしうると想定するのは、ひじょうな誤りである。(p.125)


ここで「伝統」と言われているものは、前の引用文にある、行政における「伝統的な規則」を受けたものである。つまり、少し大きく解釈すれば「行政が継続的に行ってきたこと」くらいの意味である。

つまり、偉大な政治家とは行政がどのようなものであるかを良く知っていなければならないのである。執行部を動かさなければならないのだから、それは当然であろう。これに対し、小泉純一郎や橋本徹はこの対極に位置する政治家だと言わなければなるまい。


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