アヴェスターにはこう書いている?
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レーニン 『帝国主義』

 そこで、独占の歴史を基本的に総括するとつぎのようになる。(一)1860年代と1870年代――自由競争の発展の最高の、極限の段階。独占はやっとみとめられるくらいの萌芽にすぎない。(二)1873年の恐慌以後。カルテルが広範に発展した時期であるが、それはまだ例外である。それはまだ強固でなく、まだ一時的な現象である。(三)19世紀末の高揚と1900-1903年の恐慌。カルテルは全経済生活の基礎の一つとなる。資本主義は帝国主義に転化した。(p.37)


レーニンの認識をコンパクトにまとめた箇所。自由競争がやがて独占に至るというビジョンは、スケールフリーネットワークのBAモデルにおける「優先的選択」と非常に似ている。

「自由化」の果ては巨大企業の出現であり、それが経済活動のハブとなって、他のアクター(ノード)と比較して極めて大きな位置を占めるようになる。そうしたハブと単なるノードは競争することはできず、単なるノードはハブに吸収されるか淘汰されてしまう。ハブはますます相対的な力を増すといったところか。

レーニンの示したモデルにおける帝国主義の段階と20世紀末から21世紀にかけての状況はかなり重なる要素があるように思われる。



 これとともに、いわば、銀行と最大の商工業企業との人的結合が発展する。すなわち、株式を所有するとか、商工業企業の監査役会(あるいは取締役会)の役員への銀行の重役がはいりこむとか、またはその逆の方法を通じて、この両者の融合が発展する。ドイツの経済学者ヤイデルスは、資本と企業とのこの種の集積にかんしてきわめて詳細な資料をあつめた。ベルリンの六大銀行は、自行の重役を344の産業会社におくり、自行の取締役をさらに407の会社に送り、こうして合計751の会社で自行を代表させていた。これらの銀行は、289の会社で、その取締役会の役員を二人ずつもっているか、あるいは監査役会長の地位をしめていた。これらの商工業会社のうちに、われわれは、きわめて雑多な産業部門、すなわち、保険業、交通業、レストラン、劇場、美術工芸業、その他を見うける。他方で、この六銀行の監査役会には、(1910年に)51人の巨大産業家がおり、そのなかにはクルップ会社や大汽船会社≪Hapag≫(Hamburg――Amerika)〔(「ハパグ」(ハンブルク――アメリカ)〕等々の重役がいた。この六銀行のおのおのは、1895年から1910年までに、数百の、すなわち281から419にいたる産業会社の株式および社債の発行に参加した。(p.69、本文傍点部は引用文では下線を付した。以下同様)


レーニンが示しているこれらの数字や関係性は大変興味深いものである。ここではやや数字に力点が置かれている傾向があるが、より関係性に力点を置いて分析すれば――すなわち、大銀行はどの業界とどのような関係を持っているかということ――、複雑ネットワーク研究の事例になるだろう。



 資本の所有と資本の生産への投下との分離、貨幣資本と産業資本あるいは生産資本との分離、貨幣資本からの収益によってのみ生活している金利生活者と、企業家および資本の運用に直接たずさわっているすべての人々との分離――これらは資本主義一般に固有のものである。帝国主義とは、あるいは金融資本の支配とは、このような分離が巨大な規模に達している資本主義の最高段階である。他のあらゆる形態の資本にたいする金融資本の優越は、金利生活者と金融寡頭制の支配を意味し、金融上の「力」をもつ少数国家がその他のすべての国家にたいして傑出することを意味する。この過程がどの程度に進行しているかについては、有価証券発行統計、すなわちあらゆる種類の有価証券の発行高にかんする統計資料から判断することができる。(p.98)


こうした「金融資本」の権力の増大は、20世紀末以降の状況と非常に似ている。

「グローバル化」と呼ばれていたものの正体ないし本体は金融自由化(金融グローバル化)であり、金融自由化とは金融取引が国境を超えて制限なし(わずかな制限しか受けず)に行われることによって、行動する際の制約がより大きい他の領域の現象(例えば、労働力は単なるマネーの決済と比べて、言語や慣習や住居等の問題があるために、移動の自由度が少ない)に対して優位性を獲得していく過程なのである。



 自由競争が完全に支配していた古い資本主義にとっては、商品の輸出が典型的であった。だが、独占が支配している最新の資本主義にとっては、資本の輸出が典型的となった。
 ・・・(中略)・・・。20世紀のしきいぎわになると、われわれは、他の種類の独占の形成をみる。すなわち、第一には、資本主義の発達したすべての国における資本家たちの独占団体の形成であり、第二は、資本の蓄積が巨大な規模に達した少数のもっとも富んだ国々の独占的地位の形成である。先進諸国では、厖大な「資本の過剰」が生じたのである。
 ・・・(中略)・・・。資本主義が資本主義としてとどまるかぎり、資本の過剰は、その国の大衆の生活水準をひきあげることには用いられないで――というのは、そうすれば資本家の利潤をひきさげることとなるであろうから――国外へ、後進諸国へ資本を輸出することによって利潤をひきあげることに用いられるであろう。これらの後進諸国では、利潤が高いのが普通である。というのは、資本はすくなく、地価は比較的に高くなく、労賃は低く、原料は安価だからである。資本輸出の可能性は、一連の後進国がすでに世界資本主義の循環のなかにひきいれられ、鉄道幹線が開通するかまたは敷設されはじめ、工業の発展の基本的諸条件がすでに保障されていることなどによって、創りだされる。資本輸出の必然性は、少数の国々では資本主義が「爛熟し」、資本にとっては(農業の未発達と大衆の貧困という条件のもとで)「有利な」投下の場所がないということによって、創りだされる。(p.102-103)


的確な指摘というほかない。これはまたもや20世紀終盤以降の状況と重なっている。

70年代にブレトン・ウッズ体制が崩壊した後、一部の地域(いわゆる「先進国」)の資本家たちの間で「金余り」の現象が生じ、金の行き場がなくなって来る中、より高い利潤を求めて「後進国」に活路を見いだすというのが基本的な構図である。

80年代頃に「多国籍企業」と呼ばれる企業が現れ、外国への直接投資をしはじめたことが思い出されるし、この頃からの中国の急速な経済成長はまさにこのようにして資本が投下されてきたことの帰結とも言える現象である。もちろん、多国籍企業の時代のような対外直接投資のようなリスクもあり、手間隙もかかる面倒な方法から、90年代頃からはマネーや有価証券を利用したより流動性が高い方式が普及してきたという大きな変化も付け加えなければなるまい。



 イギリスにとっては、植民地占取がおそろしく強化された時期は、1860-1880年であって、19世紀の最後の20年間にも植民地占取はきわめて顕著であった。フランスとドイツにとっては、それはまさにこの20年間になされた。われわれのすでに見たとおり、独占以前の資本主義、すなわち自由競争が優勢であった資本主義が極限の発展をとげた時期は、1860年代と1870年代である。いまやわれわれは、ほかならぬこの時期の後に、植民地占取の巨大な「高揚」がはじまり、世界の領土的分割のための闘争が異常に激化していることを見る。したがって、独占資本主義の段階への、金融資本への、資本主義の移行が、世界の分割のための闘争の激化と結びついているという事実はうたがいないことである。(p.128-129)


このあたりの状況は19世紀末と20世紀末でやや異なっているところである。20世紀では60年代頃から19世紀とは逆に、植民地の解放が始まっていたからである。

しかし、形式的には反対であっても、金融との関係で見たときには、共通性もあるのではないか。すなわち、いずれも資本移動のルールを含めたルールが世界中に広まっていくという点では同じだったように思われるからである。植民地化の時代には植民地を得ることによって、宗主国のルールが植民地に持ち込まれ、また、物流についても植民地は宗主国とリンクされることになった。1960年代には、植民地にならなくても主権国家であれば国際的なルールに従わなければ不利な状況になるような程度にまで国際的なルールが確立していたものと思われる。だから、コストがかかる植民地を維持し続けるよりも、植民地を独立国にして「国際的なルール」に従わせるだけで十分になったのではないか。

さて、本書の特徴として一つ言えるのは、ここの引用文における「したがって、独占資本主義の段階への、金融資本への、資本主義の移行が、世界の分割のための闘争の激化と結びついているという事実はうたがいないことである」という部分に見られるように、指摘としてはそれなりに妥当性があると思われることではあるが、厳密に論理的には正しいわけではなく、また、指摘事項についての十分な論証がない箇所が多いということである。小冊子の宿命ではあろうが、ややこうしたところには不満も残る。



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文:小林慶二 写真:福井理文 『観光コースでない「満州」 瀋陽・長春・ハルビン・大連・旅順』
瀋陽

 1920年代半ばには故宮の北側、奉天城内の繁華街・四平街に、商人たちによって三~四階建ての高層建築が次々に建設された。だが、ほとんどの高層建築は、外観は洋風だが、内装や装飾など細かい箇所には欧米では見られない中国独自の工夫が凝らされていた。当時の中国の建築家は、本格的な洋式建築を学んでいなかったためである。こうした漢洋折衷の建物は“中国バロック建築”と呼ばれ、ハルビンなど中国各地に存在する。四平街に1925年竣工した吉順絲房は“中国バロック建築”の代表的な建物で、現在は瀋陽市第二百貨店として健在である。(p.27)


なかなか興味深い。どのように違うのかもう少し細かく知りたいところだが、文字で理解するより、まずは実物を多少とも見てからの方が分かりやすいかもしれない。



 加害者である日本が、“自虐史観”に陥ると主張して教えず、被害者である国々もそれを無視すれば、犠牲者たちは歴史から完全に抹殺されてしまうだろう。加害者側、つまり日本が隠そうとすればするほど、被害者側が教育に力を入れるのは当然とも言える。(p.129)


歴史問題についての発言だが、概ね妥当な意見ではあるが、著者の考え方は、「被害者側」の主体性をあまり重んじない発想でもある。というのは、被害者側というのは、その被害の経験に発して自ら主体的にその被害を残そうとすることがあるからである。

例えば、ヒロシマやナガサキの原爆の被害については、アメリカはそれを隠そうとしていないが、そんなこととは関係なく、悲惨さを語り継ごうとする人々が出ている。そうした動きは、アメリカ側に原爆投下は「やらなければもっと多くの犠牲者が出ていたはずだから『しょうがない』」といった議論への反動によって強まっているわけではない。

もちろん、何が残され何が残されないかということを決定づける要因はこうした自生的なものだけでなく、政府の方針により教育プログラムにどのように組み込まれるかということや、何が報道される(ことが許される)か、ということも大いに影響している。その意味から言えば、著者の見解はやや精神論というか、心理的な印象がそのまま社会現象として反映するかのような論理になっており、推論自体は誤っている。ただ、著者の発言の主旨は、日本では過去の加害の事実をも教育の中で教えていくべきだということにあるから発言自体は妥当なのである。



 さらに敗戦直前のソ連軍の参戦で、開拓民たちは予想もしなかった悲劇に襲われた。男子は壮年に至るまでほとんどが徴兵され、女、子ども、老人を中心にした開拓団員の家族たちは、凶暴なソ連軍に蹂躙され、開拓団に憎しみを抱いてきた中国農民に略奪された。彼らを守るはずの関東軍は、戦略と称して大半が朝鮮国境付近に撤退し、その事実すら開拓民に知らせなかった。この悲劇はすでに多くの人たちによって明らかにされているので、ここでは詳しく触れないが、当時、中国に在住していた日本人の14%にすぎなかった開拓民の死者数が全体の50%以上を占め、中国残留孤児の両親の68%が開拓団員であったことを、指摘しておこう。(p.183-184)


開拓民の悲劇も日本ではあまり語られていないように思われる。もっと知られるべき事実だろう。

ただ、ここでは「軍隊は人々を守らない」という一般的な経験則の事例として書き記しておくことにした。

軍隊はまず何を措いても軍隊自身を守るのであり、そのために一般住民などが犠牲になることがあるということはよく知っておく必要があるだろう。



現在、日本の置かれている国際環境は、私には満州国建国前夜とよく似ているように思える。唯一の違いは大国・米国の庇護下にあることだろう。だが私は、友人である韓国の碩学、李御寧・元梨花女子大教授がかつて語った言葉が忘れられない。

 日本は隣国の韓国や中国と仲良くできなければ、世界で孤立しますよ。今日本がどこかの国から批判された場合、本気で日本を庇おうとする国があると思いますか。どこもありません。せいぜいアメリカがリップ・サービスをするぐらいでしょうが、そのアメリカは自国の利害に反すれば、手を差し伸べないでしょう。


 日本の置かれている立場は、一般国民が考えている以上に深刻だと思う。こうした時こそ過去の過ちから学び、その教訓を生かして軌道修正すべきではないだろうか。かつて満州で起こったことは、そのための最適の教材と言えるだろう。(p.254)


本書は2005年に出版されているから、小泉が首相だった頃であることもあり、かなり悲観的な現状認識になっているが、外れてはいない。

日本が批判された場合、庇おうとする国がないというのは確かだろう。例えば、慰安婦問題が世界中のかなり多くの国から批判されたことは記憶に新しい。

もっとも、国際政治の世界では他国のために必死に庇うというような、人情的な対応は元来期待できないものではあるが、それにしても日本政府には、共同して歩調を合わせて何かを実現していけるような仲間がほとんどないことは事実だろう。この点に関しては、中国やロシアがしばしば共同してアメリカの動きを阻止したりすることと比べると雲泥の差があるように思われる。


三矢陽子 『生活保護ケースワーカー奮闘記2 高齢化社会と福祉行政』

 生活保護申請の際、身内や友人を名乗る同伴者の中に、まれに債権者が混じっていることがある。「身内」を名乗る場合は、後日の調査の結果、債権者であると判明しやすいのだが、「友人・知人」を名乗り申請者本人までもが同調している場合は、なかなかすぐには見破れないものである。(p.190)


現場の人ならではの記述であり、興味深いものがある。生活保護受給者の回りにたかる黒い社会の様相が垣間見える部分ではある。申請者の多くは困っている人であるがゆえに、例えばヤミ金などの人間にも付け入る隙が多いだろうし、なかなか根が深い問題ではある。

問題解決の簡単な方法はなかなかないだろう。行政による給付や貸付を緩和して、人々が困る前に救済すればよいという考え方もありうるが、給付の要件が緩いとそれだけ悪用もしやすくなるという側面もあるだろう。私が知る限りでも、こうしたジレンマは現場では絶えないようである。


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