アヴェスターにはこう書いている?
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石弘光 『税の負担はどうなるか』(その2)

 日本の国民負担率は2003年度に36.1%と、1982年の土光臨調当時のレベルとあまり変わらない。つまり一見するとアメリカ型のようにみえるが、しかし現状において公共サービスを賄う財源は、租税と社会保障負担だけでは到底足りない。その不足額は、よく知られているように年々巨額な財政赤字で補われている。財政赤字は将来の増税によって償還せざるを得ないので、国民負担増のいわば先取りである。そこで先述したように今日では、財政赤字の対国民所得比率を加えたものを潜在的な国民負担率として国際比較が行われている。
 この新しい指標によると、日本のみ11%も通常の国民負担率が上昇し、47.1%と一躍第三のタイプの欧州諸国と接近してくる。ちなみに財政赤字幅を負荷する概念を導入しても、アメリカとフランスが1~2%程度上昇するのみで、他の三カ国の財政はほぼ均衡しているので影響がない。日本のみ潜在的な国民負担率と通常のものが乖離を示すが、それだけ財政赤字が深刻だということである。この結果、日本の特徴として国民の受益水準は潜在的な国民負担率を反映し欧州並みの高水準であるのに比べ、国民の負担水準はアメリカ並みの低水準となっているといえよう。(p.68-70)


ほぼ同意見である。

強いて言えば、日本の特徴としての「国民の受益水準」の中身が欧州と異なっており、日本の場合は公共事業による低所得層への所得給付という形態を伝統的にとってきたため――ちなみに、これは戦後の冷戦下での世界経済の動きと連動したものであった――高齢化社会を支えるための福祉政策による給付水準は欧州よりもかなり低いということをもっと明確に指摘すべきである。

私見を述べれば、日本の財政による再配分は概ね「中福祉・低負担」であるために「高債務」の状態なのである。そして、福祉政策が選別主義的であって普遍主義的でないために、受益が見えにくく、受益が見えにくいために負担への拒否感が強いのであって、低負担でありながら「高負担感」なのである。(これをさらに助長するものとして、90年代にネオリベラリズムの陣営から次々と発せられた「官僚による無駄遣い」論があり、このイデオロギーが浸透しているために負担に対する拒否感が醸成されている点も見逃せないだろう。)



つまり税制は国民すべてのインフラである以上、減税も像時絵も国民が判断し、その結果に国民が全員で責任を担うべき性格のものといえよう。逆にいえば、国民の側も政府が悪い財務省が悪いといって、責任を転嫁し続けることはできないということである。(p.97)


これも同意見である。

しかし、責任を政府や官僚に押し付ける意見の何と多いことか。このことには嘆かわしく思っている。ただ、政策論としては、「国民」をここまで賢いものとして想定することは避けるべきであって、もっと「弱い個人の仮定」に立って立案していかなければならないのだろうとも思う。少なくとも実務的なレベルでは。



そもそも社会全体で共同に使用する財・サービス(道路、警察、司法など)のために支払うのが税であるだけに、目的税(例、道路建設に充当される揮発油税)を除けば、一般に税負担に個別の対価を期待することは誤りである。(p.126-127)


そうなんだよねー。ここを見誤った感情論がいかに幅を利かせているか。これにいつも歯がゆさを感じるのだ。なおこの点については以前、このブログでも神野さんの著書を紹介したときに同じようなことを書いたのでリンクを貼っておく



日本のように、納税者の80%が10%の限界税率のみでよいとする現状は、明らかに累進税率により所得税負担の垂直的公平を図ろうとする基本的な構造を壊しているといえよう。(p.131)


このワンフレーズだけを抜き出すと意味が分かりにくいが、要するに、日本の所得税(本書は税源移譲がなされる前に書かれたので当時の税率で語ることにする)は、納税者の80%が税率10%のブラケットに納まってしまっており、それ以上の税率が適用されている人は少数しかいないということである。

これではほとんど比例税率と同じであって、累進課税をしているとは言えない。これが日本の現状である。なお、税源移譲があったために所得税と住民税の税率ブラケットの中身は変わっているが、トータルで見ると構造としては全く変動がないので、この問題は現在も続いているのである。



消費税の目的税化に対する批判

社会のセーフティネットを構築する費用を調達する手段として福祉目的税にするというのは、政治的に受け入れられやすいが、歳入のコアの部分を固定化する弊害はあまりに大きすぎる。(p.173)



確かにその通りである。

なお、税制としてよりも政治的な面に着目して福祉目的税としての消費税を批判するならば、目的税として消費税増税がなされた暁には30年後には「厚労族」の族議員のような連中が凄まじい利権を持つような構造になりかねないとも思う。


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石弘光 『税の負担はどうなるか』(その1)

 情報を集め統計データで検討すればするほど、条件をいろいろ付すとしても将来の税負担増は不可避だという結論に達せざるを得ない。・・・(中略)・・・。
 この際、将来税負担増は必要ないとする論拠にしばしば用いられる次の二つの主張(願望といってもよいかもしれない)を、放棄すべきである。第一に、ムダな歳出を削減し、行財政改革を断行し、ムダな公共セクターの組織を削れば、増税は不必要だとする主張がある。たしかにこの点は無視できず、本書でも繰り返しその重要性を強調している。しかしながらそれはあくまで、税負担を引き上げる前に満たすべき前提条件に過ぎず、増税が一切不必要であるという論拠にはなり得ない。つまり今後必要とされる膨大な財源をすべて歳出削減と行財政改革で賄えるとは、到底考えられないからである。仮にあくまでこの主張に固執するなら、実行可能な視点からどの歳出や組織をいつまでに、どの程度削減すべきかを提示するべきであろう。
 第二に、減税や公共事業の財政出動により景気を回復させれば税収は増え、将来の必要な財源は確保されるから、今後増税の必要はないとする主張がある。問題は公債発行による減税などの財源が、景気回復により自動的に造出されるかである。たしかに景気が好転すれば、税収は増加する。しかしこれで財政健全化に資するほどの税収増になり得ないのは明らかである。将来の名目成長率の見通し(せいぜい2ないし2.5%)と、税収の所得弾性値(現在では1.1程度)を前提とすれば、毎年の税収の自然増をある程度推定できる。この増加額は、国の一般会計で一兆数千億円程度に過ぎない。この一例から容易に分かるように、景気回復-税収の自然増だけでは問題の解決には程遠い。増収に向けての税制の制度上の変更は、不可欠である。(p.4-5)


概ね同意見である。

ただ、無駄な歳出を削減することを増税の前の段階に位置付けるような二段階論には私は否定的である。本書でも確かに随所で無駄な歳出を削減することの重要性は繰り返し主張されているが、具体的な方法も対象も程度も示されていない。

本書に限らず、二段階論を主張する人は、削減・合理化するのはどの対象であり、それをどのような方法でどの程度まで行うのかを明示する必要がある。そして、その達成度をどのように評価するのか、というところまで示せなければならない。それがなければ、いつ「改革の本丸」である第二段階、すなわち増税に移行するのかを示すことはできないからである。

総じてこの手の主張(歳出削減が先で増税派その後だとする二段階論)は――往々にして感情に任せた議論でしかない、というだけでなく――単なる増税(問題)の先送りでしかない。すなわち、負担の先送りにより問題の悪化を招く主張に他ならない。というのは、高齢化が進み、人口の減少が始まる中で、団塊の世代や団塊ジュニア世代からしっかりと税を徴収できなければ、問題をソフトランディングによって解決するチャンスは失われてしまうのに、いつ終わるか分からない「無駄の削減」など待っていられるはずもないからである。

(ある意味、こうした歳出削減が先だとする論は、かつてのマルキシズムを想起させる主張だし、もっと近いのはイスラーム原理主義と呼ばれる思想が示す政治論と類似していると私は考えるが、この点については機会を見て論じることにしたい。)

第二の論、最近では「上げ潮派」の主張に該当するが、これに対する批判は全く妥当なものである。彼らの論がそれなりの正当性を持つためには極めて累進性の高い税制の構造がなければならないし、もしそうした税制になったとしても目的を達成することはできないだろう。これも詳細は省くが、彼ら(上げ潮派)の目的は財政の安定化や財政の活用による資源の有効な再分配などにはないことは見て取る必要があるだろう。



しかしながらこの(引用者注;90年代の財政出動による)刺激効果は、これ以上に景気後退を深刻化させずに、「二番底」になるのを阻止した程度であろう。大規模な財政出動の効果を減殺しているのは、やはり不良債権の存在である。(p.13)


財政について論じる際に、意外と語られないのが金融との関係である。本書のこの指摘はその意味でも重要である。

なお、90年代の財政出動は効果が全然なかったのではないという指摘は財政学者の間では共有されており、その点、一般に「公共事業=無駄・悪」というイメージを持たれているのとはややズレがあるということを指摘しておきたい。



税率引き下げや諸控除の拡大は、そもそも税収を制度的に確保しにくくする「税の空洞化」を招いてきた。
 以上のことを総合すると、日本は税金を集められない国になったということであろう。(p.17)


「税の空洞化」が起きているという指摘には同意見である。このことと行き過ぎた税率構造のフラット化が財政赤字の大きな原因であるというのが私見である。

本書はフラット化し過ぎているという部分は私ほど問題視していないが、そこに私との見解の根本的な違いがあるように思う。この点以外ではかなり共感するところは多いのだが。



 仮に税負担増やむなしの受け入れ態勢が出来上がったとして、どのような形でこれを実行に移すべきかが問題となる。この最重要なことは、以下の各章で強調するように、年齢を問わずすべての人々に「広く」「公平に」負担してもらう税制を構築することである。換言すれば、特定の人、特定の所得のみに「狭く」重い負担を課しても、問題の解決にはつながらない。(p.31-32)


この考え方は本書を貫く基本となる考え方だと思われるが、上述のような私と石氏との見解の相違はここにも表れていると思う。

本書はどちらかというと「広く」に重点が置かれているように私には思われたのだが、これは「中の下」くらいの所得階層の人々にとって現行制度と比較した場合、かなりの重課になることを意味する。石氏の主張する税制改革を行うとそれが実現する。

私の場合は「公平に」という方をより優先して累進課税の強化を先に主張する。これによって「広く」した際の「中の下」以下の所得階層が受ける増税を軽減し、その分を高所得層や高収益を上げた企業に負担してもらおうということになる。そこに見解の若干の違いがあると思う。

とはいえ、若干異なる意見であっても、石氏の上記の定式化は参考になるし、私に知的な刺激を与えるものであった。



 2003年現在、第5章で詳しく述べるように、就業者(パートタイマーやアルバイトも含む)のうち、約四分の一が所得税を払っていない。つまり非納税者の割合が25%にのぼる。・・・(中略)・・・。
 同様に法人税も、約三割の企業しか納税していない。・・・(中略)・・・。このような状態で、景気刺激のために法人税の基本税率引き下げを実施したとしても、三割の企業しか減税の恩恵を受けられず、その効果がどの程度かは疑問である。(p.44-45)


重要な指摘であり同意見である。

就業者の所得税非課税の割合が高いのは、税制の問題というだけでなくワーキングプアに象徴される労働条件に関わる問題でもあり、そちらの方が重要だから、私の場合は、本書のようにここから即座に所得控除の大幅縮小の議論には行かない。(もちろん、整理してよい控除は結構あると思っているが。)

法人税の方はもっと重要である。法人税を減税しても景気対策としての効果は見込めない。これと同様に、私が主張するように法人税の税率の累進性を上げても、影響を受ける企業は数パーセントの高収益企業だけである。だとすれば、これが景気に及ぼす影響もタカが知れているのであり、増税(累進性を高める)ことにそれほど大きな問題はないはずなのである。


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杉山春 『ネグレクト 育児放棄-真奈ちゃんはなぜ死んだか』

 徳永は、虐待はアディクション(依存症)の一種だと考える。
 「子どもは家族と一緒に育てるのがいいというのは、アディクションがわかっていない人の家族幻想です。家族こそ危険なのだという発想が必要です」
 依存症には、アルコール依存症、薬物依存症などがあるが、患者はしばしば家族との葛藤を抱えている。アルコールや薬物の依存者は生育歴などを含め、さまざまな理由から自尊心が低下していることが多い。自分自身の弱さに直面したくないため、酒や薬物に逃避する。酒や薬物は、生きることへの恐怖心を打ち消すぎりぎりの選択だ。単純な禁止や叱責は治療に役立たない。専門的なアプローチが必要となる。
 虐待者もさまざまな理由から自尊心が低下して、周囲に強い不信感を抱え、人を信じることができない。自分以外に庇護者がいないわが子を思い通りに扱うことで、自尊心を保とうとする。あるいは思い通りにならない子供の存在を無視してしまう。子どもを利用して、自分の無力さに直面しないですむようにする。虐待者は、そうしなければ自分の存在が脅かされる、生き延びることができないという差し迫った思いに縛られている。虐待者は虐待してはいけないことを十分に知っているのだ。叱責では子どもを救えない。(p.98-99)


これはネグレクトを行ってしまう親についての心理的な説明として説得力を感じた箇所である。



 虐待をする家庭は、社会の最も弱い人たちだと、坂井も言う。
 「本来家族は、経済力、親族同士が助け合う力、知的能力、コミュニケーション能力などさまざまな支えを持っています。ところが、支えるものがなく崩れてしまったのが、虐待です。子どもの養育は、家族の機能のなかでも最も大変なことです。だから、虐待が突出するのです。」(p.283)


虐待に限らず、生活保護受給者などのいわゆる社会的弱者には共通に見られる傾向であると思われる。「普通の人々が持っている最小限の支え」を失った人々が一部には常にいるということ、その事実はなかなか周囲からは見えにくいこと、これらのことは指摘できると思う。

経済的だけでなく社会的な貧困は、論理的には誰もが陥りうるが、実際には誰もが陥るものではない。こうした支えが弱い人から順に貧困に落ち込んでいくというのが一般的な傾向である。だから、こうした支えがない人々ができるだけ少なくなることによって、貧困化をある程度防止することができるはずである。

アマルティア・センはこうした「支え」のことをエンタイトルメントと呼んでいるようである。これは非常に参考になりそうな概念として注目しているのだが、まだセンの著書はほとんど読んだことがないので詳しいことは何もいえない。しかし、センのエンタイトルメントの概念は、個人に属するものとして捉えられている傾向があるように思え、その点は気になっている。以上のような点を踏まえて、彼の思想を学んでみたいと思っている今日この頃である。


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杉原たく哉 『中国ハッピー図像入門 しあわせ 絵あわせ 音あわせ』

 たとえば仮に、日本の御神輿がアメリカの博物館でガラスケースの中に置かれていたとします。ただそれだけでは、御神輿の本質をアメリカの人々に理解してもらうことはほとんど不可能であろうと、みなさんは思われるはずです。神社のお祭りという行事と華やいだ雰囲気、多くの半裸の男たちに担がれて、掛け声とともに揺れながら町を進み行く様子をビデオなどで紹介してはじめて、御神輿のもつ意味や魅力を理解してもらえるのではないでしょうか。美術館の展示作品はガラスケースの中の御神輿と同じです。それがいつ、どのように、どんな目的で使われていたのか、飾られていたのかを問うことなしに、物体の表面だけを眺めていても、作品の本質的な理解には至らないのです。(p.8)


「美術」とされているものを鑑賞する際に注意すべきポイントの一つ。中国の美術は工芸品としての側面も強いので特にこういう傾向が強いと想像される。



 こうした東海の仙島は、中国の人々にとって、古来不変の憧れでした。人々の眼差しは幻の島を求め続け、その結果、中国の庭園には常に池が造られ、池中には岩や築山が置かれることになりました。池は「東海」の見立て、岩や築山は仮の「蓬莱山や十洲」です。(p.31)


象徴主義的な解釈ではあるが、確かにそのように解釈できないこともない。近々、蘇州の庭園を見てくる予定なので、こうした観点を念頭に置いてチェックしてみよう。



 こうした不死と再生の月のパワーを体に注入すれば、すこしは長生きできそうな気がしますよね。どうするのかって?それは簡単。食べればよいのです。中秋節に中国では月餅を、日本では月見団子を食べます。私たちは明月を見ながら、実はお菓子にした月を食べてきたのです。(p.59)


本当かどうかは分からんが、なかなか面白い。月餅と月見団子が同じような呪術的な意味を持つとすれば、それもまた興味深い。



 中国では亀は「天から授かった聖典を背負って人間界に出現する動物」と考えられてきました。「夏王朝の禹王が洪水を治めたとき、甲羅に文のある神亀が洛水から出てきた」という「洛書伝説」がもとになっているのです。甲羅を焼いてできるひび割れから、天の意思や吉凶を占う「亀卜占い」が行われていたことも関係しています。甲羅の上に書物が載っていてもよいし、甲羅そのものに文書が書いてあってもよいのです。(p.69)


中国ではやたらと石碑の台として亀が造型されているのだが、それは
   亀の甲羅を使った占い→洛書伝説→亀は聖典を背負う動物
という発想の流れが背景にあると考えると納得できる。



 壁に掛けられた山水画は「不老不死のバーチャル・パラダイス」です。私たちが西洋絵画を見るときのように、外側から作品や作家と向き合う鑑賞の仕方でも結構ですが、山水画の場合は意識の中で絵に入り込み、絵と一体化することの方が大事です。
 ほとんどの山水画にはどこかに山道が描いてあります。山水画を見たら、まず道を探してください。そこには必ず道をたどる、あるいは佇む人がいます。それがあなた自身であり、そこが風景の最初の鑑賞ポイントになります。画中の山道をたどり、新鮮な空気を胸一杯に吸い込み、木漏れ日の揺らめきの中で葉擦れの囁き、せせらぎの音に耳を傾けてください。
 次に、多くの場合、その道の先のどこかに小さな庵が描かれていますから、探してみてください。庵は、風水の理に適った素晴らしい場所に立っています。そこが、もっとも重要なビュー・ポイントであり、絵の飾られた部屋と画中の空間をシンクロさせるポイントでもあります。その絵が飾られた部屋や家でもあるのです。画中の素晴らしい風水の気は、画面を通して部屋や家に流れ込み、あなたを、ご家族を、そして子孫たちまでをも幸せに導いていきます。(p.141-142)


山水画の見方。道→人→庵と追っていきながら、画中に入り込んで風景を見、気を感じるわけだ。今度試してみよう。結構時間がかかる見方だが。



 つまり、このティーセットはジャポニズムといいながら、実は日本を経由した中国ハッピー図像の作品なのです。こうした現象は別に不思議なことでも、珍しいことでもありません。万博などで日本人自身がヨーロッパの人々に「日本的美」として紹介した美術品は、その多くがデザインのオリジンを中国の吉祥美術に負っていました。今の私たちが見ると、どこが日本的なのだろうと首を傾げたくなるような露骨な中国趣味の作品が博覧会場にはたくさん展示されていたのです。江戸から明治にかけての日本と日本人は、今の私たちよりずっと中国風な美的センスの世界に生きていたようです。私たちが今「日本的」と考える「日本美術」は、明治以降百年以上の間に「こうあって欲しかった」という願望のもとに歴史を取捨選択して構築した「望ましい過去」といってよいでしょう。実際の昔の日本人は、侘び寂びだけでなく、ドロドロ、ギトギトした美も含めた多様な美意識の中で生きていたのです。(p.201)


歴史叙述はしばしばこうした「構築された望ましい過去」であることが多い。というか、「事実の理論負荷性」ということから言って、これに類する傾向を持つことは歴史叙述の宿命とも言える。

近年の日本で言えば、極端な歴史修正主義者たちが喧伝する歴史観などは、荒唐無稽なほどにまで事実より願望を前面に出した事例(願望を事実として語っている事例)だと言える。

このような極端な事例を見るまでもなく、歴史叙述の宿命とは言っても、願望をそのまま事実として語ってよいわけではない。願望を投影することに対してはできるだけ禁欲的でなければ、その願望を共有しない第三者から見た場合の客観性は得にくい。そのために自らの願望など(自分の見方)をできるだけ自他共に明示的に示した上で、事実相互の関係や事実の存在や関係を示す論拠について明示しながら叙述を進めるというのが学術的なレベルの研究では常に求められる。

ある程度の学術的な水準がある歴史叙述であっても、日本美術史などで言えば、上記の引用文で指摘されているような(明治以降百年以上の間に「こうあって欲しかった」という願望のもとに歴史を取捨選択して構築した「望ましい過去」)パラダイムが成立していたことが指摘されている。これは「日本美術」に限らず、他の地域や分野についても言えることであり、「近代国民国家」の成立の時期に歴史学という学問が並行して発展してきて、その際に歴史家たちは自らの「国家」を称揚するものとして歴史を描いてきた面があった。(19世紀などにはヨーロッパ諸国でそれが顕著だったと思うし、現代でも中国の歴史観などを見れば、共産党による支配を正当化するものとして描かれていることから、これらがどのようなものであったかがわかるだろう。)歴史叙述を読む際にはこうした偏向がありがちであることを念頭に置いて、それらをフィルタリングしながら読むことも必要なことであろう。


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横手裕 『中国道教の展開』

 これにたいし「宗教」はヨーロッパで成立し、近代に東アジアへはいってきた概念である。日本で明治維新が起こり、西洋の文化や学問の輸入が積極的におこなわれるなかで、ラテン語religioをもとにした西洋諸国語(英仏religion/独Religionなど)の和訳後が複数あらわれることになったが、明治十年代ころからそのうちの「宗教」が優位になり、しだいに定着していくことになったようである。ここで「宗教」という言葉をさかんに語りながら仏教、神道、儒教などにたいして文明的優越を主張したのがキリスト教であり、それに対抗して仏教も自らを優れた「宗教」であると説きはじめるようになった。そのような過程をへながら、「宗教」はキリスト教を範型としつつ、世界共通の文化の一つとして人が思考するにあたって必要な概念とみなされて定着した。そして、日本では仏教をはじめとしてそれに類似する既存の文化も「宗教」の名で呼び、その型にあわせて理解することになっていくのである。このような状況下で、道教もいつしか宗教とされたようである。(p.5-6)


日本における「宗教」の概念の形成史。この用語自体がキリスト教を範型としていたということは極めて重要なポイントであり、それにあわせて他の「宗教」も裁断されることとなった。「宗教」という言葉の核心部分に「超越的な神への信仰」が漠然とイメージされるのも、このことによると言えよう。

私としてはキリスト教であれ、仏教であれ、道教であれ、イスラームであれ、こうした「宗教」と呼ばれる現象は、「共通の信仰」がそのメルクマールであるというよりは、むしろ、集団形成のひとつの形態として捉えるべきであると考える。集団を形成する際のメルクマールとして教義や信仰というよりも、とりわけ儀礼を共有している場合にその集団が形成される形態を「宗教」と呼ぶべきだと考えている。即ち、理論ないしイデオロギーを中心として形成される学派や政党とは異なり、共通の教義に基づく儀礼――実質的に自己目的的な儀礼であって、プラグマティックには何らかの目的のための手段として位置付けられないような儀礼――を共有している集団形成の様式を宗教と呼ぶ。

このような読み替えを行うことによって、「超越的なもの」への信仰を中心として捉えられがちな、キリスト教をモデルとした宗教観よりも、様々な「宗教」の現象を捉えやすくなるのではないかと考える。



一言でいえば、文化を形成し担う中心的主体が貴族から富裕市民層に移り、その質も貴族趣味から庶民化したといえよう。(p.57)


唐代から宋代は中国の文化のターニングポイントとされるが、道教も同じであったと本書はいう。唐から宋にかけての時代における文化の性質の変化を分かりやすく端的に表現していると思う。

もちろん、唐代にも「庶民の文化」は存在したが、それがメインカルチャー的な扱いを受けてこなかったのに対し、宋代になると「庶民の文化」が肯定的な評価を受け、残されるようになったというところだろう。



 「道士と道観の道教」が道教として正統であり権威をもつということは一般論的に認められているが、じつはそれ自体の活動内容は伝統に依拠しその遵守をむねとするわけであり、大きな内容的変化は起こりにくいことになる。それにたいし、本来は非道士による道教文化がいろいろなかたちで展開発展し、道士の道教にも流れ込んでそれを豊かにしていくものであったといってよいであろう。(p.78)


興味深い現象であり、道教以外の分析にも使えそうなモデルだと思われる。フォーマルなものはフォーマルであるがゆえに伝統に拘束されて固定化される傾向にあるが、インフォーマルなものにはそれほどの拘束性がないために時代とともに変遷していき、それがフォーマルな世界にも影響を与えていくとする。

「伝統」とされるものの多くは実際には過去も現在もそれほど長く同じものは続いていないということからすれば、ややフォーマルなものの伝統的拘束性を高く評価しすぎているきらいはあるが、それらが実際には時代と共に変化していくことを説明するモデルにはなりうる。余談になるが、80年代の村上陽一郎の「意味空間」という仮説とも通じるところがあるのが興味深い。


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高井潔司、藤野彰、遊川和郎 編著 『現代中国を知るための50章 【第3版】』(その2)

 07年の輸出総額は1兆2180億米ドルに達し、WTO加盟から六年で約五倍に拡大したことになるが、その過程では外国企業の寄与が大きい。WTO加盟は、中国が経済活動において国際ルール遵守を約束したことを意味し、外国企業にとっては中国での事業活動のリスクが大きく低下することになった。(p.77)


中国の経済にとって、WTO加盟は極めて重要なターニングポイントないし、加速のための大きなポイントであった。



 96年4月には「外国為替管理条例」が施行され、貿易決済などの経営収支項目については人民元と外国通貨との交換性が実現し「IMF八条国」に移行したが、証券投資などの資本収支項目については、むしろ規制が強化された。国内の経済過熱に伴うインフレが深刻化する中で、人民元への信任が低下し、外国投機や外貨のヤミ市場が拡大するなど金融秩序が著しく乱れた常態を正すための措置であった。こうした措置は、タイや韓国など他のアジア諸国が資本取引の自由化を積極的に進めていた当時の状況からすれば、時代の流れに逆行するものであったが、中国の国情からすればやむをえなかった。
 為替管理の強化は、97年に勃発したアジア通貨危機で功を奏した。米ドルとの固定レートを維持していたアジア各国通貨が次々に暴落する中、市場では人民元の大幅切り下げの懸念が浮上した。そうした事態に際し、中国政府は「人民元は切り下げない」と公約し、その公約を守ることで国際的な評価を高めたが、これは94年以降の資本取引への規制強化があったからこそ可能だったのである。(p.109)


アジア通貨危機ではグローバル化に歩調を合わせていなかった。このためこの事件は中国が世界経済の中で台頭する要因となった。この事件は現代の中国の経済や世界経済を語る上で極めて重要な位置を占めるものであると思われる。



 日本の対外政策は良きにつけ悪しきにつけ、国内政策手法の延長線上にある。海外でのODAも円借款による公共事業が中心であった。中国におけるODAも例外でなく当初は交通インフラなどが中心であったが、対中ODAをめぐる議論の中、環境シフトが進んだ。しかし、分野こそ上下水道や植林など環境へとシフトしたが、円借款は相変わらず公共事業型、無償資金協力は日中友好環境保全センターなどハコモノ建設が中心だった。技術協力については、政策担当者に対するキャパシティ・ビルディングより、現場の技術者への研修が重視された。日本の対中援助には、日本が協力しやすいように中国の政策転換を誘導するという問題意識が希薄であり、「ハードに強いが、ソフトに弱い」という特徴が顕著に見られる。これが後述するように政策対話のための知的プラットフォームの構築という点で国際機関などの後塵を拝することになった主な要因と考える。(p.203)


的確な指摘である。

元外交官の杉本信行も『大地の咆哮』でこうした指摘をしていた。彼が提示したやり方はある意味では公共事業型ではあるが、いずれにせよODAは相手国の政策転換を誘導するようなものであるべきだという点では本書と共通している。

日本の外交もこうした戦略的なノウハウをもっと蓄積すべきだろう。ついでに断っておくと、これは一国的なエゴイズムの発想(右派のナショナリストに見られるような発想)からではなく、相互に協力関係を築く上でも重要な視点だと思われるからである。



 中国企業で何らかの知財を有するのは一万社に三社、独自の商標を持つ企業は四割にすぎず、特許の申請をしたことのない企業が九割以上に上る。特許の申請も上位は漢方薬、飲料、食品、中国語入力法の順で、ハイテク関連はごく少数に止まる。「守るべきもの」があって初めて知財保護の意識は高まるものであり、結局のところ、中国企業も知財の収支バランスを意識できるようにならなければ根本的な改善は難しいと思われる。(p.215-216)


納得させられる。

中国で知財保護がある程度普及するには、中国の国内企業のある程度の部分が知的財産を保有するようにならなければ難しいのだろう。知財保護により利益を得る企業がある程度増えない限り、こうしたことを守らせるインセンティブは働かないだろうから。


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高井潔司、藤野彰、遊川和郎 編著 『現代中国を知るための50章 【第3版】』(その1)

 こうした権力問題に加え、党総書記からいきなり軍に舞い降りる文民軍事委主席と軍の関係は極めて微妙である。結局、胡錦濤も、江沢民同様、将軍ポストと予算の配分によって、軍内に影響力獲得に動くことになる。この点が中国の軍事費の急速な伸びの一因にもなっている。もちろん、80年代以降、大国化する中国にとって、軍の装備の近代化、ハイテク化が大きな課題であり、否応なく軍事予算が増加することになる。また台湾の独立に対する牽制という点でも、軍の発言力は大きい。(p.42)


国内の政治力学が軍事費の増大の一因となっている。軍が共産党の軍隊であり、共産党が「民主集中制」をとる限り、この構造を変えることはなかなか難しいのではないだろうか。

トップの権力者がほとんどすべての権力を掌握することになっているが、その権力を担保するために党のトップが軍のトップになることになる以上、これは避けがたい。仮に、トップと軍の中間に防衛大臣のような役職が入れば仕組みは変わるだろうが、その場合、軍を掌握する役職がクーデタを起こすことができるようになり、組織の安定性をある程度犠牲にすることになる可能性があるが、中国共産党はこうした自体を好まないだろうから。



文革は共産党の歴史的汚点であり、中国では今でも一種の政治タブーとして扱われ、自由な研究や討論は許されていない。(p.52)


この点では中国の政府と共産党は、日本の歴史修正主義者と大して変わらない、または、それ以上に好ましくない態度をとっていると言える。

歴史修正主義者と変わらないというのは、両者とも自らに都合の悪いことは見ようとせず、見せようとせず、蓋をしようとしているからである。歴史修正主義者以上に好ましくない態度であるというのは、言論や思想の選択肢を狭め、その可能性を制限する態度だからである。日本のようにあまりにも馬鹿げた主張が一部で声高に叫ばれてしまうのも考え物だが、すべてを政治権力によって封じ込めてしまうよりはマシだと私には思われる。



 78年以来の改革開放路線は、経済のパイを拡大することで各経済アクターの制度改革への支持を集めるという手法で進められてきた。同時に、共産党中央にとって、いかなる政策も共産党政権の維持・継続が大前提となっており、それを脅かす社会不安の発生には極めて敏感である。経済政策運営の根底には、社会安定の維持という条件が常に横たわっており、それゆえ雇用不安を招きかねない引き締め政策にはどうしても慎重にならざるをえない。経済のバブル化を懸念する声も絶えないが、政府としては、バブルを一気に抑え込むようなことはせず、ストップ・アンド・ゴーを繰り返しながら、地方政府の職能転換、国有企業の経営メカニズムの改善、産業構造調整などを足早に進めていくしか選択肢はないのであろう。一時的に過熱抑制に注力する局面もあろうが、中長期的に成長率が大きく低下するような経済政策運営を採ることは想定し難い。(p.76)


同意見である。


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カール・R・ポパー 『果てしなき探求 知的自伝(下)』

 けれども、私はダーウィン主義の理論をほとんど最上のかたちで――ほとんど最大にテスト可能なかたちで――取り上げたと信じている。この理論はきわめて多種多様な生命形態を「大体のところ予測している」とはいえるかもしれない。だが、他の諸分野では、その予測力は適応を説明しているようにみえ、また一応はともかく説明してはいる。けれども、ほとんど科学的な仕方でではない。現在生きている種は環境に適応していると述べることは、実際のところ、ほとんどトートロジカルである。事実われわれは、種が適応していなかったとしたら自然淘汰によって排除されてしまっていたであろうといえるように、「適応」と「淘汰」という言葉を用いているのである。同様に、もしある種が排除されてしまたっとしたら、その種は環境にうまく適応していなかったにちがいないのである。適応または適合性は近代進化論者たちによって生存価として定義され、生存の実際的成功によって測定される。これほど薄弱な理論をテストしうる可能性はほとんどない。
 それにもかかわらず、この理論の価値は計り知れぬほど大きい。この理論がなかったとしたら、われわれの知識がダーウィン以降なしとげたような進歩をいかにして達成できたのか私には理解できない。たとえば、ペニシリンに適応するようになるバクテリアの実験を説明しようとする場合に、自然淘汰の理論が大いに役立つことはまったく明らかである。自然淘汰理論は形而上学的だけれども、きわめて具体的で実際的な諸研究に多くの光明を与える。(p.134-135、本文の傍点部は引用文では下線を付した。)


ポパーによると自然淘汰理論は「形而上学的研究プログラム」だというわけだが、これは「科学的研究プログラム」以外の知識や理論にも価値がありうるということを示している。

思想史でポパーが扱われる場合、「テスト可能性」や「反証可能性」を強調するあまり、ポパーは科学的研究プログラム以外のものには高い評価を与えないかのような印象を受けるが、ポパー自身もそうした狭い判断基準だけでは割り切れないことはある程度理解していたようである。

私としては、なぜ、この「適応」という形而上学的研究プログラムは「実際的な諸研究に多くの光明を与え」うるのか、そのメカニズムにより多くの興味がある。というのは、明らかにすべての形而上学的研究プログラムがこれと同様の豊かさをもっているわけではないからである。


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アマルティア・セン 『貧困の克服――アジア発展の鍵は何か』

 飢饉やその他の重大な危機が生ずる際のきわめて重要な特徴は、不平等の存在です。もちろん、民主主義の不在は、それ自体が不平等であることにほかなりません。この場合には政治的権利と政治的権力の不平等を意味します。(p.39)


こうした事実を示したことがセンの功績の一つとされているらしい。本書の随所でセンが語る民主主義のイメージはやや理想化されすぎているところがあり、説明に「やや強い仮定」が前提されている箇所があるように私には見えたが、それでもなお彼の議論には傾聴に値するところがあると感じさせるものがある。



経済が急成長している最中はさまざまな社会集団がすべて同時に利益の恩恵を享受しています。この意味で、さまざまな社会集団が得られる利益は実質的に一致しています。
 それでも、経済危機が発生した時に、どの社会集団に属するかによって、境遇にかなり激しい格差が生じるのです。社会は、経済が上昇気流に乗り続けている時には連帯していても、下降時には、分裂しながら落ちてゆきます。経済情勢が破綻をきたして転落する時には、ニセモノの社会的調和の感覚は引き裂かれてバラバラになる可能性があります。
 たとえ上昇期には社会が調和的であっても、下降期に分裂が生じるということも、危機の研究から学ぶべき大事な教訓のひとつです。東アジアや東南アジアの国々が近年経験したよりもはるかに壊滅的な危機も頻発します。しかし、深刻な飢饉が発生した場合でも、その国の大半の人々は食べてゆくために十分なものを手に入れられる状況もあり得るのです。
 実際には、飢饉が人口の5%以上に被害を及ぼすことは稀であり、それが10%以上にのぼることはまずありえません。このことが、飢饉を食料総供給量や一人あたりのGNP(国民総生産)あるいはGDP(国内総生産)の平均といった数字の集計によって分析しても、何の役にも立たないという理由の一つになっているのです。
 因果関係を正しく分析するためには、さまざまな社会集団に属する人々が持つそれぞれのエンタイトルメントに注目しなければなりません。エンタイトルメントとは、食糧その他の生活必需品の購買力、突然に起こる権利の剥奪からおのれの身を守るなど個々の具体的な能力のことですが、それらに分析の焦点を絞らなければなりません。なぜならば、他の社会集団にとっては些細な問題でしかなく、被害や悪影響を受けない場合でも、ある社会集団のエンタイトルメントだけが全面的に破壊されることもあるからです。(p.42-43)


前段の経済が上昇している時期と下降している時期についての社会集団の統合の問題は、現在下降中の日本や現在上昇中の中国、それから将来その中国が下降期に入るであろう事を思うと、なかなか興味深いものがある。

日本では下降期になり、それが定着してから「格差」という名目で「貧困」問題が語られるようになった。中国は上昇中ですら社会集団の統合に問題があるのだから、下降期までにある程度問題をうまく解決していかなければ、社会の統合は難しくなるだろう。だから、私は差し当たり今後20年は中国は紆余曲折はありながらもある程度うまくやっていくと思っているが、それ以後の試練に中国共産党が耐えられるかどうかにはやや疑問を持っている。センの議論はエンタイトルメントに着目してそのことを補強してくれるものである。

また、彼のエンタイトルメントという概念も極めて重要であり興味深い概念である。センはかなり人間の主体性を重んじているようだから、この概念を「能力」と規定しているが、もう少し一般的な社会学などの見方に治せば、これはそうした能力を発揮させるための、政治・経済を含む社会的及び物質的な諸条件と規定することも不可能ではないように思う。

私はセンの議論についてはほとんど何も知らないので、これ以上書くことは避けるが、本書を読んで、今後、センの書いたものを少し読んでみようという気になった。



市場システムが生み出す経済的インセンティヴだけに集中して、民主主義制度によって保障される政治的インセンティヴのほうを無視すると、非常に不安定な基本原則を選択することになります。(p.68)


これもセンが何度も繰り返している主張なのだが、大枠としてはその通りだと考える。

民主主義制度によって保障される政治的インセンティヴとは、広範な人々が相対的に平等に政治的権力を持つ事によって、政府が主権者である人々の要望に従って行為するよう促されることを指している。ただ、デモクラシーの制度がそれを保障しているかというと、それはやや言いすぎの面があるように思われるし、また、センのモデルではデモクラシーの主権者はある程度聡明で理性的に物事を判断できる個人が想定されているフシがあり違和感がある。

というのは、例えば、日本でいわゆる「B層」によって小泉が支持されていたというのが事実だとした場合、十分なエンタイトルメントがない彼らが一番「痛み」を感じることになり、建て直しが効かなくなりつつあるという現象を軽く見ることになるからである。もちろん、最近は「上げ潮派」など、小泉的な構造改革を支持する連中は人気がなくなってきており、こうした転換が可能であるのもデモクラシーなればこそではあるから、ある程度はセンの図式も大枠としては当てはまるのだが、どうも説明がキレイすぎる(捨象された要素が多いモデルである)のが気になってしまうのである。



 民主主義が“ふつうの”政治的統治の形態とみなされるまでに、その概念が定着したのは、二十世紀になってからのことです。今ではヨーロッパ、アメリカ、アジア、またはアフリカのいかなる国家であろうと、その政治的統治の形態を得る権利や資格を持っているのです。
 民主主義の概念を普遍的なものとして理解するようになったのは、かなり最近のことであり、それは純粋に二十世紀の産物といえるでしょう。(p.103-104)


これは「主権国家」の概念と「民主主義」の概念が近代ではほぼ表裏一体であることの反映であろう。世界中の「国家」がほぼ「主権国家」となったことから、その主権の範囲内の住民が区切られることになり、そうやって区切られた人々がいるからこそ参政権を持ちうる人の範囲が決まり、デモクラシーを制度化できる前提が揃うのである。システムとしてだけでなく、概念的にもほぼ同じことが言える。



 世界の金融システムは、世界銀行、IMF(国際通貨基金)、WTO(世界貿易機関)その他の、私たちが過去から譲り受けた機関によって構築されています。
 後に整備されたWTOを除くこれらの制度的構築の大半は、第二次世界大戦終結間近に開催されたブレトンウッズ会議終了後、1940年代半ばに設立されました。しかし、この金融の枠組みは、その当時に大問題とみなされたものに対応してはいましたが、現在では世界情勢もたいへん異なってきています。(p.147)


なかなか興味深い指摘。

ブレトンウッズ体制が崩壊し、金融自由化が進んできたことがグローバル化であると私は捉えているので、今日の金融グローバル化を担う制度を動かす機関がブレトンウッズ体制の産物であることは大変興味深い。当然、その役割や位置付けは当時とは変わっていると見るべきだが、それにしてもそれがどう変わったのかを統一的に捉え返してみると面白いかもしれない。


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陣内秀信 編 『中国の水郷都市 蘇州と周辺の水の文化』(その2)

 その後、住宅を何軒も見ていくうちに、この住宅の敷地がけっして例外ではなく、むしろ間口が狭く、奥に長いという水郷都市の住宅の典型であることに気付いた。このような敷地が、運河に対して短冊状に連続している。しかも、間にいくつも中庭を挟みながら、奥に行けば行くほど、日常生活の舞台としての重要度が増すのだ。外から見るだけでは、何も見えてこない訳がここにある。
 中国の建築は、もちろん地形や気候によってばらつきはあるが、一般に南向きが主体で、明快な中心軸を持ち左右対称に構成されるという特徴をもつ。これは、単に住宅だけでなく、廟のような宗教施設や都市全体の配置にまで及んでいる。水郷都市の住宅にも、こうした特徴が見られるのはいうまでもない(写真50)。
 だが考えてみると、間口が狭くて奥に長い住宅が、ここ江南の水郷都市で顕著に見られるのは不思議だ。中国の他の地域の住宅は、奥に展開することはあってもこれほど極端ではないし、ましてここでは官僚や地主、大商人の住宅でさえ、間口が北京など北方の住宅の半分にも満たない10メートル前後なのだから、きわめて特徴的というほかない。江南では、水を積極的に取り込み、運河を骨格として都市をつくりあげてきた。しかし、陸地と呼べるところもほとんどなく、建物を自由に築くことができない。ここに、それを解く鍵がある。
 水郷都市では、建物が運河に面することで、そこに住む人々の快適な生活が約束される。最も重要な交通手段の船を直接建物に着けることができるだけでなく、生活用水としての水も常に確保することができるからだ。しかし、土を突き固めるだけの北方とは異なり、このあたりでは木杭と石を用いて地盤の強化をはからなければ、建物を容易に築くことができない。そのうえ、陸地と呼べるところがほとんどないほどの低湿地帯だ。
 そこで、すべての建物が運河に面するという条件を満たし、かつ運河沿いの限られた土地を有効に利用するには、一軒一軒の間口を狭くするのが理にかなっている。そして、間口が狭いかわりに、奥へ展開することで住空間の拡張をはかることができるのである。とりわけ、官僚や地主は大家族をかかえるため、住宅を奥に拡張することで住空間を確保した。間口が狭く、奥に長いという水郷都市独特の住宅は、こうして誕生したのであろう。(p.195-197)


なかなか説得力のある説明である。

何となく見るのではなく、ものを見るときの基本的な枠組みをもってみると問題を発見したりしやすいというのが私の経験から言えるが、上記の一連の叙述は中国の住宅を見る際の一つのパラダイムを提供してくれていると思う。


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陣内秀信 編 『中国の水郷都市 蘇州と周辺の水の文化』(その1)

 特に人々の集まりやすい重要な橋のたもとに、様々な機能が集積した繁華な界隈が生まれているのは、江戸をはじめとするかつての日本の都市ともよく似ている。中心にまずは象徴的な広場を形成する西欧都市とは異なり、こうした水辺の一角に広場的な活気に満ちた空間が成立していたのだ。(p.7)


中国の水郷都市を観察・体験する際に重要な視点を提供している箇所だと思われる。橋の役割は単に両岸を繋ぐだけではなく、都市機能のハブを形成するらしい。

近々、江南に行く予定なので、このあたりはチェックしてみたい。



 しかし、蘇州では城壁の内部よりむしろ外部に巨大な商業区が誕生する。もともと中国の都市は、城内の商業活動が場所的にも時間的にも厳格に定められていた。それゆえ、城外、とくに人の出入りの激しい城門付近に店舗が軒を並べるようになり、そこでは市が開かれる。そして、この制度が崩壊し、地の利を求めて都市中に店舗が散っていく宋代になっても、蘇州では城外の商業区がこれまで以上に拡大を続ける。これは、小さな船に積荷を替え、手間をかけて入城するよりも、水深が深く幅も広い外城河なら直接大きな船を横付けすることができるし、そのうえ船も数多く停泊できるためだ。
 『宋平江図』を見ると、西側を巻くようにして流れる大運河の方向に、二つの城門が開かれている。南東角の盤門と西北角の閶門がそれだ。しかも、この門の外には、海外との交流も盛んだった蘇州を裏付けるかのように、朝鮮からの役人や商人の拠点となる<高麗亭>が一つずつ描かれている。盤門と閶門が、国際貿易都市・蘇州の顔となっているのである。大運河に隣接するという地の利を生かし、盤門は蘇州の正門として、また閶門は商業活動の核として城外にきわめて大きな商業区をかたちづくるようになった。(p.55)


盤門は現在も門が残っており、観光地となっている。また、閶門の外の地区は恐らく、現在の山塘街のあたりだと思われる。今この地域は観光用に修復・保存されているらしいが、どのようになっているかよく見てきたいところだ。



 そして、閶門から外城河を跨ぐように架かる<吊橋>が実に面白い姿を見せている。この橋は、陸と陸を結ぶ単なる土木施設ではなく、橋の両脇に二列の商店群が設けられ、商業区の核にふさわしい複合建築となっているのだ。橋の上に軒を連ねる二列の商店群は、18世紀初期の『姑蘇閶門図』にも描かれている(図10)。
 実は、イタリアの水の都のヴェネツィアにも、これとまったく同じ橋がある。カナル・グランデのちょうど中ほどにあるリアルト橋がそれだ。しかも、この橋は蘇州と同様、商業都市ヴェネツィアの象徴的な核として、都市の経済を支えている。遠く離れたアジアとヨーロッパの水の都で、人々が常に集まり、賑わいあふれる場所にかかる橋が、同じ複合建築となって架けられているのは非常に興味深い。(p.57)


文化とか技術とかの問題よりも経済が要求するある種の「合理性」がこうした共通のパターンを生み出しているのだろう。ただ、橋というものが単に両岸を架橋するものではないということがこうしたことからも示される点は大変興味深い。



 蘇州は、もともと現在の人民路が県境で、東は長州県、西は呉県に属し、各時代を通じて西側が盛んである。蘇州城の西を大運河が通り、北西に位置する閶門が蘇州を支える商業地区として機能していたためだ。(p.63)


蘇州という町の基本的な構造として押さえておくべきポイント。



中国江南の水郷鎮では、橋そのものが鎮の中心をなし、市の立つ橋詰め広場が橋と一体となり、鎮の中心に色を添えている。(p.108)


本書の随所で繰り返される主張であるが、橋と広場と市の一体的な関係が簡潔に表現されている箇所を引用しておく。



 水郷鎮では、経済上求められる開放性と防衛上求められる閉鎖性という相反する二つの性格を、水門と塔を設置することで解決している。(p.132)


水路を通ってしか中に入れない水郷鎮では水門を閉じることで交通を封鎖できるため、水門が防御施設となる。また、塔はランドマークとして外部に鎮の存在を示すものだという。確かに、以前、上海郊外の周荘に行ったときなどにも、塔があったのを覚えており、本書を読んでそういう意味があるのか、と納得した次第。



 鎮のいたるところに架けられ、数百年にわたって人々の活動をささえてきた橋も、商業区と居住区ではどうやらその形式に違いが見受けられる。
 橋には梁式と拱式(アーチ型)がある。梁式とは、数枚の細長い一枚石を橋杭に渡したものをいう。拱式には、半円形、楕円形、多辺形などがあり、その中でも半円形のものが多くを占める。現存する橋の多くは、清代に蘇州近郊で産出する金山石(花崗岩)を用いて修築されている。
 梁式の橋は、鎮の中でも居住区に架かっていることが多い。居住区の橋は、陸上交通の延長として、両岸をつなぎ合わせることに主な目的を置いている。また、住民は小船を利用するため、拱式のように大きな橋孔(橋脚の間の空洞)を必要としない。したがって、居住区では施工が簡単で造型も素朴な梁式の橋がよく見られるのだ。しかし、同里の富観街のように、美しい半円形の拱式の橋を架け、景観をかなり意識していると考えられる居住区も存在する。
 一方、荷をいっぱいに積んだ大きな船が行き交う商業区では、橋の高さを確保するため、一般に<石拱橋>と呼ばれる橋孔の大きな拱式の石橋が架けられている。とくに、たもとで市が開かれている橋は、必ずといってよいほどこの石拱橋だ。船に乗って市にやって来る農民にとって、造型豊かな石拱橋は、簡素な梁式の橋よりもより印象的に映ることだろう。この橋は、水郷鎮の象徴的な橋として、市の場所を強調するかのように、水辺にその姿を誇示している(写真43)。(p.173-174)


非常に興味深く説得力もあるように思われる。以前、周荘に行った際、アーチ型の橋が異様に上下するのが大変で、どうしてこんな面倒な橋にするのかと疑問に思っていたのだが、船が通ることなどを考慮に入れ、それも日常生活用ではなく商業用のある程度のサイズの船が来る場所であるとすれば、納得がいく。水郷鎮では陸路以上に水路が重要なのであろう。

訪問する際にも橋の形と居住区・商業区の区別などを注意して見ると面白そうだ。今回は水郷鎮には行かない予定だが、蘇州でもこの見方を応用してみたいと思う。