アヴェスターにはこう書いている?
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伊原弘 『図説・中国文化百華007 中国 都市のパノラマ 王朝の都 豊饒の街』

 日本の都市は古いように思われているが、実は誤解である。日本の古代において都市はそれほど多くなかった。今日まで続いている都市のいくつかは戦国末期から江戸時代にかけての時代にまでしか遡ることができない。これ以外に全国各地に都市が存在したとはいえぬ状況である。(p.19)


私は日本の歴史にはあまり詳しくないが、江戸時代にはかなり都市が繁栄したらしいとは思っていた。それ以前にはやはりあまり「都市」と呼べるようなものはなかったということのようだ。



 寺観は信仰の場でもあり、人びとが集う場でもある。城内にはいくつもの寺観があった。いささか多すぎるほどである。実は、中国や日本の都市に特徴的なのは、宗教施設の多いことである。(p.60)


宋代の臨安について記述している箇所での叙述。

中国や日本の都市に宗教施設が多いことが特徴とされている。私としてはやや違和感を感じる。中東の都市はモスクやマドラサを宗教施設と捉えるならば、日本や中国より多いくらいだと思うからである。



 寺観の重要性はどこでも同じだったとおもう。と同時に、それらは田舎を離れて都市へ移り住んだものたちの重要な交流の場でもあった。かれらはまた地元の神をもってうつり住んでいく。神は征服者の背中に乗ってやってくるというが、それは北宋から南宋へとうつりかわっていくときも同じだった。混乱を避けて、江南へ流入した多くの人びとは、故郷の神々とともに流入していったのである。その結果、城内には多くの寺観が出現した。そして、市がもうけられ、人びとの集まる憩いの場になったのである。(p.62)


宗教というものは、信仰の問題として捉えると社会的な問題を考える際には根本的に重要な問題を捉え損ねることになる。社会現象としての宗教とは信仰であるよりも「集団形成の一つのパターン」なのである。だから、人間集団が移動するときには「宗教」も移動するのである。

(例えば、ユダヤ教徒のディアスポラも、地理的ではないネットワークを伴った集団の移動であったろう。集住の度合いが低いところに彼らの特徴があったが、ネットワークが維持されている点で彼らはある意味で「集団化」されたままなのである。)



 歴史書や教科書には、杭州は大運河の起点として繁栄したといった記述がみられる。都などの繁栄するいったいに向かう交通路の基点には、このような記述が多い。そうだろうか。このような交通路にはふたつの例がある。ひとつは繁栄している一帯を結ぶ交通路である。いまひとつは、繁栄地へ向かい、物質をはこぶためにもうけられる交通路である。杭州と華北を結んだ大運河は後例である。杭州はあくまでも起点で、そこから北に向かう途中で多くの都市や産地から、物資を補給しつつその役目を増大させていくのである。杭州も長いあいだ江南の物資を集積し都に運び出す起点都市に過ぎなかった。このことは、今日の東京に向かういくつもの交通線を考えればわかる。そろそろ、思い込みによる想定は考え直さなくてはならない。(p.86)


交通路の2つの類型の指摘は大変参考になる。流通史観的に歴史を捉えるときに忘れてはならないポイントの一つだと言えそうである。



中国の王朝は最初は強く興隆するが、一定期間をすぎるとしだいに内向きになるのが通例である。宋をはさむ唐も明も同じである。王朝初期の激しい対外進出は、建国期をすぎるとしだいにおさまっていくのである。この点、宋は異なる軌跡をたどる。宋の北辺には中国に成立した王朝を跳ね返す力を持った勢力、すなわち北漢、遼や西夏が存在していたからである。宋は北漢の力を跳ね返すのが精一杯であった。宋は建国当初から北辺諸国に対して強い行動に出ていない。
 ・・・(中略)・・・。
 宋は確かに軍事力の弱い国家であった。だが、周辺に興亡する国家と対峙しつつ、北宋が150年、南宋も150年という歴史を維持したのである。政治的変動、軍事的圧力をしぶとく切り抜ける力と策略をもっていたのである。それを維持したのが旺盛な経済活動であった。もちろん、軍事的に宋が優位にたつことはなかった。この点、漢や唐、さらには明が一時は劣勢に立ちつつも巻き返していくのとは異なる。
 当時、ときとして難しい外交を余儀なくされ、軍事的緊張を強いられていた。だが、総じて平和で安定した時代であったといえる。(p.128-129)


軍事的に劣位にあっても平和であったというのは大変興味深い。

また、中国の王朝が一般的に興隆後は内向きになるというパターンであるという指摘も示唆に富む。これは交通路や交通・通信の手段、そして地形的に統一が図りにくい中国の地理的な条件などが関わっているように思われる。これは中国の版図の内部での分権化(権力の分立)が起こりやすい地理的な条件にあるということである。

北方の強大な軍事力に対して対抗することは常に必要であったが、そのために王朝の勢力圏内の物資や人員を動員する必要がある。しかし、その動員のためには内政上の多大な配慮が必要となる。そのため対外的な進出どころではなくなるという大まかなパターンがあるのではなかろうか。



宋代は儒教そのものがまだ統一的でなく、相互に切磋琢磨する雰囲気のなかにあった。後世のような儒教といえば朱子学といった雰囲気はいまだ醸成されていなかったのである。よって、各地に学派があり、ひとびとは論争を行なっていた。このことはまた政治方針と結びつき、ときに政界を揺るがしていた。
 もちろん、支配者はこのことに手をこまねいていたのではない。自由な学問の展開と論争の拡大が歓迎されるのは今日的世界である。否。今日でも統一化を図り自由な論争を好まぬ国が少なからず存在する。官僚制度の強化を進めている宋代社会でも、こうしたことを忌避しようとする動きがあってもおかしくない。実際、王朝政府はその規格化を考えた。科挙試験における出題傾向は、そうしたものの移り変わりを示すものであるが、全国に整えられた学校もその意図のひとつの表現である。(p.138-140)


いわゆる「近代主権国家」ないし「国民国家」が成立していくときにもこうした思想の「規格化」は大規模かつ強力に行われた。その最大の手段が学校であったと思われるが、宋代の中国でも同じような手段であったというのは興味深い。また、官僚の試験が思想統制の一つの手段であることもいろいろと興味をそそる問題である。



権威と権力がさかんなとき、芸術はそれに奉仕する。(p.152)


その通りである。

それは以下のようなところにも現れる。

 絵画に描かれていないのが、まずしい人びとだ。・・・(中略)・・・。
 繁栄する社会の下でうごめくものたちは実に多い。だが、かれらの姿を画中にとどめる画家はあまりいない。絵が画院の画家の手になる以上、それはできなかったのだ。また、史料のなかにはでてくるが、その行く末を確固としたかたちで把握することもできなかった。その見えない存在がこうして声をあげているのだ。(p.180-181)


本書によると、中国の絵画は支配層や官庁が保存していたものであるため、こうした傾向が強いという。



 だが、記録を見る限り、宋代の官僚にはよき官僚であろうとする姿が見える。これは今日とて同じである。政治家・官僚の諸問題が多い今日だが、篤実な官僚も多いし、身を粉にしてがんばっているひとも少なくない。何かというと批判しあげつらうが、それは正しくない。たとえば都内一等地の官舎が問題になる。安すぎるというのだ。また広すぎるともいう。その一面はあるが、一方で民間の家賃の高さはいわない。官僚は狭い所に住めといわんばかりもおかしい。都心一等地というより要地には危険に対処しなければならない国や地方公務員や関係者をバランスよくゆったりと住まわせ、非常時に対処しようという意見がないのは不思議でしょうがない。これはまた、臨機応変の体制でもあるのだが。(p.200)


公務員バッシングが吹き荒れる中、こうした冷静で客観的な意見は現在では珍しい。私も概ね著者の意見に同感である。

先の生活保護関係の文献でも不正受給がクローズアップされる場合、大抵の受給者は特別の不正をしているわけではなく、不正受給は受給額の1%にも満たない(0.2%だったか0.02%とどこかに書いていた覚えがある)ということは問われない。そうした偏ったものの見方をしていては健全な政策など出て来ようがない。

社会問題、政治経済に関心がある人には、社会について語る場合、少なくとも、事柄を一部だけではなく全体的に見ること、その上で「一般には語られていないこと」を見抜くこと、という2点は弁えて論じてもらいたいものである。


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久田恵 『ニッポン貧困最前線 ケースワーカーと呼ばれる人々』

 ちなみに国が七割五分、地方自治体が二割五分を受け持つ生活保護費の国家予算は平成六年度で約一兆五百二十億円に及んでいる。(p.17)


ここ数年の生活保護費は2兆5千億円程だとされているから、わずか10年ほどでかなり増えていることがわかる。貧困世帯の増大と年金制度が不備のまま高齢化が進んだことが大きな要因だと思われる。



 受給している世帯は全国約58万世帯。約1万人のケースワーカーが、一人平均55から65世帯を担当して日々の業務を行っている。(p.17-18)


ほんの十数年前まではこうした状態だったものが、2004年には100万世帯を超え、ワーカー一人当たりが担当する世帯数も最近では100世帯を超えることも珍しくないという。ここ20年ほどにおける社会の底辺における変化はかなりのものであることが想像できるというものだ。



 そもそも、ケースワーカーが働く福祉事務所の現場というのは、受給者は善良なる弱者で、ワーカーは弱いものいじめの加害者、などという単純な構図だけでは語られようもない場所なのだ。(p.172)


本書の問題意識をよく表現している箇所の一つ。

近年の現象で言えば、不正受給に対するバッシングにせよ、いわゆる「水際作戦」などに対するバッシングにせよ、「不正受給していた者はけしからん」「福祉事務所は何をやっていたのか」また「申請権を侵害するのは違法だ」のような単純な見地から批評がなされているが、現場はそう簡単に割り切れるような場所ではない。そうしたところに着眼している点は本書の優れたところだと言えよう。



 こんなふうに保護行政現場で起きた事件をたどっていくと、福祉事務所を加害者として断罪したり、ワーカーの「思いやりや優しさの欠如」といった倫理的な視点からどんなに批判をしても、解決できない複雑な問題がからみあっている様が、その背景から次々と浮かび上がってくる。
 むしろ多くの場合は、受給者との関係をどう作っていくか、というもっぱらケースワーク技術の問題であったり、その時代時代の人々の価値観と保護法の運用のルールとが折り合わずに起きたトラブルが、ついには悲劇的な事件にまで至ってしまったという事例が多く、複雑な心理や感情を持ったさまざまな人間を相手にする仕事の難しさを物語っている。
 こういった現場の複雑混沌とした状況の方は語られないまま、福祉現場の事件が福祉政策を告発する運動的な立場やイデオロギーによる戦略的な視線で、より偏ってより誇張されて描かれたものが、マスコミを通じて広められることが多く、あたかも福祉事務所が恐ろしい場所であったり、ワーカーが非人間的であるかのようなイメージが作られがちだった。
 そんなこともあって、本書では、今まで書かれることのなかった福祉事務所のワーカーに照準を合わせて、その立場からの視線と体験を通して、戦後の保護行政を描こうと試みてきた。しかし、そのことで、日本の貧困層の権利拡大のために闘ってきた人々の努力を、過小評価するつもlりはない。
 彼らの運動が、日本の生活保護制度の内容を拡充していくための大きな役割を果たしてきたことは確かなことである。が、日本の福祉制度の貧しさをことさらに強調するあまり、生活保護制度がどのように拡充し、どれほど多くの国民を救済し、その生活を支えてきたかという評価の部分への国民の理解を阻んできた面も強い。とりわけ、過酷な福祉事務所叩きやワーカー叩きが、ワーカーが受給者に深くかかわることを恐れさせ、その現場を荒廃させていくひとつの大きな要因にもなってきた。
 戦後長く続いた55年体制が崩壊し、日本の政治状況に大きな変化が生じた今、戦後創設されたいろいろな制度が、時代の波の中で再検討を迫られてもいる。この生活保護制度が国民救済のためのに果たしてきた役割に客観的で冷静な評価を与え、その運用に関わってきた人々の存在を伝えて、国民的な理解が得られる努力がなされなければ、この制度は不要なものとしていつのまにか歴史の中に埋没しかねない危機に瀕しているように思えてならない。(p.318-319)


現在までに広まっている生活保護制度をめぐる言説において、生活保護制度が果たしてきた正の効果――多くの国民を救済し、その生活を支えてきた――に対する評価が欠けていることを指摘している点は極めて重要である。

不正受給は全体の中ではそれほど大きな割合を占めるものではないが、そこをクローズアップして生活保護制度のイメージを悪化させたり、福祉事務所側の実際の制度運用や厚生労働省の姿勢が、理想主義に満ちた生活保護法の精神と合致しないために違法だとされることが多い。

イデオロギー的には前者は右寄りの言説であり、後者は左寄りの言説であると大まかには言うことができるが、右寄りの言説は「木を見て森を見ず」であり、また、私が見てきた限りではあるが、左寄りの言説は理想と現実のギャップを指摘するばかりであって、具体的な解決策に欠けるものが多い。そうした中にあって、本書の上記の指摘は、極めて重要なものであると思う。

ただ、本書の叙述はミクロの主体に焦点を当てすぎているために、全体として制度がどれほど有効だったかということについてはそれほど強く打ち出せていないところがある、というのが私の本書に対する評価ではある。私は今後も当面は、生活保護制度とその周辺領域に関する事柄については研究を進めて行きたいと思うが、その際に、本書のこの指摘はもち続けるようにしようと思う。



 思えば戦後とはマスコミが猛威をふるった時代であった。1974年以降、つまり第一次オイルショック後の低成長期には「マスコミ的正義」は猖獗をきわめたとさえいえた。「公」の責任のみを云々する「告発」は楽で安全な方法であるが、それ自体で簡潔しがちであり、かつ自分だけは埒外に置きたがる。そして、革新的であることを標榜する大メディアほど易きについた。(p.330-331)


これは著者の久田氏ではなく、関川夏央氏の解説からの引用である。

「マスコミが猛威をふるった時代」という表現は面白いが、マスコミが力を持っていたのは戦後に限らないから、戦後に限定している点は不当だと思う。しかし、マスコミが大きな力を持ってきたことは確かだろう。

「「公」の責任のみを云々する「告発」は楽で安全な方法」というのはまさにその通りであり、マスメディアだけでなく、左右の「政治ブログ」でもよく見かける、というか、大抵はこの範囲内の言説しか流れていない。右派は権力を擁護しようとするから、左派・リベラルの側の言説はまさに上記の指摘の通りだろう。彼ら(ブログ左翼やマスメディア)がその水準で終わっていることの原因は、彼ら自身が独自の政策を自分で考えたことがないからである。

単に頭で考えるだけではなく、(できれば実地でも)調査し、数字を積み上げ、現行制度の問題点とそれが社会に及ぼす影響について因果関係を客観的に考察した上で、新しい制度とその運用について提言する。ここまでやって初めて上記の水準を超えられる。その意味で、一般人にはそこまで到達することはきわめて困難であろう。社会科学の学者ないし政策科学を学んだ者、あるいは政策形成に実際に多少なりとも参与している行政官でもない限り、そこまで求めるのは酷だと思っている。だから、そこまでしろと誰彼構わず言うつもりはないが、各自には自分の言説がどの程度までこうしたことができているかということについては自覚を求めたいとは思うことが多い。もっとも、私も最近はここまでのことはやっていないので、次に時間が取れるような時期が来たら、こうした活動をやって行きたいと思っている。最近、貧困や生活保護について多少調べているのはその下準備と位置付けているところである。

上記引用文について一言付け加えると、関川氏は「革新的であることを標榜する大メディアほど易きについた」と左派のメディアを非難しているが、保守系のメディアは政府や自民党がすることを単に擁護するだけなので、左派・革新よりも遥かに「易きについた」言動であるという批判を抜きに語ってはなるまい。これは昨今の保守系のメディアやブログにも当てはまる。

大まかに言えば、
  上記の条件を満たす政策提言者 ≫ 批判的革新(左派・リベラル) ≧ 無批判的保守(右派)  
というのが私の評価である。


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尾藤廣喜、松崎喜良、吉永純 編著 『改訂新版 これが生活保護だ 福祉最前線からの検証』

 就労支援は、法の原則などにもとづいて行う、と同時にどのような人でも労働する権利を有しており、権利実現のための福祉援助としても行われるべきである。単なる保護費の削減、保護の廃止を目的とすべきではなく、生活問題改善、生活基盤確立のための自立助長の処遇として位置付けられるべきものである。従って、どれだけ収入を得たのかではなく、就労の意義を自覚し、どれだけ努力してその人とその人の生活が変わったのか、労働する権利の実現のためにどこまで援助できたか、で評価を行うべきである。
 ・・・(中略)・・・
 利用者との信頼関係を確立して、「就労の効果」が理解されるようわかりやすく話し合い、共に悩み考えて一つ一つ話を煮詰めていく。時間をかけるとともに、目的意識を持って集中して取り組むことが求められる。(p.108-110)


生活保護制度の運用にあたって、水際作戦とか辞退届強要といったセンセーショナルなもののほかに、制度利用者(生活保護受給者)の権利を擁護しようとする立場の人々から批判が行われることの一つに、厳しい就労指導(働くよう追い立てられる)がある。

それに対して、上記のような考え方を対置して運用の改善を求めることは、確かに必要なことではあろう。そして、これは正論でもある。

ただ、生活保護の運用を批判する立場の人々の主張に、往々にして欠けているのは、いかにしてそれを実現するか、という視点である。

働く権利を実現するための福祉援助と位置付けることには、私も全く異存はないのだが、ではどうすれば現場で「どれだけ収入を得たのかではなく、就労の意義を自覚し、どれだけ努力してその人とその人の生活が変わったのか、労働する権利の実現のためにどこまで援助できたか、で評価」が行われることが可能となるのか?生活保護に対するリベラル・人権派からの批判には、しばしばこうした初歩的な視点が欠けていることが大変気になるところである。

このために「時間をかけるとともに、目的意識を持って集中して取り組むこと」が求められるのは確かであろう。しかし、現場にそうした時間や労力の余裕があるのかどうか?恐らくないのである。そして、そうした余裕がないから、機械的で画一的な就労指導が蔓延してしまうのではなかろうか?利用者(保護受給者)の意見や考え方をよく聞いて、その問題に寄り添って考えるというような余力がないのではないだろうか?

ケースワーカーの人員配置の基準は長いこと変わっていないが、悪名高い123号通知が出てからは事務量が増えたとも聞く。その上、関連領域である福祉の諸制度も複雑さをましているとなれば、その影響も及んでいるだろう。こうした現状に対して現行の80世帯に1人のワーカーを配置するという体制を例えば、60世帯なり50世帯にまで減らせば、上記のような「理想的な」就労指導の実現もしやすいであろう。

もちろん、これですべて解決するということではないが、前提条件の一つは整うと思われる。そうした実施体制の問題を無視してあるべき理想論をぶつけるだけの批判は不毛とまでは言わないが、実践的な効力に欠けると言わざるを得ない。生活保護を最後のセーフティネットにふさわしいものに変えるべきであるということについて、私は本書の意見に大いに共感するが、こうした提言、すなわち、精神論ではなく実施体制の改善のための提言をもっとしてほしいとも同時に思う。それは本書に限ったことではなく、この傾向は政治や特に行政に対する批判の多くに当てはまるとも思っている。本書はどちらかというと素人向けというよりは実務家や専門家向けの内容であるだけに、尚更、その程度の批判はして欲しいと思うのである。



 就労支援プログラムの推進のなかでは、生業扶助を積極的に利用するよう配慮する必要がある。また、生業扶助は、他の扶助とは異なり自立助長のために設けられており、最低生活を下回った生活保護利用者だけでなく、生活困窮を未然に防ぐためにも低所得者対象として生業扶助単給も可能となるように改善していくことが求められている。(p.117-118)


生業扶助の単給を行えるように改善するべきだという主張には大いに納得した。非常に参考になった。ただ、私見を述べれば、それならば生業扶助は生活保護とは別制度にした方が遥かに使い勝手の良いものになるだろう。

この方が生活保護の制度内に留めておくよりもミーンズテストを簡略化できるし、利用の要件についての調査もそれほど厳しいものではないはずであるから、生活保護のケースワーカーのように制度利用者の生活全般を把握するような立場でなくとも、利用可能かどうかについての判定はできるはずだからである。

また、生活保護の一部であるよりは別制度であるほうが利用者が受けるスティグマも軽減されるはずであるから、生活保護受給者以外の人にとっての使いやすさ、アクセスしやすさ(実質的および心理的)も大きく違ってくるだろう。



われわれは、「制度」から人間を見るのではなく、「人間」から制度を見るべきである。(p.233)


ヒューマニズムに溢れた見解であり、確かにそうだと思わされる名文句である。ちなみに、ここでの「われわれ」とは生活保護ケースワーカーを主として想定されているのだが、行政官でなくとも政策について考えをめぐらせる者であれば、しばしば立ち返るべき立場ではあると思う。

しかし、同時に私の念頭に思い浮かんだのは、『プロケースワーカー100の心得』という本では、「ケースワーカーとは、制度を適用する者のことである」とも述べられていたことである。

本書のようなヒューマニズムも大事ではあるが、それはある種の越権行為にもなることがある。私の考えでは行政の仕事とは「ミニマム保障」であるということが基本となっている。そこには「ミニマム」以上のことに介入してはいけないという禁欲的な側面もある。そうした意味では上記のようなヒューマニズムばかりを強調することは行政という場には相応しくない部分もある。いずれの言葉もあまりに教条的にとりすぎないことが重要であろう。それを細かく論じることは、実際にこの業務を長く経験しているケースワーカーでなければ無理であり、私の出る幕ではない。



 地方分権一括法によって生活保護法が一部改正され、法27条の2に新たに「相談及び助言」の規定が設けられた。これによってようやく、従来「法外の事実行為」であったケースワーク(=相談援助活動)に法律上の根拠が与えられることになったが、同時にこれは、「法定受託事務」である「保護の実施決定」と区別され、「自治事務」として位置付けられた。さらに地方分権一括法による「必置規制の見直し」の一環として、生活保護担当ケースワーカーの配置基準は「法定数」から「標準数」へと改められた。大阪市では、それを待ちかねたかのように、2000(平成12)年4月から「高齢者の安否確認のための訪問」に従事する嘱託職員を配置することで、ケースワーカー一人あたり原則80ケースであった従来の基準を、高齢者ケースについては400ケースまで担当させることとした。堺市では、2003(平成15)年度からアルバイトを大量に雇用し、アルバイト一人当たり約240世帯の高齢者を訪問して安否を確認させ、正職員一人に複数のアルバイトを担当させる体制を導入している。(p.381-382)


上で述べた私のケースワーカー数を増やすべきだとする議論とは逆方向の政策がすでに「地方分権」の名の下の新自由主義的政策によって実施されていたわけである。

もっとも、大阪市や堺市のような高齢者を一括して管理するという手法について一概に誤っているとは言えない面もある。ただ、アルバイトなどに訪問させるというのは妥当なのかどうかという疑問もある。社会福祉主事の「きとんとした」資格を持つ人材をアルバイトなり嘱託職員として雇用してやっていくのであれば、現在の体制よりもむしろ改善される面もあるかもしれない。(現在のケースワーカーも社会福祉主事の資格が必要だとされているが、彼らのほとんどは福祉を専門的に勉強した人たちではない。)



 このように、もっとも社会保障の必要な経済的弱者が社会保障の利用が困難とされている矛盾した実態があるのである。(p.400)


国民健康保険料を滞納して保険証が取り上げられた世帯が急増していたり、経済的な理由で国民年金の保険料を納付できなかったりする人が増えていることを受けて上記のように述べられているが、これは日本の社会保障が「行き過ぎた保険主義」に陥っているために起きている問題である。


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藤藪貴治、尾藤廣喜 『国のモデルとしての棄民政策 生活保護 「ヤミの北九州方式」を糾す』

 しかし、生活保護法4条は1項で「保護は、生活に困窮する者が、その利用し得る資産、能力その他あらゆるものを、その最低限度の生活の維持のために活用することを要件として行われる」としているものの、2項では「民法に定める扶養義務者の扶養及び他の法律に定める扶助は、すべてこの法律による保護に優先して行われるものとする」と規定している。「資産」と「稼働能力」の活用は保護の要件であるが、「扶養義務者の扶養」は、「優先」であって要件とはなっていない。つまり親族がいても、現実に困窮しているならば、保護は開始される。その後に本人とケースワーカーが親族に援助を依頼し、援助を得られるようになった時点で保護費からその分差し引くことしか法は定めていないのである。
 「親族の扶養義務の活用」を保護要件とすれば、天涯孤独の人しか生活保護が受けられなくなってしまう。北九州市の『面接業務手引き』自体が間違っていたのだ。(p.53-54)


補足性の原理(第4条)の解釈について、この記述のおかげでスッキリ理解出来たように思う。これまでは1項と2項で分けて書かれている意味が今一歩よくわからなかったというか、「優先」の意味がはっきり理解出来ていなかった。こういう意味なら理解可能だ。

本書はここで、悪名高い「水際作戦」の際に、扶養義務者の扶養が保護の用件であるかのように扱われていることを批判しているのであるが、申請の前の「相談」というステップが設けられ、その相談の場で保護を受給する前に扶養義務者の援助を受けるように行政側が勧めることは、それほど大きく間違っていないように私には思われる。

本書で紹介されているような北九州市のように面接ボイコットまでするような「水際作戦」は明らかに異常だが、逆に、ほとんどすべての申請を受理したときに福祉事務所が処理しきれる体制が保証されているかどうか、という実質的な観点から見れば、「水際作戦」を批判している側の論理は現実を見ない理想論の類であるように思われるのである。

生活保護のケースワーカーの設置基準は市で80世帯に1人、町村部で65世帯に1人だが、この基準はそれこそ数十年前に決められたものである。その後の福祉政策がパッチワーク的に積み重ねられてきており、それが過度に保険主義化されて運用されていることや、生活保護制度自体が度重なる「適正化」政策により変質させられているために、現場で運用される制度の複雑さや事務量の増加はかなりのものになっている。その上、福祉関係の予算は増えないように抑制され続けており、実際には基準どおりには人員が配置されていないことは有名である。

こうした状況下で運用せざるを得ない生活保護制度において、制度の適用が可能かそうでないかギリギリのラインの人々については極力受け入れないようにするというバイアスがかかることはごく自然なことであるように思われるのである。これが行き過ぎると、本来なら当然受給できる人まで追い返されるということが常態化してしまうことになる。

だから、生活保護の「適正化」を批判する人々は、単に「水際作戦」や「辞退届」を強要するような運用を批判するだけでなく、より一層の体制の充実を訴えなければならず、そのための予算の確保ができる財政のあり方を提言しなければならない、というのが私の考えである。ここまで考えずに、運用ばかりを主として批判することは、底が浅いのではないか。そして、体制の充実のためには、歳出削減――「無駄をなくせ」という名目で語られることが多いが、それは「適正化」政策を助長する言説でもある――などを言うよりも、増税が必要であり、それも累進課税が適切であるということは、これまで当ブログやメインブログで何度も述べてきたところである。



 生活困窮に陥った母子世帯は、早めに保護しないと、子どもは十分な食事をとることができず、学校にも行けなくなる。さらには、母に過重なストレスがかかり、子どもに暴力をふるってしまう状況にも陥る。生活困窮は養育放棄や身体的虐待といった児童虐待をも産み出すハイリスクなのである(児童虐待防止法2条、厚生労働省「子ども虐待による死亡事例等の検証結果等について」2006年)。
 福祉事務所がきちんと早期に生活保護法で「保護」していれば、児童虐待のリスクは激減する。北九州市の福祉事務所は児童虐待防止法上の責任機関でありながら、自らが児童虐待を誘発していると言われても仕方がないであろう。(p.89)


生活保護の現場(というか自治体と中央政府)が、そもそも予算がなくて締め付けられているため、あらゆる対応が近視眼的になっているのではないか。それがこうした現象が多発する背景要因の一つであることは間違いないと思われる。



たしかに不正受給者への厳格な対応は必要であろう。しかし、不正受給額は生活保護費総額の0.2%でしかない(2006年度北九州市資料)。(p.111)


本書では、北九州市の現場では、受給者はすべて不正受給者かその予備軍であると見なされる傾向にあったことが示されているのだが、0.2%の不正受給にばかり発想が集中するのは全体を見るゆとりを失っていることを示している。

北九州の場合、自立(保護廃止)させなければいけない人数をノルマとして設定していたようなので、このノルマを達成するために、受給者を不正受給者予備軍と見なす見方が共有されやすくなっていたのではないか。というのは、受給者に辞退届を書かせるには、受給者の粗探しを行ない、そこで見つけた「アラ」を利用して、受給者に資力や収入があるとみなしたり、稼働能力を活用していないと見なしたりする必要があるだろうからである。



「団体が123号通知の実施に反対するのはともかく、職員組合からの反対がなかった。他の都市では組合が反対していたが北九州ではそれがなかった」
 この記述は一体何を意味するのであろうか。たしかに他都市の生活保護関係者からも証言があるように、当時の北九州市職労の123号通知導入反対の取り組みが弱かったことは事実であろう。しかしそれは、北九州市職労が生活保護行政の在り方に無関心であったことに原因があるのではなく、北九州市当局が全国に先駆けて123号通知をスムーズに導入すべく、福祉事務所から北九州市職労の組合員を排除していったことに起因する。(p.113)


このあたりの認識は私が本書から得たものの中でも特に重要なところである。

◆北九州市では生活保護の現場から組合を排除したこと。

◆組合を排除した現場にはネオリベラリズムの政策(123号通知)が導入しやすかったこと。(他都市では反対があったため北九州市より導入が遅れた。)

◆より具体的には「ヤミの北九州方式」がシステム化された背景に労働組合の排除があったということ。

◆行政職員の組合はしばしば一般市民からは役所内部の利益団体であるかのように捉えられがちであるが、この事例はむしろ行政職員の労働組合も一般市民の権利の擁護のために闘っていたことを示していること。(公務員の労組は、行政が行うべき公共領域を保持するための闘争を現在も当局に対して行っているから、これは過去形の話ではない。)

労働組合は新自由主義の蔓延に対する最大の批判勢力であり、労組の力なくしてネオリベに対する抵抗は成功し得ないであろう。ここ数年、私はそういう認識を深めてきている。


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瓜生中 『知っておきたい仏像の見方』

 古くから皇室の神事などを司ってきた物部氏は、外来の神(仏)を受け入れると日本固有の八百万の神の怒りを買うとして仏教の受容に激しく反対した。これに対して財力を背景に発展してきた新興の蘇我氏は仏教の受け入れを強く望んだ。蘇我稲目の思惑はこうだ。皇室の神事は物部氏が独占していて曽我氏が入り込む余地はない。しかし、外来の仏教によれば、皇室に近しく入り込む余地があるのではないか。・・・(中略)・・・。しかし、このとき稲目は仏像を信仰の対象としてではなく、あくまでも政治の道具と見なしていたことは確かだろう。このように、仏像は仏教伝来当初、政治の具とされ権力者たちの手で翻弄された。(p.34-36)


著者の瓜生氏はこうした仏像や仏教が政治的に利用されることを好ましくないことだと評価しているのだが、私の考えではこうして政治と宗教が結びつくことは、むしろ常態なのである。私が言いたいことは、好ましいかどうかは別問題として、政治と宗教が完全に切り離された領域のものであり結びつくのは不純なものだという考え方は誤りだということである。



 前項で述べたように阿弥陀如来はすべての人を救ってくれる頼もしい仏として盛んな信仰を集めた。しかし、この如来の救済にはいかんともし難い限界があった。それはこの如来が救ってくれるのは死んだ後のことで、生きているうちは救ってくれないということだ。・・・(中略)・・・。そこで、人々は現世利益を実現してくれる仏を探し始めた。そして、探し当てられたのが薬師如来である。
 死んだ後の面倒を見てくれるのが阿弥陀如来なら、生きているうちに面倒を見てくれるのが薬師如来だ。・・・(中略)・・・。時代とともに仏教の裾野が広がると、貧しい人々の願いを叶える必要が出てくる。そのような要望に応える形で登場したのが薬師如来なのだろう。
 ・・・(中略)・・・。
 日本に薬師如来が伝えられたのは、仏教伝来から間もないころ(六世紀)と考えられるが、そのころは釈迦如来に対する信仰が強く、薬師如来はあまり注目されなかったようだ。薬師如来が注目されなかった理由は、伝来当初、仏教が天皇や豪族の間で受け入れられたことによる。もともと裕福な生活を送っていた彼らにとって、衣食を満たしてくれるなどという薬師如来の大願はあまり魅力がなかったからである。(p.66-69)


薬師如来が「探し当てられた」と書かれているが、この記述には語弊があるのではないだろうか。目的論的になっている。これではあたかも民衆が自らそうした仏を探そうとして探したかのような印象を与えてしまうが、史実は恐らくそうではないだろう。教団・教派の勢力が拡大していく中で民衆の状況と適合的なものがポピュラーになったということであろう。

また、貴族(天皇や豪族)が薬師如来に関心が薄かったのは、統治のイデオロギーとして見たときに、現世での財の配分を重視せざるを得ない薬師如来的な教えよりも、現世での救済の効果が見えなくても「教えの正当性すなわち支配の理論的正当性」を維持できる阿弥陀如来的な教えの方が支配層にとっては都合が良い理論だからであろう。

本書の解釈は宗教を信仰の問題として捉えすぎている点で誤っているように思われる。



 前々章で述べたように、法輪は釈迦の教えの象徴である(第三章89-90ページを参照)。もともとインドで古くからその出現が待望されていた転輪聖王という理想的な王が駆使する無敵の戦車の車輪を、すべての人を教え諭す釈迦(ブッダ)の完璧な教えにたとえたものである。戦場で戦車が敵を完全に駆逐するように、釈迦の教えが世の中に伝わっていくことを表している。(p.180-181)


宗教の教義は思想ないし哲学という側面もあり、しばしば論争が行われる。法輪が戦車の車輪であることは、この「争い」で相手に勝利するイメージと重なる。

そして、上でも述べてきたように、宗教は政治的なものなのだとすれば――より適切に言えば、宗教は集団を形成する際の一つの形式であり、社会集団は必然的に社会的影響力をもち、それは一面では政治的な権力でもあるということである――実際に「戦車」によって敵の支配層が仏教を奉ずる支配者によって駆逐されると、その支配下に置かれた人々に通用する論理として仏教の教えが採用される(支配層から庶民に下される)ということを意味していたととることができるのではないか。

政教分離のイデオロギーが機能している現代の日本における宗教のイメージとはやや離れているが、ウェストファリア体制やイスラーム世界のシーア派政権(私は特にファーティマ朝やサファヴィー朝を念頭に置いている)の成立事情などを考えると、こうした考え方は妥当であると考える。


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碇井伸吾 『福祉の心を持つ「格闘空手館長」15年の体験! 実録!熱血ケースワーカー物語』

 これを実現するためには、「飲む前に飲ます」それしかない。それは「シアナマイド」である(第4章112ページ参照)。「劇薬」である。無色無臭だが、これを飲んで酒を飲もうとすると気分が「悪くなる」。飲んでしまうと「相当苦しむ」。専門医にかかっている人はこのことをよく知っている。また苦しんだことがある人も多い。
 私たちの役目は、ケースに薬の効能を十分承知してもらったうえで、朝に服用してもらい一日の飲酒を阻止する作戦だ。もちろん主治医の指導の下で行われる。
 福祉事務所の業務スタートは午前九時。小太りだが、イギリスの探偵風のケース秋田さんは、いつも九時の十五分前にはやってくる。
 その後十時までの間に、続々と依存症者が保護課の窓口にやってくる。そして、冷蔵庫で保管してあるシアナマイドを面接室で飲んでもらう。個人情報への配慮だ。(p.180-181)


本書によると、これは効果があったが、それでもアルコール依存症者を半減させることはできなかったという。

「ここまでやるのか」という思いと同時に、やはり対症療法的な方法では根本的な解決にはならないのではないか、というのが私の感想だ。

ここ数ヶ月、ケースワーカー経験者が書いたものをいろいろ読んできたが、彼らの置かれた制限された状況下(80世帯以上の世帯と対峙しなければならず、税金を常時支出するため事務作業量も多い)とケースとの限られた接触頻度では、貧困に陥ったケースに対して根本的な解決を提示することはかなり難しいように見える。

制度からの脱出を容易にする意味からも制度を縦割り的に、すなわち、介護扶助(介護保険に組み込み)、医療扶助(国民健康保険に組み込み)、住宅扶助、「生活扶助+その他の扶助」の制度に分割することと、生活保護まで落ちてくる前に食い止めて自立助長専用の制度をバッファーとして用意することが必要ではないだろうか、と思う。

もっとも、制度を分立させれば自立助長楊の制度はなくても、分立させること自体がそうした効果に結びつく可能性はある。このあたりの結論は、まだ私には下すだけの材料がないので判断を保留しているところである。


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奥村哲 『中国の現代史 戦争と社会主義』(その3)

 こうして「新民主主義」は放棄され、社会主義化に急旋回していったが、注意すべきは、これによって社会主義という言葉がもつ意味内容自体が、実は決定的に変化したということである。さきに示したように、遠い将来のこととされていた社会主義は、基本的にはまだユートピアであった。それは理念を実現するものと考えられており、だからそのための十分な経済的文化的条件を前提とし、合意にもとづく国公有化を志向し、民主主義の形式をとろうとしていたのである。
 しかし、アメリカと厳しく対立したからといって、急に社会主義化のための「さまざまな条件が備わ」ったわけではない。ただ指導者の認識が転換しただけであり、その結果強行される社会主義化は、以後もいやおうなしに現実認識に追随して変化していかざるをえない。そして、現実認識の根底にあるのが戦争への危機感であり、圧倒的な敵の侵略に対応しようとするものである以上、その社会主義化はもはや戦争、それも総力戦のための手段でしかなくなる。つまり、ユートピアとしての社会主義を目指す形をとりながら、実際には総力戦の態勢が構築されていったのである。実態が理念と食い違うのは当然であった。ただし、ユートピアは掲げ続けられ、それが正体を見えにくくしたのである。(p.132-133)


同意見である。むしろ、こうしたことがどうしてもっと多くの人に主張されないのか不思議なくらいである。

未だに中国というと社会主義・共産主義という体制だと考えている人が多い(日本の一般人で75%以上)ということがアンケート(工藤泰志 編 『言論ブログ・ブックレット 私ならこう考える――有識者の主張011 三年連続で実施した日中共同世論調査から明らかになった 中国人の日本人観 日本人の中国人観』)にも出ているが、それらの人々の考える社会主義や共産主義とは一体何なのか、もう少し掘り下げる必要があるのではないだろうか。(日本の知識人では45%程度まで下がるのは妥当なところだろう。なお、知識人では、これに代わって、大国主義、全体主義、覇権主義という見方が多くなる。)



 要するに、これまでみてきた改革開放政策とは、戦時態勢の論理(それが社会主義体制の実質であった)から、経済発展の論理への転換であり、社会主義体制の解体であった。(p.179)

 共産党の一党独裁は続いているが、それはもはや、国家資本主義の色彩を多少帯びた開発独裁の一つでしかなく、冷戦の一端を担った社会主義の体制は、すでに崩壊しているのである。(p.188-189)


これらは普通に社会科学的に分析すれば当然出てくる結論だと思われる。



 朝鮮戦争やベトナム戦争では、日本は発進基地あるいは後方として、アメリカ軍を支えた。そして、朝鮮特需は日本を経済復興へ導き、ベトナム特需も高度経済成長の一部を支え、経済大国化に道を拓いた。他方、中国は朝鮮戦争後、「帝国主義の侵略」に備えた総力戦態勢を構築していく。これが社会主義化にほかならないことは、すでに何度も述べてきたことである。その「帝国主義」の中心はもちろんアメリカであるが、中国民衆にとって、「帝国主義の侵略」という言葉の具体的なイメージは、なによりも日本が与えたものであった。この意味では、日本の全面的な侵略を受けた体験こそが、民衆レベルで社会主義体制を支えていたともいえよう。しかも日本は、アメリカ「帝国主義」と安全保障条約を締結し、軍事同盟関係に入って軍隊(自衛隊)を復活させた。これが、「日本軍国主義」・「日本帝国主義」の復活を示すものとして受けとめられたのである。今日の北朝鮮を考える場合にも、こうした点は軽視できないと思われる。
 このようにみてくれば、日本がアメリカに追随し、中国に対する独自の外交を展開しなかったことの結果は、明らかであろう。一言でいえば、帝国主義の残像を維持・温存させ、それが社会主義体制を支えさせたのである。(p.207)


(中国政府の方針も影響している部分もあると思うので)日本側の一方的な責任とはいえないにしても、日本から発信される情報(外交におけるスタンス、政治家の発言等)が中国の民衆に「帝国主義の残像」を維持させることに寄与したことは間違いないだろう。この残像を消し去っていくためには、政治家の右翼的な発言を封じていくことや首相の靖国参拝のような行為をなくしていくことによって、刺激を減らし、ある種の風化現象を起こさせていく必要があるのではないだろうか。

また、中国の「社会主義体制」がこうした日本帝国主義の残像によって構成され、具体的な脅威としてのアメリカによる侵略に備えたものだったとすれば、昨今のようにアメリカ側から中国との関係は最も重要な国際関係の一つとまで言われるような状態が続けば、これまでの中国政府がとってきた行動パターンも大きく変わっていく可能性があるのではないか。

例えば、「大国主義」や「覇権主義」のような、追い詰められているがゆえに採らざるを得なかった威嚇的な行動も幾らかは減っていく可能性はある。国力が相対的に強まり、一党独裁の態勢が変わらないために過激な行動がしやすくなるため、こうした動きは減らない可能性があり、むしろ増える可能性も否定できない。しかし、それでもかつてのような孤立に近い状況とは昨今の中国は違っているから、国内的には独裁であっても国際関係による制限はある程度受けるようになってきている。

いずれにせよ、日本から見る中国のイメージにも今後変更が必要になってくるかもしれない現在の中国にある日本のイメージが戦前の時代遅れのものであるのと同じように、将来、気がついたら、日本の側から見た中国のイメージがその時点での中国の実態とは大きくかけ離れた「過去の残像」になってしまっている可能性は否定できない。



しかし残念ながら、日本は国際的孤立という中国の弱みにつけこんで、謝罪を値切り国家賠償を放棄させたのである。これでどうして真摯な反省をしたといえるのだろうか?
 これ以後も、自民党政府は謝罪表現を値切り続けていった。日本の首相が初めて「侵略」という表現を使って謝罪したのは、国交回復からさらに20年以上たち、自民党が野に下って成立した細川護煕内閣のときである。この間、教科書検定によって、次代を担う人々に侵略という歴史的事実を伝えないようにし続けた。こうした歴史に対する歴代自民党政府の不誠実な態度や、繰り返される閣僚の「問題発言」が、「日本帝国主義」あるいは「日本軍国主義復活」のイメージを、放棄しがたくしたのである。これは中国だけの問題ではない。周辺国すべての疑念をあおり、不信感を抱かせ続けることが、決して日本の国益にはならないことだけは、確かであろう。(p.209)


「日本は国際的孤立という中国の弱みにつけこんで、謝罪を値切り国家賠償を放棄させた」というのは、なかな興味深い見解である。政治は道徳ではないという観点から見て、やや道徳的過ぎる見解だというのが、この見解に対する私の評価である。

しかし、後段の自民党政府の不誠実な態度が「日本帝国主義」「軍国主義」のイメージを維持させてしまったのであり、こうした態度は改めるべきであるというのは国際政治的な観点からも同意できる。すなわち、自国の敵を減らすという意味での安全保障の意味でも、もっと大きく、世界レベルでの平和構築という観点から見ても支持できるものである。


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奥村哲 『中国の現代史 戦争と社会主義』(その2)

 そもそもナショナリズムは、思想というよりも情緒であり、自己の存在への危機から生まれ、自己が帰属すると考える集団に価値を認めた上で、それを守り発展させようとするものである。自己と同一と考える集団に対しては連帯し、統合を進めるが、異なると考える集団は価値的に低いとみなし、排斥し対立する。また、自己と同一と思われるにもかかわらず、自分たちに同調しない者は、無能力者か裏切り者であった。こうしてナショナリズムは、人々の連帯と対立、社会の統合と分裂という、矛盾する二つの契機となるのであり、イギリスやフランスに対抗して上から急激に国民国家化を進めた後発資本主義国では、それだけ排外性の強いナショナリズムをその核としたのである。そして、より排外主義的なナショナリズムは弱者に対してより侵略的となった。こうして国民国家の排外主義的な国家利益が追求され、互いに衝突し、帝国主義に向かっていく。(p.60)


ナショナリズムが思想というよりも情緒であるという指摘は妥当だと思う。だからこそ概念的には捉え難い。そして、その情緒は「危機感」から生まれるがゆえに、抵抗すなわち「防御のための攻撃」の性格を常にもつことになる。ナショナリズムにおいては建前上の防御という口実と実質的な攻撃性が表裏一体のものとして結びついている。「防御のための攻撃」の論理から「攻撃される前に攻撃する」という先制攻撃論にはほとんど壁がない。「外敵」から攻撃されることへの恐怖(危機感)が常にある人が抱く情緒なのだから、その緊張感に耐えられなくなる時点で常に先制攻撃論という理屈が出てくるのである。そして、実際問題としてこの先制攻撃が行われるのは自国より弱いと見なしうる地域に対してに限られる。

本書の主張で見落としていると思われるのは、侵略する側のロジックとして、被侵略地域の人々(あるいはその地域の人々の中の「同胞」)を「解放する」という名目が使われることであろう。そして、しばしば、それらの人々を「自己が帰属する集団」の一部だと見なそうとする点に、本書では力点が置かれていないところにはやや違和感がある。

例えば、中国で言えば、中華民国時代以降のナショナリズムは「中華民族」という集団を想定(想像上で作り出)し、そこにチベット族やモンゴル族やウィグル族なども含まれているという論理で、こうした「少数民族」を「中華民族」の一部として取り込んできたし、かつての日本帝国が台湾や韓国を侵略したときにも似たようなイデオロギー的な言辞がよく使われたと聞く。

ここに見られるのは「排外主義」とはやや異質な論理と感情であって、排外主義だけで説明するのはやや単純化しすぎのきらいがある。この点を除けば概ね著者の意見に賛同する。

興味深いのは、「自己と同一と思われるにもかかわらず、自分たちに同調しない者は、無能力者か裏切り者」という発想がナショナリズムでは頻出することについて明確に指摘していることである。かつての日本では「非国民」というのがあったが、昨今の日本のウェブ上では日本国籍保有者に対して「反日」という言葉でラベリングすることなどが、まさにこれにあたるだろう。



 ここでもう一度ナショナリズムの特性を振り返ってみよう。ナショナリズムは自己の存在への危機感からアイデンティティを求め、その集団に価値付与を行ない、集団の発展に敵対すると考えられるものに対して闘争していくものである。本来理性的であるよりは情緒的であり、集団の統合を進める一方で、「内なる敵」や異端と考えられる者に対しては抑圧的になる。というよりは、むしろ「外」との闘争とともに、しばしばつくられさえする「内なる敵」への抑圧を媒介として、統合が進められるのである。反漢奸闘争の場合、一村ないし数か村を単位に行われ、村人が集められ、その真ん前で「漢奸」が吊し上げられた。参加しなければ疑惑を招き、自身が次の闘争対象にされるかもしれない。逆に積極的に「内なる敵」を摘発し闘争すれば、より多い果実が得られるし、自分が「内なる敵」とされることもなくなる。「敵」か「味方」かがいやおうなしに鮮明にさせられるなかで、相互に監視しあい、運動に参加して身の潔白さを証明し、「敵」を共同で抑圧する「味方」の体制が村としてつくられ、それを共産党が掌握していったのである。それは社会の厳しい緊張を前提とした、早熟的な統合であり、これを背景に、戦争末期に共産党はその勢力を拡大していったのである。(p.102-103)


本書におけるナショナリズムにおける統合の分析のうち、この「内なる敵」への抑圧を媒介として相互監視的な抑圧的な社会として統合が進められるという指摘は非常に興味深いところである。

昨今の日本で「内なる敵」とされているものの一つが「公務員」であるという点は一応指摘しておこうと思う。もっとも、これはナショナリズムの感情というよりは、行き先の見えない社会の不安をぶつける対象として発見された「内なる敵」ではあるだろうが、このように「内なる敵」が常に探されている社会の状況があるとすれば、早晩、かつての中国のような「強制的かつ自発的な監視社会」が実現していく可能性は否定できない。

実際、私は第二次世界大戦後から冷戦終結までの時期と冷戦終結後の時期において、日本と中国の地政学的な位置はほぼ逆転したと認識している。

すなわち、戦後の冷戦体制の下では日本の置かれた位置は極めて有利なものだった。東西の境界線にあり反共の砦として経済的に有利な条件が国際的に整っていた。そのお膳立ての上で日本の経済発展があった。逆に、中国は国際的に封じ込めの対象とされ、ソ連ともアメリカとも関係が悪い中で孤立していた。当然、貨幣の流通が血液のようなものである経済はそうした環境下では発展することは難しかった。

冷戦後は状況が一転した。冷戦構造の中でアメリカ一辺倒の外交を続けてきた日本は政治的に孤立の傾向を示した。経済的には国際資本移動が加速したために安価な労働力が大量にあるインドや中国に有利な状況となり、工業が売りだった日本にとっては不利な状況となった。アメリカやイギリスとは異なり、金融のヘゲモニーが確立していなかったため、没落を食い止める要素が少なく、没落の速度は早かった。中国は冷戦が終結したことにより、かつての封じ込めは終わり、現在は全方位外交を進めている。安価な労働力が大量にあることによって、工業と市場としての優位性が発揮されている。国際資本移動の自由化の恩恵である。

国際社会・世界経済のネットワークの再編が起きる中で、もともと有利な状況があったが、その状況が一挙になくなってしまった日本と、もともと不利な状況にあったが、その状況が一挙になくなってしまった中国とが対照的な動きをしており、冷戦後の日本の歴史は第二次大戦後の中国の歴史と、いろいろと共通点があると私は見ているのである。今後、日本で「大躍進」や「文化大革命」のようなことが起こらないとは限らない、そんな情勢になってきているのではないか。(まぁ、日本は曲がりなりにも「中核」に属してきたので、一挙にここまで酷い事態には陥らないだろうが、それと似たような社会情勢にはなっていくかもしれない。)

余談だが、「一国の歴史」を一つのものとしてみる見方を私は基本としてしないので、「日本の歴史」とか「中国の歴史」という言い方はしたくないのだが、一応、政治的な単位として国民国家が機能していることは認めており、この単位の中では比較的同じ情報が共有されるし、財政的にも国際経済的にも利害を共有する部分はあるため、社会的な意識のあり方に着目する際には、一国史観的な見方をある程度採用しなければならず、そのために上記のような書き方になってしまった、ということを一言断っておく。

冷戦体制はブレトン・ウッズ体制とセットだったと私は見ているので、本当は冷戦が画期とは言えない。ブレトン・ウッズ体制の終焉から移行期がスタートしたのであり、冷戦の終結によってその移行期が終わったことを意味する。ブレトン・ウッズ体制が終わったとき(1971年)に、中国とアメリカの関係が改善に向かい、その後、中国で改革開放路線が選択された(1978年)ことは偶然ではないのである。



 朝鮮戦争は1953年7月に休戦協定が調印されたが、以後も、中国はアメリカと鋭く対立するようになった。不意を突かれてアメリカ軍が壊滅に瀕したとき、マッカーサーは中国軍の後方補給基地となった東北に数十発の原爆を投下するよう提案し、トルーマンも原爆の使用を考慮していると声明した。原爆投下自体は国際世論の反対もあって回避されたが、アメリカは中国を東アジアの秩序に対する最大の脅威とみるようになり、その封じ込めを謀って周辺のアジア諸国と次々に軍事同盟を締結していった。1951年9月に締結された日米安全保障条約もまたその一環であることは、記憶されねばならないであろう。逆に中国にとっては、アメリカのこうした動きこそが中国への脅威であり、中国への「帝国主義」的侵略の企図を実証するものであった。こうして、ありうるアメリカ「帝国主義」の侵攻に、総力をあげて対処できる態勢を築くことこそが、中国の最大の課題となったのである。それが、中国を社会主義体制に導いた。(p.121-122)


東アジアにおける東西冷戦の構造はこの頃に確定したのであり、日本はこの恩恵にあずかり、中国はこの体制により封じ込められた。


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奥村哲 『中国の現代史 戦争と社会主義』(その1)

社会主義体制とは、相対的に後進的な国における、「帝国主義の侵略」に対処する総力戦の態勢であり、中国の場合、日本の侵略が決定的な転換点になった。まさしく、日本の侵略があとに遺したものだったのである。(p.6)


これは本書の結論ないし中心となる主張である。私も概ね同意見である。

いわゆる「社会主義」は冷戦時代の東側諸国で採用された体制だが、これらの国々は、世界経済の中で半周辺的だと位置づけることができる。それは経済的にも軍事的にも優位な位置にある「中核」からのある種の(経済的なものを含めた)「侵略」に対し、自国のエリア内のリソースを政治的に動員することによって防衛しようとするものであった。

ウォーラーステインの理論の枠組みでは経済的な面が強調されるのに対し、本書の特色は軍事的な面、即ち、国防という目的がさらに上位にあったことを強調する点である。中国の場合、重工業の開発が、敵に侵略された場合に、容易に侵略され敵の戦力になってしまいかねない沿海部ではなく、経済的な効率が落ちる内陸部に重点が置かれていたことが、国防がより上位の目的であったことの認識根拠となっている。

社会主義や共産主義の理論・理念と現実の体制は大きく乖離したものであったが、イデオロギーに引きずられて的外れの議論が多く繰り返されてきた中にあって、本書の見方はそうした「体制正当化のレトリック」に引きずられていない点で評価されるべきであろう。なお、私としては本書の見方はかなり当然のものに思えるのだが、意外とこうした見方をしている本は少ないように思われる。

ちなみに、本書の別の箇所ではほぼ同じことを次のように書いている。

 私の結論を先に言えば、社会主義体制とは、工業化が相対的に遅れた地域における、ファシズムないし全体主義国の侵略を受けたことを歴史的経験とした、ファシズム以上に徹底して全体主義的な国家の防衛態勢であり、総力戦の態勢である、ということである。(p.41)





 しかし社会的所有というのは、平たく言えば、「みんなのもの」ということであった。そのみんなには、自分ももちろん含まれる。とすれば、問題は法律上あるいは形式上でどうなっているかではなく、実質の上で、自分が働く土地や機械などに対して、自分も含めた個々人の意志が反映されるかどうかである。「みんなのもの」とは、みんなの意志に任されるもの、ということであろう。もちろん、個々人の考え方や利害はさまざまであり、しばしば対立する。だから、「みんなの意志に任される」というのは、考え方や利害の違いが民主主義によって調整されて、社会の合意が得られることが、前提になるはずである。そう考えるなら、中国の国有・公有は、きわめて高度の民主主義を前提として、はじめて「みんなのもの」といえるであろう。しかし残念ながら、改革開放以前の中国では、初歩的な民主主義さえ欠如し、完全な共産党による一党独裁であった。国や公的集団の意志決定も、すべて共産党が独占していた。このような状況のもとでの国有と公有は、単に「共産党のもの」でしかなく、決して「みんなのもの」ではない。ただ、共産党がみんな(全人民)の意志を代表しているという、なんの制度的保証もない建前が、「全人民的所有」という虚構の看板を支えているだけである。(p.28)


これもほぼ同意見であるが、意外とこのような素直な見方を示す人は少ないように思われる。

強いて付け加えるならば、「民主的な意思決定」は「デモクラシーの制度」を整えてもできるとは限らないし、「デモクラシーの制度」がなくても一時的には「民主的な意思決定」ができる場合があり、これらを同一視してはならないということは付け加えなければならないだろう。そして、デモクラシーの体制があっても、間接デモクラシーの場合、「みんなのもの」という度合いはかなり低く、実質的に「エリート(選ばれた人たち)のもの」である度合いが高いということ。つまり、純粋に「みんなのもの」という状態は、多数の人間からなる共同体では完全に実現されることはないということである。

いずれにせよ、「共産党がみんな(全人民)の意志を代表しているという、なんの制度的保証もない建前が、「全人民的所有」という虚構の看板を支えている」というのは間違いない。中国国内に、このことに明確に気づく人が増えるべきであると考える。



 では、五ヵ年計画とは何だったのか。実際には、経済を五ヵ年でそこまで発展させたいという、願望でしかなかった。(p.30)


またまた同意見である。

ただ、これは「計画経済」を標榜していた諸政府を笑ってばかりもいられない。日本の景気判断や年金の保険料や給付水準を決める際に使われてきて人口推計なども、かなりの程度、政府の願望を反映して表明されており、それに沿って政策が作られているからであって、日本の有権者も他国を笑える状態では全くないのである。



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工藤泰志 編 『言論ブログ・ブックレット 私ならこう考える――有識者の主張011 三年連続で実施した日中共同世論調査から明らかになった 中国人の日本人観 日本人の中国人観』

 中国の場合を見てみると、多くの人が自国のメディアを客観的ととらえていることがわかります。59.7%の人が「基本的に客観的」と答えています。しかし学生調査では35.1%にとどまっており、メディアの客観性に対する認識については、一般的な国民よりも慎重な姿勢がうかがえます。(p.32)


中国におけるこうしたメディア観は、このブックレットで扱っている世論調査で、中国の方が日中関係の改善などについて政府の方針に従って大きく振れやすいことと関連していると思われる。

私が各国を旅行して歩いた印象から言うと、ロシアや中国の人々は外国から見た自国についてのイメージなどをよく理解していないように感じられた。どちらも政府の意向がメディアにかなり強く反映されているのだが、それに対して疑問を抱いている度合いが少ないという印象である。中東などもそうした情報統制はあるのだが、中東諸国の人々はそれがコントロールされたものであることを自覚しているのに対し、中露の人々はその自覚が弱いと感じている。一言で言うと、これらの国では人々の世界観が閉じている傾向が強い。これが私が訪問した際の印象であったが、それとも関連するアンケート結果であるように思われる。

つまり、これは外部から見た視点に立ち難いということであり、それだけ自らの視点が絶対化されているということである。その絶対性はその世界観の内部(視点の範囲内)から見ると「客観的」であるように見える。

昨今は中国の人々の間でも「日本」のイメージはやや向上しているようだが、それも容易に変わってしまう移ろいやすいものであることを銘記すべきであろう。むしろ、イメージ形成における変わりにくいコアとなる「歴史問題」があるだけに、持続的にプラスイメージを喚起する必要があるし、つまらない右翼の言動で中国の世論を刺激することは厳に慎むべきだというのが私見である。

(もっとも、中国にせよ日本にせよ、もう少し緻密な思考が遍く行き渡り、「国」を単位として粗雑なイメージ形成をし、そのイメージを実体化する本質主義的な見方が払拭されさえすれば、このようなことで憂いを表明する必要もないのだが、それはあまりにも「強い個人」を仮定することになるものであり、社会及び政策について考えていく上では妥当ではなかろう。)



日本が戦後標榜してきた「民主主義」、「国際協調主義」、「平和主義」と答えた人は少数にとどまっています。(p.38)


中国の人々から見た日本社会の政治思想の流れは何かという質問に対するコメントである。

「民主主義」は中国の政府にとって受け入れられないものであるから、中国の国内で広く宣伝されることはないだろうし、「国際協調主義」は、日本国内では日本政府はこのように振舞っていると報道されるが、実際はかなりタカ派的な外交をしてきているからあまり当てはまらないとも言える。

ただ、「平和主義」は曲がりなりにも標榜しているのだし、実際に武力行使からはできるだけ距離をおこうとするスタンスは続けているのだから、もう少し中国でも知られて良いと私は思う。ただ、中国での「日本」のイメージは「戦前のまま止まっている」要素があるので、それと直接的に抵触するイメージが広がらなかったことは起こるべくして起こったこととも言えるし、国交がなかった頃に定まったものだから、知られにくいというのもあっただろう。いずれにせよ、日本の政治理念としての平和主義を前面に打ち出し、そのイメージを国際的に定着させていくことは今後の課題と言えるだろう。(それ以前に内実を伴わなければならないが…。)

なお、私から見てこの質問に関して興味をもったのは、中国の人々は中国の体制をどのようなものと考えているのかということであった。




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