アヴェスターにはこう書いている?
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石川真澄 『戦後政治史』(その2)

 臨調はまる二年の審議ののち、83年3月14日、「増税なき財政再建」「超緊縮財政の堅持」などを柱とする最終答申を次の中曽根首相に出して解散する。鈴木内閣と、時の行政管理庁長官であった中曽根の掲げた「行政改革」は、このあと10年余り続く政治シンボルとしての「改革」のはしりであった。(p.153)


ここで臨調と言われているのは第二臨調のことである。日本において新自由主義の政策が本格化するのは、このときからだと言ってよい。既に25年が経過している。



 中曽根は就任当初の「不沈空母」発言などで支持率が下がったのをみて、その後はタカ派的言動を控え、閣僚の資産公開、平和と軍縮、行政改革、教育改革などを強調するようになった。これらによって内閣支持率は回復した。しかし、その政治手法は「審議会政治」と名付けられた独特なものであった。84年、中曽根は周辺に、「高度情報社会に関する懇談会」「経済政策に関する懇談会」「臨時教育審議会」「閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会」など、公私の新しい諮問機関をいくつも作った。それらの委員には、中曽根のブレーンである瀬島竜三・伊藤忠商事相談役、佐藤誠三郎東大教授、香山健一学習院大教授らが複数かけもちで入り、議論をリードした。その答申を通じて世論を動かし、政策実現をはかるという手法である。(p.159)


小泉のやり方と全くというほど同じであることに気づくだろう。ただ、橋下内閣における省庁再編と小選挙区制による派閥の解体という条件が整った上で登場した小泉はそれをより「有効」に(つまり、彼の意に沿うように)活用することができたと言うことはできる。



 84年9月6~8日、韓国の全斗煥大統領が韓国大統領として初めて公式に来日した。6日の宮中晩餐会で昭和天皇は、「今世紀の一時期において〔日韓〕両国の間に不幸な過去が存したことは誠に遺憾であり、再び繰り返されてはならないと思います」とあいさつした。植民地支配の過去についての最初の正式な反省の弁であった。大統領はこれに対して「厳粛な気持ちで傾聴しました」と答えた。(p.160)



今これと同じようなことが起こったらどうなるか?想像すると興味深いものがある。恐らくそれは、この24年の歳月でどれほど日本の世論が右傾化したかを示すことになるだろう。



 海部内閣は、発足当時からもう一つの主題をかかえていた。「政治改革」である。「政治改革」が具体化に向かったはしりは、リクルート事件によって高まった政治腐敗根絶の声に応じ、自民党が竹下内閣末期に政治改革委員会(後藤田正晴会長)をつくったあたりだろう。委員会は竹下の辞意表明後の89年5月22日付で「政治改革大綱」を発表した。大綱には、五年後に完成する小選挙区・比例代表並立制(以下、並立制と略記)を意味する提案が書き込まれていた。
 ・・・(中略)・・・。
 しかし、このころ自民党は党勢の復調に安心して「政治改革」熱は冷め、答申を受けての法案化はなかなか進まなかった。この時期には、小選挙区制によって不当に議席が減るに違いない野党はこぞって並立制に反対であり、自民党内にも強い反対意見があった。海部にとってはしかし、「政治改革」こそがリクルート事件で傷を負った安倍、宮沢、それに中曽根派を継いだ渡辺美智雄ら派閥領袖の復権を阻んで、自分の内閣を長続きさせる基礎であった。(p.180-181)


せっかく誰もやろうとしなかった政治改革を海部内閣が自らの延命のためにやってしまったわけだ。そして、このエゴイズムのツケが今、重くのしかかっているのだ。

政治改革が89年頃から本格化し、それが汚職などによる不信を起爆剤としていたことには注意が必要である。なぜならば、こうした政治家への非難から生じた「政治改革」は、政治家が自分の意思を政策により強く反映させることができるシステムを招いたからである。すなわち、民意は聞かずに我意を政策に反映させるシステムである。

この後、90年代のバブル後の不況期になると、ネオリベラリズムの陣営(財界)から官僚批判も出てきたのだが、高級官僚批判から次第に一般の公務員批判へと拡大して行きながら、「行政改革」が謳われ、それが行なわれてきた。政治改革が改悪であったのと同様、行政改革も改悪であり、ポジティブなビジョンのない、不満の爆発だけに押されて行なわれる「改革」がいかなるものであるか、ということをよく銘記しなければならない


なお、この後、90年代の選挙では「史上最低の投票率」が次々と更新されていくのだが、このことはこの時代の政治不信を反映していると言える。私が少しばかり興味があるのは、ちょうどこの時期は団塊ジュニア世代が成人した時期だということだ。現在の30代半ばくらいの世代だが、この世代が「ネット右翼」のかなりの部分を占めていると思われるし、また、小林よしのりのマンガなどに「啓発」されて右寄りの国家主義的な政治スタンスに共鳴しているのもこの層が多いと私は見ている。

もしそうだとすると、この世代の政治意識がどのような「空気」の中で培養されてきたかが見えるように思われる。政治家と官僚は「汚いもの」であり信用できないという観念が、この世代の心理には根付いている可能性が高い。そして、より上の世代(団塊の世代あたり)との違いとして、ある程度ではあるが「信頼できる政治や行政」についてのイメージがない。単に不信だけがある。

ここに付け加わるのが、長期の不況であり、アジア諸国の台頭であり、冷戦終結に伴うアイデンティティの危機である。反韓・反中を核とするナショナリズムが台頭する要因はここにあり、上記のようなリアルな政治と行政に対する不信に対するアンチ・テーゼとして、「観念的なナショナリズム」が台頭する余地が生じた。もちろん、政治行政への不信はネオリベの温床でもあり、ネオリベやナショナリズムの「分かりやすい」メッセージは彼らは実際には「政治音痴」であるにも拘らず、政治が「わかったような気分」にさせてくれる。

まともな人間関係のある世界では当然、そのような未熟な政治的な意見は表明できないが、インターネットのように発信のコストが低い世界では容易にその意見を発信できるため、ネット上でだけは妙に目立つということになる。(もちろん、インターネットのネットワークの特性としてのスケールフリー性も不可欠の基礎的要因なのだが。)ネット以外の世界でも、同じ傾向はやはりあり、その極端なものがネット上に姿を現わしている。その意味で、ネット上の言説はスケールフリーであることによって実際の人間行動とは異なった形に変形されてはいるが、一応の「認識根拠」であると位置づけることができると私は見ている。

これらは他の世代にも同様の条件ではあるのだが、既に述べたように、団塊ジュニア世代は団塊世代とそのすぐ下の世代と比較して、現実の政治に関する肯定的なイメージがない点で異なり、また、ネットに対するリテラシーが上の世代よりも高いという点が彼らの政治意識の形成に一役買っているように思われる。

まぁ、他にもいろいろ考慮する要因があるとは思うが、差し当たり、こうしたこともあったのではなかろうか。



 しかし、実際に政治を動かすのが議席数の分布であるとしても、それが有権者の政治的意思の分布をストレートに表現しているとは限らない。・・・(中略)・・・。
 こうしたひずみを除いて有権者の選択を正しく計量するには、得票率の変化を見るほかない。(p.197-198)


政治意識の分析をするにあたって、極めて重要な指摘であると思われる。もっとも、得票率自体も選挙制度によって左右されるのだが、それでも議席数で見るよりは遥かに妥当な見方ができるだろう。



国会議員の選挙運動を実際に末端で担っているのは、都道府県議会や市町村議会の議員、それに準ずる地域の世話役たちである。彼らは国会議員候補者たちのために、自分の影響下にある有権者に投票を働きかける。しかし、その選挙運動は同時に自分の影響力を保ち、さらに膨らませる機会でもある。現在または将来の自治体議員らが国会議員の選挙のために走り回る動機のなかには、「自分自身の運動にもなる」という部分があるとみていい。
 ところが亥年には自分の関係する選挙は四月に終わり、そのあと二ヶ月ほどで参院選となる。参院議員候補者のために働いても、自分のためになるかどうかを計算すると、次の自治体選挙は3年10ヶ月先で、効果の持続は期待できない。そこで、活動はどうしても鈍ることになる。(p.201-202)


去年も話題になったが、亥年の参院選は投票率が下がることについての仮説。それなりに説得力がある。ただ、2007年には「安倍晋三」への反対票を投じるために多くの有権者が怒りの一票を民主党に投じて勝たせたから、この仮説の通りには行かなかったことは記憶に新しい。


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石川真澄 『戦後政治史』(その1)

 この内閣の大仕事は、新憲法をはじめ皇室典範などの諸法律の改正を議会で成立させることであった。憲法の審議過程で、憲法担当国務相・金森徳次郎は、象徴天皇の意味を「いわば憧れの中心」と説明した。また、戦争放棄について吉田首相は六月二五日、「近年の戦争は多く自衛権の名に於て戦われた」ことを指摘し、第九条は「自衛権の発動としての戦争も、又交戦権も抛棄したものであります」と答弁した。(p.36)


第一次吉田内閣についてである。現在の政府の憲法解釈とは違うが、上記のような九条解釈が当初のものであったということは、原点として押さえておくべきだろう。

また、戦争の理由についての言明も、戦後ならではの直截さで述べられていると言える。



不敬罪は47年11月15日施行された改正刑法で、姦通罪(妻の不倫だけを罪としていた)とともに廃止された。(p.37)


不敬罪なんていう罪があったということ自体、言論の自由などの見地から見て、あってはならないことであろう。

ただ、最近のチベットの騒動で、中国政府(チベット自治区のシャンパプンツォク主席)は「公の場で国家分裂や独立を主張すること自体、中国では違法だ」と述べたそうだが、現在の中国は当時の日本と同じような政治的言論環境だとは言えるかもしれない。

そして、国旗や国家を掲揚することを強制し、それに従わない教師などを処罰するという馬鹿げた行為(政府や東京都など)も、この不敬罪の発想と同列のものであることは認識すべきだろう。このようなことを容認する者は、ある意味で中国政府と同レベルだってことである。



 この回から選挙区制は、46年選挙時の「大選挙区・制限連記制」から「中選挙区・単記制」に復帰した。中選挙区制は1928年の第一回普通選挙から42年の翼賛選挙まで続いていた。区制を変える衆院選挙法の改正は、47年3月31日に議員立法の形で自由、進歩両党の賛成により成立した。しかし、旧制度への復帰は政府の強い決意でもあった。植原悦治郎内相は2月1日、内閣改造による就任後初の記者会見で選挙区制に言及し、「二大政党主義による政党政治の安定確立という建前より、小選挙区単記制がもっとも理想的だと思う。小党分立は民主主義の発展を阻害する。しかしこのような一足とびの体勢は直ちに〔は〕困難だから、まずは中選挙区単記制をとりたい」(2月2日付『朝日新聞』)と語っていた。改正の本音は、保守派が連記制によって共産党と女性が多く進出すると考え、それを快く思わなかったことにあったが、すでにこのころから保守勢力と内務省(のちの自治省)が小選挙区制を理想としていたことは、注目に値する。(p.39-40)


これが50年近く後に実現することになる。その結果、政治の保守化は保守派の思惑通り、さらに進んだのは周知の通りであろう。



経済安定九原則

 この内閣(※引用者注;第三次吉田内閣)はまず、48年暮れの衆院解散直前12月18日に、GHQが米国政府から直接要求があったとして発表した「日本経済の安定と復興を目的とする九原則」(経済安定九原則)を実施しなければならなかった。
 九原則は超均衡予算や輸出体制の整備などを強く求めたもので、米デトロイト銀行頭取のジョセフ・ドッジが、トルーマン大統領からの依頼を受けた占領軍総司令官顧問として来日し、その実現の采配を振るった。とくに補助金と米国の援助物資とは日本経済の「竹馬の脚」であるとして、その両脚を切って窮乏生活に耐え、インフレを克服し、経済を自立させることを日本国民に要求したので、「ドッジ・ライン」「竹馬経済」は流行語になった。
 日本は、減税なし、補助金全廃、公共料金値上げ、国鉄など公務員23万人の首切りなどを内容とする均衡予算と引き替えに、1ドル360円の単一為替レートを与えられ、国際経済に復帰する。

民主化から復興へ

 今日、米国の外交文書などによって、九原則こそは米国の冷戦政策の一環であったことが明らかとなっている。米国側には、日本を経済危機から立ち直らせることで共産主義につけいる隙を与えない、つまり「全体主義に対する防壁」にしたい、という動機があった。48年の後半には、中国の国共内戦は共産側の勝利に帰するだろうと多くの人がみていたという情勢も、動機に切迫感を与えていただろう。(p.53-54)


この政策は見事に功を奏し、日本の経済は輸出主導型の形で復興していく。この為替レートが日本経済を有利にする際に有効だったのである。


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ダーウィン 『人類の起原』(その5)
本書から読み取った限りにおけるダーウィンの進化論について気づいたこと。

一点目。基本的に闘争的ないし競争的な世界観がベースにあること。

そこでは「強い者が勝つ」という発想が充満している。(しかし、実際は、生き残ったものが「これは強かった」と評価・解釈されているに過ぎない。その意味で、この推論は「後件肯定の虚偽」である。ただ、念のため付け加えると、アブダクションはすべてこの推論形式を採らざるを得ないので、この推論形式であることだけをもってダーウィンの説を否定することはできない、ということはいっておいた方が公平だろう。)思考実験によって自然淘汰が論理的に導かれる。ある種の真空状態(純粋状態、あるいは、化学などで習った用語で言えば「理想状態」)の中で「個体同士が一対一で競争する(マルチの競争――多数対多数――であっても、あまりそれは前面に出ない)」という形式が想定されがちである。このほか、いろいろな点で経済学における市場における競争のモデルに似ている。

二点目。機能主義であること。

すなわち、機能の優越性が自然淘汰において重視される。様々な機能は獲得された形質であることがあり、その獲得形質が遺伝することがあるとされ、それが蓄積されて機能の優越性が強化されると考えている。驚いたことに獲得された道徳的な資質までが遺伝すると考えられている(p.186など)。

機能主義は功利主義やプラグマティズムとも通じる点で、19世紀から20世紀初頭の英語圏(イギリス)的な発想だと言える。つまり、こうした意味空間をreferしている、ということ。

三点目。機能主義で説明できないことを説明するための副次的なパラダイムとして「性淘汰」を提示していること。

つまり、物理的には機能的ではない変異を美しさ(異性によって選ばれること)によって説明しようとする。ある意味では、弱肉強食的な機能主義の論理だけでは説明できないということに、ダーウィンは気づいていたともいえるのだが、しかし、その際にも、「優越的なものが選択されて生き残る」という点では、自然淘汰と同型の発想は堅持しているとも言える。

四点目。日の沈まぬ帝国としてのイギリスにいたことがダーウィンの思想が成立し、さらに支持される上で、重要な条件であったこと。

ビーグル号にしても、他の学者から得られる情報にしても、日の沈まぬ帝国であるイギリスの世界的な通商網・情報網があってこそのものがある。太平洋、アメリカ大陸、オーストラリア、日本、中国、インド、アフリカと世界中の情報(動物や人種について)が整理されているところにそれを見ることができるし、また、大英博物館の名が何度か出てくるが、そうした資料を参照する際にも、この帝国に在住していたことは有利だった。

さらに、付録によると、ダーウィンという人物とその学説に対する社会的な評価という点でも、フランスのラマルクよりイギリスにいたことが有利だったとされているのは興味深い。

五点目。進化論は当時の歴史主義の流れに位置づけられる。

ダーウィンはマルクスとも同時代人だが、19世紀の歴史主義の思想的雰囲気を部分的に受け継いでいると見ることができる。この時代の歴史主義は発展段階論的な見方とも親和的である。

この当時の歴史主義の典型的な思想類型としての発展段階論的な見方は、上述の大英帝国の帝国主義とも結びつく。それは、前のエントリーでも触れたが、次のような点である。すなわち、ダーウィニズムと社会ダーウィニズムは別物だと言われることが多いが、本書に見られるダーウィンの人種観や文化観などから言えるのは、ダーウィンの学説も社会ダーウィニズム的な偏見が強く見られるということ。

それは、明らかに、オリエンタリズムであり、ユーロセントリズムであり、白人を文明的ですぐれた人種であると考えるレイシズムである。そのヒエラルヒーでは、「白人=文明人>(教養がない)未開人>動物(サルなど)」という序列があからさまに語られる(p.113など)。このことと関連して、「優生学」的な発想が随所に見られることにも注目してよい。

六点目。確率論的な因果観

進化において有利な形質が遺伝していくプロセスについての考え方(優れた形質を持つ個体が生き残り「やすい」という発想)には、確率論的な考え方があるように思われる。19世紀の確率革命的な因果観、世界観があると見ることができる。(この点に関しては、例えば、イアン・ハッキングの『偶然を飼いならす 統計学と第二次科学革命』を参照。)もちろん、この発想がダーウィン自身によって、どこまで明確に意識されていたかは疑問だが、それでもこの時代に共通に見られる傾向を反映しているのは興味深い。

この確率論の発展に関しては「国民国家Nation-State」化が進展することに伴う、統計学statisticsの展開とも完全に並行関係・相互影響関係にあることが推測され、そうした発想と上記の「優生学」とが容易に結びつくことも想像に難くない。為政者がその「国民国家」をどのように運営すべきかという支配者的な観点からの見方だと言え、そのための道具として確率論が発展し、その道具立てを用いて歴史的発展が語られ、その中で自国の優位性が語られる。そして、自国の優位性を維持するための優生学が必要とされる、などなどすべてが絡み合っている。


このほか、余談になるが、ダーウィンは恐らく自らを「生物学者」とは考えていなかっただろう。そのような用語は本書の中では一度も使われていなかったと思う(たぶん)。彼は本書の中で様々な「博物学者」の名を上げて、彼らの学説を参照しており、ダーウィン自身も「博物学者」だと考えていたように思われる。これは科学史的に興味があるところである。つまり、ダーウィンは「生物学者」ではなく、「博物学者」だったのではないか、ということ。(ついでに、博物学はnatural historyの訳語である点も、歴史主義との関連を想像させて興味深い。)

私は、ダーウィンについても生物学についても全く素人だが、以上のようなことを本書を読んで気づいた。今後、私が科学史などについての知見を積み重ねていく際に参照できそうな内容なので、メモとして記録しておくことにする。


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ダーウィン 『人類の起原』(その4)

 人間は自分の飼っているウマやウシやイヌなどをかけあわせるときには、前もってその特徴や血統を細心の注意をはらってよく調べるが、自分の結婚になると、そうした注意はめったにはらわないし、ときには、それに全く無関心の人もいる。・・・(中略)・・・。しかし、人間は配偶者を選ぶことによって、自分の子供の体質や体格だけではなく、知的資質とか道徳的性質にも、なんらかの影響を与えることができるはずである。
 男でも女でも、身心いずれかにひどい欠陥がある場合は、結婚をさし控えるべきである。しかしこんな希望は理想郷での話であって、遺伝の法則が解明しつくされるまでは、それが少しでも実現することはなかろう。この目的の実現に手をかす人はだれであろうとも、すべて人類の福祉に大いに貢献するのである。・・・(中略)・・・。
 人類の福祉の増進ということは、きわめて錯綜した問題である。子供ができると、みじめな貧困に陥るということが目に見えているような人は、結婚はさし控えるべきである。なぜならば、貧困ということはそれ自体が一つの大きな罪悪であるだけでなく、貧すれば無分別な結婚をするようになり、それがまた連鎖的に貧困の度合いをますますひどくするのである。一方、ガルトン氏がいったように、思慮深い人が結婚を避けて、無分別な人が結婚をすれば、その社会の劣った人たちがすぐれた人たちにとって代わる危険性がある。
 人間は、他のどんな動物でもそうであったように、急速な人口増加の結果として生じた生存競争を通じて、今日の高い地歩を占めるまでに進歩してきたのである。そこでもし、これ以上さらに進歩しようとすれば、これからもきびしい競争を続けてゆかなければならないということになるおそれがある。さもないと、人間は怠惰に陥り、天賦の才をもつ人が、生存競争で平凡なものに勝ち抜くこともなくなるであろう。だから人口の自然増加率が高いということは、明らかにたくさんの害を生みだすけれども、どんな手段をとっても、この自然増加率を極端に下げようなどとしてはいけない。
 すべての人間が自由に参加できる競争が、あってしかるべきである。そして最も有能なものは人生においていちばん成功し、だれよりも多くの子供を育てることができるというわけであるが、これを法律とか慣習などで妨げることがあってはならない。生存競争は昔も今も重要なものであるが、人間の性質のなかで最も高度なものだけについていえば、生存競争以外に、それ以上にたいせつな要因があるのである。というのは、道徳的資質というものは自然淘汰によって高められるよりも、習慣や推理力、教育、宗教その他の効果が、直接に、また間接に影響して、さらに向上するものだからである。といっても、道徳意識の発達の基礎をなしている社会的本能は、この自然淘汰のはたらきによって生じたものなのである。(p.558-559)


ここは本書の結論の部分である。

前半部分(特に「身心いずれかにひどい欠陥がある場合は、結婚をさし控えるべき」とか「貧困に陥るということが目に見えているような人は、結婚はさし控えるべき」といった部分)は、典型的な「優生学」(とりわけ、消極的優生学、つまり、劣った者は劣った子孫を残すべきではない)の発想であることは明白であろう。実際、ウィキペディアで確認してみたら、「1860年代から1870年代にかけて、フランシス・ゴルトン卿は従兄弟のチャールズ・ダーウィンの理論によってもたらされた、ヒトと動物の進化に関する新たな知識に添ったこれらの考え方や実践を体系化した」と書かれていた。つまり、優生学がヒトだとしたらダーウィンの進化論は類人猿みたいなものなわけだ。このことがまず目を引いた。


また、私は何度か「ダーウィニズムと社会ダーウィニズムは別物であり、社会ダーウィニズムは不当な理論だが、ダーウィニズムはそうではない」という議論を目にした記憶があるのだが、本書を読んで、そのようにしてダーウィンを救おうとする議論は誤りであることが明確になった。

帝国主義は「優れた者が劣った者を支配するのは当然である」というイデオロギーによって正当化され、その代表格が社会ダーウィニズムだったわけだが、まさにダーウィンは、1871年という帝国主義の時代――19世紀中葉から第一次大戦頃までがおおよそ帝国主義の時代だとされる――の初期に本書を世に問うことによって、帝国主義を正当化する役割を果たしたと言うことができよう。


次いで、後半に移る。引用文の後半は、現代の日本でも同じようなことをいっている人間が多そうというか、どこかで見たことがあるような言葉が並んでいるように思う。2,3列挙してみる。

◆競争がなければ「人間は怠惰に陥り、天賦の才をもつ人が、生存競争で平凡なものに勝ち抜くこともなくなる」つまり、進歩がなくなる、といった意見がある。

活性化とか活力を欲し、そのためには競争こそがそのための唯一ないし最高の手段なのだと信じている人が世の中にはいるようだが、まさにそうした素朴な信仰――意見と言うより信仰――と全く同じパターンになっている。

◆すべての人間が自由に参加できる競争が、あってしかるべきである。

「結果の平等」と「機会の平等」という区別がよく行なわれるが、まさに機会の平等を重視するタイプの発想と同型である。しかも、ダーウィンはこの競争によって優れた者が勝ち残ると考えているのだから、そこでは積極的に「結果の不平等」が志向されているのである。私はここから小泉純一郎を思い出さずにはいられない。

◆そして最も有能なものは人生においていちばん成功し、だれよりも多くの子供を育てることができるというわけであるが、これを法律とか慣習などで妨げることがあってはならない。

この法律とか慣習によって「自由な競争」を妨げてはならない、それは活力を失わせる、というわけだ。まさに規制緩和論者や民営化論者のいつものフレーズと全く同じである。

現代日本で語られるネオリベラリズムの言説と見事なまでに同じ発想であることが分かる。

逆に言えば、140年も経っているのに、これらの人たちは全然「進化」していないらしい、ってことになる。

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ダーウィン 『人類の起原』(その3)

ローマ数字では、人間の手の略画であると考えられるⅤの次にⅥへとつぎつぎに進むが、このときにもう一方の手が用いられたのは確かだ。さらに、「われわれが20(スコア)を三回と、そして10という場合は、二十進法で数えており、20(スコア)一つはこうして観念的につくられ、メキシコ人やカリブ人が考えるように、それは20、すなわち『人間一人』のことなのである」(p.205-206)


これが本当かどうかは別としても、なかなか面白い見方ではある。フランス語の数え方などがどうしてあのように不規則になるのかが分かった気がした。(フランス語では60を超えると、20を単位にして数えるようになる。例えば、90は「4つの20と10」のように言う。)

つまり、上の説によれば、20というのは5本指×4(両手両足)であり、すなわち人間一人が指を折って数えられるものが一単位になっているというわけだ。英語やフランス語でも20までの数え方と、20以降の数え方が違うのも、このような20が一単位であることを考えると、何となく納得してしまうものがある。

繰り返すと、この説が正しいかどうかは分からない。しかし、何となく納得してしまい、面白いのである。




第三部 人間の性淘汰と本書の結論 より。

だが、日本列島の北端の島々、サハリンと北海道に住んでいるアイヌは、世界じゅうでいちばん毛深い人種である。(p.495)


本当にアイヌが一番毛深いかどうかはさておき、ダーウィンがアイヌを知っていたというのはちょっとした驚きだった。他にも数箇所でアイヌに言及がある。



これまで書いてきた意見の多くは、非常に思弁的であって、そのなかのいくつかは、将来、まちがっていることがわかる時がきっとくるだろう。しかし、私はいかなる場合にも、なぜ他の考え方をとらないで、ある考えをとったかという理由をあげてきた。進化の法則が人間の自然史における比較的複雑な問題のいくつかに、どれほど光を投げかけるか、それをためしてみるのはやるだけの価値があることだと思ったのである。
 ゆがめられた事実というものは、後に長く尾をひくことが多いから、科学の進歩を著しく阻害するものである。しかし、まちがった考えでも、それを支持するなにかの証拠がある場合には、ほとんど害がない。なぜなら、その誤りとして証明することに健全な喜びをいだかない人はいないからである。そしてこういうことが証明されたあかつきには、誤りへ向かう一つの道が閉ざされると同時に、真理への道が開かれることが多いのである。(p.544-545)


科学に限らず、客観的な議論を行なおうとする者にとって非常に重要な原則が述べられていると思う。

ブログを書いていていつも思うのは、上記のような作業はブログという媒体にはあまり向かないということだ。基本的に短めのコメントを次々と気軽にアップするような作りになっている。これに対してダーウィンが言うようなことをやっていると、一つの事を書くのに物凄い時間がかかるし、文章も長くなる。自分でも分かるのだが、以前、ウェブサイト(ホームページ)に文章を書いていたときと、リアル世界で発表するためのレジュメをワードなどで書いていた頃と、ブログで書いていることとは、かなり質が違うということだ。ブログでは、根拠の提示や概念の説明などの基本的な手続きを犠牲にすることになっても、できるだけ短い文章にまとめることが求められる。

政治的に発言するには、こうした正確さは多少犠牲になってもいい場合がある。正確に書くと、逆に、正しく読めない人が多く出るからだ。むしろ、政治的な文書というのは、読み手をある方向に誘導することに成功するかどうかが重要だから、中身の正確さは二の次だと考えることができる。自分の中では2008年のブログは「PolitikからWissenschaftへ」という標語を決めて、Wissenschaftの方向へとジョジョに移行していこうと思っているのだが、ブログという媒体自体がそれを妨げているのを強く感じる今日この頃なのだ。そうしたこともあって、ブログという媒体ではなく、別の媒体でものを書くことも検討している。(もう少し正確に言うと、ブログは補助的なものとして位置づけることも検討している。)

ダーウィンとは関係ない話になったが、それは、この引用文を選んだこと自体が、こうした問題関心とリンクしたからだったからだ。

さて、ダーウィンに関していえば、彼が本書で書いたことを「思弁的」であると自覚していたことが、最終章の冒頭(この箇所)に書かれていたのを見て分かった。私も本書を読み進めながら、本書は実証的といえる性格はあまりなく(伝聞に基づく叙述も多い)、むしろ、経済学の市場のモデルを「思考実験で構築していく」作業と似ていると思っていたからだ。

もっとも、ダーウィンが扱っている生物界全体とも言えるほど広い範囲の情報について、逐一自称することなど、到底一人や数人の手でできることではないし、それら一つ一つを確かめるだけで論文1本かそれ以上の労力が必要だろうから、この時代に、本書のような壮大な思考実験を行なったことは、十分に立派な業績だと評価されて良い。(もちろん、先日指摘したような問題点は多いが。)


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ダーウィン 『人類の起原』(その2)

社会的な動物では、自然淘汰は、共同体にとって有益な変異を保存することによって、ときには個体に作用する。資質に恵まれた固体が非常に多い共同体では、たとえそのメンバーの個々が他のメンバーよりさほどすぐれていなくても、人口を増し、あまり資質に恵まれていない個体からなる共同体にうち勝つのである。(p.122)

最も高等な人種のなかの、最も高等な人々と最も下等な未開人との間には、非常にわずかずつ異なるさまざまな段階が存在するのである。だから、彼らが互いに変化し発達するということが可能なのである。(p.125)


前者の引用文は「優秀なものが生き残る」という発想を共同体にまで及ぼして考えているという事例。

後者などは、人間に高等なものと下等なものとがあるとしている。極右の民族主義者などにはこうした類の見方が未だにあるにせよ、現代の感覚からすると異様な見解ではある。

しかし、こうした記述は本書の中には山ほどある。しばしば、ダーウィンの擁護者達は、ダーウィニズムと社会ダーウィニズムは違うと切り離そうとした上で、社会ダーウィニズムのような文化や文明などの程度が高い人間とそうでないものがあるというような差別的な見方からダーウィンを救おうとするのを読んだことがあるが、本書を読む限り、そういう区別でダーウィンを救うことはできそうにない。

極めて差別的な偏見を助長する傾向が強く――例えば、不遇な状況にある者は優越性が低いからだとする見方が導かれる――、優れたものこそ生き残る(べき)という優生学の思想まで散見される。(後で引用したいと思う。)



道徳的な性向が遺伝するという原則によらないかぎり、さまざまな人種の間に存在すると信じられているこの性向の違いを理解することはできない。
 ・・・(中略)・・・。
 将来について考えれば、社会的な本能が弱まりはしないだろうかと危惧しなければならないような根拠はない。かえって、道徳的な風習がもっと強くなり、おそらくは遺伝によって固定されるようになるであろうことを期待することができる。そのあかつきには、高等な衝動と下等な衝動との間の葛藤は、それほどきびしいものではなくなり、道徳が勝利を得ることであろう。(p.186-187)


普通、ラマルクに帰される「獲得形質の遺伝」というのは、実はダーウィンももっている。この箇所はその一番「?」な部分の一つである。というのは、ダーウィンは道徳的な性向は遺伝すると考えているからである。ある人が道徳的な振舞い方を見につけたら、その子にその道徳的な性向が遺伝するというのである。

今なら、こうした親子に道徳的な類似性が見られるとしたら、それは主に教育に帰されるところだろうが、ダーウィンは遺伝を重視していた。これは軽く驚きを覚えるところなのでメモしておきたい。



 現在、気候が致命的な障害になっている地域を除いたあらゆる所で、文明国民が未開な国民を押しやりつつある。そして、彼らが成功しているのはそれだけというわけではないけれども、主としてその知性の産物であるところの技術によっている。だから、人間の知能が主として自然淘汰によって徐々に完成されたということは、大いにありうることであり、そして、この結論はわれわれの目的を満たすものである。(p.189-190)


19世紀における帝国主義的な侵略を正当化する言説であり、あろうことか、それを進化と結び付けている。社会ダーウィニズムと何が違うのか?と問いたくなるところである。ダーウィン自身がこうしたイデオロギーの持ち主であったことは銘記されてよいだろう。ダーウィンも時代の子なのである。



 いま、ある部族の一人の人間がほかの者よりも賢く、新しい罠や武器、あるいは攻撃や防御のための別の方法を発見したとするならば、ほかの者たちはさほど多くの推理力の助けを借りることなしに、ごく単純な利己的な動機によって、この男を模倣するであろう。こうして、みんなが利益を得るようになるであろう。一つ一つの新しい技術を絶えず練習するということも、やはり少しは知性をみがくことになるにちがいない。
 もし、その新しい発明が重要なものであるならば、その部族は人口を増し、領地をひろげ、他の部族を圧迫するであろう。このようにして人口がふえた部族では、別なすぐれた人材や発明家を生む機会がより多いであろう。もしそのような人間が子供をのこして、そのすぐれた心理的能力をその子供に伝えるならば、もっとすばらしい発明の才能のある者が生まれる機会が多少とも多くなるであろうし、非常に小さな部族の場合には、それはまちがいなく多くなるであろう。たとえ彼らが子供をのこさなくても、その部族にはまだ彼らと血のつながりのある者がいる。(p.190)


上記と同様に帝国主義的な侵略を正当化するものであると同時に、優生学にも通じる発想であることは明らかである。ここからは「知性の優れた者」は優れた子供を残すべきであり、それとは逆の者はできるだけ子を残さないほうがいいという帰結を論理的に導くことができるからである。(なお、優生学的な発言についてはもっとはっきり言っている箇所もある。)

それにしても、本書にはこの手の記述が非常に多い。もちろん、動物などの観察に基づく記録も多いのだが、それ以外にも観察の報告に基づく記述やこの箇所のような思考実験による推論も非常に多い。こうしたダーウィンの思考実験はかなりの程度、経済学のモデルと近い要素を持っているように思われる。

以下の箇所などはそのことがよく出ている。

同じ地方に住んでいる原始人の二つの部族に争いが起こったとき、もし(ほかの環境条件は等しいのに)一方の部族には、勇敢で、同情的で、誠実な者が大勢いて、常に互いに危険を警告しあい、助けあい、守りあうことができるならば、この部族のほうがより成功し、もう一方の部族にうち勝つであろう。(p.191)



同じことは繰り返し言われる。

愛国心、信義、服従、勇気、同情の精神を高度にもつことによって、常に互いに助けあい、そして公共の利益のために自分を犠牲にすることのできる人が大勢いる部族は、他のほとんどの部族に勝つであろう。(p.194)



ここではますます民族主義的な右翼(現在の日本に限らず、恐らくは19世紀頃から世界史上に存在してきた類型)の言説に近づいていることが分かる。

市場原理主義もナショナリズムも帝国主義もダーウィンの進化論も、基本は「力の論理」であり、闘争・競争的な世界の中で強い者こそが生き延びるという思想である点では軌を一にしており、そのような論理の同一性が、これらの発想を相互に引き寄せあっていると見るべきだろう。

しかし、現実の世界はこのようにはなっていない。こうした力の論理は現実を構成する要素の一面でしかないのである。

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ダーウィン 『人類の起原』(その1)
本書は『世界の名著39 ダーウィン』である。

まずは、今西錦司による解説「ダーウィンと進化論」より。

 事務的な仕事といえば、彼はまた、1838年から三年間、地質学協会の役員をもつとめている。こうして社交範囲も次第にひろがり、ライエル、フッカーをはじめ、各方面の知名の士と知りあうようになる。そして、王立協会の会員に選ばれる。(p.15)


ダーウィンという人物が学問の世界で認められていったのも、こうした人的ネットワーク抜きにはありえなかったのではなかろうか。知的な影響や情報を得られるという点以外にも、例えば、ここで名前が挙がっているライエルとフッカーは、後にアルフレッド・ワラス(ウォーレス)との先取権を巡る問題でも、ダーウィンに先取権が得られるように計らっている。

ネットワークはそれ自体が力を持つ。



序 より。

人類の起原は解明することのできないものなのだと、今日までいく度となく、しかも確信をもってそれは主張されてきた。しかし、無知のほうが、有識よりも、よりしばしば確信を生みだすものである。科学ではあれこれの問題はけっして解明することができないなどと自信ありげに断言したりするのは、有識の人々ではなくて無知な人々なのである。(p.67)


知識があるよりも無知の方が確信を生み出すというのは、まったくその通りだと思う。あることについて実際は知らないのに、自分が知らないということに気づかぬままに、そのことを知っていると信じてしまうと、その信仰に固執する現象はよく見られる。しばしば人と議論を戦わせると、このことを非常に強く感じる。

例えば、新聞やテレビやネットなどで嘘の情報が流れている場合、その嘘の根拠を確認する人はほとんどいない。しかし、そうやって伝聞したことをあたかも自分で確かめたかのように信じてしまうということはよくあることである。

私の「ブログ複合体」での最近の例で言えば、所得税から住民税への税源移譲の際にひそかに増税が行なわれたとする怪情報が流れた際に、税についての深い知識もないのにそれを信じてしまう人が多々見られたということもそれにあたるだろう。(私はあの税源移譲については何年も前から研究し、私も概ね支持していた方向性の制度変更だったので、普通の人と比べると議論する準備はかなり整っていたのである。)私のメインブログにも2人ほど反論者が現れたのだが、なかなか考えを変えようとしない傾向はそこでも見て取れたと思う。

あと、思い出深いのは、小泉の構造改革がまだ人々に支持されていた頃、それについて議論になると、あまり社会科学的な知見がない人間ほど小泉の改革を信仰している傾向が強かったことも、これと同じである。社会科学的な知見をもっている人間は、自分達の研究している様々な事例などから、小泉のネオリベ政策がどのような帰結をもたらすかを知るチャンスが多いために批判的になることが多いのだが、そうしたチャンスやリテラシーがない人の場合、新聞やテレビ(そして、ネット)の情報が主要な情報源になるから、知識ではなく信仰の領域でものを喋ることにならざるをえないのである。

こうした論戦をする機会がここ数年で異様に増えたから、このダーウィンの言葉には深くうなづかざるを得ないのである。



第一部 人間の由来または起原 より。

 人間の生存闘争における抜群の成功からみて疑いのないことであるが、もし足でしっかり立ち、手や腕が自由になることが人間にとって有利であるならば、より以上に直立の姿勢をとる、あるいは二足歩行をすることが、人間の先祖にとって有利にならなかったというのはおかしいと私は思う。こうして彼らは、石や棒でみずからを守り、獲物を攻撃し、また、もっと別の方法で食物を得ることがもっとうまくできるようになった。最もよくできた身体の構造をもった個体が、最後には最もよく繁栄し、数多く生き残ったのであろう。(p.111)


この部分はダーウィンの思考様式の幾つかがよく出ている推論である。

進化という現象を考える際には、どうしても結果として見える現在の生物の姿から、過去の彼らの祖先へと遡っていかなければならない。だから、どうしても論理的には後件肯定の誤謬(もしPならばQである → Qである → したがって、Pである)を犯さざるを得ない。まぁ、一連の推論自体が、いわゆるアブダクションなのだが、ダーウィンの場合、このアブダクションを行なうときの前提として機能主義的な解釈を行なうのが特徴だと私は見ている。

だから、生き残った者は「優秀だから生き残った」と解釈される。そして、引用文の最後の一文で言えば、最も繁栄している者が繁栄しているのは最も優秀だからである、と解釈される。

しかし、これは正しいだろうか?ダーウィンの場合、こうした思考実験を繰り返し行なうのだが、その際に想定されている状況が不自然であるように私には思われる。それは経済学の市場での交換のモデルが現実にはまずありえない状況を想定しているのと似ている。そして、上記のような「生き残ったものが強い」とする解釈もまた、市場原理主義者がしばしば主張しそうなことと重なって見えるのである。

この問題については、もっと取り扱いやすいテクストがあれば、その時点で再論したい。


なお、ダーウィンの極端な機能主義的な世界観に対しては、生物学の素人が考えても、論理的にはダーウィンの行なった推論が唯一の可能性ではないことは即座に分かる。例えば、機能的な優越性は「足きり」にしか使われないというモデルも考えられるからだ。つまり、ある一定以上の機能が備わっていなければ生き残れない可能性が高いが、ある一定水準をクリアすると生き残ることにはあまり支障がない、という可能性などである。

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ショーペンハウアー 『意志と表象としての世界』(その4)

 以上のように普遍から特殊へと進む科学固有の認識の道は、先行原理からの演繹、すなわち証明による基礎づけが科学にあってはきわめて多いという結果をもたらすであろう。そしてこのことがきっかけで、証明されたものだけが完全に真理であり、どの真理も証明を必要とするというあの古くからある誤謬が生じたのである。ところが実際はむしろその反対で、証明というのはいずれにせよ、証明されざる真理を必要としている。すなわち証明されざる真理が究極には証明を支え、あるいはまた証明の証明を再び支えているからである。・・・(中略)・・・。証明というものはしょせん推論であるから、一つの新しい真理のために求めるべき最初のものは、証明ではなしに、直接の明証Evidenzである。ただ、この直接の明証がない場合にのみ、差し当たり証明がおこなわれなければならないまでである。いずれの科学でも隅から隅まで証明され得るものではない。(p.200-201、本文で傍点の部分に下線を付した。以下同様。)


論理的な説明そのものには限界があるということを指摘している点は正しい。確かに、証明の論理はシンタクティカルには、ある地点で停止しなければならない。ただ、この地点で参照されるのは、ショーペンハウアーが言う「直接の明証」ではないことが多い。なぜなら、「日常言語の意味空間」に属するような、自覚されない共通認識が前提されることが多いからだ。

「直接の明証」は、運動感覚としてのみ得られるというのが私の考えだが、ここから直接科学の理論に展開することはまずない。それは一般には、日常言語の意味空間に反映し、その意味空間から理論言語の意味空間へと抽象が進むという道になる。証明が行なわれる理論言語の意味空間と身体の運動感覚は隔たりが大きいので、直接そこまでジャンプすることはできないことが多いのだ。

したがって、ある程度以上複雑な事実を認識するためには、最初に「直接の明証」を求めても、あまり意味がない。そもそも最初の所与となるものがテクストである場合すら多いのだから、この場合の直接の明証は、何らかの印(→テクストを構成する文字のこと)が網膜に映ることでしかない。

しかし、科学史ないし科学論の歴史という観点から見れば、カントの批判主義を通過した時代(19世紀前半)には、上記のように証明の限界などについての認識が深まってきていたことは読み取ることができる。



 総じて証明というものは、学びたい人々のためというより、むしろ論争したい人々のためのものである。(p.205)


確かに一理ある。しかし、一面的でもある。

ショーペンハウアー自身が言うように、証明が必要なのは、直接の明証がない場合や直接の明証だけからは知ることができない場合である。(科学が扱う事柄はすべてこうしたものである。直接明証的なら、わざわざ研究する必要などないのだから。)そこでは当然に不確実性(誤謬の可能性)が付きまとう。だからこそ論争が起こるし、そのようにして論証が生き残るかどうかがテストされ、それに生き残っている限り、暫定的に「正しいらしい」ものとして是認されるのだろう。

ショーペンハウアーはここに至るまでの例示でも、本当は直接の明証が得られていないようなことを、あたかも直接の明証が得られているものであると考えているらしい。(私が考える「直接の明証」とショーペンハウアーのそれとは異なっているらしい。)ショーペンハウアーは慣性の法則や物質の恒常性などを明証的なものだと考えているようなのだが、これらは抽象的に考えられた「理論」なのである。



第二巻 意志としての世界の第一考察 より。

 誰にしても自分自身という現象は、彼の行動によってであれ、行動の持続的な基礎である身体によってであれ、目の前に表象として現われているものであるが、この自分自身という現象の本質それ自体となると、これは彼の意志であって、意志は彼の意識のなかのもっとも直接的なものを決定しているのである。このような認識は、誰でもが具体的にそうして直接的に、すなわち感情として所有している認識であって、以上の節で述べてきた諸考察を通じてこの認識は抽象的に、したがって明晰かつ確実な認識になったのではないかと思う。ところで意志は、このようなものである以上、主観と客観とが互いに対立している表象の形式のうちにすっぽりはまりこんでしまうことはない。主観と客観との区別を完全に明確には立てられない直接的な仕方で、意志は告知されている。しかしまた意志は全体として知られるのではなくて、ただ個別の働きにおいてのみ個人そのひとに知られるにすぎないのである。――
 以上のような確信をしっかりわたしと一緒に手にした人は、敢えて言うが、この確信をこそ全自然の内奥の本質を認識する鍵におのずとなしうるであろう。というのも、そのような人はいまやこの確信を(自然界の)あらゆる現象にも移して当てはめてみることができるからである。自分自身という現象のように、直接の認識と間接の認識の両方にまたがって与えられている現象ではなく、もっぱら間接の認識において、単に一方的に、ただ表象としてのみ与えられている現象(自然界の現象)にもこの確信を移してみることができるのである。彼はもっとも内奥の本質としてある意志を、人間や動物など、自分自身にまったく似ている諸現象のなかに、認めるだけでは終わらないだろう。さらに反省をつづけていくならば、植物のうちに働き成長していく力も、いや、結晶を形成する力も、磁力を北極に向ける力も、異質の金属との接触から磁力を引きつける力も、物質の親和力というかたちをとって離合集散として現象する力も、さらに最後に、あらゆる物質において強力に吸引した石を地面に、地球を太陽に引きつける力でさえも――これらのすべては、現象の面でのみは異なっているが、内的本質のうえからは同一のものと認識されるべきである。これらのすべては、他のあらゆるものより人に直接的に親密によりよく知られいるなにものかであって、それが歴然と姿を現わす場合には意志とよばれているものに当たるのである。
 このようなところまで反省を適用していくことだけが、われわれをもはや現象に立ち止まらせることなく、これを超えて物自体へと導いていく。(p.261-262)


本書の第21節の大部分を抜書きした。この箇所は、本書の思想のうちもっとも大きな誤りを犯している箇所のひとつである。

自分自身の本質を意志と呼ぶことまでは、一応、許容範囲だと判定するとしても、「自分自身という現象のように、直接の認識と間接の認識の両方にまたがって与えられている現象ではなく、もっぱら間接の認識において、単に一方的に、ただ表象としてのみ与えられている現象(自然界の現象)にもこの確信を移してみることができる」というところで論理の飛躍が生じる。

意志が主観と客観の相対関係の中で見られる表象とは異なるということを認めるとしても、それは自らの意志が直接経験されているからに他ならない。これを、あらゆる表象の内奥にあると想定されている物自体に適用することは――もっとも、このように物自体を想定すること自体が誤りだと批判できるのだが、それは措くとしても――まさにカントが禁じたことに他ならないだろう。

もし、ショーペンハウアーが例示したような諸現象(表象)が、意志の個別的な表れ(客体性)だとするならば、いろいろな問題が生じる。例えば、どのように意志の客体化は行なわれるのか?万有引力や地球の磁力や化学変化の力などとして現れる意志が有機体が生命を維持する力として現れる意志と「内的本質において同一」であると言える理由は何か?などなど。

ただ、いずれにせよ、語りえない事柄について語ることになってしまうことは確かであり、それを説明している論理の弱さは大きな問題である。人間の心理的なエネルギーが発生することが「意志」の働きだと感じられるということを、自然現象に観察される現象に働く力の源泉でもあるのだと、強引にアナロジーを使って持ち込むことによってそれを成し遂げようとしているのだ。これでは上で引用した「直接の明証」がない上に、論理的な証明も欠く事になってしまうと言わざるを得ない。

ショーペンハウアーの場合、ここに「人間の心理的な意志」と「物自体としての意志」との混同をもたらす大きな原因がある。私としては、この二義性を明確に区別して理解する限りでは、ショーペンハウアーの理論はそれなりに正しいところを突くことが多いのだが、この区別の曖昧さは、本書の後々まで尾を引くので看過できないところである。


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ショーペンハウアー 『意志と表象としての世界』(その3)

すなわち行動は、人も言うように、感情に即しておこなわれる。これこそまさしく概念に即したものではなく、つまり倫理の内容に即したものではないということだ。教義(ドグマ)に没頭するのは閑暇のある理性のやることである。行動は結局のところ教義に左右されず、わが道を行く。大抵は抽象的な格率に従うことなく、まだ言葉になっていない格率に従う。・・・(中略)・・・。しかしそれだからといって、有徳の行いを実行するにあたって理性の適用が必要であることを否定すべきではない。ただ理性が有徳の行ないの泉ではないというだけのことである。むしろ理性の機能は一段下位にあたるもので、この機能はいったんきめた決心を守らせ、格率を突きつけ、一時の弱みに反抗させ、首尾一貫した行動をとらせることにある。(p.191、本文で傍点の部分に下線を付した。)


同感である。感情というのは、一つ前のエントリーで引用したように「抽象的な理性認識に入らないものなら何であろうと、情という概念に入ってくる」と言われている通りである。この感情という概念の何が行為の源泉になるのかについては、この叙述では明確ではないが、行為と反省、行為者と観察者との関係を適切に捉えている。



 徳義という点においてさえ、正しくあるいは気高く行動しようとする計画がいつでも抽象的な格率に従って実行されるとはかぎっていない。多くの場合に事情は無限に細かなニュアンスをもって異なっているので、正しいことの選択は直かに(選択を行なう人の)性格にもとづいていることが必要となってくる。単に抽象的な格率を適用していたのでは、格率は半ばしか該当しないものであるから、かえって誤った結果を生ずることがあるし、そもそも抽象的な格率なんてものは実行不可能だといっていい。(p.195)


完璧に実行しようとする限りにおいて、抽象的な格率は実行不可能というのは正しい。法律が完全に100%守られ続けることはないというのと同じである。もちろん、一つ前の引用文と同じで、だからといって抽象的な格率が無意味なわけではない。行為、システムの作動にはそれとは別の源泉があるという認識が重要な点である。



 ことに政治的な案件において、空論家とか理論家とか学者とかいえば、それはペダンテリーの徒という意味であって、物事をたぶん抽象的には知っているが、具体的には知らない人たちのことである。抽象というのは細かな諸規定を取り除いて考えることにおいて成り立つ。ところが実際問題ではこの細かな諸規定こそきわめて大切なものである。(p.195)


細かな規定が重要だというのはその通りであろう。ただ、政治を含めた社会についての認識においては、そうした細部を大局の中に位置づける力も非常に重要だと私は考える。ショーペンハウアーはその点を軽く見ているようだ。そうした大局観を得るには抽象的な概念の力が必要になる。だから、これらは相補的でなければならないのである。

しかし、ある大局的な認識を前提にした上で、どのように物事を改善していくかということを考え、実行する段になれば、ショーペンハウアーの言うことは妥当する。この局面では細かな規定こそ大切である。


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ショーペンハウアー 『意志と表象としての世界』(その2)

 論理学を実用に役立てるただ一つの場合は、論争に際して、相手方に対し、その実際上の誤りというよりは故意になされたたぶらかしの偽論を、論理学の術語で名ざして指摘してやることくらいであろう。(p.174)


概ね同意見である。論理学は論理的に思考すること自体には役立たないという点においてショーペンハウアーの意見はポイントをついており、正しい。

ただ、ショーペンハウアーが言うケース以外にももう少し役立つとは思う。例えば、自分が一度考えた論理が正しいかどうか事後的にチェックする際に、論理学で教えられる典型的な誤謬推理の類型を使うことができる。これは引用文のような、論争に際しての使い方と同じだが、応用範囲はもう少し広いということである。

とりわけ論点先取の誤謬帰納的飛躍の類はよく見かけるものだが、これらのパターンを知らなければすぐには気づかないこともある。実際、先日の「負担」(国民負担率)に関する議論でも私が指摘しているのは帰納的飛躍に関する事柄(つまり、これと同型の論理的誤謬)であるが、このことを理解出来ない人は結構多かったようだ。分かる人には瞬時に分かることなんだが。



意識Bewußtseinという語は、知ることWissenという語から取られたものであるけれども、知るとはいえない動物にも意識はあるとわれわれは考える。(p.181)


BewußtseinもWissenと同根なんだ。言われてみればよくわかるかもしれない。その感覚(語感)。

この語はヤスパースの哲学でBewußtseinüberhauptという形でよく使われていて、私にとっては馴染みが深い語なので、「へぇ~」って感じだ。



 ということばが示す概念は、どこまでもネガティヴな内容のみをおびている。意識の中にありありと浮かんでいるものが概念ではないこと、理性の抽象的概念ではないこと、といった(……でない、という)ネガティヴな内容のみをおびている。すなわち抽象的な理性認識に入らないものなら何であろうと、という概念に入ってくるといっていい。この概念の並外れて広い範囲はそれゆえもっとも異質なものごとをさえも包み込んでいる。それら異質なものごとが抽象的概念ではないというただネガティヴな点で一致しているにすぎないことを認識しておかないと、どうしてこのような異質なものごとが集まって一緒になるのかがなんとも理解しがたいだろう。(p.181、本文で傍点の部分に下線を付した。)


ここで情と訳されている語は、Gefühlである。この語に対する上記の定義は、恐らくショーペンハウアーによるものにすぎないとは言えるだろう。ただ、このようなネガティブに規定された概念というものも世の中には結構ありそうに思われる。とりわけ、理論言語よりも日常言語では、こうした曖昧な規定のものが多いように思われ、そうした概念の意味を識別しようとする際に利用可能なパターンのひとつを、この事例は提示しているように思われる。そこが私の関心を引いたところである。

ただ、このようにネガティヴに規定された概念は、自分が使う段になると、積極的な主張をするためには基本的には使えないことが多いし、混乱を招きやすいと思うので、積極的な規定を与えた理論言語にまで高めてから使う方がいいだろう。



 あらゆる概念は、といって語の表示するのはどのみち概念のみであるが、ただ理性に対してのみあり、理性を起点としているものである。したがって概念を用いるということは、はじめからある一面的な立場に立つということである。しかし一面的な立場に立っているからこそ、近いものは明瞭にうつり、積極的(ポジティヴ)なものと定められるし、遠いものは混然とまじり合って一つになって、間もなくせいぜい消極的(ネガティヴ)に考慮に入れられるにすぎなくなってくる。例えばどの国民も自分以外の国民をすべて外国人とよび、ギリシア人はあらゆる他国民を野蛮人(バルバロイ)、イギリス人はイギリスもしくはイギリス的でないものをひっくるめて大陸そして大陸的、信仰者は自分の宗派以外のものをすべて異端者または異教徒、貴族は他のすべての人を平民、学生は他のすべての人を俗物(フイリスター)とよぶがごときはその例である。このような一面性、これは自負心から生じるところの粗野な無知だということもできるが、いくら奇妙に聞こえようとも、これは理性が自ら招いた過ちなのである。というのは、理性は直接に理性の表象の仕方に属していないもの、すなわち抽象的概念ではないあらゆる意識の変化形態をという一つの概念のうちに包みこんでしまうからである。(p.182-183、本文で傍点の部分に下線を付した。)


ナショナリズム論の見地から見ても興味深い叙述。ショーペンハウアーの生きた時代は、ウェストファリア体制が成立してから次第に国民国家が形成されていく中で、「これから完成に向かう」という時期(本書の第一版は1819年。ドイツの国民国家体制の完成は1871年としておく。)にあたるから、尚更興味が引かれる。

特に、ベネディクト・アンダーソンの見解にも通じる見方である点に私は注目している。例えば、アンダーソンは出版資本主義を重視したが、主に言葉を介して「想像の共同体」たるネイションはイメージ(表象)される。(その他のシンボルも使われるにしても。)こうして、ネイションというものは、ショーペンハウアーの区分で言えば、「表象としての世界」に属するものである点も興味深い。

私の観点から見てアンダーソンの叙述もショーペンハウアーの叙述も弱いのは、ショーペンハウアーの言う「意志としての世界」の領域でこれと対応することについて積極的に発言していないことである。(第四巻で、法や正義、不正などについてショーペンハウアーは語るが、こうしたナショナリズム論に結びつくような仕方ではなく、むしろ道徳論的ないし宗教的な関心から語っているに留まる。)ネイションはある種の幻想ではあるが、それ以外にも何ものかではあるはずで、それについての言及がどちらも弱いということ。

その辺についても、いろいろ書きたいことはあるが、今日は少し時間がないようなので、メモのみにしておく。

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ショーペンハウアー 『意志と表象としての世界』(その1)
本書は、中央公論社の『世界の名著・続10』である。今は中公モダン・クラシックスというシリーズになっているらしいが。

まずは、西尾幹二による解説「ショーペンハウアーの思想と人間像」より。

 意志をめぐる彼の形而上学が、一方では非人格的な自然界の根源にある意志について語りながら、他方では人間の倫理の領域にのみ関係のある意欲についても語るという矛盾を孕みながら展開されていくありさまは、本書の読者ならば誰でもただちに気がつくことであろう。つまり彼のいう意志は、「非人格的な全一者」でもあるとともに、人格的な色彩を賦与された意欲の世界でもあるという二重性をそなえているのである。後者の場合に形而上学が道徳論にならざるを得ないことは、事の本性上当然であると言えるだろう。
 そのような矛盾は、本書の最後の四節に至って、ごまかしようのない姿で露呈されたといってもいい。もしも宇宙の原理が「意志」であり、これが「非人格的な全一者」であるなら、そもそも解脱のために意志を否定するということは成り立たないのだ。むしろ意志と自分との一体化をはかることで解脱が達せられるはずである。(ショーペンハウアーは第六十七節まではしきりにそう述べているのである。)しかしまたひるがえって人間の意志を禁欲や苦行によって否定することが解脱への道であるというのなら(彼は最後の四節でにわかにそう説いているのである)、その場合の意志とは、人間の意欲や欲念や欲情のことであって、非人格的な宇宙の原理となることはできない。こんな具合に矛盾は赤裸々に現われている。矛盾の根本原因は彼が単なる人間の意志を、特殊な言葉で拡大解釈して、「梵(ブラフマン)」にも比すべき宇宙の大原理として打ち建ててしまったところにある。そもそも本書の論理上の混乱はすべてそこにある。(p.75-76)


西尾はここで概念を一義的に使わなかった(多義的に混同しながら使った)ことによる誤りを指摘しているが、この指摘は正しいと思われる。(先日、メインブログで「負担」という概念を一義的に使わなかった人を批判したが、それもこれと似たようなものである。)

ただ、西尾の批判で気になるところがある。私は、今のところまで最後まで読み通していないこともあり、まだ断定できないところもあるのだが、西尾はショーペンハウアーは意志を肯定することで解脱に至ることができると「第六十七節まではしきりにそう述べている」と言っている。

しかし、私が読むところそうとも言えないように思われるのだ。確かにそのようなことを言っているところも結構ある。しかし、すべての箇所でそのように言っているとは思えない。むしろ、それらの部分で言われているのは次のようなことではないか。すなわち、意志を肯定することによる(一時的な)解脱の道はありうるし、表象としての世界では意志の客体性の最高の段階である人間に至るまで、意志はその現象する程度を高めるという形で肯定されてきたのではあるが、そうした肯定の道は最終的には必ず挫折することに気づかざるを得ないのであり、そこから意志の否定という道へと進むことになることを暗示しているのではないか。その意味では、キルケゴールの倫理的実存の段階から宗教的実存の段階への飛躍に近いものがあると私には思われるのである。

その意味では、確かにショーペンハウアーには概念の混乱とそれに基づく矛盾はあるのだが、西尾が言うほど低レベルな(明々白々たる)矛盾を犯していると、簡単に断ずるわけにはいかないのではないか、というのが現時点での私の読みである。




第一巻 表象としての世界の第一考察 より。

すなわち、物質の存在とは、物質の働きWirken(作用、影響、活動)のことである。働きということを離れて、それとは別の物質の存在などは、考えてみることさえもできない。もっぱら働く(活動する)ものとしてのみ、物質は空間を充たし、時間を充たしているのだ。物質が直接の客観(身体のこと)に対して〔その直接の客観自体がすでに物質なのであるが〕、なんらかの働きかけEinwirkungをおこなうことが、直観をひき起こすのであり、物質が存在するのはひとえにそのような直観の中だけである。・・・(中略)・・・。以上のような次第だから、ドイツ語ですべての物質的なものの精髄を言い表わすのに現実性Wirklichkeitということばで呼んでいるのは、きわめて的確なのであって、このことばは実在性Realitätというよりもはるかによく特色を示している。(p.120)


ここはドイツ語のWirklichkeitという語についての説明が注意を引いた。このブログで詳しく書くようなことではないと思うが、私は自分の認識論において、事実factと現実性Wirklichkeitとを区別している。factというのは、理論によって作られる事実であり、観察される事実である。だから常に理論負荷的であり、触れることができない、語られる事実である。それに対してWirklichkeitとは感覚されるものであり、語ることができないものである。前者はテオリアによって認識され、後者はポイエーシスによって認識されると言ってもいいかもしれない。

しかし、後者をWirklichkeitという用語で言い表わすことに対して多少の躊躇があった。しかし、やはりこの語がWirkenと同根であることを確認することによって、これでよいという確信が深まった。なぜならば、後者は常に行為と共にあり、システムの作動と共にあるものだから、Wirkenという語はそうした作動を端的に示すことができると思われるからである。

ただ、ショーペンハウアーの上記の箇所におけるWirkenとはこれは意味が違っていて、むしろ、ショーペンハウアーの図式で言えば、表象としての世界に対応するのがfactであり、意志としての世界に対応するのがWirklichkeitである。ショーペンハウアーの場合、物自体が主観の側に働きかけてくるイメージがあるが、私の場合はシステムである私自身が作動することについて指示していることが、この違いの源泉だろう。

なお、ショーペンハウアーは、上記の引用文と同じような中身のことは、本書の中で何度も述べているが、私にとって興味深いのは、意外と私とショーペンハウアーの認識論的な位置は近いということである。両者ともカントが基本にあることを別としても、私の使っているWirklichkeitという言葉はシェリングに遡るのだが、本書(世界の名著・続10)の付録(?)に訳者の西尾幹二と斉藤忍随という東大の哲学科の教授らしき人との対談で、斉藤氏が興味深い指摘をしているのだ。

19世紀の哲学史のまとめ方として、ヘーゲル哲学の崩壊の過程が描かれる際、左翼にマルクス、その対極にニーチェやキルケゴールを配置するという図式が行なわれたが、その際に、後期シェリングやショーペンハウアーが抜け落ちてしまうと指摘し、この二者は表面的には関係がないのに、言葉遣いが非常に似ていると指摘している。そして、斉藤は、むしろ、ドイツ観念論をフィヒテと若きシェリングからスタートしてヘーゲルに至るよく描かれる流れとは別に、後期シェリングやショーペンハウアーに至る流れがあったと捉えるべきだという。(そこにはニーチェやフロイトまで視野に入るといっている。)

私としてはこうした系譜的な哲学史の捉え方自体を批判的に見ているところがあるので、斉藤氏の見解をそのまま受け入れるわけではないが、村上陽一郎がかつて使っていた言葉で言えば、後期シェリングとショーペンハウアーは共通の「意味空間」のreferしていると捉えることはできる。で、私のfactとWirklichkeitとの区別は河本英夫によって明確になったのだが、その河本も自己組織化を説明する段でシェリングに論及しており、シェリングの体系Systemはオートポイエーシスとそれなりに共通点が多いと言う事はできそうなのだ。だから、「シェリング→河本→私」という影響関係があったとして、ショーペンハウアーはそのシェリングと共通性が高い同時代人というわけで、その意味で、私との思想的な共通性があってもおかしくないということを強く感じている。

そうした文脈の中でWirklichkeitという言葉を位置づけるとなかなか面白いものがあると思ったので、ここに記録しておく次第である。私以外の人が読んでもまったく面白くも何ともないだろうが、とりあえず、自分にとっては重要なことなので記録しておく。


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一海知義 『漢詩入門』

『詩経』の「2+2」という、よくいえば安定した、悪くいえば平板なリズムとくらべて、『楚辞』は抑揚と変化のあるリズムで朗誦されます。
 この二つのリズムは、それぞれの内容とも関係しています。主として北中国でうたわれてきた『詩経』の詩は、「桃夭」の詩がそうであるように、おおむねおだやかな内容の作品が多く、南中国の『楚辞』のほうは、さきの「離騒」の短い引用からもうかがえるように、なかなか激情的で変化に富んでいます。
 そして『詩経』の詩は、結婚や田植えやとり入れ、村祭りや年貢など、日常的、現実的なことを主なテーマとしているのに対して、『楚辞』のテーマは、きわめて空想的、非日常的です。さきの「離騒」も、この地上では自分の理想が実現しそうにないので、天国にのぼって理想をかなえてくれる人物をさがすという、空想的、幻想的な内容になっています。
 また『詩経』の詩はおおむね詠み人知らずだといいましたが、『楚辞』の方はだいたいが屈原その他、作者の明らかな作品が多い。ということは、『詩経』の方はそれがうたわれている地方の特色はあっても、『楚辞』の作品のように作者個人の個性があらわれるということはありません。
 ところで、このきわめて対照的な内容をもつ南北の詩の、これまた対照的な二つのリズムが、ドッキングする時が来ます。
 それまで無関係だった二つのリズムは、秦の始皇帝の天下統一(前三世紀)によって交流し、結婚するのです。そして新しい子供が生まれます。
(p.11-12)


政治の変化が文学・テクストの変化を導くことがある。その一例である。

なお、ここで言う「新しい子供」とは五言詩である。



 こうした詩の散文化は、唐代の次の宋代にいっそうはっきりして来ます。
 また、唐代の李白や杜甫はあまり散文が上手ではありませんでしたが、宋代の詩人たちの間には、散文の名手がたくさん現れました。宋の蘇軾(1036-1101、141頁参照)や王安石(1021-86)など。彼らのことを「唐宋八大家」といい、その文章を「唐宋八家文」といいます。
 その八人の中に、宋代の六人のほか、韓愈と柳宋元という中唐の詩人が二人ふくまれていることは、たいへん象徴的です。中唐以降、詩と散文、両方に才能を発揮した、両刀づかいの人がすでに現れており、宋代にはその数が増したということです。
 また、宋代を代表する文学は詞(メロディつきの詩)ですが、そこには散文である当時の口語(話し言葉)が多く使われています。これもまた散文化の象徴でしょう。
 宋の次の元の時代には、元曲と呼ばれる戯曲(芝居)がさかんに作られますが、それは歌(詩)とせりふ(散文)がまざった文学です。一つの文学の中に詩と散文が相半ばする、そういう文学が現われたのです。
 そして次の明代以後は、散文だけの文学、明の『三国志』や『水滸伝』、清の『紅楼夢』、そして現代の魯迅の小説などが、各時代を代表する文学になります。
 詩から散文へ、それは中国文学史の大きな流れでした。白楽天はその先鞭をつけた(先駆けとなった)人物の一人だといってよいでしょう。(p.127-128)


非常に分かりやすい図式を提示してくれている。これは一種の世俗化であると私には見えた。もう少し正確に言えば、ハイカルチャーからサブカルチャーに近い方向に進展したという感じがする。

しかし、実際には詩人や文筆家の大部分はかなり高い身分をもった人たちが多かったという印象を持ている。少なくとも唐詩で私が読んでいるものは大抵が官僚の作ったものだ。これに対して、商業が発展した宋代に散文化が進むというのは適合的であり、散文化はそうした経済活動の活性化とそれによって経済的に上昇してきた社会層があったという事実を反映しているのではないかと思われる。こうした上昇してきた新興の階層(商業に従事する階層?)から科挙の合格者が増え、それが文体に影響したのではないか?中国の文学史など私はほとんど知らないから、断定はとてもできないが、一般的に歴史に見られる文化の動向に照らして、中国も他の地域とほとんど同じような動きをしているように見える。

元の元曲というは、遊牧民の文化と混合したものであるように思われる(推測)。

詳しくない分野はどうしても見えないことが多いから推測で補わないといけないところが多い。まぁ、この分野はボチボチやっていこう。


吉川幸次郎、桑原武夫 『新唐詩選続篇』
白居易 新楽府 についての解説より。

  老人言
  君聴取
  君不聞開元宰相宋開府
  不賞邊功防黷武

  老人の言を
  君よ聴き取(ね)かし
  君聞かずや開元の宰相なる宋開府は
  邊功を賞せずして武の黷(けが)れを防ぎしを

 君聞かずや、有名なことだから、あなたも聞き知っているだろう、開元時代、すなわち玄宗の治世の前半、年号を開元といったころの宰相で、宋開府と呼ばれた宋は、天子の意思に反して、邊功、国境地帯の戦功に、賞を与えなかった。それは武の穢れ、つまり無用の戦争を防止するためであった。
 それと反対なのは、おなじ玄宗の治世でも、その後半、年号が天宝と改まってからの宰相、楊国忠、すなわち楊貴妃の従兄であること、長恨歌のくだりで説いたごとくであるが、このぐうたらな宰相はどうであったか。

  又不聞天寶宰相楊國忠
  欲求恩幸立邊功

  又聞かずや天寶の宰相なりし楊國忠は
  恩幸を求めんと欲して邊功を立つ

 恩功とは、天子の寵愛。それを求めるために、天子に迎合して、邊功、すなわち国境地帯での功績を、うち立てようとした。しかしその結果は、

  邊功未立生人怨
  請問新豐折臂翁

  邊功は未まだ立たずして生人(たみぐさ)は怨みぬ
  請う問え 新豐の臂を折りし翁に

 無用の戦争こそは、人民の苦しみ。その証拠は、ほかならぬこの新豊県の老翁。事のしだいを彼におたずねなさい。
 戦争をにくむ心、それは中国の詩の伝統的な良心である。白居易もそれを歌うことにやぶさかでなかった。(p.97-98、旧字体の一部や訳文の配置を変更した箇所がある。)



まず、「新豊県の老翁」について一言補足する。この老人は、片腕が折れて自由が利かない人で、彼は昔、戦争に召集された際に、それを免れるために自ら腕を折ったのである。

それにしても、邊功(辺境での軍功)、より一般化して言えば、武力行使に賞を与えないことで、無用の戦争を防止するという発想と政策は学ぶに値する。しばしば、日本の右派が自衛隊員が誇りを持って活動できるように云々とか、防衛庁を防衛省に昇格させるときに、防衛庁の長官は大臣ではあるけれども、省の大臣ではないから大臣達が集まっているときに引け目を感じてどこか元気がない、というような馬鹿げたことが言われる現在の日本の状況と比較すると雲泥の差である。

また、もっと実質的なことを言えば、アメリカのように軍事の民営化が進んで、軍隊を使うことがビジネスになれば、当然、軍隊を運営する会社は戦争を作り出そうとする。軍隊が公共的な機関の統制下にあるのではなく、私企業として活動すれば、当然、そこに利益が生じる方向に動こうとする。

暴力に対して正の報酬を与えることは厳に慎まなければならない。恒常的な暴力抑止のメカニズムとして精神的および物質的な利益を活用する、つまり、そうした暴力抑止的な方向に誘導する利害関係を織り込んだ社会システムないし政治システムを確立することが望まれる。



 私はよく若い人にいうのだが、一篇の評論を書くことはいわば一つの戦いである。長期にわたる蓄積と準備をへて正々堂々と戦うのを本道とすべきことはいうまでもないが、不意に状況が変わり戦闘をよぎなくされるような場合にも、一おうの戦いができないようでは武人とはいえぬ、と。(p.188)


こちらは桑原による一文で、上の反戦的な吉川の文とはやや論調が違うのだが、まぁ、テクストと取り組むということは簡単なことではないし、常日頃の研鑽が大事なのだ、という程度の意味のことを言っているわけで、表現の仕方を抜きにすれば、首肯できる内容である。


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デイヴィッド・ヒューム 『奇蹟論・迷信論・自殺論 ヒューム宗教論集Ⅲ』
「奇蹟について」 より。

 なんという貪欲さで、旅行者達の奇蹟的な物語、海陸の怪物に関数R彼らの描写、驚異的な冒険譚や異様な人間達、また粗野な習俗についての彼らの報告が受け入れられることであろう。ところが、宗教の精神が驚異への愛と結びつくと良識は終わりをつげる。そしてこういう状況下では、人間的証言は権威への一切の主張を失う。(p.12)


情報の流通がヒュームの時代よりも遥かに多く活発になった現代でも、こうしたことは起こっている。さすがに「奇蹟」について信じられることは少なくなっていると思うが、「中国人は反日感情が強い」といったステレオタイプ的な理解は今の世の中でも容易に受け入れられていたりする。

これはヒュームの時代の旅行者達が持ち帰ったイギリスの人々から見て奇異に見える習俗についての理解の仕方と大して違うものではないだろう。上のヒュームの言葉をちょっと言い換えると、こんな感じだろうか。すなわち、無批判的な精神が自分が思っている何かを表していると思えると良識は終わりをつげる、と。

先日知った「税源移譲は増税だったのではないか」という話も、同じようなものがあると思う。「重税感」、より正確に言えば「経済的な停滞感」が蔓延している中で「隠れ増税」があったと言われれば、納得してしまうのが民心というものだろう。それに、もし、この情報が本当であれば、政府を批判したいと思っている人にも都合が良い。しかし、安易にこれを受け入れて批判してしまえば、「メール問題」の二の舞になってしまう。

近年のように情報の流通量が増えれば増えるほど、情報の無批判的な受容が重大な帰結を及ぼす可能性を増大させる。



 雄弁はその最高度においては、理性ないし反省にほとんど余地を残さない。そして空想や情動にもっぱら呼びかけて迎合的聴衆の心をとらえ、彼らの知性を屈服させる。(p.13)


これはまさに、近年のようにスケールフリー化が進んだ状況においてこそ発せられるべき警告である。



 今は忘れられているが、かつてはあれほど有名だった例の偽予言者、アレキサンダーが、彼の詐術の最初の舞台をパタゴニアに設定したのは、賢明な政策であった。・・・(中略)・・・。
 無知な国民の間で詐術を開始する利益は非常に大きいので、欺瞞が粗雑すぎて国民の大部分を仮令だましえない(これはめったにないとはいえ、時にはみられる例である)としても、遠隔の地方では、それは最初の舞台が技芸や知識で有名な都市に設定された場合よりも、はるかにすぐれた成功の機会をもつ。(p.16、本文の傍点部には下線を付した。)



ヒュームが生きた18世紀にすらこうしたことが問題になっていたことに少し驚く。逆に言えば、人間の社会は大して変わっているわけではない、とも言える。



 知者は、報告者の情念に心地よいようなあらゆる報告には、それがその報告者の情念に心地よいようなあらゆる報告には、それがその報告者の祖国、家族ないし彼自身を賛美するものであれ、あるいは何か他のやり方でその人の生来の傾向や性向に反響をおよぼすにせよ、きわめてアカデメイア派的〔懐疑論的〕信仰を向けるものである。しかし宣教師、予言者、天からの使い、として出現すること以上に大きな誘惑があろうか。これほど崇高な役割を獲得するためになら、誰でもたくさんの危険や困難に喜んで遭遇することであろう。あるいは、もし虚栄心やのぼせあがった空想の力で、ある人がまず自ら回心者となり、まじめな気持で錯覚に落ち込んだとすれば、これほど神聖で価値のある主張を支持するために、誰にもせよ敬虔な欺瞞を利用するのに躊躇しないであろう。
 どれほど小さな花火でも、この場合最大の炎をなして燃えあがる可能性がある。なぜならば、それに備えて材料がつねに準備されているからである。小耳ニハサム世間話ニ飢エテイル種族 avidum genus auricularum、物見高い大衆は、迷信を満足させ、驚異をうながすもの一切を、検討もせずに貪欲に受け入れるのである。(p.22-23)


この文章に限らず、この本の訳文は大変読みにくい。

ただ、私がここに引用したのは最後の指摘はまさに現代においても重要な示唆に富む名句だと思ったからである。

なお、花火が燃えあがるとされているのは、ウェブ上の炎上を想起させて面白かったりする。

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