アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
プロフィール

ツァラトゥストラ

Author:ツァラトゥストラ
「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

FC2ブログランキング

FC2ブログランキング

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

上田信 『東ユーラシアの生態環境史』
チベット高原と清朝との間の交易について。

 チベット族の居住地域からくだった物産には、毛皮のほかに麝香・鹿茸・貝母・冬虫夏草などの薬材が多かった。・・・(中略)・・・。
 下りの荷が効率的に集められるプロセスには、チベット銀貨が深くかかわっていた。1720年にダライ・ラマの宗教的な権威をめぐる抗争の結果、清朝の軍がチベットに進駐するようになる。この軍隊を維持するために、軍事費として大量の銀錠が、チベットに流入する。チベットは外部からインゴットのかたちでもたらされた銀を、そのままで用いることはしなかった。ネパールに送られ、そこで低品位のコイン銀貨がつくられたのである。
 このチベットの通貨政策は、異国に造幣を委ねる点で、現代の管理通貨体制に慣れた私たちには奇異に感じられるかもしれない。ネパールは実際、チベットの銀貨をつくることで大きな利益をえた。それでもチベットがネパールでの造幣にこだわった理由は、清朝の影響がおよばない土地で造幣することで、経済的に圧倒的な影響力をもつ中国から自立することをねらったものと考えられる。中国の商人は銀貨をチベットから持ち出し、鋳つぶして中国で流通する銀錠にすれば、銀貨の純度が低いために損をする。その結果、銀貨は持ち去られず、チベットの領域内で循環することになったのである。
 チベット族が活動していた大理の交易地である下関までは、わずかな銀貨が運ばれた。しかし、そこから先までは行かない。茶葉の対価としてチベット高原をくだったほとんどが、高原のさまざまな物産であったのである。銀貨がチベット領域をめぐることで薬材が広い範囲で円滑に集められ、18世紀にも茶馬古道をめぐる交易が回転できたのである。(p.21-22)


なかなか興味深い通貨政策である。清朝から純度の高い銀貨が入ってくるのをわざわざ低品位の銀貨に変えてしまうことによって、清朝への銀の流出を防ぎながら、通貨の流通範囲内の交易を活性化させ、輸出する物資を調達した、という構図。

ここでのチベットの清朝に対する振る舞いは、1980年代後半以降、特に小泉政権以後の日本政府がアメリカ政府やアメリカ企業との関係でやってきたことと全く逆に見えて、大変興味を引かれた。

金融面でより強大な勢力とは一線を画しながら、域内の実物経済の力を活用したチベットと比べて、日本政府は金融などのより流動性の高い領域ではアメリカ政府の言いなりになりながら、国内の実物経済の力を衰退させているからである。対比のポイントは域内で貨幣を流通させるかさせないかという点である。

三角合併を認めて日本の優良企業を外資が持って行きやすいようにしながら、財政による所得の再配分を極小化することで、国際的に資金を移動させることができない主として国内のみで行動する企業やもともと国際的に移動することが難しい消費者(わざわざ国境を越えて「日常の買物」をしに行く人はいないでしょう。少なくとも日本に住んでいる人は。)には、外国とのやり取りに基づく金はほとんど回ってこないために、資金繰りが難しい状況を作るというのが、日本政府の経済財政政策だからである。

繰り返しになるが、再度まとめる。チベットは資金の流出を防ぎ、域内で流動性を回すことで、域内の生産と流通を活性化し、それによって対外的に経済を維持した。日本政府は資金を流出させ、域内には流動性を回さないことで、外国に依存するしかない、自立的な経済財政運営ができなくなるような道を進んでいる。

チベットの通貨政策がうまくできていたことに感心したと同時に、この対比が想起された箇所であった。



 十八世紀から十九世紀の20年代にかけて雲南で流行したペストは、ヒトのあいだの流行が一段落したのちにも、各地で齧歯類の動物にひそんだと考えられる。1856年にムスリムの社文秀は、ペー族、イ族、漢族なども率いて蜂起した。社が大理で建てた政権と清朝とは、1874年まで雲南の広い地域を巻き込んで抗争した。18年におよぶ戦乱は、生態環境の劣化を加速するとともに、多くの軍馬が移動したために、ペストをふたたびヒトの疫病として復活させ、雲南全土に蔓延させる結果となった。
 雲南からペストが広西にはいり、そして陸路と海路を伝って広東に広がり、1894年についに香港にはいった。この経路は、雲南で生産されたアヘンが運ばれるルートとかさなるのである。国際貿易港の香港から世界各地にペストが広がり、世界的流行となった。国際貿易と疫病、その二つは深く関連し合っていたのである。(p.67)


13世紀、モンゴル帝国がユーラシアを広域的に連結することで、、西はシャンパーニュの大市から東は中国にまで至る、複数のサブシステムからなる一つの広大な世界システムが形成された。こうしてヒトやモノの往来が活発化すると、それによって14世紀半ばにはペストが世界中で大流行し、各地で生産力が減退し、世界システムは分断されていった。

ここ数年、妙にインフルエンザが流行したり、ノロウイルス、鳥インフルエンザといった伝染病が多いのも、グローバリゼーションと呼ばれたような国際経済の一体化の促進と関連があると見るべきであろう。

なお、世界の一体化は冷戦時代から既に進んでいたので、冷戦後に限る必要はない。エイズなども人間の国境を移動が増えたことによって、被害を拡大しているように見える。最近は中国にもかなり感染者が多いと聞く。中国の経済が急速に発展していることとこれは無関係ではないだろう。活性化されているところこそ、ヒトやモノの出入りが激しいと考えてよいだろうから。

そんな感じなので、対策をとることが難しい新手の伝染病が現れたとき、今のグローバルにヒト・モノ・カネが往来する世界経済は、大打撃を受けて分断と停滞の局面に入ることが、そう遠くない将来(数十年後くらい?)に、あってもおかしくないと思っている。



東ユーラシアの歴史

 雲南を攻略したモンゴル帝国は、その後、一気に南宋をくだす。フビライは中国を征服するプロセスのなかで、中国的な官僚機構を備えた元朝を建設する。この元朝が核になって、東ユーラシアの多様な生態環境のあいだをめぐる交易が、飛躍的に活発になる。雲南の西南部で生産された茶葉が、商品としてあらわれるのもこの時期であったし、黒井の塩井でモンゴル人の監督官のもとで本格的な製塩が始まったのも、この時期であった。
 東ユーラシア全域を俯瞰するならば、長江下流部で織られた質の高い絹織物、景徳鎮などの窯業地で焼かれた陶磁器が、ユーラシア全域に輸出されるようになった。中国産品の流れとは逆方向に、大量の銀が中国に流れ込む元朝は商業税や塩税などのかたちで銀を市場から徴収すると、元朝の皇帝をモンゴル帝国の盟主として承認してもらう見返りに、ユーラシア各地のモンゴル政権に贈り届けた。この銀がウイグル族やムスリムが経営する商社に投資され、ふたたび中国物産の買付に使われた。この交易は銀の大循環と呼ばれる。
 モンゴル政権は商業活動を保護し、交通の安全を約束したため、陸と海とをめぐる遠隔地交易が盛んになった。この交易は銀の循環が支えたとされる。しかし、東ユーラシアに存在した銀の絶対量が、拡大する交易の規模を支えられなくなった十四世紀、経済が失速する。元朝のあとに中国を支配した明朝は、遠隔地交易を抑圧する政策をとらざるをえなかった。
 長い不況をこえた十五世紀半ば、中国では銀に依存する経済が復活した。しかもおりよく、日本で石見銀山が発見され、さらにスペイン人がアメリカ大陸からフィリピンのマニラに銀を持ち込むようになり、東ユーラシア全域が保有する銀が増大し、遠隔地交易が拡大するペースが加速された。こうして十五世紀後半から十七世紀にかけて、東ユーラシアは中国の物産を軸にして、「商業の時代」に突入する。この交易にからんで、東ユーラシアの各地で生態環境が激変しはじめた。
 熱帯雨林や季雨林が広がる東南アジアでは、海に接する港市に拠点をおいた商人が、河川を遡って森林の物資を求めて内陸にはいるようになった。森林に住む人びとも、遠隔地交易向けの産品を得るために森と向かい合う。ヒトと生態環境との関係は、大きく変化した。中国でも長江下流デルタ地域が、交易向けに養蚕とクワ栽培などに特化し、この手工業地域への食糧供給地として、長江中流域で米穀生産に適応する自然の改変が進んだのである。
 十七世紀に東ユーラシアの交易は、ふたたび壁に突きあたる。100年あまりの模索の時代を経て、十八世紀には新しいシステムが生まれた。新システムの要点は、産業の振興。銀や銅などの貴金属を手にして、交易に参加するのではない。海外から輸入していた物産を自国内で生産したり、国外から物産を輸入するのに必要な外貨の獲得を目的に世界商品を生産したりするため、基盤から新たな生産工程を政策的につくりあげるのである。十八世紀から十九世紀までの時期を、「産業の時代」と呼ぶことができる。
 日本では江戸幕府のもとで、生糸の国産化が進められ、銀・銅にかわる輸出産品として、俵物と呼ばれる海産物が産業として育成された。とくに北海道のコンブ、青森から三陸海岸にかけてのアワビなどは、中国で高級素材として歓迎された。オランダやイギリスは、東ユーラシアの植民地で世界商品を生産する産業をプランテーションとして育成した。こうした産業振興は、生態環境を根底から変えることになった。(p.82-85)



非常に興味深い箇所。銀の保有量が流れの多少を決めるとする素朴な見解など、幾つか批判すべき点はあるが、いろいろと参考になる記述が多かったので小節ごと抜書きした。

興味を引かれた点は多々ある。明朝の経済政策がどうして拡張的でなかったのかということの説明は特に興味深い。また、15世紀からの経済の復興も銀の産出・保有量が増えたことから説明している点も要因としてはあっただろうと思われる。「産業の時代」の説明も興味深い。政府が政策的に産業のあり方を決めたわけだが、これは国民国家が成立したことと深く関わるだろう。そして、一国レベルで売るのに有利な製品を生産しようとすると、自国で作れないものが出てくる。そこで植民地が必要になり、そこで「効率的」なプランテーションがおこなわれるという構図ではなかろうか。
スポンサーサイト

テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

小島毅 『東アジアの儒教と礼』(その2)

 しかし、日本の貴族たちは朝廷儀礼や冠婚葬祭について、用語や定義づけに儒教の教義を採用したにとどまった。彼らは唐風を知識として知っていたにせよ、その実践的受容はしなかった。それを「自分たちの独自性を意識していたので意図的に拒絶した」とみなすのは、近代のナショナリズムを過去に投影する誤解でしかない。律令の作成者たちは、唐の礼制を導入したくても、自分たちの国が現実にはとてもそういう状況ではないと考えたのである。中国と日本との本質的な相違ゆえというよりは、グローバル・スタンダード導入には時期尚早との政治的判断による選択なのであった。
 菅原道真の遣唐使廃止建白も日本文化への自信が生んだわけではない。唐の衰退によりすでに50年間途絶していた遣唐使に道真が任命されたのは、藤原氏側の道真追放戦略の一環であった。政治学についても仏教学についても、唐から学ぶべきことは一通り学びつくしていた。いわゆる国風文化の時期は、中国に強大な王権や新しい儒教・仏教の展開がみられなかったことに対応している。
 しかし、この時期も、男性貴族による公文書や日記は漢文で書かれ、たがいの交際には漢詩が交換された。かな文化の重要性を否定するつもりはないが、この時点でそれは女性がかかわってはじめて生じるジェンダー的なサブカルチャーであり、これを過度に美化することは日本の伝統文化の曲解につながる。このころの唐と日本の関係は近代的な意味での対等な国家間関係ではなかった。そもそもそうした国際関係についての思考自体が存在していなかった。安易なナショナリズムに便乗しないためにも、近代になってつくられた物語から解放された立場で、この時期の東アジアを俯瞰してみる姿勢が今後ますます重要になってくるだろう。(p.50-52)



儒教の実践的な面や制度的な面は日本の領域内ではほとんど浸透しなかったというのが歴史の真相のようだ。本書によれば、この後、江戸時代に至ってもそうした状況が続いていたようだ。これは意外性のある事実かもしれない。だから、別の箇所では明治維新の時代について次のように言っている。

日本には清や朝鮮が近代化に際して重荷に感じていた礼教秩序から脱却する必要性が、最初からなかったのである。それはどちらに先見の明があったかという次元では語れない、歴史の皮肉であろう。(p.84)



さて、話を冒頭の引用文に戻すと、最近の右派に見られがちな「粗雑な言説に」釘を刺しているのも痛快だ。どういうわけか(←ポイント!)右派で歴史を語る論客には評論家や文学者やジャーナリストあるいは政治家が多いようだ。歴史学者は大変少ない。っていうか、特定の数人を除いて知らん。これが何を意味するか歴史修正主義者に与する者は考えた方がいいだろう。そして、歴史学者である筆者は、今の世の中では、上に引用した文で述べられているような誤解や曲解に満ちているから、わざわざ上記のように指摘せざるを得なかったのである。




 明治時代の日本では、一般にそう思い込まれているのとは反対に、江戸時代以上に儒教倫理が社会に広く浸透していた。その柱が『教育勅語』である。その淵源が明の『六諭』にあることはすでに述べたとおりだが、礼教というかたちをともなっていた中国とは違って、日本の場合には儒教倫理の道徳性・精神性だけが強調された。そのため、『教育勅語』は一見、人類に普遍的な倫理を説いているように読めてしまう。実際、原著者の井上毅は、「これはアメリカでも通用するだろうか?」と、アメリカ通の友人に問い合わせている。
 「規律と選抜」を良しとする近代社会において、『教育勅語』の愛国主義は、たしかにどこの国民国家にとっても有益な内容であった。「中外ニ施シテ悖ラズ」と勅語自身がいうとおりなのである。
 しかし、そうした近代のあり方自体が、わたしたちにとって好ましいとは限らない。教室での「起立!礼!」という掛け声は、それまで存在しなかった儒教式の礼にかわるものとして、国民国家創設のため、学校教育において新たに創造された礼であった。「御礼」や「失礼」として、わたしたちが日頃気軽に使っている「礼」ということばの裏にある歴史をきちんと踏まえておくことは、今の日本国民にとってじつはとても重要なことなのかもしれない。(p.86-87)



基本的に同意見である。ただ、次のような言い方をした方が良いのではないかと思う。

◆ 『教育勅語』の愛国主義は、たしかにどこの国民国家にとっても有益な内容であった。
→ 『教育勅語』の愛国主義は、たしかにどこの国民国家の為政者・支配層にとっても有益な内容であった。

テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

小島毅 『東アジアの儒教と礼』(その1)
魏晋南北朝・隋唐時代の中国の「教」の状況についての部分。

 儒教が「儒教」と呼ばれるようになったのも、これら三つの教えが並び立つようになり、これらを区別する必要が生じたからであった。「儒教」とは、浮図(ブッダの音訳)や老荘ではなく、周孔の教えだというわけである。
 神々や祖先への祭祀においても、儒教は仏教・道教の挑戦を受けるようになる。貴族たちは、基本的には儒教の礼を規範として尊重しながら、実際の生活では仏教や道教の流儀に従った祭祀もおこなっていた。仏教・道教が、それまでの儒教には欠けていた個人の霊魂救済を説いていたからである。
 この点において仏教・道教は宗教であり、それが栄えた魏晋南北朝・隋唐時代は「宗教の時代」だとされている。たしかにそのとおりであろう。しかし、それは宗教とは個人の霊魂救済を目的とするものだという、西洋起源の宗教定義を前提にしての話にすぎない。当時の東アジアの語法では、儒教も含めて三教という「教」が並存していたのである。留学前の若き空海にすでに『三教指帰』という著作があることからも、この考え方が広く浸透していたのがわかる。儒教は決して衰えていたわけではない。



ヨーロッパ中心主義的な歴史観は、今でもまだ広く流布しているのだが、「宗教」をここで著者が指摘するような意味で捉える人も大変多いように思う。つまり、「宗教」というのは「個人の霊魂救済を目的とする」ものという捉え方だ。

確かにこうした「宗教」観は「政教分離というイデオロギー」を浸透させるのには都合がいい。しかし、この見方では社会の中に宗教現象を位置づける際に支障が生じると私は見ている。上記のような「宗教」観に立っている(否定していない)人は、そのことに気付いていない(仮に何か変だと気付いていても、理論的にうまく処理できない)と思っている。

イスラーム世界の神権政治を奇異なものと感じたり、前時代的(前近代的)なものと捉えたりするのはその典型だろう。また、私が比較的最近出会った事例では、「日本は一神教がないのに社会の規律が正しかったのは、天皇制があったからじゃないか」なんていうトンデモな議論をする人がいたが、こうした類の言説も然り。

前者は、「『宗教』は個人の問題であって社会の問題ではない。だから、『宗教』が政治にコミットするのはおかしい」という発想に立っているし、後者は、「一神教こそ『宗教』の最も高度な形態(段階)であり、それは道徳を正すものだ」とでもいうような「宗教」観を前提している。

私も、宗教には個人の内面と外形的な行為との両方に関わる「規範」を与える機能があると考えるので、その意味では個人の内面に関わるし、規範や道徳を与えるものでもあるのだが、彼らの「宗教」観では現象を捉えるための道具立てとして「宗教」という言葉を使おうとする場合には、あまりにも指示範囲や内容が狭すぎるのである。変な切りとり方をしているから、本来繋がっているはずのものが全然見えなくなっているわけだ。

私の場合、宗教というものを次のように捉えている。すなわち、「宗教とは人間が集団を形成する際の一つの様態である」と。ほぼ絶対確実だと思うのは、宗教は常に集団を作るということだ。たった一人で何か神や教義を信じていても、それは宗教とは言わないはずだからである。しかし、全ての集団が宗教による集団だといわけでもない。だから、あくまでも集団形成の一つの様態なのだ。

問題はどのような様態なのか、だが、ここは比較的緩めに規定すべきであって、次のようになる。「『集団に属する個人の主観的な心的表象』あるいは『集団が発するその集団を特徴づける公的言説』の少なくともいずれかにおいて、明示的であれ暗示的であれ、何らかの共通の信念ないし理念を媒介にしてその集団が結合されているとされていること」と。明示的に利害を表に出すことは少なく、むしろ、表向きはひたすら理念的な主張がなされることが多い、ということだ。

もちろん、この規定は集団が実際には何らかの利害関係によって結びついていることを妨げるものではない。実際には、常に利害関係(特に政治的および経済的な利害)はどこかで絡んでいるのだから。そうした利害が前面に出ている場合、その集団は宗教というより「経済団体」だったり「政治団体」だったり「市民運動団体」だったり、と特徴づけられる。宗教的団体は建前上は観念的・思想的・理念的といったような皮を被っているところに、他の種類の集団との相違がある。

しかし、同時に、この規定は、神や天使、精霊のような何らかの神秘的な存在についての信仰だとか、聖と俗の区別だとか、強く押し出された個人の主観的な信仰の有無だとか、儀式の存在だとか、そういったことはほとんど無視して成り立つようになっている。これらの要素のいずれかが揃っていることは、宗教の必要条件ではない。このことを私は意図的にやっている。これらの個々の表象自体は宗教を特徴づける(ないし、その特徴を際立たせる)ものではない。

比較的言語化されにくい深層的な意識のレベルで共通の価値意識が、客観的に見て共有されているか、または、メンバー間で共有されていると本人達が信じているか、あるいは、メンバー間で共有していると信じていることにしているという建前が彼らの共通了解になっているか、であればそれで良いのである。自己啓発セミナーやオカルト的なサークルやちょっとカルト的なサークルみたいなものであっても、ギリギリ入るかどうかという限界的な事例として含まれるかどうかというところを指示できていれば、私としてはそれでいいのだ。実際、こうしたものの多くは伝統的な宗教が力を失った場合の機能代替物という側面があるから。

最初に述べた概括的な規定(集団形成の一様態)については私は全くというほど変える必要性を感じていない。後半の集団形成の様態の規定は修正の余地はなきにしもあらずだと考えているが、同時に、基本的には表現上の修正のレベルで足りるとも考えている。(推敲しないでアップするが、アップした後に推敲する必要はあると思っている。)

まぁ、それはさておき、このように捉えておくと、なぜ歴史上、常に宗教団体が政治にコミットしてきたかが自然に理解出来る。本当はここからが本題だが事例は省略。別の機会に書きたい。なお、政教分離のイデオロギーには、一方に現実的な配慮がある半面、他方では当時のヨーロッパで宗教と結びついた権力を無力化しようという政治闘争の産物という面もある。

いかん。時間が亡くなってきた。しょうがないので、とりあえず途中の状態でアップする。後にこれを修正するかもしれないが、別稿で類似の問題を書く際にこの草稿を利用したい。

ちなみに、本文から大幅に逸脱した話題を好き勝手に書いている。これが当ブログを「書評じゃなくて読書メモ」とする所以である。これは本の内容の紹介・批判や感想といったことを書くというより、読んでいて思いついたことなどをメモしておくもの、っていう意味。

テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

池上正治 『中国紀州の旅』

この一帯には、地名にある種の特徴がある。天龍(ティエンロン)や龍青(ロンチン)などのように「龍」の字が多いこと、蔡官屯や劉官屯のように「屯」の字が多いことである。
 ・・・(中略)・・・。「これはラオハン族…。」「エッ!」と聞きかえしてしまった。
 中国には56の民族がある。これは常識というものである。・・・(中略)・・・。しかし、「ラオハン」族という名称はこれまで聞いたことがなかった。
 こちらの不思議そうな表情から察したのであろうか、楊さんはニヤリとして、「いや、少数民族ではありません。エッーと、何といえばいいか、明代に南京(当時の金陵)からここに移り住んだ人たちです」。・・・(中略)・・・。明朝は乞食僧から身をたてた朱元璋によって建てられたわけであるが、北方を本拠地として元朝を倒したとはいえ、朱元璋は新しい王朝の足もとを固めるために、半強制的に移民を行ったという。屯田兵といったところであろうか、地図に屯のつく地名の多い理由がわかる。


この旅行記が発行されたのは98年のことだが、旅行自体は91年のものであり、今よりも情報が流通していなかったことがわかる。今では老漢族(ラオハン族)のことは、ガイドブックにも載っているからだ。

ただ、こうした地名と歴史のつながりをなどを見つけていくのは、ある意味では旅の醍醐味ともいえる。



 季節による滝の変化は見ごたえのあるものだ、というのが旅游管理の立場にある楊さんの主張である。今回のように雨期の終りにあたり、しかも数日間も降りつづいた後の滝を「気は山岳を撼わす」と表現するそうだ。絶妙な表現であり、まったく同感である。冬から春にかけての乾期であったり、しばらく好天のつづいた後であれば、黄果樹の滝は四本に割れ、その様子は「銀の絹を軽く垂れた」ようであるという。(p.36)


貴州省の安順の西にある黄果樹瀑布というアジア最大の滝についての記述。私は今回は冬に訪問する予定だから、どうやら「銀の絹を軽く垂れた」滝を見ることができそうだ。冬に滝を見て面白いものかどうか微妙に不安があったのだが、それなりに期待できそうだ。



好人不当兵(ハオレンプータンピン)」である。中国の長い間の慣例では、立派な人間(好人・ハオレン)は兵隊になるはずがなかったのである。逆にいえば、兵隊すなわち悪人であったのである。これがいくたびもの戦乱を経験した草々の民が得た教訓だったのである。実はこれには上の句がある。「好鉄不当釘(ハオティエプータンティン)」、釘にするのはクズ鉄というほどの意味である。上下の句を中国語で発音すると、ゴロも合っている。(p.175)


民衆は常に戦争では被害者として巻き込まれる。自ら始めるわけではないのだから。それゆえこうした思想はどこにでもある。今の中国は、軍事的なものを肯定的に捉える価値観が中国国内でも流通しているように私には見えたが、どんな人々であれ、そうした考え方一色に染まるということはありえない。一色に染まらないためにも、こうした言葉の存在は重要なのではないだろうか。機会があったら、この言葉を知っているか中国の人に試しに尋ねてみたいと思う。

テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

歴史教育者協議会 編集 『シリーズ 知っておきたい中国Ⅲ 香港・マカオ・台湾』(その2)

 鄭氏政権滅亡後、「商業の時代(Age of Commerse)」が終焉し、東アジア世界が小農経済の世界に突入すると、台湾はその交易拠点としての重要性よりも、漢族社会のフロンティアとしての移住対象、また対岸の福建への穀物移出基地としての側面が強くなる。この時期には、台湾海峡を結ぶ船の行き来が活発化する。大陸から台湾に向かうジャンクには、移民が乗り、また日用品が積まれ、反対方向では穀物や樟脳が積み込まれた。この時期には台湾の北方の開発も進み始め、流域に台北盆地や茶の産地をもつ淡水河の河口に位置する淡水が注目される。
 こうした状況も、蒸気船の登場、そして日本による海運事業の展開により大きく変化する。従来、太平洋という海域の窓口になっていたのはマニラであったが、ペリーの台湾来航にみられるように、基隆付近に石炭の産地を有する台湾が新たな寄港地として注目され始めた。蒸気船に求められるのは、遠浅の海ではない。ジャンク用の港をすぐに蒸気船用に切り換えるのは困難である。ここに、太平洋と東海を結ぶエンポリア、太平洋航路の基地としての基隆の発展の素地ができあがる。基隆の発展は淡水の衰退に結びつく。淡水河中流に位置する台北に行政の中心が移っても、基隆-台北間に鉄道が敷かれてしまうと河川交通の役割は限定される。淡水衰退の原因は、一般に淡水河に土砂が堆積したことに求められるが、蒸気船の登場によって風の計算に基づく寄港地が不要になったことや、基隆が成長したこともあげられる。同様のことは南部にもおこる。高雄は、太平洋世界と南海の世界を結ぶエンポリアとして、とくに日本時代に積極的に開発され、砂糖の積み出し港として重要な役割をしめた。これにより、台南の占める位置はしだいに低下していった。
 現在、台湾政府は大陸・米・日を経済、外交の主軸に据えているが、最近東南アジアへの注目を強めている。四つの海に囲まれた台湾の地政学的位置はいまでも健在のようである。(p.146)


蒸気船の登場によって、港の盛衰が変わったというのは、19世紀頃にはよく見られた現象である。例えば、杭州から上海へのシフトなども確か蒸気船の登場と関わっていたと記憶する。台湾の中でも、「淡水→基隆」や「台南→高雄」というシフトがあったことが、ここでは指摘されている。

また、台湾については、四方を海に囲まれており、それらの海を結ぶ地政学的な位置にあることが強調されている。北には日本、西には中国、南には東南アジア諸国、東には太平洋を挟んでアメリカがある。台湾を理解するには、こうした地政学的な位置を抜きにして語ることはできないだろう。

本書が出版されたのは1996年(アジアに金融危機が起きる前)であり、当時は東南アジアへの関心を強めたようだが、最近はどうだろうか?日本から見ると東南アジアと台湾の関係は見えにくいが、中国を考える際にも、アメリカと台湾は欠かせないアクターであって、これらはひとまとめにして理解していかなければならないだろうと感じる。



 さて、日本軍による熾烈な制圧戦にもかかわらず、台湾先住民の抵抗は粘り強く続けられていた。ブヌン族のラホアレが200人あまりの仲間とともに下山して最後の帰順式をおこなったのは、1933年4月のことである。
 軍隊が撤退したあとの先住民の統治には、警務局があたり、居住地に設けられた駐在所が治安から行政、司法、教育などの一切の権限を握った。大きな権力をもつ日本人警察官は、住民から恐れられる存在だった。
 支配権を獲得した地域から、警察の管理のもとに蕃童教育所がつくられた。先住民の文化は低い劣ったものとされ、「教育」の名のもとに「日本人のまね」をすることが強制された。やがて日本語を身につけた青年たちは統治機構の末端につかされ、先住民同化の先兵となった。
 一方日本の教育では、台湾先住民は「未開・野蛮」のモデルとして位置づけられ、日本人が「開化」へ導いているのだと教えられた。その際、強調されたのが「首狩り」の習慣だった。それは子どもたちに対しいたずらに台湾先住民への恐怖と嫌悪感、蔑視感を植えつけた。
 しかし、よく考えてみれば日本人も斬首の習慣をもち、明治になっても「さらし首」がおこなわれていたのである。たび重なる戦争の際にも日本兵によって数多くの首切りがおこなわれた。しかも、台湾で日本は、支配に協力的な先住民に、反抗的な先住民の「首狩り」を奨励したりもしたのである。(p.238-239)


支配の対象にしようとする他者を「未開・野蛮」であるとして、自らの「文明」を押し付けることを正当化するやり方は、帝国主義の時代に普及した「文明」のイデオロギーの典型的な事例である。

テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

歴史教育者協議会 編集 『シリーズ 知っておきたい中国Ⅲ 香港・マカオ・台湾』(その1)

 山が多く岩肌だらけで自然資源に欠く香港が今日の繁栄を勝ち得た理由は、ヴィクトリア湾という良港(水深が深く、波が穏やか)を有し、関税障壁を設けない自由貿易を実行したからである。さらに重要な点は香港が広州という中国の伝統的貿易港の出入口に位置していたことである。(p.46)


香港を地政学的に位置づける場合、このあたりの事実が基本となるだろう。



 英国は、香港を植民地としてヴィクトリア市を建設する際に、オーストラリアの植民官僚ウェークフィールドの理論のとおり、原住民の中国人から土地をすべて収奪して全土を英国の国有地(Crown land)にし、海面埋立権も統制のもとにおいて、空間利用の権利を一手に独占していた。中国人の難民たちの多くは、新たな定住先がみつかるまで香港島および九龍半島の市街地周辺部にある空き地を占拠して住みついたが、どこに住みついてもそこは国有地で、不法占拠者(スクォッター)と英植民地政庁にみなされることになった。
 難民に対する政庁の姿勢ははじめのうち冷淡そのものだった。・・・(中略)・・・。
 だが、朝鮮戦争の戦火拡大が状況をまったく変えてしまった。1951年5月、国連は、北朝鮮を支援する中華人民共和国に戦略物資を輸出しない措置を開始し、アメリカ合衆国もまた輸出停止措置をとったため、香港の中継貿易基地としての機能は、マヒ状態に陥った。
 中国市場を事実上失ったあと、英植民地政庁の政策転換は早かった。同年7月、政庁は、難民の計画的な再配置をおこなって香港への定住を促進する新しい政策に乗り出した。これは、資本や技術をもち香港経済に貢献できそうな難民と、貧困で犯罪や暴動など香港に悪影響を及ぼしかねない者の二つのグループに分け、前者を「認可地区」と呼ばれる区画に、また後者を「黙認地区」という区画に定住させて、それ以外のスクォッター小屋は撤去する、という計画だった。
 ・・・(中略)・・・。
 難民の再配置は、政庁の財政収入確保のためにも急がれなくてはならなかった。香港の国有地地上権は、競売で最も高い権利金を政庁に払う者に与えられるのが普通である。このおかげで、香港の空間は、植民地政庁の財政収入のおよそ三分の一をまかなった。これを難民が占拠しつづけることで、政庁は潜在的損失をこうむっていたのである。
 ・・・(中略)・・・。
 このように、英植民地政庁がはじめた難民の再定住政策は、福祉政策ではなく、中継貿易機能がマヒしたあと、植民地を維持し発展させるための、空間的な経済政策だったのである。(p.66-68)


東アジアの歴史を調べていると、朝鮮戦争がこの地域に極めて大きな影響を与えたことが見て取れる。これもその事例。日本にとっても特需が経済発展に繋がったことは良く知られているが、台湾にしても、アメリカとの関係が好転したのはこの戦争のためであった。

戦争のもたらす緊張状態は、平時には曖昧になっている諸要素のうちの幾つかを明確に固定化することがある。それが構造的な要因のバランスを変えていくことがあり、そのような形で世界の構造を変えていくことがある。ベトナム戦争もアメリカのヘゲモニー衰退を決定的にした面があり、アフガニスタンへのソ連の派兵もソ連崩壊に繋がった。21世紀におけるアフガニスタンとイラクに対するアメリカの戦争もまた、同じように新しい時代への移行を規定するものになるのではなかろうか。



労働市場を自由放任の競争の場とするには、労働力供給を過剰ぎみにし、労働者が、組合運動をつうじた階級闘争にではなく、労働者どうしのはげしい競争を展開することに自己の賃金上昇や労働条件向上の可能性を託すようにしておけばよい。(p.80)


これは香港における植民地支配の仕組みについて説明した部分の記述なのだが、上記のことは、今の日本にしっかり当てはまっている。



 60年代末に文化大革命の嵐がマカオにも及んだとき、ポルトガルははじめ紅衛兵を何人か射殺するほど強硬だったが、結局妥協に転じ、その後中華人民共和国の実質的な影響力が浸透していった。
 ユーロコミュニズム政権の誕生でポルトガル本国が「最後の植民帝国」という汚名をようやく返上したとき、アジアでもマカオと東ティモールが脱植民地化されることになり、75年末かぎりでポルトガル軍はすべてマカオから撤退した。返還はされなかったが、すでにマカオは中華人民共和国の一部のようになってしまっていたのである。住民もこのことはよくわかっていた。香港よりずっと早い75年におこなわれたマカオ立法議会選挙では、本国のユーロコミュニズムを支持する党が、中国共産党系組織の前に敗退した。84年の選挙制度改正は、中華人民共和国系をいっそう有利にした。
 他方香港では、60年代末の反英闘争に英植民地政庁は譲歩・妥協を一切しなかった。返還交渉でも、はじめ英国は香港の植民地支配継続を主張したし、パッテン総督は中華人民共和国と対立を続けている。
 こうした政治状況から、マカオは西側でも、北朝鮮のプレゼンスが強い。在留外国人として、韓国籍が41人に対し、北朝鮮国籍は61人(93年)いる。北朝鮮旅行が直接予約できる国営観光事務所も、アジアではマカオだけにある。(p.108)


香港よりも遥かに自治権が大きく保障されていたマカオの方が、より中国に対して従属的であったという事実は興味深い。まぁ、権限上、自治的であるということは、それだけ本国の後ろ盾が弱いということでもあるから、理解は出来るのだが。

北朝鮮とマカオとの関係が深いというのも興味深い。BDAがマカオの銀行であることも偶然ではないわけだ。

テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

邱永漢 『食は広州に在り』

香港などでは、茶楼が日本における喫茶店の役割をはたしている。商談はお茶を飲んでいるうちに行われる。したがって、大陸貿易専門のブローカーばかり集まる茶楼とか、不動産や金融ブローカーばかり集まる茶楼といったぐあいに、しぜんと特徴がでてくる。(p.28)


17世紀後半から18世紀前半頃にかけてロンドンなどで流行したコーヒーハウスと同じパターンである。




 ものの本によれば、華僑を南洋にばらまく直接の動機になったのは、西紀1277年、元の忽必烈(クビライ)の爪哇(ジャワ)遠征と、明の永楽帝時代、すなわち1405年にはじまる鄭和の遠征だそうである。前者のとき、動員された兵力は二万といわれ、主として福建、江西、湖広より徴集された。この戦争は結局失敗に帰したが、今日ベトナムに残っている元日本兵と同じような残留者が爪哇にとどまったにちがいない。もちろんその数は問題になるほど多くはなかったであろうが、鄭和の時代になると、前後七回、足掛け二十八年にわたる大遠征だったから、華僑発生史上相当の役割を果たしていると思われる。
 ただし、これは杓子定規の考え方で、華僑を今日ほど繁栄せしめたのは、ほんとうは自分たちの故郷が住みにくかったからである。政治的亡命、集団移民……等々、いくらでも説明はつくが、要するに国にいては食っていけなかったからである。(p.85-86)


著者は歴史学者ではないこともあり、後段の意見は必ずしも信頼度は高くないと私は思うが、それなりに面白い見解ではある。

国にいては食っていけなかったことが、主な原因なら、飢饉などのときに華僑が増えるように思うが、どうもそうではないような気がする。商売のチャンスが南方にあるかどうかという状況と、それらの土地にアクセスしやすいかどうかということ、また、それらの土地に対する知識や認識が華南(中国)の人々の間で、ある程度広まっていること、こうした条件が揃っているときに華僑が増えると考えたほうが良いように思う。とりあえず、私としてはそのように仮説を立てておく。



 金持になっても成金根性を発揮しないところに華僑らしさがあるが、それは彼らの心がけがよいからというよりも、そうしなければ他の者に対抗していけないからである。彼らは事業が左前になったからといって政府に泣きつくこともできず、デパートが横暴だからと独禁法に訴えることもできない。経済界の変動に対していっさい自分たちの力で始末をつけなければならないのである。したがって、華僑の経済組織は不況にも耐えていけるようにつくられているのがふつうである。一軒の店における使用者と使用人の関係は血縁的、地縁的色彩が強く、固定給なども日本人が想像するよりもはるかに低い。その代わり決算後利益の二割とか三割を紅利(ホンレイ、ボーナス)として使用人に分配する習慣がある。もう一つは使用者が使用人に飯を食べさせる習慣である。華僑の食事は朝十時と夕刻六時の二回がふつうであり、このときは老班(ラオバン、主人)も同じ卓のものを食べることになっている。銀行のようにきわめて資本主義化された機関においてさえ、正午になると扉を閉めて銀行員一同食事の席につくところがある。なぜかといえば、中国には元来弁当なるものが存在せず、冷飯を食うことを極端にきらう傾向があるから、飯を出さねば飯を食べに帰さなければならない。銀行のように営業時間の短いところでは仕事の能率に影響するし、一般商店の場合には月給の安いのを補う意味がある。・・・(中略)・・・
 さて、以上のようなわけで華僑の商社では富豪の邸宅と同様に、厨師(コック)を雇っているところが多い。(p.89-90)


この華僑についての記述は、どことなく「日本型経営」を想起させる。地縁や血縁の関係によって結合しているということは、ネットワークのクラスター性の高さにつながるが、それは「日本型経営」の特徴でもあるだろう。固定給は低めで業績に応じてボーナスを支払うというシステムもかなり似ている。華僑では使用者が使用人に食事を食べさせるというが、これも現金給付を少なくする代わりに現物給付で補っているということに着目すれば、ボーナスと同じように月々(日々)の給与を低めに抑えることに貢献しながら、社内(ネットワーク)の一体化を助長することができる。「日本型経営」では福利厚生の充実に相当する。

「日本型経営」というと真っ先に「年功序列」と「終身雇用」が想起され、これが非競争的なシステムであるかのようにイメージされることが多かったが、実際のところ、このシステムは「対外的な競争に強いシステム」であるというのが私の見方である。本書では、華僑の経済組織は不況に耐える強さがあるとされているが、それは経済組織としての安定性を示している。

ちなみに、年功序列と終身雇用の組み合わせを中心とする「日本型経営」のシステムは組織の内部について、非競争的だと多くの人々にはイメージが持たれているかも知れないが、実際には、長期的に評価が行われることによって、持続的に競争が行われるシステムでもある。それもこのタイプの組織の強さの要因をなしている。何でも競争すれば活力が出るわけではない。適切に競争が組み込まれたシステムであることが必要なのだ。



以下は丸谷才一と言う人が書いた本書の解説からの引用である。

彼はもう一つ、まさしく昭和二十年代の後半において日本人が学ばねばならぬことを説きつづけたのだが、暢気なわれわれは、たかが食べもののことを書いた随筆のなかにそんな大それた教訓が秘めてあるとは思わなかったらしい。彼の教訓とは、人間は国が亡んだとて生きてゆける、ということであった。
 邱永漢は亡国の民である。・・・(中略)・・・。
 そのような彼にとって、たかが一度の戦争に敗れ、あわてふためいている当時の日本人の暮し方は、まことにみっともないものに見えたに相違ない。国が亡んだとて、そんなことくらい何でもないではないか。大事なのは個人がこの一回限りの生を楽しむことで、それにくらべれば、植民地がなくなろうと、国土が占領されようと、軍隊が消え失せようと、財閥が解体されようと、どうでもいい話ではないか。彼はそういう趣旨の手紙を、亡国の民の先輩として、われわれ後輩に書きつづけたのである。(p.227-229)


「国が亡ぶ」というと、あたかもその「国」の「国民」がことごとく亡ぶかのようなイメージが、心のどこかに思い浮かぶ。そして、その「国民」の中に自分や近親者も含まれるものとして想像されて、「国が滅びたら大変だ」と思うかもしれない。

もちろん、戦争という愚かな行為になれば、多くの人々が苦しむことになるのは確かだ。しかし、「ある国が亡ぶ」というのは、実際は「その時の政府がなくなる」ということに過ぎない。今の政府がなくなるだけであり、それに代わって別の勢力が政治権力を握ろうとするだけだ。

そういう意味では、「『国民』の死滅」という表象と比べれば、大したことではないわけである。もちろん、政府が変わることは、権利が変わることを意味するのだから、それなりに大したことではあるが、最も大事なことはそんなことではないのだ。

表現はややラディカルだが、かなり良いところを突いていると思う。

ついでに言っておくと、現在の日本にいる「国家主義」的なイデオロギーの信奉者たちは、私から見ると、「戦争に敗れ、あわてふためいて」いた当時の日本の人々の姿などよりも、遥かに「みっともないもの」に見える。なぜならば、「最も大事なこと」を疎かにしているからである。

テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

池上彰 『そうだったのか!中国』(その3)

「世界最初の社会主義国としてソビエト連邦が出現して以来、最高権力者の重要な権力の源泉は正統イデオロギーの解釈権を握ることであった。なぜなら、そのイデオロギーにもとづいて自らの権力を正統化し、ライバルの思想を異端と決めつけて排除しうるからである」(渡辺利夫ほか『毛沢東、小平、そして江沢民』)(p.202)


正統イデオロギーの解釈権が権力の源泉であるという認識はその通りである。

しかし、これを社会主義や共産主義の国だけに特有のものだと考えるとしたら、それは大いに誤っている。

ローマ帝国の時代以降のキリスト教の正統と異端の争いも、こうしたものであった。アタナシウス派とアリウス派の論争もそうだし、ローマ・カトリックになるローマ教皇庁と東方正教になるコンスタンティノープル総主教座との争いなども、実質的には政治的な闘争であった。時代は下って、カタリ派やアルビジョア派が異端とされたのも同じであり、ルターらの宗教改革も間違いなく政治闘争であり、社会運動であった。(例えば、ルターがドイツ語圏の世俗諸侯の立場を代弁したことは『キリスト教界の改善についてドイツ国民のキリスト教貴族に与う』などを一読すれば一目瞭然である。)

これは「ヨーロッパ」に限ったことではない。例えば、ファーティマ朝がシーア派を奉じたのも、弱体化していたカリフやアッバース朝からの独立性を示す意味がある。アイユーブ朝になってすぐにスンニ派に戻ったのも、フランク(十字軍)との戦いのために、分断されていた歴史的シリアの勢力を糾合する必要があったためである。

また、宗教権力と世俗権力との間であってもやることは同じである。例えば、聖職叙任権闘争などはわかりやすい事例だろう。これは現代の官僚に相当する聖職者たちの人事権を巡る闘争であるが、皇帝と教皇の双方がそれぞれの理論武装をした上で権力闘争を繰り広げたわけである。勝利した側のイデオロギーが正統なイデオロギーとなり、理論上はそのイデオロギーに基づいて聖職者の人事権が手に入るわけだ。

政治制度がデモクラシーの時代になると、こうしたイデオロギー闘争自体は見えにくくなるが、例えば、小泉政権時代に「優勢民営化賛成か反対か」といって、新自由主義的なイデオロギーを正統なものとして確立した小泉が、そのイデオロギーを盾にしながら、亀井静香らを異端として排除したことは記憶に新しい。

選挙制度が採用されると、選挙という儀式自体に正当性付与の効果があるので、イデオロギーの解釈権や選択可能なイデオロギー自体の幅は広がるために、解釈権自体は見えにくくなるが、それは現代に至るまで、ほとんど常に存在しているとみてよいと私は考えている。

さらに言えば、本来、その機能から言って、宗教と政治は切り離すことができないものである。宗教は集団を作り、集団ができればそれは政治性を帯びる。また、政治をするには集団の力が常に必要になり、その際、集団の多くは共通の理念の下に結合しているのだから、その中に宗教的な結社が含まれることはほとんど不可避である。

しかし、いかなるものであれ、特定の成文化された(またはそれに近い)イデオロギーを奉ずることは、政策の自由度が損なわれやすい。このためそうしたイデオロギーは政治的に忌避されるのではないか。(その一つの形態が政教分離。)



 2007年1月12日午前、中国は、地球を周回している人工衛星をロケットで破壊するという実験に成功しました。
 ・・・(中略)・・・
 現在、日本がアメリカと共同開発している「ミサイル防衛システム」は、偵察衛星が地上のミサイル発射を探知して起動を計算することを前提にしています。その衛星が破壊されたら、防衛システムは機能しません。アメリカや日本にとって、中国の軍事技術が、大きな脅威となってきたことを如実に示す実験成功だったのです。(p.219-220)



私はMD反対派である。基本的に無駄だからやめたほうがいいという立場だ。あまり当てにならない割りにコストはやたらかかるというのが大きな理由だが、日本のMDの場合、特に中国を意識して導入が進められているはずである。(北朝鮮の脅威は実際は小さい。)その場合、MDの技術が十分完成の域に達する前に、既にその前提を破壊するだけの技術と能力を中国が持っているということになる。

もともと気休め程度の防衛力しかないものなのだから、MDの前提となる衛星を破壊する能力を中国が持ってしまった以上、MDからはさっさと手を引くべきである。

テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

池上彰 『そうだったのか!中国』(その2)

 個人が空想する分には構いませんが、中国では、空想的社会主義を実現させる実験のために、4000万人もの犠牲者が出たのです。
 日本に対して「過去を教訓にすべきだ」と「歴史問題」で追及する中国は、この過去について一切口をつぐんでいます。その事実は中国の学校の教科書に載っていません。日本に対して「歴史を直視」するように求めている中国政府は、自国の不の歴史を直視していないのです。
 過去を認められないのは、大躍進という大惨事が、毛沢東という個人の過ちにとどまらず、明らかに中国共産党の犯した過ち、いや犯罪だからです。この過去を過ちと認めることは、即ち共産党の政治的正統性が問われることでもあります。それができない共産党は、過去を教訓にすることなくフタをして、なかったことにしているのです。(p.51)


この箇所は本書のスタンスを最も集約的に表している箇所である。まず、中国共産党に対する評価としては概ね私も同意する。つまり、中国共産党は彼らの歴史にフタをしており、そこには大きな過ちがあるということだ。

ただ、中国共産党の支配の政治的正統性がないかどうかは、別問題だろう。そうした過去の過ちを中国の人民が知っても、共産党の支配を許容するならば、少なくとも「支配の正当性」は確保されることになる。昨今のような経済成長が続く中であれば、それは十分可能だと私は考える。むしろ、中国が一人っ子政策の弊害による少子高齢化の時代を迎え、今の日本と似た状態になってから、今の日本のように「歴史問題」が急に持ち上がると、共産党は持たない可能性があると見ている。

正統性の問題はさておき、池上氏は、中国共産党が自らの歴史を隠蔽していることをもって、中国共産党には日本政府に対して歴史問題を持ち出す資格がないかのような論調で述べている。しかし、そうしたやり方をしているのだとすれば、それは間違っている。

なぜならば、例えば大躍進政策や文化大革命は、中国国内の政治問題であって、特段日本の政府や人々に多大な損害や迷惑を与えたわけではないのに対して、日本政府と日本軍による中国侵略に伴う諸問題(従軍慰安婦問題や南京事件など)は、中国の政府や人民に多大な苦痛と損害を与えたと言うことができるからである。

いうなれば、道を歩いていて勝手に転んで怪我をしたのと、人に殴られて怪我をしたことの違いのようなものだ。勝手に転んでもそれは自分が悪いのであって、人にとやかく言われる筋合いはないと言えるが、人を殴ったのに反省の色を見せない場合、殴られた側から「反省しろ」と言われるのは仕方ないことだからだ。日本政府や日本の右派の側こそが、中国側(共産党、政府、人民)につけいられる隙を作っているのだということを自覚したほうがいい。その自覚がないままに、自国の歴史を棚に上げて、他国の歴史をあげつらうのは不当である。

むしろ、池上氏のような主張をするならば、日本の側が中国などからつけいれられる隙がないように、(謝罪は既にしたので)個人に対する補償を明確に宣言して行うべきであろう。そのことをはっきり言わずに、自分を棚に上げて他人を非難することで、自分への非難をかわそうとするようなやり方は、そういうやり方をすることが都合の良い人たち以外には、広範な支持を得られないだろう。



五族共和という用語についての説明。

清朝末期に生まれ、孫文によって広められた標語。のちに孫文は、五族共和を否定し、中華民族への一元的同化を主張するようになる。(p.82)


ナショナリズムの運動における一般的なパターンがここでも見られる。

ここには複数の「民族」を取り込んで一つの「国民」を形成していく拡張的な過程における「多元的な民族観」を打ち出すナショナリズム言説と、一応その過程がひと段落つき、これ以上拡張することが難しくなると「国民」の一体性を強調するために「一元的な民族観」を前面に出したナショナリズム言説を見出すことができる。日本も第二次大戦前は前者の「多元的民族観」が強かったが、大戦後は完全に後者が支配的となった。後者のナショナリズムが支配的なときに外部との軋轢が高まると排他的な傾向が強まるので危険である。前者の拡張は比較的順調な場合に支持される傾向があると思われるので、やっていることは侵略であっても、軋轢は少ないと思われる。

なお、よく「中華思想」などと言われるが、「中華」も上記のナショナリズムとほぼ同じ二つの側面を持つ。礼を受け入れれば中華であるという考えは、前者の民族観に基づく「中華」概念であるが、現代の「国民国家」が常識化しているなかでは、後者のタイプの民族観に基づく「中華」概念が常識化するものと思われる。




 さらに毛沢東は、「もし核兵器が実際に使われたとしても、我が国の人口は六億人だから、核戦争でたとえ半分の三億人が死んでも、まだ三億人残るから、人口はすぐ回復する」と言ってのけたのです。(p.113)


イカレた発言だが、核戦争の際には、この考え方からして中国は非常に有利な立場にあるという意味では全く正しい。これに対し、日本は世界の他の国々と比べると比較的人口は多いが、人口が密集しているので、核兵器には滅法弱いということを日本の人々は知っておくべきだろう。

また、今の日本の保守的な人々の中には、「100人のうち90人が助かるためなら10人が死ぬのも仕方ない」という類の言説を容認する人がいるようだが、そういう人は自分が毛沢東と同類だということも知っておくべきだろう。

テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

池上彰 『そうだったのか!中国』(その1)

 当時の江沢民は、最高指導者だった小平によって中央に引き上げられたばかり。党内基盤が確立しているわけでもなく、国民的人気があるわけでもありませんでした。そこで江沢民が使ったのが、「歴史問題」というカードです。
 愛国教育で若者たちの反抗の芽を摘む一方、過去に中国を侵略した日本に対して謝罪を求めることで、「強い指導者」を印象づける方針でした。(p.12)


この歴史問題に対する日本側の反応の多くは、学問的および政治的な観点から見て間違ったものであった。

謝罪するような事実はなかったという無理な主張する修正主義は、客観的な妥当性に乏しく、諸外国の合意を得られるようなものではない。日本国と自己同一視している個人だけが、この主張を好都合であると感じることができるがゆえに受け入れることがあるだけである。しかし、日本国なるものと私達は別のものだから、幼児的な観念の持ち主以外はそんなことにはならない。これが基本的に右派の反応である。

左派は謝罪が必要だという立場だが、マスメディアの場などで主張を訴える場合、道徳的な側面が先行している。道徳的な判断があること自体は、特段否定すべきことではないが、道徳的判断を相対化した上で、的確な戦略的判断をも同時に提示したかというと、「比較的浅い主張しかできないマスメディアの場」では、それがなされていないという現状がある。

より重要なのは「客観的かつ戦略的な判断」である。いずれも客観的でもなければ戦略的でもない。前者は日本国や日本国民という存在しない観念と事故を同一化している時点で自己客観化できていない政治的幼児である。後者もまた自らの道徳的判断と政治的判断との区別がついていない点で批判されなければならない。(ここで両陣営に言いたいことは、要するに、「Wertfreiheitくらいは使いこなせ」ということだ(★注)。)

観念論でもなく道徳論でもない科学的かつ政治的な判断では、まず、謝罪をするということだ。謝罪してしまえば相手は「謝罪しろ」とはもはやいえなくなる。もっと要求を高めてくることを右派は恐れているが、要求が高まれば高まるほど、要求する側が「浮いてくる」ということを計算に入れていない点で、それは誤りである。国際社会の中で過度の要求をする中国が浮いてしまえば、孤立化させることができるのだから、そこまで引っ張ればいいのだ(★注2)。要求を高めなければ、それで相手のカードを封じたことになるのだからそれでいい(★注3)。

また、日本政府は既に3兆円の援助をしているのだから(中国政府自身、賠償も放棄しているし)、中国政府から責められるなら、それを声高に叫べばいい。この事実については、中国政府はあまり触れたがらないが、責められるなら何度も繰り返ししつこく言えばいい。諸外国(国際社会)も条約もあるのだから日本側に対しても理解を示しやすいだろう。

ただ、政府間の補償は済んだが、個人に対する補償はされていないという指摘もある。それに対しては極力「誠実に対処する姿勢」を示せばいい。金で満足するなら安いものだろう。しかも、個人への補償には限りがある。既に本人達は年老いており、本人が死んでしまえば、遺族に対してまで支払う必要はない(少ない)からだ。

はっきり言って、中国政府の要求の多くはそれなりに対処すれば封じることができるものが多いと私は考えている。それにもかかわらず、日本の右派の反応は中国政府と中国人民の火に油を注ぐだけのものばかりであり、また、テレビで聞けるようなレベルの情緒的な左派的主張は、そもそも道徳の問題でしかなく、政治の問題ではないために不十分である。そうした道徳的な感覚を持つ左派が自らの道徳的感覚を相対化した上で政治の問題を語るべきなのだ。道徳的ではなく政治的な判断に基づく考え方が、左派の側に不足していることが、日本の言論(論争)が不毛な一つの理由ではないかと思う。

以上、走り書き程度のものだが、今、それほど重大な問題に直面しているわけでもない状況で、あまり細部にこだわったり、細かい手の内を書いても仕方ないので(状況が変わればなすべきことも変わるし、既に時代は江沢民から変わっているのだから)、このくらいにしておく。

(★注1)ただ、Wertfreiheitは、社会科学的な訓練を相応に積まないと使いこなせないと言うことが、これまでいろいろな学生(院生)たちと話をしてきた経験からわかっている。最低でも半年から1年くらいは厳しく教え込まないと身につかないようだ。その意味で、社会科学的な訓練がない人間に、そこまでのものを求めるつもりは私にはないのだが、敵対的な議論をする場合には、議論が成り立つための最低限の素養として、相手側にこうした知的技能を求める。例えば、数ヶ月前に別のブログで、私が書いたIdealtypus(理念型)という概念をIdee(理念)という意味だと勝手に勘違い(誤読)して反論してきた人がいたが、あれには失笑してしまった。そういう場合、一から十まで説明しないといけないから――しかも、それを相手が修得するまでかなりの期間かかることが経験上わかっているのだから――忙しい中ではとても話にならないのだ。

(★注2)北朝鮮の核問題で話し合う場で、それとは直接関係がない拉致問題を前面に出す、という過度の要求をすることによって、国際社会の中で浮いてしまい――いくつかのリップサービスをしてくれた政府はあったが、実質的にそれらの政府が協力してくれたわけではない――孤立化した日本の事例がよい見本である。

(★注3)もし仮に、江沢民の歴史問題カードの使用が、池上氏が書いているような動機に基づくものであるとすれば、江沢民も顔が立っただろう。相手を立てつつ、相手の攻撃は封じることができるなら、それでいいではないか?と私は思うがね。






 現在の中国の公認の歴史では、この国共合作で共産党は日本軍と激しく戦ったということになっていますが、実際に日本軍と真正面から戦ったのは、国民党の軍隊でした。・・・(中略)・・・。
 毛沢東の軍隊は、日本軍との戦いを避け、国民党軍が日本軍と戦って戦力を消耗させていくのを横目で見ながら、勢力拡大をはかっていました。
 中国共産党は、抗日戦争で中心的役割を果たして勝利したことを自らの政治的正統性の根拠として宣伝しています。しかし、実際にはそうでなかったことを、中国人研究者の謝幼田は、中国国内で正規に発刊された歴史文書、軍幹部の回顧録などを元に調べあげています。(p.27)


なかなか面白い。建国神話というのは、大抵、事実をそのままは書かれず、脚色されるものだが、現代においてもやはりそれは変わらないということだろう。こうしたことは、中国に限ったことではなく、アメリカの建国神話(メイフラワー号とかの話)も似たりよったりの美談になっている。

一応コメントしておくと、中国共産党の場合、一応、戦線には参加していたのだから、「激しく戦った」というのがあまり正しくないだけで、全く間違っているわけではないだろうな。日本の右派は、一点でも突っ込みどころがあるとそれを拡大して、その彼らにとっての突っ込みどころが、あたかも全てであるかのように扱うことが多いが、本書自体の議論にもそういうところがある。兵站を担うだけでも大いなる戦争貢献なのであり、後方ではあれ戦場に出ていることも、それなりの戦争貢献なのである。

テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

丸川知雄 『現代中国の産業 勃興する中国企業の強さと脆さ』(その2)

 さらに、技術は秘匿せず積極的に教えあうべきものという計画経済の理念、そして設計を統一しておいたほうが修理にも便利という現実的な理由から、自動車とエンジンのコピー生産が積極的に行われた。1980年代から90年代にかけて中国では計画経済体制が打破され、市場経済への転換が進むが、そうしたなかでもよい技術があればコピーしても構わないのだという計画経済時代以来の考え方は簡単には改まらなかった。(p.191-192)


中国がコピー大国だというのも、こうした過去のビジネスモデルの影響を受けている可能性もあるのかもしれない。もちろん、実利的な理由が第一だろうが。



 以上の経緯をまとめよう。中国の自動車産業は、ソ連流の垂直統合型産業としてスタートしたが、地方分権によって地方政府が自動車メーカーを設立し始めたことによって、垂直統合型の国有大メーカーと、垂直分裂型の地方小メーカーとが並存する構造になった。後者にエンジンを供給したのは、農業機械化のために全国に設立されたエンジン専業メーカーだった。地方の小自動車メーカーとエンジン専業メーカーの世界では技術のコピーが盛んである。
 こうして先進国の自動車産業の常識とはまったく異なる産業構造が中国の計画経済体制のもとで生み出された。この構造は1980年代以降の市場経済化のもとで衰退するどころか、かえって市場経済にマッチしていっそうの発展を遂げたのである。(p.192)



計画経済体制で作られた構造が、グローバル化の進む市場経済に適応しているというのは面白い。思うに、こうした独特の産業構造を持つことによってグローバル化に対してある程度の耐性を持っていることが中国の強みではないだろうか。

資本移動はある程度規制されているというのもあるが、その点を抜きにしても中国の市場に参入しようとするときに、他国とは異なる閉鎖された環境が過去にあったために、異質な世界に参入しなければならず、外国企業はそこに適応するために試行錯誤をかなりしないといけないからだ。その間に中国の企業側は学ぶべきものを学んで取り入れたり、対策を練ることもできる。

もちろん、中国の産業が活況なのは、産業構造が主な原因であるわけでなく、世界経済における位置づけとして重要な位置にあるからだ(資本移動が自由化した中で安価な大量の労働力の供給地であると同時に、将来的には世界最大の消費市場となると見込まれることなどが主な要素だろう)。産業構造はこの優位性を補助したり、妨げない要因として位置づけられると私は捉えている。




 中国企業の経験を企業戦略の形でまとめると次のようになる。第一に、積極的に他社の力を利用し、産業のなかで取りかかりやすい分野から参入する。第二に、基幹部品を他社から購入する場合でも、複数調達を行うことで特定メーカーへの依存を避け、自立性を確保する。(p.231)


本書が示すように、こうした中国企業の戦略は日本を含む他国の企業にとっても採用しうる戦略だと思われる。

テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

丸川知雄 『現代中国の産業 勃興する中国企業の強さと脆さ』(その1)

「垂直分裂」とは、経営学や経済学でいう垂直統合の逆の現象が起きていることを指す。すなわち、従来一つの企業のなかで垂直統合されていたいろいろな工程ないし機能が、複数の企業によって別々に担われるようになることをいう。(p.14)


本書のキーワードについての定義。



 日本のテレビメーカーは、他社のテレビとの画質の違いを製品差別化のポイントと考えているので、一つの型番にいろいろな画質のものが混じることを許容しないが、中国メーカーはどれも大差ないと考える。それよりも、複数のブラウン管メーカーを競争させることのメリットのほうを重く見るのである。製品差別化を競争力の源にしようと考える日本メーカーと、価格競争力を重視する中国メーカーとの違いがここに現れていると言えよう。(p.40)


品質を重く見るか価格を重く見るかという、価値観の違いだけでなく、双方の企業の構造自体がこれらに対応したものになっている(日本メーカーは品質向上に適した構造になっており、中国メーカーは価格競争に適した構造になっている)ことを本書は解き明かしていく。



 ビデオCDもPHSも、日本で生まれた技術の種子が、日本の土壌ではあまり育たなかったのが、中国の土壌に植えられるや大きな収穫の果実を結んだ。中国の技術発展は、単に先進国で開発された技術を何年遅れかで摂取するプロセスではなく、先進国では実を結ばなかった脇道の技術も成長することで技術の多様性が増大するプロセスであった。後発国の技術発展に関する既存の理論は脇道のイノベーションを見落としていたが、中国の経験はイノベーションが本来有している多様性の増大という側面を思い起こさせてくれる。(p.99)


このビデオCDやPHSの事例が本書で展開されていたのだが、確かにかつて中国や台湾などに行ったときに、ビデオCD(VCD)がかなり出回っていことに違和感を感じたことがあった。そのあたりの仕組みを本書はよく説明していた。説明は長くなるので省く。



 以上のように、波導は携帯電話機の技術や生産の重要部分に対してサジェムなど外国メーカーの力を借りている。こうした状況は波導に限らず、1999年以降台頭してきた中国の携帯電話機メーカーすべてに共通している。それは、技術や生産の核心部分は社内で担うべきものとの考え方が強い日本の電機メーカーとはまったく正反対の考え方である。
 ・・・(中略)・・・。技術力に勝る外国メーカーを相手にしながらも、複数の外国メーカーを天秤にかけることで、欲しい技術を引き出そうとするのが中国流なのである。(p.115)


この複数のメーカーを天秤にかけるということによって、中国メーカーは日本メーカー以上に「市場経済的」である。このことは次のような指摘からも見て取ることができる。

 総じて言えば、日本の携帯電話機は少数の機種を計画的に産んで計画的に淘汰していく「少産少死」型の機種開発が行われているのに対して、中国は数多く産んで自然淘汰に任せる「多産多死」型の開発が行われているのである。(p.119)

 中国のある代表的な設計会社での開発のプロセスを図表3-4に示した。開発期間は日本の半分以下と短く、なかでも企画の期間がわずか一ヶ月で、半年近くにもおよぶ日本とは大きく異なる。それは、日本メーカーは通信事業者が今後展開する新サービスを睨んで、それに対応できる携帯電話機を開発するのに対し、中国の携帯電話機開発とは、さまざまな基幹部品に体化された機能を組み合わせることと、外観のデザインにほぼ尽きるからである。(p.121)


携帯電話産業については非常に顕著なのだが、「日本は計画経済、中国は市場経済」という対比が非常にはっきりしている。日本の製品は異常に高価で、私達が購入する際に1~2万円程度でも、実際は5万円以上する代物である。その分の差額が通話料に上乗せされることで、日本の消費者は見えない形で高い料金を払わされているわけだ。計画経済は「消費者に優しくない」のだが、それをうまく隠蔽しながら運営しているわけだ。

しかし、計画経済も全面的に劣っているわけではなく、高度な技術を集中させて、今までになかったものを開発しながら進んでいくにはそれなりの力を発揮している。日本の携帯電話機の技術水準は恐らく世界一だろうが、それもこうした計画経済の体制に支えられている部分がある。(消費者に優しくないことによって)企業側は研究開発に金をかけられるからだ。

私は経済思想的には、新自由主義を批判するケインジアンであって、マルキストではないのだが、日本では非常に悪いイメージで捉えられる「計画経済」が日本に存在しており、それが負の側面だけでなく、評価の仕方によっては正の側面をも持っていること、それが非常に身近な製品にも見られることが具体的にわかったのは、本書を読んでいて大変面白かったところだ。

(もちろん、本書では計画経済という言葉は使っていないし、昔の中国やソ連がやろうとしていた「計画経済」と私がここで使っている計画経済とは完全に同じではない。一国の政府が主体となって、国内の産業を横断して行うか、そうでなく寡占企業が主体となってその業界内部で行うかという違いはあるが、基本的な要素は同じである。例えば、計画的に決めた製品を計画的に作って高く売ることや、この過程でも実は市場がまったく機能しないわけではないことなど。)



 通信事業者が買い上げた携帯電話機は最終的にはユーザーが買い取る。つまり、日本の携帯電話ユーザーが高い通話料を払うことによって携帯電話機メーカーが最先端のものを開発することを可能にし、その開発成果は部品メーカーを通じて世界にスピルオーバーする。まさしく第2章で見たヴァーノンの理論の言うとおり、「ケータイ最先進国」日本の消費者は導入期の製品を買うことによって世界の携帯電話産業を育てているのである。日本のユーザーが高価だが高性能な携帯電話機に満足しているかぎりそれで何の問題もないのだが――。(p.128)


早晩、このビジネスモデルは転換を余儀なくされると思われる。世界の中に占める日本の人々の経済的な豊かさは、私が見るかぎりでは、みるみる低下しているからである。

どのくらい上乗せされているかは次の箇所からある程度推測できるだろう。

 たとえばある携帯電話小売店の業績報告書によれば、その店(併売店)で消費者が支払う額は一台あたり7800円なのに対して、通信業者からは一台あたり4万6700円の販売手数料が支払われている。つまり、消費者は7800円だけ出して、実際には5万4500円の携帯電話機を買っているのである。通信業者が補助した販売手数料は、消費者が月々支払う通話料金のなかから回収されることは言うまでもない。(p.138)


通話料が異様に高いのも頷ける話だ。

テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

奈良行博 『五感で味わう中国大陸 道教聖地探訪の旅』

 これで昆明にある代表的な道観は全て訪問し終わったことになるのだが、振り返って総括してみると、そのどれもが真武祠と関わっていることがわかった。これは広東省や湖北省の荊州を除けば他の土地ではあまり例の見られない傾向だ。或いは、明の皇室が真武神を守り神として尊び、真武の顔や姿は実は明の初代皇帝・朱元璋そのものを生き写しにしてあるとも言われているので、真武祠を置くことはそのまま明(漢族)が支配力を固めたことの証となっていて、それが異族王朝の清を経て今に残ったと見るべきなのかもしれない。(p.87-88)


「真武の顔や姿は実は明の初代皇帝・朱元璋そのものを生き写しにしてある」というのは、大同にある雲崗石窟の曇曜五窟の大仏が、北魏の皇帝を象ったものであると言われているのと同じパターンである。宗教的な表象や宗派と政治権力との関係はヨーロッパでも見られるもので、世界中どこであってもやることは大体同じだな、という感じがする。



 さて雲南、貴州、広西の三地域はいずれも少数民族の多い土地である。その中で主たる宗教はといえば、やはり仏教が根強く浸透していて、漢族の統治権力が強まり漢族文化が流入するにつれて道教文化も花咲くようになったと思われる。その最も顕著な例が雲南の巍宝山や秀山に見られ、地域の英雄を祀る“土主廟”から始まり、仏教寺院の建立、漢族支配が強化されて漢族庶民や道士の流入が増加して道教祀廟が増えていっている。道教が教団として開拓的に道観を建てることはまれで、多くは民間祀廟や仏寺などの信仰地としてある種の“祈りの文化”が出来上がっているその弾みを利用して道教徒が活動を始めているようなのである。そして、それらの漢族文化の流入には、交易物資の流動と同じく決まったルートがあるらしく、雲南は四川省成都から、貴州は重慶(旧四川省)や湖北・湖南地域から、広西は広東から太いパイプが繋がっていて、それらには幾つかの類似点があることを指摘できる。もっとも、そのパイプは細いものが網の目のように通っているので、実際の文化流動の仕方はもっと複雑で多様である。ともあれ、中国全土を区分けして、その集合体として中国を理解すべき時代が来ているように思われる。この旅行を終えて、中国を正しく理解するためには是非とも地域研究がもっと進めなければならないという思いを強くしたのであった。(p.221-222)


ここで述べられている3つのルートは、これらの地域への文化流入の一つの理念型として利用可能だと思われる。山が多く峻厳な地形であることが、こうした複数のルートが地域外から通じるパターンを規定していると想像できる。

テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

青木紀 編著 『現代日本の「見えない」貧困 生活保護受給母子世帯の現実』
小西祐馬 「第2章 貧困と子ども」 より

 以上見てきたが、この若者たちが具体的な将来を客観的な可能性を持って描くためには、非常に多くの困難がある。このことは、彼・彼女たちの持つ選択肢の少なさが関係している。経済的な問題や学力・学歴によって、選び取れる将来は相対的に狭くなり、目標を見つけること、そしてそれを実現するには多くの困難が横たわっている。こうして、将来が見えにくくなった結果、目の前の利益に気を取られ、「とりあえず」の未来を選択してしまい、より不安定な生活に入っていくことも危惧される。また、全員が高校卒業後にひとり暮らしをしたいと語ったが、このような状態でひとり暮らしを始めてしまうことは、生活が一層不安定化する契機になりうるとも考えられよう。(p.105)


本書のテーマとして「貧困の世代的再生産」というのがあるのだが、ここではそれを当事者の認識を「追体験的に理解」させていると思う。

「実感を伴った将来の選択肢」が少ないために、実際に心が惹かれるような目標をあきらめることを強制される。このため、彼らは心が惹かれない選択肢の中でしか選択ができず、場当たり的に行動するようになるというわけだ。

親の所得が低いことで子供は学力と学歴が低く抑えられてしまい、それによって子は選択肢が減り、場当たり的な選択が増え、それを続けることで不安定な状態が定着してしまうという構図。

私自身が「親の所得によって選択肢が狭まった」という実感があるので、非常に共感できるところがある。もちろん、本書の事例となっている人たちと比べれば、はるかに恵まれた選択であったことは間違いないのだが。



 本章では、生活保護世帯を含む低所得世帯の子どもの状態を、子どもへの聞き取り調査を中心にして、明らかにしようと試みた。その中で第一に、子どもたちにとって、やはり家庭が低所得であるということは、直接的に悩みの原因となっていた。所得が低いということによって、さまざまなところで耐え忍ぶことを要求され、中には、通学のためのバス代を要求することができず、それを補うために援助交際を行っていた事例があった(Dさん)。この前後には母親との確執があり、お金がないことが問題を生み、その問題がまた問題を生むといった悪循環が見られた。(p.105)


このような状態から抜け出すためには、相当強力な社会的バックアップが必要であることは言うまでもない。しかし、日本の社会保障はそれを可能にするにはあまりにも貧弱ではないか。



杉村宏 「第6章 貧困家族の自立支援とケースワーカー」 より

 生活保護にたずさわる公的扶助のケースワーカーは、「家族依存」の性格を強めている現代の社会福祉・社会保障政策のもとで、「保護依存」と非難され勝ちな生活保護の利用者にかかわるという、まことに矛盾に満ちた現実のなかで、貧困家族の自立支援を行っている。
 多くのケースワーカーは、「保護依存」からの脱却という政策的圧力のもとで、就労可能年齢層(義務教育修了年齢から65歳まで)の人々への就労指導と、就労が不可能な人々の親族に対する扶養義務調査に追いまくられている。一刻も早い生活保護の廃止が至上命令になっていて、たとえば北九州の生活保護についてレポートした新聞報道によると、生活保護を申請した60歳の男性は、「九月に保護を認められると同時に、書類に『十二月をもって生活保護を辞退します』と書くよう」職員に強要されたという。
 「保護依存」イデオロギーが生活保護行政を覆っており、その克服なしに「家族依存」の福祉政策の転換も、貧困の世代的再生産を緩和・解決する手がかりも生まれてこないし、公的扶助ケースワーカーの自立支援の展望も描けない。(p.191-192)


「家族依存」というのは、社会政策によって制度的に保護することをあまりせずに、困っている人がいる場合、その人の家族がその面倒を見るべきだという考え方である。

一見、それほど不自然には感じないかもしれない。しかし、生活保護受給者等の現実を見れば、極めて不自然で無理がある思想だということがわかる。ほんの少しだけ不都合があり、一時的に援助すれば足りるようなことであれば、もちろん、家族がある程度援助するのは自然なことである。なぜなら、家族は本人に心理的・物理的に近くにいることが多いから。しかし、生活保護受給者くらいになるとそれを支える心理的・物理的(身体的)・経済的な負担は極めて重く、到底、僅かな人数ではそれを背負いきれない。(それに、家族自身も貧しいケースが多い。)

極力、社会的な援助・保護を切り詰めようとする点において、新自由主義と伝統主義的な国家主義(彼らの多くは伝統的な家族や地域の中でのつながりを重視する)が相互に補い合うのである。

「保護依存」というのは、保護を受けると働かなくなる、という一見もっともらしいが、実際には実証されていないイデオロギー的偏見である。新自由主義ないし市場競争の信奉者たちは、「人々を保護しないことによって、彼らは必死になってそこから抜け出そうとする」という類のことを言う。現実を全く見ずに勝手な仮定を置いて語る机上の空論である。

簡単に言えば、人間には怠けようとする性向と何か人々の役に立つことをしようという両方の性向が同時に存在していると考えることができるのだが、これらの人々は前者の側しか見ていないし、それしか前提していないのである。




青木デボラ 「第7章 アメリカの貧困家族と自立支援の現実」 より

最近出された2003年1月22日の消費者財政に関する連邦準備制度理事会(The Federal Reserve Board's Survey of Consumer Finances)の調査報告では、様々なグループにおける1998年から2001年の期間の資産と所得が比較されている。この報告によれば、所得レベルが上位10%にあたる人々の資産は、ほかのどのグループの資産よりも急激に増加している。具体的にいうと、この上位10%グループの一世帯あたりの純資産は83万3600ドルで、1998年の49万2400ドルと比べると69%も増加していた。それにひきかえ、所得が下位五分の一グループの一世帯あたりの純資産増加は24%にとどまり、7900ドルという微々たる額だった。
 付け加えていえば、所得レベルが上位にある一世帯(中央値にあたる)の蓄積された資産は、1990年代においては中位・下位グループの中央値の12倍程度だったが、2001年には、それは所得下位世帯の中央値の約22倍にはね上がっている(Survey of Consumer Finances, 2003)。(p.212-213)


上位所得者にとって有利な世界になっているという傾向は「グローバル化」が進んでいった90年代以降の世界的なものである。金融自由化によって、資産を持つ者=資本を持つ者のチャンスは一挙に広がり、投機的なマネーの世界と実体経済の世界のリンクが弱くなったために(彼らが弱体化させたのだが)、低所得層にはあまり恩恵が行かない構造になってしまった。この状況を打開するには、何をおいても、金融が国境をこえて自由化された状況に対する対処が必要である。

その上でこそ社会政策は十全な意味を持ちうるし、導入も可能になると思われる。



 福祉プログラムの歴史的基礎は、離別・死別・未婚のいかんにかかわらず、母子世帯で育つ子どもの経済的安全の提供を求めてきたことにあったと近年では論じられてきたが(Weisner, Gibson, Lowe, and Romich, 2002)、実際にそれが実現したことはない。1900年代に年金を受給していた「福祉受給に値する」未亡人の場合でさえ、ジェンダーと文化の規範に必ず従うよう、公的関係者たちによって強いプレッシャーをかけられていた。関係機関の調査員は、母親たちに対して、飲酒の吐息、不潔な家庭、男性との関係、浪費や不適切な養育の習慣などを厳しく監視していた(Abramovitz,2000)。そのため、福祉は、福祉受給者の行動、道徳、価値観をコントロールし、服従の度合いに基づいて報酬や懲罰を与えるためのプログラムであり、つねにイデオロギーや実践、あるいは履行操作の中におかれてきた。(p.223)


恐らくこれは、アメリカだけでなく、日本にも当てはまるだろう。



新保守主義のモデルは、男性が稼得役割を負うという幻想を、実質をともなうことなく与えているに過ぎない。(p.224)


妥当な指摘。日本の場合、新保守主義と重なる形で存在する民族主義的ないし伝統主義的な「国家主義」的なタイプの保守主義にこの考えが強いように思われる。日本の新保守主義は防衛問題に特化する傾向があるというのが私の見立てであって、これらの勢力を区別している。これらの分類については機会を見てメインブログか日記編のブログで書こうと思っている。(半年くらい前からそう思っていた。)



 非熟練労働者の賃金の減少は、よく知られている1990年代の現実だが、それは未曾有の富の蓄積と特権化に並行して起こってきた。ワシントン経済政策研究所(Washington-based Economic Policy Institute)が1998年に報告したように、労働力の30%は一時間あたり八ドル以下の賃金しか得ていない。ほとんどの労働者の実質賃金はこの20年間で急落しており、下位10%の人々の賃金はさらに急速に減っている。最低賃金は1996年より上昇しているが、それでも実際の最低賃金の価値がピークにあった1968年と比べると30%も減少しているのである(Piven, 2001)。
 そのため実際には、低所得世帯の女性たちは、完全に男性の経済的力に頼って生きることはできないでいる。そして福祉改革以来、彼女たちは国にも頼ることができなくなった。このため女性は第一に、低賃金で退屈な、先の見えない仕事に就くことを余儀なくされている。そのような仕事で「エンパワーしている」といわれながら、である。第二に、女性たちは、結婚してふたり親家庭を維持することを強く求められている。そこでは、福祉(プログラム)と労働が二つのイデオロギー装置、すなわち家族倫理と労働倫理を通じて、時には競合しながら、歴史的に結びつけられてきたことを主張しているフェミニスト理論と強く反響しあっている(Coffield, 2001; Piven 2001)。この場合、家族イデオロギーは福祉改革を通じて、新家父長主義と安価で従順な労働力を提供する兼任的役割の両方において、女性をしっかりコントロールするのに効果的に機能する。(p.225)


低所得の労働が広く行われ、福祉改革(実際には福祉の削減政策)が行われると、女性には一人で自立して働いていくという選択肢がなくなる。社会的な福祉ではなく、家族の中で助け合うべきだとされることによって、多くの女性が選択肢を狭められていることを指摘している。

これもアメリカの事例だが日本もほぼ同じだろう。



シカゴの連邦準備銀行(Federal Reserve Bank of Chicago)の経済学者、Bhash Mazumderは最近、ある二人の間における収入ギャップの、平均して60%以上が、ある代から次の代へと継承されると計算した。つまり、富は何世代にもわたって続き、また貧困も同様に世代を越えて続き、アメリカにおけるチャンスと機会の平等神話を一掃している。(p.235)



こうした研究はもっと盛んにやってもらいものだ。

テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

関岡英之 『拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる』(その2)

 私は急に日本の商法というものがいまどうなっているのか気になりだし、まさかと思って調べ始めてすぐに愕然とした。すでに2002年5月に商法が改正され、2003年4月から施行されている。「半世紀ぶりの大改正」で、日本にアメリカ型の経営組織を導入するための改正だという。なんと迂闊だったことか!私は毎朝ちゃんと新聞には目を通しているので、商法大改正の記事もどこかで読んだはずだ。だが問題意識も持たず、全体の構図がわからないまま漫然と読んでいたので、直接我が身に関係が無いと思って読み飛ばしていたのだ。
 アメリカ型経営組織とは具体的にどんなものなのか。ひとことで言うとそれは新たに「社外取締役制」を導入する、ということらしい。いままでの日本の会社の経営組織というのは、取締役会と監査役会に分かれていて、取締役会が実際の経営を行い、監査役会がそのチェックを行う仕組みになっている。だがどちらもそのメンバーは普通、平社員から社内の出世階段を登りつめた人たちだ。
 これに対してアメリカ型の経営組織というのは、経営執行役員と取締役会にまず分かれる。経営執行役員というのが社長や財務などの担当役員(アメリカ流に言えばCEOやCFOなど)のことで、実際の日常業務を行う。取締役会はさらに指名委員会が経営執行役員の人事を決め、報酬委員会がその報酬額を決め、監査委員会が経営全般をチェックする。ここで最も重要なポイントになるのは、三つの委員会の過半数は社外取締役、つまり外部の人間でなければならない、ということだ。

 アメリカのビジネス社会そのものに

 いうまでもなくいまの日本の制度では、人事権は経営者が握っている。社長が部下たちの中から意中の人を後継者に選ぶ。しかし改正された内容は、平たく言えば人事権を経営者からとりあげて、外部の人間に与える、というものだ。・・・(中略)・・・
 商法改正によって日本がいきなりそうしたアメリカ型社会に突入したわけではない。今回は大企業だけが対象である。そして一律強制ではなく、いまの制度のまま続けるか、アメリカ型経営組織に移行するのかを選択することができるようになっている。(p.116-118)


外部の人間の目を入れる、というと一見好ましいように聞こえるかもしれない。しかし、外部の人間に人事権を渡すというのは、アメリカの資産家などの日本の企業に対する発言力が高まるということを意味する。



 入札制度の変更と同じタイミングで「日米公共事業合意」が発表された。アメリカは「土建国家」日本のシンボルともいうべき「指名競争入札制度」を崩壊させるという積年の目標を達成した。談合問題を糾弾するマス・メディアの激しいキャンペーンがそれに貢献した。ゼネコン業界と建設行政に対するネガティブ・キャンペーンが日本の社会にいっきに定着したのが追い風となったのだ。こうして歴史をたどってみると、公正取引委員会による談合の摘発が実に絶妙のタイミングで発動されてきたことに、誰しも驚かざるをえないだろう。(p.127)


市場原理主義が常識として定着したことが、こうした談合糾弾の効果を大きなものにした。長期の不況によって少しでも自分より良い思いをしている「ように見える」人々を叩きたい、引き降ろしたいという心理が蔓延していることがさらに根底にある。

心理的な次元ではそのように言えるが、それを好転させるには、経済が好況に転じて日々、豊かさが実感できる状態になるか、経済が悪いなりにも生活を政策が下支えしているという効果が実感できるような状態が必要であろう。

しかし、世論自体がそれを不可能にしているという自縄自縛状態が今の日本の状況である。アメリカが公正取引委員会をも動かしてしまうような状況では、ここから状況を好転させるのは難しい。エシュロンなどの情報活動も見逃せないところであり、今の不利な条件から、より有利な条件を確保するために何をなすべきかを考える必要がありそうだ。



 アメリカの保険会社や通信会社が日本市場に進出する際に強大なライバルとなりうる郵政公社やNTTに対して、アメリカは公正取引委員会を通して揺さぶりをかけるつもりなのである。所管官庁を総務省から内閣府に移させたのは、そのための布石だったのだ。(p.133)



仮に関岡氏の見解のように、アメリカがそこまで意図してやったのではないとしても、このような事態が起こりうるような体制は望ましくない。公正取引委員会を総務省の所管に戻し、優勢民営化を凍結するべきであろう。(もちろん、いずれもアメリカの要望事項だ。)



柏木氏が会長をつとめておられた銀行に私が就職した1984年は、日本の為替取引の歴史で重要な分岐点となった年であった。わたしたちの入社式が行われたこの年の四月から、外国為替取引の「実需原則」が撤廃されたのだ。
 これは前年十一月のレーガン大統領来日の際にアメリカ側から要求された項目のひとつだった。それまで外為の先物予約取引には、輸出や輸入などの「実需」と呼ばれた実体経済の裏づけを証明することが義務づけられていた。実需原則は、危険な投機の過熱から為替市場の安定性を守るために日本として必要な措置だった。
 しかしフリードマンの自由放任思想を信奉したレーガン政権から、「実需原則」は日本の遅れた金融市場の閉鎖性の残りカスだと批判され、政治的圧力によって撤廃に追い込まれてしまったのだ。(p.199)



この実需原則が撤廃されたがゆえにバブル経済が現出・崩壊し、その後長期にわたって日本経済は低迷を続けざるをえなかったことは銘記されるべきである。

なお、90年代の公共事業もアメリカの要求によるものだった。この時代の公共事業のすべてを私は否定するつもりはないし、新自由主義派の財政学者でさえ、それがはたした相応の役割は評価せざるを得ないのだが、これによって財政赤字が一気に膨らんだことは周知の事実である。

今の世界的な不平等化の趨勢を逆転するためには、やはり「実需原則」のような投機的なマネーを封じ込める制度を一国レベルではなく国際的でグローバルなレベルで行うことが必要だと思われる。

テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

関岡英之 『拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる』(その1)

 アメリカは、本来外交的に中立であるべき国際機関WTOへの加盟承認を政治的に利用し、あたかも自分が主宰する親睦クラブの会員審査を行うかのように振る舞っている。そしてアメリカの要求に従うか、さもなくば「国際社会」から締め出される道を選ぶのかと、れっきとした主権を持つ国々に圧力をかけているのである。(p.24)


IMFにせよ世銀にせよ国連の機関にせよ、こうした傾向は見られることだ。比較的どうでもいいところで言えば、世界遺産などの登録認定も妙に「欧米好み」のものに集中していると私は感じるが、そうした点からも国際機関というものの性格がどんなものなのか、推測されるというものだ。




「仕様規定」から「性能規定」への変更を主眼とする建築基準法の改正は、建築審議会が答申書で法改正を提言する七年も前に、日米両国の政府間ですでに合意されていたのだ。・・・(中略)・・・。そこですぐに日本経済新聞や朝日新聞の縮刷版を調べてみたが、1990年6月前後にこの村田・ヒルズ書簡のことを報道した記事を見つけることはできなかった。
 ・・・(中略)・・・。あきらかにこれはアメリカからの内政干渉だ。しかもそれが日本の審議会制度などを利用して構造的に行われていることになる。
 しかし不思議なことに、アメリカの公文書にはこのことが至極当然のことのように堂々と記録されているのだ。例えば、アメリカ通商代表部が作成した『外国貿易障壁報告書』2000年版には、日本の建築基準法の改正がアメリカ政府の要求に応じてなされたものであると、はっきりと書かれている。そして通商代表部は、この法改正が「アメリカの木材供給業者のビジネス・チャンス拡大につながった」と、自らの手柄として自画自賛しているのである。
 建築基準法の改正以外にも、たとえば、賃貸住宅市場の整備を目的とする「定期借家権制度」の導入や、中古住宅市場の活性化を目的とする「住宅性能表示制度」の導入なども、アメリカの建築資材供給業者のビジネス・チャンスを拡大することを目的とした、アメリカ政府の日本政府に対する要求によって実現したものであると堂々と宣言されている。(p.48-49)


こうしたことがどれほど積み重ねられているのかを考えると恐ろしいものがある。




 ちなみにこの通商代表部は、いちおうアメリカ政府の一部門ということになっており、トップの通商代表も大統領が任命しているが、もともと1962年にアメリカ連邦議会の提案によって作られた組織なのだ。
 アメリカの外交政策は、政府が代表する対外配慮と、議会が代表する国内利益のきわどいバランスの上で常に揺れ動いてきた。当時アメリカの行政府、なかでも国務省は外交的な気配りを優先するあまり、アメリカ国内産業の利益を犠牲にしていると、議会から不満を持たれていた。アメリカの議員にとっては行ったこともない同盟国(つまり日本)の国益より、選挙区のスポンサー企業や選挙民の声の方がはるかに重要である。そこで大統領や国務省に対するお目付役として議会が通商代表部を新設したのだ。
 通商代表部で代表補代理をつとめたグレン・S・フクシマ氏は『日米経済摩擦の政治学』(朝日新聞社)という本のなかで、通商代表部は「政府の官僚機構というよりは、法律事務所や経営コンサルタント事務所にずっとよく似ている」と書いている。言ってしまえば、官製のロビイスト軍団なのだ。しかも悪名高い通商法によって強力な権限が与えられていた。(p.56)


アメリカ通商代表部の性格はよく理解しておいたほうがよさそうだ。




 アメリカは1970年代のニクソン政権の頃から、対日貿易赤字の原因は日本側にあると非難してきた。そしてGATTの関税交渉、繊維、自動車、半導体、牛肉、オレンジなどの個別分野をターゲットとした二国間通商交渉や円高圧力等々、アメリカはさまざまな戦略を駆使して日本に挑んできたが、結局どれも対日貿易赤字を解決することはできなかった。
 その過程でアメリカは、日本の閉鎖的な市場や民間の“不公正”な取引慣行、そして経済・社会構造そのものに次第に目を向けるようになり、ついには欧米とは異質な日本独特の価値観や思考・行動様式そのものに問題がある、とまで考えるに至った。(p.60)

これこそまさに今の日本で常識化してしまった思考である。この考えを裏返したものが市場原理主義である。アメリカ政府は日本の人々に対して、彼らの考えを押し付けることに成功したのだ。

近年、小泉が首相の座を去ってから、次第に市場原理主義では立ち行かないという反省が地方から出ているが、まだ、市場原理主義への信仰は同時に存在している。これに立ち向かうには、反市場原理主義の立場からも、比較的単純でわかりやすい形で、自らの思想を定式化して訴える必要があるだろう。そのための理論が出てくる必要がある。

テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

田岡俊次 『2時間でわかる 図解 日本を囲む軍事力の構図 北朝鮮、中国、その脅威の実態。アメリカの軍事覇権の将来は?』(その5)

 在日米陸軍のうち、戦闘部隊は沖縄の特殊部隊一個大隊約300人だけで、他のほとんどは情報や補給要員だ。「グリーン・ベレー」として知られる特殊部隊は沖縄を守るためにいるのではなく、有事の際に敵前線の背後に落下傘などで潜入して情報収集や破壊活動を行うのが任務で、待機・訓練場所として沖縄を使っている。また第三章で述べたように、アメリカの情報機関NSAは青森の三沢基地や沖縄の楚辺・トリイなどに受信局をもち、2000人以上の米軍人が勤務している。この勤務者を含め在日米陸軍の情報要員は約500人とみられる。
 沖縄の海兵隊は「第三海兵遠征軍」の名が示す通り、防御兵力ではなく、上陸作戦を行なう部隊で、米海軍第七艦隊(横須賀と佐世保が主要基地)の担当区域である西太平洋・インド洋全域に出動するために、沖縄を待機・訓練場所としている。米議会では80年代、「日本がアメリカの保護にタダ乗りしている」との批判が強く、81年9月21日の米上院歳出委員会でも、「沖縄に海兵隊を置いて守る必要があるのか」との質問も出たが、カールーチ国防次官が「沖縄の海兵隊は日本防衛のために配備しているのではありません」として、西太平洋・インド洋全域へ派遣するために沖縄に待機させていることを説明している。これは正確な答弁だ。(p.245-246)


在日米軍は日本の防衛のためにいるのではない。このことはよく知っておく必要がある。非常に誤解が多い点である。親米保守の立場から、ネオコン的な政策の正当性を訴えるときに、この誤解が利用されることが多いが(例えば、アメリカに守ってもらっているから逆らえないとか、アメリカに守ってもらうだけでは片務的だから改憲が必要だとか)、彼らの主張には根拠がないのである。




 これだけ異常に手厚い待遇を受けながら、アメリカ人の間には、「アメリカは日本を守る義務があるのに、日本はアメリカが攻撃されても助ける義務がない。日米安保条約は片務的でけしからん」という声が出る。日本人の中にもオウム返しに「片務性」を言う親米派が少なくない。
 しかし、これは基本的に間違った非難だ。第一に在日米軍は、在韓米軍や冷戦時代の在独米軍が、駐留する国を守ってきたのと違い、日本を守る部隊を置いていない。日本の基地は他国への出撃拠点、補給基地なのだ。第二に、基地の提供に関しては日本が片務的に義務を負っている。第三に、他国にほとんど例のない巨額の補助金を交付している。もしもアメリカが攻撃された場合、日本がアメリカを助ける義務を負い、それで双務的、と言うならば、基地の提供も双務的にしなければなるまい。ハワイのパールハーバーやカリフォルニアのサン・ディエゴの海軍基地を海上自衛隊の管理下に置き、その維持費をアメリカが支出することにしなければ、外交の原則である「相互主義」にならない。もちろんアメリカはそんなことを望まない。(p.256-257)


基地の提供に関しても、筆者の言うことは正論である。



 通常戦力の分野では、日本が米軍に防衛を依存しているところはほとんどないとはいえ、核抑止に関しては、少なくとも名目上はアメリカに全面的に依存している。・・・(中略)・・・。特に北朝鮮のように、アメリカに届く核ミサイルをもたない相手に対しては、アメリカはほぼ確実に報復するだろう。核を使わなくても、航空攻撃など通常戦力でも相手は壊滅する。核対策に関しては、「日本は核武装しない」、その代わり「どこかの国が核を日本に使えば、アメリカは報復する」という、まず対等な取引関係が存在すると言えるだろう。(p.257)



この点も誤解されがちだ。日本側からしか見ない場合、「日本が核武装しない」ことがアメリカにとってメリットがあるという発想にならないからだ。アメリカ側から見れば、日本のような「隣国」が核武装することは非常に都合が悪いことなのだ。そこを理解することが必要である。

テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

田岡俊次 『2時間でわかる 図解 日本を囲む軍事力の構図 北朝鮮、中国、その脅威の実態。アメリカの軍事覇権の将来は?』(その4)

 日本も現在の防衛力整備計画(2001~05年)で、「ヘリコプター搭載護衛艦」という名目で軽空母(基準排水量1万3500トン)の建造計画を進めている。満載の場合1万8000トン程度となるはずで、イギリスのインビンシブル級の軽空母に近く、第二次大戦中の空母「蒼龍」と同等だ。垂直離着陸戦闘機・攻撃機とヘリ計20機近くは搭載可能だろう。日本は54隻、世界第二の水上艦部隊をもっているが、空母をもたず、米海軍の有能な助手でしかない。そこで海上自衛隊には、自立の象徴として軽空母をもちたいという願いがある。だが、軽空母をどこでどう使うか、説明がつきにくいため、「ヘリ四機搭載」などと言っている。本当にそうなら、ひどく効率の悪い艦ということになる。(p.190-191)


自立の象徴というが、そうやって増強した軍備は結局、米軍の援助のために使われるのだから、自立にはならないだろう。政治家や官僚がアメリカから自立しない限り、自立は不可能である。逆に、日本が軍備を増強すればするほど、アメリカにとって使い勝手の良い道具になっていくのであり、ますますアメリカへの従属が強まる。このことに気付くべきだろう。



 NSAの情報収集活動の対象は、もともとソ連と共産圏だったが、冷戦後の90年4月、当時のウェブスターCIA長官は「日本やヨーロッパ諸国など経済上の競争相手に対する情報戦略を扱う企画調整局を設けた」と述べ、情報機関がアメリカ経済に貢献することをアピールした。92年4月には、当時のゲーツCIA長官が「業務の約四割、予算の三分の二を経済分野にあてる」と演説した。その後、NSAとイギリス・カナダ・オーストラリア・ニュージーランド五ヶ国による盗聴網「エシュロン」が、ドイツ・フランスなど非英語圏の通信を盗聴し、経済競争に利用している疑いが強まり、EU(ヨーロッパ連合)が調査に乗り出した。2000年にEUは、その疑いを証明する専門家グループの報告書を受理している。
 日本の通信も、特に国際電話はほとんど盗聴されていると考えなければならない。エシュロンは、同時に六百万回線を傍受できると言われているのだ。(p.206-207)



アメリカは自国の覇権を維持するために、なりふり構わぬようになっている。本書の立場は、アメリカの派遣は強固であるという立場だが、私はアメリカの覇権は既に衰退過程に入っており、こうしたなりふり構わぬ動きは、そのことの兆候であると考える。




 青森県の米空軍三沢基地は、イギリスのメン・ウィズ・ヒル基地、ドイツのバド・アイブリング基地などとならぶエシュロンの拠点の一つだ。基地内の「セキュリティー・ヒル」という一角には、衛星追尾用のアンテナを収めた直径15~30メートルの球形のドーム、通称「ゴルフボール」(209ページ)が白いキノコのように17基も並んでいる。冷戦終了後にかえって増えていることは、経済情報活動の活発化を示しているようだ。三沢にはNSA、米陸海空軍・海兵隊の通信情報要員が計1500~1600人いて、沖縄も含めると、日本にいる米軍の通信情報関係者は2000人以上と考えられる。
 95年6月、当時の橋本龍太郎通産相がジュネーブでミッキー・カンター米通商代表と自動車問題で交渉した際、CIAが橋本氏と通産省や自動車会社との電話を盗聴し、アメリカ側が交渉に成功した(実際は日本がアメリカの要求を拒否)とロサンゼルス・タイムズが報道したことがある。次いでニューヨーク・タイムズは「盗聴したのはNSAで、CIAはそれを要約して届けただけ」という趣旨の記事を載せた。手柄争いでそれぞれがリークしているようだ。
 日本政府はアメリカに事実の確認を照会したが、回答を拒否された。否定しないのはスパイ行為を認めたも同然で、日本は少なくとも通信情報部隊要員2000人分の「思いやり予算」を削減する姿勢を示すべきだったろう。日本政府は在日米軍経費の70%以上を負担し、それには傍受施設の光熱費や日本人基地従業員の給与も全額含まれている。(p.208)


日本政府は、自国の経済情報を盗聴している組織を養っている(支援している)わけだ。全く馬鹿げている。




 また、「テロは絶対悪だ」とアメリカ人が言うと、多くの日本人もついそのように考えるが、アメリカも自国に有利なテロ集団を「自由の戦士」(フリーダム・ファイターズ)と呼んで半ば公然と支援していることは、日本でもさほど注目を集めない。
 たとえばアメリカはフセイン政権を倒すため、イラク領内のクルド人の反乱やフセイン政権権力者の暗殺などの活動を支援してきた。「イラク解放法」という法律をつくり、予算もつけているから公然たるテロ支援だ。ところがトルコ領内にも同じクルド人が1200万人ほどいて、一部は独立を求める武力闘争をしていた。その指導者、トルコのクルド労働党党首オジャランは98年2月にケニアのナイロビで逮捕されトルコに送還されたが、その逮捕にアメリカ、イスラエルの情報機関が協力したと言われている。アメリカは同盟国のトルコで活動するクルド人は「テロリスト」、イラクで活動するクルド人は「自由の戦士」と呼ぶ。国境付近のクルド人戦士はどちらなのだろう。
 アメリカのテロリストの定義は実に単純明快で、アメリカの敵となるのが「テロリスト」、そうでないのは「レジスタンス」や「自由の戦士」だ。客観的にみれば、ソ連なき後、アメリカは世界一の「テロリスト」あるいは「自由の戦士」支援国だろうが、他国の政府がアメリカの自己中心的な定義を素直に受け入れているのは驚くべきことだ。これもアメリカのメディアのイメージ形成力の強さを示している。(p.217-218)


メディアの力もそうだろうが、アメリカの政府が世界中の各国の政府にかける各種の(顕在的および潜在的な)圧力がその背景にあるのだろう。

ただ、私としては、親米的な連中には、このことについてどう考えるのか、問い詰めたいとは思っている。

テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

田岡俊次 『2時間でわかる 図解 日本を囲む軍事力の構図 北朝鮮、中国、その脅威の実態。アメリカの軍事覇権の将来は?』(その3)

 また、日本の海上保安庁は1000トン以上の大型巡視船だけで42隻をもち、アメリカの沿岸警備隊の44隻に次ぐ世界第二の水上警備部隊だ。ヨーロッパ諸国では、海上保安庁と似た性格をもつ陸上の国境警備隊は準軍隊とみなして、国防費に含めて比較するのが一般的だが、日本ではその予算は国土交通省の予算に含まれる。このような巨大な水上警備部隊をもつのはアメリカと日本だけで、海上保安庁は、大西洋・太平洋の両岸を守るアメリカの沿岸警備隊に比べて密度は高い。イギリス海軍は32隻の駆逐艦・フリゲートだけで日本の海上保安庁の機能もはたしている。(p.128)


隠された軍事力(防衛力)ないし軍事費が日本にはあるわけだ。




 中国の中央政府の歳入はGDPの7.2%(税収6.8%、税収外0.4%。1999年)で、他国に比べてきわめて低い。日本政府の歳入のGDP比は20.4%、アメリカは21.2%、ヨーロッパ諸国は30~40%台になる(131ページ)。GDPに占める政府の歳入の率は、その国がどれほど社会主義に近いかを示すものと言えるだろうが、中国は主要国の中でもっとも社会主義化していないという奇妙な形になっている。(p.129)


これは地方政府と社会保障基金まで含めて比較するのが妥当なのだが、中国はこうした基準で見た場合、「社会主義的」でないのは、確かだと思われる。

ここ数年の携帯電話産業などの様子を見ても、中国と日本を比べると面白いことが観察できる。日本の携帯電話産業は世界最先端の技術を持つが、計画経済的に生産されているのに対して、それより遅れた中国の携帯電話産業は極めて市場経済的であり競争的な環境にあることがわかっている。ステレオタイプ的に「社会主義」とか「資本主義」とか「市場経済」といった言葉を特定の「国」に対して当てはめることの愚かさをよく示す事例である。こうした用語を用いる場合には、その概念をある程度彫琢した上で、事実を比較しながら観察し、その概念がどの程度当てはまるか、説明する力があるかを示した後で使うべきなのである。

なお、恐らくこの産業の比較については、近日中にこのブログに関連記事をアップすることになるだろう。




 ところが、79年2月にイランでホメイニ師が指導するイスラム革命が起き、隣国のアフガニスタンにも波及した。社会主義政権に反感をもつイスラム・ゲリラが29州のうち21州を支配し、首都カブールを包囲するような状況になった。放っておけばアフガニスタンがイランに続くイスラム共和国となる恐れがあり、隣接する自国領内のウズベキスタン、タジキスタン、トルクメニスタンへの波及を阻止するため、ソ連はアフガニスタンに介入した。
 結局、88年5月にソ連軍はアフガニスタン撤退を開始し、70年代からソ連の経済停滞が表面化して西側諸国に差をつけられ、国民の自由が制約されていても、第二次世界大戦の戦勝の威光によって国民の信用をつないでいたソ連共産党政権は瓦解した。
 東欧の解放やソ連の自由化は、ペレストロイカを進めたゴルバチョフ元ソ連大統領の功績として、彼の人気はアメリカでは高いが、むしろ第一の功績者は、ソ連の軍事的威信を失墜させたアフガニスタンのイスラム・ゲリラや、その蜂起をもたらしたイラン・イスラム革命の指導者ホメイニ師と言えるだろう。ゴルバチョフは就任直後にはアフガニスタンで大攻勢に出て、問題を軍事力で解決しようとしたが、それが失敗に終わったため撤退を決め、その後東欧、国内でもずるずると妥協を重ねざるをえなかったのだ。(p.170)


アメリカや日本などでのゴルバチョフ人気は、事実認識という次元よりはイデオロギー的なものであろう。自分達が依拠するイデオロギーから見て共感しやすかったため、好意的に評価した。旧ソ連などで人気がないのは、より生活に密着したところで「被害」を受けたからだ。

また、イラン・イスラーム革命は、極めて大きな事件であった。イランを知らずして世界の動向を把握することはできないと私は考えるが、そのことを示す事例の一つだといえる。実際、この後もイラン・イラク戦争、湾岸戦争、パレスチナ問題、イラク戦争など、どれをとってもイランと無関係では済まないのだ。もちろん、アメリカ合衆国もだが。

テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

田岡俊次 『2時間でわかる 図解 日本を囲む軍事力の構図 北朝鮮、中国、その脅威の実態。アメリカの軍事覇権の将来は?』(その2)

 日本としては、第一の当事者は韓国であることを念頭に置いて、北朝鮮に対応していくべきだろう。韓国が、北朝鮮の崩壊が自国の経済的破局につながることを警戒し、北朝鮮に経済援助をして体制は温存する代わりに、核開発をやめさせようとするのが合理的である以上、日本は、時に手法や順序で意見が違っても、基本路線では同一歩調をとるしか方法はないだろう。北朝鮮に残る拉致被害者とその家族の問題も、その過程の中で解決へ向かうはずで、ただただ北朝鮮を非難、排斥し対立を深めても、拉致問題が解決するとは考えにくい。(p.112)


概ね同意見である。日本では、報道のされ方などの問題もあるが、他国の視点に立った考察や、国を超えた枠組みから考察をするという習慣が全くというほど確立していない。極めて一面的で感情的かつ目的非合理な意見がしばしば見られる。

国単位でものを考える際にも、実際には「国のイメージ」を相手にしていながら、そのイメージを「国である」と実体化した上(「中国は●●な国(一党独裁国家、共産主義、人権抑圧国家等々)だ」とか「北朝鮮は●●な国だ」という本質主義的で「根本的属性認識錯誤」に基づく見解)で、かつ、それに無自覚な状態で言論を撒き散らす(だから自分の意見を信じ込んでおり、手に負えない)ということが往々にして見られる。

正直に言って、一般庶民がこの人間が陥りやすい錯誤を回避することはかなり困難だと思う。情報を流す側も政治的な問題に関しては、政治家という「国家主義」の発想からは立場上逃れられない人々と結びついた状態で流されるがゆえに、元のソースが「国家主義」の刻印を持つこととなり、それを脱構築なり再構築なりして報道することは困難だろう。そうした作業が介入することで理論化傾向が上がるので、新聞やニュースには適さないからであり、また、日々の仕事に追われるジャーナリストが毎回そうした知的作業を介在させることも限界があるからである。時間性からいって複層的なメディアが展開する(中長期的な視点からの時事評論も併在する)ことで、この難点は多少なりとも回避できるが、それでも時間性が長期になるほど知的に高い階層にしか届かないだろう。しかし、高い階層から情報が流れることが多い以上、無意味ではない。

つまり、ジャーナリスティックではなく、速報性をそれほど重視しないタイプの報道で、国家主義の刻印を超えるようなものが出てくる必要がある。しかし、テレビなどは財界(スポンサー)の意向が反映されることになるので、そうしたことも容易ではなかろう。簡単な解決策がない中でどうすべきかが問題となるが、やはりまずは学問的な世界でこうした誤った常識を覆し、知的世界から情報を発信していくことが望まれる。(すでにかなりやっていると思うが、文学系の「比較的いい加減な世界」から右派の論客が出ているので、歴史学や社会学などのもう少し事実との関係性の高い学問分野から、そうした分野への批判もあってよいのではないか。もう一つは経済学や財政学だが、それについては今回はふれない。)

もう一つは、他の国ぐにに行き、情報統制と民衆の係わり合いを見てきた経験から言えることは、その国に住む人が自国のメディアで報道されている内容にどのような偏向があるかについて、知識を持っており、それに対する自覚の程度が高ければ高いほど、メディアを批判的に読み解き、また、より幅広くより精度の高い情報や知識を求める傾向があるように思われる。その意味で、日本の場合にも、大して報道の自由度が高くないことやその理由についてよく知られる必要があると思われる。




 1980年代のアメリカは、対ソ連戦略上の「チャイナカード」と称して、中国の軍事力の近代化に協力した。(p.118)


中国の軍事力増強に対して批判・懸念する人々は、こうしたところからも批判すべきだろう。日本に跋扈するそうした言説が表面的で場当たり的なのには辟易する。




 日本人は冷たい国際政治の感覚に弱く、好き嫌いやイデオロギーで考え、外国を好きになったり信用したりしがちだ。(p.121)



その通りである。ただ、外国の人々も庶民は大抵そうである。国際政治の感覚が鋭いエリート層がどれだけいるかが重要なのではなかろうか。国際政治なんて、普段の生活では直接感得されないことなのだから、一般庶民にそこまで求めることは難しいだろう。

ブログのような庶民の言論の場でイデオロギー色が強いことも、こうした傾向の反映だと思われる。これは右派だけでなく左派にも言えるが、現在の社会における事実との整合性を考える限り、左派系のイデオロギーの方が事実に近く、解決の方策にも適合的であるとは言える。ただ、その場合でも、できる限りイデオロギー的であることを自覚することは重要であり、それを促していく必要はあるだろう。



 かつての日本では日英同盟(1902~21年)が絶対視された。当時の外務省は、「日英同盟は日本外交の“骨髄”である」と言っていた。いまは「日米同盟は日本外交の“根幹”である」と言う。動物が植物に替わっただけだ。
 結局、日英同盟はイギリスから打ち切られた。ロシア革命(1917年)と第一次世界大戦(1914~18年)によって、当面ロシアとドイツの脅威が消えると、同盟の必要はなくなり、アメリカは日露戦争後、日本に対する警戒意識を高めつつあったので、イギリスが日本とアメリカのどちらをとるかを迫られれば、日英同盟を更新しないのは当然だった。
 日本は次にドイツを信用して裏切られた。日独防共協定(1936年締結)を強化し、日独伊の三国同盟にするドイツの提案に日本が乗ろうとしたとき、ヒトラーが突然ソ連のスターリンと独ソ不可侵条約を結び(1939年)、日本の時の首相・平沼騏一郎(現、平沼赳夫経済産業大臣の義父)は「欧州の天地は複雑怪奇なる新情勢を生じ」と言って政権を投げ出してしまった。思想検事出身の平沼には、ナチスと共産主義者がイデオロギーの違いをこえて手を結ぶことは理解できなかったのだろう。だが、現実の国際政治は“利害の打算”で動くのであり、その観点から見ればポーランドの分割などでドイツとソ連の利害が一致し、不可侵条約を結んだことは少しも複雑怪奇ではなく、むしろわかりやすいことだった。(p.121-122)



日米同盟至上主義者や中国を共産主義・一党独裁などとして非難・排斥する人々は、こうした歴史的事実を重く見るべきだろう。日米同盟が米中関係を深めるのに邪魔だと思えば、将来的に破棄されることもありうる。中国と敵対関係を続けることは、将来的にはアメリカとの関係にも楔を入れる可能性がある。

両者から適度な距離を保ちながら、多国間関係の枠組みを構築することが基本的な路線とすべきだろう。

テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

田岡俊次 『2時間でわかる 図解 日本を囲む軍事力の構図 北朝鮮、中国、その脅威の実態。アメリカの軍事覇権の将来は?』(その1)
2003年に出た本なので、個別の情報はやや古いが、著者の考え方には共感できるものが多い。

 「北朝鮮が核弾頭をまだ保有していないとしても、通常弾頭を搭載した中距離弾道ミサイル『ノドン』が、日本の原子力発電所に落下したら大惨事になるのではないか」という声がある。しかし、その確率はきわめて低い。
 原子力発電所の中核部分、原子炉の格納容器の半径は約20メートル、ノドンの半数秘中界は半径約二キロで、その100倍。面積は半径の二乗に比例するから、原発中心部の面積はノドンの半数必中界の1万分の1になる。しかも、半数必中界とは、発射したミサイルの半分がその半径の円内に入るということだから、二万発のノドンを発射して一発が中心部に当たる確率になる。まさに“万が一”の確率だ。(p.60)



私もここで批判されているような意見を持ったことがあるし、今でもそうした懸念は消えていない。その理由を簡単に述べる。第一に、ミサイルの命中精度は上がりうるのではないかと思うこと。第二に、中心部以外でもミサイルが当たれば、原子炉が異常動作を起こす可能性はあり、原子炉の壁は衝撃や振動にも耐えるが、原子炉の機械自体は振動や衝撃に強くすることができないと聞いていること。

もう一つ、私が原発と防衛との関係で懸念するのは、ミサイル以上にテロの標的にされた場合の懸念である。アメリカの911テロは自作自演だったという説もあるが、仮にそうでないとした場合、同じような攻撃は原発に対しても不可能ではなかろう。原発に勤務している人間にそれを言ってみたら、コンクリートの壁はそれにも耐えるようにできているということだった。しかし、度重なる原発の事故を見ると、それもどこまで信じられるのか?という思いが強い。また、ここでは書かないが、もっとソフトなやり方(攻撃法)もありうると思うので、いずれにしても攻撃対象とされた場合、大きな被害を引き起こしかねない施設であると考えている。

もっとも、原発の場合は戦争より地震の方が危ないとも思っているが。




 日本のTMD(83ページ)にはいくつかの問題点がある。まず第一はコストだ。四隻のイージス艦をSM3搭載用に改造し、航空自衛隊がもっている対空ミサイル「パトリオットPAC2」を、ミサイル迎撃能力を備えた「PAC3」に援装する場合、1兆3000億円かかり、イージス艦を八隻に増やすことになると2兆3000億円かかるとされる。日本の自衛隊の装備費は陸海空合わせて年間9000億円程度なので、他の艦艇も航空機も一切購入せず、すべてをTMDに注ぎ込んで二、三年分という話になる。防衛庁の高官が、「私の家の風呂に象が入ってくるような話」と言ったことがある。五ヵ年計画だとしても、装備費の三分の一から半分をTMDに投じなければならないとなると、日本の防衛力は強化どころか大打撃を蒙ることになるだろう。TMD分の防衛費を増やせば別だが、それも財政危機の中でできそうにない。(p.82)



ミサイル防衛は金食い虫であり、ほとんど役に立たないMDに金をつぎ込むことは、純粋に財政の面から見ても、また、防衛力の面から見ても、マイナスであるように思われる。得をするのは、日本政府にミサイルを売りつけることができる日米の軍需産業(と、そこから接待してもらう防衛官僚、防衛族議員)くらいのものだろう。

そもそも、攻撃用のミサイルを改良する方が簡単なので、どんなにミサイル防衛を頑張ってみても、防ぎきれるものではないのだから、コストパフォーマンスが異常に悪いやり方である。こんな不合理なことをやっているということは、必ず何か「裏」があるということだ。




 NPTが生まれたのは冷戦たけなわの時期で、ベトナムでアメリカが苦戦し、ソ連が北ベトナムに莫大な軍事援助を行っているさなかにも、米英とソ連が核拡散防止では協力したのは、発電用原子炉は輸出したいが、他の国ぐにが核兵器をもつのは困るという双方の思惑、特に経済復興の著しい日本と西ドイツの核武装を阻止したいという狙いがあったためだった。
 NPTの順守を査察するためのIAEA(国際原子力機関)には約200人の査察官がいるが、そのうち約100人は対日査察員だ。東京・九段の事務所には約10人の査察官が常駐し、その他は必要に応じてウィーンの本部から派遣されてくる。現在ではIAEAの業務の二割以上が日本監視だ。ドイツはヨーロッパの原子力機関「ユートラム」に加盟し、その査察を受けているため、IAEAはドイツについては査察の一部だけを担当している。
 インド、パキスタン、イスラエルも核兵器を保有しているが、はじめからNPTに加わらなかった。日本が北朝鮮に続いてNPT脱退を宣言すれば、NPT体制は根底から覆る。旧ソ連の経済力は実際にはアメリカの四分の一程度、フランス並みでしかなく、技術水準もほとんどの分野でアメリカよりも低かったが、日本のGDPはアメリカの約半分であり、独・仏・英を合計した額に近い。全般的技術水準も旧ソ連より相当高いので、日本が核武装に踏み切れば、アメリカにとって旧ソ連と同様か、それ以上の軍事的ライバルの登場とみなされるだろう。
 93、94年頃、北朝鮮の核開発疑惑が出て、米国議会では北朝鮮の核施設に対する航空攻撃が論じられた。一部の政府高官を含む強硬論者は、「北朝鮮の核武装を放置すると、それを口実に日本が核武装する」と危険を訴えた。北朝鮮のような崩壊に瀕した最貧国の脅威を述べたててもアメリカ人の関心は低いが、「日本が核武装」といえば、「それは大変。北朝鮮を早めに叩くほうがましか」と思う効果を狙ったのだろう。(p.88-89)



NPTが日本や西ドイツを封じ込めるための手段だったことは銘記されるべき。

それ以上に、アメリカ(政府も一般の人々)も基本的には日本の核武装に対しては否定的であり、実際の政策から見ても、アメリカ政府に逆らいうるような手段を持つことに対して容認的な態度をとるとは考えにくい。アメリカ政府の中には、日本の軍事力を活用しようという意図はあり、その意味で日本の軍拡を支持する勢力もそれなりにいると思われるが、核武装まですることには否定的な者が多いはずである。

ついでに言っておくと、イスラエルは核を持ってもアメリカに攻撃するのは難しいが、日本の場合は隣国だというのもある。




 「憲法や法律の制約があるから、相手のミサイルへの先制攻撃もできない」と、タカ派の政治家や一部の新聞は言い、「トマホーク」の導入を求める声もあるが、実は法律や攻撃手段以前に、発射前に弾道ミサイルを発見することが技術的に不可能に近いのだ。このため防衛官僚たちはタカ派議員たちを「彼らはタカ派というよりバカ派ですな」と笑うが、正確な答弁を大臣にさせずに、適当に調子を合わして陰で嘲笑するのは責任感に欠ける。しっかり説明すれば、彼らにも国民にもわからないはずがないのだ。(p.91)



日本では軍事や防衛の議論は、何でも法律論になってしまう傾向がある。法律のレベルでの「できる・できない」の議論と技術的なレベルでの「できる・できない」の議論が混同され、整理がつかなくなると、上記引用文のようなタカ派の主張がでてくる。

テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌