アヴェスターにはこう書いている?
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「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

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岸本美緒 『世界史リブレット13 東アジアの「近世」』

 1550年代の「北虜南倭」の危機をなんとか切り抜けた明朝は、その後方針の転換をおこない、67年ころには「海禁」をゆるめて民間の海上貿易を許す(ただし日本への渡航を除く)とともに、70年にはモンゴルとのあいだに和議を結んで北方の交易を軌道に乗せようとした。この方針転換がおこなわれた時期は、東アジアの銀の流れからいっても一つの画期であった。それは第一に、日中貿易におけるポルトガルの台頭である。ポルトガルは1557年に民の官憲からマカオ居住の許可をえて中国沿岸に拠点を確保していたが、70年ころには日本の側でもキリシタン大名大村純忠の領内に長崎港が開かれ、長崎とマカオを結ぶ交易がポルトガルの手によっておこなわれるようになる。日本を警戒する明は日本人の中国来航や中国人の日本渡航を禁じていたが、その間隙を縫ってポルトガルは、日本の銀と中国の生糸という当時の東アジア最大のドル箱路線を確保して巨利をあげたのである。その後、日本銀産出のピークであった1600年前後まで、東アジアにおけるポルトガル貿易船の黄金期が続く。(p.12-13)



政治的な対立が第三者にとって有利になり対立している当事者間には不利になるケースがあるということをわれわれはよく覚えておいたほうがいいだろう。




当時の女真経済は、農業とともに狩猟採集に依存していたといわれるが、狩猟採集といっても獣を狩ってその肉を食べたり木の実をとって食べたりする素朴な自給自足経済ではなく、国際交易と深く結びついた貂や人参など特産品の狩猟採集であったことに注目する必要があろう。諸民族のいりまじる市場に若いころから出入りしていたヌルハチは、有能な武将であると同時にまた「商業資本家」でもあったのである。(p.45)



ヌルハチが「商業資本家」でもあったという指摘自体が興味深いが、もう一点指摘しておきたいことがある。それは「狩猟採集」という言葉が、普通は「素朴な自給自足経済」をイメージさせる傾向があるということ、そして、それと同時に、そうしたもの(素朴な自給自足)とは別のもの(国際交易の一部)でもありうるということ、である。

事柄の内実を見据えることの重要性、裏返せば、言葉のイメージだけで考えることの危険性を、このことは示唆している。




 清代は中国史上まれにみる人口増大の時期であった。とくに18世紀の100年間に、中国の人口は一億数千万から約三億へとほぼ倍増したと推定されている。こうした急速な人口増大を支えた少なくとも一つの要因が、特産品と自給作物を組み合わせた「棚民」たちの積極的な山地開発であったことは疑いない。16~17世紀に導入された新作物が、このような開発の進展を可能にしたのである。(p.76)



特産品と自給作物を組み合わせた云々というのは、次の自体を指す。

葉煙草のような集約的農法を必要とする商品作物が普及すると、それだけ食べるものを作る農地は少なくなる。それを甘藷やトウモロコシのような痩せた土地でも栽培可能な新作物が補完した。
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佐藤武敏 『長安』

つまり黄土は農業に好適な土地である。西安周辺で早くから農業が営まれ、聚落が発生するようになったのも、そうした恵まれた自然環境によるのである。(p.17)

 西安地方の農業の発達は土壌だけでなく、河川に負うところが多い。そのあたりには多くの河川が流れ、時代により水道が変化した。(p.18)

高祖は決定しかねていたが張良が婁敬の説に賛成したので、長安の首都が決定したという。張良のことばは次のようになっている。

 [洛陽は]土地が狭く方数数百里にすぎず、しかも痩せていて、四方から敵を受けます。これは用武の国ではありません。ところが関中の地は、殽山、函谷関を左にし、隴山、蜀の岠山を右にし、沃野千里、南には巴、蜀のゆたかさがあり、北には胡、大宛との通商の利益があり、三面(南北西)は天険のへだてがあり、ただ一面(東)をもって諸侯を制すればよいのです。・・・(中略)・・・

 以上、婁敬と張良の説によって考えると、長安が都として撰定された理由は、一つは軍事的な要衝であること、もう一つは農業生産にめぐまれている地域であること、に帰することができるであろう。(p.40-41)



以上、西安が都として選ばれた理由に関連する記述の一部を引用した。交易の要衝である点について本書では扱いが軽い。この本の原本は1971年に出たものなので(本書はそれの改訂版)、そのことが影響しているものと思われる。

本書が今書かれるなら、異なった地域間の交通の要衝たりえた地理的な位置がもう少しクローズアップされているだろう。

実際、婁敬と張良らの説でも、大宛との交易について書かれているのに、著者は、これをまとめる際に軍事と農業にしか触れていない。これは不当だろう。

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大西みつぐ 『デジカメ時代のスナップショット写真術』

 そんな優れた写真を見るにつけて思うことは、少なくともスナップショットは単なる「ジャンル」や「撮り方」ではなく、時代、社会、世界ときっちり対峙していく「仕事」ではないかということだ。あるいは、写真家の積極的な態度そのものではないかと思えてならない。(p.46)



この考え方は本書に一貫して見られる。




 もともとスナップショットとは「急に射落とす」という意味の狩猟用語からきていた。・・・(中略)・・・狩人が槍や弓矢などを使い、大地を駆け巡り動物を狙うという身体感覚がその原点といえる。身体の自然な反応、直感に頼るべきところも大きい写真撮影のひとつの方法なのだ。(p.46-47)



ここにはある種の攻撃性が含まれる。だからこそ、(大抵の場合、)被写体に対する敬意や愛情が必要になるという面もあるのだろう。




あらかじめあまり言葉で行動を規制しない方がよいだろう。テーマなど撮っているうちに出てくるだろうぐらいの気持ちでもよいと思う。
 もちろんルポルタージュのようになにがしかの問題意識に支えられテーマを設定し、そのことについての調査、分析を綿密に行い、取材撮影していくというオーソドックスな方法も選択できようが、カルティエ=ブレッソンの「逃げ去るイメージ」ではないが、絶えず動いている現実世界にまず身体を潜り込ませてみながら、現場で感じた、あるいは捕まえようとしたイメージの本質を見究めようという真摯な態度さえあれば「テーマ」は自然に見つかる。また向こうからやってくるはずだ。案ずるより産むが易し。まずは「現場」に行ってみよう。(p.73)



河本英夫のオートポイエーシスに通じる。テーマは言葉で表されるものとして出てくる場合、それは「観察者」によって認識されているものである。ここでは、それは撮影するという「行為」の連続によって産出されてくるものによって観察可能なものになっていく。絶えず動いている現実世界と共に、その中で行為することによってテーマができてくるから、そのテーマは被写体を含む世界を捉えたものになるだろう。うまくいけば。。。

また、「絶えず動いている現実世界」に「身体を潜り込ませ」るというのは、多少の違いはあるが、マックス・ウェーバーから学んだSachlichkeitに通じるものがあると感じられた。少なくとも、私にとってはそれを想起させるものであった。「対象に就く」という姿勢は少なくとも共通している。このことは物事をよく認識するためには必要条件だからだろう。




確かにそこに立ち寄ったという「痕跡」のようなものが感じられるはずだ。・・・(中略)・・・旅先での身体の移動や言葉づかい、人の存在、そして撮り手である私のなにがしかの「経験」を想起させるはずだ。
 旅で人に出会う、本当は普段の生活でそういうことがうっとうしくなり旅に出たはずが、わざわざ人に出会うことになってしまう。そんなハプニングが旅の最大の楽しさなのかも知れない。ブラリと立ち寄った先で、土地の人々と気軽に言葉を交わし写真を撮らせてもらう、そんな自由を喜びたい。旅先で他者の日常と自分の日常をそっと交差させるところにほのかな旅情が生まれると信じている。(p.134)



旅行での写真についてのこうした考え方には共感するところが多い。ただ、説明なしに他人に見せて意味がわかるようなものにはなりにくいとも感じている。それだけのものがそれなりの割合で撮れるとすれば、かなりの腕前なのではないかと思える。技術的な問題よりセンスの問題として。

まぁ、いずれにせよ「絵葉書のような写真」だけではなく、こうしたものを撮ろうとすることは旅においては大切なことだろう。旅と撮影を楽しむ上で。

要するに、

「旅で写す」のではなく「旅を写す」。旅そのものを写していくという考え方でいけばもっと楽しくなる。(p.137)



ということかな、と。

風景写真や建築写真などは、ある程度の下調べや事前のコンセプト(テーマ設定)などが必要な面もあると思うが、出会った人や街角でのふとした出来事などを撮る場合には、むしろ以上で引用した文章のような姿勢の方が適しているように思われる。

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カッシーラー 『人間 シンボルを操るもの』

 それゆえに、もし我々が、神話的知覚および神話的想像の世界を説明したいと思うならば、我々の認識および真理の理論的理想という観点から、両者の批判を始めてはならない。我々は神話的経験の性質を「直接的な性質たること」としてとらえねばならない。なぜならば、我々がここで必要とするのは、たんなる思想または信念の説明ではなくて、神話的生活の解釈である。神話は教理的信条の体系ではない。それはたんなる心象または表象であるよりも、はるかに行為なのである。このような見解がますます有力となったのは、近代人類学および近代宗教史の確固とした進歩の結果である。歴史的な意味も、心理学的意味でも、儀式が教理に先行するということは、今日一般に承認されているマキシムであろう。(p.173)



カッシーラーの神話に関する知見は、かなり含蓄に富むものが多いが、この箇所は私の関心と比較的近いところを捉えているところの一つ。

神話を行為として規定している。この箇所については、社会的側面については当時の社会科学的な研究の成果に依拠しているだろうが、認識論的な側面について言えば、理論的にはカントの超越論的主観性における構成的な性格から来ているものと推測する。それが(恐らく結果的に)ポイエーシスに繋がっている点に私は着目する。カントの超越論的観念論が主体的な行為の契機、認識作用が行われるシステムの作動を部分的に捉えていると見ることができるからである。




外国語の「精神」を体得したとき、我々はつねに、新しい世界、その外国語独特の知的構造をもつ世界に近づくという印象をもつ。それは知らない土地の探検旅行のようなものであり、このような旅行で得られる最大の収穫は、我々の母国語を新たな観点からみることを学んだ点にある。(p.281)



ある言語の同一性をやや安易に受け入れてしまっている点(★注1)には注意が必要だが、その点を除けばなかなか良いことを言っている。

これは言語に限らず、文化的な現象一般について常に言いうることであろう。多様なものを知ることによって、様々な差異を学び、それを鏡として自らが自明として受け取っているものを捉え直す。

私はよく本を読むし、旅行もするが、その面白さの一つはこうしたところにあるといっても良いと思う。

(★注1)例えば、「ウズベク語」と「ウイグル語(?)」の話者は相互にほとんど意思疎通ができるそうだ。その場合、こうした「自己規定」――こちらはウズベク語であり、あちらはウイグル語である、として規定すること――のもつある種の怪しさが浮かび上がる。






しかし、歴史的事実とは何であるか。あらゆる事実的真理は、理論的真理を含んでいる。我々が事実を語るとき、我々は、直接の感覚素材だけを基礎とはしない。我々は、経験的な、すなわち客観的な事実を考えているのである。この客観性は与えられているものではない。それは常に判断の作用および複雑な過程を含んでいる。・・・(中略)・・・。歴史的知識の第一歩は、観念的な再構成であって、経験的な観察ではない。我々が科学的事実とよぶものは、つねに我々があらかじめ、組織化しておいた科学的な問に対する答である。しかし、歴史家は何に対してこの問をむけ得るであろうか。(p.368-369)



事実の「理論負荷性」の主張である。カッシーラーはこの点についてそれなりに明確な考えを持っていたようだ。本書の解説でも野家啓一氏が別の箇所を引いて次のように述べていることからも、それは明らかだ。

科学の事実はつねに理論的、すなわちシンボル的要素を含んでいる」(132頁)のであり、それは単なる観察的事実ではなく、すでに一種の仮説的事実にほかならない。これは明らかに事実の「理論負荷性」の主張であり、それがN.R.ハンソンの提議に15年を先んじていたことは科学哲学の歴史の上で特筆されてよい。(p.491-492)



解説のこれに続く箇所で野家氏が簡潔かつ的確にカッシーラーのシンボル形式の哲学についてまとめているので、引用しておきたい。

 以上三つの章を概観してきたことからも明らかなように、カッシーラーにとっては、人間から独立した純粋無垢の「生の事実」なるものは存在しない。あらゆる事実はシンボルによって媒介され、シンボル形式によって構成されているのである。これがカッシーラー哲学のアルファにしてオメガにほかならない。その点で彼はあくまでもカント主義者であり、シンボル形式はわれわれの経験を組織化する枠組みという意味でカントの悟性形式、すなわちカテゴリーに相当する。しかし、カントのカテゴリーがわれわれの認識能力にアプリオリに内在する普遍的にして不変的な構造であるのに対し、カッシーラーのシンボル形式は経験に論理的に先立つという意味でアプリオリであるが、それは学習を通じてアポステリオリに獲得されるものであり、しかも固定的なものではなく、歴史的変化を受け入れる可変的で可塑的な構造である。(p.492-493)


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