アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
プロフィール

ツァラトゥストラ

Author:ツァラトゥストラ
「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

FC2ブログランキング

FC2ブログランキング

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

黒田美代子 『商人たちの共和国 世界最古のスーク、アレッポ』(その2)

ともあれここでは、不思議なことに大資本に系列化された大型ストアーは成功しない。それはよくよく考えてみれば、スーク、つまりメディーネそのものが、商人の数ほど多くの共同出資になる、一大コンビニエンス・ストアーであるためかも知れないのである。(p.106)



コンビニというよりはデパートの方が近いかもしれない。コンビニは店舗が分散しているが、デパートは一箇所に集中している。スークも個々の商店が一つの場所に集中しているのだから、デパートの方が比喩としては近いだろう。

スーク自体がデパートみたいなものだというアイディア自体は、それほど間違っていないだろう。そして、伝統や慣行などの問題ではなく、先行して一大マーケットが既にあるからこそ、後発の大型ストアーは成功できないという側面があるのではなかろうか。ただ、後発であれそちらの資本がスークの資本を上回っており、品揃えなどの点で上回っていれば、逆転することは可能であるように思われる。

現在のU.A.E.やカタールのスークはほとんどデパートと区別がつかないようなものもあるように私には見えた。もちろん、これらの地域にも、古くからのスークも小奇麗になってはいるが残っているけれども、雰囲気としてはスークというより日本の商店街や台湾の夜市のようなものとも通じるものだと思う。少なくとも私がこれらの土地に行って見てきた限りではそう感じられた。イランやエジプトほどの「スーク特有の雑然とした感じ」は薄まっていたように思う。

こうした印象が上述の私の判断を支えているように思う。




 「最初は弟にも迷惑はかかるのでしょうが、アーディルの商売が減ることもないし、私も私で、軍人の給料よりは遥かに良いですからね。私たちの場合は兄弟ですが、スークでは先ず仲間同士でムシャーラカという共同事業をし、資産が貯るとそれぞれ独立していくのは当り前のことです。」
 確かにこれまで聞き及んだところでは、このようなケースが多い。機会があれば、なるべく多くの者に独立の自由を与える。多極化、個別化は、ここではごくありきたりの、当然のプリンシプルなのである。資本や取引高は、一極に集中、肥大しないで、いつも細胞分裂する傾向にある。基本単位はものではなく、ひとなのである。(p.130)



このムシャーラカという仕組みは極めて興味深い。このシステムは昔から続いているのだろうか?もしそうであれば、いわゆるヨーロッパ列強が中東やインドに進出してきたときに、なぜヨーロッパ勢力が優位に立つことができたのかということを説明する際、このシステムがある役割を果たしたのではないか、と推定することができる。

当時のヨーロッパは国民国家ないし主権国家の体制を作りながら、経済的にはそうした政治的な権力をも利用した大商社が大きな資本や多数の人間を動員して経済活動を行い、この経済活動から政治システムも税という形を通して補強を受けるという循環的な関係が成立してきた時代だったといえる。オランダやイギリスの東インド会社などをイメージすると分かりやすいだろう。

ヨーロッパ勢力がインドや中東を訪れるには、単にそれだけでも多大な資金や人材が必要になる。艦船は大型化し大砲の搭載も可能になった。平和の海であるインド洋ではそのようなものはなかった。

イスラーム世界では政府が私経済にそれほど強く干渉しなかったため、政治的な後ろ盾のありようもヨーロッパ列強とは異なっていた。これらのバランスによってヨーロッパの商社は軍事的な優位性を確保できた。

イスラーム世界の商業のシステムが本書の言うように多極的なものだとすれば、個々のアクターの力はそれほど大きくないが、スーク全体の経済活動は巨大であるという状態になっているはずである。スークにおいては遠隔地との交易はワキールが取り仕切っている。政府の後ろ盾を持っているため可能となった巨大な大砲つきの艦船の武力によって、これら個人単位のワキールたちをヨーロッパ商人が押さえてしまえば、そのワキールと交渉するすべての商人たちから少しずつの富を収奪することができる。

イスラームの経済が比較的分散型のネットワークであるからこそ、それらの個々のアクターよりも強力なアクター(ヨーロッパ勢力はちょうどこの時期、大砲などの武力で優っていた)は、たとえ数が少なくても、これらのネットワークに切り込みやすく、しかも、分散型ネットワークにもハブ的な存在があったため、そのハブ(ワキール)を押さえることによって、ネットワーク全体から富を収奪できるという関係が成立し、その積み重ねが中東やインドとヨーロッパの経済的地位の逆転に繋がっていったと見ることができないだろうか。

もしそうであるとすれば、ブローデルが説明したイギリスがインドの上に君臨したメカニズムとほとんど同じ論理で、中東もヨーロッパに優位な地位を譲り渡したと説明できるように思われる。
スポンサーサイト

テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

黒田美代子 『商人たちの共和国 世界最古のスーク、アレッポ』(その1)

旅慣れぬ金満大国の日本の旅行者たちは非常にしばしば、阿漕ぎな悪徳商人の餌食になりがちである。世界にはどこにでも、金のありそうなお上りさんをカモにしようと待ち構えている、雲助のようなワルがいる。価格が一定でないばかりに、このようなワルの悪乗りを抑えられないところは、確かに交渉方式に不都合な点である。これは否定し得ない一つの側面であるが、同時にスークはこれを防止するためのさまざまなからくりを持っているのである。ここではその一つだけを挙げてみよう。
 スークに特徴的なことは、特定のクォーターに特定の商品を売る同じような店がいやという程集まっていることである。あるクォーターは金銀細工、隣は絨毯の専門店、次には布地を売る呉服屋等々。ものを買うには値段に関する正確な情報を手に入れることが最も肝要であるが、例えば香料を買いたいと思うならば、香料の専門店が集まっているクォーターに行きさえすればよいのである。目ぼしい店の両隣、もしくは向かいの店を何軒か訪れさえすれば、買いたいものの値段、質など重要な情報はすぐに手に入るのである。不正確な情報にもとづいて売買することは愚の骨頂であるが、堅実な買い手ならばものを買う前にまずその相場を調べることであろう。さもない場合にはごまかされるか、富める者は多くを支払うという原則に従う結果になることを覚悟せざるをえないのである。
 スークのこの作りは、同時に商人たちに一種の自制を強いるような機能を持っているのではなかろうか。左右、向こう隣に同じ様な商品を売る店が数多くあるとすれば、どうしても不釣合いに悪い品を高く売るなどということはできないのである。顧客を自分の店につなぎ留めるためには、商品の質、値段について常に十分な注意を払うばかりでなく、それ以外にも人柄、知識などを介して彼らに有形、無形のサービスを提供しなければならない立場に置かれるのである。スークのこのような形態的な構成は、商行為にまつわる不正を自然にチェックする役割を果たしているが、それは翻ってまた商人たちの不当な競争を妨げることにもなっているのである。(p.24-25)



中東のスークでの買い物の仕方についての簡単な指南になっていると同時に、そのシステムが持つ「合理的な」側面について簡単に説明している。

ただ、同業者が同じ区域に集まるのは、売り手に適度な競争を生じさせると同時に買い手に多様な商品へのアクセス可能性を保証するだけでなく、引用文の例で言えば香水を買おうと思ったときに、どこに行けばそれが手に入るかということ自体を、買おうとする人に知らせるシグナル(一種の広告)にさえもなっているなど、様々な意味をもっている。

本書では述べられていないが、市街地における商品の配置にも基本的に規則性があるなど、中東の都市やスークは、調べれば調べるほど、知れば知るほど奥の深さが感じられ、その世界独特の合理性に満ちていることに驚かされる世界である

ちなみに、私自身、中東のスークには、ある程度の適応能力がある人には是非一度行くことを薦めるようにしている。(そうでない人には薦めないようにしている。(笑))




 実勢50パーセントに近い部分(※引用者注;90年代アレッポにおける経済活動のうちスークが関わる部分)が白昼堂々と隠蔽される背景には、現代の経済学者の方法論が深く関わっているであろう。先に述べたように、スークの交換経済は簡単に計算の可能性を受け入れない。多くの経済学者はそこで、計算不可能なものをインフォーマルなものとして頭から無視してしまうのである。そもそもこれは扱いにくいし、その占める率も先進国においては微々たるものである。ただし発展途上の国々に、これと同じ事態を想定することは妥当であろうか。アレッポの例にも明らかなように、それは実状無視も甚だしいといえるであろう。
 計算不可能ないわゆるインフォーマルな部分は、途上国ではかなり大きな割合を占めており、同時にそれは後に指摘するような意味で、忘れ去られてはいるがそれなりの重要な役割を果たしているのである。(p.28-29)



方法論や概念が、それを用いることによって、そこからこぼれるものを無視してしまうことの好例。




 東南アジアでも、南米でも、第三世界においては資本主義の<陰>の部分として、さまざまなかたちで二流品、中古品、闇取引と関わるインフォーマルな部分が占める比率は予想以上に高い。経済的に規格レヴェル、つまり<陽>の水準に手を及ぼしえない者たちが、足を踏み入れざるをえない部分がインフォーマル部門なのである。この部分は極めてしばしば、フォーマルな部分の反映、裏側の影といったかたちで姿を現す。アレッポの例でいうならば、これは(3)の定期市の経済活動がこれに当たるであろう。
 ただし長らく伝統的な商業で栄えたシリアのアレッポのような町では、とりわけその古い商業区、伝統的なスークにおいて、依然として古式豊かな、特別な商業形態をとった経済活動が行われているのである。(p.73)



日本も今後、こうした闇市場などのインフォーマルな経済活動が増えていくに違いない。規制緩和がいろいろな分野で盛んに行われているが、その結果として出来ている面も大きい。イスラームのスークの場合は、その世界独特の構造を保持しており、しかもそれが変化しながらも長期にわたって持続的に続いていたのに対し、日本の場合は安定的な構造が脆弱なシステムになるだろう。

また、若干意味合いは異なるかもしれないが、労働の分野では派遣労働の増加やその不法な扱いなども、日本における闇経済、インフォーマルな経済活動が拡大する予兆と見ることもできそうである。単に交換だけでなく、さらに大規模なトランスフォーメーションが進みつつあるのが現状であろう。

テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

星浩 『安倍政権の日本』(その2)

 図3-2は、05年総選挙時の朝日新聞の出口調査から自民党支持層が比例区でどこの政党に投票したかを聞いたものと、公明党支持者が選挙区で何党の候補に投票したかをたずねたものである。(単位は%)
 自民党支持者で比例区は公明党に投票したのは7%にすぎず、民主党に投票した13%よりも少なかった。これに対して、公明党支持者で選挙区の自民党候補に投票したのは74%に達している。すなわち、自民党支持者は公明党にあまり流れていなかったが、公明党支持者は、律儀に連立のパートナーに投票しているのである。公明党の得票数と重ね合わせれば、公明党支持者のうち650万ほどが自民党候補に投票して、自民党の勝利を支えたことが分かるのである。
 東大教授の蒲島郁夫らの分析によれば、05年総選挙の選挙区で当選した自民党の219人のうち、公明党の支持がなければ落選した可能性がある候補者は70人近くに達するという。自民党にとって、国政選挙を勝ち抜くには公明党の協力が欠かせなくなっているのである。(p.102-103)



この結果には素直にビックルを一気飲みした。

自民党支持者は公明党にはあまり入れないが、公明党支持者は自民党に入れまくっているという図式は、いかにも学会員らしい、という感じがする。しかし、それにしても219人の当選者のうち70人が落選していた可能性があるというのは驚異的だ。彼らが民主党に投票して70人の民主党議員が誕生していたとしたら、自民党149対民主党122になるのだから。




広井良典氏との対談。

広井 安倍氏がもし地方重視政策をとるのだとすると、商店街再生などを含んだ地方経済の復興、地域社会の再興といったことがイシューになると思うんですが、『美しい国へ』の中には、そういったことは何も書いていないですよね。(p.153)



安倍は地方重視政策などはとらないだろう。リップサービスで票だけは掠め取ろうとするだろうが。




広井 格差の問題に関しては、フロー(所得)の格差と同時にストックの格差が問題だと思います。社会の不平等を測る尺度として、ジニ係数があり、これは1に近づけば近づくほどその社会は不平等であるということを示し、0.5以上になると政策的手当てにより是正が必要と一般に言われているわけですが、2002(平成14)年に発表された1999(平成11)年全国消費実態調査(5年ごとに実施)によると、2人以上の一般世帯の収入のジニ係数というのは、0.301だったんですね。
 まだそれほど不平等ではないという見方ですね。
広井 しかし貯蓄のジニ係数をみると、これは0.542と、かなり大きい。また住宅・宅地資産におけるジニ係数は、0.577とさらに大きくなっている。収入というフロー面の格差も徐々に拡大していますが、それ以上に資産というストック面での格差が広がっていることが見てとれます。
 ・・・(中略)・・・
広井 「再チャレンジ」以前に、「チャレンジ」すらできない、チャレンジを保証する「機会の平等」が崩れてきていることが今の問題です。資産の不平等がこれだけ広がってしまうと、スタート地点からして恵まれている人と、恵まれていない人では違うところに立っている。相当のハンディキャップを背負っているわけです。(p.158-159)



所得の格差以上に資産の格差が大きく、人生のスタート地点から大きな不平等が存在している。それ故、再チャレンジどころかそもそもチャレンジすらできないという指摘は極めて重要である。

機会の平等が失われているのは、「結果の平等」がもたらしている、ということをもう少し強調すべきだろう。機会の平等を確保するということを隠れ蓑にして、結果の平等には配慮しないというのが、新自由主義を主張する勢力の言い分なのだから。

もう一度繰り返す。「結果の平等」というのは、事実上、ある時点での「状態の平等」である。平等とはいっても完全に同じ状態というのはありえないので相対的なものだが、この「状態の相対的な平等」が崩れていることが、そのまま「機会の不平等」になるのである。

再チャレンジどころかチャレンジすらできないのは、所得や資産の配分の不平等が原因であり、それを再配分することが政治のなすべきことである。




 それはありえますね。明確な政策論ではなく、アメーバ的な戦術論で、異論も取り込んでいく。昔、竹下元首相がよく言っていたことと近いかもしれません。「自民党は社会党の政策を5年遅れで実現すればいい」とか「改革をつぶすにはどうすればいいか。改革を実行してしまえばいい」とか。
広井 安倍氏の「開かれた保守主義」という言葉の陰には、そういう狙いが見える気がします。そうなると有権者が選択した政策が実行に移されるのではなく、一部の政治家と官僚が国民の見えないところで価値観や政策の選択をするという一種の「賢人政治」が続くということになってしまう。国民や市民が選挙を通じて選択するという形にならない。(p.162-163)



なるほど。これに次の点を付け加えておこう。

竹下は「改革を実行してしまえばいい」というが、安倍の場合は恐らく「改革を実行したようにみせればいい」というスタンスが近いだろう、ということだ。異論を取り入れてしまうのではなく、異論を取り入れたように見せかけるだけということが多いように思う。安倍晋三という人間の器量の小ささを考えれば、自ずとそういわざるをえないだろう。

その意味で、竹下などより遥かに悪質だといわざるをえない。民意とは別のところで個人的な思い入れだけで政策を実行していくのだから。




次は、李鐘元氏との対話における李氏の発言。

 もう一つ、安倍氏は政権公約で「日米同盟強化」を主張していますが、アメリカの、しかも特定の政策潮流にコミットし続けるリスクについては、あまり言及しません。アメリカのアジア政策というのは、必ずしもアジア地域の利益を考えて展開されているわけではない。やはり自国の国益が最優先なわけです。今はたまたまネオコンの影響力が強くて、強硬姿勢が前面に出ており、安倍さんの北朝鮮への姿勢もそれを背景にしていると思うのですが、アメリカは強硬姿勢以外にもいくつもオプションを持って行動している、そこを見なければならない。(p.177)



まったく同感である。強硬策を唱える人間というのは基本的にバカなので、そうした多様なオプションにまで頭が回らないようだが、政治家、それも首相を務めるような人間がそのような低レベルであっては困る。

最近の事例で言えば、北朝鮮への金融制裁解除などが強硬策以外のオプションと言える。

アメリカとの同盟関係は太平洋を挟んだ隣国であり、世界最大の経済および軍事大国なのだから、必要ではあるとしても、ある程度の距離を置いて日本側から牽制できる要素がある形にしなければならないはずである。「日米同盟強化」の内実は、アメリカ撤退の変わりに自衛隊を増強し、アメリカがイラクへの侵略のようなマネをしたときに、自衛隊を動員することに過ぎない。自衛隊の装備や人員を増強するために税金を払うわれわれには何の得にもならない。

アメリカ国内にも様々な意見がある。どう考えても一枚岩ではない。例えば、日本の再軍備に対しても積極的な勢力と慎重な勢力がいる。アメリカとの付き合い方は様々な角度から考えなければならず、昨今の日本政府のような、そのときのアメリカ政府からの要望をすべて丸呑みしていくようなやり方ではこの島国に未来はないだろう。

テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

星浩 『安倍政権の日本』(その1)

 今回の総裁選の経緯は第二章で詳述するが、安倍の有力な対抗馬とみられていた福田康夫が不出馬を決めた段階で、安倍の優位が確定的となったことは間違いない。その後は、谷垣、麻生の出身派閥以外の各派の多くが雪崩を打つように安倍支持に回り、無派閥議員も次々と安倍支持を表明した。
 この雪崩現象をもたらした最大の原因は、衆院の小選挙区制にあるように思える。96年以来、4回の総選挙が重ねられ、小選挙区制は定着してきた。自民党の選挙担当者によると、中選挙区制時代には自民党議員の6-7割は、順位は別として次の選挙で当選するのは間違いないと思っていたが、小選挙区制で当選確実と自信を持つ議員は全体の2割程度ではないかという。それだけ選挙が厳しくなり、国会議員の足元が不安定になっているのだ。
 その結果、議員たちは次の選挙を考えて、人気の高い総裁を期待する。(p.12)



この見解には私も同意する。そして、このことは議員の足元が不安定になってしまったことによって、各議員が自分と政策が近いかどうかといったことを合理的に考えて総裁を選ぶことができなくなった、という意味にもなる。

つまり、政策よりも「自分が当選する可能性を挙げてくれるイメージのよさ」を総裁に求めてしまったということだ。こうして選ばれた総裁が政策の方向性を決め、党議拘束などをかける。結果として、「政策本位」と口先で言われるのとは全く異なる状況が展開することになる。

しばしば政治評論家たちは最近の政治状況について政策本位になってきたなどと言うが、それに騙されてはならないだろう。

昨今の政治がまったく機能していない大きな原因はこの小選挙区制にあると私は考えている。比例代表制を中心とする制度に改めるか、または以前のような中選挙区制に戻すべきであろう。

なお、余談だが教師に対する免許更新制も、政治家に対する小選挙区制と同じような効果をもたらすものである、ということを付言しておこう。いずれも「生存競争」を激しくすることによって、各主体は「自分が生き残るための直接的な手段」が最優先される。その結果、彼らの地位が確保された上で本来なすべきことが疎かになる、と言っておこう。




 57%対43%。この数字は、05年の郵政総選挙で自民党と民主党の選挙区での得票数を比べたものである。議席数は自民219、民主52で、81%対19%に広がっている。一票差でも勝つという小選挙区の効果によって、得票数の差が議席数になると大きく広がるのである。自民党と民主党の得票差は14ポイント。この差を大きいと見るか、小さいと見るかは意見が分かれるが、100人中7人が投票行動を変えると、自民、民主両党が同率になると考えれば、そう大差ではないとも受け止められる。
 小泉自民党の圧勝といわれた郵政総選挙でさえ、7ポイントの変化で結果が大きく変わるとすれば、自民党の勝利は磐石だったとは言えないだろう。まして、この総選挙でも公明党・創価学会が自民党を全面支援していたから、自民党の自力はそれほど強まっていないともいえるのである。(p.35-36)



これは妥当な分析である。

郵政総選挙の結果とは裏腹に、自民党の弱体化は確実に進んでいる。それはそう遠くない未来に政界再編へと繋がるだろう。その際、それがどのような形でなされ、どのような勢力分布になるのかは、十分な予測が立たないが。

なお、憲法改正との関連で見ると、小選挙区制は改憲派に有利である。こうした雪崩現象で一挙に大多数の議席を取ることが可能になるから。その上、議席を取った後の議論は、上で引用した自民党の総裁選のように政策の中身を合理的に議論するのではなく、総裁の専制的な支配がまかり通るのだとすれば、政治の最小限の健全性すら担保されていないことになる。そのような状況で最も基本的な政治的枠組みである憲法の議論をするということ自体、極めて危険性を孕んでいると言える。




中選挙区は、各選挙区で複数の自民党候補が立候補して、しのぎを削る。それが派閥の根っこにあったのだが、すでに小選挙区の下で4度の総選挙が重ねられ、派閥のよって立つ基盤はなくなっている。(p.46)



小泉によって派閥政治からの脱却がなされたと巷では思われているが、彼は既に基盤を失っていたものに、引導を渡したに過ぎない。そして、ここでもその根源にあるのは選挙制度、すなわち小選挙区制である。

中選挙区制が派閥の基盤であったという認識は、自民党という政党を見る際に極めて重要である。以前メインブログに書いた「政治の市場化」というエントリーは、こうした視点を加えて深めていく必要があると感じている。

小選挙区制→派閥の弱体化→各議員の分断・個体化→党内の専制的支配(中枢部の権力の飛躍的かつ相対的な増大)

という流れである。

派閥が弱体化することによって、安倍政権のような個人的な人脈に基づく人事が容易になされてしまい、総裁の党内での権力が強化される。また、首相としても独断的な行為が可能となってくる。

その上、野党の議席は得票数の割に少なくなっている場合には、ほとんど民意の反映されない政治システムになっている。そして、これが現状であろう。




 もともと、福田が総裁選に出るかもしれないという話の震源地は小泉のいる首相官邸だった。郵政総選挙で圧勝し、総裁任期を一年残す小泉が死に体にならないためには、有力な対抗勢力が必要だった。小泉の靖国神社参拝を含むアジア外交を批判している福田は、対抗勢力にふさわしかった。(p.56-57)



なるほど。




 小泉は、米国のブッシュ大統領との個人的な信頼関係を築いて、日米同盟を固めた。それは、自民党内の基盤が必ずしも強固ではない小泉にとって、国内政治的にもプラスとなる判断であった。すなわち、自民には、きわ党内「傍流」の小泉にとっては、米国が全面支援していることが、国内政治のパワーゲームめて有益だったのである。
 その構図を熟知していた小泉は、就任早々、ブッシュ大統領の別荘キャンプ・デービッドに滞在し、親密な関係を演出した。さらに、01年9月の米国同時多発テロの直後には、ブッシュ大統領の判断を全面的に支持した。(p.98)



この事例は、アメリカとの関係は国内政治的な要因とも関連させて見ることも重要だということを示すものである。

この事例は、日本という地域の世界システム内における地位の低下を端的に示すものでもある。こうした外国勢力の後ろ盾を必要とするという事態は、諸外国、特にいわゆる発展途上国と言われるような地域では常態である。それゆえ、そうした地域ではデモクラシーの政体が持続することは困難なのである。

それと同じことが日本でも起きているというわけだ。こうした後ろ盾がなければ国内政治における政権の正当性を十分に確保できないという点では、「周辺」的な諸国の状況と変わらないということだから。このことは上のいくつかの引用文を使ってコメントしてこと、すなわち、議会制デモクラシーが機能しなくなっているという現状とも一致している。




テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

ウィリアム・H・マクニール 『世界史』(その2)

 特徴的だったのは、重要な新製品が作られるたびに、それが他の新しい産業の創設を必要とし、あるいは可能にしたことである。例えば、自動車の発明は、タイヤの需要をよびこみ、その結果ゴム産業に大変革をもたらした。電気産業が鋼産業に与えた影響も同じである。電流用の伝導体として、銅が使われたからである。(p.485)



 第一次世界大戦後の世界について述べている箇所。ブローデルも同じような指摘をしている。この「行為の連鎖」こそ、オートポイエーシスにおけるシステムの作動であると思われる。




第一次世界大戦は日本人にとって絶好の機会となった。イギリスをはじめとする西欧諸国が戦時体制に入ったため、ヨーロッパ製品はアジアの市場からほとんど姿を消してしまった。こうして日本人は、繊維製品などの軽消費財を売りさばくためのアジア市場を手に入れたのである。戦後ヨーロッパ製品がふたたびアジアに入ってきたとき、すでに日本製品は手に入れた地盤を守れるだけの立場にあった。安い労働力と効率的な新式の機械とのおかげで、他の国々には太刀打ちできない低いコストで商品を作り出せたのである。(p.532)



 マクニールにしては珍しく経済が扱われており、世界全体の共時的な関連性にも配慮されている。明らかに世界システム論的な見方の影響を受けた新しい記述(改訂版で加筆された箇所)だと分かる。(たぶん。)

このプロセスの詳細な情報には興味があるところだ。どのようなプロセスで市場を獲得していったのか。このプロセスは、かつての日本を中国に置き換え、かつてのヨーロッパを日本に置き換えると将来、似たようなことが繰り返される可能性がある図式ではなかろうか。




 日本が軍事的征服に着手するやいなや、太平洋における日本とアメリカの利害は衝突しはじめた。日本の意図を阻むため、アメリカは石油や鉄くず(ともに日本は輸入しなくてはならなかった)などの必要物資に対する通商禁止措置をとり、そのことが日本側をアメリカ艦隊への奇襲攻撃という挙に出させるにいたった(1941年)。この作戦の目的は、奇襲によってアメリカの海軍力をしばらくのあいだ麻痺させ、その間にボルネオ、スマトラの油田をおさえて、東南アジアと太平洋南西地域にわたって経済的に自給できる「大東亜共栄圏」を建設しようというものであった。(p.536)



「経済制裁」をされて「暴挙に出た」好例であろう。その自らの失敗を今他国に対して繰り返そうとしているとすれば、愚かなことである。




 ロシアの撤退とアメリカの参戦は、時を同じくしておこった。1917年4月6日に、アメリカ議会はドイツに対して宣戦布告を行った。きっかけは海上における中立国の権利に関する論争であった。これより前、ドイツは潜水艦による対イギリス海上封鎖を宣言していたが、アメリカはこの無制限潜水艦作戦を非合法であると非難し、軍需品や物資を積んだ船舶をイギリスにむけて送りこみつづけていた。それらの輸送船がドイツ潜水艦に撃沈されるにおよんで、アメリカ世論はそれを戦争行為とみなし、全面的な参戦への声が高まったのである。ただアメリカ参戦の可否にからむこうした論争のほとんどは、煙幕にすぎなかった。アメリカが参戦するにいたった根本的な理由は、ドイツが勝った場合ヨーロッパ全土がアメリカに敵対する政府の支配下におかれるのを恐れたからであった。(p.573)



根本的な理由ではなく、より表面的な理由は、現在で言う「集団的自衛権」の議論と非常に近いものがある。日本が近い将来戦争に巻き込まれるケースとしてありそうなのは、これに近いケースであろう。こうした輸送は既にイラクで空自がやっていることではあろうが…。いかにこうした行為が、多くの人々にとっては全く不要である危険を高めるものであるかが分かる事例である。




 政権掌握後ただちにヒトラーがうちだした政策は、憲法を変え、敵対する政治指導者を排除して、独裁権を確保することであった。そのあとヒトラーはドイツをふたたび強国にのしあげるため、再軍備を宣言し、人間と機械をふたたび仕事につかせる一方で、抜け目なく、大胆な対外的駆引きにのりだした。フランスにしろ、イギリスにしろ、こうしたヒトラーの行動に効果的な抵抗を行うことはできなかった。(p.581)



どこかの誰かに似ていると思った人は私だけではないだろう。

 政権掌握後ただちに安倍晋三がうちだした政策は、憲法を変え、論功行賞の人事で内閣と党の要職を独占することで、敵対する政治指導者を排除して、(郵政解散における衆院での絶対多数という恩恵を受けつつ)独裁権を確保することであった。そのあと安倍晋三は日本をふたたび強国にのしあげるため、集団的自衛権の行使を認め、憲法を改正し、再軍備を宣言するつもりであり、人間と機械を残業代なしで仕事につかせようとしている一方で、強硬な対外的駆引きにのりだすつもりである。



みたいな感じだろうか。

とりわけ、ヒトラーと安倍晋三の共通点としては、観念的で情念的なナショナリズムや民主的な憲法(ワイマール憲法と日本国憲法)の改正を狙っていること、他人の意見を軽視して独裁的に権力を振るうこと、再軍備によって強国となることを狙っていることなどがあり、共通点は異様に多いように思われる。

テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

ウィリアム・H・マクニール 『世界史』(その1)

一定数の古典(その中には、もちろん孔子の言葉を集めた『論語』のような作品が含まれていた)を集中的に研究することを多くの人々が実行したので、後世の中国人は共通の体験の核をお互いの間に形成することになった。中国文明の接合剤となった基本的態度や価値が、ここから自然に生まれたのである。(p.141)



これは教育や教養一般に当てはまるパターンであろう。これとの対比で興味深いのは、ヨーロッパにおいていわゆる「近代」といわれる時代の思想が「古典」とされてきたことも、「ヨーロッパ」というよりもラテン世界の知識階層に「共通の体験の核」のようなものを与えた面がありそうだ、ということ。

デカルト以降のことを想定して書いているのだが、ちょうどこのあたりから、ラテン語ではなくそれぞれの土地の言葉でテクストが残される傾向が強まってきたことは、ラテン世界の知識階層に緩やかな一体感をもたらすと共に、ナショナリズムへと繋がっていく意識を形成することにも繋がった(原因だとまでは言わないとしても)可能性がある。もちろん、文字とは縁の少ない社会層への広がりについては、印刷術や出版資本主義が結びつく必要があったのは確かだろう。

「古典」が「共通の知識」を構成することで、共同体の知識階層を結び付けやすくするという知見は重要だろう。宗教における聖典も同じである。実際、デカルトやロック、ルソー、カントのような著作家たちが古典とされてきたことも、知識階層が教会や修道院の中にいた時代から、その外へと移行してきた状況と符合している。

私も「古典」とされるさまざまな著作を読んできた。しかし、これを共有する社会層との接点はそれほど多くないのはある意味、悲劇的かもしれない。




だが、真の意味で西欧世界が他の主要な文明に対する圧倒的な優勢を確立するのは、近々、1850年以降のことにすぎない。(p.157)



多くの研究者の主張と一致する。しかし、述べられる歴史観全体がこのような見方に符合するところまで「ヨーロッパ中心主義」から抜け出している歴史家や社会科学者(それ以外の人も)は、1970年以前から大いに活躍してきたような人と中にはほとんどいない。

1974年のウォーラーステイン(『近代世界システム』)も不十分だと批判されてきた。マクニールについて言えば、例えば、古代(紀元前500年以前)について彼は中東が第一位の文明だったとするが、これはメソポタミアやシリア・イラク周辺の文明がギリシアやローマを通してヨーロッパに継承されたという見方を暗に含んでおり、その意味でユーロセントリズムの古代文明への投影ということができることなどは指摘できるだろう。




かえって、モンゴルの支配への反発から、次の明王朝(1368-1644年)の時代には、古い正統的な中国文化の尊重が、一段と協調されることになったとさえ言えるのである。(p.286-287)



実際にこのような解釈で妥当かどうかは別としても、分かりやすい対比ではある。




だが、ほぼ1000年を境として、ビザンティンの芸術家と著作家は、一段の熱意をもって異教時代の過去の栄光を想起するようになった。古典を模倣した芸術と、古代のギリシャ人が確立したあらゆる様式の文学作品が、成功不成功を問わず盛んに産み出された。(p.302)



ビザンティンは私の知識が弱い分野だが、11世紀頃に「古典古代」のルネサンスがあったというのは興味深い。アッバース朝の8~9世紀に翻訳運動があり、10世紀にはギリシアやローマの学問の水準を超えたわけだが、このビザンティンでの出来事はちょうどそれに続く次期であり、さらにイタリアやイベリア半島の12世紀ルネサンスの間の時期だからである。イタリアへの影響は疑うべくもないが、それ以前のイスラーム世界との関連については大変興味があるところだ。




 このようにして、役人が商人や海員の個人的利益を無視できたという事実は、経済社会問題における中国官僚の力を示している。この力を根本的に支えていたのは、多くの役人を生み出し、儒教がその利益を擁護しつづけてきた地主・紳士階級が、新しい商業の富がひじょうな勢いで増大していた時代ですら、中国社会全体の中で支配力を失わなかった事実である。これが可能だったのは、十一および十二世紀ですら、農業の富の増大が、産業、商業活動と同じくらい、あるいはそれ以上に早かったからである。この農業の発展の秘密は、1000年ごろ、新しい品種の稲が普及したことにある。(p.305)



マクニールの技術決定論と生産力主義の見方を端的に示している箇所であると同時に、それらの繋がりも見事に示している箇所。

新種の稲(技術→生産力)→農業の富増大(生産力→富)→地主・紳士階級の支配力(富→権力)→中国官僚の力 という因果関係が描かれていることがわかる。




一見正反対に見えるものが、多くの共通点を分かち合う、ということなのだ。(p.440)



一般的な格言としても使える。


テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

村井哲之 『コピー用紙の裏は使うな!』

組織にはできた時点から無駄がある。組織で成り立っていない会社はないのですから、“すべての会社には無駄がある”ということになります。・・・(中略)・・・
 そうです。企業活動において、無駄をなくす方法や無駄を減らす方法を探究し実践し続けることは、組織が存続し続けるために必要欠くべからざることなのです。(p.24)



組織には常に無駄がある、という言い方はシンプルであり、有効な見方である。これは実際には、すべてのシステムはたった一つの原理だけで構成されることはありえない、ということであると思われる。

弁証法などという考え方が昔流行ったが、あのような複数の要素間の緊張関係を利用して論を展開することであらゆることが説明できるかのように見えるのも、こうした事実性に基づいている。ただ、例えばヘーゲルの弁証法の場合、緊張関係(矛盾)の構成の仕方が単にNegativだっただけでなく、「反省的」なもの(後付け的)であったために、恣意的な関係付けが幾らでも可能だったことに問題がある。(克服する方向性は複数あるが、いずれも「完全」ではない。ついでに言えば、そのこと自体も一つのシステムであって、一つにはまとまらないということだろう。)

いすれにせよ、常に組織には利潤という目的に向けて最適化されていない要素があるのだから、その部分のコストを減らす可能性は常にあるという指摘は妥当なものだろう。

そこから、著者はコスト削減の努力は常に続ける必要性を導いている。これも企業経営に限定している点には注意が必要である。この限定があるからこの命題は正しいものでありうる。経済主体の種類が変われば、常に妥当するわけではない。

家計や財政がそれであろう。家計は確かに無駄遣いはしない方がいいとは言えるかもしれない。しかし、常に無駄な支出をしないというのは、常に望ましいとはいえない。すべての家計が無駄な支出をしなければ、必然的に消費の総量が減少し、生産過剰に陥る。それを輸出に回せれば良いが、それが安定している保障はない。当然に輸出異存経済構造となり、それは不安定性を帯びる。不安定性ゆえに、経済が悪化すると失業が出て家計の支出の最適化どころではなくなる。個人的なレベルで見てもすべての無駄を排した生活というのはあまりに味気ないものであろう。いずれの側面から見ても適度に無駄が必要なのだ。(この表現では、もちろん、厳密に言えば、何が適度で何が無駄かという問題は残る。しかし、複数の原理を適用してバランスさせるべきだということを言いたいので、この表現で良しとする。)

財政については多くの人が誤解をしているように思われる。「増税する前に無駄をなくせ」と日本では誰もが口を揃える。しかし、本書の筆者が言うように、無駄がなくなることはありえない。単に負担の先延ばしのための言説なのである。

その上、財政の役割は企業の役割とは大きく異なる点がある。生活の最低限度を保障するという役割である。これは効率性だけを追及していると必ずそこから漏れる者がでてくる。その意味で多少の余裕をもった制度設計が必要だと思われる。つまり、厳密に最低限度を守ろうとしても、そこから滑り落ちるものが多く出るので、最低限度よりもやや上のレベルで何重かのセーフティネットをかけておく必要がある。リダンダントな要素がある方が行政組織は良い部分もある。この冗長性の必要性は、家計における多少の遊び(=適度の無駄)の存在と符合する構成原理の複数性の要請なのである。

本書が主張するところでは、コスト削減は現状の把握から始まる。それは財政の場合でもあてはまる。粗雑な議論・検証では、何が無駄で何が無駄でないかは把握できない。政治性を抜きにした(極力排した仕方で)検証がなされなければならないだろう。

ここで財政を取り上げたのは、次のことを言うためである。すなわち、財政に関して「無駄をなくせ」の一点張りの主張は、終わりなき先送りにすぎない。予算に対する効果の非政治的な検証が必要であり、その上で必要な歳出に見合った税制の構築がなされるべきである。

もうひとつ指摘すると、経営は利益が上がるところがあれば、今まで行ってきた事業を捨ててもそちらに行くことができないことはないが、家計や財政ではそうもいかない、という違いは経済主体として非常に異なっている、という認識をもつことは重要だろう。本書を通して、私が感じた違和感はこうしたところにある。本書の内容は大部分正しく、参考になるのだが、その他の経済主体には当てはまらない部分もあるからだ。

すべての経済主体を企業であるかのように見なす風潮が特に小泉政権以後広まってしまったので、その意味で、本書の見方には一定の距離を置いて冷静に見てしまうところがある。本書は基本的に企業での仕事のためのコスト削減術だということはしっかり押さえて読みたいところだ。(本書の著者は行政のコスト削減にも言及している。8割がたは使えるが、財政の分野に使えるかとなると微妙なものも結構多い。)




 コスト削減とは単なる「ケチケチ運動」ではなく、本来的には、先に述べましたが「経営」と「現場」のすき間を継続して埋めていく作業であり、運動です。(p.66)



本書の主要な主張の一つがこれである。大変有意義な考え方である。正確な現状認識を経営と現場で共有することによって、現場が経営の見方に近づく。それによって現場でしか知りえない知見がコスト削減に活用される。




 コスト削減の活動が継続しない理由はたった一つです。
 P(プラン=コスト削減の計画を立てる)⇒D(ドゥ=削減計画を実行に移す)⇒C(チェック=実行の結果を検証する)⇒A(アクション=検証結果を基に改善を行う)、このP⇒D⇒C⇒Aサイクルが多くの場合1回まわる前にCの効果の検証がなされないままに終わってしまったり、いったんは次なるAである改善まで行きつくものの、改善の結果の検証までは行われないままにサイクルが終わってしまうケースが大半だからです。(p.72)



このチェックと改善を続けるというのは非常に重要で忘れがちなことであると思われる。参考になった。

このチェックもまた現状認識という意味では、現状の正確な把握からすべては始まる、と言える。




 できるだけ安く仕入れるため、サプライヤー各社に問い、競わせるのではなく、「消費者がこのような満足を得られる製品(服)を、この価格で提供するためには、どんなデザインにして、どのような素材を、どのタイミングで、どれくらいの量を発注すればいいか」を、限られたサプライヤーと一緒になって二人三脚で考え抜くというのです。(p.114)



こうしてコスト削減したという事例なのだが、「何でもかんでも多くの取引先を集めて競争させればいい」というやり方ではうまく行かない分野(ケース)があり、むしろこうしたやり方の方がいいことがある、ということ。

私見では、行政などの継続的で安定的な活動が要求されるようなものの場合、こうしたやり方の方が「競争入札」よりもトータルでは優れたものになりうると見ている。

テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

フェルナン・ブローデル 『物質文明・経済・資本主義 15-18世紀』(その8)
『第三巻 世界時間』 邦訳第二分冊より

 ヨーロッパ、アメリカ、アフリカ、アジアは相互補完的だと言われている。・・・(中略)・・・。極東は大掴みに言ってヨーロッパの産物を熱狂的に迎え入れたりはしなかった。・・・(中略)・・・。例外は、貴金属、金(コロマンデル海岸では金が好まれた)、そしてとりわけ銀であった。とりわけ中国とインドとは、すでに何度となく語られてきたとおり、全世界を流通する貴金属のための墳墓となった。金銀はこの両国に入ったきり、もう出て行かなかった。この奇妙な常数ゆえに、西ヨーロッパから発して東方へ向かう貴金属の出血は決定的な役割を果たした。ヨーロッパはこの点でアジアよりも弱かったと考えたがる向きもあるが、わたしはというと、すでに語ったとおり、ヨーロッパ人はこれをしばしば手段にしたのだと見ている。つまりアジアばかりか他の土地、さらにヨーロッパ内部においてさえも、金銀を梃子にして、とりわけ利益の高い市場を開かせたのである。(p.143)



私にとってもこの「常数」の意味は極めて問題となるところである。この点ではブローデルの見方には私は必ずしも与しない。確かに概ね1800年以降の世界について言えば、ヨーロッパの優位は動かなくなったが、それ以前においては、基本的にインドと中国は優位だったと見るほうが理に適っている。

ただ、ブローデル自身が指摘するような仕方でヨーロッパの大商人たち(東インド会社など)は、現地の経済を掌握している大商人から収奪する仕組みを(武力・暴力を使いながら)獲得したことによって、16~18世紀の間に、この構造(常数)の意味が逆転したのではなかろうか。

形式上は常数なのだが、実はこの「金銀の流れ」という常に見られた動きの意味は、時代と共に変化したのではなかろうか。これが私の現時点での見解である。

A.G.フランクの『リオリエント』を読んだ時点では、フランクの考えにも同調しているが、ヨーロッパの「資本主義」が、どのようにアジアを収奪していったかについてのブローデルの説明(以下にも引用する)を理解し、それに同意していく過程でやや考えが具体化してきた。




 ヨーロッパ商人は、寄生生物が異体に足がかりをつくるように地歩を占めてゆき、イギリスによる征服が行われるまでは(東南アジアの一部地帯におけるオランダの成功は別として)各地で点を占拠するに留まっていた。・・・(中略)・・・。
 ・・・(中略)・・・。実を言うとアジアにおけるヨーロッパ諸国の≪海外支店≫は、二、三の例を挙げれば、ハンザ同盟やバルト海および北海で活躍したオランダ人の海外支店とか、ビザンツ帝国のあちこちにできたヴェネツィアおよびジェノヴァの海外支店も同様だが、無害だったとはいえない。ヨーロッパは、アジアにいくつもの小さい集団、目にも留まらぬ少数の人々を配置した。それはそうだが、彼らは西ヨーロッパのもっとも先進的な資本主義と連携していた。そしてこれらの少数の人々が――彼らは≪脆弱さを内包させた上部構造≫を構成していただけだと言われもしたが――出会った相手はアジアの大衆ではなくて、極東の商取引および交換を支配していた別の少数の商人たちだったのである。そして、まさしくこれら現地の少数の商人が、いくらかは強制されて、またいくらかは納得づくで、ヨーロッパ人のインド闖入に道を切り開いたのであり、まずポルトガル人に、ついでオランダ人に、しまいにはイギリス人に(そしてフランス人、デンマーク人、スウェーデン人にさえ)、インド域内通商という迷路を辿る法を教えたのであった。それ以来ひとつの過程が始まって、この過程が進むにつれて、早くも十八世紀末にならないうちに、インドの対外通商の85ないし90パーセントをイギリスの独占に委ねることとなった。しかし、極東内部の参入しやすい市場がまとまりのある一連の経済を作り上げて、ひとつの能率的な世界=経済によって連携していたからこそ、ヨーロッパの商業資本主義はこれらに投資することができたのであり、そしてそれらに備わっていた力を利用しながらこれを巧みに操縦して、利益を得たのであった。(p.149-150)



ヨーロッパの資本主義が「先進的」だったかどうかといった細部の表現には大いに疑義があるにせよ、ヨーロッパの遠隔地商人(ブローデル的な資本主義の担い手)がインドを目指し、そこで交渉した相手が現地の大商人であり、その大商人たちはすでに形成され、効率的に機能していたインド洋周辺の世界=経済からの利益を収奪できる立場の人間であったことを指摘し、その少数者から半強制的に富を引き出すことができたことによって、インドの経済からヨーロッパの大商人たちが多大な富を引き出し得たという点は極めて重要であると思われる。

アレクサンダー大王がアケメネス朝の支配機構をそのまま維持しながら一時的にその全領域の支配者となったのとある意味では同じ仕組みと言えるかもしれない。

ただ、次に引用するように、インドが強力だったためにそこに入り込めなかったオランダが先に東南アジアの経済体制を搾取可能なように改変してしまっており、それがインド経済の弱体化に繋がっていたために、イギリスが進出する時には入り込みやすかったという僥倖にも預かったと見るのが妥当なところであろう。決して、この時代(16-18世紀)の「ヨーロッパの実力」を高く見積もりすぎるべきではない。

しかしあらゆることが、中央に位置する世界=経済としてのインドに依存している。あらゆることがインドの自己満足と弱点とに根を下ろしている。ポルトガル人、イギリス人、フランス人はインドから始めた。ただオランダ人だけが例外で、彼らは東南アジア諸島のただなかに腰を据えて、他国よりも早く独占をめざす競争に突入した。しかしオランダ人はこの行動のために、インドに近づいたときには遅きに失していたのではなかろうか。<西欧>から来た闖入者たち、まずムスリム、ついで西洋人たちにとって、結局のところ永続的な大事業はすべてインドに左右される定めにあったのである。(p.152)



オランダもインドに行こうとしなかったわけではなかろう。初めに行こうとしたがポルトガルが既に失敗しており、競争者がいる上にインドの力を目の当たりにしたために、代わりに東南アジアに向かったというのが大きな流れではなかろうか。そして、そこで「独占体制」を構築して東南アジアのモノカルチャー化が進んだ。

こうしてインドと中国を中継していた経済の仕組みが大きく変わり、インドと東南アジアとの物流に変化が生じた。そのため、新たな取引先や取引のあり方の模索がインドでなされた。そこにいたアクターの一つがヨーロッパの遠隔地貿易商だった、という流れではなかろうか。そして、この貿易商の軍事力はそれなりに強力であると同時に、アフリカ、アメリカ大陸という後背地があるために、資源も持っていた、と。




 天文学者の語彙から借用した≪revolution≫という単語を、既存の社会を転覆させ、破壊する意味で用いた例は、英語では1688年に初めて表れたらしい。(p.206)



意外と新しい語なわけだ。




なんらかの革命過程と取り組むときかならず問題となるのは、長期と短期とを突き合わせ、両者が類縁を有し、引き離しがたく依存しあっているのを認めることである。(p.206)



ブローデルらしい方法であり、実際に、変化を考察するときに参考になるやり方だと思われる。




 要するに成長が要求するのは分野相互間の協調である。つまり、ある分野が推進力となって前進するとき、別の分野が動かないために全体を閉塞させるようなことがあってはならない。(p.211)



この前後の叙述からは大いにインスピレーションを得た。

成長なり発展なり、何と言おうが、そうした類の変化を理解する際にオートポイエーシスのシステム論が有効だということをはっきりと理解した。

ブローデルは「分野」相互間の協調と言っているが、特定の幅を持つ「分野」である必要は必ずしもない。「産出プロセスと構成素との循環」が止まらないこと、阻害されないことがシステムを成立させ続け、創発が持続するために必要なのだ。




 結局、市場経済と資本主義とを明瞭に区別して、政治家たちがいつも決まってわれわれに言い出す≪すべてか、しからずんば無≫を回避すべきではなかろうか。彼らの意見を聞いていると、まるで市場経済を保全したければ独占にいっさいの自由を許さざるをえず、それともそれらの独占を厄介払いしたければ精一杯≪国有化≫せざるをえないかのようだが。(p.332)



ブローデルの本書の結論部分での言葉である。まさに現在の日本に必要な言説である。市場原理主義やとにかく競争を導入することでその分野が活性化するという幻想がマスメディアを使って垂れ流され、すでに多くの人が何となくそう思ってしまっている。

それを否定すると、ソ連のような「計画経済」しかないかのような発言まで飛び出してくる。ネットでもメディア(テレビ等)でもこれは見られる。

しかし、完全に「市場原理」を実地に適用しようとすることと、完全な「計画経済」との間には様々なバリエーションがあるし、すべてがこの中間に納まるというものでもない。全く別の軸というものも考えうる。ブローデルの「資本主義」は一言で言えば、「それが権力を利用することを視野に入れた寡占」であると思うが、われわれが目指すべきはブローデルの言う意味での「資本主義」を極力抑制しながら(これがなくなることはない)、できる限りブローデルの言う意味での「市場」の活動領域を確保することであろう。

それは計画経済からは全く程遠いものだが、市場原理主義からも同じくらい遠い。これらの両極とは異なる位相にある(これらの対立軸自体に混乱があり、歪んでいる)のだと私は考える。

テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

フェルナン・ブローデル 『物質文明・経済・資本主義 15-18世紀』(その7)
『第三巻 世界時間』 邦訳第一分冊の続き

 しかし、こうして長いあいだ躍起になって戦闘を重ねることができたのは――そのたびごとに負傷も痛手もおのずと治ったかのようで、じつのところ致命的な結果にはいたらなかった――繁栄が続いて実業が上げ潮に向かっていたからではあるまいか。ところがキオッジャの戦争が区切りとなったのは、おりしも1380年代に、長期にわたって躍進を続けてきた成長が閉塞し、それがこんどは決定的終止符となったからではなかろうか。(p.145)



上昇気流に乗っているときの戦争と下降局面に乗っているときの戦争は、その国にとっての意味が決定的に異なってくるという見本。下降局面の日本が戦争に巻き込まれることはこうした「決定的終止符」を打たれることになるだろう。

それは一つには財政破綻という形で表れると思われる。既にかなりの国債が発行されているが、それを十分に減らすことなく戦争に巻き込まれれば、平時よりも遥かに大量の国債を発行しなければならなくなり、財政が耐え切れなくなる(国債の買い手が見つからなくなる)という形である。




かつてヴェネツィア商人は、イスラム諸国で活動したとき、≪fondouks≫(一街路または一連の建物)に閉じ込められて苦労しなければならなかった。ヴェネツィアはイスラムのその方法をこんどは自分のために取り入れた。ヴェネツィアは同じ手を使って、その商業中心地のリアルト橋の向かいに、ドイツ人商人を強制的に集めて分離する地点として≪ドイツ商館(フォンダコ・デイ・テデスキ)≫を創設した。ドイツ人商人はだれでも、そこに商品を下ろし、そのために用意した部屋のひとつに宿泊し、共和国政庁の役人のこうるさい監督のもとでそこで商品を売り、その売り上げをヴェネツィア商品の買い入れに使わなくてはならなかった。ドイツ人商人はこの窮屈な従属について絶えず苦情を申し立てていた。こうした仕掛けで、大規模な遠隔地通商から排除されていたからである。ヴェネツィアはこの遠隔地通商を、油断怠りなく自国の≪citadini, de intus et extra≫[城壁内外の市民]のためにとっておいた。ドイツ人がそこに割り込もうものなら、彼の商品は没収されることになっていた。(p.154-155)



イスラーム世界にはフンドゥクの遺跡が残っていたり、今でも使われていたりもするが、このようなシステムで運営されていたという話は聞いたことがなかった。(私の無知ゆえか?それとも近年の研究成果ではブローデルのような見方は否定されているのか?)

むしろ、私としては、フンドゥクは、通商の際の中継点であり、かつ、そこでも交換が行われる場所として肯定的に捉えていたところがある。しかし、このようなブローデルの言う意味での「資本主義」のシステムの一部としても機能していたらしいということを頭の片隅に入れておくのは意味がある。次にイスラーム世界について調べる際には、フンドゥクの果たした機能についても着目してみたい。




しかしながら、自分を大切にする世界=経済の中心はすべてそうだが、オランダ連邦は戦争を国内から遠ざけつづけていた。(p.257)



これと類似の指摘はウォーラーステインもしている。ヘゲモニー国家は武力の力なしで他の諸国を従わせることができ、戦争と言う形を取るときでも、決して自国の領土内では戦争しないですむようにする。20世紀のアメリカは世界各地で戦争をしてきたが、本土が直接攻撃されたことはないのはその例だ。

これこそ政治の力であり外交の力であろう。

その意味では、近年の日本における防衛力が必要だという議論は、日本の地位の相対的低下と連動している。現代は昔と違ってミサイルがある点が異なる。しかし、通常兵力では日本を侵略できるような国はアメリカ以外にはない。

中国も韓国もましてや北朝鮮も日本を通常兵器で侵略することはできない。まともに戦力を分析すればそうなるのだが、それにも関わらずバカ派が増えている現状は極めて不健全な言論状況である。

むしろ、日本に不足しているのは――軍事力・防衛力ではなく――上記のような政治の力であり外交の力なのである。




つまり、世界=経済の中心に位置する都市はすべて、システムの定期的な地震を真っ先に呼び起こし、そのあとで真っ先にそれから完全に回復する、という通則である。そう考えれば、あの1929年のウォール街の暗い木曜日も別の目で考察できよう。わたしの考えでは、あの木曜日は、じつはニューヨークの優位の発端の目印をなしているのである。(p.354)



前段の通則は、世界システム論などに慣れた思考からすると、比較的常識的な枠内の議論だが、後半の適用例はなかなか興味深い見方ではある。

いずれにせよ、一つの事件が起きた場合、複合状況(コンジョンクチュール)がその地域に有利かどうかによって、その意味やその後の進路は大いに違ってくるというのが基本にある。その意味で、今の日本は非常にコンジョンクチュールの状況は良くないと言える。

経済力は世界の中で相対的に高いためにある程度の防御力はあるだろうが、例えば、世界のどこかで株価の暴落が起こるようなことがあれば、痛手を被りやすい趨勢にあるのは確かだろう。郵政民営化によって丸裸にされた財政が多額の赤字を抱えているのは、既に爆弾を抱えているようなところがあるのだから。

テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

フェルナン・ブローデル 『物質文明・経済・資本主義 15-18世紀』(その6)
『第三巻 世界時間』 邦訳第一分冊の続き

 1421年、明朝は遷都した。それまでの南京は青河[揚子江]が海上航行に最適だったがゆえに開かれた都市であったが、これを捨てて、満州族・蒙古族との国境に迫った危難に立ち向かうべく北京に都を定めたのである。――膨大な中国は堂々たる一大世界=経済であったが、このとき取り返しのつかぬどんでん返しを遂げて、海上通商の便宜を得やすかった、それなりの経済および行動に背を向けたのであった。新しい首都は、外界に対して耳を塞ぎ、城壁内に立てこもり、大陸のただなかに根を下ろし、一切を自分のほうへ引き寄せようとした。自覚の有無にかかわらず、たしかに決定的な選択であった。中国はさきに十五世紀初頭、南京から船出して海洋探検に打って出たとき、はっきりそうと自覚しないまま世界の支配権をめぐる競争に加わっていたものを、この遷都とともに勝負に敗れてしまったのである。(p.25-26)



明朝の内向化というか、海への志向が内陸志向的なシフトはしばしば指摘される。この現象について、なぜそのような政策決定がなされたのか、はっきりした文書に出会ったことはない。ブローデルもそれがもたらした効果については妥当な指摘をしているが、やはりなぜそうした決定がなされたのかは語っていない。私としてはそのあたりに興味があるところだ。

既に衰退していたために外洋に出て行くだけの力を失っていたという説もあったが、どうもそこまで弱体化してはいなかったようだ、という見方も強い。この時代(14~15世紀)の明の社会経済情勢について、少し調べてみると面白いかもしれない。




 成功か失敗か、天下分け目のこうした地滑りが生ずるたびに、まったくの転覆という結末を見るのであった。ある世界=経済の首都が倒れると、強烈な振動がはるか遠方の周辺にまで波及して、そこに刻印を残すのであった。なおそのたびに、これらの縁辺地帯――まことの、あるいは擬似的な植民地をなしていた――においてこそ、雄弁このうえない光景が現出しがちであった。・・・(中略)・・・。こうして、つぎからつぎと植民地が手放されたのは偶然の出来事ではない。従属を繋ぎとめていた鎖が切れてしまったのである。今日、≪アメリカの≫覇権の終焉がこようものなら、全世界にどのような影響が波及してゆくことになるのかと想像するのは、ほんとうに困難なことであろうか。(p.27-29)



1979年に出た本書の観点からすると、植民地が手放されることや、アメリカの覇権の終焉というのは、60年代のアフリカ諸国のヨーロッパ諸国からの独立であったり、ベトナム戦争でのアメリカの実質的敗退などを背景にして述べられているものと思われる。

2007年の読者から見ると、アメリカの覇権の衰退は、さらに広がったのを見ることができる。中南米や中東の反米化という形でそれは表れており、また、極東では六カ国協議の大部分を中国に仕切らせていることなど、世界全体におけるアメリカの求心力が低下していることが随所に見て取れる。

それによって、アメリカを中心として結びついていたアクターたちが、それぞれの間でつながりを強め始めている。つまり、ネットワークとしてはツリー状のネットワークからスモールワールド的なネットワークへの移行が見られるように思われる。




「世界の商業は、そのあらゆる部分がじつに緊密に関連しているので、どれか一部分を知らないとほかの諸部分のこともよくわからなくなる。」(p.31)



孫引きだが、全くその通りである。




なおまた、下り坂はすべて保守的な性質を有する。それは現存制度を保護する。・・・(中略)・・・
 下り坂が長期にわたって、執拗に続くと、風景に変化が見られる。健康の優れた経済が残っているのは、ほとんど世界=経済の中心地くらいのものである。後退が生じ、集中化によって、唯一の極点だけが利益を収める。諸国家は牙をむきだし、攻撃的になる。・・・(中略)・・・。ところがそういう時期には、文化はこのうえなく奇妙な振る舞いに出る。こうした長期にわたる干潮時に文化が強く活動するのは(国家も同様だが)、それはおそらく文化の使命のひとつが社会総体にできた隙間や割れ目を塞ぐことにあるからである。(p.100-101)



まさに今の日本で起こっている現象である。前半部分は前のエントリーで述べた通りなので、ここでは特にコメントしないが、後半はブローデルの経済と文化の関係についての見解がよく出ている箇所だと思われる。

私見では、経済が繁栄している真っ最中にも文化は繁栄すると考えており、ブローデルとはやや見解が異なるが、経済的なピークを過ぎてから「文化」が前面に出てくることはあり、その際の目的が、その社会をまとめようとするところにあるという点には大いに賛成できる。

経済がピークにあるところで文化的活動が発達するのは、美術品の流れなどを見れば分かるように思われる。20世紀にフランスやイギリスなどヨーロッパ諸国からアメリカに美術作品が流出したのは、経済力の差が磁力となったからである。

また、経済の衰退局面で文化が前面に出てくるとき、社会を結合させようとするというのは、近年の日本のナショナリズムの高まりと一致する。

また、興味深いのは日本のサブカルチャーや食文化が、世界的にある程度認知されるようになってきたことであるが、これはブローデルが言っているようなものではなく、モノを売ることが相対的に難しくなってきたので、それ以外のもので勝負するなど「商売の論理」に基づくものだと思われる。(台湾の哈日現象などを見てもそれは感じられる。)

テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

フェルナン・ブローデル 『物質文明・経済・資本主義 15-18世紀』(その5)
『第三巻 世界時間』 邦訳第一分冊より

しかし、大都市に中小都市を破壊できるわけがなかった。隷従はさせた。それはそうだが、それ以上のことはできなかった。それというのも、中小都市からの奉仕を必要としていたからである。世界=都市が高い生活水準に到達してこれを維持してゆくには、望もうと望むまいと他の諸都市を犠牲にするほかなかった。(p.22)



日本で言えば、東京という世界=都市が、そこに住む人間が気づかないとしても、その他の中小都市からの奉仕を必要としているという事情に該当する。

ネットワーク理論的に言えば、これらの「世界=都市」はスケールフリー・ネットワークにおけるハブに相当すると考えられる。ハブは当然に、リンク先としてのノードを必要とする。諸ノードからリンクを貼られなければ、それはハブではなくなる。逆に、ハブがなくなればそれに依存しているノードは孤立しやすくなる。要するに相互依存関係にあるのである。

ウェブサイトなどにおけるモデルと経済におけるモデルには少しばかり違いがあるようにも思われるが、基本的なイメージを捉える上ではそれほど間違ってはいないと思われる。

ブローデルが第三巻第一章で展開している理論的考察は、極めてネットワーク理論と親和的であり、利用価値が高いものと思われる。ブローデルがほとんど無規定的に使用している「世界=都市」という用語も、上記のようにネットワーク理論の「ハブ」に相当する役割を果たしているものと考えられる点にそれは典型的に表れている。




ともあれ、商人が四方八方から集まってくる場所ならどこでも、寛容の奇跡が繰り返されたものなのである。(p.23)



「寛容」な生活態度や政治というものは、ある世界の中で非常に繁栄している場所で見られる傾向がある。17世紀のアムステルダム(オランダ)や19世紀のロンドン、20世紀のニューヨークなどに世界各地から移民(それも比較的恵まれた社会層の移民)が見られるのは偶然ではない。

例えば、フランス語でものを書いたデカルトがオランダに住んだのは偶然ではないし、ナチスドイツの台頭によって亡命したドイツの思想家たちの多くがアメリカに亡命したのも偶然ではない。それらの土地は様々な点で人を受け入れる用意があったのである。

このように「社会経済的な繁栄」と「寛容」というものの高い相関関係を考慮したとき、近年の日本で見られる不寛容ないし排他的な思考・言説(世論)がもつ社会的な意味と言うものも見えてくる。

つまり、それは衰退しつつある社会が必死になって「自分たちの優位」を守ろうとする姿にほかならない。しかし、それは意図して何かを守ろうとするというよりも、衰退の的確な因果関係を捉えていないために、心理的な不安や不満の捌け口を見つけて不寛容になるという形で現象する。

その際の核になっている観念は、近年の日本の場合、「日本」であったり、その「伝統」であったりする。つまり、新保守主義とナショナリズムが渾然一体となりながら台頭してきた背景はこうした衰退過程がある。

80年代に新保守主義的な中曽根が登場したのも70年代の低成長(世界の中で見れば日本は幸運な地域ではあったが)があり、その勢力が拡大しつある状態の中で、90年代の長期不況が続いてきた。そこに現在の保守的言説の直接的な下地が作られたと言ってよいだろう。なお、ちょうどその時期は、安倍晋三という政治家が政治家としての歩みを始めた時期であることにも注目したい。

このような意味では世界の中における日本の相対的な衰退過程を止めるか、その原因を大衆が把握することが、近年の保守的でナショナリスティックな言説を止めるために必要だと私は考えてきた。

ところが、第一の課題は世界経済の長期持続や中期的趨勢から見て、達成が困難であると思われる。

というのは、日本という本来ならばそれほど世界経済の中で強い位置につけないはずの地域がGDPで第二位であるという状況を後押ししてきた構造は既に崩れているからである。

どういうことか?冷戦構造において東西世界の境界にあり、かつ、西側世界の中心であるアメリカにも隣接しているという地政学的な優位性――同じ境界でもアメリカに隣接していなかった中東やインドと日本との違いはここにある――が、日本という小さな島国を世界的なレベルに押し上げてきた最大の要因であった。

しかし、冷戦構造が崩れた結果、西側世界から見ると市場が地球規模に拡大したため、世界規模での垂直的分業体制が劇的に変化してきた。これは当然、従来特別に有利な立場にあった日本の優位性が失われることを意味する。日本の相対的な経済的地位はこの17年で相当に低下したはずである。この衰退がどこまで続くのか、この点に今後の日本社会のあり方を規定する重要な要因がある。

どの程度の低下で済ますことができるかという点に関して、個々の企業の活動の他に政治が果たすことができる領分がいくらか残っている。政治は万能ではない。しかし、いくらかのことは可能である。しかし、日本の政治が保守化することによって、その道は次第に狭まってきている。特に、復古主義的な安倍政権になってからは顕著だと言える。排外主義は敵を作る。敵ができるということは、ネットワーク理論的に言えば、例えば、人脈や情報などを共有することができるリンクが減ることを意味する。

世界経済の中で相対的に優位を確保するためには、その主体(ノード)よりも、勢力の弱いノードの力を自分のために利用することが必要になる。そこから力を引き出す必要がある。今の日本はそれに逆行している。

基本的な衰退要因はここにあるのだが、日本という社会的ネットワークにおけるハブの位置にあるのは、こうした条件を破壊しようとする勢力が大部分になってしまっており、そこから流される情報が一般に流布することになる。そのため、衰退の要因が的確に把握されることもない。

おおよそのところ、日本を取り巻く情勢は、こうした趨勢にあると私は見ている。不寛容な言説の横行は、結果的な現象でしかないが、そうした心理を転換させるようなパースペクティブを提示することによって、多少なりともそれを減少させるように努めるのが、そのことに気づいた人間が果たすべきことなのかもしれない。

テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

フェルナン・ブローデル 『物質文明・経済・資本主義 15-18世紀』(その4)
『第二巻 交換のはたらき』(邦訳第二分冊)より

われわれの役者たちに、彼らの優越の源であり、彼らを決定的に特徴づける計算、理性、論理、通常の感情からの脱却など、そのすべてが、儲けという抑制することのできない誘惑に奉仕するような一つの「精神」を認めるべきだろうか。・・・(中略)・・・。資本家は、自分のうちに、こうしたすべての美点とすべての神の恵みを備えうるのだろうか。われわれの説明において、選択すること、選択できることとは、鷹のように鋭い眼力でもって正しい方向と最良の解答を見出すことではない。忘れないでおこう。われわれの役者は、社会生活の一つの階に位置していて、多くの場合、同輩の解決法、助言、分別を目の前に持っているのである。彼は彼らを通して判断する。彼の有効性は、彼自身によってと同じくらい、彼の占めている地点によって決まるのである。交換の最重要な流れと決定のなされる中心の合流点にいるか、それとも辺境にいるかによって・・・(中略)・・・十七世紀にオランダ人として生まれ、Oost Indische Compagnie(東インド会社)という巨大な機構の主人たちの間に座を占めるという運命を持ったとき、天才的である必要があろうか。(p.138)



経済的に優位な位置にある個人には何らかの資質があるからであるという古い議論に対するブローデルからの反論の一部である。

近年の日本で言えば、「格差」が問題と関連する。しばしば支配層や財界人にとって都合の良い考え方として、努力した人間が報われるようにするため、報酬(給与)を能力や努力に見合うように配分するとか、生活が苦しい人は努力が足りないだけだという見方は、上で批判されている精神論の亜流ないし変形である。ブローデルの主張はそれとは異なっている。つまり、東インド会社の主人たちの間に座を占めるという運命を持ったとき、天才的である必要があろうか、と。

格差問題に関する日本における実証的な研究もこうしたブローデルの主張の方が妥当であることを裏付けている。この件に関しては、私のメインブログの記事では「「格差」問題を語る際の4つの注意」という記事にまとめておいた。




 資本主義を一つの心性の具現とする「観念的」・一義的な解釈は、ヴェルナー・ゾンバルトとマックス・ウェーバーが、マルクスの思想から抜け出すために、他に思いつかないので、通った出口であった。まったく公正に言って、われわれは彼らについて行く義務はないのである。・・・(中略)・・・。資本主義が、ただ一つの局限された起源から出たということはありえない。(p.139-140)



まったく妥当なゾンバルト=ウェーバー批判であり、私もほぼ同意見である。

ただ、ウェーバーも「ただ一つの局限された起源から出た」ことは否定しており、様々な要素のなかで宗教がどれだけ役割を果たしたかを明らかにすることが課題だと言っている。そして『倫理』論文(『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の「精神」』)についても、その因果関係を一面的に上昇させた理念型を描出したのであって、検証したとは言えない。

とはいえ、ウェーバーの信じるところでは、宗教がかなりの役割を果たしたと考えていたようなので、その信念(仮説)に対しては、十分な批判であるといえる。

なお、ウェーバー・テーゼに対するブローデルによる批判は、より本格的には、本訳書のp.357-360でも行われている。(→今後の研究のためのメモ)




 とくに、われわれの眼には決定的と見える、資本主義経済の間の対立を、具体的に示すであろうような線を引くことは簡単ではない。経済は、われわれがその語をその意味で用いたいと思う意味では、「透明さ」と「規則性」の世界であって、そこでは各人が、共通の経験に教えられて、前もって交換の過程がどのように展開するかを知ることができる。・・・(中略)・・・。要するに、たいていは古来の、無数の通商路であって、誰でもその道筋・暦・高低差を前もって知っている――したがって、正常に競争に対して開かれているのである。もし、この商品が何らかの理由により、投機家の眼に興味を呼び起こすと、すべてが複雑になるのは事実である。その時、それは倉庫にストックされ、ついで、たいていは遠隔地へ多量に再分配される。・・・(中略)・・・。その時以後それは、特権的なゲームに属し、そこでは大商人のみが発言権をもち、それをきわめて多様な場所、飢饉のために小麦の価格が購入価値とはまったく比較にならないほど上昇した所、また、それが渇望されている商品と交換できる所へと送り出すであろう。・・・(中略)・・・。資本主義の大がかりな勝負の場は、習慣的でないもの、すなわち規格外のものに、あるいは何ヶ月もの、さらには何年もの時間のかかる遠隔地との結合にあるのである。(p.210-211)



比較的簡潔にブローデルの「市場(経済)」と「資本主義」の対比が描かれている箇所なので引用しておいた。ネットワーク理論で言えば、前者はランダムネットワークの一種で、後者はスケールフリーネットワークの一種になるのではなかろうか。




 たとえば啓蒙の世紀のすべての革命思想は、遊んで暮している貴族階級の特権に対して向けられ、そして進歩の名の下に活動的人口――そのなかには商人、マニュファクチャー主、進歩的土地保有者が含まれる――を擁護する。この攻撃において、資本の特権はいわば頬被りされている。(p.275)



納得。18世紀の啓蒙思想がどの社会層の立場に立つ思想だったのかがよくわかる。このように書かれると、(恐らくはやや単純化されているために)16世紀のルターが「ドイツの世俗諸侯」のイデオローグだったことよりもずっと分かりやすく、立場が表示されることになる。その意味では、19世紀のマルクスやそのエピゴーネンたちが「ブルジョワ思想」といって批判したのも頷けるところがある。

ただ、エピゴーネンたちは、20世紀の思想に対しても同じレッテルで攻撃することが多々あり、それはルターに対して「ブルジョワ思想」と非難するのに等しい部分がある。部分的に当たっていても、的確さに欠ける。

いずれにせよ、近々、啓蒙思想とされる哲学を少し深めようと思っている――意外と「見どころ」がある思想なのではないかと考えはじめている――ところなので、ブローデルからは良いタイミングで良いコメントをいただけたと思っている。


テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌