アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
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陣内秀信 『南イタリアへ! 地中海都市と文化の旅』
ナポリ

 都市政策で画期的なのは、歩行者空間がどんどん広がって、市民が町に繰り出すなったことだ。車を締め出すと、犯罪も減る。(p.18、強調は引用者)



なるほど。都市計画の重要性。

 中世には、フランスのアンジュー家の支配を受けたため、本場からこのナポリに本格的なゴシック様式がもたらされた。この時期に、サンタ・キアーラ、サン・ロレンツォをはじめ、修道院をもつ立派な教会がいくつも建設された。イタリアの中北部の都市よりも、むしろ南のナポリで本格的なゴシックの建築に出会えるというのも、面白い。(p.24、強調は引用者)



イタリアにはあまり本格的なゴシックはないのかと思っていたが、それは私がローマ以北しか行ったことがなかったせいだったようだ。フランスの王侯が南イタリアを支配するプロセスは調べる価値がありそうだ。

 積層するナポリの歴史の中でも、最も目を奪うのは、バロック時代である。常に外国勢力に支配され続け、市民自治の経験を持たなかったナポリには、イタリアの中北部の都市のような、市庁舎の聳える華やかな広場というものはない。(p.25)



南イタリアは東地中海世界の周辺地域だったため、それほど強力な権力がなく、北方からはレヴァントへのルートとして、あるいは東方に強力な勢力がある時代には北方へのルートとして確保されてきた、ということか。交易の十字路なるがゆえに政治的には安定しない地域の事例と言えそうである。(歴史的シリアや東南アジアなどもそうしたところではなかろうか?)

また、市庁舎や広場の存在と都市の自治との関係も興味深い指摘である。


ラクイラ

 ラクイラ創設という一大プロジェクトは、神聖ローマ皇帝フリードリヒ二世によって構想された。このあたりは、南イタリア全体を支配下においた彼の領土の北端にあたり、戦略上きわめて重要な場所だった。同時に、アドリア海とティレニア海を結ぶルートと、イタリアの南と北を結ぶルートの交差点にあたり、交易、経済活動にとっても大きな意味をもっていたのだ。(p.31)



創設されたのは1254年というから、まさに13世紀世界システムの世界的交易が最高潮に達した時代だったと言えそうである。それゆえ、こうした地(イタリア半島のど真ん中)にも交易網が拡大してきたということか?


モンテ・サンタンジェロ

 中世に市民自治が発達した中北部のイタリア都市では、広場に面する市庁舎の象徴的な建築によく出会うが、封建勢力の下に置かれた南イタリアでは、それに代わって、支配者の館で防御の砦でもあるカステッロがその存在を主張している。(p.51)



ナポリのところでも触れられていたことである。ただ、ここで注意しなければいけないのは、「市民自治」がなされていた中北部は「進んでいる」とか「近代的」であり、「封建勢力の下」にあった南イタリアは「遅れた」地域であるという、旧時代的なステレオタイプの先入観は持つべきではないということである

むしろ、どちらかというと、中北部で自治都市が発達したのは、広大な領地を治められるだけの力を持った封建領主が成立し得なかったという一面もあると思われるからである。(ドイツなどがその良い例であろう。)

これらは一概にどちらが良いとか発展しているとかいう問題ではないし、その後の展開にとってもどちらが良いかは一義的に確定できる問題ではない。(もちろん、身分制に基づく封建制度は、万人が平等な人権を持つという現代の考え方からすれば受け入れられない点が多いが、中世の自治都市が現代と同じような民主的なものだったわけでもない。むしろ、貴族制ないし寡頭制のようなものが多かったのではなかろうか?それであれば、封建制と大差ない。)


レッチェ

 調査中に何十軒もの家を訪ねると、毎晩、ホテルで情報整理のミーティングをしていても、日本に戻って分析をしていても、家族の名前やパラッツォ名では、どれがどの家だかすぐには思い出せなくなる。そこで編み出された我々の方法が、片っ端からニックネームを付けることで、こうするとどの家についても鮮明に記憶でき、互いにすぐに情報交換できるから不思議だ。(p.64、強調は引用者)



調査に限らず、旅行などでも使えそうなテクニック。参考になる。


アルベロベッロ

 歴史を誇るイタリアでも、文化財としての建築の考え方は、時代ごとの価値観の移り変わりとともに、大きく変化してきた。古くは、神殿や教会、公共建築や宮殿、そして貴族の邸宅といった有名建築だけが歴史的・文化的な価値のある保存すべきモニュメントとして考えられてきた。名もない一般の民家に人々が美を感じるようになるのはずっと遅れるし、城壁の内側のチェントロ・ストリコ(歴史的な街区)全体が貴重な文化財として認識されるのは、1960年代になってからである。田園に点在する小さな町や集落が評価されるのは、それよりさらに遅れる。(p.86)



旅行者としてこれを捉えなおしてみる。大モニュメントだけを楽しむのは時代遅れで、街そのものを楽しむというスタンスが新しい、という感じだろうか。まぁ、「新しい=良い」ではないけれども、単純に考えても、大モニュメントを見るだけの観光旅行は味気ない。確かに、私自身も偉大なモニュメントに「打たれる」経験は何度もしているし、それだけでも素晴らしいものではある。

しかし、やはり「見てくるだけ」の旅行では面白みは半分もあるかどうか。建築や街そのものを体感し、特にそこに住む人との関わりが、やはり私の場合、旅の醍醐味となる。お恐らく、「文化財に対する認識」とこうしたタイプの旅行観は並行現象なのであろう。
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パスカル 『パンセ』(その2)
『パンセ』だけでなく、『世界の名著 パスカル』を読んだ上での私見。

パスカルに対して私が感じたのは「断片的な記述ばかりであまり徹底的につめて考える人ではない」ということである。議論の仕方としては、二項対立を利用した議論が多く、それらの両方を部分的に承認しながらその「中間」を是とするというのが基本的なパターンであるようだ。しかし、その弁証法的な論理が、必ずしもきっちり詰められているとも思えずないのである。

また、確実さを求めている割に、イスラームへの非難などはよく知らずに行っているとしか思えない点も気になった。同じようにキリスト教を弁護する際にはかなり独善的・独断的な命題を基礎に置いたりもしており、懐疑と信念のギャップが激しいのも特徴である。


特に『パンセ』では、キリスト教を弁護する議論が多い。このことは17世紀という時代(フランス北部・中部)の状況を反映していると思われた。

まず、論理的に無理が多く、独善的・独断的であるが、このことはキリスト教を弁護するということ自体が、思想的にもかなり苦しい立場になりつつあったことを示している。すなわち、キリスト教自体の知的正当性が失われつつあったことを垣間見えると私には思われた。

例えば、パスカルの表徴論などもその事例となるのではないか。パスカルは、新約聖書に対して旧約聖書がその予型にもなっている(二重の意味を持つ)ということによって、新約聖書に基づくキリスト教を正当化できると考えている。このような「幼稚な」議論に逃げ込まざるを得ないほど追い詰められていると私には見える。

なぜなら、新約聖書と旧約聖書は書かれた時代が異なるのだから、新約聖書の著者が旧約聖書を都合よく利用できたのは当然であり、似た部分が出てくるのは作為的にできることである。それなのに、「それらの間の対応関係を見て旧約は新約の表徴となっているから正当である」と言ってみたところで、歴史的な視点を持って考えれば、そうした証拠にはならないからである。

また、少し時代は下るがライプニッツなども『弁神論』を書いており、これらの著書が書かれたという事実は、キリスト教を理論的に弁護しなければならないという要請(個人的と社会的のいずれも)が持続的に高まってきたことを示しているとも考えられる。

これは、世俗諸侯の勢力が教会の貴族の勢力に対して相対的に優位になり、教権制的な支配構造が揺らいでいることが、その背景にあると思われる。

また、弁神論が必要であるということによって、キリスト者であろうとするものは分派に追い込まれるという現象が生じていたのではないか。すなわち、分派のより重要な原因は他の社会的・政治的・経済的な要因によるとしても、それをイデオロギー的にも推進してしまっているように見える。というのは、キリスト教を弁護しようとしても、その弁護するときの理屈が各人で異なってしまうために、互いに各々の支持者同士で批判しあうことになるからである。

こうしてセクト化した人びとは、集団が小規模になればなるほど、より熱狂的に信じる方向に進む者が出てくる。マックス・ウェーバーがこの時代を極めて宗教的であったと描き出すのも、そうした人びとが残した文献が多く残っていることと無縁ではないと思われる。(もちろん、社会的に停滞期であったために宗教が提供する共同体的な凝集が必要だったという要因も考えられるが。)

しかし、繰り返しになるが、それと同時に(一見すると相反するが)政治と社会の世俗化も進んでいたのが、この時代の(フランス北部から中部の)状況なのではないか、というのが、私が本書から読み取った限りでの時代状況である。

より実証的で本格的な研究と、私が読み取ったものとを、今後比較できたら面白いと思う。

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パスカル 『パンセ』(その1)
ページ数は中央公論社「世界の名著」版のもの。

 われわれの本性は運動のうちにある。完全な静止は死である。(p.119)

 われわれを楽しませるのは、戦いであって、勝利ではない。
 ・・・(中略)・・・われわれが追求するのは、決して事物なのではなく、事物の探求なのである。(p.120)

 感嘆は、幼児からすべて台なしにする。おや、なんて上手に言えたんでしょう。おや、なんてよくやったんでしょう。なんておりこうなんでしょう。等々。(p.131)



これらの句から、パスカルは生命が作動するものであることを見て取り、勝利したときのように「他者」が消去されてしまうことの不快をも感じ取っている。そして、三つ目の句では、それを教育にまで応用できている。成果を評価しても、良い教育にはならない。そうでなく、作動することが重要である。

パスカルはこうしたことを感じ取ってはいるようだが、それを明確に示すことは出来ていないように見受けられる。

 絵画とは、なんとむなしいものだろう。原物には感心しないのに、それに似ているといって感心されるとは。(p.120)



パスカルはしばしば、面白いところを衝く。

パスカルが言うような違いが生じる理由は、絵画には画家の意図と技術という要素が絡むからであろう。

すなわち、絵画は原物を見るのと異なり、何を表現しようとするのかを読みとこうとする作業や、それをどのように実現しようとしているかということを見るものに要求する。少なくとも見る者が「感心する」のは、そうしたものを見て取ったときである。そして、それには「戦い」を減ることが必要である。それがこの場合の「原物」と「絵画」の違いではなかろうか。

そうであれば、それほどにまで「むなしい」ものとも言えまい。

確かに、それによって特別役立つものができるわけでもない点などは「むなしい」と言えなくもないが、それを見ることや描くこと自体のある種の「無駄さ」も時には必要かもしれないし、ルノワールが言うように快適な絵を見ることは、心に心地よいのであり、そうしたものを「むなしい」とは言えまい。

<武器なしの生活などありえないと考える、荒々しい国民>彼らは、平和より死のほうを好む。他のものは、戦争よりも死を好む。(p.132)



これは両極端の場合について当てはまる。すなわち、武力増強をひた走る場合と、絶対的平和主義。しかし、集団の場合、前者の方向に進み出すと歯止めが利かない。そこへの実質的な歯止めが重要だとする私の持論はそれ故のものである。

 人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。彼をおしつぶすために、宇宙全体が武装するには及ばない。蒸気や一滴の水でも彼を殺すのに十分である。だが、たとい宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ぬことと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。宇宙は何も知らない。
 だから、われわれの尊厳のすべては、考えることのなかにある。われわれはそこから立ち上がらなければならないのであって、われわれが満たすことのできない空間や時間からではない。だから、よく考えることを努めよう。ここに道徳の原理がある。(p.204)



有名な一節である。しかし、私見では誤っている。特に、「なぜなら、彼は自分が死ぬことと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているから」という理由で、人間が宇宙より尊いとするのはある意味では意味不明である。

確かに人間の知性によって自然をある程度制御したりすることはできるだろう。しかし、この論理を一歩進めると、同じ人間の間でも、知性の優れた者ほど尊いという結論になる。これを考えるだけでも何かがおかしいと感じる人は多いのではないだろうか。

もちろん、優れた知性の持ち主は、人類にとって大きな貢献をするかもしれない。しかし、マンハッタン計画に携わった科学者が「これで俺たちはみんな悪党だよ」と言ったように、そうした貢献が必ずしも良いこととは限らない。そうした価値相対的な観点からも批判されうる。

ここでのパスカルの価値観はかなり主知主義に偏っているということである。少なくとも、そのようにしか表現されていない。

私見では、「他者があることは快である」ということを人間にとっての普遍的な原理と考えるので、当然にある人の尊厳、ある人がいることの価値というのは、そこに求められる。ある人にとって「他者」であることが、その人の尊厳のコアになる。その意味では自然と人間は特段違わない。しかし、上記の原理が「人間にとっての」ものである点で人間とそれ以外の存在者とは区別される。

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谷一尚、塩田紘章 『古代ガラス――銀化と彩り――』

この有銘ガラス器の系統は、1世紀後半以降はその製作の中心がローマなどイタリア半島に移動したようで、四輪馬車競技・剣士闘争・陸上競技などの図様のあるサーカス杯とよばれる一群の銘文入り容器がローマからガリア・ブリタニアなどの西方属州で出土している。これに対しシリア方面では1世紀後半以降銘文は無くなり、ギリシア・ローマ神話のメドゥーサ(鬼女ゴルゴン3姉妹の1人、頭髪は蛇でその顔を見た者は石になった)やヤヌス(ローマの門神で炉の女神ベスタと一対で表される、1月Januaryの語源)、葡萄・ざくろなどの果実、聖水瓶などを浮出文様で表現したものが盛んに製作されるようになった。(p.93)



相対的に貧しい西方属州こそ「パンとサーカス」で統治されたということが反映しているのだろうか?

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鈴木直志 『ヨーロッパの傭兵』

戦争と兵員供給とのあいだには、一つの悪循環があった。戦禍によって生活基盤と保護とを失った人びとが軍隊に安全を求め、兵士になった彼らが新たな戦禍を招くと、それによって居場所を失った人びとがさらに新たな兵士となる、という悲しい循環が、三十年戦争の時代には成立していたのである。(p.30)



軍隊にまつわる問題ではこうした悲劇が多々見られる。

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『世界の名著 ルター』
本書を読んで、私が見たルターの立場は、世俗権力を擁護するイデオローグである。特に経済的利益を擁護する傾向があり、世俗権力が軍事と支配の権力を持つことを擁護する。

そのことは世俗権力にだけは建設的な批判を行っているが、それ以外の勢力、ローマ教会、農民、プロテスタントの他の分派へは否定的な批判を行うことからわかる。従って、ルターを世俗諸侯がかくまったのも偶然ではない。

ルターが彼の神学の内容でそのことを見ると、おおよそ次のようになる。

信仰義認説には、行為や律法による義認を否定することで、教会法や教会の命令による人民支配や搾取から「ドイツ」を守ろうという意図がある。

例えば、『キリスト教界の改善についてドイツ国民のキリスト教貴族に与う』における贖宥状や枢機卿批判もその一部である。ローマ(教皇)による「ドイツ」からの簒奪という文脈にそれらはおかれる。つまり、ローマ教会が資金を集めるために「ドイツ」で贖宥状を売れば、「ドイツ」の金がイタリアに流れることになり、また、多数の枢機卿が設けられることは、彼らがイタリアから「ドイツ」の司教領や修道院、高位聖職禄を独占することで、ローマ教会による「ドイツ」への政治的介入が行われ、それが「ドイツ」を疲弊させていると批判する。

こうしてローマの教会権力による政治的介入によって、「ドイツ」の世俗権力や人民が搾取される構造を打破しようとしており、そのために政教分離的な主張が行われている。なお、ナショナリズム的な発想が16世紀にすでに見られるのは興味深い。

また、聖書主義と万人祭司説も同様にローマ教会による正当性の独占を打破するものであり、こうして政教分離を行う(より正確には、教権による俗権への干渉を排除する)ことで、世俗権力を教会権力から守ろうとしている。

こうしてルターは教権から世俗諸侯の権力を擁護するが、他方、農民に対しても、基本的には諸侯の側に立って発言している。

農民が「公正な社会」の実現を求め、諸侯の圧政に対して立ち上がったことに対して、ルターは一定の共感は示しており、諸侯に対しては圧政をやめるよう批判している。しかし、基本的には耐え忍ぶことこそキリスト者であるという類の言説で農民を黙らせようとしている。こうした態度は「支配者のイデオロギーとしてのキリスト教」の側面をそのまま受け継いでいる。

ちなみに、農民、ローマ教会、世俗権力のうち、世俗権力を擁護するが、単なる提灯持ちではなく、建設的な批判も行っているために、思想史や神学的な立場からのルター解釈を行う人々には、この立場が見えにくくなっているように思う。

そして、こうして世俗権力批判をも行うにあたっては、ルターは自らの正当性を確保する必要がある。そのため神学的に理論武装しているという面がかなりあるようである。その際、ルターの論理的な拠り所とされるのは「霊の人」と「肉の人」の区別である。しかし、霊の人と肉の人の存在は前提されており、それらがどのように存在するのかということはほとんど不問に付されている。そこに恣意的な判断が入り込んでいるため、たとえ一貫性がない発言であっても、いくらでももっともらしく主張できるようになっている。これがルターの思想の最大の問題点であろう。

なお、本書は、抄訳の文章が多いが、どこで省略したのかなどが明示されておらず、学術的文献としては用を成さない。その点は残念である。

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酒井亨 『哈日族 なぜ日本が好きなのか』

 蒋介石から蒋経国への親子の権力継承、狂信的なイデオロギー、秘密警察による住民監視と統制、言論の自由の圧殺など、この時期の国民党政権の行為は、現在の北朝鮮と何ら変わらないものだった。共産主義を憎むといって、言論や思想を統制して、多様性を認めなくなった時点で、実は自らも共産主義と同じドグマに陥っただけのことである。これは、最近日本の過度の「北朝鮮バッシング」風潮についても教訓となることだが。(p.34-35、強調は引用者)



全く同感である。

 事実、朝鮮半島やベトナムも含めた中華圏の文化は、実は長江の南北の違いが大きくて、むしろ朝鮮は華北と大きな違いはないという、日本の言語学者・橋本万太郎や文化地理学者・諏訪哲郎らの重要な指摘がある。(p.206、強調は引用者)



私見では、この相違はアルプス以北と地中海世界との違いに似ているように感じる。興味深いので、今後、掘り下げていく価値がありそうだ。


グローバル化の進展や各国の経済発展は、好むと好まざるとを問わず、異文化への偏見を減らし、とにかく目新しいものを受け入れていく方向に進むだろう。(p.219)



台湾における近年の哈日現象は、グローバル化の中で人や文化の往来が活発になったことによる現象だと著者は見ており、これには私も同意できるが、今後もこうした融合は進むとする見方はやや楽観的に見える。

物質と金融の動きがグローバル化することで、国内と国外の利益の共通性が崩れ、グローバル化により利益を得やすい階層や業種とそうでない階層・業種の分化がどこの国内でも進んでいく中で、国民統合のための原理としてのナショナリズムが高揚し(為政者らにより利用され)、保守化や排他主義が進む傾向が他方にあるからである。それが何かのきっかけでそれが暴走を始めれば、こうした文化交流に対しても否定的な流れが出てくることはありうる。

従って、単純に異文化の交流が促進されるというよりは、商品化されやすく、さらにそれらのうちで受け入れられやすいものが選別されて、相互に浸透するという程度に限定されることが多いのではなかろうか?もちろん、日本(と北朝鮮?)以外の地域については、相互の交流は今よりは深まる可能性は十分あるとは私にも思われるが。



(日本の右派がやたらと「誇り」それも「日本人としての誇り」にこだわることや、彼らがサヨクとみなす人びとが、戦争責任の問題に関しては基本的に「日本が悪い」とすることに対して異様なまでの執拗さで反対しようとすることにそうしたナショナリスティックな保守的排他主義が現れていよう。

かつて、日本は中国や韓国やその他のアジア諸国の中で図抜けて高い経済力を持っていたが、その差が次第に縮まりつつあり、国際政治におけるプレゼンスも低下していると感じられる中、「既に強い存在であった日本」に自らを同化させ、その「日本=自分」が悪いということは認められず、かつ、「日本=自分」が保っていた地位による優越感を失いたくない、という動機が日本の右派の「反サヨク」的な言動を動機づけているのである。ちなみに、日本の右翼は特定の中身がない「反左翼」でしかないとしばしば言われるのも、こうした点を見てのことであろう。

私としては、そうした右派の連中に対しては、最低限、[行政組織としての]政府と[想像上の擬似共同体でしかない]国家との区別くらいはしておけ、と言わせてもらいたいところである。)

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田村秀 『データの罠 世論はこうしてつくられる』

 日本の街並みを見渡せば、東京や大阪といった大都市でも、中心市街地のなかに二階建てあるいは平屋の一軒家というものを少なからず見かける。だが、ヨーロッパの多くの都市では、中心街にそのような建物はほとんどない。一軒家であれば、原則として四方に隙間を空けなければいけないが、テラスハウスのようないわゆる長屋であれば、前面と背面の二面だけを空ければいいわけで、土地の有効利用も容易である。
 例えば、イギリスの一戸建てはわずか21%であるのに対して、日本は実にその約三倍の59%となっている。また、ロンドンに限ると一戸建てはわずか5%しかなく(二十軒に一軒)、住宅のほとんどが集合住宅である。一方、東京二三区では26%と、四軒に一軒は一戸建てである。一戸建て以外の大半を占める共同住宅でも、約三割は二階建てか平屋である。
 ヨーロッパの街が広々とした感じにみえるのは、人口密度が東京よりも低いということもあるが、それ以上に住宅がコンパクトに集合化しており、これによって道路や歩道、公園といった都市に欠かせないオープンスペースが十分確保できているからである。見方を変えれば、我が国では、地方だけでなく都市部でも一戸建て志向が根強く、また、行政の規制も少なかったために、いわば間延びした街並みが形成されてしまったわけである。日本人の住まい方に多くの課題があったのである。
 ・・・(中略)・・・
 欧米の街の豊かさは、個々人の住生活に一定の縛りをかけて、住宅の集合化、共有化によって醸成されている部分が大きい。(p.185-187、強調・下線は引用者)



確かに(私が訪問したことがあるのは今のところ20~30都市程度にすぎないが)ヨーロッパの都市の住宅で一軒家というのは、あまり見たことがない。特にパリなどは、まさに田村氏の言うようになっていると思う。

なお、私は旅行する際には、都市の街並みを見るのを楽しむが、一軒家と長屋などといった住宅のあり方にはそれほど着眼していなかった。こうした点も考慮に入れると、より興味深く見ることができそうだ。

日本は土地の有効利用が出来ていないので、都市部では無理にコストがかかる高層マンションを建てる必要が生じ、そのことがコストダウンの必要を迫ることになり、耐震偽装マンションが建てられる背景にあると著者はこの部分で指摘しているが、そうした見方も可能かもしれない。その際にポイントとなるのは、規制がしっかり行われていないことが、巡り巡って安全性を脅かしている、ということである。

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