アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
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「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

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モンテーニュ 『エセー』

刑罰は、悪徳を鎮めるよりはむしろかきたてる。・・・(中略)・・・
 わたしはこの意見が正しいものかどうか知らない。しかし、わたしは、経験によって、けっして国家がこれによって改革されたことがないということは知っている。行為風習の秩序正しさ、規則正しさは、何かほかの手段に依存しているのだ。(「世界の名著」版p.247、強調は引用者)



近年の日本では何か社会問題が生じると、すぐに「厳罰化」と言われる。しかし、それはあまり良い方向に向かうことはない。一つの問題に蓋をするかのように「封じ込め」たとしても、それは別の問題として浮かび上がるだけだ。

半年以上前のクーリエ・ジャポンに載っていた記事だが、オランダのフリースランド州ドラフテンという町では、交通事故をなくすために信号機と道路標識をなくしたそうだ。

すると、実際に事故は減ったという。

つまり、ドライバーはより注意深く、そして周囲にも気を配って運転するようになったので、事故が減ったのだろう。

いたずらに「罰する」ことによってではなく、「人が生きるのに適したシステム」を構築することで問題を解決する。こうでなくては、と思う。

われわれの国の内戦の暴力からわたしの家をまぬかれさせているのには、おそらく、容易にはいれるということが、ほかのいろいろな方策のうちで、いちばん役にたっているのだろう。防御は攻勢を呼び、挑発は攻撃を呼ぶ。・・・(中略)・・・わたしの家は、その扉をたたく者が誰でも、その人にむかって閉ざされてはいないのだ。・・・(中略)・・・貴族は、完全にしてあるのでないかぎりは、防御の態勢にあることを誇示するのはまちがっている。ひとつの側が開いているのならば、どこも開いていることになる。
 われわれの先祖たちは要塞を建設しようなどと考えはしなかった。大砲や軍隊のない場合のことだが、攻撃する方法は、毎日、防御する方法を上回って拡大していく。人間の知恵は、だいたい、この攻撃という方向へ研ぎ澄まされていく。侵入は誰にでも関係がある。しかし防御は、金持の人たちを除けば、そうではない。わたしの家は、建設された時代の仕方どおりの強固さだったのだ。わたしはこの点については何もつけ足していない。その強固さが自分自身にはねかえってくることをおそれるからだ。それに平和な時代になれば、堅固な家は防備をとりこわすよう求められるだろうから。またそのような堅固な家は、いったん奪われると、とりもどすことができないから危険だ。・・・(中略)・・・これほど数多くの防備をした家々が破滅し、わたしの家が残っているということは、それらの家々は防備をしてあったから破滅したのだと思ってみたくなる。防備は攻撃する者にそうする気持ちと理由を与える。あらゆる防備は戦争の顔つきを見せる。(p.248-249、強調は引用者)



この文章を理解するには、モンテーニュという人を取り巻く幾つかの情勢を知っておく必要がある。

モンテーニュが『エセー』の初版を出したのは1580年である。この頃、現在のフランスにあたる地域では宗教戦争が真っ盛りであった。そんな中でモンテーニュは一貴族としてカトリック側についていた。従って、プロテスタント側からは敵とみなされる立場にあったわけである。

そうした中で、モンテーニュは彼の家を守るにあたって、防備を固めることによってでなく、敵対の意志を示さないことによってこそ、それをうまくなしえたことを主張している。

近年の日本政府が、やたらと仮想敵国を想定して敵対的な関係を作り上げていき、自国の防衛力を高めようとしているのとは全く反対である。そうしたやり方ではうまく行かない、ということを既に400年前のモンテーニュは主張していたわけである。

さらに興味深いのは防衛力を強化すると財政を圧迫するということにもモンテーニュが言及していることである。「誇りを持てる日本」にするという理由によって防衛力を高めることが、財政状況をますます悪化させ、社会保障はますます切り詰められ、消費税の増税の必要性はますます強く主張されるようになるということに気づくべきであろう

ちなみに、私は増税論者であるが、消費税増税は最後の増税であると考えている。増税をする場合は、まず所得税と法人税の累進性を高めることと、所得税ではそれ以前に分離課税の撤廃が先決であり、額は小さいにせよ相続税や贈与税の税率を上げることである。

また、モンテーニュの次の主張も傾聴に値する。

おおやけの、また個人のもっとも誤った考えをはぐくむ母親の役をするものは、人間が自分自身をあまりにもよいものと見る意見だとわたしには思われる。(p.254、強調は引用者)



まさに安倍晋三が主張する「美しい国」とやらは、これに該当するのではないだろうか。「誇りの持てる日本」などの言葉で言われていることも「もっとも誤った考えをはぐくむ」ものである。一言で言ってしまえば、「ナショナリズム」としてカテゴライズできる考え方は、すべてこれに該当する。
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高階秀爾 『芸術のパトロンたち』

「歴史画」が、基本的にその物語的内容に対する理解、すなわち文学的・歴史的教養を前提とするのに対し、肖像画や風景画や静物画は、見てすぐわかるということを大きな特色とする。つまりそれは、新たに登場してきた広範な鑑賞者の誰にも受け入れられやすいジャンルと言ってよい。(p.129-130)



20世紀の絵画などを考えると、かなり「わかりにくい」ように思える。そう考えると「わかりやすい」絵画が主流だった時代は意外と短かったと言えるかもしれない。

芸術に対する政府の関与を極端に嫌うアメリカにおいても、1930年代には大がかりな連邦美術計画が実施された。これは、地方都市の銀行、鉄道の駅、郵便局などの公共施設を絵画、彫刻で装飾しようというもので、大恐慌後の不況時代の失業対策であったニュー・ディール政策の一環であったから、まさしく政府のパトロン事業である。1934年から10年間にわたって続けられたこの計画では、3600人の美術家が動員され、1000を越えるアメリカの都市で1万6千点以上の作品が生みだされたという。そのやり方は、作品を買い上げるというのではなく、材料費などの実費は政府もちだが、芸術家たちは月給制で、つまり一時的に公務員として雇われるというものであった。当時すでに名をなしていたステュアート・デイヴィスや国吉康雄などの他、ポロック、デ・クーニング、ゴーキー、ロスコなど、後に戦後アメリカ美術の旗手となる若い画家たちもその恩恵に浴している。(p.202-203、強調は引用者)



この政策が具体的にどの程度の効果があったのかはわからないが、この政策の考え方は重要である。政府の「保護を受けて」生き残った者もしっかり活躍しているのである。近年の日本政府のような新自由主義の政策を採用したとしたら、これらの画家たちは芸術活動を続けることもできず、不況の中、他の就職先も容易に見つからない中で、「ただの失業者」として過ごしたに違いない。

現在の日本で30代くらいのニートが増えているというが、彼らがまさにそうである。日本政府の政策の犠牲者が多く含まれている。

芸術家として(それ以外でも何かの職業に就いて)スキルや経験を積み、人脈を広げていくことと、失業して技能が十分に生かされないこと。果たしてどちらが好ましいと言えるのか?日本政府は新自由主義の政策を方向転換することが必要なことは間違いないように思われる。

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