アヴェスターにはこう書いている?
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坂井豊喜 『多数決を疑う 社会的選択理論とは何か』(その2)

ここで民主制の実質と形式を区別する必要がある。それを怠ると、実質的には民主的でないものが形式を満たすがゆえに民主的とみなされてしまう、錯視が生じやすいからだ。(p.143)


実質的に民主的であるということを規定しようとするとかなり難しい面があると思うが、形式的に民主的な論理で説明がされたとしても、必ずしも実質的な民主性は担保されないという事実を意識させる意味でこの区別は重要と思われる。

例えば、パブリックコメントや公聴会などは民主的な決定手順を踏んだと政府が主張するための儀式となっているが、そのような形式的な手続きを踏んだかどうかだけで判断すべきではないのは、民主制を是とする限り本来当然のことであろう。さらに言えば、小選挙区制の導入によって投票者の意見と代議士の意見とが大きく食い違うことに加え、投票数と議席数も大きく食い違うようになっており、更に個別の代議士の意見など全く無に帰すような党議拘束がある中での議会が決定を行うということ自体、民主的な制度によって決定すべきだというアイディアからすれば全くかけ離れたものであるということも銘記しておきたい。

安倍政権のように選挙で選ばれたことを民意として都合よく解釈しつつ、意思決定のためのルールを恣意的に用い、さらにチェックのためのマスメディアも機能させないように手を尽くすような政権の下で、上記のような制度が悪用され続けるのはそろそろ終わりにしたい。よりまともな政権の下で制度改正することが望ましい。



 執行を担当する行政機関へ、有権者が直接関与するための手法のひとつが、住民投票である。國分氏が強調するように、これは議会制度を否定したり根本から作り変えたりすることではない。それは人々が行政に直接関われるルートを、政治体制の補強パーツとして追加していくことだ。(p.150)


適切な位置づけ。代議制の代表者たちは往々にしてこうした直接民主制的な補完を嫌い、筋の通らない否定論(直接民主制は間接民主制を否定するといった類の議論)を述べることがある。一般市民もこうした問題について十分に考えていないので、こうしたレベルの低い議論を突きつけられてもあまり問題に感じないようであり、この点は、日本の社会科教育が形式的な知識ばかりを教える傾向があることの弊害であり、改善すべき課題であると思われる。


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坂井豊喜 『多数決を疑う 社会的選択理論とは何か』(その1)

「民意」という言葉はよく使われるが、この反例を見るとそんなものが本当にあるのか疑わしく思えてくる。結局のところ存在するのは民意というより集約ルールが与えた結果にほかならない。選挙で勝った政治家のなかには、自分を「民意」の反映と位置付け自分の政策がすべて信任されたように振る舞う者もいる。だが選挙結果はあくまで選挙結果であり、必ずしも民意と呼ぶに相応しい何かであるというわけではない。そして選挙結果はどの集約ルールを使うかで大きく変わりうる
 言ってしまえば、私たちにできるのは民意を明らかにすることではなく、適切な集約ルールを選んで使うことだけなのだ。(p.49-50)


非常に腑に落ちた箇所。

現在の日本の選挙制度は人々の意見をまともに反映する集約ルールになっていないということは広く理解されなければならず、そのような集約ルールの下で選ばれた者が白紙委任を受けたかのような言動をすることを許してはならない。



 しばしばなされる誤解だが、一般意志を全体主義的に捉えるのは大きな誤りである。むしろそれは多様な人間が共存する基盤、自由社会の枠組みを志向するものだからだ。一般意志は差別や偏見を許容しない。社会契約はその成り立ちから、法のもとでの平等や一人一票の原則を含む、構成員間の政治的平等を重視する。これは政治的権力や政治的権威に構成員間で大きな偏りがある、全体主義的体制ではありえないことだ。(p.78)


なるほど。ルソーの一般意志についての本書の解説は非常に分かりやすく説得力を感じた。最近20-30年程度の間に展開された公共性についての議論や熟議民主主義などの議論などと共鳴し得る内容を含んでいるように思われた。ただ、一般意志の考え方には全体主義がつけ入る隙がある(そのような解釈を整合的に許してしまう側面がある)という理解は同時に重要であると思われる。その意味で、全体主義的な解釈をあまり簡単に誤解と切り捨てるべきではないのではないか。



 本来なら憲法は法律を上位から縛るものだが、公職選挙法が小選挙区制を通じて、下から第96条の実質を変えてしまっているのだ。現行の第96条が与えているハードルは実質的には三分の二ではなく過半数であり、過半数とは多数決で物事を決めるときの最低可決ラインである。64%多数決ルールの議論が与えるメッセージは、第96条における国民投票の可決ラインを、64%程度まで引き上げるべきだというものだ。
 結論をまとめよう。第96条の擁護として「人間は判断を間違いうるから現行の三分の二条件を尊重せよ」とはよく言われる。また改憲の硬性は、多数派の暴走が少数派の権利を侵害することへの歯止めだとしても重視される。
 これらの考えは確かにその通りである。しかし、そもそも多数決は、人間が判断を間違わなくとも、暴走しなくとも、サイクルという構造的難点を抱えており、その解消には三分の二に近い値の64%が必要なのだ。そしてまた小選挙区制のもとでは、半数にも満たない有権者が、衆参両院に三分の二以上の議員を送り込むことさえできる。つまり第96条は見かけより遥かに弱く、より改憲しにくくなるよう改憲すべきなのだ。具体的には、国民投票における改憲可決ラインを、現行の過半数ではなく、64%程度まで高めるのがよい。(p.134-135)


小選挙区制を通じて憲法を改正しなくても改憲のハードルが下げられてしまったというのは全くその通りであり、昨今(80年代以前と比較して)、改憲が語られることが多くなっているのもその反映であろう。

多数決にはサイクルという構造的欠陥があり、それを解消するためには64%以上の多数決による決定が必要だという指摘は極めて重要なものであり、この知識は社会全般に広く共有されるべきだ(義務教育でも、少なくともその結果だけは教えられるべきではないか)



土方透 編著、K・アッハム、J・ヴァイス、姜尚中、荒川敏彦、細見和之 『現代社会におけるポスト合理性の問題 マックス・ヴェーバーが遺したもの』
細見和之

むしろ、私たちの時代においてはあらゆるカリスマを「偽りのカリスマ」として批判的に分析する視座こそが重要ではないだろうか。(p.118)


同感である。カリスマ的な強力なリーダーシップに頼りたいという風潮がここ10年以上蔓延している中では特に重要なことである。つい先日も小池百合子が危うくこうしたカリスマになりそうになったが、自身の言動(民進党を吸収する際の「排除」発言や実際の排除行為)によってカリスマを失った。このような分かりやすい失敗がなかった場合でも、いわゆる「踏絵」の内容やこれまでの都知事としての意思決定の仕方などから独裁的な志向が強いということくらいは見抜き、それが広く知られるような報道がなされることに期待したい。



荒川敏彦

他方で奥村宏は、「企業の社会的責任」論が流行するなかで、結局は利益のためのCSRと化している状況を批判する。(p.193)


同感である。



土方透

 結局、非合理性とは、それが合理的でないといわれる限りにおいて、合理性の枠から見た非合理性である。(p.224)


非合理性ということは常に合理性の側から見られたものだという指摘は興味深い。



土方透

よくいわれるように、核が多元的であるか、複数のコンテクストを有しているか、あるいは「大きな物語」が終焉したかは、すなわちそれによって近代が終焉したという指摘は、この脈絡では意味をなさない。なぜならば、単一性に対して多元性を主張する主張そのものは唯一的であり(つまり多元主義は一つの主義であり)、コンテクストの複数性の指摘そのものは単数であり、大きな物語の終焉は、そのテーゼそのものが「大きな物語」だからである。そうした近代に対する評価は、その評価そのものが、その評価を成り立たせた指摘を免れているというやり方で可能になっている。つまり、それらがまだ自己言及的な論理のなかに措かれていない。逆にそこに措かせることで、これらをすべてこれまで述べてきた近代の内に回収することができる。(p.240)


多元主義は一つの主義であり、コンテクストの複数性の指摘は単数であり、「大きな物語」の終焉は大きな物語であるという指摘は興味深い。



土方透

あるいは、それを「客観」を超え出て「客観」というプロセスとして記述するのであれば、後述するように、もっとラディカルに(区別の区別として)展開することが可能であろう。(p.244)


客観性という難しい問題を考えるとき、それを「客観性」と捉えるのではなく、「客観化のプロセス」と記述するというのは、客観性という問題を考える際に非常に重要なポイントであると思われる。


内藤辰美、佐久間美穂 『戦後小樽の軌跡 地方都市の衰退と再生』(その2)

 明治中期になると高島は次第にコミュニティとしての要件を備えていく。「明治17年11月、祝津学校分校として高島学校が発足、この年にはまた高島墓地も現位置に設定、高島稲荷(元禄3年)、祝津恵比寿神社(安政3年)の建立や寺院(正法寺―明治初年色内庁、浄応寺―明治13年手宮裡)の開山(同上:108-109)があった。墓地の設立はここを郷土とする人々が多くなってきたことの表れである。そして、「この頃、高島、祝津も移住が相次ぐ。高島へは越後(新潟)を主として越中(富山)、加賀(石川)から家族を挙げて移住・定着する」人が増えてきた。(同上:108-109)。(p.342)


祝津小学校は平成25年(2013年)3月31日で閉校となっており、学区としては高島小学校がかつての祝津小学校の学区を組み込むような形であったと思うが、歴史的には祝津学校から高島学校が出てきていたというのは興味深い。

墓地設立がこの地を郷土とする人々が増えてきたことの反映というのは納得。



 高島における越後盆踊りは内地から北海道の地、高島に移植された文化である。『新高島町史』は記述する。以下、『新高島町史』に目を向けてみることにしよう。「明治初期の頃から現在の新潟県北蒲原郡北部郷地方の村々は高島に移住者を出していた。特に藤塚浜では村の三分の二が焼失するという大火があり、それを契機に大量の移住者が現れた。現在、高島に多い、須貝・本間・小林という姓はその先祖は藤塚浜からの移住者である。(p.343)


北海道への移民について、どのような人々がどのような時期に移動していたのかというのは興味を持っているテーマの一つだが、火災で集落が被害を受けたことが契機となった地方もあったということか。こうした事例はどの程度あるのか?



越後盆踊りの歌詞は恋愛や性に関する内容を含んでいたために第二次世界大戦中は禁止された歴史がある。(p.350)


このことはあまり語られていないように思う。



高島は文化活動の盛んなところでもある。文化活動の拠点が高島町会館。この建物は町民の寄付と市の補助金で建てられた。土地は旧高島小学校跡地。この土地は一度市に寄付されたあと、市はここに支所をおいていたが、支所が廃止されてからその跡地に現在の会館を建設した。(p.351)


現在の高島会館が竣工したのは平成11年(1999年)のことだが、この場所が旧高島小学校の跡地ということか。現在、敷地に隣接する場所に広い駐車場があるが、ここは高島保育所があったという情報もある。斜め向かいには旧高島町役場の庁舎もあることから、一時期は高島という町の中枢をなす場所だったと言えそうである。今の現地は、旧庁舎と会館の存在によって辛うじてそうした面影を残しているものの、それ以外にはそのように思わせるような要素はほとんどないように思われる。



小樽市は日本資本主義と小樽市がおかれている歴史的位置を冷静に分析し、向かうべき方向を確認しなければならない。一時的な誘惑に駆られて小樽市の発展に馴染まない政策を採用してはならない。私見を言えば、話題になった「カジノ」は小樽の歴史にも現状にも馴染まない。カジノの風景に最も合致するのは新自由主義である。小樽市はむしろ新自由主義と対極にあってその存在を訴えることができる都市である。これからの日本は、そして小樽市は、一時的な発展よりも中長期的な安定的発展を志向する以外途はない。(p.381)


カジノを小樽市に誘致することには反対であり、それは小樽の歴史にそぐわないという主張には共感するが、小樽が明治期から急速な発展を遂げて最盛期を迎えるまでの経過はブローデル的な意味での「資本主義」(国家と資本が結び付いて相互の権力を高めていく過程)の産物という側面が極めて濃厚であったという点を見落としてはならないように思われ、カジノ誘致に積極的であろうとする人びとの考えは、発想の上では、その時代の流れと同じ圏内にあるということに留意すべきである。

むしろ、「国家」側が小樽に資源を割く可能性が当時よりも遥かに期待できないため、誘致には成功しないだろうし、客観的に成功する条件が不足しているため誘致に成功した場合には経済的に期待したような成功は得られないだろうという見通しを持つことが重要であるように思われる。そして、経済的にカジノが成功する条件がどのように失われているのかということを的確にまとめて説明することが必要であろう。



官僚群の機能は国家、都道府県、市町を貫徹する。そしてそれは過度といってもよいほど顕著である。その点に留意していえば、単純に選挙のような表面的・形式的な制度の普及をっもって日本を民主国家と断定することには慎重でなければならない。この国の政治がどのように動かされているのかを突き詰めた上でなければ民主主義について論ずることができない。民主主義や民主国家を論ずる場合には、国民・政治家の憲法・法律の遵守意識、委員会等議会運営の在り方、三権分立の実態、投票行動の実態等々が検討課題として存在するであろう。そうしたことを含めて「政治運営の主体は誰か」という点の確認なしに、民主主義を論じることはできない。(p.395-396)


選挙で政治家を選んでいるという形式的に代議制民主主義をとっているというだけで、その国が民主的であるとは言えないというのはその通りである。ただ、ここでの文脈では官僚が実際に行政を運営しており、それが国民の意見を反映していないのであれば民主的とは言えないといったことを言いたいように見えるが、この議論は私に言わせれば90年代頃の議論であり、もう古い。

現状の日本はそんなことが問題なのではない。官僚機構は大規模な組織には不可欠なものであり、その意味で普遍的な現象である。官僚機構の活動が逐一、個々の人々の意見を反映すると考えるのはナイーブであり、そのようなことはあり得ないと前提しなければならない。むしろ、代議制民主主義とは委任と責任の連鎖であり、個々の国民の意見とは異なることを官僚が実行していても、官僚が国民ないし国民の代表に対して必要な説明が出来るのであれば、委任を受けるに値すると言える(委任を受けていないとまでは言えない)。90年代の政治改革を通じて実現してしまった現在の政治運営の最大の問題は中央政府レベルで言えば、官邸に権力が集中しすぎており、ほとんど誰もそれに逆らえない仕組みになってしまっていることであって、ごく少数の人間が文字通りやりたい放題のことができる仕組みになってしまっているということである。

森友・加計学園問題、自衛隊の日報問題で、政府がいかに説明をしようとしていないかを想起されたい。説明できないということは、委任を受けるに値するとは言えないということであり、それはすなわち公権力の行使は許されないということであり、それは民主主義の国家なのであれば、内閣は辞職するに値するということを意味する。




内藤辰美、佐久間美穂 『戦後小樽の軌跡 地方都市の衰退と再生』(その1)

 すしの町小樽はつくられたものだった。テレビという媒体が活用された。やって来た観光ブームがすしの町小樽を実現させた。(p.163)


小樽の名物の一つとされる寿司だが、このイメージはそれほど古いものではない。運河論争により小樽に対する全国的な関心が高まっていた1980年代半ばになってメディアを通じて創られていったという。



 小樽の直面する停滞と危機には複数の要因がある。外部的要因だけでなく、財政危機を招いた内部的要因もある。小樽の直面する危機、とりわけ財政的危機が、力量を超えた大規模投資、あるいは内発的必然性の乏しい外部資本に期待した都市づくりにあったことはまちがいない。マイカルや石狩湾新港には行政にも反省の声がある。衰退する都市に何とか歯止めをかけたいという焦りが身の丈を超えた一発逆転的な都市経営を生んできたのであろうか。一発逆転と言えば、いま、小樽ではカジノ誘致に熱心であると聞く。そこに、これまでの経験が活かされているのかどうか、外部者ながら懸念がある。(p.220-221)


最近はやや勢いが衰えた印象であるが、カジノ誘致について数年前まではかなり積極的に推進している人々が目立っていた。このカジノ誘致の動きを、過去の「大規模投資」や「外部資本に期待した都市づくり」と連続的なものとして見ている点は重要な見方であると思われる。



大東亜戦争中は何等進歩の跡はなかったが、昭和27年より同26年にわたり外地からの引上げ者を収容するため最上町と緑町五丁目に市営住宅を建築した。これによって最上町の住民が急増した、これらの住民に対する日用品の販売店が必要となり、鮮魚、青物商、その他の雑貨商が最上町に続々として開業した。昭和28年には、最上町の児童を収容するために最上小学校を新設するまでに発展したのである(小池信繁、緑町発達史、序:4-5)。(p.245)


小樽では人口が増えるにつれて市街地も広がっていったが、そうした動きの一つとして、緑町から最上町へと山側へ向かって市街地が展開していったことがわかる。



高島の町は、飯田さんのところから奥に船主の家があり成金町と呼ばれていた。松田市議の父も元は船であった。減船で経営が成り立たなくなって廃業した人が多く、その結果、成金町は衰退・消滅した。(p.318)


船主が同じ地域に密集したのは何故なのだろう?



 大事なのは彼の温厚な性格と控え目な生き方であった。彼は若くして機関士会の統合を実現した才能の持ち主であったが、その温厚な性格と控え目な生き方は彼をしてトップ・リーダーを支えるコミュニティ・リーダーの補佐役に終始させてきた。山田さんのような人の生き方には一つの特徴があるというのが私の仮説である。彼らは社会通念や政治思想については保守的であり革新的ではないけれども、かれらの生き方は献身的であり保身的ではなかった。ここで保守と保身とは厳密に区別されなければならない。保守的な人の中にも革新的な人の中にも献身的な人はいるし保身的な人がいる。これまで日本の地域社会は保守的で献身的なタイプの人物、とりわけ⟨世話役的なリーダー⟩によって支えられてきた。(p.326)


保守-革新という軸と保身-献身という軸による分類は参考にできそうに思う。

例えば、現在、衆議院選挙が始まっているが、安倍晋三が憲法を濫用して解散を実施したのは、彼の「保身的」な理由によるものであったと見るのが妥当だろう。それに対して、今回の選挙に当たっての目まぐるしい政局の動きの中で、私の関心を引いている政治家の一人に枝野幸男がいる。小池百合子と前原誠司が民進党が持つ金をいかに収奪するかに腐心して民進党は党として残しつつ、個別の議員が希望の党に持参金を貢ぐなどという手法を使ったのに対し、枝野が立憲民主党を立ちあげたことは、民進党からの寄附などについても言及はしているようであり、また、中道的リベラル派議員の議席を失わないための受け皿を作らなければならないという事情に押されてではあるにせよ、それなりに勇気のいる決断をしたように思われ、これを保身的か献身的かという軸で考えると、「献身的」に分類できるものだと見ている。

政治家を見るとき、最近はやりの「保守」かどうか、どのくらい「保守的」かという尺度で見ることに慣らされているが、その人の行動が「保身的」かどうかということを、口先の言葉だけでなく行動で判断する。この見方の方が確かなことが分かると思われる。




阿部謹也 『「世間」とは何か』

 斎藤毅氏の研究によると「社会」という言葉は明治10年(1877)に西周がsocietyの訳語として作り、その後定着したものという。日本でのこの言葉の初見は文政9年(1826)の青地林宗訳の「輿地誌略」であるが、それは「修道院」Kloofterの訳語としてであった。この「社会」という訳語に定着するまでには実に40以上の訳語が考えられていた。その中にはいうまでもなく世間という言葉も入っていたのだが、それが訳語として定着することにはならなかった。何故なら久米邦武が述べているようにsocietyという言葉は個人の尊厳と不可分であり、その意味を込める必要があったためにこの訳語を採用することができなかったのである。彼らの苦労のおかげで私達は、社会という言葉を伝統的な日本の人間関係から離れた新しい人間関係の場として思い描くことができるようになったのである。(p.175)


societyの概念と個人の尊厳とが関わっているという指摘には、なるほどと思わされた。


後藤治+オフィスビル総合研究所「歴史的建造物保存の財源確保に関する提言」プロジェクト 『都市の記憶を失う前に 建築保存待ったなし』

古社寺保存法の時代は、寺社の建物が危機に瀕しており、それのみが対象だったが、それが国宝保存法にかわると、城郭建築の保存に力点が置かれるようになった。そして、文化財保護法の施行後は、昭和30年代に入る頃には、危機に瀕した民家建築の保存が叫ばれるようになり、その後に全国の調査が進み、昭和40年代に多くの民家建築が重要文化財に指定された。また、昭和30年代中頃には、昭和42年に明治維新から100年を迎えることもあって、明治年間に建てられた洋風建築の保存が叫ばれるようになり、同じく昭和40年代にその重要文化財指定が進められた。(p.125-126)


建築保存の対象の変遷は興味深い。古社寺保存法は明治30年に施行された法律であり、国宝保存法は昭和4年に施行、文化財保護法は昭和25年施行である。昭和30年代に民家建築や明治洋風建築などの保存が叫ばれるようになったのは、高度経済成長の時期に入り、次々と建物が建て替えられていくことで、かつての建物が壊されていき、景観も大きく変わってきた時代だったということが背景にありそうである。



長い歴史をもつ先進諸国の首都のなかで、保存地区が存在しないのは東京ぐらいのものである。(p.129)


ヨーロッパを基準として見ると確かにこの点は際立っているかもしれない。ロンドン、パリ、ベルリン、ローマなどいずれも歴史的な地区や景観が残っている。

いわゆる先進国でないところも入れるならば、北京やカイロなどが私が訪れたことがある中では想起される。北京は今ではかなり古建築の破壊が進んでいそうな気はするが、故宮や円明園などのような史蹟まで完全になくしたりはしないだろう。(なお、イスタンブールは首都ではないが、経済的にはトルコでは最も発展した都市であるが歴史的地区も残っていることなども付記しておこう。)
『市民の科学 2015年第8号 責任倫理から共生倫理へ ヴェーバー生誕150年』
「現代は「エートス」を生成するか」より

 レスリスバーガーは、次のように観察を総括する。労働者たちは金銭的欲求よりも、職場における人間関係性の中で社会的承認を求める存在であることを指摘する。(p.23)


労働者たちは職場において社会的承認を求めるということは、ある意味では非常に当たり前のことではある。しかし、金銭上の取り扱いによって「インセンティブ」を与えようとする誤った方法がしばしば提唱されることによって、こうした当たり前のことが見えにくくされてしまうことがある。



「東北弁と「知性」」より

英語中心社会であるアメリカ社会では、スペイン語に対する見下しが日常的に行われている。スペイン語への見下しは、もとをただせばスペイン語圏、そしてスペイン語話者たちへの見下しが原因である(白人は、見下しとは思っていないが)。(p.124)


日本において東北弁に対してもこれと同様の見下しがあるとする点は興味深い論点と思われた。これは掘り下げて調べてみる価値がある問題であるように思われる。


『中央公論 2017年3月号 特集 ふるさと納税の本末転倒』
特集 ふるさと納税の本末転倒 「鼎談 そして、都市の逆襲が始まる……」より

片山 それから、どこかの自治体で、「寄付していただけたら実家などの雪かきをします」というのがありましたよね。これも物欲とはちょっと違う。そういう社会貢献とか地域貢献とかに限定した制度にリニューアルするという行き方は、一つあるだろうと思います。(p.37)


ふるさと納税と呼ばれている寄付金控除制度を何らかの形で存続させるのであれば、基本的にこうした方向に改正していくべきだろう。現行の制度のように、「2,000円の支払いで商品を買う」ような制度では、公共的なものというより私的な買い物(それも富裕層ほど有利な!)になっている。



石破 「物欲競争になっている」という批判はよく分かります。ただ、これも全否定すべきものではなくて、この制度を始めたからこそ「自分の地域の魅力を再発見しよう」「うちの町の素敵なもの全国にアピールしていこう」という一大ムーブメントが起こったのも、事実なのです。(p.38)


本書でこの鼎談の後に掲載されている幾つかの自治体の取り組みの状況などを見ると、確かに石破茂のこの指摘には一面の真理が含まれている。

しかし、それに対しても批判するとすれば、次のように言うことはできる。こうして探そうとする「自分の地域の魅力」のうち、活用されるものは大部分が商品や産業に偏るようなバイアスが、この制度にはあるということである。また、自分の地域の魅力を再発見しようという動きは、この制度がなくても各地域がすでに取り組まざるを得ない状況に置かれる中で取り組んでいるというのが実情ではないか。

この制度によって基本的には大都市から地方の市町村へと税源が移る傾向はあるようだが、税収が減る自治体は、交付税による穴埋めで大部分は埋まるが、歳入が増える自治体も、財政を見ると、お礼の品のために使っている金を考えると、財政的にはそれほど足しになっていない(むしろトータルで見ると悪化する圧力となっていると思われる)。もっとも、財政としては支出することになるお礼の品に充てる金も、地元の産業に回るということを考えると経済効果は多少なりとも認められるようであり、評価は難しい。



特集 ふるさと納税の本末転倒 別所俊一郎 「地方財政の格差はいかに是正されるべきか」より

 制度の趣旨からは、「選ばれた」地方政府の収支が改善し、逆に選ばれなかった地方政府の収支が悪化すれば足りるように思われる。しかし、現状では選ばれなかった地方政府の収支はそれほどは悪化せず(地方交付税交付金を受け取らない不交付団体では大きく悪化する)、国の収支の悪化をもたらす。(p.81)


中央政府の財政収支が悪化するという指摘は、この論稿を読むまで気づかなかった点であり、参考になった。ある意味、「選ばれた」地域の地場産業などに対して補助金を配ったり、公共事業を実施するような側面もあるということだろう。



 正常な価格のついた市場取引を通じた販路の拡大が地方創生には不可欠であり、政策に依存した生産者が増えることは健全な地域振興とは呼べないだろう。(p.83)


産業の振興という結果が出ているかのように見える場合であっても、それは公共事業としてその産業に金が払われているようなものであって、それは健全な地域振興とは言えない。全くその通りである。それに、この金もいつ来なくなるかわからないような安定性のないものである点にも留意したい。



 しかし、ふるさと納税にはこれまでに述べてきたようなさまざまな問題点があり、徴税権を持つ地方政府が他地域からの寄付に頼りかねず、自地域の住民と向き合わなくてもよい制度となっている。(p.83)

確かに、自地域の住民より他地域からの寄付をどう集めるかという方向に関心が向かってしまう制度と言えるかもしれない。

ただ、自分の住む町の魅力や強みのようなものを見つけ出そうと努力するとき、間接的ではあるが自地域の住民の活動などに対しても配慮することになりうる、という反批判は可能かもしれない。例えば、このエントリーの最初の引用文で片山善博が語っているように、商品による競争ではなく、地域貢献的な社会活動という形で寄附に対して応えて行くならば、現行制度よりは自地域の住民と向き合ったものになりうるのではないか。



特集 新書大賞2017 「大賞 言ってはいけない」より

 建前よりも本音が優先される時代。本書は、時代の風を掴んだ一冊とも言えるだろう。(p.121)


「建前」はエスタブリッシュメントの世界に属しており、「建前」の世界にとってのタブーを語る「本音」は反エスタブリッシュメントの色彩を帯びている。ある意味、反エスタブリッシュメント的なものが説得力を持ってきている時代を反映しているということだろう。

私は未だこの本を読んでいないが、一読はしておいてもよいかもしれない。



特集 新書大賞2017 「対談 厳しい時代に“骨のある”レーベルが生き残った」より

渡邊 そうですね。新書は教養の入門書として書かれたものもありますが、ニュースを迅速に書籍化する媒体でもある。(p.151)


確かに。大学の学部生あたりには、できれば良質の新書をある程度の数読み、新書の程度の内容は容易に理解できるようになってほしいと思う。



永江 読書といえば、黙読を創造しますが、1000年以上前は、一つの書物を大勢で音読するものだった。また、書物は貴重で高価なので、読書は貴族しかできないことでした。だからここ100年が、多分、日本人にとって読書の黄金時代だった、ともいえるでしょう。(p.154)


確かに。



永江 新書市場があふれかえっている、と言われますが、2016年を振り返って思うのは、読むべきレーベルは絞られてきたな、ということです。新書は1938年の岩波新書の創刊以来、今が四度目のブームだそうですが、幾度かのブームを経た結果、読むべきレーベルと読まなくていいレーベルがはっきりしたように感じます。新書“御三家”の岩波、中公、講談社。ちょっと岩波新書のパワーダウンが気になりますが、あとは“新御三家”の、ちくま、新潮、光文社、それに集英社、幻冬舎。平凡社も渋い本を出しますね。ここらへんでしょうか。やっぱり出版社も人材や知識や、いろいろな要素の蓄積が必要なんですよ。(p.155-156)


この指摘は私が新書に対して漠然と感じてきたことをかなり明確にしてくれた。私の場合、新書を買う際に参考にする情報の一つは、どこの会社の新書か、という点を参考にしている。同じ著者が書いた本でも、どのレーベルかによって内容の掘り下げの度合いや、政治的な立ち位置のニュアンスや論理の運び方まで違いがあるように思う。

個人的には中公新書が掘り下げて論じる度合いが高いと感じており、一般向けであっても一番学術的なレベルに近いものが多いように感じる。(その分、読者の理解力や知識が要求される。)この対談によれば中公は歴史に強いと指摘されているが、その点も納得した。

岩波新書は確かにパワーダウンと言われているとおり、掘り下げが足りない本も結構散見される。ただ、現在の社会に起きている問題、それも新聞やニュースだけではなかなか見抜けないようなところまで気づかせるような内容のものが多いように思う。その意味で、入門としては最低限使えるので、このレーベルには失敗がないという安心感がある。

ここで触れられていないものとしては、朝日新書なども濫立した新興レーベルの中では、私としては知りたいと思えるテーマを扱っていることが多い。しかし、何となく買って読むほどの深みを感じないようなテーマだったりするので、それほど多くは読んでいないが…。


A・ツィンゲルレ 『マックス・ウェーバー 影響と受容』

ウェーバーのカリスマ構図の場合、この構図の理論的ないっそうの展開、もしくは経験的に新しく増加しつつある事態へのその適用を目安とする限り、何よりもまず20年間にわたる影響および受容の空白が確認されるべきである。おそらく1920年と1940年の間の20年間の政治の世界に、このカリスマ構図に対応する現実的な現象が大量に存在したことが、まさしくウェーバー流の距離を置いた分析への眼差しをさえぎったのかもしれないし、――おそらく、ドイツの社会学者で英雄崇拝的風潮のなかでウェーバーの直接あとに成長した世代も、ウェーバーの人格の印象がまだあまりにも強すぎたために、かれの学説に沿った分析上の含みを十分に理解できなかったのかも知れない。(p.149-150)


ウェーバーの理論の中でももっとも有名なものの一つは支配の正当性に関する3つの理念型であり、カリスマ的支配であろう。それが彼の死後20年間はほとんど影響を与えなかったというのは意外であった。特にこの時期にムッソリーニやヒトラーのようなカリスマ的支配者が台頭しているのだからなおさらである。

ただ、ツィンゲルレがここで述べている理由は論拠としては弱いような気がする。むしろ、いわゆる支配の社会学に関連する叙述の大部分は基本的に生前は発表されていなかったのではなかったか?政治的主張を新聞等に寄稿することはあっても、まとまった理論として著作を出していなかったのではなかろうか。そのことがすぐに影響が生じなかった大きな要因ではなかろうか?