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ハンス・ロスリング、オーラ・ロスリング、アンナ・ロスリング・ロンランド 『ファクトフルネス』(その2)

 急激な経済発展と社会的進歩を遂げた国のほとんどは、民主主義ではない。韓国は(産油国以外で)世界のどの国よりも急速にレベル1からレベル3に進歩したが、ずっと軍の独裁政治が続いていた。2012年から2016年のあいだに経済が急拡大した10ヵ国のうち、9ヵ国は民主主義のレベルがかなり低い国だ。
 民主主義でなければ経済は成長しないし国民の健康も向上しないという説は、現実とはかけ離れている。民主主義を目指すのは構わない。だが、ほかのさまざまな目標を達成するのに、民主主義が最もよい手段だとは言えない。(p.258)


この見解については、私も以前から同意見であった。ただ、経済の成長が社会の生活水準や公衆衛生の水準を上げるものであり重要だとしても、政治生活はより高度な精神生活の充実度と関係しているのではないか?という問いも提出しておきたい。

言論の自由も政治への参加の自由もない社会に住みたいとも思うだろうか?非民主的な体制の下にいる人々の経済が良くなっていること自体は良いことだと言えるだろう。しかし、それは非民主的な範囲内だからこそ改善していると言えるのであって、民主的な世界から非民主的な世界に移行したいと思う人がいないというのも、また事実だろう。この方向性をあまり軽視するのは問題があると言える。

さらに、非民主的な国々の所得が上がっていくことによって、国際政治的にもそれらの非民主的な国々が力を持つようになってくると、国際政治を国内政治と同じように力による支配で押し通そうとすることが増えることが懸念される(中国の南シナ海や東シナ海での行動が日本人にはわかりやすいだろう)。つまり、非民主的な国が経済発展を続けることは国際環境が悪化することに繋がるという懸念がある。よって、経済の発展だけでなく、政治的な民主化も同時に進めなければならない課題であり、片方が良くなっているのだからよくなっているというのは楽観論すぎるように思われる。



 わたしたちは犯人捜し本能のせいで、個人なり集団なりが実際より影響力があると勘違いしてしまう。誰かを責めたいという本能から、事実に基づいて本当の世界を見ることができなくなってしまう。誰かを責めることに気持ちが向くと、学びが止まる。一発食らわす相手が見つかったら、そのほかの理由を見つけようとしなくなるからだ。そうなると、問題解決から遠のいてしまったり、また同じ失敗をしでかしたりすることになる。誰かが悪いと責めることで、複雑な真実から目をそらし、正しいことに力を注げなくなってしまう。(p.264-265)


ネトウヨによる朝日バッシングなどは、この典型例だろう。



 犯人捜しには、その人の好みが表れる。人は自分の思い込みに合う悪者を探そうとする。では、世の中でいちばん悪者扱いされる人たちを見てみよう。悪どいビジネスマン、嘘つきジャーナリスト、そしてガイジンだ。(p.265-266)


これを押さえておくと、逆に3つの類型に当てはめられるような対象を叩いている人は、犯人捜し本能に囚われている疑いがあると見ることもできそうである。



 物事がうまく行かないときには、「犯人を捜すよりシステムを見直したほうがいい」と訴えてきた。では、物事がうまくいったときはどうだろう?そんなときには「社会基盤とテクノロジーという2種類のシステムのおかげだ」と思ったほうがいい。(p.278)


同意見。社会システム論的な見方が役立つ所以。



物事がうまくいったのは自分のおかげだと言う人がいたら、その人が何もしなくても、いずれ同じことになっていたかどうかを考えてみるといい。社会の仕組みを支える人たちの功績をもっと認めよう。(p.283)


妥当。



幅跳びの選手が自分で記録を測ることは許されない。それと同じで、現場で対策にあたる組織は、どのデータを公表するかを自分たちで決めてはいけない。現場の人たちは、資金欲しさにデータを捏造するかもしれないからだ。だから、データの信頼性を担保するには、進捗を測るのを現場だけに任せないほうがいい。
 エボラ危機がどれほど深刻かを教えてくれたのは、データだった。最初のデータでは、感染の疑いのある人の数が、3週間ごとに2倍になっていた。そして、エボラへの対策が効いていることを教えてくれたのもまた、データだった。確認された感染者数は減っていたのだ。データがすべての鍵だった。これからも、どこかで感染症が猛威をふるったときには、データが鍵になるはずだ。だからデータそのものの信頼性と、データを計測して発表する人たちの信頼性を守ることが、とても大切になる。わたしたちはデータを使って真実を語らなければならない。たとえ善意からだとしても、拙速に行動をよびかけてはいけない。(p.300)


数日前、安倍晋三が首相を辞することを発表したことにより、メディアでは安倍政権の功罪が語られる場面がある。私に言わせれば、功の部分はほぼない。アベノミクスなる経済政策があり、それが功を奏したなどと浅はかな見解が述べられることがある。しかし、異次元の金融緩和と日銀による事実上の国債の買い入れによって、株価が持ち直し、財政赤字を気にせず支出できるようになったということはあったかもしれない。が、株価の高止まりは年金の財源を回したことによる下支え効果なども大きく、それはほとんどすべての国民の老後の生活を後々になって破綻させる可能性を増大させるという破綻の先送りに過ぎない面があることや、財政についても財政破綻を先延ばしにしたものであり、これから10~20年ほどしてから問題が表面化してくるだろう、という類のものだと考えると、とても功があったと言える代物ではない。(GDPの統計にも操作が加えられたことも忘れるべきではない。)単に面倒を先送りして、自分の政権の間だけ一見良くなったかのように見せかけただけ、というものでしかない。

それに比べて罪は数えきれない。内閣による数々の憲法違反と明白な権力の私物化、さらに、それらの明白な罪を認めないで終わったこと。それを明らかにさせるためのマスメディアに対する威圧(安倍政権はこの威圧から始まっていたことを想起されたい。政権開始当初、かなりマスメディアに対して圧力をかける言動が多かったことを覚えている人は少ないと思うので、このことをもっとクローズアップすべきだ。)や質問に対する回答拒否の数々(回答しないということは権力の正当性がないことを意味する)。そして、内閣人事局の設置(それによる官僚とグルになって有権者たちの目を欺こうとする姿勢の定着)を忘れてはならないだろう。

こうした罪の中の一つに、政府とその公文書に対する信頼の決定的な失墜を上げるべきであり、コロナ対応にもそのダメさ加減が表れている。なお、辞任は病気を理由としているが、困難に対して対応する能力がなく、権力の座にいる旨みがなくなったので、自分がダメージを受けないうちに逃げた、というのが妥当な評価であろうし、それを否定するような要因は出て来ないのではないかとも考えている。



レベル1の国では、民主主義によって、国は安全になるどころか不安定になることは、『民主主義がアフリカ経済を殺す――最底辺の10億人の国で起きている事実』(2010年、甘粕智子訳、日経BP社)に詳しく描かれている。(p.359)


他国から干渉しやすい体制であることが、その要因のひとつではないか。この本も読んでみたい。


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ハンス・ロスリング、オーラ・ロスリング、アンナ・ロスリング・ロンランド 『ファクトフルネス』(その1)

 高層ビルの上から見下ろすと、低い建物の高さの違いがわかりにくい。どれも同じくらい低く見える。同じようにレベル4の人々には、世界が金持ち(あなたがいる高層ビル)と貧乏人(低い建物)に分れているように見える。下界を見下ろして「みんな貧しいんだね」と言うのはたやすい。車を持っている人、バイクを持っている人、自転車を持っている人、サンダルを持っている人、履くものすらない人の違いがわからなくなる。
 しかし「下界」に住む人にとって、レベル1とレベル2、レベル2とレベル3の違いは非常に大きい。(p.58)


上から見ると下は見えにくい(見えにくいから同じに見える)ということについて、非常に直観的に理解できる比喩。参考になる。



統計を読み解く際には、「数値の差が10%程度かそれ以下である場合、その差を基になんらかの結論を出すことには慎重になるべき」と覚えておこう。(p.64)


これも分かりやすい指針。こういうところも、いかにもベストセラーらしい。



 世界のいまを理解するには、「悪い」と「良くなっている」が両立することを忘れないようにしよう。(p.90)


本書の大きなメッセージの一つは、多くの人の想定に反して「世界は少しずつ良くなっている」ということである。世界の中には経済的な貧困がまだ残っており、状態として「悪い」生活環境に置かれている人はまだ多い。しかし、そのことと世界の人々の生活水準は基本的に良くなっているということは両立できるし、現にそうなっている、というわけだ。



 レベル1にいる、毎日1ドルで生活する人にとって、その1ドルの価値は大きい。毎日1ドル余分に稼げれば、新しいバケツを買うことができる。そうすれば、まったく違う暮らしができる。しあkし、レベル4にいる、毎日64ドルで生活する人にとっては、1ドル余分に稼いだところで何も変わらない。しかし、毎日64ドル余分に稼ぐことができれば、庭にプールをつくったり、別荘を買ったりすることができるかもしれない。そうすれば、ひとつ上の暮らしができる。
 世界はとても不公平だが、どんな暮らしをしている人も、所得が倍になると暮らしが変わる。だから、所得が増えるにつれ、レベルアップに必要なおカネは何倍にもなる。(p.125)


所得が2倍になれば明らかにレベルが上がるというのは、言われてみれば、という感じがする。もともとの生活レベルに応じて、次のレベルに行くための所得水準も違っており、上に行くほどより多くの所得が必要になるという仕組みが直観的によくわかる。この分かりやすさは確かに本書の凄いところの一つであると思う。



 わたしたちの先祖の命を救ってくれた恐怖本能は、いまやジャーナリストたちの雇用を支えている。かといって、「ジャーナリストが悪い」とか「ジャーナリストが行動を改めるべき」という指摘をするのは筋違いだ。メディアが「人々の恐怖本能を利用してやろう」と考える以前に、わたしたちの恐怖本能が、「どうぞ利用してください」と言っているようなものなのだから。
 わたしたちがやるべきことは、見出しの陰に隠れている事実に目を向けることだ。そうすれば、恐怖本能がいかにして、「世界は怖い」という印象を人々に植え付けるかがわかるだろう。(p.137)


「マスゴミ」というような言説が蔓延る中、本書では、人々が事実を知らないことについて、マスメディア(ジャーナリズム)に過度に責任を負わせないスタンスが特徴的である。これは不当なマスメディア批判と比べると相対的には妥当であるとは思う。

しかし、本書が言うように、個人が「見出しの陰に隠れている事実に目を向ける」という解決方法では、物事が解決することはないだろう。これは「強い個人の仮定」に立っているため、社会一般に広がることが期待できない。仮にレベル4の地域に住み、十分な期間の高等教育を受けている人々だけからなる社会だったとしても、日々の仕事や家事に追われた生活をしている人には、全く現実味のない解決策である。新聞を読んだりニュースを見る時間さえ十分に取れないという人が多い中で、「見出しの陰に隠れている事実」を見るためには、相当積極的な行動が要請されている。単にネットで検索して調べるというだけでは、真偽の不確かな情報に踊らされるリスクも高い。当然、適切な統計情報などにアクセスしなければならないが、リアルタイムで発生している情報については統計すらないことが基本だ。その上、適切な統計statisticsの多くは、基本的には国家stateが取るべきものの一つだが、政権の都合に合わせてく基準を変えたりする日本はもちろんのこと、中国など様々な国の政府が出す統計にはあまり信頼性がない。そこまでの情報を批判的に仕分けるだけの知的能力は、現在の大衆化した大学を卒業した程度の学び方ではほとんどの人には身につかないし、それだけの情報にアクセスする時間も労力も確保することは現実的ではない。

メディアが共同して自主的に指針を策定し、自らに課すことは必要不可欠であろう。この辺りは、筆者が社会科学の徒ではないということから来ている認識不足ではないかと感じる。



 次に、「どんな証拠を見せられたら、わたしの考えが変わるだろう?」と自分に聞いてみよう。「どんな証拠を見せられても、ワクチンに対する考え方は変わらない」と思うだろうか?もしそうだとしたら、それは批判的思考とは言えない。(p.151)


その通りである。これは本来は自己点検のための問いかけだが、ある人の発言を聞いた時、「この人はどのような証拠を見せられたら考えを変えそうだろうか?」と考えてみることも、その人の発言の信頼性を吟味する上で役立つやり方になると思う。



 認識を切り替えるには、できるだけたくさん旅をすることだ。スウェーデンのカロリンスカ医科大学で公衆衛生を学ぶ学生を、わたしがレべル1からレベル3の国々に連れていくのはそのためだ。(p.195)


同意見。所得水準が違う地域に行くというのは特に重要。しかし、ここでもレベル4の国であるはずの日本であっても、外国への旅行を頻繁にできるのは全体の中では多数派とまでは行かないような解決方法である。ヨーロッパのようなバカンスが取れない日本では所得が足りていても仕事の都合で行けなかったり、生活が不安定化している中間層の多くの人びとにとっても現実味が薄くなりつつある方策であるように思われる。



 西洋の発展が当然このまま続くと思い込んでしまうのもまた、宿命本能のなせるわざだ。それに、いまの西洋の経済的な停滞が一時的なもので、またすぐに回復するだろうという思い込みもそうだ。(p.222)


「西洋」を「日本」に置き換えても成り立つ。アベノミクスなるものに期待していた人や2020年頃にGDP600兆円とか言った主張を信じた(信じたいと思った)人は、基本的に本書が言う「宿命本能」に負けた人だと言ってよいだろう。



 いまのイラン女性ひとりあたりの子供の数はアメリカやスウェーデンより少ない。そのことを、西洋の人はどれだけ知っているだろう?西洋人は言論の自由が好きすぎて、それを許さない体制の進歩が見えないのだろうか?自称「自由なメディア」が、世界で最も急激な文化的変化を報道していないことは、少なくとも確かなようだ。(p.225)


この問いは日本にも当てはまる。言論の自由や民主的な体制を重視する立場に立っていると、言論統制がされている非民主的な体制の社会に対して、社会の変化を見ようとしないという傾向があるという指摘は鋭いものがある。

もっとも、本書の言う発展とは経済発展が基本となって生じる生活や公衆衛生の水準、生活習慣の変化といったことが念頭に置かれていると思うが、技術さえマネしていればある程度のところまで行けるものであるから、政治体制とこうした意味での発展はほとんど関係がないと考えるべきだと思われる。

しかし、ある社会が「悪い」政治体制に置かれている中で、生活水準が「良くなっている」と語るのは、すでに本書が述べていた「悪い」と「良くなっている」は両立可能だという論点とも重なってくる。両立することは事実だが、「良くなっている」と言うべきではない場合があることを本書も認めている。その意味では、改めるべき政治体制がある中で、そのことに触れずに生活が改善していることだけを一面的に取り上げてしまうことにも問題があることになる。そうなると、ある程度の時間をかけたドキュメンタリー番組の放送などと言った形でなければ、日々のニュースや情報番組で取りあげるのはやりにくい話題ということになろう。特に、日本や西洋世界などで民主主義が侵食(権威主義等)または暴走(ポピュリズムの抬頭等)する方向にあり、言論の自由も次第に失われつつある情勢の中、これらのない社会のプラスを報道することには抵抗を感じて然るべきであろうと思われる。

また、さらに言うと、言論の自由がない社会についての情報は、その国内から発信される情報が信頼性が低いものであるという問題がまとわりついてくる。言論の自由がある社会よりも、より詳しく十分な取材をしなければ、その社会について真実を見極めにくいという事情もある。

以上、本書の言うことはもっともであり、正しいが、それは容易ではない面もある。必要なのは報道を変えることだけでなく、言論の自由がない体制を転換していく(言論の自由を拡大していく)ということも同時にやっていく必要がある、ということであると思われる。本書では、後者のようなマクロな方針についての関心が希薄な点には問題を感じる。


千葉芳夫 『ヴェーバーの迷宮 迷宮のヴェーバー』

 また、ヴェーバーの学問論を対話あるいは討議の理論として解釈できるかどうかも疑問である。むしろそれは、孤立した行為者に準拠するモノローグ的なものなのではないか。(p.45)


方法論的個人主義がヴェーバーの作品にはかなり貫徹していることを考えると、少なくともヴェーバーの作品はモノローグ的なものと捉えるのが妥当であろう。学問論についても、多くは方法論的な著作であることを考えれば、彼の方法論的個人主義を主張したり前提して議論が組み立てられていることから見ても同様であろう。

このモノローグ的な理論である点は、ヴェーバーの作品の最大の問題点の一つであると考える。

ヴェーバーの作品では、モノローグ的な論理構成を利用することによって、実証的なデータを十分に使わずに議論を組み立てることができている。これに対して、例えば、現代では行動経済学などでの知見が、ヴェーバー当時とは比較にならない水準で経済的な行為の理解を拡張している。行動経済学で示されてきた様々な規則に照らしながら読むと、ヴェーバーがプロ倫で描いた経済倫理に関する議論は十分な説得力を持たないように思われる。(具体的にこの視点からヴェーバー・テーゼを批判することは、少なくともヴェーバー研究としては何某かの新しさをもたらすものになるかも知れない。少なくとも本として出版されているものの中にはそのような視点で扱っているものを私は見たことはない。)



 彼の議論には奇妙とも思える対比が見られる。『政治論集』などに収められている時事的、政治的発言においては、彼は官僚や官僚制を激烈に批判している。しかし、「支配の社会学」や「支配の諸類型」では批判的な視点はあまり表面に現れてこない。(p.131)


確かにその通り。


胡口靖夫 『シルクロードのに暮らす サマルカンド随想録』

 私たち外国人教師は、大学との契約によって政治・経済・宗教に関する活動や発言を禁じられているから、それらについて論評できる立場にはない。学生たちの話や首都タシケントの日本大使館から送られてきたメール情報を記すので、それらからつとに知られているカリモフ大統領の後継者と目されている娘を巡る政治状況を推察していただきたい。(p.58)


ウズベキスタンが日本のメディアで紹介される際、「シルクロード」(歴史のロマン)とか「親日的だ」とか「ナボイ劇場は日本人が建てた」と言った話が取り上げられがちである。情報統制があり、実質的な専制的な支配が行われているという点は等閑に付されることが多い。中国やイランと大差ない、というか私見ではイランより専制的(民主化の程度が低い)なのではないかと思えるのだが、そういうイメージを持たれないような扱いになっている。

その点、本書はナボイ劇場にまつわる「神話」に対して批判的に論評したり、言論をめぐる状況についても問題があることを示唆するなど、ある程度既にウズベキスタンに興味を持っている人に対しては、マスメディアやガイドブックなどで流れてくる情報に対して批判的なスタンスを取ることを可能にする言説を展開している点が評価できるように思う。



しかし、ソ連崩壊による1991年の独立以後も依然として続いている国民の生活苦は想像に難くない。
 その解決策の一つが海外への出稼ぎや移住である。行き先で多いのは、言葉やビザの問題もありやはりロシアである。ついで韓国も多いと聞いている。日本はビザの取得が難しいので少ない。……(中略)……。
 ただ、この海外への出稼ぎや移住による送金が、ウズベク経済を見るキーワードらしいことに最近気づき始めた。確かに国民の生活苦は相当なものらしい。けれども、前に述べた盛大な結婚式の祝宴の「ナゾ」が、これで解けるかもしれないと考えている。
 ところで私には、もう一つ「ナゾ」と思えることがある。昨今、街中でステータス・シンボルと言われている「ネクシャ」などの新車が増加していると思われることである。……(中略)……。
 所得が低いにもかかわらず国内市場における好調な販売実績を合理的に説明するのは困難である。ジェトロ・タシケントのS氏のご教示によると、「統計には表れないヤミ経済が相当規模存在することなどの理由が考えらえる」という。ヤミ経済の実態の大部分が、出稼ぎや移住者からのヤミ送金ではないか、と私は考えている。「幸運」をつかみ余裕のある生活をしている富裕層と、そのような恩恵に浴さない貧困層との二極化が確実に進行していると予測される。(p.60-61)


出稼ぎや移住者からの送金が大きなウェイトを占めるヤミ経済という見方は、確証まではないが私にも確からしく思える。


石毛直道 『世界の食べもの 食の文化地理』(その2)

 箸と匙を使用して食事をする風習は、戦国時代ごろらおこなわれるようになった。古くは匙で副食ばかりではなく飯も食べていたものが、明代から飯、副食物を箸で食べ、匙はスープ類専用の道具として使用するようになった。箸をつかう習慣は、ヴェトナム、朝鮮半島、日本でも採用されたが、現在のヴェトナムは中国式に箸、匙をつかいわけ、朝鮮半島では中国の古い習慣を残して飯も匙で食べ、椀が汁物の容器として発達した日本は、箸だけで食事をする。
 箸を使用することから椀形の食器がよくもちいられるようになった。中国は陶磁器の生産技術が発達した国であるので、陶器、磁器の食器が世界のなかでいち早く普及した。
 昔は一人前ずつ食物を盛りわけ、膳状あるいはランチョンマットのような食卓に並べて、床のうえに座って食事をしたもののようである。その食事方法は朝鮮半島や日本にうけつがれた。宋代に椅子、テーブルの生活が普及することによって、飯とスープは個人専用の椀に盛るが、副食物はおおきな共用の食器にいれて、直箸でつつき合う配膳法に変化したものであろう。(p.66)


食べ物だけでなく食器や作法などの歴史もなかなか面白そうである。



 ミクロネシアでは、日本の統治時代に島民が米の味を覚え、現在ではタロイモやパンノキの実の主食よりも、金さえあれば輸入米を買って食べることのほうが上等であるとされている。また、オセアニアのどこでも街ではパンが売られている。(p.125)


植民地支配の影響は食生活という身近なところにもかなり強く残るものがあるようだ。



酢を利用して酸っぱい味つけをしたすし飯を材料にした食べ物すべてが、すしであるということになったのだ。古代の保存食品は、インスタント食品に変化したのである。
 すし屋は客の顔をみてからつくりはじめ、一分もしないうちにすしを供してくれる。このような即席のスナック食は、人びとが忙しく働く都市の生活様式にあうものとして歓迎された。19世紀初頭の江戸の街には、一町内に一軒以上のすし屋があったといわれる。(p.161)


寿司は、古代のなれずし(飯は食べない)から始まり、漬ける時間が短い「生なれ」になって飯を食べるようになることでスナック食となった後、上記のような変化を遂げてきた。本書の最初の原稿が書かれたのは80年代頃であり、まだ回転寿司はなかった。回転寿司ではさらにインスタントというかスナック食というか、そうした性格が前面に出ているように思われる。



 激辛はその味が好きだということよりも、それほどまでに辛いものを食べたという話題を提供するために食べられているふしがある。つまり、食の本質にかかわる部分ではなく、食にまつわる情報として激辛がもてはやされるのであり、これも「食のファッション化」を象徴する現象としてとらえられる。(p.203)


80年代頃に流行した「エスニック料理」や「激辛ブーム」についての批評だが、現在でもこの傾向は大きく変わっていないように思われる。



 江戸=東京を起源地とする握りずしが全国制覇をしたのは、20世紀になってからのことである。とくに、外食での米の使用が認められなかった戦中・戦後の食糧難時代の統制経済のもとで、現在の握りずし全盛時代の基礎ができたのである。その頃、すし屋に米をもってゆき、加工賃を支払うと、握りずし五個と巻きずし五切れを一人前として交換するという政令が施行された。東京のすしを基準につくられたこの法律のために、全国のすし屋が握りずしをつくるようになったのである。(p.216)


現在からは想像も出来ないような経緯であり、興味深い。


石毛直道 『世界の食べもの 食の文化地理』(その1)

 搗き餅つくりは、西南中国の少数民族と、それに接するインドシナ半島山岳部、朝鮮半島、日本に分布するが、これらの地域は中国文明の辺境地帯にあたる。華北平野で本格的なコムギ栽培が導入されてのち、石臼とともに粉食文化がひろがり、餅つくりの方法が搗き餅から粢餅に変化したのではないかと考えられる。この仮説にしたがえば、中国の影響がつよかった沖縄をのぞく日本には、古い文化である搗き餅の伝統が残り、朝鮮半島は粢餅と搗き餅が共存する場所となった、ということになる。(p.34)


文化の周辺地帯で古い文化が残っていくというのは、他の様々なもので見られる現象であり、餅の作り方についても残っている地域などから見ても、妥当な仮説であると思える。



 日本の伝統的製麺技術には、ネンミョンのように押し出してつくる製麺法はなかった。いっぽう、朝鮮半島にはそうめんづくりの技術が欠如していた。練りあげた小麦粉を一本の長い紐にして、二本の竿のあいだにかけて引きのばすのが、そうめんづくりの原理である。そうめんは中国南部に発達した製麺法である。それぞれの民族の地理的位置が、中国に起源する麺づくり技術の導入のちがいとなったものだろう。(p.36)


日本に対する中国からの影響を見る時、地図で見ると一見遠く見える割には中国南部からの影響は意外と多いように思う。



 さきにのべたように、18世紀後半にトウガラシが普及することによって、現在のようなキムチができあがったのである。トウガラシの普及以前には、キムチに辛い味をつける材料としては、サンショウがもちいられていた。(p.43)


山椒で味付けされていたキムチというのがどんな味なのか気になる。四川省の本場の麻婆豆腐のような痺れる感じなのかな、と想像する。



 塩辛は中国の古代の文献にもあらわれ、明代あたりまではよく食べられていたようであるが、中国人の食習慣がしだいに生ものを食べなくなるにつれて衰退し、現在では地方的に限定された食品になってしまった。(p.43)


中国で生ものを食べなくなったのは何故なのかが気になる。



 日本では中世以来マニュファクチャーによる酒造が発展したが、朝鮮半島では酒は家庭でつくるのを基本としたので、産業としての酒造は発達しなかった。そこへ、日本の支配下における酒税法の制定などのできごとがかさなり、自家醸造が密造ということになると、伝統的な酒造りの衰退を経験せざるをえなかった。薬酒にとってかわって日本酒製造の技術でつくられる酒が進出し、単式蒸留法による焼酒が、連続式蒸留法による日本の甲類焼酎の製法に変化したり、ビールがつくられるようになるなどの変化が起こったのである。(p.46)


日本による植民地支配は朝鮮半島の酒造にも大きな影響を及ぼしたことがわかる。日本では中世からマニュファクチャーで酒造していたというが、自家醸造と工場での醸造は、世界の歴史の中ではどのような分布だったのだろう。例えば、イランなどでは現在も酒は公には飲むことができないが、多くの人が自家醸造で作っているというのを現地の人から聞いたことがあるが、こうしたことを多くの人がやっているのも自家醸造の伝統がある程度残っていたからこそできた話であると推測するが、この仮説の真偽を是非調べてみたいところである。



 中国では、唐代(618~907年)から北宋代(960~1127年)にかけて西方から椅子、テーブルの生活が導入され、ひとつの食卓を複数の人びとがかこむ食べ方に変化した。そして、飯と汁は個人別によそわれるが、おかずは共通の食器に箸をのばして食べることになった。また、「時系列型」の配膳法がなされるようになり、宴会などの食事では、時差をもってつぎつぎと料理が配膳されるのである。(p.54)


イスとテーブルの生活は西方のどこ起源なのだろうか。現代の西洋世界から伝わったものとはちょっと思えないところがある。この時代の西欧はかなり文化的には遅れた地域と言うことができ、経済力も技術力もユーラシアの他の地域より劣っていたはずだからである。当時の中東や中央アジアにそうした生活文化があったのだろうか?遊牧民ではなくオアシス都市の住民の生活様式?(現在の彼らの生活様式とは相違があるように思われるが。)



 日本でも奈良・平安時代の貴族の正式の食事には匙がもちいられたが、民衆には普及しなかった。木椀が食器として発達した日本では、椀を口につけて汁を飲むことが作法となったのである。現在の中国では、飯を食べるのに匙をもちいるのは、ポロポロした炒飯や粥を食べるときにかぎられる。しかし明代になるまでは、普通の飯も匙ですくって食べる風習があった。朝鮮半島の食べ方は、この中国の古い食事の方法を伝えるものである。(p.56)


箸、匙、椀の関係はなかなか興味深い。



 食べ残すことは非礼ではない。むしろ、すべてを食べつくすのは「いやしい」とされる場合がある。家庭での伝統的な食事の場合、食べ残すのが礼儀とされていたのである。家長が食べたあと、残ったものに盛りたして男の子たちのグループの食事にまわしたり、家族が食べ残したものにたして使用人の食事にまわすといった、上位の者から下位の者への食べ物の「さげわたし」の風習があったからだ。つぎに食べる者のことを配慮しないで全部食べてしまうことは、貪欲とされたのである。(p.57)


このような作法の地域は世界に今も多いが、その理由が納得できた。


小林純 『マックス・ヴェーバー講義』

わが国では、1970年代半ばころまでは経済学の領域でヴェーバーが論じられた来たが、それ以降、ヴェーバーのプレゼンスは圧倒的に低下した。ヴェーバーが扱われるのは、おもに社会学の領域に移った。したがって、こうした時代の趨勢のなかで経済学部生にヴェーバーを紹介することがどんな効用をもつかを考えざるをえなかった。(p.4)


大塚久雄が経済史や経済思想史のような分野でヴェーバーを取り入れていたことが想起される。そのほか、経済学の領域は戦後まもなくの時期以後、数式をより重視するようになってきたように思うが、そうしたやり方が主流になっていくと、ヴェーバーのやって来た学問との接点はほとんどなくなるのだから、ヴェーバーが取り上げられなくなっていくのも当然であるように思える。

ただ、その後、90年代以降、行動経済学が次第に育ってきて、最近はかつての経済学に対してかなり有効な批判を展開しているように見える。この観点から言うと、ヴェーバーの方法論と経済学のホモ・エコノミクス(セイラーの言う「エコン」)から人々の行動を組み立てていく方法論は共通点が多く、どちらも行動経済学の観点からはア・プリオリに立てられた実証されていない前提から演繹しようとする志向を持つものとして批判できるように思われる。どちらの方法も、パラメータを適当に調整することで論者の望むような結果を導くことがある程度まで可能であり、恣意的に像(理念型)を描けるという点に問題があると思われる。

(ヴェーバーは恣意的な像であっても認識の役に立ちうるとする。そのこと自体は誤りではない。しかし、事実と理念型の差についても必ずしも「正しく」認識されるとは限らず、人間の認識の癖に応じたバイアスが存在する。そのため、ある形で理念型が練り上げられると、その含意が読み取られやすい方向に人々の認識を誘導する効果を持つ。それが人々の認識を歪めることに繋がりやすい。)



現在の実証史学の成果がヴェーバーの依拠したものの水準を超えているのは当然だ。実証研究の成果との対質は本書では諦めている。(p.291)


いわゆるヴェーバー学者がいろいろヴェーバーを論じていても、最近は物足りなく感じることが多い。その理由はいろいろあると思うが、一つは現在の研究水準からヴェーバーの業績の妥当性や問題点をあぶり出すことをしないからであるように思う。これがなければ、ただ、ヴェーバーが書いたことをなぞるだけ、あるいは、書いたことの別様の解釈を示すだけにとどまり、そこから発展して社会に貢献する知識を生み出すことには繋がらない。基礎研究と称して思想の解釈などに没頭する者がいてもそれ自体は悪いことではないが、それだけでは明らかに何かが足りないように思われる。

その意味では、本書もヴェーバーが書いたことをなぞるだけの感は否定できない。もちろん、学部生にヴェーバーの思想を紹介しながら社会思想史の知識もある程度身につけさせる講義だから、それ以上を求めることは求めすぎかもしれないが、筆者が現在の研究水準からヴェーバーが行なった研究の妥当性を認識できているようには見えない点は大いに物足りなく感じる。


小熊英二 『日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学』(その2)

石川島や三菱にかぎらず、日本の鉱業や製造業は、官営企業の払い下げが基礎を作った。
 そして官営企業は、民間への払い下げ以前から、官庁の三層構造と官等を採用していた。おそらく払い下げを受けた民間企業は、こうした官庁の組織編成を、アレンジしながら受けついだものと考えられる。(p.251)


日本で官庁の様々な仕組みが民間企業に広がっていた経路として納得できる。



財閥系企業は、同学歴で官庁に勤めた場合とほぼ同じ初任給を、高等教育卒業者に提示していたようである。(p.253)


人材の獲得競争などの観点からは当然の考え方と思われる。ここから想起されることとして、00年代頃に公務員バッシングが盛んだった頃、労働運動側が公務員の給与を引き下げるとその他の労働者の給与引き下げにもつながるという論を展開していたのをどこかで見たことが思い出された。確かに、給与引き下げをすることは様々な面から考えてプラスにならないし、正義にもなわないと私は当時から考えていたが、この議論にはイマイチ実感がわかないというか、どのような経路でそうなるのかが分からないとも思っていた。この個所を読んで、確かに初任給など公開して見えやすいところでは影響が出てもおかしくないかも知れない、とは思えた。



20世紀初頭のプロイセン一般行政官吏では、行政試補に採用された平均年齢は29.5歳、参事官に昇進したのは平均40.2歳であった。
 つまり高級官吏になるには、およそ40歳まで、何らかの手段で生計を確保しなければならなかった。親が資産家か貴族、あるいは資産家の娘を妻にするのでなければ、それは困難だった。(p.283)


この辺りの事情は、当時のドイツの大学教授になる場合とも似ている。(当時のドイツの大学教授は官吏だったはず。)



 戦前の人々にとって、徴兵は共通の体験だった。そうした社会では、軍隊用語だった「定限年齢」は、おなじく軍隊用語だった「現役」と同じく、受け入れられやすい概念だったと考えられる。(p.309)


「定年」と「現役」が軍隊用語だったとは、全く意識していなかった。確かに、本書が指摘しているように、昭和前半の時代について言えば、徴兵という共通経験はいろいろな面で社会のあり方に影響を与えていても不思議ではない。



企業別の混合組合は日本の文化的伝統などではなく、戦争と敗戦による職員の没落を背景として生まれたものだったのである。(p.361)


戦前の特権的階層であった「職員」が没落し、職員であっても工員と同じような生活苦を感じていたことによる一体感があったことが混合組合結成の背景の一つだったとする。



 それにくらべ、「能力」によって賃金を決めるという職能資格制度は、労働者の支持を得やすかった。なぜなら「能力」とは、どうにでも解釈できる言葉だったからである。(p.483-484)


これは60年代頃の話だが、この時期に限らずあてはまりそうである。



数学が得意でどの科目もこなせる者がまず「国立理系」を選び、その残余が「国立文系」「私立理系」を選び、そのまた残余が「私立文系」となるという消去法的選択をしていたのである。(p.508)


これは、80年代半ばの調査の結果についての分析。最近は、推薦入試がかなり増えたが、これによる変化はあるのだろうか?



 それにもかかわらず、この会社が「成果主義」を導入したのは、バブル期に大量入社した中堅層の賃金抑制が目的だったからだった。こうした「成果主義」の導入は、若手・中堅層の士気を低め、彼らの離職率が上昇した。さらに抑制された賃金を補うため、残業代を目的に職場に居残る社員が増え、かえって人件費は二割近く増加してしまった。(p.542)


これは90年代の富士通の事例だが、賃金抑制のための「成果主義」や「能力主義」の導入は、基本的にうまくいかないものと思われる。



 透明性を高めずに、年功賃金や長期雇用を廃止することはできない。なぜならこれらの慣行は、経営の裁量を抑えるルールとして、労働者側が達成したものだったからである。日本の労働者たちは、職務の明確化や人事の透明化による「職務の平等」を求めなかった代わりに、長期雇用や年功賃金による「社員の平等」を求めた。そこでは昇進・採用などにおける不透明さは、長期雇用や年功賃金のルールが守られている代償として、いわば取引として容認されていたのだ。(p.573-574)


なるほど。



 だが厚生労働省は、2019年4月末時点の「高プロ」適用者が、全国で一名だったと発表した。これを報じた新聞記事によると、労組の反対があっただけでなく、企業もこの制度を適用したがらなかった。その理由は、高プロを導入した企業には過労防止策の実施状況を報告する義務があり、労働基準監督署の監督が強まるからだったという。(p.574)


経営側はこれほどに透明化を嫌う、ということがわかる。高プロはデメリットだらけであるだけでなく、誰も欲していない制度であるならば、すぐに廃止すべきだろう。



小熊英二 『日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学』(その1)

 なお、2013年以降は好景気といわれ、大卒就職者が増加し、2015年には40万人を超えた。とはいえ文科省の「学校基本調査」によると、大卒就職者で比率が増えているのは、販売従事者と専門的・技術的職業従事者である。かつては大卒者の最大の就職先だった事務従事者は、その比率が下がっている(図1-12)。(p.54)


雇用される側の構造が変わらず、進学率だけが上がったので、かつては高卒で就業していた人たちが、いわゆる名門校や有名校、難関校ではない「大学」に進学し、結局、かつては高卒で就職していた就職先に収まっている。本書では日本の相対的な低学歴化(大学院進学率の低さ)を問題視しているようにも見えるが、私としては、むしろこのような「大学」の教育のあり方や学生の「生態」に興味がある。いわゆる名門校や有名校、難関校と言われる大学とそうでない大学で通う学生たちの「生態」に違いがあるのかどうか?また、どのような違いがあるのか?



しかし国際的にみると、日本は大学院とくに博士課程の進学が伸びず、博士号取得者数も伸びなやんでいる(図1-14)。国際比較でいえば、「日本の低学歴化」が起きているともいえる。
 ……(中略)……。
 その最大の理由は、日本では「どの大学の入試に通過したか」は重視されても、「大学で何を学んだか」が評価されにくいことである。専門の学位が評価されるのではなく、入試に通過したという「能力」が評価されるのだ。
 海老原嗣生によれば、企業は新卒採用者の選抜にあたり、卒業大学のランクを重視している。企業がそれによって評価しているのは、「地頭のよさ」「要領のよさ」「地道に継続して学習する力」といった「ポテンシャル(潜在能力)」だという。この三つの能力があれば、どの部署に配置してもまじめに努力し、早く仕事を覚え、適応することが期待できるからだ。(p.60-62)


この指摘は確かにそのとおりと思える。企業の採用担当者や面接官ではなくても、団塊世代が現役だった頃は若者の就職難で、団塊世代が退職すると急に就職しやすくなったという社会の状況を反映して、私の身の回りでの観察でも、就職してくる新規採用者の出身大学が大きく変化した。就職難の頃は旧帝大やMARCHあたりの卒業者がほとんどだったが、その後、いつの間にかそうした出身校が全く違うものになっていた。そのことの結果として現場で感じられる実感は、まさに上記引用文で評価されている3つの能力の違いと深く関係しているように思われる。

話をしても、一つのことを伝えたときに、どこまで理解が及ぶのかという範囲が違っているように見えることが多いし、何より物事に対する取り組みの姿勢に違いが感じられることが多い。例えば、一見仕事に対してネガティブな態度をとっているかのような場合であっても、一定レベルはクリアした上で、それ以上はもういいやという感じで留めておくスタンスと、一定レベルに達していないまま十分ない意欲を見せない(場合によっては無駄に残業をして残業代で稼ごうとしているとしか思えないような事例もある)といったスタンスでは、全く意味合いが異なるが、後者に近い姿勢を示すようなものを目にすることが出てきた。これなどは、受験勉強に対するスタンスと非常に通じるものがあるように思う。多くの受験生たちは、受験勉強を好んでやっているわけではないが、一定レベルの水準(例えば、偏差値で65くらいを安定的にキープできる学力水準)に達したところで、これ以上の難問は解かなくてよいと捨てる人と、その程度にすら達しないのに十分な習得のための努力や工夫をしていない人との違いと重なって見える。



1990年代以降も、東京中心部の風景はそれほど変わっていない。朝の通勤ラッシュも、オフィス街のスーツ姿も、六本木や霞ヶ関の街並みもあまり変わらない。その一因は、正社員が減っていないからだ。
 だが地方都市や農山村、東京圏でも郊外では、風景が大きく変わっている。自営商店や農家が減り、駅前商店街がシャッター街になった。入れ替わるように、街道沿いの巨大なショッピングモール、介護施設、在宅やコンビニむけの物流倉庫などが増えた。そこで働く人々には、非正規労働者も多い。そして統計的にも、自営業者が減り、非正規労働者が増えているのである。(p.81)


激しく同意。私も90年代末頃から「東京にいると国内の変化は見えない」ということを強く感じてきた。むしろ地方に住む方が様々なものが切り崩されている様を目の当たりにして実感することになり、今起こっていることが見えるだけではなく体感さえされる、と。



 日本の学校教育で「偏差値」が発案されたのは1957年だったが、これは当初は生徒の得意教科や不得意教科の基準を明確にする指導法としてのものだった。しかし1960年代半ばには、受験対策として学校のランキングに活用されることが始まった。それが本格的な広まりをみせたのは、1970年代になってからである。1960年代後半から70年代は、高校進学率・大学進学率が上昇して「大学卒」というだけでは意味がなくなり、「どの大学を卒業したか」が以前に増して重視されるようになった時期だった。(p.125-126)


偏差値導入の目的がこのようなものだったとは知らなかった。それが学校のランキングに活用されるというここ数十年間の一般的な使い方(?)になったのは、こちらの方が明らかに相性がいいからだろう。得意教科と不得意教科の基準を明確にするという指導法の場合、どの分野が苦手かというだけでは改善に直結せず、どの分野がどのように理解できていないのか、というさらに掘り下げたところまで分析が必要だが、偏差値にはそのような機能は十分ではない。逆にランキングにとっては、同じ基準で数字が一列に並ぶのだから明らかに相性が良い。



ヨーロッパでもアメリカでも、労働者が望んだのは、雇用主の気まぐれで運命を左右されない状況を作ることであり、差別を撤廃することであり、職業集団の地位を向上させることだった。それが結果的に、企業を横断した基準を作ったのである。(p.199)


本書ではこの経緯などが詳しく説明されている。



 当時はまだ民間産業が育っておらず、安定的な収入を得られるのは官吏や教員など公務セクターに限られていた。その状況のなかで、学歴を重視する公務セクターの俸給が、社会に強いインパクトを与えていった。(p.234)


戦前の日本の状況。民間産業が育っていなかったという条件が公務セクターの働き方が社会全体に強い影響力を持ったことの背景にあったという点は、本書を読み、なるほどと思わされた点の一つだった。



 官吏は「無定量勤務」が原則だったため、勤務時間が設けられていなかった。そして明治初期の官庁の勤務時間は、きわめて短かった。省庁の執務時間規則はあったものの、1869(明治2)年の規則では、午前10時登庁、午後2時退庁、昼休みが1時間で、実働時間は3時間だった。
 これは1871年には9時から3時までとなり、1886年には9時から5時となった。とはいえ、夏季の勤務は午前中までという慣習が昭和期まで続いた。(p.235)


なかなか衝撃的という感じだった。ただ、言われてみると、確かに、福祉国家的なものが表れる前はいわゆる夜警国家だったわけだから、官庁の仕事などあまり多くはなかったとしても不思議ではない。いかに現在の基準で物事を考えがちかという歴史を見る際の基本的なことを思い起こさせられる記述だった。


小樽市人口減少問題研究会 『人口半減社会と戦う 小樽からの挑戦』

現在でも、新規高卒者の地元就職内定率は50%前後で推移しており、就職希望者の半数は市外に転出している可能性がある(小樽市2017a)。(p.35)


この個所の少し前には年代別にみると高校や大学を卒業するタイミングでの人口減が最も多いことが指摘されている。就職先が市外になること人口減の大きな要因であると言える。

本書は小樽市と小樽商科大学の共同研究の成果ということらしいが、上記のような明白な事実がありながら、本書の内容は子育て支援策を手厚くするという方向性など、的外れな方向に(これが言い過ぎだとすれば、少なくとも、主要な要因ではない論点へと)議論が進められていくことに非常に違和感を感じる。研究会発足は当時の市長の発案のようだが、市長が自らの政策の正当性をこの研究から得ようと考え、研究会側もそれを忖度しながら(あるいは当局側からそのような方向性で進めてほしいという意向が伝えられた上で)研究の方向性が選ばれたのではないかとさえ勘繰りたくなるような不自然さである。(このズレは、市の行政、市議会、経済団体へのインタビューに関する分析(本書第5章)でも見出すことができる。)

上記の年齢での社会減が最大なのであれば、それ以前の子育て支援策を充実させることは、この最大の要因に対してほとんど何らの効果も持たないであろうことは明白なはずである。(その年齢以前の社会減を減らすというより小さな要因には影響する可能性があるが。)本書は、ここに焦点を合わせて掘り下げる必要があったはずである。(もちろん、行政の施策でそこで発見された事実に対応がほとんどできないものだったとしても、そうすべきであろう。第二章あたりでは多少関連する問題に触れられているが、十分に議論が深まっていない印象が強い。)



1997(平成9)年以降の推移でみると、札幌市以外との転出入はほぼ均衡している状態であり、小樽市の社会減は、約200万人の人口を抱える札幌市への転出超過が、その主な要因となっていることがわかる(図9)。その中でも、小樽市に近接する手稲区、西区への転出超過が全体の5割を占めている(小樽市2017b:10)。(p.37)


この点はもっと掘り下げるべきであろう。札幌に転出した後、その人々はどこで働いているのか(業種や収入なども含めて)、といったことを追跡すれば見えてくるものがあるはずである。本書ではこの点の掘り下げがほとんどされていない。(第二章などで若干関連する問題は扱っているが、上述のとおりあまり掘り下げられていない。)個人情報も絡むので調査が難しいのは分かるが、例えば、直接確認することが難しい部分については、どのような代理指標を用いれば計りたいものが計れるのかという工夫が欲しいところである。いずせにせよ、本書全体を通して、アンケート調査に安易に頼ったという印象は否めず、その設問によって議論に予め限界が設けられてしまっている感が強い。



先述したが、小樽の観光業は賃金の点では札幌を凌ぐが、飲食・宿泊業は他産業と比べて、賃金水準が低い。これは、日本の観光業が1960年代の日本の経済成長期に確立された日本人団体旅行向けビジネスモデルからいまだに脱していないことが原因の一つである。地方の観光都市に、観光バスを仕立てて訪れ、安く効率的に旅を楽しむことを前提とするこのモデルは、休暇期間の短い日本人にとって最適なモデルであった。
 しかし、「おもてなし」は善意から行うものであり価格に反映させるべきでないとする倫理観の中で、サービスに対する適切な評価がなされてこなかった。さらに2000年の道路運送法の改正によりバス事業が許可制となり新規参入が急増したため、日本の観光業は熾烈な価格競争に巻き込まれることとなった。この価格競争の中で、コストカットの対象は人件費へと向かい、観光業界は低賃金産業となった。(p.66-67)


ここは重要な論点の一つと思われる。ただ、ここの記述でよくわからないのは、前段からすると個々の顧客の支払いが安いのだから観光業に落ちる金の単価も低かったことが予想されるのだが、その後の競争の激化によって低賃金産業となったとされている。90年代以前は低賃金産業ではなかったのだろうか?基本的には他の産業よりはもともと低賃金だったのが、さらに競争により切り下げられてきたという意味だろうか。(この個所に限らず、本書の分析は単なる意見で説明を済ませているかのような箇所が多く、一文一文に対するエビデンスが見えない点が問題である。)



都市圏も地方部も各産業バランスの取れたまちづくりを重視しているものの、都市圏においてその傾向はより強いことが分かる。他方、ものづくりのまち、食のまちづくり、観光業中心のまちづくりについては、地方部においてその傾向が強く、これについては統計的な有意性が確認されている。とりわけ、食と観光については、都市圏と地方部では大きな差がついている。なお、商業中心のまちづくり、文教的なまちづくりについては、都市圏と地方部で統計的に有意な差はみられなかった。
 したがって、全体としては八割に近い市区において各産業のバランスの取れたまちづくりが重視されているものの、その傾向は地方部よりも都市圏でより強く、また地方部においては都市圏に比べると「ものづくり」、「食」、「観光」のまちづくりなど、ある産業を中心としつつ、その他のバランスを図るまちづくりが重視されている傾向があると考えられる。(p.217)


こうした一つの産業だけを前面に出すやり方は、人口規模が小さければ、その産業に関連する人口が生活できることで、その自治体に住むほとんどの人が生活できるというようなことがあり得るため、それなりに有効だが、ある程度人口規模が大きくなると、特定の産業とその関連産業だけでは生活を維持していくことができないため、バランス重視になっていくという議論が本書でもされている。このこと自体はその通りであろうと思われる。

ただ、この点は人口の少なさを要因とする政策決定の傾向であって、その逆ではないであろう。本書はアンケート調査で相関関係を抽出するにとどまり因果関係まで明らかにしていない点が多く、分析不足と感じる。(相関関係であると断りつつ、因果関係であるかのように書いていたり、そのように誤認させそうな記述も散見される…。)総じて、行動経済学などでは統計的な分析から因果関係を明らかにするようなものがあるのだが、本書は数十年前の研究の分析レベルにとどまっている感じがする。