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アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
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「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

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キャロル・S・ドゥエック 『マインドセット 「やればできる!」の研究』(その2)

 能力の劣る部下をいじめるのは、上司がそれによって優越感を得られるからだが、もっとも有能な部下がいじめの対象になることも少なくない。硬直マインドセットの上司にとって、自分の地位を脅かす存在だからである。(p.181)


有能な部下を硬直マインドセットの上司がいじめるというのは、心当たりがある事例なので非常に納得した。



 上司が部下をきびしく管理し虐待するようになると、従業員全員が硬直したマインドセットに凝り固まってしまう。新しいことを学んで、成長し、会社を押し上げていこうとはせず、ひたすら評価を恐れるようになるのである。上司自身が評価を下されることに不安を抱いていると、やがて、職場の全員が評価を恐れるようになる。(p.183)


なるほど。マインドセットはこのようにして伝染していき、その組織のある種の「文化」を形成するのだろう。



硬直マインドセットの指導者は、たとえ地球を股に掛けて各国の大物と渡り合っていたとしても、ごく狭い限られた世界から抜け出せない。マインドセットが常に「自分の優秀さを確かめたい、示したい!」という1点で釘付けにされているからだ。(p.184)


この「自分の優秀さを示したい」というのは、硬直マインドセットに基づく言動の根本原理と言ってもよいのではないか。



エリート主義ほどしなやかマインドセットと相容れないものはないからだ。(p.190)


エリート主義としなやかマインドセット(growth mindset)とは相性が悪いというのは「言われてみれば」という気がする。硬直マインドセットの人にとっては、自身をエリートとして規定することは上述の根本原理に沿うものであり、他の多くの人々とは自分は違っている特別の存在であることを示すものだからである。そこには「共に成長しよう」というモメントは確かに欠けている。少なくとも相性は非常に悪いと思われる。



 妻にとっても、夫にとっても、何より腹立たしいのは、自分の権利が侵されること。それから、相手が勝手に何かを自分の権利だと思いこんでいることである。(p.220)


相手が勝手に何かを自分の権利だと思いこんでいるというのは、確かによくありそうなことであり、こうしたことを自他に明らかにしながら折り合いをつけていくということが重要なのだろう。



 人間関係は、育む努力をしないかぎり、ダメになる一方で、けっして良くなりはしない。(p.221)


近い関係であるほどこのことはより強くあてはまると思われる。遠い関係でも当てはまるが必要な努力の質や量は小さい。



 硬直マインドセットの問題点の2つ目は、夫婦間にトラブルが起きるのは、根深い性格的な欠陥がある証拠だと思っていることだ。けれども、挫折を経験せずに、偉業を成しとげることなどできないのと同じように、衝突して苦しんだ経験もなしに、息の合った夫婦になれるはずがない
 硬直マインドセットの人は、もめごとについて話すとき、必ずそれを何かのせいにする。自分を責めることもあるが、たいていパートナーに矛先を向ける。しかも、相手の性格的欠陥を槍玉に挙げる。
 それだけでは終わらない。パートナーの人格を問題にしながら、相手に怒りや嫌悪の感情を向けるのだ。そして、変えようのない資質からくる問題なのだから解決のしようがない、というところにまでいってしまう。
 だから、硬直マインドセットの人は、パートナーに欠点を見つけると、相手を軽蔑するようになり、夫婦関係全般に不満を抱くようになる(それに対し、しなやかマインドセットの人は、パートナーに欠点を見つけても、夫婦関係そのものがいやになったりはしない)。(p.222-223)


パートナーが硬直マインドセットであり、ここに書かれているようなルートで関係が悪い方向に進んでいる時、それを立ち直らせるための方法はどのようなものになるのか。



これまで、他人を踏み台にして優越感を得ようとする人たちについてお話ししてきたが、内気な人というのは、他人に自尊心を踏みにじられるのを恐れている人たちなのである。人前で自分を否定されたり、恥ずかしい思いをさせられたりするのを恐れていることが多い。(p.235-236)


なるほど。他人からの評価を気にしている点で硬直マインドセットとは共通性があるので、相乗効果がありそうな気がする。



 いじめは、人に優劣をつけるところからはじまる。どっちがえらいか、どっちが上か。そして強い方が弱い方を、くだらない人間と決めつけて、毎日のようにいやがらせを加える。いじめ加害者がそこから得ているものは、シェリ・リーヴィが調査した少年たちの場合と同じく、自尊心の高揚感だ。加害者は特に自尊心が低いというわけではないが、他人を見下し、卑しめることによって、自尊心の高揚感を味わうことができるのである。(p.241)


いじめている側は人に優劣をつけており、いじめを受ける側を劣ったものと見な(そうと)している。この指摘は非常に鋭いものであり、いじめる側のメンタリティの非常に重要な部分を明らかにしてくれているように思われる。



 人をいじめるという行為は、硬直マインドセットと大いに関係がある。いじめの根っこにあるのは、人間には優れた者と劣った者がいるという考え方なのだ。いじめの加害者は、劣った人間だと評価した相手をいじめの標的にする。(p.242)


これを見ると、エリート主義と硬直マインドセットとの関係と同じだと気づかされる。ここ20~30年くらいの間に「保守」を名乗る反動勢力や新自由主義の支持者たちは、一貫して強い者(政治的ないし経済的な権力者)の側に自分を置こうとする。これらの者もまた、ある種のエリート主義である。

私の知る非常に硬直的なマインドセットの人に、ネット世界ではなく現実世界でネトウヨ的な発言(中国の人々に対する人種差別的発言など)を臆面もなくする人がいる。ある意味、こうしたネトウヨ的人種差別発言というものは、自らの空想の上で「劣った人間」を想定して――この人もその例に漏れないが、一般にこうした人は中国や韓国などに行ったことがないし、外国に友人もいない―――それを「いじめる」ことによって自尊心の高揚感を得ようとしていると見ることができる。この人は少なくともそうなのだが、恐らく同種の人たちの多くは、現実世界では、(能力や機会などがないため)あまり人の役に立てないため、自尊心の高揚感を感じることができない人なのではなかろうか。



 そうは言ってもやはり、自分を変えるのは容易なことではない。
 硬直マインドセットにしがみついているのには、たいていそれなりの理由がある。人生のある時点までは、それが良い意味での目標になっていたのだ。自分はどんな人間か、どんな人間になりたいか(頭の良い子とか、才能豊かな子とか)、どうすればそうなれるか(良い成績を取るなど)を示してくれていた。そして、その通りにすることで自尊心が満たされ、人からの愛情や尊敬が得られていたのである。(p.321-322)


マインドセットを変えることはできるが、それほど簡単にできることではないという現実は重要。心に染みついた習慣や常態的な態度を一挙に正反対にできると考える方が楽観的過ぎるというものだ。ただ、たとえそうではあっても、硬直(fixed)マインドセットとしなやか(growth)マインドセットという理念型を意識することによって、今の自信の心理状態を把握しやすくなり、そこから改善すべき方向性も見えやすくなる。マインドセットを成長の方向に持って行けば行くように努力を続けることが、しなやかマインドセットが身に付いていくことにつながる。



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キャロル・S・ドゥエック 『マインドセット 「やればできる!」の研究』(その1)

 自分の能力を正確に評価するのは、だれにとっても難しいことだが、特にそれが苦手なのはどのような人たちだろうか――最近それを調べる研究をはじめた。その結果、自分の業績や能力に見当違いな評価を下すのは、硬直マインドセットの人たちであって、しなやかマインドセットの人たちは驚くほど正確な判断を下すことが明らかになった。
 考えてみれば、これは理にかなったことと言えるだろう。しなやかマインドセットの人のように、能力は伸ばすことができると信じていれば、現時点での能力についての情報を、たとえ不本意であってもありのままに受け入れることができる。さらに、学ぶことに重点を置くとなると、効果的な学習をするためには、現時点の能力についての正確な情報が必要になる。
 ところが、硬直マインドセットの人のように、もう伸ばしようのない能力が値踏みされていると思うと、どうしても受けとめ方がゆがんでしまう。都合の良い結果ばかりに目を向け、都合の悪いことは理由をつけて無視し、いつの間にか本当の自分を見失ってしまうのだ。(p.18-19)


このコントラストは実際に私の身の回りで起こっていたこととそのままリンクするものであり、私としては、ものの見方が整理された箇所であった。

なぜ「あの人たち」は自分の仕事ぶりや仕事に関する見識の程度について、これほどまでに勘違いも甚だしい見解を抱き、それを反省も改めようともしないのか、と疑問に思うようなことが続いていたのだが、彼等はいずれも硬直マインドセットが支配的な人たちであると仮定すると、すべての言動に一貫性を見出すことができるようになった。これがわかれば、それらの人々への対処法も考えやすい。この意味で、本書は、私自身にとって人間を理解する力を一つ引き上げてくれた(有力な手段を一つ増やしてくれた)と思っている。



 硬直マインドセットの人は、自分が他人からどう評価されるかを気にするのに対し、しなやかマインドセットの人は、自分を向上させることに関心を向ける。(p.21)


どうしてあの人はあれほど人からの評価ばかりを気にするのだろう?と疑問に思うことが今まで何度もあったが、その謎が氷解した。

ここの対比はマスロー的な欲求の区分を援用すると、その人にとって最も重要な種類の欲求が、承認欲求である場合と自己実現欲求である場合と見ることができて興味深い。もっとも、マスローの理論は実証されていないのでそのまま受け入れることはできないが、欲求の種類を区別して描き出す際には参考にはなる。



 化学の授業がはじまった当初は、大多数の学生が意欲満々だった。ところが学期の途中で異変が生じた。硬直マインドセットの学生は、すんなりうまくいっている間だけは関心が保たれていたが、難しくなったとたんに興味もやる気もガクンと落ちこんだ。自分の賢さが証明されないと、面白く感じられないのである。(p.34)


これはまさに私の職場で発生していた事象であった。ある硬直マインドセットの人が、それまでは上述のように自己自身の能力や実績について実力よりはるかに高い自己評価を下していたため、好調に仕事をしていたが、管理職から業務上の問題について指摘を受けたり、人事評価で低い評価が下されると、途端にやる気を失い、その低いモチベーションのまま仕事を続けていた人がいた。

成果主義的な人事評価制度は世の中に一定数いる硬直マインドセットの人(彼らは過剰に高く自己評価を下す傾向がある)のやる気を殺ぐ制度だと言える。また、この種の人の扱い方として、不当に高い自己評価を傷つけないように(勘違いをひどくさせないがそのまま維持できる程度に)応じていく方が、事実を突きつけるよりはマシなやり方なのではないか、とも思う。



(前略)近年、「失敗」の意味あいに変化が生じている。私は失敗した、というひとつの出来事に過ぎなかったものが、私は失敗者だ、というアイデンティティにまでなってきているのだ。とりわけ、硬直マインドセットの人の場合にはその傾向が著しい。(p.47)


新自由主義の蔓延とこの引用文で指摘されていることとは関係があるのではないか。

新自由主義のイデオロギーと硬直マインドセットは相性が良いように思われる。硬直マインドセットから見て、「能力がある人」は、新自由主義では勝者として競争に勝利し、より多くの富と権力を得た勝利者である。同様に「能力のない人」は競争に敗れた敗者である。そして、新自由主義を推進したり支持する人は、自分を前者(勝利者側)だと仮定している

(しなやかマインドセットが信じる)「成長」という要素は、新自由主義にもないわけではないが、経済全体の成長や企業の収益の増加といった何らかの行為の複合体の「結果」が大きくなることとして組みこまれているだけであって、個々人の能力の成長については、新自由主義の考え方の大本にではなく、批判から理論の本体を守るための副次的な部分に、「敗者にもセーフティネットとして職業訓練などによる再挑戦の機会を与えればよい」といった議論などに多少組み込まれに過ぎないように思われる。



 試験に落ちた学生や、勝負に負けた運動選手は、否応なしに自分のヘマを思い知らされる。ところが、権力を手にしているCEOは、自分は正しいと思っていたい欲求を、たえず満たしてくれる世界を作り上げてしまうことができる。どんな警告サインが出ていようとも、自分は完璧だし会社は順調だという耳を喜ばせるニュースだけで自分を取り囲んでしまうことが可能なのだ。これこそが、前にも述べたCEO病――硬直マインドセットの人が罹りやすい危険な病である。(P.169-170)


安倍政権とトランプ大統領が想起される。安倍政権下における森友・加計の恣意的な優遇とそのための記録の不開示・隠蔽とそのための改竄という一連の問題や南スーダンとイラクの日報の扱いなどは、いずれも官邸(少なくともその中枢)が全体としてCEO病であるが故に起きたものだと見ることができる。また、トランプ大統領については自分に都合よく作り上げたフェイクニュース(オルタナファクト)を垂れ流し続けていることだけを見るだけでも十分だろう。

いずれも不都合な事実に向き合わずに目を逸らし続け、都合の良い事実に書き換えて(作り変えて)しまおうとしている。日本の自称「保守」とされる反動勢力が与する「歴史修正(改竄と言う方が正確だろう)主義」(慰安婦問題や南京事件や侵略行為の有無や程度について過小評価しようとする無理のある言説)にも、これは共通している。