アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
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「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

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関根健夫 『こんなときどうする 公務員のためのクレーム対応マニュアル』

便利な社会になればなるほどクレームの種は増えるのです。
 行政に対するクレームも同じです。かつては行政に対する感覚として、よくも悪くもあきらめがありました。例えば「どうせ言っても変わらないだろう」「皆と同じなら仕方がない」などといった感覚です。しかし、日本は豊かな社会を実現し、役所もそれに応えてきました。さし当たって生きる不安はありませんが、誰もがもっとよい生活をしたいと思っています。誰もが平等であり、自分の主張する意見をもっと認めてほしいと思っています。そういった環境にあって、自分の意見を主張したいという気持ち、不満を解消し不利益を是正しようという気持ち、相手方のミスや不正を是正しようという気持ちが強くなっているのです。(p.2-3)


この議論の根拠が実証的に示されているわけではないが、それなりの説得力はある議論。特に私が注目したいのは、自分の「意見をもっと認めてほしい」と思っている人が増えている、あるいはその度合いが強まっているのではないか、という可能性についてである。ここ10年か15年、あるいは長く見ると20年程度の間に、極右とか復古主義とか呼称すべき類の主張が次第に表面化し、それに対する違和感が社会全体として麻痺させられつつあること、ネトウヨ的な暴力的な言説がネット空間を行き交い、ヘイトスピーチが行われ、こうした動きに共感を持っている人間が首相として何年も権力を恣にしている。ここ数年に何人ものポピュリストが現われ、世界的にもポピュリズム政党やポピュリストへの支持が高まってきている。こうした社会の動きは、確かに「意見を認められない」と感じる人びとの増加と深く関係しているように思われる。

その背景にはグローバル化があり、それに伴う富と影響力の偏在があり、このため、ほとんどの人にとっては政治権力に対して自身の意思を反映させることがグローバル化以前と比べてできなくなっているということがある。こうして「見捨てられた」人々の不満がたまっていることが、様々な分野に対するクレームの噴出ということに繋がりやすいというのは理解できるように思われる。



不当要求とは不当なことを要求することではなく、不当な手段を使って要求してくることを意味するのです。(p.25)


対応を判断するにあたって、このことを抑えておくことは重要。単に不当なことを要求しているだけであれば、それに対してハードクレームに対する対応までする必要はないということになるからである。



クレームでも、特にお客さまが怒っている場合、年齢がこちらより上の場合などは、会釈するように上半身を動かし、大きくうなづくと誠意を表すことができます。(p.32)


試してみたい。

この本は「公務員のための」と書かれているが、「クレーム」というものに対する考え方がしっかりしているので、必ずしも「公務員」でなくても役立つようなことが結構書いてある。ただ、「民間」向けのクレーム対策本との大きな違いは、行政のもつ公平性や公正性、いわば「正義」の問題としてクレームに対応しなければならないとしている点ではないかと思われる。



ただし、先の質問への回答も作為や強調が含まれている可能性があるので、当事者が他にもいれば、そちらの言い分も聞かなければ本当の意味での事実は把握できません。行き過ぎた作為や強調は、事実を確認する質問への回答に、矛盾した内容として出てくるものです。その場の雰囲気からでも、どの程度の信憑性か判断できるでしょう。(p.40)


複数の当事者の言い分を確認することで、より客観性の高い事実を認定できるという考え方は実務上、かなり重要だと思われる。例えば、上司として部下が最初に対応していたクレームに対応する場合も、クレームを発している当人だけでなく、クレームを受けた部下からも話を聞かなければ最適な対応はできないという格率に従って対応するのが妥当と思われる。



 いくら行政には説明責任があるといっても、それは理屈の話です。大声で威圧されたり、強迫まがいのことを言われたり、常識的な時間を超えて対応を強要されるような場面では、その状況でいつまでも説明する責任も必要もありません。説明することの義務は、正常な話し合いの場でこそ行使されるべきであり、平静が保てない場、脅迫または脅迫まがいの行為をされている場では、説明そのものを拒否することもできるはずです。(p.65)


相手方が不当要求行為をしてきた場合には、説明責任を果たす義務は解除される部分があってしかるべきという点は同意見である。今まで読んだクレーム本では、あまりこの点をはっきり書いているものはなかったような気がする。ただ、実務上は、最低限の説明は済ませたと主張できる程度のことまでは言ってから打ち切るのが理想的だろう。



向こうが一人ならこちらは二人、向こうが二人ならこちらは三人、というように、できれば一人多くの職員で対応します。これなら心強いし恐怖心も軽減されるはずです。
 また、はじめから大声を上げる、こちらを威圧するようなクレーマーなら、まずは1~2名で対応し、あまりにひどいようならその回りを職員5~6人でそれとなく囲むようにします。……(中略)……。それ以上に無茶なことができないように、人の目で監視するわけです。明らかに犯罪と思われる行為を行った場合でも、複数の人の証言が得られるようにしておきます。(p.77)


これはハードクレームに対する対応策についての記述だが、相手方より1人多い人数で対応すべきというのはなるほどと思わされた。個人的にはあまり複数での対応は好まないが、一般論としてはこうした形での複数対応は有効だろう。



途中からクレームに同席する場合、その当初は中立の立場を取り(装い)、次の手順で相手を落ち着かせてから説明に入るようにします。(p.80)


基本。



 クレームがあまりに長引く場合、ある程度の時間をかけて対応したら、勇気を持ってお引取り願うことは有効です。……(中略)……。
 一つの考え方として、相手が同じことを5回主張したら十分、というのが現実的ではないかと思われます。(p.86-87)


なるほど。3回程度までは普通でもしばしばあるので、それを明らかに超えた回数として5回ということだが、現実的なラインであるように思われる。



「私どもは、すべてのお客さまに同様のサービスを提供することが誠意だと考えております。一部のお客さまに例外を認めることを、誠意とは考えておりません」(p.93)


「誠意を見せろ」と言われた場合に対する回答の例として挙げられているが、こうした公正さに対する考え方が前面に出ている点が、先にも述べたが本書が公務員向けとして書かれていることによる特徴的な点だと思われる。



大声を出す人は、それを圧力として、クレームでの自分の立場を優位に置こうとしているわけです。
 ……(中略)……。
 あまりにひどいようなら、威力業務妨害罪に当たることを視野に入れて冷静に記録を取ります。(p.104-105)


こうした態度をとる人というのは、行政や企業というものが個人に対して反撃に出ることはないと甘く考えているのだろう。自分は「市民・国民」や「お客さま」であり、行政や企業には自分の方が優位にあるものとして対応しなければならないと勝手に思い込んでいるように見える。しかし、不当な方法による要求は犯罪行為に当たることさえある。企業よりも行政の方が、むしろ風評による売り上げへの影響のようなことを気にする必要がない分だけ不当な要求に対しては強く対応できると思われるということを考えると、やはりこうしたやり方でのハードクレームは賢いやり方とは思えない。



「帰ってほしい」と言わなくては、居座りは成立しません。閉庁時刻を過ぎても理由なく居座るのは、不退去に当たります。「電話を切らせてほしい」と言っても「切ってはダメだ」と言うなら、回線の占有、業務妨害です。「帰りたい」と言っているのに、帰してくれなければ監禁です。(p.106)


しつこいクレームも犯罪に該当しやすい行為である。対応する側もそのことを十分理解して対応すると心に余裕を持って対応できるように思われる。



「大変、驚かれたことと思います。申し訳ございません」(p.177)


客観的な事実確認が取れていない段階では、こうした相手方の感情の動きに対してマジックフレーズとして謝罪のフレーズを使うというのは適切なやり方と思われる。このフレーズは機会があれば使ってみたい。



 上司を呼ぶタイミングに決まりはありません。あまりに早く上司が出て、説明を始めてしまっては担当者の存在の意味がありません。かといって、そこに上司がいるにもかかわらず、何が何でも出ませんということでは、お客さまは誠意を感じないでしょう。
 上司を呼ぶタイミングはお客さまが怒りを覚える前に、できればこちらから意図的に呼ぶのがよいと思います。「この問題は重要なので、上司を同席させてください」「私の一存では決められませんので、上司を呼びます」などと理由をつけて呼ぶようにします。(p.178)


「上司を出せ」というよくある主張に対する対応。相手の主張の内容と上司が実際普段行っている業務内容などによっても、このあたりの対応の仕方は変わってくる。さらに言えば、上司の仕事上の力量がどの程度あるのか、ということによっても最適解は異なってくる。そうしたことを踏まえて事前に組織の中で議論しておくのがよいのだろう。

本書は行政従事者向けの実務的な本だが、一般の民間企業向けのクレーム対策本との考え方や対応方法の違いなどにも注目すると、行政の役割や位置づけなどを考える上でも大いに参考になる。


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菊原智明 『人は上司になるとバカになる』

私が成績を挙げられなかったのは、誰のせいでもなかった。「なんてヤな上司だ、最低な会社だ」と、考えても埒が明かないことばかりに囚われ、自分が本来すべきことをほとんどやっていなかったからだったのだ。

 ここから得られる教訓が一つある。それは、上司にほとんど怒られず、飄々と仕事をこなしながら結果を出している人は、上司の心ない言葉や環境に一喜一憂せず、自分がやるべきことに完全に集中できる人だということだ。(p.29)


本書は誰もが「バカな上司」になりうるという前提のもとで、そうした上司の類型化とそれぞれへの対処法などを書いているが、その基本的な処方箋は2種類に分けられると私は読んだ。一つは人間関係をこじらせないように上司に適度に気を遣いながら仕事を切り抜けるやり方であり、もう一つはここで示される例のように上司などの人間関係に左右されずになすべき仕事に集中するというやり方である。

「事柄そのものに集中する」というのが、どんな処方箋の場合でも基本になるべきではないかと私は思う。



 ここから得られる教訓は、自分を信用していない人に、いくら口で説得しようと試みても徒労に終わる可能性が高いということ。だとしたら、しっかり資料を準備して、あとはその資料に雄弁に語ってもらうほうが何倍もいい。(p.70-71)


上司など相手に信用されていない場合は、資料自体に語らせろということ。

ここでも資料作りという「なすべきこと」に集中することで道が開ける。



 人間関係において、他人をアテにしない人間ほど強いものはない。極端な例でいうと、人に裏切られたとしても「まあ、そういうこともあるさ」と、すぐに切り替えができるのだ。そもそも他人に何かしてもらおうと期待していないので、こういう人にとっては「裏切られた」という概念がない。だから、ちょっと上司に怒られようが、心を乱さず、淡々と対応策を見出すことができる。(p.117)


全く同感である。他人への配慮を優先するタイプの人は、もう少しこうした姿勢を身につけたほうが良いと思うこと頻りである。


テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

斎藤環、山登敬之 『世界一やさしい精神科の本』

 何度叱られても改まらないというのも、ADHDの子にはよくみられる特徴だ。(P.30)


病気や障害などを持つ人と接する際には、こうした知識を持つことは有用である。



自信の回復には、「人」がいちばんの薬なんだ。
 もし君たちがひきこもりそうになっても、このことだけは覚えておいてほしい。人間関係がなくなると「生きる意味」すらもみえなくなる。逆にいえば、どんな形でも人とつながってさえいれば、ひきこもりはこじれずにすむってこと。だから「誰にも頼らない強さ」なんかよりも、「時には人に甘えられる強さ」のほうを大切にしてほしい。(p.66)


自信の回復には「人」がいちばんの薬というのには納得。自信というのは、自分を信じようといくら思ったとしても、そのような意志の力で何とかなるものではない。だから、自信を失った人に対して助言するとき、私は大抵、目を外に向けさせるようにしてきた。本書の叙述から、それをさらに一歩進めて、周囲の人の側からその人に関わっていくことによって、その人の自信が回復するというプロセスがはっきりと見えてきたと思う。もちろん、問題を抱えた人から他人に関わっていくことができれば、それがベストだが、自信を喪失した人にとっては、そうしたことがなかなかできない状態でもあるだろう。だから、周囲の人がそこに関わっていくことによってエンパワメントしていくことが重要となってくるのではないか。



でも、対人恐怖の人は、意外に初対面は平気だったりする。いちばん苦手なのは、「半知り」、つまり半分知ってる人、名前ぐらいは知ってるけれどもあんまり親しくない人、こういう人たちね。
 ……(中略)……。対人恐怖の人は、こういうあいまいな関係がいちばん苦手。なぜかっていうと、半知りの関係というのは、要するに向こうは自分のことを知ってはいる、だけど自分のことをどう思っているかはよくわからない。この曖昧さが苦手なんだね。(p.69)


私も一般の人よりは対人恐怖がある人とも接する機会が割とある方だが、なかなか参考になる。逆に云えば、対人恐怖の人を受容しているということを早めに伝え、それに成功すれば、これらの人とも関係を築きやすいということだろう。



 実は対人恐怖の人って、他人にはそんなに関心がない人が多いんだよね。……(中略)……。その人が自分をどう見ているかについてはものすごく過敏だし考え過ぎなくらい考えるんだけど、そっちに気を取られすぎて、実は相手のことをよく見てないんだよね。そういう意味では、けっこう自己中心的な人といってもいいかもしれない。(p.71)


対人恐怖の人に限らず、周囲の目・評価を気にする人には、こうした自己中心的な傾向が強く見られると思う。私個人としてはこういうタイプの人はあまり高く評価しない。他人がどう評価しようが、自分の信念を貫くといったタイプの人の方が魅力を感じることが多い。



自分の醜さや臭いで他人に迷惑をかけていると思いこむから「加害妄想」なんだ。
 ……(中略)……。
 ずっとそういう訴えをしている人にとっては、もう「他人から嫌われている」って考えること自体が、自分の「存在理由」みたいになっちゃってるんだよね。逆にいうと、その悩みを否定されてしまうと、「お前は存在価値ない」といわれたみたいに傷ついたりもする。(p.72-73)


病的な心理状態の人を扱う際の難しさは、こうしたところにあるように思われる。正面から説得しても通用しないどころか逆効果になってしまう。病的とまではいかなくても、こうしたことはまれに生じるが、私としてはあまり得意としない関係かもしれない。



フラッシュバックというのは記憶の蘇りとしてもつらいんだけれども、それだけじゃない。いろんな自律神経系の反応をひきおこしてしまって、極端な場合はその場で動けなくなってしまったりするようなこともある。(p.142-143)


これに近い事例を見たことがあるが、やはりその人はトラウマを抱えていると思われる。今後の参考になる叙述。



つまり、自分がマイナス感情に支配されているときは相手がそういう感情を持っているというふうに思いこみやすいということ。これは生活の知恵として、みんなも知っておいたほうがいいんじゃないかな。
 相手がすごく自分に怒ってるなと思うときは、ひょっとしたら自分が相手に怒ってるんじゃないかと疑ってみると、早く冷静になれるかもしれない。あんまり相手の怒りをベタに受けとりすぎると喧嘩になっちゃったりしてよくないから、理不尽な怒りを自分に向けてる人がいるなと思ったときは、ひょっとしたら、本当は自分がその人を嫌いなだけなんじゃないかということを考えたほうが、頭を冷やす上では役に立つ。(p.162)


正直、あまりピンとこないが、何となく気になるところがあるのでメモしておくことにする。



「うつ病っていうのは、動けなくなる病気なんですよ」。(p.172)


気分の問題と捉えられがちなうつ病について、一般の誤解を解くために敢えて身体的な問題の方に焦点化して表現している。私は、鬱の人とも比較的よく接する機会があるが、参考にしてみたい。




テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

谷口祥子 『口ベタでもうまくいく! ほめ方の極意』

 人に好奇心を向けることで、その人の魅力や長所が目にとまります。そうすることで自然に相手に対する憧れや尊敬の気持ちが生まれ、鏡のように相手もそんな私に好意を持ってくれたのでしょう。(p.17-18)


人が関心をもつ対象について、私は「人」「事柄」「モノ」と分類すると分かりやすいと考えており、人によってこれらのうちどの領域に対して関心をもちやすいかという傾向が異なると考えており、人に対する関心が高い人はコミュニケーションスキルも高い傾向があると思っている。事柄やモノに関心が高い人は意識的に「人」に関心を持つようにすることが良好な関係を築く上でカギになると考えている。



 また、その朝礼が話題になり大勢の見学者が訪れるという居酒屋「てっぺん」のある店舗では、営業終了後に「ほめ訓練」を実施。スタッフがお互いのいいところをほめ合うそうです。店長によると、「やっていくうちに照れくささはなくなり、当たり前にほめられるようになります。ほめ訓練をすると、人のいいところを見る力がつきます。結束力が高まるし、プラスの空気が充満しそれがお客様にも伝わっています」と、訓練の効果を実感しているそうです(『日経ビジネスアソシエ』2007年9月18日号より)。上司が部下をほめるだけでなく、このように組織の中で全員がお互いにほめ合う習慣を身につける。そうすることで、お互いのいいところを伸ばし合い、信頼関係を深め、組織を活性化することができるのです。それはさらに、顧客に対してもよい印象を与えることにつながります。つまり「ほめる習慣」を定着させることは、組織の発展をもたらすのです。(p.28)


参考になる。



人をほめることによって、相手を喜ばせるだけではなく、自分の脳を喜ばせることができ、さらに人とのコミュニケーションをスムーズにすることもできる」(p.29-30)


人をほめることは自分にもプラスの効果がある。



 私は「ほめる」ことを「あなたを認めている、ということを伝えるアクション」であると定義しています。つまり「素晴らしいですね」「すごいですね」といったダイレクトなほめ言葉だけでなく、「感情」や「ねぎらい」、そして相手に対する「尊敬」や「愛情」を伝えることも含めたコミュニケーションです。(p.31)


本書の根本的なスタンスを表明している箇所の一つと言える。この意味での「ほめる」という行為をすることの重要性やその方法を書いている。実践していくことで生活に役立たせたいものだ。



 私たちが一番心打たれるのは、自分の存在そのものが認められたときです。……(中略)……。ですから、相手のことを大切に思っているということを伝え、強い信頼関係をつくりたいのであれば、「生まれてきてくれて、ありがとう」「あなたに出会えてうれしい」というような「相手の存在そのもの」を認めるほめ方、そして「あなたの仕事に対するこだわりに惚れ込みました」「あなたの、部下に対する大きな愛を感じました」というような「信念」や「価値観」、「あり方」をほめるのが効果的なのです。(p.35)


極めて重要な指摘。



 こんなふうに、人望のあるリーダーに共通するのは「具体的によく観察している」ということです。(p.142)


これは自分の経験上もよくわかる。



攻撃するということは、相手を負かして優位に立ちたいということ。要は人から認められたいのです。
 そこで、そういう人をおとなしくさせるには、そのぶしつけな態度を大目に見て、相手を認めてあげるというのがベストな対応。その寛容な態度が相手の心を開くのです。「この人、オレのことを認めてくれている。もう強がる必要はない」と鎧を脱ぐわけです。(p.191)


なるほど。納得させられる。本書にはこうした様々な対人関係上の知恵がちりばめられており、非常に参考になる。



 グチや文句の多い人には、「認めてほしい」「ねぎらってほしい」という強い願望があります。そこで、その人の話す内容に同調するのではなくそんなグチや文句をいいたくなるような環境の中でもがんばっていることに焦点を当て、その人の存在や行動を認めてあげるとよいのです。(p.202)


ここにも様々な知恵が含まれており、参考になる。