アヴェスターにはこう書いている?
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浅野和生 『親台論――日本と台湾をむすぶ心の絆――』

 ところで、鄭成功は、2万5000もの軍勢をもって台湾へ移ってきましたから、食糧増産をしなければ軍を養っていけません。それで、台南を中心としながら、北は嘉南平野へ、南は高雄平野へと軍隊を分けて屯田開墾を進めさせることとしました。この地域にみられる、左営、新営、柳営、林鳳営などの「営」のつく地名や、前鎮、後勁などは、いずれも、もとは鄭氏の軍隊が開いた開墾地なのです。(p.72-73)


台湾の地名は(その歴史に示される通り)、外来の支配者が台湾に入ってきたときに原住民と外来の者たちがどこで生活したかということと関係が深いものが多いように思われる。



当初、芝山巌に設置されたのは、国語伝習所、つまり日本語教育の学校でした。その三年後、1898年には、名称が公学校に変更され、各地に広く設置されていきます。
 そこでは、修身、作文、読書、習字、算術、唱歌と体操の授業が行われました。一方、先住民に対しては、蕃人公学校が作られ、国語、算術、修身のほか、農業、手工芸、唱歌の授業が行われました。蕃人公学校には、職業訓練所の意味合いが持たされていたわけです。また、日本の内地から台湾へ行った人びと、当時は内地人と呼ばれていた日本人の子弟が通うのは日本と同じ小学校でした。これは、もともと日本語が使える人たちですから、日本の内地と同じ教育が可能だったわけです。(p.92-93)


日本統治時代の台湾の教育について分かりやすい説明となっている。内地人、漢人系の本島人、原住民とでそれぞれ学校が区別されており、教えられる内容にも相違があったことが分かる。本書の論調としては(他の箇所でも同様の傾向があるのだが)、植民地支配には負の側面はあったにせよ、言語(母語)が異なるため学校も区別することには合理性があったとして正当化しようとしているように思われる。

確かに、母語が異なる集団に対しては、別のクラスに分けて教育するというのも一つのやり方であるのは認めることができる。ただ、教育内容については、次の点を指摘しておきたい。日本語を国語とする場合、日本語を母語とする人々に比べ、それ以外の言語を母語としている人々には日本語を教えることにより多く時間を割かなければならないかもしれないし、教科を教えるにしても母語以外の言語で授業をするならばより多くの時間をかけなければ同じ内容に到達できないことが多いとは言えるため、カリキュラムにも工夫が必要なのは確かだろう。しかし、本書の記述にもあるように原住民の学校は職業訓練所の意味合いがあったとするような点は、それらのグループ出身者に対しては卒業後の進路の自由度を下げるような制度になっており、差別として機能する制度であったことを指摘しなければならない。(なお、日本語を国語としてそれによって教えるということ自体が特定のグループに有利に働くものであり、これを前提とする植民地支配という枠組み自体も問われなければならないのは言うまでもない。)



 台湾が大日本帝国憲法の例外地域でなくなるのは、大正11年、1922年のことです。日本国内でも大正デモクラシーで民主化が進んだこの時期、大正12年の1月1日をもって、大正11年の法律第3号、つまり法3号の体制に移行したのです。これによって、原則として日本の内地の法律を台湾にも適用する、内地延長主義に転換しました。
 このときの総督は、軍人ではない文官総督の田健次郎でした。それでも、台湾の特殊事情で、本国の法がそのまま適用できない場合には、律令が制定できる権限は残されました。(p.97)


北海道において区ではなく市が置けるようになったのも同じ年のことだったが、繋がりがあるのだろうか?



 日本統治以前には、キリスト教の宣教を兼ねた西欧からの医師の移住、病院の開設がなかったわけではありませんが、全般的には、民間伝承療法が中心で、漢方医がいるだけでした。つまり、日本の国内法規を適用すると、医師免許を認められる医者はほとんど皆無だったわけです。
 当然、西洋医学を身に着けた医師を、早急に増やさなければならないのですが、それだけでは当面の必要を満たせませんから、伝統的な医療を行ってきた医生に研修を受けさせ、登録させて、医生が治療行為を継続できることとしました。こうしたことは、台湾が大日本帝国憲法を柱とする日本の法制度の外に置かれていたからできた措置です。(p.105)


ここにも先ほど指摘した本書の傾向が出ている。内地と外地を区別して統治したことには、それなりの合理性があったと言いたいのだろう。ただ、この場合も仮に同じ憲法の枠内にあったとしても、「台湾では医師免許の扱いについて内地と違う扱いを認める」という内容の法律を作ればほぼ同じ効果が得られる。(もちろん、現場で決定できるのと一地方として決定に参画できるだけであることとの相違は残るが。)

憲法の枠外にあり、強い権力を持つ総督がいることで、次々と現地で必要な決定が行えるようになったというのはその通りではあるが、やや歴史を正当化し過ぎだろう。これだけ強権的な権力の支配下に置かれた人々の境遇や法的地位が異なることによる差別なども指摘が必要であると思われる。



 台湾の最南端、屏東県に、八田與一の烏山頭ダムとほぼ同じころに工事を行っていたのが、鳥居の地下ダムでした。これは、地上の川ではなく、地下水脈を地下でせき止めてその水を地上に導き、地域一帯の灌漑用水と飲料水として用いるという、まことに画期的な土木、建設事業でした。
 しかも、八田の事業が、総統府(ママ)の資金による、いわば国家的プロジェクトであったのに対して、鳥居の仕事は、台湾製糖という民間会社の事業だったのですが、その工事の質は高く、85年余を経た今日も、その大部分は当初の機能をそのまま果たしているのです。(p.116-117)


台湾に貢献した日本人として後藤新平、新渡戸稲造、八田與一などは多くの本で言及されるが、鳥居信平もしばしば挙げられる。前三者は総督府の一員として台湾にいろいろなものを残したのだが、個人の力によるというよりは、官僚として与えられた職務を立派に果たしたという種類のものであると理解しておくことは重要である。しばしば、このあたりの話は現実からやや離れた美談として語られる傾向も見られるからである。



 さて、用水路建設を予定する一帯は、先住民族のパイワン族が住むところなのですが、それは漢人が住まないところ、つまり農業その他の産業に適さない地域であったことを意味します。
 清朝統治の220年の間に、漢人が手を付けなかったからこそ、それほどの高地、山間部でないにもかかわらず先住民族の地として残されていたわけです。(p.118)


鳥居信平の地下ダムの話の続きだが、台湾における諸エスニック集団の歴史的に形成された配置についての的確な指摘がなされている。



 1942年からは、台湾で志願兵制度が実施され、1944年までに、陸軍特別志願兵、海軍特別志願兵、そして高砂義勇隊として日本軍人となった台湾の人々は1万7000人余りにのぼりました。
 しかしながら、日本の戦況が悪化するにつれて兵員の損耗が急増すると、台湾でも1945年には徴兵制が施行されるようになります。こうして、1945年までに軍人となった台湾の人々は、合計8万433人、このほかに軍夫や軍属として従軍した人が2万6750人で、総計10万7183人の人々が軍務に従事しました。

 そして、日本のために戦死した人は、合計3万304人に及びました。これらの人々も、靖国神社に祀られています。(p.132-133)


従軍した人の3割弱が戦死したことになる。靖国神社には日本の体制の側に立って戦争に参加して死亡した者が祀られるという仕組みであるため、本人や遺族が靖国神社には祀らないで欲しいと主張していても一方的に祀られてしまう。「国家」を中心とする考え方に基づいて選別していること、関係者の意思も無視していることなど、いずれも個人よりも「国家」を上位に置いた考え方となっているが、これは為政者(権力者)にとって好都合だが、被治者にとっては有害な考え方である。



そして長年居座っていた万年議員による間接選挙であった総統、つまり大統領が、1996年からは、台湾に住むすべての成人男女の直接の投票で選ばれるようになります。

 こうして、1996年には台湾は民主的な国として生まれ変わりました
 その第一回民主化選挙で国民の手で選出されたのが、李登輝総統でした。
 これはまた、大陸中国から移転してきた中国の政権としての中華民国による台湾支配から、台湾の人々自身が選んだ指導者による台湾の統治への移行を意味していました。つまり、中華民国の統治体制が外来のものから、台湾土着のものへと変化したことを意味します。中華民国の台湾化ということです。(p.188-189)


このことの意義は非常に大きい。



本書では、近隣に日本に親しみを持つ国がない中、台湾だけは違うので、そうした隣人を大切にすべきだとされている。それはそれで間違いではない。しかし、本書では日本に親しみを持たない国として北朝鮮のほか中国、韓国を想定して、これらを「反日」として規定し、いかにこれらの国が良くないか、おかしなことをしているか、といった論が展開される。これは外交的な考え方としては全く的外れな議論である。なぜならば、外交は、敵を味方にすること、味方にできない場合でも中立化することがなすべきことだからである。

本書はこれら近隣諸国を自ら敵視し、相手国の敵意を煽るような言論を展開することで、敵対関係をより強めるような議論が為されており、国際関係をより悪化させる考え方でしかない。(仮に中国や韓国は「嫌い」だから仲良くしたくない、といった類の想念が心中にあるために、こうした論になっているのだとすれば、それは政治という結果に対する責任が求められる領域で発言するだけの政治的成熟をしていないということである。)

私としては、日本の人々が台湾と親しくすることには全く異存はないし、日本の人々は台湾の歴史を知らな過ぎるので、台湾の社会や歴史に関心を持つことは非常に大事なことではあるが、国際関係を持ち出して日台関係を親密にすべきと言うのであれば、どうすれば中国や韓国との関係を良好なもの(害がないもの)にしておくことができるか、ということにも知恵を使って欲しいものである。


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芹田健太郎 『日本の領土』

 ところで、日清戦争における日本の勝利と朝鮮・満州への進出は、ロシアの極東進出計画にとって脅威となり、清の退いた朝鮮において日露の対立が激化した。(p.34)


日清戦争に勝利したことによって、日露戦争へとつながる緊張が高まったと理解できる。軍事力によって自国の「安全」を保障しようとすると結局は緊張を高め、危険を招来することになりがちだということを示す良い例である。



 1905年9月5日のポーツマス条約によって日本は韓国における日本の特権をロシアに承認させ、満州から両国軍隊の撤退とロシアによる満州の主権の尊重を約束させたほか、旅順口・大連の租借権の日本への譲渡、長春・旅順口間の鉄道及び付属地等の日本への譲渡、さらに、ロシアの領土である樺太の北緯50度以南の地の日本への割譲を受けた。しかし、ロシアに代わって満州に特殊権益を得たことにより、この後、日本は米国の唱える領土保全・門戸開放・機会均等との間に軋轢を生みながら、大陸進出へと突き進むことになる。(p.35-36)


今度は日露戦争の結果が中国への進出とアメリカとの緊張関係を深めることになったことが読み取れる。



 紛争の解決の進め方については、係争中の島を現に占有しているのがどちら側であるかによって異なり、尖閣諸島の場合には占有しているのは日本であり、最終的解決に至るまでの間、日本は、要するに占有をそのまま維持すればよく、ことさら占有を強化する必要はない。(p.161)


本書は2002年に出た本に加筆修正して2010年に出版されたものである。2012年に日本政府が尖閣諸島を国有化したことは本書の指摘から見ると不要なことをしてしまったことになる。



 竹島編入の1905年は、韓国人にとって、自国が日本に保護国化された年であり、5年後の1910年には併合されるに至る前段の年である。竹島編入と植民地支配は無関係だと主張する日本の主張は法的には正しくとも、植民地支配を受けた歴史を持つ韓国人が「自分の国の土地で最初に取られたのが竹島だ」と関連付ける現在の認識を、それは間違いである、といくら説得しても良い関係は生まれない。自ら突き詰める以外にはない。そもそも加害者と被害者の意識の懸隔は埋められない。埋める努力をするほかはない。
 1965年の日韓条約では日本はいかなる謝罪もしていない。いまだに韓国民衆のなかに、かつての日本の朝鮮統治に対する償いを求める声がくすぶっている。竹島が韓国人にとって日本の植民地支配の始まりのシンボルであるならば、新しい竹島を成熟した日韓の協力関係のシンボルに転換させなければならない。(p.312-313)


竹島について韓国側の認識としては過去の植民地統治と結びつけられているということが分かったのは収穫であった。

領土問題がマスメディアなどで語られるとき、自国の主張でさえ特に根拠が示されることがなく、自国の領土であるとだけ主張され、係争相手の国の主張についても詳しく紹介されることがない。私としてはこの状況には大いに不満がある。自国政府の公式な主張を知ることも主権者としては必要であるが、係争相手の主張とその根拠や論理のほか、さらには人びとの認識、その認識によって喚起されている感情などを知ることが重要である。そうした包括的な認識に基づいてはじめて問題の適切な解決策を考えることができると思われる。


テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

佐藤優 『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(その3)

 もっとも、国際スタンダードでは、このような「人質裁判」が横行するのは国家権力が弱っていることの証左である。強い国家は無理はしないものだ。私は「人質裁判」に現れた日本の現政権の「弱さ」をきちんと記録に残したいと考えた。(p.475)


同意見である。

ちなみに、これは日本の内政だけでなく、アメリカのイラク戦争やロシアのプーチンによる強権的な政治・外交にも見られる傾向である。



アイヌ人の先住民族としての権利を確立することで、アイヌ民族の歴史的故郷としての北方四島の返還をロシアに対して要求し、サハリン(樺太)大陸棚の天然ガス・石油開発に参入していこうとするのが鈴木氏の戦略だ。(p.537)


なるほど。新党大地設立の構想にはこうしたものが含まれていたのか。

また、90年代末から(?)アイヌ関連の法律が幾つか成立(改定?)された記憶があるが、それも単にポストコロニアリズム的ないし左翼的構想というよりは、こうした外交戦略も絡んでいるのかもしれない。



 本というものは、それがいい文章で書かれていれば、おおかたの読者は語り手に感情移入する、の法則があります。(p.545)


これは佐藤優の文章ではなく、川上弘美による解説からの引用であるが、なるほどと思わされた。

内容の真偽に関わらず語り手に感情移入する。これは文章に限らず、話のうまい下手についても同様にであるように思われる。内容の真偽に関わらないということを私としては強調したいと思う。

これに関して個人的な体験を記録しておく。

私のかつての友人で非常に話のうまい男がいて、8割くらいは正しいことを話していたが、たまに誤ったことを語っていた(嘘をつこうという意図はなく)が、非常に多くの人々がその人に引きつけられていた。私がその人に対して正しい批判をした際にも、大抵の人は――理屈を理解出来なかったこともあるが――相手側についたことがあり、やりきれない思いをしたことがある。まぁ、結果的には私の批判は妥当性を認められたが、その本人が誤りを認めたことにより他の烏合の衆がついてきた(?)という図式に過ぎなかったように思われる。話・文章のうまい下手というものがどれほど恐ろしいものであるかを体験的に知ったという意味であの事件は私にとって重要であった。


テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

佐藤優 『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(その2)

 色丹島、択捉島に本格的ディーゼル発電機が供与され、両島での電力問題は基本的に解決した。これまでの電力調査で、国後島の電力事情は、残り二島に較べればマシなので、ディーゼル発電機供与の順番は後回しになった。
 このことに国後島の住民は不満を抱き、「日本政府はなぜ国後島に差別待遇をするのか。ディーゼル発電機が欲しい」という声も聞かれるようになった。裏返して言うならば、ロシア系住民が日本に対する依存度を強めてきたということだ。(p.226)


ここに見られるように、不満と依存は表裏一体的な関係にある。

日本国内に目を向けても、政治や官僚への不満が渦巻いているが、これもまた他者への依存の表れである。

もちろん、不満があっても単なる依存ではない場合もありうるが、それはその人が何らかの具体的かつ効果的なアクションを起こしているかどうかによって見分けることができる。それが欠けている場合は「単なる依存」であり、アクションがある場合はそこに積極的にかかわっているがゆえに単に「依存」として切り捨てられない要素があるということである。



 情報専門家の間では「秘密情報の98パーセントは、実は公開情報の中に埋もれている」と言われるが、それを掴む手がかりになるのは新聞を精読し、切り抜き、整理することからはじまる。情報はデータベースに入力していてもあまり意味がなく、記憶にきちんと定着させなくてはならない。この基本を怠っていくら情報を聞き込んだり、地方調査を進めても、上滑りした情報を得ることしかできず、実務の役に立たない。(p.241)


記憶にきちんと定着させる必要があるというのは、なるほどと思わされたところ。私の場合、ニュースなどをブログに記録することである程度のデータベース化を行っていたが、細部まで記憶しているかというとそうでもない部分も多い。記憶に定着させる技術をもう少し磨く必要があるかもしれない。年齢とともに記憶力は弱くなっているが。

また、「新聞」の切り抜きするというのも興味深い点である。ネット上では新聞はテレビと並んで「マスゴミ」などという中傷用語で非難の対象とされ、「偏向」しているとして非難されることが多いが、情報のプロはその「新聞」をこそ活用しているということである。

新聞であれテレビであれ、そこに表現されたことが理論負荷的であることなど、そもそも自明であるが、大多数の報道は何らかの根拠を持って報道されているため、完全に自由な創作と異なり、理論負荷が可能な範囲が限られる。それに対して、「ネット論壇」でのマスコミ非難の多くは、要するに自分の気に入ったとおりの報道がなされない、ということでしかなく、「個人的な思い入れ」や、「イデオロギーによって言語的に反復されることによって正当であるとの感情が増幅された感情/信仰」という強度に理論負荷された極端な立場からの不満を垂れ流しているにすぎない。

もちろん、その中には正当な批判と言いうるものもないわけではないが、報道に理論負荷がなされていることは当然であり、それがなぜ、どのような立場から理論負荷されているかを見極め、そうした理論負荷された前提となる理論と現実との差異がどのようなものであるかを理論的ないし実証的な根拠に基づきながらより分けていこうとする姿勢が見られるものは多くない。(私はナイーヴに「物事そのものDing an sich」があるなどと考えているわけではない。ここでは反省を(補助的に)用いながら「システムの作動」を捉える際の作法を一般的な言語で表現しただけである。)本来、こうした作業こそがなされるべきことであろう。その意味では佐藤優が言っていることはさすがに元実務家だけあって、私としても共感できるものである。



そして私なりに調査をしたところ、三井物産の対露情報の手法は明らかに満鉄(南満州鉄道)調査部の伝統を継承しているという印象を得たのだった。(p.241)


こうした歴史的な手法の継承は大変興味深いものがある。



 国策捜査は「時代のけじめ」をつけるために必要だというのは西村氏がはじめに使ったフレーズである。私はこのフレーズが気に入った。
 「これは国策捜査なんだから。あなたが捕まった理由は簡単。あなたと鈴木宗男をつなげる事件を作るため。国策捜査は『時代のけじめ』をつけるために必要なんです。時代を転換するために、何か象徴的な事件を作り出して、それを断罪するのです」
 「見事僕はそれに当たってしまったわけだ」
 「そういうこと。運が悪かったとしかいえない」
 「しかし、僕が悪運を引き寄せた面もある。今まで、普通に行われてきた、否、それよりも評価、奨励されてきた価値が、ある時点から逆転するわけか」
 「そういうこと。評価の基準が変わるんだ。何かハードルが下がってくるんだ
 「僕からすると、事後法で裁かれている感じがする」
 「しかし、法律はもともとある。その適用基準が変わってくるんだ。特に政治家に対する国策捜査は近年驚くほどハードルが下がってきているんだ。・・・(中略)・・・。」
 ・・・(中略)・・・。
 「そうじゃない。実のところ、僕たちは適用基準を決められない。時々の一般国民の基準で適用基準は決めなくてはならない。・・・(中略)・・・。」
 「一般国民の目線で判断するならば、それは結局、ワイドショーと週刊誌の論調で事件ができていくことになるよ
 「そういうことなのだと思う。それが今の日本の現実なんだよ」
 「それじゃ外交はできない。ましてや日本のために特殊情報を活用することなどできやしない」(p.366-368)


ここは本書のハイライトとも言うべき箇所の一つであろう。「一般国民」の基準で適用基準が決まらなければならないというのは、法律については、ある程度考慮される必要がある要素である。

しかし、その「一般国民の基準」なるものは誰がどのようにして、どのような権限に基づいて判断するのかという問題がある。実際問題として検察庁にこの解釈権があるようであり、その点に恣意的な判断が多分に入り込む余地があり、ここに国策捜査の危険性があるといってよいだろう。

「一般国民の基準」なるものを行政側がある程度恣意的に判断することが許されるとして――また、現実問題としてそうした裁量権は多少は残らざるを得ないだろうが――その解釈が「一般国民」に対して適用されるような法律であれば、私はそれほど大きな問題ではないと思っている。例えば、税法や道路交通法などであれば、多くの「一般国民」が適用対象であり、行政側の解釈が「一般国民の基準」とのズレが大きい場合、世論や政治家から行政側の解釈の変更が迫られるチャンスが比較的大きい。しかし、そうでない場合、すなわち、「一般国民」が当事者にならないような法律の解釈について行政が恣意的な判断を下した場合、それを制止する権力が存在しないということは大きな問題であるように思われる。

こうした観点からこの対話では佐藤優の意見に理があると言える。そして、ワイドショーや週刊誌の論調では外交はできないといことにも同意する。そしてこれは、外交のみならず行政が行う事柄に広く当てはまると考える。



問題はその先だ。なぜ、他の政治家ではなく鈴木宗男氏がターゲットにされたかだ。それがわかれば時代がどのように転換しつつあるかもわかる。私は独房で考えをまとめ、それを取り調べの際に西村氏にぶつけ、さらに独房に持ち帰って考え直すということを繰り返した。
 その結果、現在の日本では、内政におけるケインズ型公平配分路線からハイエク型傾斜配分路線への転換、外交における地政学的国際協調主義から排外的ナショナリズムへの転換という二つの線で「時代のけじめ」をつける必要があり、その線が交錯するところに鈴木宗男氏がいるので、どうも国策捜査の対象になったのではないかという構図が見えてきた。(p.373)


なかなか説得力があり、納得させられる箇所である。

ハイエク型傾斜配分路線は既にかなり浸透してしまったのだが、世界同時不況によりこれへの見直しが検討され始めているようにも見えるが、ハイエク型の新自由主義勢力も一方では騒いでおり、この観念の一部は既に人々の間に根強く根づいてしまっているものがあるため、危険は去っていない。また、排外主義的ナショナリズムも安倍晋三の首相就任期の前後からマスコミなども抑えた論調になってきているように見え、過激な排外主義者たちの意見も取り上げられることが少なくなってきた感があるが、諸外国と異なり、日本では露骨な排外主義的発言を公的な場で行うことが禁止されていないため、まだ危うい状況にあることには変わりない。

この不況期に人々のものの考え方に大きな変化が生じ、幾らかでもまともな方向に舵が切られていくならば、不況をさえも私は歓迎したいところである。



 「西村さん、僕が言っているのは、個々の事例を超えた、いわば空気の問題なんだ。自国の外交官がだらしない、国を売っているという声が出てくるときは、その背景に必ず排外主義的ナショナリズムの昂揚があるんだよ」(p.380)


なるほど。

同様に厚生官僚(福祉行政)がだらしない、国民の側に立っていないという声が出てくるときは、その背景には必ずハイエク型傾斜配分主義(新自由主義)の昂揚があるとも言えるかもしれない。

ま、これを誤って特定の主体があるものとして原理主義的に適用すると陰謀論になってしまうのだが、あくまでも「空気の問題」すなわち、私の用語法で言えば「意味空間」の問題であり、その意味空間は必ずしも特定の勢力や社会層に帰属させる必要性はないという点には留意が必要だろう。



同一犯罪者の手口はだいたい同じなんだよ。(p.398)


納得。

私の知る某犯罪者も同じ手口で捕まっているし、別の執行猶予中の人物も同じような事件を繰り返している。


テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

佐藤優 『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(その1)

新聞は婆さん[※引用者注;田中真紀子外務大臣(当時)のこと]の危うさについてきちんと書いているんだけれど、日本人の実質識字率は五パーセントだから、新聞は影響力をもたない。ワイドショーと週刊誌の中吊り広告で物事は動いていく。(p.97)


これは佐藤優の言葉ではなく、外務省幹部の発言の部分からの引用であるが、強調した箇所には激しく同意する。

「実質識字率」というのは、それなりに彫琢すれば、なかなか使える概念かもしれない。

「実質的な識字能力」が身についているといえるためには、単に新聞の文字面の意味を読めるというだけではなく、なぜそのニュースがこのタイミングで出てきたのか、また、なぜこのニュースの扱いが大きいのか、あるいは小さいのかが理解できるかどうか、また、中立的ないし客観的な姿勢を建前としている場合でも、その文章がいかなる仕方で理論負荷されているのかを読み取れるかどうか、また、ニュースに書かれているべきことのうち、何が書かれていないのかを読み取れるかどうか、初歩的なところでは、論理的な推論に誤謬や飛躍がないかどうか、あるとすればそれはなぜか、ということなどが読み取れなければならないだろう。

そのために必要な教育が日本では充分にされているとは言い難い。教育改革が必要だとすれば、それはこの点についての改善がなければならないだろう。

また、より一層示唆的なのは、世論が冷静かつ理性的に物事を判断するだけの力を持たないという現実認識に立てば、「民主主義」の理想に原理主義的に拘るよりも、「デモクラシー」という制度的な担保は留保しておいた上で、ウェーバーが唱えたように「政治的決定はつねに少数の者の冷静な頭脳によって行なわれる。街頭での煽動や情動に左右されてはならない」(牧野雅彦 『ヴェルサイユ条約 マックス・ウェーバーとドイツの講和』p.38)という方針で行われるべきであるという帰結に導かれる、ということである。

私は「民主主義」の原理的適用には反対であるが、「デモクラシー」の制度を民主主義の理念を念頭におきながら活用することには賛成であると言う意味で、「批判的」に民主主義に対峙しているのだが、こうした見解と、上記のような「実質識字」ができない人間が多いという現実を踏まえて「弱い個人の仮定」に立って政策や制度設計を行うべきであるという政策立案者として必要な考え方とは非常に整合的であるということを再確認しておきたい。




私が見るところ、ナショナリズムには二つの特徴がある。第一は、「より過激な主張が正しい」という特徴で、もう一つは「自国・自国民が他国・他民族から受けた痛みはいつまでも覚えているが、他国・他民族に対して与えた痛みは忘れてしまう」という非対称的な認識構造である。ナショナリズムが行きすぎると国益を棄損することになる。私には、現在の日本が危険なナショナリズム・スパイラルに入りつつあるように思える。(p.152-153)


ナショナリズムの特徴として「より過激な主張が正しい」とされるというのは、なかなか鋭い見方であると思う。ただ、もう少し正確に表現するならば「より過激な主張が一層好まれる」ということである。

私の見るところでは、「ナショナリズム」とは「思想」や「主義」といったものではなく、「感情」ないし「信条」あるいは宗教における「信仰」として規定されるべきものである。

理性Vernunftとか理論とかいったものは、ここでは重視されない。そうではなく、「感情」を強く揺さぶる(奮い立たせる)主張が「好まれる」ことになる。

「非対称的な認識構造」という特徴とは、もっと一般的に言えば、「自己中心性」であり、佐藤優が指摘しているのは、その認知的な側面に過ぎない。

これら2つの特徴を別々のものと考えるのではなく、「ナショナリズム」という「感情/信仰」は「自己中心的なもの」という特徴を持っているものとして押さえておくべきであると私は考える。もっと端的に言えば、「ナショナリズム」とは一種の「自己中心的な感情/信仰」である、と言える。

感情や信仰であっても、他者への共感などが重視される傾向のものであれば、そこから他者を尊重するという方向性も出てくるが、ナショナリズムという自己中心的な感情/信仰においては、「他者」に対する共感の要素は存在せず、他者に対しては必然的に排他的な傾向を示すことになる。

これをさらに敷衍すれば、他者が「自己」よりも軍事的経済的などの点で劣ると判断した場合には、他者に対して容易に征服や支配を行うことも正当化しようとすることになり、その感情/信仰に基づく主張および行動は、帝国主義や植民地主義などの形を取ることになる。同様に「自己」の勢力が「他者」よりも不利であると判断される場合には、同様の排他性から「現行政府に対する『革命勢力』」や「侵略者に対する『反帝国主義』『反植民地主義』」のような形態を取ることもある。

いずれにせよナショナリズムに欠けているのは、「自己」と「他者」を相対化する契機と、それらの区別を保持する場合における「他者」への理解と尊重という契機である。

本書ではナショナリストはナショナリストを尊重することがあることについて書かれているが、私が見るところでは、そうしたことが起こりうるのは、当該ナショナリストがナショナリズムに基づくだけの言動をするのではなく、その感情/信仰をコントロールするだけの理性的対応や実務的なプラグマティズムをも持ち合わせている場合であり、これらの要素がナショナリズムの感情/信仰の自己中心性を十分に抑制できている場合だけであると思われる。思うに、筋を通すことが好まれるのもその故であろう。



 第三に、官僚支配の強化である。外務省をめぐる政官関係も根本的に変化した。小泉政権による官邸への権力集中は、国会の中央官僚に与える影響力を弱め、結果として外務官僚の力が相対的に強くなった。ただし、鈴木宗男氏のような外交に通暁した政治家と切磋琢磨することがなくなったので、官僚の絶対的な力は落ちた。(p.153)


興味深い指摘である。

決定の権限が現場から離れたことで、相対的に現場の力が強まった(中央が現場の官僚をコントロールできなくなった)ということであろう。しかし、そこには外部(政治家)からの圧力という緊張感は欠けており、独善的になりやすくなったといえる。

明らかにこうした組織の編成は、組織の運営という観点から見る限り失敗であるといえるように思われる。



 専門家以外の人にとって、イスラエルとロシアが特別な関係にあることはなかなかピンとこないにちがいない。(p.159)


このあたりのことについて、少しばかりでも認識が深まったことは本書から得た収穫の一つだった。



 「新移民」は、ロシアに住んでいたときはユダヤ人としてのアイデンティティーを強くもち、リスクを冒してイスラエルに移住したのだが、イスラエルではかえってロシア人としてのアイデンティティーを確認するという複合アイデンティティーをもっている。
 ロシアでは伝統的に大学、科学アカデミーなどの学者、ジャーナリスト、作家にはユダヤ人が多かったが、ソ連崩壊後は経済界、政界にもユダヤ人が多く進出した。これらのユダヤ人とイスラエルの「新移民」は緊密な関係をもっている。ロシアのビジネスマン、政治家が、モスクワでは人目があるので、機微にふれる話はテルアビブに来て行うこともめずらしくない。そのため、情報専門家の間では、イスラエルはロシア情報を得るのに絶好の場なのである。しかし、これまで日本政府関係者で、イスラエルのもつロシア情報に目をつけた人はいなかった。(p.162-163)


「複合アイデンティティ」の話はアイデンティティなるものが備えている性質を幾つか示しており興味深い。例えば、予め決まった「自己」が存在するのではなく、「他者」との「区別/差別化」することから構成されるということが特に重要である。すなわち、その「自己」は誰(どの他者)に対しての自己認識(アイデンティティ)なのかによって、どのようにでも変わり得るものなのである。

ロシアとイスラエルの関係について考察する際に、佐藤優は人的ネットワークに注目しているわけだが、これはネットワーク研究の射程の長さを示しているように思われて興味深かった箇所である。



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杉本信行 『大地の咆哮 元上海総領事が見た中国』(その3)

 先に、日本が中国の軍事費拡大を避難し、中国がそれに耳を貸さないからといって中国に対するODAを終了するのは得策でないと述べた。中国の軍拡に対する批判を、台湾統一を国是とする中国は内政干渉としか受け取らないからだ。それよりも、「草の根無償資金協力」による小学校建設や教材購入支援などを行い、その実績をもって、中国がいかに基礎教育をないがしろにしているかを世界に訴えていくことができる。
 もう一つは、環境対策という視点。周知のとおり、中国国内ではいまさまざまな公害問題が起こり、被害が出ている。たとえば、汚れた河川を浄化するために、「草の根無償資金協力」で簡易浄化装置を設置していく。
 それを続けながら、「こんなに経済発展して外貨準備高もあり、世界的にプレゼンスが高まっている中国が簡易浄化設備に回す予算がないのはおかしい」と訴えれば、中国の人たちは、それを否定できないわけだし、彼らはいずれ予算取りをせざるを得なくなる。
 私が主張したいのは、中国が抱えるさまざまな問題を放置しておくならば、中国人自身が将来、途方もない負担を背負うのは不可避なのだが、それを隣国として看過せずに、援助することによって、問題提起をしていくということである。われわれが積極的に対応して問題提起をしていくことにより、中国の予算の優先度を変えさせる力を蓄える。私はそういうかたちで対中ODA予算を使っていくべきだと思っている。(p.174-175)


こうした地味でニュースバリューの小さなものの積み重ねは大事だと思っている。本書のこの主張は外交官ならではのアイディアであり、最も参考になった箇所の一つである。ただ、こうした地道な努力がしばしばくだらないパフォーマンスのせいで台無しになることもあるのが歯がゆいところだろう。もちろん、これは小泉の靖国参拝などを念頭に置いている発言である。



 これら任期五年の党大会のサイクルの中で結論を出す必要に迫られている指導者たちにとり、五年間で成果をあげるために一番てっとり早いのは、工場や住宅建設を中心とする固定資産投資を積極的に行うことにより経済成長率を上げることだった。不足部分については外国企業に頼ることで、短期的な経済成長の目標を達成してきた。
 こうして経済成長率を高めることが、国家レベルから地方レベルまでの各指導者の至上命題となり、その達成度が評価基準になった。消費が伸びなくてアンバランスであろうが、固定資産投資を伸ばせば一定の成績を上げられることから、彼らはそうした政策に走らざるを得なかった。
 だから、不良債権の処理についても、本来とは逆の方向にベクトルが向いてしまった。
 貸出総額(分母)のうちの不良債権(分子)を減らすことが本来の姿なのだが、彼らは経済成長という至上命題を与えられているため、逆に分母を増やして、結果として不良債権比率を下げようとしたのである。
 朱鎔基は98年末に人民銀行の大区分行(支店)制改革を行ったが、これはかえって人民銀行地方分行の国有商業銀行地方分行に対する監督機能を弱めることになった。権限を地方分行から大区分行に集中させたことにより、人民銀行の地方分行長の行政職ランクが国有商業銀行の地方分行長よりも下位になったのである。
 この結果、地方レベルにおける人民銀行と金融機関の関係は以前より希薄となり、代わりに地方政府と金融機関の癒着が強まることとなった。(p.309-310)


かつての日本が土建国家化したのとかなり似たパターンだと言えそうである。世界中から資本が集まってきても、それを短期間のうちに有効に使うのは容易ではなく、どうしてもこうした手法にならざるを得ない部分があるのだろう。



 けれども、当時の中国人社会では法輪功の登場はある意味当然なことだといわれていた。改革・開放は結局貧富の差を拡大し、貧しい者の将来の社会的保障をどんどん奪い取っていった。病気になっても医療保険が使えないならば、気功で予防する。そういう仲間たち、とくに老人たちが互いに元気かどうか確かめ合うために集まる。来世は健康で元気に生きていこうという運動が共感、共鳴を得て中国全土に広がっていったということではないだろうか。
 だが、共産党は法輪功が大宗教運動になり、かつての義和団のような存在となることを極度に恐れて、徹底的に弾圧を始めた。(p.349-350)


社会的セーフティネットが公的に整備されていない状況で市場化が進んだために、新しくコミュニティを形成する必要が生じているという状況があり、法輪功はその状況へのリアクションの一つだという解釈。なかなか興味深い。



 だが、意外なことかもしれないが、ドイツ政府が日本のように国の責任として他国に謝罪したことはないのである。それは、反人道的な犯罪行為は「ナチスというきわめて特殊な集団が行ったものである」という立場をとっているからなのだ。だから、ドイツ国軍の行った戦争に関しては追咎されることもなく、また謝罪も行われていないのである。(p.374)


ドイツが政府として謝罪したことがないから日本も謝罪や反省をする必要が無いとはいえないのだが、それぞれの状況がその後の経路に影響するという点では興味深い指摘ではある。



 この議論(引用者注;教科書問題ばど歴史認識の問題)でもっとも歯痒いのは、やはり戦後の日本が努力した平和への取り組みについて中国ではまったく知られておらず、評価の対象となっていないことだ。極端なことをいえば、中国人の頭の中ではいまだに日本は戦前のままなのである。(p.376)


「中国人の頭の中ではいまだに日本は戦前のまま」というのは、なかなかうまい表現である。すべての中国人にとってそうだとは言えないまでも、中国国内で知らされる「日本」の表象の多くは、特に歴史に関しては戦前までしか知らされない傾向があるだろう。今後、本当に未来志向で関係を作っていくならば、やはり中国国内で「戦後の日本の歩み」についてもっと理解を深めてもらうことは必要なことであろう。特に、昨今の中国の状況がかつての戦後の日本とかなり類似点があると私は考えているので、そうした意味でも中国にとって戦後の日本の歩みは参考になると思うのだが。

もちろん、戦後の日本も確かに平和への努力をした面はあるだろうが、国連などでの対応を見ると、それほど誉められたものでもないのは確かなのだが、それでも戦前のイメージが突出して強い中国の人々に対して、異なる側面をも見えるように発想を柔軟にしてもらうためには、戦前の悪いイメージとは対極的な戦後日本の良いイメージを強く前面に打ち出すのは戦略的には悪くないだろう。

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杉本信行 『大地の咆哮 元上海総領事が見た中国』(その2)

 ここで、円借款はなぜ民間の融資と区別され、「援助」と呼ばれているかをおさらいしてみよう。
 日本の円借款は、経済協力開発機構(OECD)の下部機関である開発援助委員会(DAC)の定義に基づくODAとして国際的に公認された政府対政府の「援助」である。
 DACによれば、「援助」がODAとして認知されるには次の三条項を満たす必要がある。政府ないし政府の実施機関によって供与されるものであること。開発途上国の経済開発や福祉の向上に寄与することを主目的とすること。供与条件として贈与要素(Grant Element=GE)が25%以上であること。
 GEとは、DACがODAの国際比較を行うため、援助条件の緩やかさを表示するために決めた指標である。金利10%の商業条件のGEを0%とし、金利、返済期間、据え置き期間が緩和されるに従いGEの比率が高くなり、贈与の場合、これが100%となる。
 79年から97年の円借款の平均金利は2.78%であり、この20年間あまり常に市中金利を下回っており、世界銀行のIDA(国際開発協会)を除けば、他のいかなる国、国際機関の資金供与より低金利である。償還期間も据え置き10年で30年(注:環境プロジェクト等40年に及ぶものもある)の長期間である。
 このような対中円借款の条件に従い計算すると、対中円借款のGEの平均は65%であり、GEに相当する部分が実質的に贈与されることになる。別の角度からいうと、中国に譲許性の高い資金を提供することにより、中国が市中金利で借り入れた場合の差額を実質的に中国に贈与していることを意味する。
 これに対して、中国政府内には「返済するカネなのだから」とか「日本にも利益がある」との主張も根強い。
 だが、はっきりいってこの考えは誤りだ。右の説明のとおり、ODA総額約三兆円のGE(贈与要素)の割合は65%、つまり、約二兆円は真水として実質的に中国に「供与」されていると国際的に認定されているからだ。
(p.92-93)


円借款は中国に対して贈与された部分がかなり大きいという話。なかなか興味深い。

ただ、「日本にも利益がある」というのは幾つかの意味で正しいのではないだろうか。日本政府から中国政府にカネが渡されるということは、当然、中国政府にとっては利益になるのだが、日本政府にとっても常に「損」であるとは限らない。次の引用文に示された考えなどは、その一つではなかろうか。



 円借款をきっかけにして、欠けている交通インフラ、エネルギー政策の体制づくりが始まった。石炭を日本に売って外貨を稼ぎ、インフラ整備に再投資する。そうなれば、次には民間投資が始まる。実際には、最初に入ってきたのは華僑資本であった。それに日本の民間投資が続いた。
 初めのうちは、きわめて廉価な労働力をフル活用して生産するアパレル分野がメイン。安価でリーズナブルな品質の製品を輸出して稼いでいたが、年を経るにつれ、食品加工、電子部品、半導体、自動車と産業の裾野が拡大し、その好循環が二十年にわたる平均10%近くの驚異的な経済成長を支えてきた。当時の中国人の誰に想像できただろうか。
 その意味で、中国の発展の基礎をつくったのは日本からの円借款であることは、否定できない事実なのである。
 中国が経済発展すればどんどん軍事力を増すので、日本にとり脅威だと指摘する向きもある。しかし、よく考える必要がある。あのまま中国を放置しておうけば、現在の北朝鮮のような存在になっていきかねず、そちらのほうがより脅威になっていたとはいえないだろか。
 01年12月にWTO(世界貿易機関)にも加盟し、いまや自国通貨の人民元の為替レートが他国に及ぼす影響を慎重に見極めながら決めなければならなくなった中国は、国際的な経済秩序に縛られ、当然ながら、関係諸国と相互依存関係にあり、身勝手なことができないようになってきている。(p.97-98)


 このように相手国を経済的に安定させることによって脅威となることを防ぐという効果も考えられるのである。

仮に中国が脅威になることがあるとすれば、それは中国がブレトン・ウッズ体制と冷戦構造が存在していた頃のアメリカ並みの覇権を手にしたときであろう。ただ、私見ではそこまでの力を中国が手にできるかどうかには、やや疑問がある。

確かに中国が今後、覇権を手にする可能性は否定できないが、覇権を手にできるほどの経済力を手に入れる頃には、中国の人口構造は現在の日本並みかそれ以上に高齢化が進んだ状態になっているはずである。覇権国はかつてのオランダやイギリスやアメリカのように移民が大量に流入する傾向があるが、中国にそれが起こるだろうか?中国の政治が抱える問題の一つが少数民族を統合する問題であり、歴史的には存在していない「中華民族」というイデオロギーを用いて、統合を維持しようとしているところに移民が大量に流入することができるかどうか、かなり疑問がある。



 国際的に孤立する中国の最大の弁護者として、懸命の努力を重ねた日本の姿をごく一部の中国人しか知らないことは非常に残念である。(p.117)


中国政府と日本政府の関係が良好になり、中国政府が自国内における日本のイメージを向上させる必要が生じたとき、こうした姿は伝えられるであろう。90年代後半以降について考えると、江沢民と小泉純一郎という政治的リーダーを持ってしまったことは、双方の国の人々にとってマイナスだったように私には思われる。



 よく台湾植民地50年と朝鮮半島植民地36年との比較で、「台湾人が親日的であるのに朝鮮人は反日的であるのはなぜか」との問いが出されるが、その理由の一つに両者の歴史の違いが挙げられよう。
 台湾総督府は、台北市のど真ん中の、もともと何もない野原に建設された。朝鮮総督府は李朝の王宮の前に王宮を隠すように建てられた。この違いが象徴しているように、台湾の植民地は中国から「化外の土地」として見捨てられていた島に、日本がいわばゼロから近代都市を建設したのである。(p.119-120)


ゼロからというのはやや誇張だと思うが、日本が進出する前の台湾と朝鮮では状況が大きく異なっていたことをうまく言い表わしている。さすがは(元)外交官と思わせる文章である。



 中国では、地方政府が一定規模以上のプロジェクトを計画した場合、ある程度の自己資金を準備するほか、中央政府の認可が必要となる。各地方から中央政府に毎年数百件の申請があり、国家計画委員会(現在の国家発展改革委員会)が資金手当ての関係から第一次審査を行う。外国からの無償資金協力を利用することが適当と判断した場合、それを採用するかどうかの判断は、対外経済貿易部に委ねられる。
 同部に集められた地方政府からの数百におよぶ申請案件から、最終的に日本政府の無償資金協力を利用すべきかどうかの判断は同部の国際合作司に任されている。
 したがって、地方政府の側からすれば、プロジェクト遂行に足りない資金が中央政府の予算から手当てされるのか、外国政府の援助によるのかは第二義的な関心となる。それよりも、同部国際合作司が当該プロジェクトを他の地方から上がってくる数百件に及ぶ案件の中から選定してくれるか否かが最重要関心事となるわけである。
 極端な言い方をすれば、地方政府は別にどこからカネが出ようが関係ない。足りない分を出してくれる決断をしてくれた部署、担当者に対し感謝の念が集中するのである。そのため、あのようなごますり接待をすることになるのだ。
 以上のように、無償協力資金の窓口の対外経済貿易部の担当者と接触し、調査を進めてみてはじめて、このような背景が浮き彫りになり、先方もそれを認識することになった。(p.151-152)


日本が金を出したODAに対して中国側が相応の敬意を払わないということが問題とされることがあるが、そのメカニズムはこうしたところにあったようだ。このあたりを踏まえると、単に「敬意を払わない」という表面上の現象だけを見て感情的に反発するような、日本でよく見られるタイプの議論がいかに愚かであるかがわかるだろう。


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杉本信行 『大地の咆哮 元上海総領事が見た中国』(その1)

 中国は日本にとって、時としてやっかいな隣国である。しかし、だからといって日本は引っ越すわけにはいかない。中国が日本にとって好ましい存在になるように全力を尽くすのが外交の要諦だと考える。少なくとも中国の失政のつけが日本に回ってこないよう賢明に立ち回ることが大事だ。(p.14)


敵を減らし味方を増やすことこそ外交の基本原則というべきであろう。やたらと好戦的な「タカ派」と呼ばれる人々は現実的には「バカ派」と呼ぶべきであるのは、このような初歩的な原則に反していることによる。



 中国の人たちは、76年の天安門事件以前を知る人と、それ以降に生まれて、以前の実態を知らない人、それから、文化大革命の十年を知っている人とそうでない人で、考え方、意識がまったく違っていて非常に興味深い。
 ・・・(中略)・・・。彼ら(引用者注;文革時代の酷さを知っている世代)は共産党が何をしてきたかを自分の目で見、体験してきたわけで、意識的に共産党のスローガンに対してものすごく醒めている。
 だから、政治が躍起になって、戦争で日本がどれだけ悪かったかという教育を一生懸命してみても、その片方で彼らは「だけど、共産党はもっとひどかった」と平気で語る。もちろん、絶対に信用できる人間に対し、隠れてではあるが。(p.56-57)


中国の人々の意識について考える際、この世代間の差異は考慮に入れるべき枠組みであろう。



 そこで78年、小平は改革・開放政策に大きく舵を切った。復活翌年のことだった。
 路線変更した一つのモデルとして、小平は中国人民に日本を見せた。訪日した小平が視察する日本の最新鋭工場の映像が中国国内に何度も流された。日産自動車の座間工場でロボットが精密に動いて自動車がつくられていく現場を見せて、「これが現代化である」と説いた。時速二百キロ以上で疾駆する新幹線を、中国の人々は未来世界の映像を見るような眼差しで眺めた。
 80年代初めに、中国で頻繁に放映された日本の映画やテレビの作品も、中国の改革・開放を後押しする役割を担っていた。(p.85)


最後の一文で想起されるのは、中国で日本のアニメが初めて放送されたのはこの頃であり、「鉄腕アトム」がその最初の作品だったということである。



 対外援助に関し、それ以前の中国は、共産圏の先輩のソ連一辺倒で、外国からの資金や物資援助、投資、借款を受け入れない「対外貿易三原則」の立場を貫いていた。
 ところが、50年代後半から始まった中ソイデオロギー対立のあおりで、60年7月にソ連側が対中援助協定を突然破棄した。同時に派遣していた1390名のソ連人技術者全員を一斉に引き上げた。そのため、当時着工中であった257の経済プロジェクトはすべて停止の憂き目を見た。
 さらに中国側を苦しめたのが、建国直後の50年代に友好国ソ連から受けた総額14億ドルにのぼる借款であった。ソ連は利払いを含めて借款を全額返済するよう中国に迫った。
 60年、中国は大飢饉に見舞われるが、自国民が飢え死にしても食料を輸出して借款を返す、いわゆる「飢餓輸出」という悲惨な経験をした。このときに中国は、外国から金を借りることについての危険性を嫌というほど味わったといえる。
 その後も中ソ対立が続く一方で、西側との関係が回復する前は、ココム(対共産圏輸出統制委員会)より厳格な中国向けの技術の輸出規制「チンコム」を課されており、西側からの技術支援は望めない孤立した状況にあった。
 そうした国際環境を踏まえて、中国は自力更生の道を選ぶ。極端な国有化政策をとり、国民の土地を取り上げ、全国に人民公社をつくって、集団生産を行う計画経済を進めた。60年代後半は、外国から一切借款、援助を受けず、内債も外債も持たなかった。だが、その後十年間続いた文革の混乱により、国内経済は完全に疲弊してしまった。(p.89-90)


50年代から60年代の中国の暗い時代の国際的な状況は、どことなく昨今の日本と似たところがあると言えないだろうか。この時代の中国の事例は、特定の一国との関係だけを強化し、他との関係が弱いことがどれほど脆弱であるかをよく示していると思われる。


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朝日新聞「自衛隊50年」取材班 『自衛隊 知られざる変容』(その2)
MD導入について。

 日本の防衛産業は、F15などの歴代の主力戦闘機の導入に見られるように、米国製のライセンス生産で技術を学び、生産ラインを維持してきた。
 その構図が揺さぶられている。自国の技術覇権を守るためには、たとえ同盟国相手であれ、ライセンス生産を容易に認めない。米国の戦略的な姿勢がはっきりしてきた。MDの導入は、日本の兵器体系を根本から変える可能性をはらむだけに、その衝撃は大きい。(p.243)


MDを巡る情勢として一応押さえておきたいところ。



 もう一つの特徴は、米国の情報への依存である。警察、内調、外務省はいずれも米中央情報局(CIA)との情報交換を行っているが、日本側にはCIAの情報を検証する能力がない。独自の外交政策を打ち出すには、各国との真の情報交換を可能にする独自情報源の確保が必要だが、その基盤はまだ弱いのが実情だ。(p.348)


今の日本の政治家などの状況から考えると、こうした情報を確保しても、その情報を適切に使ってくれるかどうかという疑念が払拭できないが、しかし、こうしたアメリカへの情報依存も冷戦構造の内部でこそ機能しえたものである。そう考えると、独自情報源の獲得はやっていかなければいけないとは言えるだろう。一市民の立場から見て重要なのは、問題はその情報の使い方であり、情報を適切に使うための仕組みの整備であろう。

その点で、後藤田正晴へのインタビューで彼が次のように述べているが、私もほぼ同意見である。

 「謀略はすべきでない。かつて坂田道太・防衛庁長官が『ウサギは相手をやっつける動物ではないが、自分を守るために長い耳がある』と言ったが、僕は日本という国を運営するうえで必要な各国の総合的な情報をとる『長い耳』が必要だと思う。ただ、これはうっかりすると、両刃の剣になる。いまの政府、政治でコントロールできるかとなると、そこは僕も迷うんだけどね」(p.365)





 朝鮮戦争では、米軍の要請で、海上保安庁は秘密裏に「特別掃海隊」を編成して参加した。延べ1200人と掃海艇など25隻を投入した。死者1人、負傷者18人の犠牲者を出したが、当時は一切公表されなかった。(p.367)


チベットや四川省の地震の報道などで中国を批判したりする人は多いが、日本もそれほど大きくは違わないという認識を持つことは重要だろう。むしろ、そうした他人の振りを見てわが振りを直さなければならないというべきだろう。

現在の日本でも、ここで引用したような隠蔽が行われていても何ら不思議ではないと思う。


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朝日新聞「自衛隊50年」取材班 『自衛隊 知られざる変容』(その1)

 多国籍の世界での活動を通じて、自衛官らは一様にこんな印象も抱く。
 「日本だけが制約のある国ではない」
 有志連合に参加している国は、それぞれの法律や政策上の制約を持っていて、その範囲で活動している。「米軍に基地を提供した」というだけの貢献で、胸を張って参加する国もある。米中央軍の将校も「各国の軍に制約があるのは当たり前。できる範囲のことをしてくれればいい」と言う。それを知って、自衛官らは目からうろこが落ちたような気持ちになるらしい。
 尾崎が言った。
 「ここに来て感じたのは、『普通の国』なんてないということ。それは幻想だ。米国こそが特殊な国、日本は『制約がある』と最初に言うのではなく、自信を持って『これが出来る』と言えばいい」
 65分の1の自画像が、旧来の同盟でもたらされた固定観念の呪縛を解き始めている。(p.58)


「『普通の国』なんてない」というのは重要な認識である。

なお、余談だが、「65分の1」と書いているのは、アフガニスタンへの侵攻のための有志連合に参加していた国の数が65あったことから来ている。自衛官らは、米軍以外の軍隊の活動を見ることによって、自衛隊や米軍のあり方が相対化されたわけである。



 1999年から1年間、米陸軍大学(AWC)に留学した。そこでの体験を、番匠は忘れられない。
 現代戦で最も重要とされる戦場の情報を、米軍が各国とどこまで共有できるのか、教官が同盟国の信頼度を示す三重の同心円を示した。
 中心に米国、英国、ドイツ、フランス。次の円内にはイタリア、オーストラリア、カナダ、オランダ。日本は最も外側の円の“others”(その他)にあった。(p.101)


米軍にとって日本(自衛隊)というのは、それほど重要なパートナーではないということである。「日米同盟」の結束の固さを誇る日本の支配層の人々の認識となんと大きな隔たりがあることか!



 冷戦後に欧米の軍は、大規模な削減努力を続けてきた。日本とは安全保障環境が異なるとはいえ、1990~2003年の間、自衛隊の2%減に対し、欧米の軍は30~51%も減らしている。(p.195)


人員について欧米では激減しているが日本はほとんど変わっていない。

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