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大野哲也 『旅を生きる人びと バックパッカーの人類学』(その1)

バックパッキングは、ことばも通じない右も左もわからない異国の地を、現地社会に全身全霊を浸らせながら自力で進んでいかなければならない旅である。その異文化体験をとおして味わう、スリル、達成感、恐怖心と克己心などの総体が旅の面白さを構成している。そして波乱万丈の旅をやり遂げた自分を振り返ることで、旅人は自分が成長したことと自分が変わったことを実感することができるのである。(p.42)


旅の面白さを非常によく言い当てているように思う。

ただ、本書では、日本人バックパッカーたちが、実は異文化体験をあまり志向していないことや、スリルや達成感などもマニュアル化され、商品化され、消費されるものになる傾向などが指摘されており、そうした側面があるという認識に基づく留保はつけられることになる。この指摘も妥当なものと思う。

そして、本書ではアイデンティティと旅との関係において、ここで述べられている「旅をやり遂げた自分を振り返ること」が果たす機能に焦点が当てられているのが特徴的な観点であると思われた。



だが、旅の面白さが自己変革や自己成長と接続する可能性がつねに開かれているという開放性こそが、バックパッキングの大きな特徴であり、バックパッキングの魅力を増大させているのである。(p.43)



この指摘にも同感である。上述の「波乱万丈の旅をやり遂げた自分を振り返ること」によって、成長した自己像が描かれ、自分自身が成長したという実感へと繋がっていく。本書ではこの点について、成長した「実感」という表現までで止めているように思うが、現実の社会での活動に変化が生じており、それがその社会の「共通善」を志向しているのであれば、それは「成長した」と言ってもよいのではないかと思う。

なお、本書のこの後の議論を踏まえた(やや先回りしすぎな)コメントになるが、この点は、本書の見方と私の見方の分岐点になっているように思われる。日本社会の中に回帰することを「前進主義的価値観」の元に回収されたものと見る本書の見方は、日本社会の中に存在する価値観を過度に単純化しているように思われる。アイデンティティは個人が持つものではなく、社会の中でのみ意味を持つものだとすれば、そして、社会の中での役割や立場、自分の「居場所」こそがアイデンティティの根源であるとすれば、元々住んでいた社会に回帰し、そこで新たな立ち位置を見出し、自分自身が満足しながら社会に貢献できる道を見つけたのだとすれば、それは実際に成長したと言ってよいはずである。

逆に、本書が評価する(本書ではこの言い方は使っていないと思うが)ノマド的な生き方は、もともといた社会の中には居場所を見つけることが「できず」、やむを得ず、複数の社会の間で、それら(が作り出している制度)に「貢献する」よりは「利用する」ことで何とか居場所を確保しているにすぎない。この「貢献」の少なさを私は低く評価したい。例えば、社会保障制度をつまみ食いしている点などに、それは象徴的に表れている。つまり、住民票を置いたまま国保に加入せずに他人の保険証を使用するといったことを本書は知恵があるとして称揚しているが、これは詐欺罪に該当する犯罪である(少なくとも、国保法や健保法には違反している)。(なぜならば、医療機関を錯誤させることで医療機関から保険者に不正な請求をさせ、保険者から不正に給付を受けている。)また、社会に住んでいる人が拠出している保険料や税金に便乗しながら、この人は保険料や税を払ってくれた人々に対して何の貢献をしているのか、ということも考えなければならない。こうした行為を高く評価することは妥当な評価とは言えない。



 こうしたサイクルが成立する一因は、冒険的な旅の経験によって刷新された「個性豊かでタフ」という自己が、「強い者が勝ち、弱い者が負ける」という資本主義のルールときわめて親和的だからである。このサイクルのなかで、日本社会で支配的な価値観からの解放を願って旅に出たバックパッカーの多くは、結局は日本社会が強制する前進主義的価値観に自発的に服従し、かつて逃走を試みた社会秩序へ再参入していくのである。(p.52-53)


「個性豊かでタフ」をよしとする価値観が資本主義のルールと親和的であるという指摘はなるほどと思わされた。

しかし、一点だけ疑問がある。もし、本書が言うようにバックパッカーの多くが「日本社会で支配的な価値観からの解放を願って旅に出た」としても、日本に帰ることを始めから意図せずに旅に出発するバックパッカーがどれほどいるのか、という点である。本書の観点ではここが抜け落ちているように思われる。

多くのバックパッカーが始めから帰国の意図を持たずに「解放」を願って出国しているというのであれば、本書がここで指摘している内容は十全なものと言い得ると思うが、そもそもバックパッカーたちの殆どは帰国することを前提して旅に出ているのである。価値観から解放されたいと思っているとしても、一時的にそこから身を離すことで、より落ち着いた環境の中で自分自身の身の処し方を再構築したい、といった考え方なのではないか。この発想自体は「前進主義的価値観」とは何の関係もない。他の価値観の社会であっても十分あり得る発想である。



バックパッキングという実践が、生きる意味について葛藤し自信を喪失していた者に、生きる希望を与え新たな活力を付与したことはまぎれもない事実なのである。さらに今まで想像すらしたことがない生き方が世の中には多く存在することを、身体のすべてを使って知ることで、彼らの人生観や価値観が根底から変化する可能性もある。
 彼らがバックパッキングをとおして得た自信と確信は、彼らがこれから歩もうとする新しい人生のステージで、新たな地平を切りひらく原動力になり得るのだ。つまりマクロレベルでみると既成の価値観の再生産につながっているものの、ミクロレベルでみれば個々人の生を活性化させる力がまぎれもなく備わっているのである。(p.53-54)


バックパッキングがミクロレベルでは生の活性化という機能を持つことについては全く異存はない。マクロレベルで既成の価値観の再生産に繋がっているということ自体も表現としては誤ってないと思う。ただ、既成の価値観を「前進主義的価値観」に回収しきってしまうような扱い方と、バックパッカーたちがこの価値観とは相容れない価値観を持とうとしているかのような扱い方には、単純化しすぎであると批判しておきたい。一時的に既存の価値観から離れて自分の考え方を再調整したいという発想は、既存の社会の中での自分の役割を考え直すことであって、既存の価値観を否定することではないと考える。このように考えれば、バックパッキングは合目的的な行為となっていると言うことすらできる。



 このようなプロセスを経て日本人バックパッカーがひとつの場所に集まり、沈潜者と新参バックパッカーが親密になり交流を深めることで、たとえ沈潜者が日本人宿コミュニティから移動していったとしても、情報だけは、残された者に引き継がれ蓄積され続けていくのである。さらに蓄積された情報をもとに旅を遂行することによって、彼らの多様であるはずの旅の経験はひとつのモデルへとゆるやかに収斂していく。相似形の旅物語が生産されていくことになるのだ。(p.85)


この指摘ももっともだと共感する。実際、バックパッカーが泊まる宿を転々とすると、以前別の国(都市)で出会った旅人と再会することはしばしばある。(イスファハーンで出会った旅人とイスタンブールで偶然再会するといった経験は私にもある。)こうした画一化には確かに本書が批判するような、「本来のバックパッキング」からの乖離はある。

しかし、そもそも旅のあり方は時代によって変わるものであり、バックパッキングが始まった時代の旅が最高のものであったと言える根拠は特にない。ガイドブックや情報によって収斂していくことは確かに画一化の方向性ではあるが、なぜそのに画一化するのかという理由を考えると、それは市場によって良い商品が選ばれるのと同じである。誰かが既存の情報とは違う情報を書き込んでも、それと同じルートで旅をした人が良いと思わなければ、そのルートは他の旅行者に追随されることは(あまり)ない。それと違う道を行きたい人はそこを行けばよく、そうでない人は良いとされている道を行けばよい。それだけのことではないのか。なお、ここではブローデルに倣い、「市場」と「資本主義」とは同一のものではない、と断っておこう。



異文化経験を熱望する一方で、日本的なものを強く求める二律背反性が沈潜型バックパッカーの旅の核心であるなら、バックパッカーの再生産は避けられない帰結であった。(p.85)


沈潜型バックパッカーには会ってみても今一歩、彼らの価値観というものは理解できなかったのだが、本書の指摘は、こうした一面はありそうだと思える内容であり参考になった。



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イブン・ハルドゥーン 『歴史序説3』

 これらは哲学関係の基本的学問で、七部門ある。まず第一は論理学で、次に数学がくるが、これは算数にはじまって幾何学、天文学、音楽学と続く。次に自然学がきて、最後が形而上学である。(p.331)


ヨーロッパの自由七科――文法学、修辞学、論理学、算術、幾何学、天文学、音楽――とかなり共通性がある。ヨーロッパの自由七科は、ローマ時代の末期に確立したようだが、イスラーム世界にはヨーロッパ以上に多くのギリシア・ローマの文献が知られていたから、根はおよそ同じような所にあるものと推察され、興味深い。



 カルデア人やそれ以前のシリア人、シリア人と同時代のコプト人などは、魔法や占星術やそれらと関係のある催眠術や呪符などに強い関心を示し、ペルシャ人とギリシャ人が彼らからそれを学んだ。(p.331)


ここでの学問の流れは、『黒いアテナ』でバナールが主張する方向性と一致している。古代ギリシアの文化が開化する以前の時代、レヴァントやエジプトからギリシアへと学問や文化が伝播し、影響を与えた。


宮原辰夫 『インド・イスラーム王朝の物語とその建築物』

 インドに現存するデリー・スルターン朝やムガル帝国の建築物は、「インドの富」の略奪や都市の破壊、住民の殺りくという歴史的側面から見る限り、多数のヒンドゥー教徒にとっては歴史の負の遺産以外のなにものでもないと言えよう。しかし、たとえインド・イスラーム王朝に関連するすべての建築物を破壊したとしても、歴史の事実が消える訳ではない。むしろ歴史の事実を継承し、そこから学ぶ機会を失ってしまう。(p.5)


この辺りは日本の植民地支配を受けた二つの地域の対照的な対応(建造物ごと負の歴史を消し去ろう、否定しようとする志向がある韓国と日本の統治時代をも自分たちの歴史の一部として継承して行こうという志向がある台湾)が想起された。



 またティムールは、フィーローズ・シャー・トゥグルクが建てた素晴らしいジャーメ・マスジド(現在のフィーローズ・シャー・コートラー(図78))に余りにも魅せられてしまったので、それと同じマスジドをサマルカンドに建てたいと考え、そのマスジドの設計者とレンガ職人や技術者をデリーからサマルカンドに連れ帰った。それが後にサマルカンドに建造された未完の金曜モスク「ビービー・ハーヌム・マスジド」であると言われる。
 ただ、写真で見る限り、この「ビービー・ハーヌム・マスジド」(図76)の入口の門は、明らかにテランガーニーが建造したと見られるベーガムプリー・マスジド(図64)やカラーン・マスジド(図67)の門と同じ特徴を備えている。つまり、門の両端に丸太のような柱が張り付いているという特徴からして、このマスジドはフィーローズ・シャー・コートラーだけでなく、当時建立されていたデリーのマスジドの影響を受けているといえよう。(p.109)


ビービー・ハーヌム・マスジドにインドからの影響があるとは気づかなかった。門の両端の大きな柱は、確かにインドのイスラーム建築では割と多くみられるように思われる。



リチャード・セイラー、キャス・サンスティーン 『実践行動経済学 健康、富、幸福への聡明な選択』

民間企業や政府当局がある政策のほうがより良い結果を生みだすと考えている場合には、それをデフォルトに選べば結果に大きな影響を与えることができる。(p.21)


デフォルトの力は大きい。



人々の意図を測定すると、人々の振るまいに影響が及ぶのである。「単純測定効果」とは、なにをしようとしているのか質問されると、答えに沿った行動をとる可能性が高くなるという発見をいう。この効果は様々な文脈で認められる。ある特定の食品を食べるつもりであるか、ダイエットをするつもりであるか、運動するつもりであるかどうか質問されると、質問に対する答えが行動に影響を与える。単純測定効果はわれわれの言うところの「ナッジ」であり、民間部門や公的部門で使うことができる。
 選挙戦略の担当者は支持者を投票に行かせるようにしたい。どうすればそうできるのだろう。すぐに思い浮かぶ答えは、投票の大切さを強調することである。支持者が投票に行きやすくして、コストと負担を減らすという方法もある。しかし、もう一つ別の策がある。選挙の前日に投票するつもりかどうか質問すると、その人が投票に行く確率を25パーセントも高められるのだ!また、携帯電話や自動車など、特定の商品の新規購入を増やそうとしているとしよう。全米の代表的サンプルの4万人以上を対象とする調査で、対象者に簡単な質問をした。「今後6カ月以内に新車を買うつもりですか」。こう質問しただけで、購入率は35パーセント上昇した。今度は、当局者が人々が健康を増進する手だてをとるように促したいと考えているとしよう。健康に関連する行動については、人々の意向を測定することによって大きな変化が生まれている。次の週に何回デンタルフロスを使って歯の間を掃除するか質問すると、フロスを使う回数は増える。次の週に高脂肪の食品を食べるつもりかどうか質問すると、脂肪の多い食品を食べる量は減るのだ。(p.116-117)


この知見は結構応用範囲が広そうな気がする。仕事の使えそうな場面で使ってみたい。



 全体的に見ると、宣伝は幸せな夢より悪夢に近かったことがヘンリック・クロンクビストの研究によって明らかになっている(Cronqvist[2007])。ファンドの宣伝のうち、手数料など、合理的な投資家にとって問題になる特性について直接的に情報を提供していると判断できるものはごくわずかしかなかった。そして、ファンドは過去のリターンを喧伝していたが(リターンが高かったファンドの場合だが)、広告は決して将来のリターンが高くなることを保証するものではなかった。それでも、ファンドの宣伝は投資家のポートフォリオの選択に強い影響を与えた。期待リターンが低く(手数料が高い)、リスクが高い(株式の組み入れ比率が高く、アクティブ運用の比重が大きく、“ホット”なセクターの比率が高く、ホーム・バイアスが強い)ポートフォリオを選ぶように人々を誘導したのだ。(p.240)


この件を読んで心配になった(増大した)のが、日本の国民投票法では憲法改正の際の宣伝が、通常の国政選挙のような縛りのない中で行うことができるという点であった。宣伝(広告)は合理的な判断から遠ざからせ、悪い結果へ人々を導くとされているが、金があればいくらでも宣伝をすることができ、デマを事前に排除するような審査も十分ではないため、たとえデマを流しても、それがデマだったことが投票の後になってから明らかになるということが起きかねない。

安倍政権のように不都合な情報は隠蔽し、真実を知ろうとする質問をはぐらかし続け、政治を私物化し続けるような政権が長く続き、権力者が使う不誠実な論法(ご飯論法)が巷にあふれている状況が続いている昨今の日本においては、とりわけこうした制度設計がもたらす危険性は高いように思われる。(例えば、日大のアメフトの危険タックル指示問題に対する大学当局側の対応も――この対応が安倍政権と似ているとの妥当な指摘もあったようだが――、安倍政権の不誠実な対応を日常茶飯事として見せられ、そのような対応をしても政権側がまともに責任も問われないという状況を日々目にしていることと無関係とは言えないだろう)。



 こうした問題にアプローチするため、われわれの指針原則の一つに立ち戻ることにする。「透明性」である。この文脈では、ジョン・ロールズの言う「公知性の原則」を支持する(Rawls [1971])。最も単純な形の公知性の原則とは、政府が市民に対して正当性を公然と主張できないか、そうする意思のない政策を選択してはならないというものである。われわれは二つの理由からこの原則に好感をもっている。第一の理由は、実際的であることだ。政府が正当性を公然と主張できないような政策を導入すれば大きな困惑を呼び、政策やその根拠が開示されたりしたら大問題になるだろう(アブグレイブ刑務所にこの原則が適用されていたら、あのような残酷で品位を貶める行為は起こらなかっただろう)。第二の、そしてもっと重要な理由は「尊重」という概念に関係する。政府は統治する人々を尊重すべきであり、正当性を公然と主張できないような政策を導入するのは、統治する人々を尊重していないということだ。国民を操作の道具として扱っているのである。この意味では、公知性の原則はうそを禁じることに結びつく。うそをつく者は人々を目的ではなく、手段とみなしているのである。(p.357)


この件は安倍政権に対して最も欠けているものであり、私がこの政権を最悪の政権と評価する所以である。森友問題、加計問題、日報問題、裁量労働制を巡るデータの捏造など、いずれも公然と公表できないようなこと(政治の私物化)をしているからそれらの情報を隠蔽したり改竄したりごまかしの答弁で時間を稼いだりし続けているのは誰の目にも明らかだろう。

なお、安倍政権の国民を全く尊重しない対応というものは、こうした問題に限ったことではない。安倍政権は最初からごまかしばかりであり、論点ずらしの発言ばかりを続けているからである。例えば、「アベノミクス」などというのも、財政の悪化などを隠しながら(論点化させないように情報操作ないし印象操作しながら)行ってきたものであり、不都合な点を隠蔽しているからできているに過ぎない(政権が交代したり首相が代わった後になってから、この数年間で撒かれた問題が表面化してくるだろう)。

「公知性の原則」は再認識されるべき時を迎えていると思う。


野嶋剛 『台湾とは何か』(その2)

 明治維新を経験した日本は、欧米からの制度や技術の輸入による近代化を成し遂げ、清朝を戦争で打ち破り、台湾経営に乗り出した。日本の統治は苛烈なものだったが、日本が台湾に移植したものは、日本自身が学んだ近代だった。そこでは、限界はありながらも、言論の自由や法の支配、教育の普及、行政の平等主義などが実現され、統治50年を経験した台湾には、そのエッセンスがすでに根づいていた。台湾の人々のなかには自らを日本人と見る人もいれば中国人とみる人もいたが、共通するのは、近代人になっていたことだ。
 日本が去り、中華民国がやってきたとき、台湾の人々は「祖国復帰」を本気で喜んだ。しかし、その期待はあっという間に裏切られる。大陸の中国人は、前近代の世界に生きていた人々だったからだ。(p.240)


大胆に単純化しているが(様々なものを捨象してしまったり、多少の誤認を導く要素もないわけではないが)、当時の台湾の人々が大陸から来た中国人に対して感じた違和感の原因を非常に分かりやすく説明していると思われる。

ある意味では、現在でも台湾の人々の多くが、大陸の人々に対して同様の違和感を感じ続けているように思われる。(台湾の人々が中国の人びとよりも韓国や日本の人びとに対して、よりシンパシーを感じる場面は少なくないと思う。少なくとも私の知る「天然独」の人々にはほとんど当てはまると思われる。)



 民進党を勝利させ、国民党を敗北させたのは「台湾は台湾」と信じる人たちの群れであった。台湾に生きる人がそう考えているのであれば、我々もその政治的現実を受け止めるべきである。そのうえで、台頭した大国・中国とどう距離を取るべきか、どのような政治体制が台湾にふさわしいか、中台関係の平和的解決や安定的マネジメントの解答がどこにあるのか、といったテーマを積極的に議論していきたい。そこに立場や意見の分岐があることは極めて健全なことである。不健全なのは、何も考えないことであり、思考停止を続けることだ。(p.259-260)


同意見である。


野嶋剛 『台湾とは何か』(その1)

 盗聴については、台湾では今日でも、アジアのなかで群を抜いて当局によって盛んに行われているのは確かだ。原因は中国との対立にある。台湾に浸透した共産党スパイの摘発のため、法務部調査局、国家安全局、国防部軍事情報局など各インテリジェンス組織が強力な陣容を持ち、盗聴をその有力な捜査方法にしている。すでに共産党のスパイへの懸念は低減したが、組織は能力があれば使いたくなるもので、民進党の議員などは自分たちの電話が盗聴されているという前提で生活しており、この「口きき」問題は図らずも台湾の盗聴大国ぶりを印象づける形にもなった。(p.31)


現在では台湾というと日本よりも民主的な政治が行われている地域と私は考えているが、こうしたイメージからすると盗聴が盛んであるというのはやや意外にも思われたが、中国との関係という歴史的経緯を踏まえれば合点がいく。



「湾生回家」の価値は、激動の歴史を歩んだ台湾の近代史のなかで、「台湾から日本に戻ったあとも、台湾を忘れず生きてきた」という湾生の物語を新たに発掘したところにある。台湾社会のなかで、1945年以降に台湾を去った日本人たちが、これほど台湾を深く懐かしみ、思い続けたことは、台湾でも日本でも語られなかった話だ。(p.73-74)


なるほど。是非ともこの映画は見てみたい。



戦前の台湾の経済水準は日本の地方都市を大きくしのぎ、給料面でも東京に遜色ない金額を得ることができたとされている。(p.75)


全般的にこのような状況だったかどうかは疑問。どのような人がこのような恵まれた状況にあったのか、また、こうした恵まれた状況になかった人はどうだったのか、ということには興味がある。



 日本人は中国が領土拡張の野心を持っていると警戒しがちだが、中国は建前でも本音でも、「新たな領土」への野心はそれほど強くない。それは、ロシアや中央アジアとの間で進めた国境画定交渉における比較的冷静かつ実務的な対応にも現れている。彼らが固執するのは「取り戻す」ことであって「広げる」ことではない。中国にとっては台湾も尖閣諸島も「取り戻す」という論理で重要になっているのである。(p.94-95)


なるほど。この見方は重要かもしれない。

中国の一般の人々もナショナリスティックに反応するのも、これらの土地が「奪われた」ことによる「屈辱」と結びつけられているからだと合点がいく。

とは言え、本書の指摘には落とし穴がある。ナショナリズムというものは、他国より力が劣る間は「防衛的ナショナリズム」として発現し、拡張は志向せず、「奪われないこと」や「取り返すこと」のために国民が協力することを促す。しかし、他国より力が強くなると「侵略的ナショナリズム」に変質する。中国の領土の場合にだけ、こうした一般的な傾向が当てはまらないと言える根拠はない。

従って、これまでの中国は「取り戻す」論理と感情によって動いてきたとは言えるが、今後はこの論理を使って侵略や拡張を正当化しようとすることはない、とは言えない。中国から見た「失地」を「回復」することができたとすると、その次には拡張の動きに転じるという可能性は残る。もちろん、私もすぐにこうした動きが全面的に展開するとは考えていないが、中国の動き方が過去から未來まで不変であるかのような印象を与えてしまう点には留意すべきと思われる。



 台湾に優良な中華文化が維持されているというのは正しい理解でもある。蒋介石は台湾に逃げてくるときに、中国の文学、演劇、映画、学者など、一流の文化人をこぞって連れてきた。彼らは共産中国で活躍の場がないと考え、国民党と一緒に台湾に渡り、そのまま大陸に帰ることなく、台湾で文芸の道を極めた。多くの弟子をとって、文化の種を台湾に撒いた。その結果、台湾には、高いクオリティの中華文化が育つことになった。(p.128-129)


なるほど。



そして、たどり着いたのは、「大陸反攻を放棄し、台湾化した中華民国は、台湾の人々にとってはもはや『克服』すべき対象ではなくなりつつあるかもしれない」という認識だった。(p.182)


国名としての中華民国。実態としての台湾の政治的自律性。「国名としての中華民国」は大陸との間で「一つの中国」という点に合意することにより大陸からの武力介入を外交論理上防ぐ機能を担う。これが実体としての台湾の政治的自律性を守ることに繋がる。ある意味では台湾の多くの人が望む「現状維持」をするために「中華民国」という国名は(少なくとも現状では)役立つようになっている。


半田滋 『「北朝鮮の脅威」のカラクリ 変質する日本の安保政策』

 日本上空を通過するミサイルに落下の危険があるというなら、その危険性はどの国のミサイルであれ、ロケットであれ、質的に変わるはずはない。そう考えるのが常識であろう。ところが、日本政府にその常識は通用しないのだ。
 韓国政府は2013年1月30日に三回目となる人工衛星「羅老(ナロ)3号ロケット」を打ち上げると発表した。前年12月に発射された「光明星3号」と称する北朝鮮の弾道ミサイルに近い軌道を通り、沖縄の南西諸島上空を通過することになるが(図4)、小野寺五典防衛相は打ち上げ失敗という不測の事態に備えて地対空迎撃ミサイルPAC3を南西諸島に配備することをしなかった。PAC3を配備した北朝鮮の場合とどこが違ったのだろうか。(p.35)


日本政府が「北朝鮮の脅威」を過剰に煽ることで(「防衛力」というよりも)「軍事力」を持つために利用していることは明白だろう。

このような指摘が公的にされた場合、政府は「そのような意図はない」などと否定しようとした上で、政府は指摘した側に立証責任を押し付けようとするだろう(安倍政権のような姑息な手段を用いることが常套化している政権においてはほぼ確実に起こると予想している)。しかし、ある意図があると仮定した場合に採用すると想定される行為と実際に観察された行為とが一致しているような場合、そのような意図がないことを立証・説明する責任は行為者の側にある(政府ならば通常の人より以上に説明する責任がある)。その場合、単に「そのような意図はない」などと言い張るだけでは当然不足であり、そのような意図とは整合性がとれない(相反するような)行為を体系的に行っていることを立証しなければならない。さらに、仮に意図がなかったとしても、多くの行為がその意図に沿ったものとなっていることが指摘されている以上、そのように行為した(あるいは、せざるを得なかった)理由等について説明する必要がある。

ちなみに、法人(集団・組織)の場合には、その指導者本人にそのような意図がなかったとしても、誰一人としてそのような意図に基づいて行動していないということにはならない、という点にも留意が必要であるため、個人よりも法人(集団・組織)の方が、行為と意図との外的整合性から判断することの妥当性は高いと考える。



 だが、北朝鮮が目標とするのは米国に戦争を仕掛けることではない。核弾頭を搭載できる大陸間弾道ミサイル(ICBM)を保有することにより、米国から先制攻撃を受けることのない抑止力を持ち、北朝鮮の現体制を維持するという保障を取り付けて平和協定を締結することにあるのは明らかだろう。(p.42)


ここで本書で述べられているような考え方が北朝鮮の基本的なスタンスであると思われる。(日本における北朝鮮に関する報道は過度に「悪魔化」されている。北朝鮮は容易に信用できないのは確かだが、掛け値なしの悪であるかのようなラベリングや記号化は行き過ぎている。)

本書は2018年3月に出ているが、4月27日に南北首脳会談があり、朝鮮戦争の終結や朝鮮半島の非核化を目指すことなどについて合意がなされたと報道されたことと、ここでの指摘は適合的だと思われる。北朝鮮はかなりの程度、ここで述べられているような抑止力を手にしつつある現状やトランプ大統領が在韓米軍の削減などをしたがっていることなどを考えると、北朝鮮がフェイズを変える機会だと考えているとしても不思議はない

上記引用文では「北朝鮮の現体制」を維持することが大きな目的であることになるが、半島の統一と現体制の維持は必ずしも一致しない(むしろ相性が悪い?)ため、このあたりが今後どのように処理されていくのかに注目したい。


山崎元一 『世界の歴史4 古代インドの文明と社会』

 『リグ・ヴェーダ』に登場するこれらの神のなかには、ゾロアスター教の神々やギリシア・ローマの神々と共通するものも多い。たとえば、天神ディヤウスはギリシアのゼウス、ローマのユピテル(父なる天、ディヤウス・ピタル)に、天空・友愛の神ミトラはゾロアスター教の太陽神ミトラ(ミスラ)に相当する。(p.54)


イランのゾロアスター教との相互関係は隣接しているので容易に理解できる。ギリシアの神も、ギリシア人が結構いたということが本書では説明されている。本書により認識が深まった点は、ギリシアとインドではそれまで思っていたよりも文化的な交流があったということだった。



先住民の信仰と関係するものとしては蛇(ナーガ)崇拝があり、わが国の竜王・竜神信仰はここに起源の一つをもっている。香川県の琴平町に祀られている金毘羅は、ガンジス川のワニ(クンビーラ)に由来する竜神である。(p.55)


龍というと日本には中国から来たというイメージがあるが、インドにまで遡る(ものがある)と知っておくのは悪くない。



 不可触民の存在は、ヴァイシャとシュードラにある種の優越感をもたせ、経済活動の担い手であるかれらと支配階級との間に生ずる緊張関係を緩める効果をもっていた。(p.82)


ヴァルナ制やカースト制は支配者にとっては極めて都合の良い身分制度である。



 俗世を支配する王といえども、輪廻転生から自由ではありえない。古代インドの王たちは、善政や大供犠・大布施・寺院建立といった功徳を積んで来世に天国に生まれることを願い、悪政や不信心の報いで地獄に堕ちることを恐れた。だからといって、善王が他の文明世界にくらべて圧倒的に多かったというわけではないが……(p.87)


宗教が説く倫理や世界観と、そうした教説が現実にもたらす効果とは別のものである。恐らく寄付や寄進のような「善行」であればイスラーム世界においての方が遥かに活発だったであろう(このようになったのは思想的な理由というよりも制度的な理由が大きいのだが)。



布施を意味する語はダーナで、施主はダーナ・パティと呼ばれた。わが国の「旦那」や「家」は、このダーナ〔・パティ〕に由来する。もともと敬虔な信者を意味する仏教語であったが、俗化して、財物を与えてくれる「ご主人さま」を旦那と呼ぶようになった。(p.128)


日本語の単語にはインド由来のものが結構あるようだが、一つ一つがなかなか面白い。



『論蔵』として総括される一群の仏典は、各部派の教理解釈を収めたものである。この『論蔵』にさきの『律蔵』『経蔵』を加えたものが三蔵であり、三蔵に精通した学僧が三蔵法師(ほつし)と呼ばれた。中国の仏教史上でこの尊称に最もふさわしい人物は唐の玄奘であるため、玄奘個人がこの称で呼ばれることもある。(p.132)


この点については、玄奘個人の尊称なり通称を「三蔵法師」と呼ぶものだと思っていた。今までこれが一般名詞だと考えたことはなかったので、驚いた。



 歴史的に眺めると、バラモンたちの南インドへの移住は、この地の王たちによる積極的な誘致によって促された。部族制の段階から王制への移行期において、バラモンは王権の正統性を宗教的に承認し、その強化に貢献したからである。
 またバラモンがもち込んだヴァルナ制度のイデオロギーは、階級社会に秩序を与える上に役立った。王たちが村や土地を施与してバラモンの定着を図ったのは、かれらのこうした役割に期待したからである。(p.220)


中世以前において宗教は一般にここで述べられているのと同様の役割を果たしてきたと私は考えている(例えば、日本に仏教が入ってきた時も、政治的な意味を抜きにしては考えることはできないであろう)。ヒンドゥー教やバラモン教ではヴァルナ制度やカースト制度が伴ってくるため、支配者にとっては他の宗教と比べても、かなり都合の良いものだったと思われる。



 ユーラシア大陸の中央に位置し、隊商が頻繁に往来したこの地域も、ヨーロッパ人が海路アジアにやって来るようになると、その歴史的役割を終え、やがて西方世界の人びとから忘れられてしまった。
 ヨーロッパ人がこの地の重要性に目を向けるようになったのは、19世紀の後半になってからである。当時、南下策を進める帝政ロシアは中央アジア・アフガニスタン方面への進出を企てており、その先駆けとして、中央アジア探検を推進した。一方、この動きを植民地インドに対する脅威とみたイギリスも、中央アジア方面への関心を高めた
 こうした動きがきっかけとなり、19世紀末から20世紀初めにかけて、これら両国をはじめ、ドイツ、フランス、スウェーデン、日本などの国々が、地理、民族、歴史、宗教、文化を調査するという目的を掲げて、この地に探検隊を送り込んだ。(p.343)


この地域とは中央アジア(西域)のこと。

19世紀末から20世紀の初めころにこの地域に各国が探検隊を送ったことについて、探検隊はロマンを求めていたかのように描かれることがあるが、ここで指摘されているように当時の国際情勢が背景にあったと見るべきだろう。(なお、19世紀の前半からイギリスはアフガニスタンを勢力下に置こうとしてアフガン戦争を起こしていた点にも留意すべきだろう。つまり、19世紀末よりも前から関心が高まる条件は整ってきていた。)

ちなみに、「シルクロード(ドイツ語のSeidenstraßen)」という言葉が出てきたのも1877年のことであるが、ここで指摘されているような形で中央アジアに対するロシアやヨーロッパ諸国での関心が高まったことと関連としていると思われる。



E&F-B.ユイグ 『スパイスが変えた世界史 コショウ・アジア・海をめぐる物語』

 1497年7月8日のリスボン港では、カリカットに向けて出港する船舶が、威容をみせていた。それは一隻のカラベル船、補給用の随伴船、この機に建造された同型の二隻の船のことである(修理に便利なように、二隻は互換性のある部品だといわれていた)。乗組員は150人以上の人たちで構成された。なかには、普通法の受刑者である「デグラダドス」がいた。かれらはとある場面で、さほど値うちのない人生を賭けることで、名誉の回復をはかることになっていた。それはヴァスコ・ダ・ガマが、有能な船員の人生を危険にさらしたがらない場面のことだった。未知の人たちと最初の接触をはかるために送りだされたのは、こうした人たちだったのだ。かれらが生きのびれば、うけとるのは自由という報酬だった。(p.194-195)


犯罪を犯した人に対して非人道的な扱いをすることが許されるという発想は、現代では否定されるべきものとなっている。このことを理解していない人は意外といるように思われる。(受刑者ではなく被疑者に対する考え方も誤っている人は多い。)


村串栄一 『台湾で見つけた、日本人が忘れた「日本」』

新竹駅は駅前にも風情がある。かつての日本時代の路線転換設備が保存され、その公園で子どもたちが鉄路を跨いで遊んでいる。柳が枝垂れる疎水の流れも趣きがある。(p.37)


行ってみたい。



 ここ新竹が戦時中、日本の航空前線基地だったことを知る人はあまりいない。戦況が悪化するなか、米軍は沖縄を襲って日本本土侵攻を企図し、日本はその前に米軍をつぶそうと新竹から特攻機を発進させた。しかし、新竹飛行場は米軍機の奇襲を受け、日本兵、住民らが多く死傷し、何機もの航空機が炎上した
 日本は沖縄や本土を守ろうと新竹飛行場を拠点に、旧式航空機で体当たり戦法を試みようとしたが、徒労に終わった。新竹には死亡した日本兵を祀る霊堂がひっそり置かれているという。建立したのは台湾住民で、国民党政府の目を警戒しながら堂を守り続けてきたとされる。(p.43)


こうした歴史は、「アジアのシリコンバレー」と呼ばれる現在に至る要因の一つではないかと思われる。航空前線基地とアジアのシリコンバレーを繋ぐ媒介項としては国立精華大学が想起される。これについては、具体的な繋がりを検証したりはまだできていないが、恐らく、関連付けられるような歴史的経緯があるものと想定している。



 南方、台湾、日本には似たような浦島伝説がある。それも黒潮の流れが成したことであろう。黒潮は海上の道であり、文化結節の道でもある。2005年に製作された台湾映画『飛び魚を待ちながら』(原題『等待飛魚』)が蘭嶼島の生活、漁の様子などを描いている。(p.133-134)


黒潮を通って人と文化が伝播する。なるほど。