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アヴェスターにはこう書いている?
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中西聡 『近世・近代日本の市場構造 「松前鯡」肥料取引の研究』

 つまり鯡魚肥生産が開始された近世中期には、両浜組商人―荷所船―敦賀問屋―大津納屋のルートで鯡魚肥は輸送され、近江・畿内で鯡魚肥は主に使用された。日本海から下関を経由して直接海路大坂へ輸送する西廻り航路は、寛文12年(1672)に河村瑞賢によりすでに整備されていたが、鯡魚肥は依然として敦賀から陸送されるルートで輸送された。その背景には敦賀問屋・大津納屋衆と近江商人の強固な結合があり、そのため西廻り航路の整備によって直ちに北海道から大坂までを直接結ぶ海運網が形成されたわけではなく、日本海航路では依然として船の活動範囲が地域的に限定されていた。(p.69-70)


この辺りのことについて、簡単な説明を聞くと、西廻り航路ができるとすぐにそこを通って運ばれたかのような印象を受けてしまうことが一般的だと思う。実際にはすぐに西廻り航路が鰊魚肥の流通路になったわけではなかったというのは、やや意外だった。



日本海海運は遠隔地間「交通」の典型的な例であり、菱垣・樽廻船における江戸・大坂間の価格差に比して、北海道・大坂間の価格差ははるかに大きかった。とすれば日本海海運においては、価格差を利用して大きな利を得られる自分荷物積の方が船主にとって有利であり、実際19世紀には北海道産商品は長崎俵物など一部の御用荷物を除き、ほとんどが自分荷物積で運ばれた。(p.73)


北前船の商売のやり方も、その背景には北海道と大坂との物価の価格差が大きかったという条件があったということを理解しておくことは重要。明治になり交通や通信の技術が発達し、普及してくると、こうした環境はなくなってしまった。



このように三井物産と近世来の諸勢力が正面から競争した函館・大阪市場では、近世来の諸勢力の団結が明確にみられ、三井物産に対してグループとして対抗し、資金力や価格支配力に現れる三井物産の取引上の優位性を押さえ込んだ。逆の見方をすれば、三井物産の進出が結果的には近世来の諸勢力間の競争を制限させ、近世来の諸勢力同士の協調を促し、明治20年代の鯡魚肥市場をより競争制限=安定的な方向へ進めた。(p.323)


三井物産に対抗するために近世来の諸勢力が結束して対抗したため、三井物産は鯡魚肥の市場から撤退させた。次に引用するように、この後、国内の市場を十分に確保できなかった三井物産は外地や外国への進出を強めていった。この辺りは非常に参考になった。



 三井物産はそれに対し、樽前漁業組合と委託販売契約を結び(明治23年(1890))、北浜漁場産物も扱ったが、十分な利益を上げるに至らず、明治28年に栖原家より漁場を譲り受け、北海道漁業部を設置して鯡魚肥生産に乗り出した。しかし北海道漁業本部(北海道漁業部を明治31年に改称)も十分な利益を上げられず、明治30年代初頭に、逆に小樽出張所・函館支店を廃止し、鯡魚肥市場から徐々に撤退して肥料取扱の中心を「満洲=中国東北部」産の大豆粕へ移した。……(中略)……。
 ……(中略)……。この間米穀取引でも三井物産取扱高は、明治23~27年にかけて減少しており、こうした国内市場掌握の限界性が、明治30年代以降の三井物産の積極的な海外市場進出の背景にあったと考えられる。(p.337-339)


国内市場を把握しきれなかったがゆえに海外市場に目を向けざるを得なかったというのは、現在から見る三井のイメージとは乖離があり興味深い。


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小樽市人口減少問題研究会 『人口半減社会と戦う 小樽からの挑戦』

現在でも、新規高卒者の地元就職内定率は50%前後で推移しており、就職希望者の半数は市外に転出している可能性がある(小樽市2017a)。(p.35)


この個所の少し前には年代別にみると高校や大学を卒業するタイミングでの人口減が最も多いことが指摘されている。就職先が市外になること人口減の大きな要因であると言える。

本書は小樽市と小樽商科大学の共同研究の成果ということらしいが、上記のような明白な事実がありながら、本書の内容は子育て支援策を手厚くするという方向性など、的外れな方向に(これが言い過ぎだとすれば、少なくとも、主要な要因ではない論点へと)議論が進められていくことに非常に違和感を感じる。研究会発足は当時の市長の発案のようだが、市長が自らの政策の正当性をこの研究から得ようと考え、研究会側もそれを忖度しながら(あるいは当局側からそのような方向性で進めてほしいという意向が伝えられた上で)研究の方向性が選ばれたのではないかとさえ勘繰りたくなるような不自然さである。(このズレは、市の行政、市議会、経済団体へのインタビューに関する分析(本書第5章)でも見出すことができる。)

上記の年齢での社会減が最大なのであれば、それ以前の子育て支援策を充実させることは、この最大の要因に対してほとんど何らの効果も持たないであろうことは明白なはずである。(その年齢以前の社会減を減らすというより小さな要因には影響する可能性があるが。)本書は、ここに焦点を合わせて掘り下げる必要があったはずである。(もちろん、行政の施策でそこで発見された事実に対応がほとんどできないものだったとしても、そうすべきであろう。第二章あたりでは多少関連する問題に触れられているが、十分に議論が深まっていない印象が強い。)



1997(平成9)年以降の推移でみると、札幌市以外との転出入はほぼ均衡している状態であり、小樽市の社会減は、約200万人の人口を抱える札幌市への転出超過が、その主な要因となっていることがわかる(図9)。その中でも、小樽市に近接する手稲区、西区への転出超過が全体の5割を占めている(小樽市2017b:10)。(p.37)


この点はもっと掘り下げるべきであろう。札幌に転出した後、その人々はどこで働いているのか(業種や収入なども含めて)、といったことを追跡すれば見えてくるものがあるはずである。本書ではこの点の掘り下げがほとんどされていない。(第二章などで若干関連する問題は扱っているが、上述のとおりあまり掘り下げられていない。)個人情報も絡むので調査が難しいのは分かるが、例えば、直接確認することが難しい部分については、どのような代理指標を用いれば計りたいものが計れるのかという工夫が欲しいところである。いずせにせよ、本書全体を通して、アンケート調査に安易に頼ったという印象は否めず、その設問によって議論に予め限界が設けられてしまっている感が強い。



先述したが、小樽の観光業は賃金の点では札幌を凌ぐが、飲食・宿泊業は他産業と比べて、賃金水準が低い。これは、日本の観光業が1960年代の日本の経済成長期に確立された日本人団体旅行向けビジネスモデルからいまだに脱していないことが原因の一つである。地方の観光都市に、観光バスを仕立てて訪れ、安く効率的に旅を楽しむことを前提とするこのモデルは、休暇期間の短い日本人にとって最適なモデルであった。
 しかし、「おもてなし」は善意から行うものであり価格に反映させるべきでないとする倫理観の中で、サービスに対する適切な評価がなされてこなかった。さらに2000年の道路運送法の改正によりバス事業が許可制となり新規参入が急増したため、日本の観光業は熾烈な価格競争に巻き込まれることとなった。この価格競争の中で、コストカットの対象は人件費へと向かい、観光業界は低賃金産業となった。(p.66-67)


ここは重要な論点の一つと思われる。ただ、ここの記述でよくわからないのは、前段からすると個々の顧客の支払いが安いのだから観光業に落ちる金の単価も低かったことが予想されるのだが、その後の競争の激化によって低賃金産業となったとされている。90年代以前は低賃金産業ではなかったのだろうか?基本的には他の産業よりはもともと低賃金だったのが、さらに競争により切り下げられてきたという意味だろうか。(この個所に限らず、本書の分析は単なる意見で説明を済ませているかのような箇所が多く、一文一文に対するエビデンスが見えない点が問題である。)



都市圏も地方部も各産業バランスの取れたまちづくりを重視しているものの、都市圏においてその傾向はより強いことが分かる。他方、ものづくりのまち、食のまちづくり、観光業中心のまちづくりについては、地方部においてその傾向が強く、これについては統計的な有意性が確認されている。とりわけ、食と観光については、都市圏と地方部では大きな差がついている。なお、商業中心のまちづくり、文教的なまちづくりについては、都市圏と地方部で統計的に有意な差はみられなかった。
 したがって、全体としては八割に近い市区において各産業のバランスの取れたまちづくりが重視されているものの、その傾向は地方部よりも都市圏でより強く、また地方部においては都市圏に比べると「ものづくり」、「食」、「観光」のまちづくりなど、ある産業を中心としつつ、その他のバランスを図るまちづくりが重視されている傾向があると考えられる。(p.217)


こうした一つの産業だけを前面に出すやり方は、人口規模が小さければ、その産業に関連する人口が生活できることで、その自治体に住むほとんどの人が生活できるというようなことがあり得るため、それなりに有効だが、ある程度人口規模が大きくなると、特定の産業とその関連産業だけでは生活を維持していくことができないため、バランス重視になっていくという議論が本書でもされている。このこと自体はその通りであろうと思われる。

ただ、この点は人口の少なさを要因とする政策決定の傾向であって、その逆ではないであろう。本書はアンケート調査で相関関係を抽出するにとどまり因果関係まで明らかにしていない点が多く、分析不足と感じる。(相関関係であると断りつつ、因果関係であるかのように書いていたり、そのように誤認させそうな記述も散見される…。)総じて、行動経済学などでは統計的な分析から因果関係を明らかにするようなものがあるのだが、本書は数十年前の研究の分析レベルにとどまっている感じがする。

マルクス・ガブリエル、マイケル・ハート、ポール・メイソン 『未来への大分岐 資本主義の終わりか、人間の終焉か?』
マイケル・ハート

 本来、特定の経済システムが果たすべき責任とは、生産力を増やして人々にまともな生活を提供することにとどまらず、人々の才能や能力を十分に活用することなのです。(p.29)


才能や能力を活用するという言い方には、個人主義的な考え方がやや強すぎる感じがする。むしろ、社会の中ですべての人がそれぞれ然るべき位置を占め、そこでそれぞれ何らかの貢献をする、といった方が良いのではないか。



マルクス・ガブリエル

斎藤 現在の状況全体が最低だから、それに対処する政治も最低じゃないといけないというわけですね。でも、どうして人々はまともでない状況をまともな形に直そうとせずに、最低な状況で生きることを選んでしまうのでしょうか。
MG 心理学的な説明になりますが、もし政治がまともになれば、ないことにしている他者の権利を認める必要が出てくる。それに対する、暗黙の恐れがあるのです。(p.158)


明らかな嘘に基づくような政治であっても人々がそれを直そうとせず受け入れてしまうことについての議論。現在、「保守」と呼ばれている「反動」勢力は、普遍的な人権などを認めようとせず、それをないことにしようとしているが、そのことに対する「彼ら」の心理としては、確かに、マルクス・ガブリエルが言うように解釈できる。



とくに相対主義と社会構築主義は、事実のあるところに事実を見ないという帰結をもたらします。
 あなたが事実を見なければ、目の前の問題に対して自分がどんな態度をとるのかを決められない。つまり態度の調整が不可能になります。社会構築主義は、人々から現実を見る力と問題に対応する力をそいでしまうのです。(p.173)


マルクス・ガブリエルが繰り返し述べる、この問題意識には共感する。90年代頃にポストモダニズムが流行していた時に、私自身が非常にうさん臭さを感じたのは、まさにこの問題意識に通じていると思っている。ただ、社会構築主義には、私もその後、00年代頃にはかなりコミットしてしまったが、いわゆる「保守」(つまり、実際には「反動」)や権力を握っている側が、これを明確に悪用することが世界的に増えてきた00年代後半には、そこからどのように抜け出すべきかということが徐々に意識されるようになってきたと思う(その前の2003年のイラク戦争などもこの問題点が感じられる事例であろう)。私にとって、その手掛かりとなってきたのはオートポイエーシスであり、マルクス・ガブリエルの新実在論も観察者の理論である点で多くのポストモダニズムの議論と共通の誤りを犯しているとは思うが、そうであっても、相対主義を乗り越えようとする姿勢自体は評価に値するし、彼のこうした議論によって相対主義や社会構築主義の問題点がより広く認識されること自体は歓迎したい。



ポール・メイソン

 世界人権宣言(Universal Declaration of Human Rights)が国連総会で採択されてから、すでに70年以上が経っています。ところが、中国の大学では、「七不講」という政府からの通達によって「人類の普遍的価値」という言葉が使用禁止になっています。その一方で、中国政府は企業などの民間部門に対して、データと専門知識を供出するよう命令しています。2035年までに中国が、AI開発における世界的リーダーになるためにです。(p.301)


中国共産党にとって「人類の普遍的価値」が認められることは不利益だということを宣言しているようなものだが、それはつまり、自らそれを否定(踏みにじっている)と認めているということ。中国の人々は、中国共産党が行っているこうした事実をより深く知るべきである。それを知らせていくような運動というものも必要なのではないか。

ただ、これは他人事ではない。桜を見る会の招待者や招待の経緯を意図的に明らかにしないようにしている政府、森友問題と加計問題、労働や経済に関する統計の(意図的な)不正操作など、政府にとって都合が悪い情報はなかったことにしようとしているのは安倍政権も全く同じだということを日本の人々ははっきり知った上で政権を選ぶべきなのだ。(中国共産党と同じような安倍政権の支配を受けたいかどうか。)


品川裕香 『いじめない力、いじめられない力 60の“脱いじめ”トレーニング』

 いじめの取材をしていると、実に多くの人が「いじめるほうが悪いのはまちがいないけれど、いじめられる側にも原因はあるのでは?」ととらえていることを痛感します。(p.68)


仮に原因があったとしても、そのことをもっていじめられる側にも問題がある(悪い)とは言えないということをはっきりさせるべきである。このことについては、付け込まれる要因はいじめる側が見出したりつくり出したりして利用するものだから、とひとまず言っておこう。



 Bちゃんの言動からもわかるように、暴力を働く子はいろいろ言い訳しますが、根底にはその子自身が抱えるストレスがあり、そのストレスがうまく処理できていないケースが少なくないと私は考えています。これがまさに34ページの個人のリスク要因にある“生活上のストレス”。実際、いじめの取材をしていて、つくづく痛感するのは「課題を抱えていない子は他者に暴力など振るわない」ということなのです。とすると、いじめない、いじめられない力を涵養するためには、この「ストレス処理」が大事なキーワードになることもわかります。(p.73-74)


本書は主に子どものいじめに関する本ということになると思うが、ネトウヨなどの言動などもいじめと同じような構造を持っているように思われる。ネトウヨにはIT技術者や自営業、経営者などが多いという指摘とも、ここで述べられていることは地続きであるように思われる。(さらに言えば、私としては、ネトウヨになりやすい環境に置かれている親を持つ子どもも同様にストレスを抱えやすく、いじめる側に回りやすいのではないか、という仮説を持っている。)


関秀志 編 『札幌の地名がわかる本』

このあたりから北49条まで、東1丁目から同8丁目あたりは、そもそも北大第三農場として開墾された地域で、北26条東3丁目に開墾費が残されている。(p.58-59)


美香保公園のあたりについての記述。



 この地区は明治41年(1908)、小樽で海運業などを営む山本久右衛門が、厚別原野と呼ばれる泥炭の低湿地だったこの一帯の払い下げを受け、翌年に山本農場を開設して開拓がはじまった。(p.81)


厚別町山本についての記述。厚別と小樽はあまり関係性が意識されない地域だと思うので、こうしたつながりがあるという指摘は興味深い。



 しかし、その戸口をみると、明治3年の9戸・13人から、開拓使時代末期(同14年)には1136戸・3823人へと増加してはいるものの、未だ少なく、10万人を超えたのは約半世紀後の大正9年(1920)になってからのことであった。(p.185)


札幌の人口。低湿地の開発状況などもこうした人口の動態に関係するものと思われるが、より短期的な政治経済的な要因も考えられ、そちらの方の詳細な分析というものをあまり見たことがないので(簡単な説明はされることはあるが、十分な説得力を持つほどのものではない)、この点に興味がある。



 このように、札幌市域で営みを続けてきた地付きのアイヌ社会は、明治15年(1882)頃までにその姿が確認できなくなる。市内に暮らしたアイヌの人々は、石狩川支流でのサケ・マス漁禁止など開拓政策を受け、本流の茨戸へ、ついで旭川近文の「旧土人保護地」jへの移転を余儀なくされたのである。(p.205)


こうした「開拓」と名付けられた侵略的な行為はもっと明らかにされるべきだろう。北海道開拓を全否定する必要はないとは思うが、負の側面についてももっと記憶にとどめられるべきである。



 屯田兵の兵役期間は長期におよんだが、明治29年から同34年に後備役が終了し、屯田兵村も終焉を迎えた。しかし、開拓移民となった屯田兵とその子息たちは、識字者が多かったことや、札幌周辺に居留したこともあり、兵役終了後も官吏(役人)、警察、教員などになるケースが多かった。明治初期の札幌官界の裏側を支えていたのは、こうした屯田兵村の出身者たちであった。(p.268)


こうした社会的な移行がどのように行われたのかということは興味を惹かれる。ここでは屯田兵が制度がなくなった後、その子息たちがどのような進路へと進んだのかが述べられているが、明治以後、アイヌの人々もどんどん社会の中でのプレゼンスが下がるなか、どのように移動し、どのような社会的な役割を担うようになったのか、という点が気になるところである。



水害が多発する泥炭地帯を明治41年(1908)、小樽の実業家山本久右衛門が払い下げを受けて開拓が始まる。養子の厚三が後を継ぎ、開拓を完成させた。昭和9年(1934)、厚三の姓にちなんで地区名を山本と命名。厚三は衆議院議員であり、自作農創設の気運の中で農地を解放した。(p.298)


またもや厚別町山本についての叙述だが、ここで明治末に泥炭地を農地に変えたという話は、札幌の人口増加とも深く関わる論点であり、本書は淡々と各地域に関することが書かれているが、それをどのように有機的に結びつけて理解できるかによって、面白く読めるかそうでないかが決まってくる。


森田洋司 『いじめとは何か 教室の問題、社会の問題』

 「いじめ」「不登校」を、このように併記する傾向が生まれたのは、底流に、前期の「個人-社会」軸と「被害-加害」軸でいえば、「個人」と「被害」という極に近い視点で現象を捉え、対策を立ててきたからである。
 文部省のスクール・カウンセラー委託事業が90年代半ばに始まって以来、日本の学校現場ではすっかり定着している。日本のいじめ対応は、「個人のこころ」への焦点化をさらに進め、「心理主義」的な色彩を強く帯びたものとなった。(p.29)


この辺りの対応も、私が常々主張している、日本の社会においては社会科学の教育や普及が欠けていることが背景のひとつと思われる。



私が当時の文部省による、学校向けのいじめのリーフレットを説明していたとき、海外のシンポジストたちが一様に疑問を呈したのは、日本の転校措置の背後にある基本姿勢についてであった。
 リーフレットには、いじめられた児童生徒に対して、席替え、クラス替えや転校措置を柔軟に行うと記載されていた。被害者を守るという視点から考えれば、自然な発想と私たちには思えた。
 しかし、彼らは、一様に「いじめられた子どものほうが、なぜ転校しなければならないのか。転校すべきは、いじめた側ではないか」と疑問を投げかけてきた。ヨーロッパの発想に照らせば、共同生活のなかで被害が発生し、安全が損なわれたとき、学校が加害責任を明らかにし、加害者にその責任を果たすよう求めるのは当然であり、それこそが、共同体における正義を実現する妥当な方法である。(p.31-32)


ヨーロッパの発想とされている考え方に私も賛成である。加害行為を積極的に行った者を特定したら、基本的にはその者を転校させるべきだ。もちろん、その社会にいじめが発生するのは、その加害者だけが原因ではないだろう。個人の問題というよりは、その社会にいじめを発生させやすい状況が存在するであろう。しかし、客観的に見て積極的な加害行為が確認されたのであれば、そのような積極的な加害者こそ転校させる措置を取るべきだ。被害者が転校しなければならない状況に追い込まれるなどというのは、加害者を特定できるまでの間の一時的な措置等としてであれば理解はできるが、基本的に誤った対応である。



児童会・生徒会の活用は、「心づくり」から「社会づくり」へと対策をシフトさせるものである。つまり、個人の心の内面に歯止めを作るのではなく、社会や集団の力を増すことによって、集団のなかに歯止めを埋め込もうとする試みである。(p.61)


緊急的な対応とは別に、日常的にこうした取り組みは重要であると思われる。



しかし、現実のいじめを力関係から捉え直してみると、いじめが生み出される前提に脆弱性があるというのではなく、相互作用のなかで、相手の脆弱性が生み出され、そして優位に立つ側の力が乱用されると捉えたほうが、事実に即している。いじめとは相手に脆弱性を見出し、それを利用する、あるいは、脆弱性を作り出していく過程である。(p.76)


ルーマン的な感じ?この捉え方は妥当であると思われる。



固定化が起きるのは、力のバランスが一方に傾いたままの状態が続き、そこに力が乱用され続けているからである。周りの子どもたちや教師による歯止めは、固定化し一方に偏った力のバランスに均衡を取り戻す働きをもっている。(p.77)


この考え方は、よほどひどい状況にまで進んでいない場合には、それなりの効果を持つ対応に繋がると思われる。



すなわち、いじめとは、相手に対して優位な資源を動員して、そこに生じる優勢な力を乱用することと考えられる。
 このように考えると、いじめに対応する場合にも、一歩踏み込み、子どもたちの日常生活の力関係に着目し、背後に潜むパワー資源を探し出し、そこに働きかけていくことがポイントとして浮かび上がってくる。(p.78)


この観点は解決策を見出すのに役立つと思われる。



 いじめにおいて、相手を弱い立場に立たせ、「逃れられないようにして」おく最も効果の高い方法は、集団や関係性のなかに囲い込むことである。完全に集団から外れてしまった子どもに、仲間外しは効果がない。まだつながっていたいと思っていたり、外れる不安感に襲われているときに、攻撃力は高まる。
 学校や学級のような「組織」を逃れることは容易でないが、友人関係は逃れようとすれば逃れられると考えがちである。事実、深刻ないじめに遭っている子どもに、教師やカウンセラーが、いじめる子どもたちとの関係を絶って、別のグループの子どもたちと付き合うよう勧めることがある。しかし、それでも依然として関係を切ろうとしない場合が少なくない。たとえいじめがあろうとも、親密な友達関係は、彼らの居場所であり、それなりに充足感を与えてくれるからである。(p.91-92)


最後の一文はなるほどと思わされた。すでに「居場所」になってしまっている友人関係を切るというのは、意外と難しい場合があるということは理解しておくべき。この場合、別の居場所を作っていくことで切り離しは容易になるであろう。



 いじめが発生することは不可避だとしても、それを抑止する社会と抑止しない社会とがあり、現実にいじめを止められる社会と止められない社会とに分かれる。その分岐点は、いじめ問題を個人化して捉え、対応も個人化するか、集団や社会の全員が関わる問題として公共化して捉え、構成員の役割であり責務として問題の解決に臨むかにある。その違いを作り出すことこそが、まさに教育に課せられた使命といえる。(p.142)


このような方向に社会を進めていきたいものだ。



たとえば、子どもたちが通学路の美化活動に関わる。私たちは、これをボランティアと見なしがちである。だが、これらは厳密にいえば、ソーシャル・サービスと呼ぶべき活動である。(p.192)


なるほど。社会や集団から割り当てられた社会的役割という土台の上に、ソーシャル・サービスがあり、その上にボランティア活動があるという捉え方。参考になる。



 国際比較調査を見ても、日本の子どもたちは、家庭のなかで特定の役割を負うことが圧倒的に少ない。家事を手伝うことも少なく、手伝えばお駄賃を要求する子どももいる。また、勉強することが、あたかも子どもの家庭での役割のように考えている親も多い。しかし、勉強は家族集団を営むための仕事ではない
 こうした日本の子育て風土のなかで、子どもたちは、家族といえども社会集団の一つであり、子どもといえども集団の一員としてしなければならない仕事があるのだ、という認識を育むことがおろそかになっている。(p.193)


確かにその通りかもしれない。現在の日本では共稼ぎの家庭が多くなっていると思われるが、このことはより一層この傾向に拍車をかけるのではないかと思う。親が働いていれば、子どもは自分で家の仕事をしなければならなくなるのではないか、と思うかもしれないが、親が家で家族の仕事をする時間が限られると、子どもにやらせるということはより難しくなる。なぜならば、子どもにやらせた仕事は多くの場合、後始末が生じることになり、より一層の手間暇がかかるからである。どのようにすれば子供に家族や社会の一員としての役割を担わせることができるのか、よく考えて実践していく必要があると思われる。


明石順平 『アベノミクスによろしく』

日銀の金融緩和って、食欲が全然ない人の前に、思いっきり食べ物を積み上げるようなことだよね。そんなことしたって食べるわけないのに。(p.33)


マネタリーベースを増やせば、人びとにインフレ予想を起こさせ、貸し出しが増えて市中にお金が沢山出回るし、消費も伸びる、と前提されていたが、実際のデータはこのようになっていないことを示した後のコメント。「アベノミクス」で景気が良くなったかのような演出がされるが、自分の生活を顧みると全くそのように感じられないのは、実感の方が正しい(データと整合している)、というわけだ。



 (前略)ところでさあ、なんで直近2年だけ正規社員が増えているの?
 ずっと続いていた傾向が急に変わる背景には、法改正による強制力があると見るべきだね。これは正規社員の推移を男女に分けてみるとよくわかるよ。図5-10の表は、正社員減少が底打ちした2014年と、直近2016年の男女別の正規社員の増加を比較している。
 え?全然違うじゃん。男性は約20万人だけど、女性はその3倍の約60万人も増えてるね。増えた正社員の約75%を女性が占めているということか。これなんで?
 おそらく、労働契約法の改正が影響しているんじゃないかな。労働契約法の改正により、非正規でも5年を超えて雇った場合は、その社員からの申込みがあれば、正社員として雇うことが義務付けられた。
 非正規社員を雇って5年を超えたら正社員にしなければならないということか。
 そう。この法律の影響で正社員が増えたとすれば、男女差が異常に大きいのも説明できる。図5-11のグラフのとおり、非正規に占める女性の割合は約7割で、圧倒的に男性より多いからね。
 なるほどね。この法律改正が公布されたのっていつ?
 2012年の8月10日。つまり、民主党政権の時だ。だから、アベノミクスとは関係ない。(p.109-111)


安倍政権は、自身の政策の成果として求人倍率や失業率が改善したかのように言いふらしているが、それは全く成り立たない議論であることを本書は示している。その点をまとめたものは次の引用文にメモするが、上記は、正規雇用が減り非正規雇用が増える傾向が続く中、2年間だけ例外的に正規雇用が増えた時期についての説明。

この辺りは「悪夢のような民主党政権」という安倍政権による誹謗中傷も、やはり不当なものだということを示す一つのデータであると思われる。



日本は生産年齢人口(働き手)が減っていく傾向にある。
日本は、正規雇用が非正規雇用に置き換えられることにより、雇用をたくさん必要とする雇用構造に変化している。
高齢化の影響で、医療・福祉分野の需要が伸びている。

  以上の3つが重なって、人手不足の状態となり、有効求人倍率や失業率が改善していく。これらはアベノミクスが引き起こした円安とはまったく関係ない。
 だから、アベノミクスの前後で有効求人倍率や失業率のグラフの傾きが全然変わらないということなんだね。

……(中略)……。
モ そう。いろんな数字が「アベノミクスで良くなった」と言われているけど、鵜呑みにしてはいけない。アベノミクス前後で傾向に変化があったのかどうかを見極めなくてはならない。多くの場合、アベノミクスの前から改善傾向が続いている数字について、アベノミクスの「成果」とされてしまっている。(p.112-114)


①については、団塊世代が2007年頃、60歳になり定年退職を迎えたことの影響は無視すべきではないと考える。退職後もすぐに年金が出ないため、65歳まで多くの人が働くとすると、その時期がちょうど2012年であり、安倍政権が成立する時期に当たることは、この政権にとって極めて幸運な(日本に暮らす人々にとっては不運な!)結果となっている。



 まとめると、日銀(量的金融緩和・ETF購入)とGPIF(年金)のおかげで株価が維持されているということか。これ全部やめたらどうなるんだろ?
 大暴落するんじゃないかな。それがわかっているから、やめられない。でも、さすがにいつまでも続けることはできないだろう。
 大暴落したら年金吹っ飛んじゃうじゃん。
 そうだね。GPIFは2016年度に関しては7.9兆円という大きな利益を出した。だけど、そうやって短期的に利益を出した事実は、長い目で見た場合、重視すべきではない。まず、大きな利益を出したといっても、それは「含み益」であるという点が重要だ。……(中略)……。
 利益を出したといってもしょせん仮定の利益に過ぎないし、そのまま株を持っていても、やがて暴落して大きく損失を被ることが待っているということか。そう考えると確かに意味ないね。それ、結局ほぼ間違いなく年金吹っ飛ぶってことじゃん。(p.136-137)


年金などを株価の下支えに利用している点は、私も以前から苦々しく思っていたが、安倍政権に一貫しているのは、自身が権力を握っている間にだけ都合がよければよく、それ以後のことなど何も考えていない(むしろ、あとの時代を混乱させることで、自身の政権がよかったかのような誤解を広げようとしている)、という振る舞いである。このような権力者側の欺瞞的な態度に対して日本の社会全体として拒否反応があまりに小さいことに問題を感じる。



そして、はっきり言えるのは、円安も円高も行き過ぎると害があるから、ちょうど良いところでバランスを取らないといけない。だが、アベノミクスは明らかに行き過ぎた円安を引き起こし、賃金上昇を伴わない悪性インフレを招いて国内需要を冷え込ませ、経済を停滞させたと言えるだろうね。(p.145)


本書が出たのは2017年10月であり、2018年末頃に問題となった統計不正問題が問題化される前のことである。統計不正問題に対する野党の追及の中で、実質賃金の補正した値について安倍政権は実質賃金の数字は当面出さない対応としたが、これは政権に都合の悪い数字だからであろう。この疑惑を払拭する責任(これが説明責任である)は政府にある。すなわち、政府が疑惑を払拭できない限り――これとは別の解釈が可能であり、その解釈の蓋然性が高いと専門家を含めた大多数の人が思えるだけの具体的な事実を政府側が示さない限り――、そうであることを前提として政府の政策を評価すべきである。



ブラック企業は違法なサービス残業をさせて賃金をごまかしているけど、これは経営者が労働者から賃金を盗んでいるのと同じだからね。(p.166)


サービス残業とはこのようなものであるという認識は重要。





阿部泰尚 『保護者のための いじめ解決の教科書』(その2)

いじめという言葉で片付けられている行為の多くは、大人であれば立派な犯罪になる。
 暴力をふるえば暴行、ケガをさせられれば傷害だし、SNSでの誹謗中傷は名誉棄損だ。人の持ち物を隠したら窃盗、壊したら器物損壊。仲間外れは、罪状はつかないかもしれないが人権侵害といえる。これらの被害に遭ったら、本来、警察に相談するのは当然のことなのだ。(p.129)


この認識は重要。また、大人の社会で問題視される各種のハラスメントと、加害者や被害者が置かれた環境が異なるだけで本質はほぼ同じとも言ってよいだろう。

ある程度はっきりした被害があり、証拠もある程度あるような状況であれば、警察への相談という選択肢は排除すべきものではない。



 犯罪に相当するいじめを行った子供が、その行為にふさわしい罰を受けることなく生きていくとしたら、加害生徒は犯罪の成功体験を持ったまま成長することになる。そのような子供たちに対して、強制力を持った警察という組織が出てくることで、「同じことを二度としてはならない」と教えることは本人たちのためにもなるのだ。(p.134)


加害者側を罰するという視点は、純粋に教育の観点からは出てきにくいが、ここで述べられている論理はもっと語られてよいものではないか、という気がする。ただ、実証的に見て、警察が出てくることの効果が、この論理のとおりかどうかという点は気になるが。



 大人が意識しなくても子供たちに伝えている価値観、「……でなければならない」の元を辿ると、テレビなどでも盛んに使われる「勝ち組」と「負け組」という言葉に行き着くと私は考えている。なにが勝ちでなにが負けなのか、その基準は、本来曖昧だと思うのだが、大人の世界では、「勝ち組」「負け組」は、お金持ちかそうでないかで語られ、その価値観が子供に伝染する。
 子供が、お金持ちは「勝ち組」で、そうでなければ「負け組」と思い込んでいるとき、そのことを(時には無意識のうちに)教えているのは、自分は勝ち組だと思っている親だ。
 親が、子供のクラスメイトの親を名指しして「〇〇さんは勝ち組だ」とか「〇〇さんは負け組だ」と口に出して言うことはないだろう。しかし、「……でなければならない」という思い込みが強く、自分が勝ち組だと思っている親は、知らず知らずのうちに、大人同士の会話の中で、「あの人」は社会のどのあたりの層に属するかを判断する方法を子供に伝えている
 ……(中略)……。
 その結果、子供の世界では、「勝ち組」は「負け組」を見下してもいいんだという空気が生まれやすい。そうして、子供は自分とは違う層に属していると判断したクラスメイトをいじめる。(p.162-163)


この議論を読んで、『ネット右翼とは何か』において、自営業、経営者、IT関係の専門職にはネット右翼(的なもの)が多いことが指摘されていることが想起された。

特に自営業や経営者については、自分を「勝ち組」と認識している人や「『勝ち組』でなければならない」と思っていたり、あるいは「『勝ち組』でありたい」という願望が強い人が、比較的多いのではないか。また、いずれの職種もプレッシャーが比較的強く、心理的に追い詰められた状況になりやすいように思われるが、そのような状況にある人は「……でなければならない」という思考になりやすいと推察される。

以上で言いたいことは、「ネトウヨの親」と「いじめる子供」とは親和性があるのではないか?ということである。

どちらも排外的であり、差別的であり、攻撃的であり、その上、自分が悪いことをしていることを特定されないように逃げながら他人を攻撃することを楽しむ。



 よく小学校の掲示板などで見かける、「みんな仲良く」というスローガンもいじめを助長しかねない。「みんな仲良く」は子供たちにとって絵空事すぎて、まったく心に響かないのだ。おまけに、「みんな仲良く」は「みんな同じ」という意味にとられやすく、結果的に、みんなと同じではない子供の排除を助長する。(p.167)


確かに。絵空事すぎて心に響かないという点にまず共感する。私自身が子供だった頃にもそのように感じていたように思う。

しかし、それでいて一定程度の規範性を持っていることは感じられる言葉でもある。この言葉が「みんな同じ」を是とする価値観と繋がりやすいという指摘も妥当であると思う。


阿部泰尚 『保護者のための いじめ解決の教科書』(その1)

 文部科学省のガイドライン(平成25年「いじめの防止等のための基本的な方針<平成29年3月改定版>」でも、いじめ行為が少なくとも3カ月止んでおり、かつ被害児童生徒が心身の苦痛を感じていない場合にいじめの収束と判断するとしている。(p.35)


3カ月以上いじめ行為が止まっていることを確認するためには、だいたい一つの学期くらいの期間は様子を見続けなければならないということになる。



 通常、加害生徒の態度には大きな違いがある。このときもそうだったが、いちばん積極的にいじめていたリーダー格の生徒が、淡々としていて無表情であることが多い。リーダー格の子が泣きながら謝るケースもないことはないが、頻度でいえば、リーダー格の子が、いちばん感情がこもらない話し方をする
「謝罪の会」では基本的に加害者側の親の発言は求められない。加害生徒らが謝罪の言葉を言い終わると、今度は、被害者側のお母さんが発言した。
「謝罪は謝罪で聞きましたが、まだ本人(被害生徒)は若いですし、これで、いじめが行為として終わることを期待します。でも、この子の中ではまだ終わっていません
 この台詞は、実は、お母さんと私で事前に打ち合わせしたものだった。
「謝罪の会」は開かれたけれども、これですべてが終わったわけではないということを、しっかりと加害生徒側と学校に印象づけたかったのだ。……(中略)……。
 このときも、先生からお母さんに対し握手してはどうかと提案があったが、私は事前に、握手を求められたら断るようにとお母さんに伝えていた。被害を受けた子の心は癒えていないのだから、「謝罪の会」を学校にとって都合がいい「和解の会」にしてしまってはいけない。(p.38-39)


加害者のリーダー格の子は謝罪の際にもいちばん感情がこもらない言い方をするというのは興味深い。積極的に加害行為をしていたということは、より強く明確な悪意を持っていることが反映しているのかも知れない。または、一般的に被害を受けた人に対する感受性(共感能力)が弱い人間であるために、謝罪にも感情がこもらないのかもしれない(それゆえ共感能力が高い子どもよりも容易に他人に対して悪意を抱きやすいため、前者の理由に繋がっているのかも知れない)。あるいは、リーダー格の人間は加害者コミュニティの中での序列が高いため、コミュニティ内での序列が低い者がいるところでは、序列の低い者には弱いところを見せられないという力学が生じているのかもしれない。こうした事態に関する研究というものはどこかにあるのだろうか?

また、「謝罪の会」を学校にとって都合のいい「和解の会」にしてはならない、という指摘は被害者の視点から見て非常に重要であると思われる。



たとえば、わが子は3カ月前と今ではどう違うだろうか。半年前と比べるとどうだろう。子供は日々成長するものだが、その変化をあなたは正確にとらえることができているだろうか。子供のことをきちんと見ていない親が多すぎるというのが、ユース・ガーディアンでの事例から受ける私の印象だ。(p.90-91)


確かに、子どもの状態を日時を含めて詳細に変化をとらえられるほど、よく見ている親というのは少ないだろう。子供の年齢などによっても違いがあると思うが、子どもの世話をする必要がある比較的小さな子供について言えば、観察することよりも日々の必要を満たすために大きな労力を使ってしまうという要因があり得る。また、数カ月前の状態を覚えておくことが、今の子どもの必要にこたえるためにはそれほど頻繁には役立たないため、過ぎ去ったことについてはあまり記憶するインセンティブがないといったこともある。世話をせずに観察と記録に専念できるような人であれば、3カ月前と現在の変化を捉えることもできるかも知れないが、日常の世話をするという大仕事がある以上、なかなかそこまで理想的なことをできる人は多くないだろう。

とは言え、理想的な状態は容易ではないといしても、子どものことをきちんと見て状況や傾向を把握するということは重要だと思う。特にいじめにあっている疑いがあるのであればなおさらである。



 学校に行けなくなった子というのは、心を壺にたとえるなら、もうストレスでその壺が満杯になってあふれ出している状態になっている。ひとりで家に置いておくと、自傷行為が始まる危険性もある。自傷行為は馴れない子が行うと致命傷になることもあるので、子供が自宅にいる間は、どちらかの親が一緒にいてやることが望ましい。
 もちろん本人が、体調が悪いから学校に行かないという場合は、仮病の疑いがあったとしても、親は全面的に信じたふりをして病院に連れて行って検査をさせたほうがいい。本当に病気だという場合もありえる。検査の結果、なにも異常がなくても子供を咎めてはいけない
 学校を休むことで、子供は心のストレスを少しだけ減らすことができる。しかし今度は、本来は行くべき学校に行っていないという理由で、本人が無言のプレッシャーを感じるようになる。2、3日経てば、「嫌がらせをしてくる奴がいる」とか、「先生と折り合いが悪い」とか、行かない理由を語り出すかもしれない。(p.97)


不登校に対する親の基本的なスタンスがコンパクトにまとめられており参考になる。



「学校に行ったらいじめられるから、行きたくない。それはよろしい。分かったよ、行かないことはいい。が、勉強はしよう。学校にいなかければ成績が下がる。もちろん人間、学校の成績がすべてではないといっても、成績が下がれば、将来きみが困ることになる。いじめられて成績まで下げられてしまったのでは、たまったものではないではないか。そうだろう?」(p.98)


不登校の子に対する適切な助言。




藻谷浩介 『世界まちかど地政学 90ヵ国弾丸旅行記』(その2)

 台湾高鐵は、これまでのところ海外で唯一、日本の新幹線方式(在来線と完全に分離された高速軌道を専用の電車が走行する)を採用した高速鉄道として知られる。それに対して韓国や中国は、欧州同様、在来線の駅を使いつつ途中区間で専用軌道に乗り入れて行く方式を採用した。
 高鐵が新幹線方式を受け入れたのは、「台湾人が親日的だから」と説明されることが多いが、実際の理由は台湾の鉄道の状況が日本と似ているからだろう。台鐵は日本の在来線と同じ狭軌(軌間1067ミリ)であるために、標準軌(同1435ミリ)である新幹線車両の乗り入れができないのだ。だからこそ専用軌道を一から建設するしかなかったし、そうであれば独立したシステムとした方が混乱が少ない。
 新幹線方式には他にも、事故が少ない、高頻度運行ができるなどの特色があるというが、次回以降に紹介する韓国や中国でも言われるほど事故は多くないし、中国では線によっては日本同等の高頻度運行が行われている。台湾高鐵の運行本数も、韓国や日本の九州新幹線、北陸新幹線などと同レベルで、中国の北京-上海ほどではない。(p.175-176)


適切な評価と思う。



 より構造的な問題は、台中、台南とどんどん客席が空いていくことだろう。旅客流動が対台北の一方向で、全線通しての乗車効率が悪いのだ。これは日本で言えば、上越新幹線や、東北・北海道新幹線の仙台以北と似ている。
 とはいえ繰り返すが、台中や高雄は福岡や札幌、台南は広島や仙台と人口で同規模なのだ。九州新幹線がそうであるように、台北以外の都市の相互間にも、本来はかなりの移動需要があるはずなのである。うまくつかめば、乗車効率はもっと改善するはずだ。
 そこを取り逃している元凶は、台北以外の全駅が、まるで岐阜羽島駅のように都心から30分内外も離れた位置に設けられていることだろう。都心に駅のある台鐵を使えば、たとえば台中-高雄は一時間に一本の特急で二時間半少々、1800円程度。高鐵なら一時間だが、3000円するうえ、駅までの交通手段の料金と時間が別途かかる。それどころか台北-台中であっても、毎時二本の特急で二時間内外、1400円程度で行けるのだから、値段が2700円程度で台中駅から台中市街まで30分かかる高鐵の競争力は弱まる。
 このような設計は、台鐵の経営への悪影響を減らそうとしたのか、新駅周辺への土地投機でもうけようとした勢力が暗躍したのか、いずれにせよ高鐵の利用を減らす方向に働いた。しかも新駅周辺の開発は軒並み進んでいない。日本でも新幹線の新駅の周囲で、歩いてみたくなるような魅力のあるまちづくりに成功した事例は、古くは新大阪や岐阜羽島から、最近の上越妙高、新高岡、新青森、新函館北斗に至るまで皆無ではないか在来線に乗り入れない新幹線方式は、都心駅への直接乗り入れとセットでこそ真価を発揮する方式であると、台湾高鐵は改めて教えてくれる。(p.184-185)


私は日本の新幹線にはあまり乗ったことがないが、知っている範囲の日本の新幹線駅と台湾高鐵に乗った経験と合致する。



 いずれにせよ以上は、戦前の大日本帝国が、島である台湾には日本と同じ狭軌の鉄道網を構築し、大陸である朝鮮では満州とシームレスにつなげられる標準軌の鉄道網を拡張した結果なのだから、今の日本人があれこれ文句を言うべき筋合いはない。当時から日本人自身が、島国向けの方式と大陸向けの方式を使い分けていたのである。(p.192)


意図的に使い分けていたのかどうかは、やや疑問がある。日本と台湾では建設コストなども考慮して狭軌としたのに対し、大陸では他の地域と接続できる可能性を考慮して標準軌としたことで、島国と大陸とで軌間に相違が出たといったところであろう。



 中国政府が、この高速鉄道システムを「中国製」と称して世界各地に売り込んでいることは、日本で強く批判されている。だが、これはある外国人が以前から指摘していたことだが、日本人が「日本の優れた新幹線システム」と力めば力むほど、外国人は買わないだろうというのだ。言えば言うほど、「あのマメでクソ真面目な日本人でなくては運用できないシステム」と聞こえてしまう、というのである。その点(中国人には失礼だが)「中国で広範に定時運行しているシステム」と聞けば、「自分たちにんも使えるかもしれない」という印象を与えやすい。だからといって、他国から導入した技術を組み合わせて、「中国製」と売って歩くのはいかがなものかとは思うが、商売は客の側から考えなくては、売れるものも売れなくなるということは自覚しておいた方がいいだろう。(p.202-203)


「日本の優れた新幹線システム」と力むことが外国の顧客に違和感を感じさせるという点には共感する。そもそも技術は国に属するものとは言えない。ところが、日本では自国中心主義的な見方を強調する形で「日本の優れた技術」とやたらと言われる。しかし、このような見方は外国では受け入れられないのではないか。これでは「日本」は優れており、外国(顧客の国)はそれより劣ると言外に言っている形になるからだ。顧客の気分を害するメッセージが付属した売り方…。



 筆のついでに日本の地政学的位置に言及しますと、良くも悪くも(多くの場合には圧倒的に良い意味で)「他の世界から放置されやすい場所」です。戦略的要衝性のない世界の東の果ての島嶼群で、天然資源にも乏しい。そのくせ地形と気候の妙から農業生産力が高く、歴史を通じてむやみに人口が多かったために、ますます誰も侵略に来ない。元寇は、鎌倉幕府本体が出て行くまでもなく九州の地侍に追い払われてしまったし、大航海時代のスペインも、戦国大名に比べればあまりに軍事的に劣勢で、城一つ設けられませんでした。中国や朝鮮に至っては、文字記録が残る時代になって以降、倭寇討伐に対馬に来たのを除いて一度も軍隊を送って来ていないのです。
 日本から仕掛けて占領されたのが第二次大戦でしたが、これは「群島にある単一言語国家」という地政学的メリットをわきまえずに、半世紀ほど帝国主義の真似をして大陸を侵略した結果の、日本人の歴史上最大の失敗だったと思われます。戦後には軍事ではなく欧米アジアを結ぶ海上通商に徹することで、逆に空前に繁栄しますが、これこそ地政学的位置を最大限に活かした妥当な道だったのです。
 そういう構造を踏まえずに、中国にとって日本がさも重大な位置にあるように騒ぐのは、内田樹氏が指摘した「日本の辺境性」のなせる業ではないでしょうか。辺境国・日本の中にこもって、日本語しか話さず、行ったこともない他の世界のあり方を勝手に解釈するのは、地政学ではありません。(p.258-259)


概ね同意見。冷戦時代に沖縄がアメリカにとってそれなりに重要度があったことなど、ここで述べられた見解と多少異なる側面があることは指摘できるかもしれないが、戦略的要衝性は基本的には高くはないし、人口が多かったため侵略されなかったという点も妥当。日本ほどの人口がなかった台湾にはスペインやオランダが拠点を築き、島の一部を支配した時期があったことなどを考えても、日本はそれより遠いというのもあるが、軍事的に見た拠点の築きやすさという観点からも納得できるところだろう。



「核の傘」論とは、米国が原爆を落とした原罪を正当化するために無理に作っている議論、現実主義的な考え方の対極にあるイデオロギーだという面が多分にあります。それにかぶれるのは、北半球のいわゆる先進地域しか見ていない人なのではないでしょうか。地球全体を俯瞰し、過去の歴史と今の地理を虚心坦懐に学べば、先入観で凝り固まった世界観がどんどん溶けて消えて行きます。(p.263)


興味深い見解。