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アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
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「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

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小川大介 『頭のいい子の親がやっている 「見守る」子育て』

「勉強したら、世の中についてわかることが増えて毎日が面白くなるよ」
「友だちとの会話が楽しくなるよ」
「まわりから頼られて、『ありがとう』って言ってもらえることも増えるよ」

 このように、勉強がもたらしてくれるものを親自身が理解し、子どもに教えることが大切です。(p.140)


親の学歴が子の学歴と相関するのは、こうした方向づけが日々行われるかどうかということと関わっているように思われる。



 初めに見た動画は、子どもの「知りたい」という気持ちに応えるものですから、「有益な情報」であると言えます。しかしその後、すすめられた動画をそのまま見続けるのは、よい情報の取り入れ方とは言えません。動画サイトに「これも好きなんでしょ?」と踊らされているだけだからです。

 ……(中略)……。
 動画サイトのレコメンド機能は、「これって何だろう?」「どうしてだろう?」という疑問が生まれる前に次の動画が流れてしまうため、「頭がよくなるサイクル」が回らないのです。

 もうひとつ、レコメンド機能の怖いところは、好みが固定化されていくことです。(p.146)


ここで述べられている動画サイトなどのレコメンド機能の弊害については、大人にも当てはまる。


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ピエール・ブルデュー 『ディスタンクシオン 社会的判断力批判 Ⅱ』(その2)

つまり政治という分野での能力が最も乏しい人々は、イデオロギー生産の場のレベルではすでに政治問題とされている問題を自分の階級のエートスのカテゴリーにしたがってとらえようとするたびに、道徳的秩序と社会的秩序の擁護者の陣営に加わり、さらにはこの分野において社会的秩序を意識的に保守しようとする人々よりもなお保守的な人間として現われる可能性が、きわめて高いのである。(p.818)


最近で言えば、「自粛警察」のような人々は、こうした人々なのではないか、という気がする。



 ハビトゥスは共時的に占められている位置にたいする関係を規定し、それによって社会界にたいする実際的なあるいは明示的な立場のとりかたを規定するわけだが、政治的意見が右と左にどう分かれるかという分布状況がこのハビトゥスを仲だちとして、資本総量による第一次元と資本構造による第二次元によって規定される空間内での諸階級・階級内集団の分布状況とかなり密接に対応しているということは、以上のことから納得できる。つまり保守に投票しようとする傾向は所有資本の総量が大きくなり、資本構造における経済資本の比重が大きくなるほど強くなるのにたいし、革新に投票しようとする傾向はそれぞれ逆の場合に強くなる。(p.830)


この関係は、ネトウヨがIT関連の技術者や自営業者などに相対的に多いこととも符合するように思われ、興味深い。いずれも必ずしも経済的には貧しくなく、むしろある程度豊かな人も多い職種だが、文化資本はそれと比較して低いことが予想される。



 しかし「報道紙」と「低俗紙」の違いは結局のところ、行動や発言や思想において政治を実際にやっている人々と政治の対象となっている人々、自分からはたらきかける意見とそのはたらきかけを受ける意見との違いを再現していると言えよう。そしてこれら二種類の新聞の対立は、支配者と被支配者の関係についての支配者的表象の中心にある悟性感性考察感覚という二項対立の形で社会界にたいする二通りの関係の対立を想起させるが、これはけっして偶然ではない。この対立とはすなわち、実践においても思考においても社会界を支配している人々のもっている至高の視点(ヴァージニア・ウルフはだいたい「一般的(ジェネラル)な考えとは将軍(ジェネラル)の考えのことだ」といった意味のことを言っている)と、この社会界によって支配されている人々の、戦闘にまきこまれた一兵卒のように盲目で、狭くて、部分的な見かたとの対立である。(p.841)


ジェネラルを掛けた表現はなかなかうまく、よいところをついている。



支配者が喜んで大量に流す情報というのは、被支配者たちが日常生活の経験にもとづいて実践的に所有している情報(たとえば物価の上昇、税の不公平などについて彼らがもっている知識)にたいして、(ちょうど医師が患者の生半可な知識を無効化するように)その情報としての価値を失わせてしまうような傾向をもった情報である。そこから、事情を説明するどころかむしろ無理やり納得させるような、また個別の実践的情報と一般的情報とを関連づける手だてを提供するどころか、むしろ個々の経験にそれらがおさまるべき一般的な枠組みを押しつけることによって人々に教訓を与えるにとどまってしまうような、そうした政治的言説が生まれるのだ。(p.868)


政権は人々が政権に不都合な事実にできる限り気づかないように情報を流していく。鵜呑みにしていくと現実が一層見えなくなるような言説。


ピエール・ブルデュー 『ディスタンクシオン 社会的判断力批判 Ⅱ』(その1)

 文学賞についての判断をちゃんと言葉にする傾向と能力は、確かに実際の読書量およびこれらの賞についての情報量と同じ変化を示してはいるが、まったく読書をせず(いわんや受賞作などまったく読まず)また文学賞についてもまったく知識のない人々でも、かなりの数がこのテーマについての意見を表明しているのであり、その大部分は好意的な意見である(質問5に関して言えば質問対象者全体の54%、回答者の67%)。知識ぬきのこうした承認は、社会階層の下にいくほど頻繁に見られるようになる(一般に本を買わずもちろん受賞作も買わない人々の割合と、文学賞やその審査員にたいする判断を控える人々の割合との開きが大きくなることを見ると、それがわかる)。同様に、賞の正統性をはっきり肯定するような判断をする者の割合も職業・教育水準のヒエラルキーの下にいくほど増大するものであり(表の4bと5b欄を見よ)、しかもこうした変化は、提示された質問によって直接及びされた正統性の押しつけ効果のせいにはできあにのである(p.624)


政治において与党や政府(内閣)などを肯定する者も同じ傾向があると想定される。



庶民階級の生活様式は、ウィスキーや絵画、シャンペンやコンサート、クルージングや美術展覧会、キャヴィアや骨董品など、あらゆる贅沢な消費が不在であることによって特徴づけられるとともに、これらの希少な財の安価な代替物が存在することによってもまた特徴づけられる。つまりシャンペンの代わりに発泡性ワイン、本革の代わりに模造皮革、いわゆる絵画の代わりに俗悪な色彩画(クロモ)といったものを彼らはもってくるのであり、それらはいずれも、所有されるに値する財の定義を押しつけられるがままになるという第二段階での剥奪がおこなわれていることを示す指標なのである。つまり彼らはそもそも自分固有の目的を設定しようとする意図そのものを剥奪されているのだが、構成が単純で繰り返しが多いために受動的にうわの空でも聞いていられる音楽、文化を大量生産する技術者がテレビ視聴者のために作りだすできあいの娯楽番組、そして特に、比類のない能力をもった秘伝的あるいは「超人的」技術の達人であるプロとアマチュアとの間に誰もが認める段絶をうちたてるスポーツ興行など、大量に普及する文化的生産物によって、さらにもっとひそかな形でこうした剥奪にたいする承認が裏側で進行しているのだ。(p.739)


非常に興味深い指摘。文化程度が低いと見なしうるようなものに、なぜ社会階層が低い人々ほど引きつけられるのかということを的確に説明してくれているように思われる。



 政治学はずいぶん以前から、政治に関する質問を受けた人々のかなりの部分が回答を「棄権する」ということ、そしてこの「無回答」の割合は性別、年齢、教育水準、職業、居住地、政治的傾向などによって非常に意味深い変化を示しているということを事実として認めてきたが、にもかかわらずそこからいかなる結論もひきだすことができず、単にこの「棄権」を咎むべきものとして嘆くにとどまってきた。……(中略)……。棄権志向はおそらく、制度がうまく働いていないしるしというよりも、その制度が見過ごされた(したがって承認された)参加制限制度として機能するための一条件なのである。
 ……(中略)……。
 政治についてのアンケートに回答するという行為は、投票すること、あるいは別の水準でいえば意見新聞を読んだり政党に加入したりすることと同じく、供給と需要の出会いの一特殊ケースである。つまり一方には相対的に自律性をもった世界であるイデオロギー生産の場があって、そこでは競争や葛藤のうちに、一定の時点で客観的に用いうる社会界についての思考手段が練り上げられ、同時に政治的に思考しうるものの場、あるいはこう言ったほうがよければ、正統的なプロブレマティックが規定されてゆく。また他方には階級関係の場においてさまざまな位置を占める社会的行為者たちがおり、彼らは政治の分野における有能性の大小によって、すなわち政治問題を政治問題として認識し、それにたいして政治的に――つまり文字通りに政治的な(そしてたとえば倫理的ではない)諸原則から出発して――答えることでこれを政治問題として扱う能力の大小によって、規定されることになる。……(中略)……。
 ……(中略)……。つまり意見を述べる権利と義務を男女の別や階級の別なく誰にでもさずけようとする民主主義的自発主義と、それを「知性」と「有能性」によって選ばれた一部の「専門家」だけに限定しようとするテクノクラート的貴族主義とのあいだの二律背反的関係は、テクノクラート的選別がおこなわれればどうせ排除されてしまうであろう人々を民主主義のゲームから「自由意志によって」自ら抜け出すようしむけるメカニズムのうちに、実際的な解決を見いだしているということである。(p.759-770)


私個人としては、何となく感じ取ってはいても、それを具体的に指摘することができていなかったことを、本書のこの指摘は明確にしてくれたように思う。

政治的な意見を述べる(アンケートに回答する)といった行為は、それ自体がある方向性の意味をもった空間の中で位置づけられており、回答者にたいして、それをする資格があるかどうかというようなことを感じさせる何かがある。(この点を指摘しているのが引用した中では第二段落の部分。)政治的問題に関するアンケートに回答しなかったり選挙に投票しに行かなかったりということは、ある意味、自発的にドロップアウトしていると本人は思っていても、社会的なある種の圧力というか力学が働いた結果、そのように仕向けられている面がある。



技術的に有能であると認められている他の人々に政治問題に関する責任を委託しようとする傾向は、その人の所有する学歴資本と反比例の関係にあるが、それは学歴資格(およびそれが保証するとみなされている教養)が暗黙のうちに――その保持者によってのみならず他人によっても――権威を行使する正統的資格とみなされているからである。一方には政治は自分の分やではないと認め、自分に与えられている形式上の権利を実際に行使する手段がないためにそれを放棄してしまう人々がいる。また他方には自分が「個人的意見」を、あるいは有能な人々の独占物である権威ある意見、影響力のある意見をもつことさえ望む権利があると感じている人々がいる。政治的分業についてのたがいに対立しながらも相補的なこれら二つの表象は、さまざまな政治力「力」が階級間・男女間で客観的にどう分割されているかという状況をもろもろの性向や慣習行動や言説の中に再現し、それによってこの分割を再生産するのに寄与しているのだ。こんなわけで今日、この種の分野ではめずらしくもないあの逆説的な逆転現象によって、次のような事態が見られるようになっている。つまり19世紀の改革者たちは教育にたいして、その普及によって投票権をおった市民が増え、普通選挙が正常に機能する条件が整えられることを何よりも期待していたのだが(ジュール・シモンは言っている、「審判者は自分のなすところを知り、自らを啓蒙しなければならぬ」と)、実際にはむしろ教育は選別原理として機能する傾向を見せているのだ。(p.786-787)


教育は平等化に寄与するとされながら、選別原理として機能しているという。平等化にも寄与している面はあるように思うが、同時にそれとは逆の機能も持っているように思われる。それぞれが機能しやすい条件や分野などがあるのではないか。その辺りが気になる。


ピエール・ブルデュー 『ディスタンクシオン 社会的判断力批判 Ⅰ』

文学や芸術の分野で表だっておこなわれている作者どうしの、あるいは流派どうしの論争は、おそらくもっと重要な闘争をその蔭に隠してしまっている。それはたとえば、教授たち(19世紀を通じて彼らのうちからしばしば批評家が出てきたのだが)と、一般にその出身階層と人間関係によって彼らよりも強く支配階級内の支配層に結びついている作家たちとを対立させる闘争であり、あるいはまた、完璧な人間像の定義とそうした人物を生みだすための教育法とをめぐって、被支配層全体を支配層にたえず対立させつづけている闘争などである。だからたとえば19世紀の終わりに、スポーツを非常に重んじる私立学校教育――なかでも特に、エコール・デ・ロッシュの創立者であるドゥモラン(彼は、新教育のもうひとりの擁護者であるクーベルタン男爵同様、フレデリック・ル・プレーの弟子である)の名を挙げたい――が始められたわけだが、そこでくわだてられていたのは、学校教育機関そのものの内部で、教育の貴族的な定義を生徒たちに叩きこむことだったのだ。……(中略)……。知育にたいして徳育を、知性にたいして人格を、そして教養にたいしてスポーツを、それぞれ高く評価すること、それは学校という世界それ自体のなかに、これらの対立項の後者を特権化するような、いわゆる学校的なヒエラルキーには還元することのできないもうひとつのヒエラルキーが存在することを認めることなのだ。(p.160-161)


ブルデューによれば教授のような立場は支配層の中では被支配層の側に位置しており、支配層の中の支配層とは区別される。支配層の中の支配層は、徳育、人格、スポーツなどを称揚することによって、彼らにとって有利な意味の空間を学校の場にも設定しようとしたということか。



文化の正統的な定義とそれを評価する正統的方式をめぐってくりひろげられるこれらの闘争は、支配階級全体を二分している不断の闘争、すなわち完璧な人間のもつべき美徳を通しての支配権行使のための正統的資格を得ることをめざす闘争の、ほんの一側面でしかない。だから人格形成の場としてのスポーツを顕揚し、文学・芸術方面の教養を犠牲にしても政治・経済方面の教養を重んじることは、支配階級内およびプチブル階級内の「知識人」層――その子弟はブルジョワの子弟にたいし、最も学校的なしかたで定義された学業上の能力という土俵で、手ごわい競争相手となっている――が承認しているもろもろの価値を失墜させようとして、支配階級内の支配層の人々が用いているさまざまな戦略の一部をなしているのである。しかしもっと深いところでは、こうした反知性主義の現われは、単なる身体や政党的な用途という問題をはるかに越えて生活のあらゆるレベルに及んでいる二項対立の、一側面にすぎないのだ。(p.162)


反知性主義というと、私は安倍晋三やその一部の支持者たちを想起するが、彼らの立ち位置や振る舞いもここで述べられていることを通してみると、より見えやすくなる(意味や位置づけがよくわかるようになる)ように思われた。



人は改宗者ばかりに説教する〔すでにわかっている人だけを説得する〕ものであるという法則にしたがって、批評家は社会界の見かたにおいても、趣味においても、またハビトゥス全体においても、読者が彼と構造上一致していて彼にこの力を認め与えてくれるのでない限り、彼にたいして「影響力」をもつことはできないのだ。(p.390)


現代ではネットやSNSにより、この傾向は増強されているように思われる。


西村幸夫 『町並みまちづくり物語』

 運河の建設は商都小樽の絶頂期の記念碑なのである。(p.10)


なるほど。小樽運河とは何かということを一言で的確に言い表すとこのようになるように思われる。



 運動を理論的に後押しした京都大学の西川幸治教授グループの存在も大きかった。(p.129)


これは近江八幡市の事例についてのコメントだが、上記の小樽運河の保存運動でも北海道大学の若手研究者などが同様の役割を果たしていた。市民運動において研究者が果たしうる役割はかなり大きなものがあるのだろう。


内田宗治 『外国人が見た日本 「誤解」と「再発見」の観光150年史』

サトウらは西欧での旅行と同じような発想で宗教施設をいくつも見て回り案内した。現代の日本人旅行者も京都などで、寺社をいくつもはしごするように見て回るということをよく行うが、これは、江戸時代以前の日本人にはなかったことである。(p.27)


寺社をハシゴするような観光旅行はあまりに当たり前になっていて、これが特別だとは考えたことがなかった。こうした旅行形態の変化の背景には、交通機関の整備状況なども関係があるのかもしれない。



江戸時代や明治時代の日本人による旅行案内書をいくつか見ても、龍安寺に関して同じ境内にある池泉式庭園は紹介していても、石庭のほうはまったくふれていない。旅行案内書の中に石庭の記述が現れるのは昭和に入ってから(『日本案内記』など)である。現在のように人気となるのも昭和も戦後になってからだ。(p.52)


龍安寺の石庭が人気の観光スポットとなり、注目を集めるようになったのは昭和になってからという指摘も興味深い。昭和初期の旅行ブームの頃に見出された新しい観光スポットということか?



 いっぽう外国人は、日本国内の自由な旅行を強く求めた。自然科学や歴史学の研究対象として、冒険的興味として、また観光旅行として希望した者も多かったが、それ以上に多かったのは、商取り引きのためである。日本政府は、国内の産業を保護するためにそれを拒否し続けた。
 明治前期までの日本の貿易の特徴は、居留地でしか商取り引きを行わないという点
である。(p.61)


なるほど。明治期の日本の近代化がある程度上手くいった背景の一つには、恐らくこうした国内産業の保護がある程度まで出来ていたことがあるように思われる。



タウトの目的は、日本の伝統的な建築についてその優劣を述べるだけではなく、現代建築にも通じる桂離宮のモダニズム的な点を強調したかったことにある。彼は、数寄屋造りなどの中に、機能性、合理性といったモダニズム建築の原理を見いだした。(p.102)


ブルーノ・タウトが日光東照宮を酷評し、桂離宮を称揚したことはよく知られているが、ようやくその発想のポイントが理解できた気がする。



 幸いなことに昭和7年(1932)を底として、この後いったん訪日外国人数は急速に回復し、昭和9年から同12年まで全盛期を迎える。9年は前年比34パーセント増の3万5196人でこれまでの最高を記録し、10年からの3年間は4万人を超える。11年には前述のように訪日外客の消費額が1億円を突破(1億4917万円)する。綿織物(4億8360万円)、生糸(3億9281万円)、人絹織物(1億4917万円)につぐ第四位の輸出高を占める位置づけとなった。一位から三位までは繊維産業で、国際観光は、それにつぐ産業にまで成長したのである。(p.176-177)


昭和初期でも日本の繊維産業が主力だったというのは、忘れられがちかも知れない。



 ゲインは街中をうろついて通りがかりの日本人とも話したいと思った。広島に来て最も知りたいことがあったからだ。

 ……(中略)……。
 「アメリカ人はいい。とても親切だ」(同書)

 ……(中略)……。しかも話を聞いた相手は旧軍人や役人という戦争を遂行してきた大人ではない。友達も痛ましい目にあったとい少年である。(p.204-205)


敗戦当時の日本の人々がアメリカに対して比較的親切に対応し、比較的好意的に受け入れたということだが、この辺りは、アメリカに対してどのように思うかというより、それ以前(戦前や戦時中)の日本国内の社会や統治の状況を、当時の国民が好ましく思っていなかったことの裏返しなのではないかという気がする。私としては、戦後の台湾の人々の反応が想起される。つまり、国民党による統治が良くなかったので、それ以前の日本統治時代が相対的にマシに見えるという点に通じるように感じられる。



光井渉 『日本の歴史的建造物 社寺・城郭・近代建築の保存と活用』

 辰野にはイギリス時代の有名な逸話がある。イギリス人から日本建築に対する質問を受けながら何一つ答えられなかったことを恥じて、西洋の様式を学ぶだけでは「劣った西洋人」にしかなれないことを自覚したというものである。(p.55)


現代でも海外に出た多くの人が同じようなことを感じたことがあるのではないだろうか。



 なお、architectureの訳語であって「造家」という用語を即物的であると批判して、芸術的ないしは思想的な意味合いを含んだ「建築」の語をあてるべきだと主張したのも伊藤忠太である(1894年)。(p.57)


「建築」という訳語が適しているというのが、伊藤忠太の主張だったとは知らなかった。



 例えば1878年に建設された旧札幌農学校演武場の保存は、景観という観点が重視された初期の事例であろう。この建築は、講堂と練兵・体育場を兼ねる施設として建設されたが、1881年に上部に時計台が増築され、農学校移転後の1906年に100メートルほど南の現在地に移動して維持され、札幌時計台として親しまれる存在となったものである。
 1970年に重要文化財に指定された際には、開拓使時代を代表する史跡的な性格や、アメリカの影響が強い建築技術や外観デザインも評価されたが、その3年前に行われた修理工事では、当初復元は行われず、後づけの時計台は残置したまま現地で保存する方法が選択された。これは市民の記憶に残る時計台の姿を重視した選択である。(p.192)


復元や修理をする際にどの時点のどのような状態を選択するか、この問題の難しさに本書は改めて思いを至らせてくれる。



民家や近代建築を巡る動きのなかで、「これまでの文化財保存とは異なるもの」を標榜し、「リノベーション」や「再生」「再利用」という用語を用いた修理が実施されている。これは、文化的価値を守るために構築されてきた面倒な手続きの省略を正当化しようとするものでもある。(p.202-203)


なるほど。最近はやりの「リノベーション」などの用語には、注意しなければならい側面がある。文化的な価値を容易に壊されないための規制をかいくぐって短期的な経済・経営的な視点が優勢を占める改修をしてしまうと、貴重な文化的な価値が失われるリスクがある。


佑季 文、浜田啓子 写真 『北海道建築さんぽ 札幌、小樽、函館』
北海道大学 総合博物館

 建物の一番の見どころは、中央階段室の天井、通称「アインシュタイン・ドーム」。開放感のある吹き抜けを取り囲むように、四方に「果物」「向日葵」「蝙蝠」「ふくろう」の陶製レリーフが飾られている。設計者の発案によってフランス人職人が製作したもので、それぞれ朝、昼、夕方、夜を意味し、昼夜の区別なく学問研究に励んでほしいという想いが込められている。(p.23)


4つのレリーフが象徴しているものが、このような意味だとは知らなかった。ふくろうは北海道ではアイヌが神としていたこともあり、建築の装飾には比較的多く用いられていると思うが、この建物の場合、そうした発想があったのかどうかが若干気になるところ。


老川慶喜 『鉄道と観光の近現代史』

 実は、訪日外国人数の著しい増加という現象は、両大戦間期と呼ばれる1920~30年代の日本にもみられ、1936年の訪日外国人数は4万2568人、彼らの消費額は1億768万円にのぼり、綿織物、生糸、人絹織物につぐ外貨獲得高となって「見えざる貿易」「見えざる輸出」などといわれていた(東京日日新聞社編 『世界交通文化発達史』1940年)。(p.177)


昭和初期頃の旅行ブームについては、私も少し調べてみたいと思っているテーマ。この時期のことを学ぶための必読書のようなものはあるのだろうか。



満州事変後は、国際観光局の外客誘致宣伝活動にもかかわらず、外国人観光客の数は減少したが、国際連盟からの脱却を契機に円貨が暴落し、外国人観光客が増えはじめた。1932年に2万人まで落ち込んだ外国人観光客数は、33年には2万6000人、34年には3万5000人、35年には4万2600人となったのである(図7・2)。皮肉なことに、訪日外国人の数は日本が国際連盟を脱退して国際的孤立を深めていくなかで、円安の進行とともに著しい増加を示したといえる(木田拓也 「ようこそ日本へ――日本の「自画像」としての観光ポスター」、東京国立近代美術館編 『ようこそ日本へ――1920-30年代のツーリズムとデザイン』2016年)。(p.193)


なるほど。昭和初期頃だと日本人の国内旅行も増えていたように思うが、それと外国人旅行者の来日とは必ずしも連動していたわけではないということなのだろうか。気になる。


宇山卓栄 『教養として知っておきたい 「宗教」で読み解く世界史』

 台湾の寺は「寺」という名がついても、仏教寺院ではなく、道教の廟であることが多く、たとえば、台北を代表する龍山寺はそうした廟の1つです。(p.88)


この点は何となく「寺」を見ていると見落とされがちな点と思われる。

本書について一言コメントしておく。

本書は例えば、道教について、「中国」の章ではほぼ扱わず、「台湾」の章で扱っている。儒教と道教について、誰がどのように受容していたのかという観点で見れば、中国を語る時にほぼ儒教のみで語り、道教や仏教などを捨象するというのは、明らかに現実を特定の方向に歪める描写となる。本書の著者の場合、中国への嫌悪や朝鮮への見下しが非常に強く歴史観に現れているが、こうした特定の偏った感情を満たす歴史叙述を成り立たせるために、このような不適切な取捨選択が行われているという点は指摘する必要がある。

なお、その他の国や地域に対しても、本書の著者からは見下すような態度が散見されるため、世界の歴史を学ぶには不適切な態度である。また、それと対照をなすように日本の「文明」を語る時には、それほど歴史的に多くの人に影響力を持っていたとは言えない神道のみを取り出し、仏教や儒教には軽くしか触れずに、神道や日本を礼賛する。せめて神道で日本を語る場合、明治以後の国家神道がどのような過った言説や世界観に繋がったのか、という程度の反省は示す必要があるのだが。

歴史を知りたいと思う場合、本書のような歪んだ本は手にとるべきではないだろう。(特定のイデオロギーがどのように歴史叙述を歪めるのか、といったことのサンプルとして手にとる、という程度の本である。)やはり初学者が歴史を学ぶ場合、歴史学の世界である程度認められている歴史学者の作品から学ぶのが最善である。(本書の著者は歴史学者ではない。)