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アヴェスターにはこう書いている?
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木村光彦 『日本統治下の朝鮮 統計と実証研究は何を語るか』

 1919年の万歳騒擾事件は日本政府・朝鮮総督府に大きな衝撃を与えた。政府は、併合以来の強権的統治を見直し、朝鮮人に融和的な政策を採ることにより民心の安定を得ようとした。(p.32)


1919年というと大正8年にあたるが、一つの事件だけのインパクトというよりも、その前年の原敬内閣の成立のような大正デモクラシーの流れというものも考慮すべきであるように思われる。同じ1919年には台湾でも文民総督が置かれ、内地延長主義による統治へと移行した時代であったことが想起される。



朝鮮の一人当たり国民総生産は、内地の3-4割、台湾の6-7割にすぎなかったからだ。(p.42)


戦前の朝鮮が台湾より経済的に低い水準だったというのは、やや意外だった。当時の日本国内では、朝鮮総督の方が台湾総督よりも地位が高かったとされることなどからも、それは言える。



 以上の結果、補充金と公債金が朝鮮財政に欠かせなかった。言い換えれば、朝鮮財政は内地依存から脱却し得なかったのである。(p.43)


この点から見ても、植民地台湾と比較して植民地朝鮮は内地(日本帝国本国)にとって経済的には有用性が低かったことになる。上述の総督の地位のことなども考えると、それだけ政治的・軍事的な意味が大きかったということか。



 総督府は、武断政治の強化あるいは恐怖政治(強制収容所や広範・稠密な秘密警察網をともなう)ではなく、それとは逆の融和政策への転換を通じて、反日運動をコントロールし得たといえよう。(p.44)


融和政策は統治の目的に沿って言うと、それなりに有効に機能したらしい。



 要するに朝鮮の特徴は、貨幣経済の進展が換金作物の増産を促進しただけでなく、耕作法の変化を引き起こした点にある(日本統治下台湾も同様である)。この事実から、朝鮮の農民は東南アジアの農民に比べ、市場機会にいっそう積極的、革新的に反応したと言えよう。(p.51)


日本の統治下に入ることによって、ウォーラーステインの言う近代世界システム(資本主義世界経済)により深く組み込まれたと言えそうである。



 産米増殖計画は、帝国日本で最初の大規模な農業開発といわれる(東畑・大川『朝鮮米穀経済論』12頁)。それを立案、実施したのは朝鮮総督府であった。総督府はこの面からみても、たんなる行政機関ではなかった。同計画は総督府が、米作という産業の開発を推進する一大企業体でもあったことを示している。(p.53)


単なる統治機構というだけでなく、産業開発を推進する企業体的な側面があるというのは、北海道の開発からの共通点かも知れない。植民地統治機構のこの性格についてはもう少し掘り下げて調べてみても面白いかも知れない



 1910年代後半、朝鮮大豆の移出量は急増する(1914年、50万石、19年、130万石)。それは、第一次世界大戦の影響で大豆相場が急騰したからである。移出量は、以後も高い水準で推移し、1930年代、移出対生産比は2-3割にのぼった。(p.55)


この点も北海道と共通ではなかろうか。



 共産主義(マルキシズム)と反共的国家主義(ファシズム)はまったく相反する思想のようにみえる。しかし全体主義(totalitarianismあるいはcollectivism)という点では、そうではない。全体主義の核心は、個人の自由な政治・経済活動を禁じ、国家にすべての権力を集中することである。共産主義と反共的国家主義は、この特徴を共有する。
 ……(中略)……。
 帝国崩壊後の北朝鮮では、大きな混乱なしに政治体制の転換が進んだ。その要因のひとつがここにある。体制転換は、統治の理念あるいは精神の根本的変革を必要としなかったのである。
 戦前朝鮮には、内地以上に自由主義の精神が乏しかった。戦時期、それまでにかなりの発展をとげた市場経済・自由企業制度が破壊されると、全体主義が政治、社会、思想、そして経済を支配した。この上に、ソ連が共産主義を移植した。それゆえ、相対的に少数の異分子、すなわち自由主義的知識人、宗教信者とくにキリスト教徒、企業者を放逐すれば、北朝鮮内部に体制を揺るがすものは残らなかった。
 このように戦時・戦後北朝鮮は、全体主義イデオロギーの点で連続していた。
(p.178-179)


なるほど。共産主義とファシズムが全体主義という点では共通しているというのは、以前から同意見であるが、現在の北朝鮮は戦前の大日本帝国と地続きに形成されてきたという視点は参考になった。


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飯野謙次 『仕事が速いのにミスしない人は、何をしているのか?』

 ミスは、そのものによる物理的な損失やダメージもありますが、それ以上に「あなた=ミスをする人」というイメージが、何よりも恐ろしいのです。(p.26)


確かに。こうしたイメージが定着してしまった人には、重要な仕事を任される機会が少なくなり、結果として、やりごたえのある仕事をする機会が減るため、仕事の面白みが少ない生活をしなければならなくなる、というのが非常に大きなデメリットであると思われる。



 注意力を求められるとき、煩雑な作業が発生するときには、そうしなくていい方法を考える
 それが失敗を撲滅するための一番の近道なのです。(p.42)


これは確かにその通りなのだが、あまりに自動化しすぎると、人事異動に耐えられるシステムとして機能しにくくなることなどもあり、いろいろな要素が絡み合うところが難しいところであるように思う。



 ダブルチェックは、1回目のチェックと同じ動作を繰り返すのではなく、その方法や見方を変えて行なうことに意味があるのです。
 ……(中略)……。
 まず、最初の計算は実際に入力しながら紙に打ち出します。そして検算のときには、打ち出した紙に印刷された数字と、手元の数字を見比べるのです。(p.58)


こうしたやり方は、私がこれまで経験した職場ではやっているものとやっていないものがあるので、今後は基本的に違うやり方でダブルチェックするべきだという考え方をより貫徹することにしよう。



 でも、折れ線グラフにして視覚に訴えると、数字だけでは見えてこなかったデータの齟齬にいち早く気づくことができます。(p.61)


エクセルを使ったチェックの方法として参考になる。



 何か問題を抱えているおき、適切な方法が見つからなくて悩んでいるときには、自分が今、抱えている問題を、なるべくわかりやすく専門外の人に説明することを心がけてみてください。話すうちに、自分の中で解決法が見出せることも少なくありません。(p.175)


なるほど。


梶谷懐、高口康太 『幸福な監視国家・中国』

 話を戻すと、勘のよい読者であればおわかりのように、筆者らは人々のより幸福な状態を求める欲望が、結果として監視と管理を強める方向に働いているという点では、現代中国で生じている現象と先進国で生じている現象、さらには『すばらしい新世界』のようなSF作品が暗示する未来像の間に本質的な違いはないと考えています。(p.28)


ここで述べられているのは、本書に通底する一貫した考え方だが、現代中国をいわゆる「先進国」と異質な世界として捉えるのではなく、地続きの世界の中で同じ方向に向かいつつある社会として捉えるという見方は、日本から中国を見る際には重要な留意点であると思われる。(もちろん、異質な部分もないとは言えないが、異質なだけの社会として思い描くと大きな誤りを犯すことになる。)

その際、監視社会化の関連では、個人が自らの幸福(効用)を追求しようとするという功利主義的な考え方が、むしろ全体の厚生を下げる結果をもたらすという指摘がされており、これもまた重要な論点であると思われる。このように考えると、中国がなぜ他の社会よりも早く監視社会化が進んでいるのかということもクリアに理解できるように思われる。



官僚主義の代表的な弊害である縦割り行政を、制度改革ではなく電子化によって乗り越えようというのが「現代中国」らしいやり方です。(p.61)


行政の手続きを利用する際に、かつては様々な役所を決まった順番で回らなければならず、日数や労力が必要だったが、スマホアプリだけで様々な手続きができるようになっていることなどについてのコメント。制度改革をせずに対応するという部分は確かに、権威主義的な国に相応しいように思う。



 ここには独裁政権ならではの逆説があります。独裁国家は民主主義国家ではありませんが、それでも民意を無視できるわけではありません。むしろ、選挙で正当性を担保されていない分、民主主義国以上に世論に敏感という側面があります。究極的には暴力的な弾圧を行う力と選択肢を持っていたとしても、民衆は独裁政権を支持しているという建て前を可能な限り守る必要があるのです。(p.126)


中国の政府(というより共産党)が情報統制や監視をしようとするのは、こうした敏感さの故である。実際には正当性がないからこそ、民衆を恐れなければならず、民衆を恐れるからこそ情報や言論を統制し、批判が起きないようにしなければならない。選挙で選ばれたとしても、やろうとしていることを正直に国民に伝えていないような政府(安倍政権がまさにそれである)も、同じことが当てはまるということは指摘しておきたい。



 そこで注意しなければならないのは、このような経済面での「平等化」と、トクヴィルの強調した政治的権利の「平等化」とでは、特に権力との関係において反対方向のベクトルが働くという点です。
 そのため端的に言えば、中国社会においては往々にして、前者の「政治的権利の平等」を要求する立場(リベラリズム)が、後者の「経済的平等化」を要求する声にかき消されるか、あるいは政権によってあからさまな弾圧が加えられる、という状況が生じてきました。
 経済面での「平等化」、すなわち再分配を行うには大きな国家権力による介入を必要とします。したがって、経済面における「平等化」の要求は、国家権力を制限するのではなく、むしろパターナリズムを容認し、強化させるように働きがちです。上述のように「群体性事件」と呼ばれる直接的なデモ行動や陳情行為が、しばしばより高い政治的地位にある「慈悲深い指導者へのお願い」の形をとるのはその象徴です。(p.164-165)


経済的平等化は国家権力によるパターナリズムを強化する傾向があるという指摘は確かにそうかもしれない。


吉田徹 『感情の政治学』(その3)

政治と信頼というテーマが大きな注目を浴びるようになったのは1990年代、アメリカの社会学者ジェームズ・コールマンや政治学者ロバート・パットナムが「社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)」が民主主義の質にとって非常に大きな影響を与えている、と唱えるようになってからだ。(p.230)


確かにソーシャル・キャピタルに信頼は不可欠であり、ソーシャル・キャピタルに注目が集まるなかで信頼ということがテーマとなっていくという流れはある意味で自然なものだったと思われる。



自分のかいた汗が見知らぬ他人に正当に評価され、他人もまた自分のために汗をかいてくれるにちがいないという信頼があるからこそ、共同体は円滑に機能する、というのが社会関係資本論のエッセンスだった。信頼なくして民主主義はなく、民主主義が機能するには信頼がなければならない。(p.231)


分断が進む社会は、まさにこれとは真逆の方向に進んでいると言わざるを得ないが、現代日本でこのテーマに関連して見落とすことができない点の一つは、安倍政権という政権は全体として、極めて国民を信頼していない集団である、という点である。それはまず、マスメディアの統制を通じて事実を知らせないようにしたり、政権にとって都合の良い意見ばかりが流れるようにしている点に現れている。また、情報公開や国会での国民の代表からの質問にも、一切答えようとしない姿勢もこれと共通している。つまり、国民が事実を知ってしまえば、権力の座に居座ることができないと考えるからこそ、こうした誤魔化しをしなければならないのであって、その基本的なスタンスとしていかに国民を欺くかということに大いに気を遣っている。つまり、自らの権力を維持するために、政治の中枢から国民を遠ざけることに腐心している。

確かに、事実を知ってしまえば、国民の多くは安倍政権など支持しないだろう。その意味では政権は国民の意識をある程度正しく捉えている。しかし、国民からの負託を受けた権力を恣意的かつ利己的に使い続けるために、国民の目を欺き続け、国民の手に政治を取り戻させないというのは、あたかもその方が悪い政治であるかのように考えている点で国民に対する信頼がないというべきだろう。こうして国民を信頼しない集団が権力を手中にすることによって、民主主義とは異なる政治が実施されていく。この関係性は中国共産党と中国人民との関係と非常に似ているということを指摘すべきだろう。



つまり、日本の社会には社会関係資本があっても、それを使いこなし、駆動させる一定程度の人びとがおらず、このため人びとは「シニカルな市民」に留まり、「賢い市民」とはなり得ていないのである。(p.248)


デモや市民運動などが力を持てていないことと関係があるように思われる。



しかも社会学者の数土直紀は、アメリカでは有意に認められる教育水準と社会関係資本の相関関係が日本ではない、という。教育水準が高ければ、他人への信頼度が高く、逆に教育水準が低ければ信頼度も低いというのが一般的なパターンだからだ。しかし日本では、こうしたパターンが成り立たない。その理由として数土は、先の猪口の指摘と同じように、日本では信頼関係が既存の関係の上にしか構築されない「権威主義的な信頼関係」の方が支配的だからだ、と推論している(数土 2013)。(p.252)


この理由については是非知りたいところだ。



 ここで、先に紹介したロトシュタインがかかえた問題、すなわち信頼と税、とりわけ社会保障の関係をふたたび取り上げてみよう。ここでもやはり水平的な信頼関係が大きな影響を及ぼしていることがわかる。というのも、他人との信頼関係の高低と福祉規模は相関関係にあるというパターンが一般的に指摘できるからだ。
 フランスの経済学者のアルガンとカユックは、その国の社会の「民度」の高さと、公共部門の効率性や福祉の水準との間に密接な相関関係があることを証明した(Algan & Cahuc 2007)。例えば、その国での相互不信の度合いと腐敗度(汚職や規範意識の低さ)は明らかに相関しており、そうした国では公共心が薄いゆえ、公的な制度への信頼が低いという関係が成り立つという。反対に他人への信頼や公共心が高く、公的制度に対する信頼が厚い国の人びとほど、福祉国家への支持が強いという関係が成り立つ。(p.252-253)


新自由主義は、この観点から言うと、社会の信頼を壊すことで、公的な制度への信頼も低くし、福祉の水準を下げ、汚職を増やし、規範意識を低くするものだ、ということができる。いかに碌でもないものかということがよくわかる。



 しかし、人びとの間に信頼があって、そこから人びとが信頼を寄せる制度が作られるのではなく、人びとの信頼はまず公平無私な制度があって生まれるのだという立場をとらない限り、社会のなかで信頼を増やしていくのは難しい。これは、実証上の問題ではなく、優れて倫理的かつ論理的な課題である。社会の全員にとって公平な普遍主義的な政策があり、それが人びとの間の信頼を高める作用を持つという因果関係を仮定しなければ、問題は解決されない。税制の例でいえば、すべての納税者を受益者とすることが政策への信頼を高めるためにまず必要であり、増税はこうしてはじめて可能になる。反対に、増税が何らかの特定の目的のためであることが強調されると、その社会での信頼がないと、増税は難しくなる。少なくとも、信頼が生成されるためには、増税の目的と対象は普遍的なものでなければならない。すなわち、特定の誰かのための政策ではないという「無私性」がなければ、個人間の信頼は生まれようがないのである。
 こうした論理は、社会心理学でも証明されている(中谷内 2008)。実験で観察されたのは、人は一般的に、他人が自分の問題を解決する能力をどれだけ持っていても、それだけの理由でその他人は信頼されないということだった。人は他人の持つ客観的な能力ではなく、その人の価値観、その人が信頼に値する人間であるかどうかの方が、信頼の条件とするのである。
 こう考えると、信頼のない社会で最初に必要とされるのは、「善意の政治権力」である。(p.259)


現代の日本社会を良くするために必要な基本的な方向性を指摘しているように思われる。しかし、現在の政治権力の中枢である安倍政権は、「悪意に満ちた政治権力」であるため、またもや悪い方向へと進んでいるのが現代日本の状況であるということも、はっきりする。(「無私性」というキーワードに照らしても、安倍晋三が「無私」とは程遠い「ぼくちゃんがやった」と功績を誇りたがり、他人をけなすことで自尊心を保とうとする人間であることなどから、正反対と言ってよいことが了解されるだろう。毎度の組閣が結局は「お友達内閣」であることも、「無私性」がないことをはっきりと示している。)

このような暗い状況ではあっても、本書がここで示している方向性は、日本にとって今後取っていくべき基本的な方向性として参考にすべきものだと考える。


吉田徹 『感情の政治学』(その2)

 もっとも、「討議/熟議民主主義」が予定調和的な市民の合意を導くのではなく、反対に参加者の意見を急進化させ、態度を硬化させてしまうような効果を持つことも明らかになっている。……(中略)……。
 ここでなぜ熟議についての議論をしたのかは、もうわかるだろう。ただ単に異質な者同士を一堂に集めても、そこで調和的な政治が自然発生するわけでも、より良い知恵が生まれるわけでもない。その前提条件として、まず政治的に社会化されていること、すなわち他人と政治を介してつきあうという作法を身につけている必要があるのだ。(p.106-107)


熟議民主主義というと、基本的にはある種の理想的な状況であると考えられ、好意的に語られることが多いように思うが、実際には必ずしもバラ色のものではなく、うまく機能しない、思っていたのとは全く逆の効果を持つことすらあり得ることを踏まえておくことは重要と思われる。他人と政治を介してつきあう作法を身につけるということについて言うと、少なくとも現状の世界は、どんどんこの状態から遠ざかっている。アメリカでトランプがある程度の固い支持を得ていること、イギリスのブリグジットをめぐる混乱(世論の分断状況)などが典型的だが、ヨーロッパでも既存の権威と見なされるものを強く否定するようなポピュリズム政党がある程度の支持を受けていることなど単純で極端な意見へと流れる人びとがかなりの数おり、世論の分断が深まってきているというべきだろう。こうした姿勢を身につけるには、ある程度の若い時期(高校生や大学生くらいの時期)に社会的な問題に関して理性的な議論を重ねる経験を積むことが必要だ(効果的だ)と思われ、社会科学の訓練diciplineを積むことこそが、その最良の方法の一つと思う。しかし、日本の教育では、この点が極めて弱いことも問題である。



このスイスでは選挙の投票率を上げようと、1970年代から郵便による投票を認め、いくつかのカントン(州)ではインターネット投票が認められるまでになった。
 普通に考えて、先のダウンズの仮定を受け入れれば、投票コストは投票所に行くよりも、郵便で投票する方が下がるはずである。そして投票コストを下げれば、投票率は多少なりとも上がるはず、という推測が成り立つだろう。
 ところが、スイスではその逆の現象が起きてしまった。投票にまつわるコストを下げたところ、投票率は高くなるどころか、低くなる事例が多く観察されたのである(Funk 2008)。しかも投票所に赴くコストが高く、ネットや郵便投票でそのコストが決定的に下がるであろう過疎地域や小さなカントンで、さらにそれまで高投票率を実現していた地域であればあるほど、投票率が低下するという傾向がみられた(1000人以下の市町村の連邦選挙での投票率は平均2.5パーセント低下した)。スイス全体でみた場合、投票率はたしかに上がったものの、わずか2.3パーセントポイント程度の増加に留まった。なぜだろうか。
 こうした実態を突き止めた研究者は、郵送という投票方法が採用されたことで有権者は投票する義務(形式的ではあるがスイスでは棄権者は罰せられる)から解放され、むしろ小さなコミュニティでは投票所に足を運ぶことで得られていた社会的尊敬が失われることで、投票することの魅力が失われてしまったために投票率は下がった、と説明した。自分が投票に行く立派な市民であることを誇示するのも大切なことだったのだ。
 このように、投票という行為にも社会のさまざまな関係性が映り込んでいる。
……(中略)……。いずれにしても、投票するかどうかは、投票コストの高低や、自分の一票の軽重ではなく、何らかの外部的要因、それも社会や他人との関係性を無視して論じることはできない。(p.117-119)


興味ぶかい指摘。こうした社会的尊敬のような観点は見落とされがちだが、場合によっては無視できない重みがある。



新自由主義が真に非難されるべきなのは格差を拡大させたり、権威主義的な政治を行ったりするからではない。それは社会全体を他人に対する不信を前提に組み立てようとした「新自由主義モード」をもたらしたことにある。
 ……(中略)……。
 もし、政治家も公務員も市民も、自分の利益しか顧みずに、そして自分の利益を実現するために政治的な活動をしているとの考えが蔓延した場合、どのような帰結が生じるだろうか。それは、まず政治不信を帰結させる。政治家や公務員が市民の利益のために働いていないのだとすれば、有権者は政治に期待などしなくなってしまうだろう。公務員は納税者の「血税」を私利私欲で無駄遣いする存在でしかなくなるからだ。さらなる問題は、このような回路がいったんできあがってしまうと、有権者が最も重視するのは、こうした政治エリートから自分の利益を守るということになってしまう点にある。こうして、それぞれが互いに合理的な人間だとみなすことで、共同体全体の厚生が損なわれていくことになる。……(中略)……。
 ……(中略)……。
 1980年代に台頭した新自由主義は、自身の論理を貫徹させることで、思わぬ副作用を生み出した。政治家や公務員が自己利益的な存在だとするならば、どのようにして政治に中立性と公平性をもたらしたらよいのか。
 その解答として出されたのが、公的な政治アクターを政治そのものから除外してしまうこと、すなわち「脱政治化」を進めることだった。(p.124-125)


新自由主義に対する興味深い批判。新自由主義の世界観を受けれ入れてしまうと、社会全体を他人に対する不信を前提に組み立てることになる。それは政治や行政への不信を帰結させ、こうした政治エリートから身を守るために、これらのアクターを政治の世界から除外しようとすること(民営化)に繋がっていく、というわけだ。



 政治的恩顧主義というと、腐敗や汚職といったダーティなイメージがつきまとうかもしれない。しかし、キッチェルトの他の研究では、恩顧主義的な政治を展開しているとされる国と、その国の政治腐敗度に明らかな相関関係はみられない(Kitschelt 2007)。恩顧主義と腐敗を同一視するのだとすればそれは、新興民主主義国や途上国一般が恩顧主義的政治をとっており、これらの国々では他の何らかの要因から汚職が発生しているという「観察上の一致」が生じていること、すなわち我々の偏見から生じているとした方が適切だろう。(p.142-143)


何となく、恩顧主義というと悪いものとされているが、必ずしもそうではないという理解は重要。



 こうしたエルスターの分類にしたがえば、政治とは人びとの手段に矮小化されるわけでもなければ、人びとの活動の目的として存在しているわけでもなく、その中間にあるものだ。そうであるのだとすれば、手段と目的をつなぐことのできる、個人と政治を結びつける何らかの行為が想定されなければならない。政治「によって生きる」のでも、政治「のために生きる」のでもなく、政治を他人と「作り上げて」いくためには、どうしても自分以外の存在と何がしかのものを交換しつづけていかなければならない。(p.144-145)


政治によって生きると政治のために生きるという表現は言うまでもなく、マックス・ヴェーバーの『職業としての政治』における分類である。政治を他人と「作り上げて」いくという表現は、確かにヴェーバーのパースペクティブでは捉え切れていない部分であり、自己言及的なものとしての政治という本書の政治観のイメージをつかみやすい表現であるように思われ、参考になる。



 個人が求めるものを与えるのが政治の使命と機能である、という観方は最終的に他人を手段として扱うようになってしまうことを、最後に協調しておこう。(p.147-148)


言われてみればその通りであると思う。この観点はかなり重要であり、より深く考えるに値するものであるように思う。


吉田徹 『感情の政治学』(その1)

なぜなら、政治とは何よりも、それが達成すべき目的について、誰がそこに参加するのかに応じて、「正しさ」絶えず再定義されていく、自己言及的なものだからだ。目的から逆算して手段が決まるのではなく、手段に応じて目的がつねに変わっていくもの、と言い換えてもいい。ある目的を達成しようとして、ある手段を用いようとした場合、その手段を用いること自体についての是非が生じることになり、そしてその是非の如何によって目的の妥当性そのものについても議論が起こるのである。(p.22)


この政治とは自己言及的なものであるという政治観は、本書の随所で語られているが、参考になった。



好ましいと思い、支持している政治家や政党に論理上の過誤があったとしても、それは認識されず、逆に嫌いな政治家や政党に対しては必要以上に論理性を求めるといった行動があることなどが明らかにされた。(p.24)


なるほど。政治的な判断においては、政党や政治家に対する好感度や愛着のようなものが論理に先立っており、優位にあるわけだ。確かにこうした傾向はネットなどの言説ではっきり見て取れるし、ネットによって増幅もされているようにも思われる。



秘密投票は、投票所の仕切りのなかで自分自身の考えを何の躊躇もなく、自分自身への内閉を可能にして、政治行為を行うことを正当化し、ソシアビリテによる政治変革の道をマージナルなものへと追いやっていった。1980年代にも、イギリスのサッチャー政権は労働組合の力を削ごうと、ストライキ決行の判断を組合員による秘密投票で決めさせるよう法律を変えた。集団を個人化によって解体しようとしたのだ。こうみると、秘密投票はネット空間の「つぶやき」と似ていなくもない。(p.65)


秘密投票が持つ効果ということについて、この側面から考えたことはなかったので若干の驚きを感じた個所。秘密投票はこうした否定的ともいえる効果も持っているが、それでも、票の売買(買収)や政府や集団からの思想信条の自由の確保などのための制度でもあり、安易に捨てて良いものではないという点には変わりはないだろう。



しかし「ボートマッチ」のもとで展開される政治観はかなり非現実的な前提に基づいている。
 まず、争点に基づいて有権者が投票する選挙という想定自体が、きわめて思い込みの強い想定からの演繹である。というのも、このモデルが機能するためには、まず有権者が自分の意志が何であるかを自分で了解しており、各党がそれぞれ異なる政策を掲げており、その政党が政権をとった場合にはその政策が必ず実行されるはずだという信頼感を有権者が持っていることを前提とするからだ。しかし、これだけの条件が現実で出揃うのは、無理とまでは言わなくとも、かなり希少なことである。
 さらに、自分が好ましいと思う政策のすべてが、ひとつの政党や政治家の公約に集約されているとも限らない。(p.79)


候補者の人柄――多くの場合、実際には単なる「人柄のイメージ」だが――などではなく、掲げている政策に基づいて候補者や政党を選ぶべきだという考え方は、確かに正論ではあるが、こうした考え方は現実の政治から見逃しているものが多くあり、その点で誤りも多く含まれている。特に、上記引用文で強調した政策が実行されるかどうかについての信頼感という観点は重要であると思われる。むしろ、「ある政党や政治家はあることを実現すると言っているが、実際にはこのように動くだろう」という予想は投票先の決定に思われている以上に大きな影響力を持っているように思う。



そもそも、個人の個々の意思を積み重ねたとして、それはおそらくきわめて脆弱で移り変わりの激しい政治しか生まないだろう。党派性が薄れ、無党派層が増大したのと並行して、政治が争点の激しい入れ替わり(失言問題、郵政民営化、消えた年金、政権交代選挙等々)を経験するようになったことは無関係ではない。(p.80)


この観点から見たとき、現在の安倍政権がこれに対して極めて有効な対策を取っている点が想起される。マスメディアに圧力をかけることで批判的な意見が流れにくくした上で、官僚の人事を官邸が握れるように制度を変えることにより掌握することで、情報公開的な要求に対いても恣意的に不都合な情報は出ないようにする。記者会見なども多くは不都合な質問が出ないように「配慮」されている。こうして権力を極めて私物化する傾向が強い政権であるにもかかわらず、そのイメージを個々人が持ちにくいように仕向けることによって政権を維持している。これは反動的な勢力だからこそやりやすいやり方であって、民主的な勢力にはこのような情報統制的なやり方は支持者からの支持が得にくいという点だけで見ても不利である。この点はリベラル側の勢力にとっての課題の一つとなっているように思われる。



 つまり、同じ志向を持つ人びとがコミュニケーションをする場合、人びとは連帯意識や自分たちの正しさを再確認し、自分の思い込みを強化していくいのが一般的である(だからこそ集会は今も昔も重要な政治的動員の手段となる)。その地域で共和党支持者が多ければ多くの人びとが共和党に、反対に民主党支持者が多ければ多くの人びとが民主党に投票することになると推定するのが当然であり、アメリカでは、だから「ブルー・ステイツ(民主党常勝州)」と「レッド・ステイツ(共和党常勝州)」が存在する。(p.84)


新しい人が参加してこなくても同じ人たちだけで集まっていれば集会には意味があるということか。この点はあまり考えたことがなかった、というか、そんなことをして意味があるのかとさえ考えていたが、やはり意味はあるようだ。



アメリカの大統領選が「政策の選択」ではなく、単なる候補者の「人気投票」に過ぎず、あまりにも大統領の人格や性格が注目されすぎるというコメントが聞かれることがあるが、それは政治の本質を理解していない証である。アメリカの多くの青少年は大統領の権威を認めるなかで、徐々に民主政治を実現する政治制度への愛着を持つようになると言われる(Hess & Torney 1967)。自分よりも上位の権威に愛着を持ったうえで自分の存在を受容し、そしてその権威が保障する制度そのものに愛着を持つようになるというプロセスは、民主政治のなかの重要な契機なのであって、それゆえアメリカ大統領選では候補者の人格や生活態度一般までもが厳しい目で見られるのだ。(p.94)


この指摘はもっともだが、共同体の善を実現するためにどのような方法をとっていくのか、つまりどのような政策を実行していくのか、ということは軽視されるべきではなく、政治指導者の人格や性格などよりも重視される「べき」ものであるように思われる。その点で、人気投票的な形で選挙が行われる傾向の中、政策の妥当性をどのように担保していくのかということが、もっと厳しく問われるべきではないかと思う。


南彰 『報道事変 なぜこの国では自由に質問できなくなったか』

その激務には頭が下がるが、この会見場を広角でとらえると、奇妙な光景が広がる。
 記者がほとんどいないのだ。
 かつては会見を主催する記者クラブとの間で、記者が間に合うように一定の時間を設けて開始するのが通例だった。しかし、報道機関に頼らなくても会見の様子をインターネット中継できるようになった官邸は、記者がいようが、いまいが、速やかに記者会見を行えるようになった。そもそも質問を受けることを想定していない。ここに政府の見解を発表だけすればいいという本音が見えるが、そうした記者会見の映像が流れることによって、「危機管理に強い」というイメージを作り出すことにも成功している。
 「令和おじさん」として好感度を上げた19年4月1日の元号発表の記者会見も、あらかじめ幹事社(フジテレビ、産経新聞)の質問だけとし、政府の伝えたいことに絞った。(p.50-51)


メディア環境の変化によって既存マスメディアの力自体が相対的にかつてより落ちてきている。こうした環境の下で政府は自ら伝えたいことだけを垂れ流す傾向を強めている。安倍政権は説明責任については全く果たすつもりがない政権だと私は認識しているが、こうした邪悪な意図を持った権力者にとっては極めて都合の良い環境が整ってしまっている。マスメディアを批判する場合にも、こうした環境の変化を踏まえて、メディアが為すべきことを見定めていく必要があるように思われる。



公文書管理法は、人事権の掌握などによって権限が強大化する官邸に対し、事実に基づいて公平・中立な行政を行っていくための防波堤になるものだった。
 ところが、森友・加計学園問題や防衛省日報隠蔽問題などを受けて、安倍政権が17年12月に見直した公文書管理の基準となるガイドラインでは、そうした理念に逆行する見直しが行われた。
 加計学園問題で、文部科学省と首相官邸、内閣府側の言い分が対立した事例を念頭に、新しいガイドラインでは、他省庁や民間企業との協議内容を議事録に残す際は、原則として相手に内容を確認することになった。
 こうしたルールになれば、「総理のご意向」などと書かれた文書が作られることはないだろう。官邸に人事権を握られている役人にとって、先方から合意を得られる見通しのない記載をすること自体がリスクになったからだ。政策決定プロセスが見えにくくなり、将来的に軌道修正が必要になったときにも、そのヒントなどが見えにくくなるだろう。(p.171-172)


こうした事態については、本書を読む以前からも私も知ってはいたが、問題の大きさの割に世論での問題視のされ方は全く不釣り合いに小さい。世論に騒がれないように市民や国民に情報を閉ざしていくこうした姿勢こそ、安倍政権が支配の正当性を持たない、代表として選ばれるに値しない人々であることの証左なのだが。



 それどころか、公文書管理担当相は、首相が議長を務める国家戦略特区の担当相を兼ねていることが多い。いわば利益相反のような状況になっていて、加計学園問題でも、文部科学省や自治体側から文書が出ても、公文書管理担当相が所管している内閣府からは開示されないということが相次ぎ、規範意識は崩れる一方だった。(p.173-174)


なるほど。どうやら、内閣府特命担当大臣(地方創生担当大臣)というのが、これら両方を兼ねている役職のようだ。



 情報の出口をマスメディアが独占していた時代は、記者クラブに所属している既存メディアには取材先との間である種の交渉力があった。しかし、当事者がSNSで自由に発信できる環境となり、さらには、これまでのルールや表現方法と異なるネットメディアも選べる時代になるなかで、記者クラブメディアの交渉力は格段に落ちている。意に沿わないのであれば、相手にする必要性が薄れているのだ。
 先述した首相官邸の記者会見などの公の取材機会がどんどん縮小されている動きは、こうした既存メディアと取材先の力関係の変化のもとに進行している。(p.186)


マスメディアと政治権力との間の力関係が、メディア環境の変化によって格段に落ちてきている。そうした環境の助けを得て、安倍政権という邪悪な意図を持つ(つまり、本来は国民のものである情報を適切に公開することなく、政権にとって都合の良い形に加工した情報だけを垂れ流すことに腐心している)人々が、やりたい放題をやっている。こうした構造になっているということを理解できた点が本書から得た最大の収穫だった。



 メディアが全体として培ってきた権力均衡の仕組みが崩れている。
 政治部の取材現場でいえば、官邸クラブ、与党クラブ、野党クラブの間でお互いの取材をチェックし合い、個々の記者やクラブはキーパーソンの取材先に密着していたとしても、政治報道全体としてはバランスを取ることができた。
 しかし、官邸主導が強まるなかで、与党によって物事が左右されることはほぼなくなった。もちろん野党が動かすことも当面想定しにくい状況だ。そうしたなかでは、政治の動向を取材するには、官邸のキーパーソンに情報を依存せざるをえなくなる傾向が強まっている。(p.187)


90年代以後の政治改革の流れは首相の権限を強くし過ぎた。その結果、官邸は立法府(与党、野党)よりも、司法よりも力が強くなった(司法については次の引用文を参照)。その副作用的な帰結として、マスメディアに対しても優位に立った。これが現在の位置付けである。行政府が暴走したとき、それを止めるのは誰なのか?また、可能なのか?この問題に対して適切な回答が得られないのであれば、これまで進めてきた改革とは全く逆のベクトルで政府(首相)の権限を弱くする政治改革が必要である。



 また、自民党の長期政権が続くなかで、権力監視・均衡に大きな役割を果たしてきた司法の世界にも、強い官邸の影響が及んでいる。
 ……(中略)……。
 大谷氏が指摘するように、司法権力を密着取材する社会部の存在が権力チェックを担ってきたが、公文書改ざんという問題が起きても、検察は、財務省から徹底的に証拠を押収する強制捜査すら行わず、「証拠に基づいて」と言って、改ざん当時の佐川宣寿・理財局長らの不起訴処分を決めた。法務省を通じて、官邸の意向が捜査現場にも影響を与えたとされ、政治権力をチェックしてきた伝統的な社会部の報道の在り方を揺るがそうとしている。(p.188-189)


もはや司法すらも信用できない状況となってしまっている。このような権力(行政)が腐敗しないはずがない。



 最高裁は、国会と内閣をチェックし、三権分立の一角を担っているが、その弱みは、長官人事を内閣に握られていることだ
 過去にも、労働訴訟などの判断に自民党が不満を募らせていた1969年、安倍氏の大叔父にあたる佐藤栄作首相が、本命と目されていたリベラル派の田中二郎氏ではなく、保守派の石田和外氏を最高裁長官に任命したことがあった。第5代長官に就任した石田氏は「極端な軍国主義者、無政府主義者、はっきりした共産主義者は、裁判官として活動することには限界がありはしないか」と公言。リベラル傾向が強かった青年法律家協会所属の裁判官を排除していき、最高裁の判例も政府・自民党寄りへと覆った。「青年」にちなみ「ブルーパージ」といわれる黒歴史として語り継がれている。
 『日本の最高裁判所』の編著書がある市川正人・立命館大法科大学院教授(憲法学)は、「最高裁には権力も金もなく、権威だけを頼りに政治権力と対峙しなければならない。2000年代以降、権力側から反撃を食らわないギリギリの範囲で違憲判決を出そうという姿勢が出てきたことは評価できる。ただそれゆえに、いざ人事に介入されたとき、最高裁が政治権力に過度にすり寄ってしまわないかが心配だ」と指摘。「権威しかない最高裁が踏ん張れるかどうかは国民の側から『政権のやり方はおかしい』と声が上がってくるかどうかにかかっている」と語った。(p.194-195)


最高裁の判決に対しては、普通に考えると不自然なほど保守的(反動的あるいは自民党寄り)な傾向があると思ってきたが、その理由がよくわかった(ここで指摘されるブルーパージという黒歴史の作用)。21世紀になってから、行政権がさらに強まったためにこの問題がさらにはっきりと出てくることになっているというのが現時点の状況。

吉田秀樹+歴史とみなと研究会 『港の日本史』

 大津百艘船は享保年間(1716~1736)に1300艘を超える船を保有していたという。琵琶湖水運の最盛期をこの時期に求めることもできるが、敦賀に陸揚げされる物資の量でいえば、寛文期から元禄末期(1661~1704)までの約40年間でほぼ半減している。これは河村瑞賢いよる西廻り航路の開拓が大きく影響している。
 従来の琵琶湖を介した輸送では、北国の物資は敦賀において一度陸揚げしなければならず、問丸(輸送業者)への手数料などの面で不便があった。一方の西廻り航路では、北国の物資は関門海峡から瀬戸内海を通って大坂へ、紀伊水道を抜けて江戸まで陸路を使わずに運ぶことができた。これに打撃を受けた大津百艘船は次第に衰退し、1766(明和3)年には39艘にまで減少したという。(p.46-47)


西廻り航路は北前船に多少の興味を持っている者であれば、必ず耳にするものであるが、これができる前は琵琶湖の水運が繁栄していたというところまで繋げて理解すると、北前船の運営に近江商人が積極的に関与し、活躍していた時期があることとの関係性が見えるように思う。近江商人はもともと琵琶湖水運で利益を得ていたが、こちらよりも有利なルートが開拓されたことを察知し、西廻り航路を利用した北前船によるビジネスに乗り換えていったため、北前船の歴史においても近江商人が大きな役割を果たしたのであろう。



 日本に招聘したオランダ人のように、欧米の進んだ科学技術や社会制度を学ぶために、日本政府が雇った西洋人を「お雇い外国人」という。じつは、同じような存在は江戸時代にもいた。(p.168)


江戸時代にも「お雇い外国人」と同じような人々がそれなりの数いたという認識は重要である。明治維新を美化する立場のホイッグ史観(薩長らの明治政府が江戸幕府を倒したことを正当化する立場から描かれた歴史叙述)で見ると、江戸幕府は近代化に後ろ向きであり、それに抵抗したかのようなイメージで、必ずしも事実と一致しない像が描かれることになる。西洋の技術の導入などは明治政府でなくても江戸幕府が既にやっていたということを理解している方が、より公平かつ適切に歴史を認識し、評価することができるだろう。



 明治時代に築港をはじめとする近代的なインフラ設置に関わったのは、オランダ人、イギリス人技術者である。インフラ面においていえば、日本の近代化を先導したのはイギリス人技術者だったが、こと築港や水運に限っていえばオランダ人技術者たちが主流であった。というのも、当時の港湾・河川は海運・水運を目的としていたからだ。(p.169)


分野によってどこの国の影響を強く受けたかが違い、それも時期によって変わっていたということは他の本などで指摘されていたので一応の理解はしていたが、ここでの指摘について言えば、私としてはオランダにはあまり港湾のイメージはなかったのでやや意外な感じがした。


小野寺敦子 『小学生のことがまるごとわかるキーワード55』

きょうだいへの養育態度の差は、夫婦関係と関連しているという研究報告もあります。夫婦間で対立や葛藤がある場合、子どもに対する養育態度が夫婦で異なり子どもを混乱させてしまうと考えられ、それがきょうだい間の葛藤を高めるというのです。逆に夫婦間に葛藤がなく相互に尊敬しあう夫婦の場合は、子どもに対する養育態度に一貫性があり安定した親子関係になると考えられます。(p.37)


夫婦間の葛藤が大きい場合、離婚という帰結に至ることが考えられるが、離婚して父または母が一人で育てる場合と葛藤を抱えたまま夫婦で育てる場合で、どちらが否定的な影響が大きいか(どのような影響の違いがあるか)ということには非常に興味がある。



 子どものうつ病を誘発しやすい体験や環境として、①喪失体験(身近な人の死、ペットの死、親友の引っ越し)、②孤独の体験、③不安感の蓄積(教師や親から否定的評価を繰り返し受ける、失敗体験、怒りの抑圧)、④我慢することの多い養育環境、⑤不安定な養育環境(家族に気分障害の人がいる、虐待、親の病気、単身赴任、引っ越しの繰り返しなど環境の変化)があげられます。これ以外に菅原ら(2002)は、夫婦関係が家族機能を通して小学生の抑うつに影響を与えていると指摘しています。また、研究の結果、抑うつ傾向が高い子どもの母親は夫に対して愛情得点が低い傾向が認められています。その一方で、夫婦間で配偶者への愛情得点が高いほど、家庭の雰囲気と家族の凝集性評価が高い傾向が認められました。……(中略)……。その結果、3者均等近接型、3者均等中距離型というバランスがよくとれた関係性では子どもの抑うつ傾向が低く、父子接近型、母子接近型、夫婦接近型では抑うつ傾向が高いことが明らかになりました。こうした結果から子どもが自分の父母は仲が良いと認識している場合、子どもの抑うつ傾向は低いことがわかります。子どもの抑うつ症状には、家庭の雰囲気が悪かったり父母の喧嘩が絶えず不仲であったりすることが関連しているといえましょう。(p.43)


子どもの心と父母同士の人間関係、父母と子の人間関係のあり方は関係が深い。



就学前の子どもは「すごいね。上手」といった賞賛の「褒め」を好みますが、小学1年生の子どもは「ありがとう」といった愛情や感情のこもった「褒め」を好むことを明らかにしています。つまり何気なく私たちが行っている「褒め方」にもいろいろな種類があり、年齢に合わせた褒め方が効果的だとわかります。
 そしてさらに効果的なのが「具体的な褒め」です。……(中略)……。先生そして親が自分のことに関心をもってみてくれていることが伝わることで、子どもに安心感とやる気をもたせることができるのです。(p.47)


これ自体は目新しい指摘ではないが、わかっていても適時的確に行うことは簡単ではないことの一つ。



これらの不安は男子よりも女子の方が、また教師のサポート量が多い子どもの方が強くなっていました。これは教師からのサポートが多ければよいわけでは決してないことを示しています。(p.51)


勉強をするときに、親などに見られることが子どもにとって不安を増大させることがあるということを理解するのは実践上重要と思う。



小泉武夫 『醤油・味噌・酢はすごい 三大発酵調味料と日本人』

 江戸末期、松前藩は蝦夷の地を幕府直轄とし、そこに居住する人たちは米、味噌などの生活物資を内地から輸送していた。その後明治時代に入ると政府は「北海道開拓使」を設置して蝦夷を北海道に改称した。そのため北海道には全国から屯田兵や開拓者が集まり、生活上、味噌は不可欠の必需品となった。そこで開拓使が明治4年(1871年)に札幌郡篠路村に味噌醤油醸造所を開設したのが北海道での味噌生産の始まりである。そして道内での開拓事業は全道に広がり、明治35年(1902年)には工場数30余、年間生産量は味噌74万貫、そしてその10年後は工場70余、味噌生産量200万貫に及んだ。以後は大正、昭和と人口が増え続けるのに従って味噌の生産は追い付かなくなり、船便で本州から運んでいた。今なお北海道には道内のあちこちに味噌屋があるが、日本一の大豆生産地として、むしろ全国の味噌屋に国産大豆を供給する重要な役割を担っている地となっている。(p.107-108)


北海道と味噌の関係。明治政府の官営工場の多くは成功しなかったといわれるが、この醤油味噌醸造所はどうだったのだろうか?