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アヴェスターにはこう書いている?
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「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

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小林純 『マックス・ヴェーバー講義』

わが国では、1970年代半ばころまでは経済学の領域でヴェーバーが論じられた来たが、それ以降、ヴェーバーのプレゼンスは圧倒的に低下した。ヴェーバーが扱われるのは、おもに社会学の領域に移った。したがって、こうした時代の趨勢のなかで経済学部生にヴェーバーを紹介することがどんな効用をもつかを考えざるをえなかった。(p.4)


大塚久雄が経済史や経済思想史のような分野でヴェーバーを取り入れていたことが想起される。そのほか、経済学の領域は戦後まもなくの時期以後、数式をより重視するようになってきたように思うが、そうしたやり方が主流になっていくと、ヴェーバーのやって来た学問との接点はほとんどなくなるのだから、ヴェーバーが取り上げられなくなっていくのも当然であるように思える。

ただ、その後、90年代以降、行動経済学が次第に育ってきて、最近はかつての経済学に対してかなり有効な批判を展開しているように見える。この観点から言うと、ヴェーバーの方法論と経済学のホモ・エコノミクス(セイラーの言う「エコン」)から人々の行動を組み立てていく方法論は共通点が多く、どちらも行動経済学の観点からはア・プリオリに立てられた実証されていない前提から演繹しようとする志向を持つものとして批判できるように思われる。どちらの方法も、パラメータを適当に調整することで論者の望むような結果を導くことがある程度まで可能であり、恣意的に像(理念型)を描けるという点に問題があると思われる。

(ヴェーバーは恣意的な像であっても認識の役に立ちうるとする。そのこと自体は誤りではない。しかし、事実と理念型の差についても必ずしも「正しく」認識されるとは限らず、人間の認識の癖に応じたバイアスが存在する。そのため、ある形で理念型が練り上げられると、その含意が読み取られやすい方向に人々の認識を誘導する効果を持つ。それが人々の認識を歪めることに繋がりやすい。)



現在の実証史学の成果がヴェーバーの依拠したものの水準を超えているのは当然だ。実証研究の成果との対質は本書では諦めている。(p.291)


いわゆるヴェーバー学者がいろいろヴェーバーを論じていても、最近は物足りなく感じることが多い。その理由はいろいろあると思うが、一つは現在の研究水準からヴェーバーの業績の妥当性や問題点をあぶり出すことをしないからであるように思う。これがなければ、ただ、ヴェーバーが書いたことをなぞるだけ、あるいは、書いたことの別様の解釈を示すだけにとどまり、そこから発展して社会に貢献する知識を生み出すことには繋がらない。基礎研究と称して思想の解釈などに没頭する者がいてもそれ自体は悪いことではないが、それだけでは明らかに何かが足りないように思われる。

その意味では、本書もヴェーバーが書いたことをなぞるだけの感は否定できない。もちろん、学部生にヴェーバーの思想を紹介しながら社会思想史の知識もある程度身につけさせる講義だから、それ以上を求めることは求めすぎかもしれないが、筆者が現在の研究水準からヴェーバーが行なった研究の妥当性を認識できているようには見えない点は大いに物足りなく感じる。


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橋本努 『解読ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』』

 もちろんマルクスにしたって、われわれがどんな社会を目指すべきかについて、明確なビジョンがあったわけではない。でもマルクス主義者たちはその後、いろいろなビジョンを模索してきたよ。社会民主主義とか、マルチチュードといったビジョンを提起してきた。ところがウェーバー主義者たちはどうだろう?ウェーバーの認識を継承して、なにか新しい理念やビジョンを出したのかね?ウェーバー主義者たちは、「講談禁欲」とか「価値自由」とか何とか言って、世の中を変革するための規範理論やビジョンを出すことに、臆病だったんじゃないかなぁ。(p.73)


この指摘は確かにそうだと思える。

そもそもマルクスとウェーバーでは本人たち自身が社会の変革に対するスタンスが違っているし、それぞれの理論が志向している方向も違っている。ざっくり言えば、マルクスの理論は社会を変革することを目指しているが、ウェーバーの理論は過去の歴史についての認識を通じて社会についての認識を目指している。ウェーバーの理論は、その意味で(少なくともマルクスの理論と比べると)社会変革への応用は利きにくい。ただ、ウェーバーは様々な理論を見定めるための道具として役立つものを提供してきたとは考えられる。

しかし、ウェーバー主義者は、ウェーバーが提示してきたそれらの考え方を精緻化したり、ウェーバーの提示したもの自体が、まとまった形で提示しきれていなかったものが多いので、それを理解したりしようとすることにかなりの労力を削がれてしまっていて、結局、ウェーバーによって残された道具を使える人を増やすことに貢献したという以外、社会に対する貢献・還元という点ではあまり目立った成果は上げられていないように思う。


リチャード・セイラー 『行動経済学の逆襲(上)』

経済学者にはそれぞれ流儀というものがあり、自分のやり方を変えようとはしない。たとえそれが、いまある地位を長い年月をかけて築いてきたというだけの理由であってもだ。(p.84)


ここで述べられていることは経済学者に限ったことではないが、この振る舞いはホモ・エコノミクス(エコン)とは全く違うものだ、ということを経済学者には特に指摘してやることはできるだろう。



しかし、機会費用のことがいつでも頭から離れないようだと、視野が狭くなって、まちがいを犯しやすくなる。今月の家賃をどう工面しようかとずっと心配していなければいけない状態にあるようでは、払わなければいけない勘定すべてに気を配るのが難しくなり、そのせいで、給料を担保にした高利のローンを組んでおきながらもそれを借り換えるといった、貧しい人がする悪い意思決定をやってしまいがちになる。(p.111)


生活保護の受給者などが借金を返すために別の借金をする(本来のルール上は借金はしてはいけないことになっているはずだが)というようなやり方で次々と無意味な借金を重ねていくというのは、まさにここで言われている悪い意思決定だが、なぜこうした人たちのある程度の割合の人がそのような愚かな行動をするのか、少し腑に落ちたように思う。



アメリカがベトナムで不毛な戦争を続けたのは、莫大な戦費を投入していたために撤退できなくなったからだと、多くの人が考えている。……(中略)……。新たに1000人の命が失われ、新たに10億ドルが投入されるたびに、負けを認めて撤退することはどんどん難しくなっていったと、スタウは指摘する。このように、無関係とされている要因が非常に大きな重みを持つことがある。(p.122-123)


これはマックス・ヴェーバーもすでに20世紀初頭に指摘していたことだが、行動経済学ではこうした指摘の内容をより具体的に実証し、理論化することが出来る点で、ある意味、進歩がみられると言える。そろそろヴェーバー没後100年ということもあり、ヴェーバー関係の本が何冊か出版されるようだが、私が最近考えるのは、ヴェーバーの議論は行動経済学の観点から見ると、かなり相対化することができる、つまり、行動経済学の知見を使うことで彼の理論の誤った想定などを指摘していくことが出来るのではないか、ということを考えている。



 MBAコースの学生は、エコンのように考えることを学ぶが、それと同時に、ヒューマンのように考えるというのがどういうことなのかを忘れてしまう。これもカーネマンの言う「理論による眩惑」の事例である。実際、「雪かき用シャベルの公正性」に関する質問をMBAコースのクラスでしたところ、学生たちの反応は、標準的な経済理論に沿うものとなった。(p.224)


あらゆる社会科学の中でも、経済学の専門家に対して、「この人は頭が悪い」という感覚を覚えることが多い。その理由はここにあるように思われる。この「理論による眩惑」は経済学に限らず、政治学や社会学などでも当然あると思うが、これらの学問では経済学ほどには標準的な理論が現実離れしていないため、まだヒューマンの考え方に近いものを保持しやすいという違いがあるように思われる。

初めて経済学を学んだとき(当時はまだ社会学など他の社会科学の考え方もほとんど身につけていなかった頃)に「現実を説明したり理解するのに役立ちそうにない間違った理論ばかりだ」と直観的に感じたことが想起される。(まぁ、現実とは異なる理念型ないしはモデルとして理解することによって、ある程度の役には立て得るということは、それから少しすること分かったが。)



磯達雄、宮沢洋 『プレモダン建築巡礼』
旧札幌農学校演武場(現・札幌市時計台)

とはいえ、1階の展示がごちゃごちゃしていて、空間の魅力を減じていることは否めない。

いっそ、地下に展示空間をつくって(パリのルーブル美術館みたいに…)、地上部はもっとすっきりと空間の良さを見せたらどうでしょう。(p.41)


なるほど。面白そうなアイディア。ただ、地下に部屋をつくれるだけの空間があるかどうかは気になる。札幌市中心部は地下や地下鉄などもあるので。



手宮機関車庫3号

機関車庫1号は、レンガ造ではあるものの、屋根の形は片流れに変更された。これは、雪を転車台側に落とさないためだ。そりゃそうだ。でも、平井だってそんなことくらい分かっていたはず。それでも“いかにも西洋っぽい”アーチがどうしても実現したかったのだろう。(p.47)


確かに平井が設計した機関車庫3号は転車台側にも雪が落ちるようになっている。実際にどの程度落ちるのか見てみたいが、冬季は屋外展示が公開されていないのが問題。



 結核は都市化による人口密度の上昇や、工場労働の増加といった社会環境の変化とともに広まった病であり、日本で死亡率が最も高かったのが1918年である。(p.127)


この時代に芸術家や文学者など著名な人々が若くして結核で死んでいるとの指摘があり、上記のように述べられるのだが、確かに言われてみれば、という感じがする。感染症は意外といろいろな時代に影響を与えているようだ。


中島智章 『図説 キリスト教会建築の歴史』

柱頭に注目するとコリント式といえなくもないが、六世紀には古代ギリシアの神殿の円柱に由来するドリス式、イオニア式、コリント式といった建築様式の伝統は薄れてきていたようで、かなりデフォルメされ、全体と細部の比例関係も古典のものとはかけ離れている。(p.18-19)


ラヴェンナのサンタポリナーレ・イン・クラッセ教会堂についてのコメント。イタリアでも6世紀にはすでにこのようないわゆる古典古代の伝統が薄れていたというのは、当時の文化のあり様を理解する上で重要な認識根拠であると思われる。西ローマ帝国が崩壊した後の地域ではローマの伝統は細っていった。東ローマ帝国の版図や中東の辺りに、そうした伝統は継承されていく。これが11世紀頃から西へと再度もたらされることになる。



 集中式教会堂とは平面中央に円形あるいは多角形のドームをいただき、その他の要素がそれを中心にして配置された求心性の高い平面を持つ教会堂のことである。殉教者記念聖堂など、死と関係の深い聖堂に多く用いられた形式であり、初期キリスト教時代にはエルサレムの聖墳墓教会やミラノのサン・ロレンツォ・マッジョーレ教会堂のような例がある。(p.21)


集中式が死と関係の深い教会堂で用いられたという点はなるほどと思わされたところ。中東や中央アジアのの墓建築なども似たようなプランで建てられているものが多いように思うが、関係があるのかも知れない。



 これらの様式にはドリス式、イオニア式、コリント式の三種類がある。これらの本質的な違いは比例の違いであり、端的に述べるとドリス式は太い柱、イオニア式は中くらいの太さの柱、コリント式は細い柱ということである。(p.22)


私は(本書でも上記箇所の直後で説明されるように)ほぼ専ら柱頭の装飾形式でこれらを区別していたが、比例の違い(柱の太さ)が本質か。



河本英夫 『経験をリセットする』

 日本の地熱発電は、全国に17箇所ある。北海道電力管内に一基、東北電力管内に六基、九州電力管内に五基、さらに民間(三菱マテリアル、杉乃井ホテル、九重観光ホテル、大和紡観光)が四基所有しており、東京電力管内では、八丈島の一基だけである。出力規模も小さい。東北電力や九州電力の地熱発電に比べて、一基当たりの出力規模が、一桁小さいのである。ここにはなにか事情があるに違いない。
 地熱の潜在エネルギー量では、日本はアメリカ、インドネシアに次ぎ、第三位の埋蔵量がある。つまり地熱はいまだほとんど活用できていないエネルギー源である。……(中略)……。
 ……(中略)……。インドネシアの地熱発電所の建設には、多くの日本企業が参入している。日本にはすでに地熱発電の技術はあるが、さまざまな規制がかかっているために活用できていないのが実情である。(p.152)


興味ぶかい指摘。事情というのは恐らく地熱を活用できない事情ではなく、やりたくない人がいる、別のことをやりたい人がいる、ということと関係があるのではないかと思える。例えば、原子力を使いたいために、地熱や風力などは使いたくないという類の人たちの意向が政策に反映しているのではないかと思える。



 いわき市には、原発事故直下の町村の人たちが移住している。事故前には、発電所への補助金で潤っていた人たちである。補助金で潤い、仕事のあった人たちが、何もかも失って流民のように流れてくる。その後も被災民としての補助金、支援金は支払われている。そこでできることは時々、不釣り合いなほどの買い物をすることである。それは生活ではなく、持っていき場のなさの表現でもある。いまだ次の選択肢に踏み出すことが出来ていないのである。そしてそうした人たちを見かければ、どうしても「裁く」「捌く」という感情が働いてしまう。裁くという感情は、他人に向けられる場合でも、自分自身に向けられる場合でも、さらには東電や福島県や国家に向けられる場合でも、選択肢が足らない場面で強く出てしまう。他人を裁いてはいけないと思っても、なお裁く思いが残ることがる。ここから不要なほどの差別感情が生じることがある。
 ……(中略)……。
 裁くのではなく、自分自身のなかに選択肢を開くことが必要となる。放射線は、この選択の道を極端に狭くしている。……(中略)……。圧倒的に足りていないのは、労働力や資金ではなく、多くの人にとってそれぞれがさらに次の選択肢を選び、さらに能力を発揮することができるようなるためのデザインなのである。(p.232-233)


選択肢と裁く感情の関係はなるほどと思わされた。これは、他人を裁こうとしている人たちに対しては、より良い選択の余地を開いてやることが必要ということでもあるだろう。ただ、不当な政策が行われようとしていることや自由(選択肢)が奪われていると感じる市民が政府を批判する場合などを考えると、そうした人の心の中にだけ選択肢を広げても不満を軽減するだけで本当の解決にはならないことが多いのではないか、ということには留意しておきたい。本書で最後に「デザイン」と言われているが、制度設計を含めたシステムの変更によって心理的・精神的な選択肢だけでなく、行為や言動に関する選択肢も開くことが必要になる。



マルクス・ガブリエル 『「私」は脳ではない 21世紀のための精神の哲学』

 脳の10年が、1989年のベルリンの壁崩壊直後、つまりは特筆すべき冷戦終結直後にジョージ・ブッシュによって宣言されたのは本当に偶然でしょうか?単に医学の進歩を政治が支援するためだったのでしょうか?脳が何かを考えているときの、その脳の様子――つまりは国民の様子――を眺めることができるというのは、監視社会(と軍事・工業複合社会)が新たなチェック機能を獲得することを意味しないでしょうか?脳の理解を深めれば消費者をコントロールできると期待する声があることは、以前から知られていました。もしや(宣伝による消費者操作はもとより)神経科学に基づく医薬品によって、新たな人間操作のメカニズムが生まれるのでしょうか?
 フェリックス・ハスラー(1965年生)が『神経神話学』で、なるほどと思わせたように、脳の10年は新たなロビー活動を生み出しました。その結果、アメリカの大学ではタバコを吸う学生より向精神薬を飲む学生のほうが多くなりました。(p.34)


ガブリエルが彼の言う「神経(ニューロ)中心主義」に執拗に対抗しようとするのは、こうした懸念に発しているのではないかと思わされた箇所。神経科学などが社会の運営に有益な形で関与できる余地もあると私は考えるため、ガブリエルがここまで執拗に神経中心主義を批判することには若干の違和感を感じているのだが、批判する意図が垣間見えたように思う。

最後に述べられている事例については、もう少し具体的に知りたいところ。



 神話の形成というのは自己認識から逃げるための典型的なやり方で、今日でも行われており、たいていは過激ダーウィン進化論に感染させれています。「私」とはいったい誰なのか、あるいは何なのかと問い、その問いに対して、「私」が歴史的にどのように記述されてきたのかについても教えてくれる一貫性のある答えを構築する代わりに、現実には認識しようのない過去が持ち出されるのです。そのような過去はかなり大昔であり、証拠となる発掘品は二、三の頭蓋骨や槍の先端、せいぜい洞窟画くらいでなければなりません。それなら、その過去からどのようにして我々が生まれたのかについて、かなり好き勝手な話をすることができるからです。
 まさに、これが神話なのです。神話の政治的中心機能は、太古の昔を思い描くことによって、現在の社会全体の状況についてのイメージをつくることです。その過去について実際に分かっていることが少なければ少ないほど、思いのままにイメージを作ることができます。(p.274)


少し違うがいわゆる歴史修正主義とも通じるものがあるかも知れない。根拠薄弱なところから無理やりいい加減なやり方で社会のイメージを作ろうとするあたりが。


北大ACMプロジェクト 編 『北海道大学 もうひとつのキャンパスマップ 隠された風景を見る、消された声を聞く』

 ただしここで新渡戸は、糖業の改良によって蔗農の経済的状況がどのように改善されるかという点を全く論述していない。蔗農に対する情けはあるものの、彼が重視しているのは蔗農の経済的状況を向上させることではなく、糖業に対する各方面の改良によって砂糖の生産量を増やし、植民政府の財政収入額を上げることだった。(p.84)


新渡戸稲造が台湾の糖業に対する意見書を書いたが、これは台湾でも比較的好意的に受け取られることが多いという印象を受けるのだが、基本的には本書で示されているような批判的なスタンスで見るのが妥当であろう。そもそも彼が植民地の政府の役人として雇われて検討・研究したことについての報告書であるのだから、主たる目的が植民地の財政あるいは経済への貢献にあったことはむしろ当然と言ってよいだろう。新渡戸に限らず、過去の「偉人」たちについては、過度に美化することなく適正な評価を下していく姿勢が求められる。このことは、クラーク、内村鑑三、佐藤昌介など様々な人に当てはまる。



 しかし実際には、清国時代には製糖も行なえていた蔗農が、日本統治時代に入ると日本の製糖会社によって製糖の活動から排除され、単純な耕作者になっていったという側面がある。そしてそれらの政策が実施された後、「製糖場取締規則」による「原料採取区域」という制度が採用された。これにより、製糖会社は米やサツマイモなど、他の農産物の市場価格を参考にしてサトウキビの買収価格を決めるようになったため、サトウキビの買収価格は低下した。つまり、蔗農は自らサトウキビの価格を決めることができなくなったことで利益が激減したのだ。たとえ市場で糖価が上昇してもサトウキビの買収価格は上がらず、蔗農は徹底的に製糖業の利益から排除されていった。このように糖業改良政策は新渡戸の主張とは異なり、蔗農に有益とは言えないものだった。(p.85-86)


こうした面があったにも関わらず、台湾で製糖業が発展したのは、日本統治時代の功績の一つであるかのような受け止め方が(台湾内でも)一定程度はあるのはどうしてなのか、検証する必要があるように思われる。



農学校初代教頭のクラークはアメリカ南北戦争に従軍した経験を持ち、農学校で土木教育を任せられたW.ホィーラーが行なった「土木教育は軍事技術を民生に応用したものであった」。「未開」の地を進んで行く軍にとって道路や橋を迅速に作ることは不可欠であり、その土木技術が北海道開拓にも有用とされたのである。軍事・民生技術はその目的こそ異なるが、どちらも基本にするのは科学的知見であり、その成果は軍民両方で利用可能である――このことは、近年「デュアルユース」と称され、非軍事部門の研究者を軍事研究に取り込むキーワードにされている。(p.132)


土木技術も軍事技術と深く関わりがあるものだという点は、なるほどと思わされた。

非軍事部門の研究者を軍事研究に取り込もうとする動きにどのように対抗していくかという問題は、私としてはこれという決め手を見い出せないでいる難問の一つである。



 大学は誰のものか、その使い方を決めるのは誰なのか――。(p.173)


歴史的には教師又は学生の「組合」であったものに、さらに現在では国の政府も係わっているため、複雑な問題。たとえ、現在の規則で誰が管理するのかが定められているとしても、そもそもその規則自体の正当性を問う必要がある。


中澤渉 『日本の公教育 学力・コスト・民主主義』(その2)

 また1980年に制定されたバイドール法により、連邦政府の資金によって研究開発された発明や成果の特許権を、大学や研究者が取得できるようになった。こうして知的財産が広く活用できるようになり、産学連携や中小企業の研究開発への参加が促された。そして大学の得た特許は、大学に設置された技術移転オフィス(Technology Transfer Office :TTO)を通じて商業ベースに乗せられ、ライセンス料が大学に入るようになる。大学は、市民のための組織というよりは、利益追求の企業組織や団体と足並みを揃えていく。(p.58-59)


産学連携というと「象牙の塔」から外に「開かれた」ような何となく良いイメージがあるようにも思えるが、開かれている方向が市民ではなく個別の利益追求組織という方向であれば、公共的な役割(利益)とは対立する方向に進む可能性があるという点に留意する必要がある。



しかし高等中学校は、帝国大学の分科大学への進学後のカリキュラムを考慮して、第一部(法科・文科)、第二部(工科・理科・農科)、第三部(医科)の三部制がとられていた。これが現在の日本の文系・理系という枠組みを形成する一つの起源と考えられる。
 また私立の法律学校や宗教系の専門学校が次々に設立されたが、私学経営では資金不足が常に問題となった。これらは実学志向の職業人養成を目的とし、授業はマスプロ講義が可能な文系に偏っていた。文系であれば、講義室を用意して多くの学生を通わせれば、その分多くの授業料を獲得できたからである。日本の歴史ある有力私立大学が、どちらかといえば文系主体なのも、こうした歴史的背景に基づく。(p.60)


後者に関しては、教育に公費を投入してこなかったという点も背景として重要ではないか。



戦後の日本の大学における教養教育は、学部別組織となっている日本の大学に、アメリカ型のリベラル・アーツ教育を持ち込もうとしたものだ。ただアメリカと日本の大学は、大学組織の成り立ちが全く異なる。一部は旧制高等学校の流れを汲んでいるが、初めから学部や学科の分かれている日本では、専門が決まっているのに、専門教育と関係ないことをやらされる位置づけになってしまう。初めから、学生が興味やインセンティブを抱きにくい構造になっているのが日本の教養教育なのだ。(p.61-62)


初めから学部や学科が決まっていない大学(東大や北大など)もあるが、その場合でも理系と文系だけは先に決まっているので、結局は同じような問題が起こってしまう。



ところが、日本では大学がエリート教育機関という前提に立ち、成績が悪くてやる気もないような学生が大学に行く必要はない、という発言をしばしば耳にする。しかしすでに高卒者の半分が進学するようになった大学を、エリート教育機関と見なす理由はない。大学のイメージ、役割、社会的機能はこれまでも変化し続けてきたからだ。(p.69)


確かにその通りだと思う。本書でも上記のすぐ後で指摘されているように、エリート教育機関としての大学が一部に存在する一方、そうではない「大学」もあるということになるだろうが、どちらも同じカテゴリーに入れて論じられることで議論が誤った方向に進んでしまう場面も考えられる。個人的には、エリート教育機関とは言えないような「大学」の役割とは何なのかということは気になるところではある。

私としては、大学を卒業した(学士の称号を得た)ということは、何か未知の問題について、自ら問いを立てることができ、その問いの正しさを吟味することができ、かつ、その問いに対する仮説を検証することができる能力の基礎が身についたということではないかと思っているのだが、エリート教育機関とは言えない「大学」を卒業した時にどのような能力がどのように高められているのかを是非知りたいと思う。



しかし国際比較データをみれば、個人の成人力はトップでありながら、経済指標はおおむね先進国平均を下回っている。これでまだ「学校教育に問題がある」といい続けるとしたら、その姿勢は理解に苦しむものがある。
 むしろ、個人の力を活用できていない経済界や労働市場のあり方に問題があると考えるのが自然ではないか。(p.221)


よく「教育を改革する必要がある」という(多くは胡散臭い)議論がなされるが、本書が依拠する国際比較データで見る限り、日本の場合、教育のパフォーマンスは比較的高く、むしろ経済のパフォーマンスの方が低いのであって、改革する必要があるのは経済・労働の方であるという切り返しには、それなりの説得力がある。

ただ、多くは働いている「大人」の側から、自分たちは変わらずに他人を変えることで事態を改善したいという安易な欲求があるため、このような切り返しは「教育改革推進派」の議論と比べて浸透しにくい構造がある。このハンディをどのように乗り越えるかが問題だろう。



ダウニーらは、夏休み(長期休暇)を挟んで、児童を追跡調査した結果、通常学期ではなく、長期休暇になると、子どもの学力格差が拡大したと報告している。(p.242)


学校には学力を「下」の方を持ち上げて平準化する効果がある。現在の新型コロナ対応のための臨時休校が続くことは、この効果が得られないこととなり、学力格差が広がる要因となると思われる。


中澤渉 『日本の公教育 学力・コスト・民主主義』(その1)

 早川によれば、利害の調整役を担うのが、代議制民主主義における代表者だという。代表者は、推進する政策が、特定集団への利益誘導ではなくて、社会全体に資することを説明しなければならない。有権者も説明を聞いて、説得力があるかどうかを判断する必要がある。以上のような、代表者と有権者の相互作用により、民主主義社会は成熟してゆく。(p.8)


日本の、特に安倍政権では、この相互作用が絶望的なまでに機能しないようにさせられている。その目的は権力者側が社会全体に資することではなく、特定集団(権力者に近い、あるいは気に入る、権力者から見て役に立つ人)への利益誘導(利益供与)を行っていることを白日の下にはさらさないようにすることにあると見るのが妥当であり自然である。もしそうではないというのであれば、政権側がこうした見方に対して文書記録等に基づいて成りたちえないことを説明する義務を負っている。その義務を果たせないのであれば、単なる疑義があるだけではなく、有権者側は一貫した疑惑については事実であると想定して行為するのが正しい。



 そして方法的能力とは、基本的な政治的リテラシー、簡単にいえば政治の知識である。この点に関する教育上のアプローチは、日本とドイツとでは若干異なる。日本では、社会について基礎的な知識を習得させることに努めるが、その知識をどう活用するかは曖昧で、個人の自由に任せている。その結果、政治・公民教育では、習得した知識の有無を問うか、せいぜいその知識をちりばめた個人的印象や感想を述べることに終始してしまう。
 一方ドイツにおける政治・公民教育では、具体的な事例に対し、相互に対立する社会科学的な解釈の枠組みを適用して理解させようとする。そうして、一定の体系化された社会認識に裏づけられた政治的姿勢を、生徒に自覚的に獲得させるのだ。(p.12)


私は日本の社会科(社会科学)教育は極めて問題があると考えているが、その問題点と向かうべき方向性(ドイツのような方法が望ましい)を見事に表してくれている箇所と思えた。ここで述べられているドイツの教育方法は、私にはマックス・ヴェーバーの方法論と共通点が多いように見える。つまり、「相互に対立する解釈の枠組み」すなわち理念型を用いて理解し、「一定の体系化された社会認識に裏づけられた政治的姿勢」を「自覚的に獲得させる」というのは、価値自由の理念と通じている。



 日本では、革新系の日本教職員組合(日教組)が戦後しばらく強い影響力を維持し、権力や保守勢力が戦前の復古主義的な教育を企てているのではないかと疑いをもっていた。それに対し、政権や保守勢力は警戒感を抱き、激しい対立関係にあった。結局現場は、政治的な争点を持ち込まないことで中立性を担保しようとし、現実から遊離した無味乾燥な知識ばかりが提供されるようになった。(p.13)


日本の社会科学、特に政治に関する知識や教育が貧弱であることの歴史的・政治的背景。



 日本人は教育熱心だと言われることがある。しかしそれは、自分の子に対しての話だ。親(保護者)は無理をしてでも教育費を払う。つまり親は、そのようにして子どもに教育を受けさせるのが当然の務めだ、という暗黙の了解がある。そこには、教育を通して社会全体に還元する、という視点がない。だから教育費負担に喘ぐ、子どもをもつ家庭を除けば、教育費に対する世論、要求はなかなか高まらない。矢野眞和らはこうした日本人の公教育費に対する無理解を指し、「教育劣位社会」とよんだ。(p.28-29)


日本の社会には、教育によって社会に還元するという発想がなく、公教育費に対して理解がないという指摘は、日本の教育のあり方を考えるに当たって極めて重要な指摘。