FC2ブログ
アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
プロフィール

ツァラトゥストラ

Author:ツァラトゥストラ
「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

FC2ブログランキング

FC2ブログランキング

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

矢内原忠雄 『日本精神と平和国家』

太平洋戦争を始めたときに、八紘を宇となすとか大東亜共栄圏とか東亜の諸民族の解放とか、さういふことが言はれたのでありません。あれは戦争遂行上政治工作が必要となった時に始めて言はれたことです。あとから附加へた理窟です。(p.49)


ここで指摘されている視点は、これらの言葉が当時どのような意図をもって、あるいはどのような効果を狙って言われたのか、という点を考えるときにポイントとなる要所である。



 も一つ、朝鮮とか臺灣とかに於ける日本の政策を見れば、共栄圏理念の不明瞭・不徹底がわかる。大東亜共栄圏の理念をなぜ朝鮮臺灣に適用しなかったか。朝鮮とか臺灣に於ては神社参拝を強要したり、創氏改姓と言ひまして姓名を日本流に改めさせる。又朝鮮語臺灣語の使用を禁ずるやうなことをした。最も著しくありましたのは、国民学校や中等学校の生徒を利用しまして、創氏改姓や神社参拝を家庭に強要したのであります。姓を変へて来ない子供は学校に入れてやらない。又は明日から学校に来なくてもよい。さういふことを言って、家庭の日本化を強要し、それが日本精神だと為したのです。ところがフィリッピンやビルマに対しては、それぞれの地方の民族を解放し、その生活の自主性を尊重することが日本精神だと言った。八紘為宇の国策と言っても、さういふ矛盾した政策が行はれたのであります。
 太平洋戦争は聖戦だといふことが高調せられたのでありますが、宣長が聖人の教を批評した論法を用ひますれば、私心から出た戦争であったから特に聖戦と言ったのだ。軍官民一致といふことが繰返して言はれたのは、軍官民離反の事実があったからだ。(p.50)


フィリピンやビルマを解放すると言っても、せいぜい当時の朝鮮や台湾が解放された程度にしか「解放」されないであろう、とも言える。実際には、そもそも「解放」と呼ぶべきかどうかということが問題になるだろう。朝鮮や台湾に対する日本の統治は全否定されるべきものではないが、現地の人々に対する差別があったという点は押さえておくべきである。

後段の考え方は、現在の社会の言説を見る際にも使える見方である。例えば、「働き方改革」とは「使用者側にとってより使いやすい働かせ方の実現」という目的を隠すための呼び名である。現代の論法は単純に逆のことを言うというより、別のところに意味や意図を隠蔽しながら発せられている分だけ質が悪いが。



平和国家といふものは利益問題であるか義務の問題であるか、といふことであるのです。(p.87)


この観点は重要と思われる。ともすると、利益問題の側に引き込まれやすいが故に特に重要である。平和国家は(少なくとも主として)義務の問題であり、利益の問題でも事実の問題でもない、という理解は重要と思われる。それはあるべき状態であり目指すべき状態である。


スポンサーサイト
國分功一郎 『100分で名著 スピノザ エチカ』

 「ベントー」はポルトガル語の名前です。スピノザの祖先はスペイン系のユダヤ人で、15世紀の終わり、スペインでユダヤ人への迫害が強くなった際に一家で隣国ポルトガルに逃れています。貿易商だった父はポルトガルの生まれです。しかしポルトガルでも迫害は厳しくなり、一家はフランスを経由してオランダのアムステルダムに移住することになります。スピノザは、1632年11月、この街のユダヤ人居住区に誕生しました。
 彼の肖像画を見ると、髪は黒く縮れ、瞳も黒く、肌の色も浅黒くて、イベリア半島の出身を窺わせます。(p.9)


なるほど。



 エチカの語源はギリシア語の「エートス ethos」なのですが、ここまで遡るとおもしろいことが分かります。エートスは、慣れ親しんだ場所とか、動物の巣や住処を意味します。そこから転じて、人間が住む場所の習俗や習慣を表すようになり、さらには私たちがその場所に住むに当たってルールとすべき価値の基準を意味するようになりました。つまり倫理という言葉の根源には、自分がいまいる場所でどのように住み、どのように生きていくかという問いがあるわけです。(p.24-25)


エチカはその語源からしても「上から押し付ける道徳」にはなじみにくいわけだ。

話は変わるが、「エートス」というと、ウェーバーの資本主義の「精神」が想起される。ウェーバーの場合、この語は、ある種の「心理的起動力」として規定されていたが、外側から強制されるのではなく、内側から湧き出てくるイメージは、語源とも共通するところはありそうである。



 おそらく優れた教育者や指導者というのは、生徒や選手のエイドスに基づいて内容を押しつけるのではなくて、生徒や選手自身に自分のコナトゥスのあり方を理解させるような教育や指導ができる人なのだと思います。そう考えると、古典芸能などでいう「型」というのは、その型を経ることで自分の力の性質を知ることができる、そのようなものなのかもしれません。(p.51)


型を経ることで自分の力の性質を知ることができる、というのは、なるほどと思わされた。

スピノザが力(コナトゥス)に着目するところでは、オートポイエーシスの「作動」と共通するものを捉えているときがあるように思い、興味深い。



 スピノザは確かに契約説の立場を取っていますが、一度きりの契約という考え方をしません。毎日、他人に害を及ぼすことがないよう、他人の権利を尊重しながら生活すること、それこそが契約だというのです。(p.64)


スピノザの契約説の考え方は、もう少し詳しく知りたくなった。通常の社会契約説よりも妥当な考え方であるように思われる。

ただ、毎回毎回契約し直す、更新・確認され続けるということになると、契約という言葉との相性はやや悪くなり、一般に受け入れられやすくはないのではないか、とは思う。同じことを何か別の原理によって説明する方がより適切に表現できるのではないかという気がする。



 自分を知ることは自分に何らかの変化をもたらします。つまり、何かを認識すること、真理を獲得することは、認識する主体そのものに変化をもたらすのです。私たちは物を認識することによって、単にその物についての知識を得るだけでなく、自分の力をも認識し、それによって変化していく。真理は単なる認識の対象ではありません。スピノザにおいて、真理の獲得は一つの体験として捉えられているわけです。(p.105)


この辺りもオートポイエーシスと通じるものがあるのではないか。スピノザの書き方は幾分、反省的ではあるが、そこで言い表そうとしていることは反省的に記述されたものではなく、作動の局面にあるものを捉え、それを言い表そうとしているのではないかと思えるときがしばしばある。ここで説明されていることも、こうしたものの一つであると思われる。


『似鳥美術館』
宗本順三 「旧北海道拓殖銀行小樽支店の建築について 小樽のモダニズム銀行建築の華」より

同年竣工の小樽支店は、東南部の角に4本の列柱を設けて、象徴的で魅力的なデザインである。(写真-1,2)このような角のデザインは、神戸税関(昭和2年竣工)や旧警視庁庁舎(昭和6年竣工)に見られる敷地のコーナーに曲線と円柱形状を巧みに持ち込んで、形状の建物の顔である躍動的で象徴的なエントランスを設けた矢橋賢吉の設計手法の初期モデルであったと言える。この支店は、後の上記の作品と較べると、スケールが小さくまた表現としても控えめなデザインであったが、確実な造形力を持って設計されたことが分かる。それまでの銀行建築は、小樽の他の銀行建築を見れば分かるように、多くは鉄筋コンクリート造建築であっても、やや閉鎖で中央に入口を設ける左右対称のクラシックデザインのファサードに終始していた。この建築では、コーナーポーチにドーリア式の列柱を用いた導入部、それに続く銀行営業室にコリント式の列柱を用いた流動的な動線計画は、当時の銀行建築になっては秀逸の建築である。(写真-3)(p.112)


なるほど。確かに入口がコーナーにあるというのは、この建築に特徴的なところだと言えそうである。この建築は何度も目にしていたが、あまりこの点を気にしたことがなかった。この点に着目するだけでも、この建築に対する見方が変わるかもしれない。


志田政人 『小樽芸術村 ステンドグラス美術館(旧高橋倉庫)ガイドブック』

 当館に展示されている作品の中にも、戦地に赴く兵士の無事を祈るものや、大戦の戦勝記念として作られた作品があります。(p.4)


この美術館の作品をサラッと見ると、どうしても戦勝記念のタイプが目立ってしまうように思われる。実際に、このように解釈できる作品は多いと思うし、龍を退治する聖ゲオルギウスなどは非常にわかりやすいモチーフであり、こうした意味も汲み取りやすい。これに対し、戦地に赴く兵士の無事を祈る作品が、そうした意味を持つということは、一目で見ただけではなかなかわかりにくい。

この美術館では、説明文やオーディオガイドなどもなかなか充実しているので、しっかりこれらを読みながら見て回ると、見て取ることができるようにはなっているため、それぞれの作品にいろいろな思いが込められているということが理解できるようになっている。しかし、あれだけの作品と図像の情報量もかなりのものがあるため、あまりステンドグラスやキリスト教に関係する物語などになじみがない場合、そこまでしっかり理解するのはやや難しいかも知れない、という気もする。

その意味では、事後的にではあってもこうしたガイドブックで解説してあるのは良いと思われた。



指昭博 特別寄稿「ヴィクトリア時代の教会とステンドグラス」より

 ただ、イギリスの国教会はプロテスタントですから、描かれる主題は自ずと中世カトリック教会とは違いました。聖人崇敬につながるような主題は避けられ、聖書の物語に取材した作品が多く、聖人が描かれる場合も、国教会にゆかりの深い聖職者や、イングランドの守護聖人である聖ジョージやスコットランドの守護聖人である聖アンドリュースなど、国を意識したものが多いのです。(p.5)


なるほど。確かにこの美術館に所蔵されている作品でも、随所にイングランドやスコットランドなど、イギリスを構成する土地の守護聖人が登場していた。こうしたガラス工芸の隆盛のきっかけとなったゴシックリバイバルという運動自体が、ネイションとしてのアイデンティティを探そうとするナショナリズムの一環でもあったことを考えると、こうしたガラス工芸作品も当時のものの考え方がかなり反映していると見ることはできそうである。



『ルイス・C・ティファニー ステンドグラスギャラリー』

 また、ルイスがおこなった、何枚ものガラスを重ねることによる新しい表現法も画期的なものでした。(p.2)


このティファニーのステンドグラスギャラリーは小樽芸術村の似鳥美術館にある。このギャラリーで見られるステンドグラスの大きな特徴の一つは、この様々な種類のガラスを開発し、それらを重ねることによってさまざまな質感を表現しているところにあると思われた。

これがどのくらい画期的なのかをぜひ知りたいと思う。久しぶりにガラス関係の本も読んでみたくなった。そして、その後、再度、このギャラリーを訪れてみたい。



 19世紀後半、欧米でガラス工芸が隆盛したのは、フランスのゴシック大聖堂修復で中世の技法が再発見されたのが機縁だった。(p.5)


ゴシックリバイバル(それに伴うゴシック大聖堂の修復)がガラス工芸の隆盛に繋がったという流れはなるほどと思わされた。この隆盛が新たな技法の開発に繋がっていく。アール・ヌーヴォーやアール・デコの作品などにも様々な技法が使われているが、それはこうした歴史の流れの中に位置づけられるということか。


鈴木幸壽・山本鎮雄・茨木竹二 編 『歴史社会学とマックス・ヴェーバー――歴史社会学の歴史と現在――(下)』
雀部幸隆 「ヴェーバーの政治思想研究の意義と課題」より

 こうした発言から窺えるヴェーバーの政治への基礎視点は、①国民的観点=国益第一の視点であり、②国家の統治可能性の重視であり、③歴史的地政学的諸条件の冷静な考量である(雀部1999年、185頁以下、雀部2001年、20頁以下)。
 かれは、その観点から、あくまでもドイツの世襲君主制の維持にこだわった(以下について詳しくは、雀部1999年、91頁以下、雀部2001年、23頁以下を参照)。そのこだわりがまた、あたかも「共和制」をもって人間理性の自然にかなった――だからまた自然法的に与えられた――合理的な国制と考える傾きのある戦後のわれわれのつまづきの石となる。もちろんヴェーバーは、ドイツの第一次大戦敗北後、ヴィルヘルム二世の国外逃亡によって帝制の崩壊が不可逆な事実となるにおよんで、共和政体を基礎にドイツ国家の再建策を追求することとなる。「国民投票的大統領制と代表制的議会制とが併存する=代議制的統治」というのが、その回答である(WuG, 5. Aufl., S.173. 『支配の諸類型』、196頁)。しかし、ヴェーバーの「君主制」へのこだわりに釈然としないわれわれは、その場合にも、結局ヴェーバーはワイマール共和国大統領にたいして「代替皇帝」としての役割を期待したのではないか、その意味においてかれの君主主義的原思考は形を変えて生きながらえているのではないか、との疑念を払拭することができないでいる。(p.131-132)


まず、ウェーバーの政治への基礎視点として3点がまとめられているが、この整理は概ね妥当と思われる。国益第一といったとき、誰のどのような利益なのか、ということを明確にする必要がある。ウェーバーの場合、基本的には②の観点とも関係して、為政者の立場にとって好都合なものを重視していることととなる(国民一人一人の福利や権利を守ることが第一義的なものとはなっていない点に注意!)。

国民投票的大統領制と代表制的議会制の併存というアイディアも、雀部と異なり、素直に「君主主義的原思考は形を変えて生きながらえている」と解釈するのが適当ではなかろうか。ウェーバー研究者はウェーバーを批判から守ろうとするあまり、不当な解釈をすることがあるが、ここもその一つではないか。




鈴木幸壽・山本鎮雄・茨木竹二 編 『歴史社会学とマックス・ヴェーバー――歴史社会学の歴史と現在――(上)』
島田信吾 「比較歴史社会学序説」より

ドイツでは言葉を通じての議論、並びに文章を通じての“歴史”が重く見られ、それが過去の分析の中心になっていると思われる。それが一つには歴史学でもあるし、他方では歴史合理性と呼ばれるものであるのかもしれない。日本の場合、確かに歴史学的な議論は存在するし、過去の事実のテーマ化には事欠かない。しかし、社会的な傾向として、こうした言語を通じた議論はどうしても日常生活からかけ離れ、二次的なものになっているという印象を受ける。過去の意味はどうしても“歴史の中”にディスクールを通じて探られるということにはならず、いかに生存者が死者に意味付けを行うかということにあるからである。
 この意味付けが政治的な象徴性を帯びていることは2001年8月13日における小泉首相の靖国神社参拝にも色濃くに現れている。また1963年以来、毎年8月15日には、全国戦没者追悼式が行われているが、そこでの歴代の首相の挨拶の言葉を追っていくと、大変はっきりとした意味付けが行われているのが見えてくる。吉田裕が指摘するように、戦没者が生存者のための犠牲になり、今日の繁栄の礎となったという見方である。こうした追悼儀礼はもちろん一つの宗教とは呼べないが、ここで強く出ているのは、先祖があって現在があるという、時間の連続性である。この国家儀礼が日本人の戦没者の追悼を目的としている以上、この時間の連続性が国家の連続性、並びに文化アイデンティティーと深く結びついていることは明確であろう。
 さらに各地に存在する護国神社の祭りを見ていった場合、この時間の連続性が宗教儀礼を通じて人々に伝えられていっていると見なせるであろう。祭られている“英霊”と現在の間には儀礼によって関係が保たれ、後裔のために自ら犠牲となった先祖という意味付けがはっきりと見てとれる。
 ここでの歴史観は先祖から受け継いだ連続性の時間の流れであり、“現在”はこうした意味で過去に規定され、歴史の流れの他の可能性は否定される。いってみれば、この先祖のおかげでの現在というコンセプトは過去の対象化をはばみ、戦没者を加害者として見る視点を否定するわけである。つまりこうした思考は過去の“現在性”を強調しその対象化を阻む。こうした過去は結局は歴史になり得ないわけである。(p.104-105)


ある事実が歴史叙述の対象になりにくいということがありうる。この点の指摘にはなるほどと思わされた。

日本で第二次大戦や日中戦争などのことについて歴史学での研究があっても、それが参照されることなく、ネトウヨ的な自慰史観に基づく歴史物語がやたらと流通していることの要因を、上記引用文は指摘し得ているように思われる。すなわち、戦没者は現在のわれわれのために犠牲となった先祖であると意味づけられ、その犠牲により現在に貢献してくれた人である、という意味付けがされているため、戦没者は被害者としての側面だけが言われることになる。彼らの加害性は否定され、隠蔽される

客観的かつ公平公正に歴史を叙述しようとすると、戦没者を含めた当時の人々の被害性と加害性の両面を見なければならないが、「現在に貢献してくれた恩人」として(事実を知る前に、あるいは、事実を知っていたとしても、それ以上に強く)意味づけされてしまっているため、「英霊」たちの加害性を認めることができない。このような不当な信念が先立っているため、公的な場で議論をしようとしても議論が成り立たず、不毛な議論しかできない。不毛な議論ばかりが続くと、議論をしようという気も起きなくなっていく。結果、ドイツのような状況とは全く異なる現在の日本の言論状況が現れることになる、といったところか。




筒井清忠 『戦前日本のポピュリズム 日米戦争への道』

 この経緯から、余裕があればむやみに天皇シンボルを濫用するわけでもないことがわかる。天皇型ポピュリズムに走るのは政治的に苦しい立場に立たされたときなのである(もしこのときも「大権干犯」論を持ち出せば、「俸給権干犯」論となったのであろうか)。(p.112)


天皇型かどうかにかかわらず、ポピュリズムに走るときというのは、支配や統治を行う側に対してそれに直接は深くコミットできない一般の人々が不満を持っているときなのだが、政府の側がそれに走るときというのは、他の手段が有効だと思えないときに使われるのではないかと思われる。

その意味で、ポピュリズムは「逃げ」の選択肢であり、否定的なものでしかなく、積極的に何かを作り上げていくことには結びつかないものと考えるべきではないか。



世論工作の失敗が、対米七割を達成できずワシントン会議が失敗に終わった原因と考えた海軍は、ロンドン会議に向けてその挽回を期していた。
 具体的には、新聞との意思疎通に失敗したと考えていた海軍は、ロンドン会議が始まる前に緒方竹虎ら新聞社の代表と会合を持つことにした。(p.123)


この戦前の海軍の動きは安倍政権の動きと重なる。安倍内閣はある意味では戦前の海軍と同じことをしている。

マスメディアを権力側に引きつけて世論を操作する。安倍政権の場合、このようにすることで、「妥当でない政策」を実行可能とするために「妥当ではない世論」を作り出している。「妥当な政策」であればメディアを支配下におかなくても何ら困ることはない。自らのやろうとしていることが「妥当でない」ことが分かっているから安倍政権はメディアをコントロールし、情報を隠蔽し、説明逃れを続け、文書を改ざんし、言い換えによって物事を人々に把握できなくさせている。この点を見落としてはならない。



 村田が警察部長として赴任してみると、大分県には警察の駐在所が政友会系・民政党系と二つあった。政権が変わるたびに片方を閉じ、もう片方を開けて使用するという。結婚、医者、旅館、料亭なども政友会系・民政党系と二つに分かれていた。例えば、遠くても自党に近い医者に行くのである。結婚などは私行上のことなのでともかくとしても、土木工事・道路などの公共事業も知事が政友会系・民政党系と変わるたびにそれぞれ二つ行われていた。消防も系列化されていた。反対党の家の消火活動はしないというのである。
 それぞれの党の県本部の下に各市町村ごとに下部組織ができあがっていて、常に党員の獲得と離党阻止に異常が努力が払われていた。しかも各支部の幹部は、日ごろから各党員の私生活にまで立ち入って、何くれとなく世話を焼いていたので、党員の団結は非常に強固で、隅々まで連絡網が張り巡らされていた。
 このような強力な組織をもって、双方の政党は、野党時代には政権党の内閣の知事の下での県職員の行動を厳重に監視し、いったん政変により政権党になると、そのたびごとに反対党の知事はじめ職員を一斉に退職させた。(p.176)


かつてのアメリカのスポイルズシステム(猟官制)が想起させられる。こうした党派的な行政運営は当然、(ここでも反対党の家の消火をしない消防などに端的に表れているように)行政の公正さに悪影響を及ぼす。

しかし、現在の日本の政治システムに目を向けると、90年代を通じて行われた政治改革や行政改革の中で、内閣府への権限集中が進んだが、安倍政権が深くコミットして作られた(注)内閣人事局の設置(2014年)は、現行の日本の官僚システムを再び猟官制に戻した(少なくともそれに近づけた)。最もそれがはっきりわかるのは佐川元理財局長による森友問題に関する態度である。官僚があのような異常な言動をするようになったのは、再猟官制化がもたらした弊害であると理解すべきだろう。

(注) 安倍内閣は、第一次内閣の際に創設に繋がる検討会を立ち上げ、政権復帰後に設置法案も提出した。



トマ・ピケティ 『格差と再分配 20世紀フランスの資本』(その2)

人民戦線が確立した新しい税率表は、それによって何が可能になるかという点においてとくに野心的なものだった。税率を平均税率で表わすことによって高所得層に対する税額をかなり増やせるが、その際、並み外れて高い限界税率を表に出さなくてすむのである。事実、人民戦線の税率表に示された最高税率(40パーセント)は、最高限界税率が60パーセントと72パーセントだった1923~1925年の所得課税時の歴史的な最大値よりだいぶ低い(表4-2を参照)。だが本質的な違いは、限界税率ではなく平均税率だということである。……(中略)……。そのポワンカレ時代の税率表と比べると、人民戦線が採用した40パーセントの平均税率は、高所得層の総合所得税の負担を著しく大きくする結果をもたらした。(p.354)


税率表が限界税率で書かれているか平均税率で書かれているかということは、税率を決める際の人びとの認識に大きな影響を及ぼす。現在のような超高所得者にとって有利な税制になっている現状においては、この効果を利用しない手はないと考えられる。



言い換えると、「200家族」(分位P99.99-100)の所得と平均所得、および「200家族」(分位P99.99-100)と高所得層の各分位との隔たりが、20世紀末のおよそ5倍以上だった時代には、最も給与の高い人々を含めて、賃金労働者を税制面で優遇することに「事実上」の根拠があったのだ。……(中略)……。超高額の資本所得が過去ほど高い水準でなくなった世界で、「所得の高い賃金労働者」に対して適用除外の税制を認めることはしだいに根拠を失っていった。(p.410-412)


給与所得と資本所得に対する課税の重さについて、興味深い指摘。超高額の資本所得が存在し、それが誰の目にも明らかであった時代には、資本所得より給与所得への課税を軽くすることに対する社会的なコンセンサスが存在したが、両大戦の時期に超高額の資本所得が大打撃を受け、さらに累進的な所得税などによってその復活が妨げられてきた20世紀末にあっては、その根拠はないとみなされるようになってしまった。



じつは、こうした適用除外の方式が帯びる重要性はかなり高いので、20世紀末に適用されている税制について「単一」の所得税という言い方をすることはおそらく誇張になる。20世紀末の所得税はかなりの程度まで、1914-1917年に確立された所得税と同じくらい「複合的」であって、本質的な違いは、いま寛大な扱いを受けているのが賃金所得ではなく動産資本所得だということである。(p.426)


この指摘は日本にも当てはまる。動産資本所得の優遇はやめなければならない。



 概して、資本所得への優遇を正当化するために第二次世界大戦直後になされた主張(戦争による荒廃、インフレなど)は1945年から今日までに著しく説得力を失い、20世紀末のフランスでそうした優遇になお意味があるのか考えてみることはきわめて理にかなっている。(p.429)


このことは日本にもそっくりそのまま当てはまるが、本書のいう通りである。



 所得税の分散化と「大衆化」の過程が「栄光の30年」と同時に終わることもまた注目に値する。前章で指摘したように、所得税は1980-1990年代には「下げるべき税」になる。1980年代初めにモロワ政権が実施した増税が20世紀最後の増税で、それ以後、所得税は引き下げる方向でしか改革できないというのが暗黙の了解になる。1980-1990年代のこうした転換がかなりの程度まで経済成長の不確実性によって説明できることは疑う余地がない。「栄光の30年」を通じて、所得が力強い伸びを示したことが、所得税増税を根拠づける口実になった(いずれにせよ、所得税は購買力の増大をきわめて部分的にしか削らなかった)。逆に、購買力が停滞した1980-1990年代には、所得税は納税者にとってしだいに耐えがたい徴収となる。(p.459)


この流れは日本もほぼ同様である。これを下げてしまったがゆえに、超高所得者への課税が軽くなり、膨大な格差が広がっていったことは21世紀も20年近く経過した現在から見れば誰でもわかることであろう。



所得税の目的は常に超高所得者の資産家に重点的に課税することであって、「高所得の賃金労働者」を標的にすることではなかった。(p.508)


なるほど。この認識は本書から得た大きな収穫だったように思う。



 1990年代末には、累進所得税の名目で申告される動産資本所得(主として「直接的」に所有される株の配当)は年に1000億フラン強である。同じ時期、源泉分離が適用される所得の総額は年に600億フランを超え、完全に非課税の各種預金口座と積立口座(A預金、青の通帳、産業振興向け預金口座、大衆向け預金口座、住宅購入積立口座、大衆向け積立口座、株式積立口座など)の保有者が毎年受け取る所得の総額は1300億フランに達する。したがって、適用除外制度が通常の規則になり、一般法の制度が例外になったと言っても過言ではないことがわかる。1990年代末には、源泉分離が適用される所得と、完全に非課税の預金口座と積立口座の所得の総額は年におよそ2000億フラン、つまり所得税納税のために申告された動産資本所得の2倍近い額である。これら二つの適用除外制度がなくなれば、つまり源泉分離制度が廃止され、完全に非課税の預金口座と積立口座すべてが、1914-1917年に制定された税法におけるように一般法としての所得税の対象になれば、累進所得税を課せられる動産資本所得の総額はおよそ3倍になるだろう。この数字から、動産資本所得に対する課税方法が20世紀を通じていかに劇的に変化したかが理解できる。(p.526)


恐らく日本でも同じような傾向になるのは間違いないと思われるが、具体的な数字としてどの程度になるのかが気になる。



1970-1996年に申告をした超高所得層は(1981-1982年を含めて)、最高限界税率の変化にはっきりした形で反応した様子はなく、超高所得の相対的水準の短期的変化をもたらしたのは、課税による刺激よりもむしろ、マクロ的経済循環(限界税率の変化とは無関係に、景気後退局面では超高所得層は他の所得層よりも落ち込みが著しく、景気回復局面では他の所得層よりも上昇が早い)である。(p.568)


前段の事実は、いわゆるキャピタルフライト論に対する批判となる事実(少なくとも過度に心配する必要はないことを示す事実)であると思われる。



アングロサクソン諸国が、今日私たちが知るような非常に不平等な国になったのは1980-1990年代のことである。イギリスは1970年代の初めには北欧諸国と同じ水準であったが、20世紀末にはヨーロッパで最も格差の大きい国になった。アメリカは1970年代初めはヨーロッパ諸国の平均値と同じ水準だったが、20世紀末には西洋諸国の中で最も格差の大きい国になった。(p.652)


サッチャーやレーガンに代表されるような新自由主義的な政策が採られた結果、どのようなことが起こるかが如実に表れている。ある意味、このように不平等で貧困層が厚い不安定な社会になったからこそ、その後、アメリカではラストベルトの人々などがトランプのようなポピュリスト的な排外主義者を称揚して支持するような事態になったり、イギリスもEUから離脱するような選択をしてしまったり、といった政治的に不安定な事態に繋がっていると理解すべきだろう。



 ただし、経済的な観点からは、1914年から1945年までに起こった資産格差の縮小が、戦後の発展した経済を活性化するのに貢献したという考え方は完全に正しく、妥当であるように思える。資本蓄積のカウンターを「ゼロにリセット」することにより、資本と権力を手に入れる方法を独占していた資本主義の古い財閥の没落は加速されたが、それは新しい世代の個人事業主の出現に有利に働いた。……(中略)……。
 したがって、この説によれば、大きすぎる資産格差の存在は経済発展と経済成長にマイナスの影響を与える。なぜなら、こうした格差のせいで、重要な決定(新たな投資、新しい企業の創設など)が一握りの国民の中で行われるようになり、価値ある計画をもっている多くの人々が決定にかかわれなくなるからである。同様の理由から、累進所得税と累進相続税は、あまりにも大きな資産格差とあまりにも大きな相続格差がふたたび形成されるのを防ぐので、経済成長にとってプラスの影響を与えるだろう。その場合、これらの税の正当性に反論することはむずかしいだろう。累進性の高い税の存在は、資本主義が生み出す最も不当な格差を消滅させるだけでなく(あるいは少なくともかなり減少させるだけでなく)、経済発展も活性化させる。とはいえ、これは仮説にすぎず、激しい政治論争が起きたとしてもどんな言い訳にでも逃げ込んでしまえるほど不確定要素が強い。事実、このような説の妥当性を、誰にでも受け入れられるような完璧に厳密な方法で証明することはきわめてむずかしい。経済成長には多くの要因があり、個々の要因を切り離すのは不可能なことが多いからである。「栄光の30年」にはすべての先進国で非常に累進性の高い税が適用されたが、明らかに、そのことが例外的に速い経済成長を達成する妨げにはならなかったことを確認するにとどめよう。(p.706-707)


資産や所得の格差が大きくならない方が経済的な活力も大きくなりやすいという説には私も同意見である。少なくとも経済の需要側を活性化させることは間違いない。供給力が需要を上回る社会においては間違いなく妥当するだろう。

少なくとも累進税が高度経済成長を妨げた事実はないという点はピケティと同様に強調する価値があると思う。



20世紀の経験は、あからさまに格差が大きくなった社会は本質的に不安定だということを示している。過去についての研究から、資本が集中しすぎると社会正義の観点からだけでなく、経済効率の点でも否定的な結果になるように思える。1914年から1945年までに起こった資産格差の縮小は、昔の資本家による財閥を衰退させ、新しい世代の個人事業主の出現を促したことで、「栄光の30年」の時期に西洋社会において経済を活性化させたというのは大いにありえることである。累進税には、第一次世界大戦前と同じような状況がふたたび現れることを妨げるという長所がある累進税が適切に適用されなければ、長期的にはある種の経済停滞が起こってしまうだろう。(p.715)


全く同意見である。ピケティは膨大なデータに基づき、厳密な方法で論証を積み重ねた結果この結論に達しているということに注意を促しておきたい。

逆進性の高い税制にしていくと経済停滞に陥る。現在の日本政府の政策を見ていくと、それが真実だとわかる日が来るだろう。ただ、誰の目にも明らかになった時には恐らく手遅れだろうが。(というか、政策の効果が表れるタイムラグが数年や十数年にわたることを考えると、因果関係をはっきり認識できる人は少数派にとどまるのだろう。)

このことに多くの人が気付くにはどうすればよいのだろう?高等教育、マスメディア、インターネットといったものの情勢を総合的に考えると、楽観視することは私には到底できない。


トマ・ピケティ 『格差と再分配 20世紀フランスの資本』(その1)

これから見ていくように、所得税とはおもに、高給与者が多い「中流階級」(分位P90-95)や「上位中流階級」(分位P95-99)ではなく、資本所得による超高所得者が分布している所得階層トップ百分位の上層に対して課税するための手段であった。(p.296)


しかし、現在の所得税は資産に対して軽い税率が適用される傾向にある。このため、十分に本来の機能を果たせていないと考えている。



限界税率の最高値が、私たちにとって長らくなじみ深いものになっている数十パーセントといった「現代的な」レベルに達するのは、第一次世界大戦以降なのである。(p.309)


所得税は導入された当初はそれ以前のいわば「伝統的」な税率であった(最高税率2%とか)。総力戦のために所得税が導入・拡大されたという面は否めない。



それに対して「限界税率」による税率表では、算出のしかたがより複雑なためにいろいろな誤解が生じ、多くの識者や納税者に、高所得層に実際に適用される税率をかなり過大評価させてしまうことがある。(p.333)


確かに。